そして、岸内閣が構築した「国防をアメリカに依存(いそん)した日米安保体制」を背景として、防衛費を抑制(よくせい)する代わりに、経済の高度成長をめざした所得倍増計画を発表しました。
所得倍増計画は、昭和36(1961)年からの10年間で一人当たりの国民所得を倍増させようというものでしたが、実際には経済成長率が毎年10%を超え、昭和42(1967)年度には早くも当初の目標を達成しました。
我が国の国民総生産(=GNP)は10年間で3倍増という驚異的な数値を残したほか、昭和43(1968)年には資本主義国の中でアメリカに次いで第2位にまで上昇するなど、高度経済成長政策によって、日本経済は著しく躍進(やくしん)を遂(と)げることとなったのです。
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ぴーち こんばんは!
本当に日本人の一致団結力は、いざ目標が定まると
驚異的な勢いで達成されるので、すごいと思います。
しかしながら、残念なことは
短期間で急成長を遂げたものは、また急速に
その勢いが衰えてしまうという
法則通りになってしまっていることが
悔やまれてなりません。
ただもしもこれまでの日本人の考え方が
これからも人々の中に息づいているとしたら、
また再び日本という国は、活気溢れる
国に回復出来るのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 高度経済成長は我が国に大きな繁栄をもたらしましたが、確かにその後の勢いの衰えは厳しかったですね。
とはいえ、歩みは遅くとも少しずつでも成長出来れば、我が国はきっと回復できるはずです。その意味でも、高度経済成長の歴史を振り返ることは重要だと思います。
ぴーち おはようございます!
仰るとおりだと思います。
人間、一瞬にして多くのものを失ったりすると
(この場合は戦争でしょうけれど)
それを一刻も早く取り戻そうと
躍起になり過ぎてしまう所がありますものね。
良い状態を少しでも継続させていくには、
そこへ到達させる時間もなるべくじっくり
掛ける必要があると思います。
勿論、そのことはどなたの頭の中にもある思いだとは思いますが、そこをどう感情コントロールして
いけるかが課題でもあるように思います。
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 今後の我が国は確実に国力をあげていく努力をすべきかと思われます。
安定した成長こそ、国家再生のカギを握ることでしょう。
例えば、東海道新幹線(詳しくは後述します)は、満州に展開していた「南満州鉄道株式会社(=満鉄)」の技術がなければ実現できなかったかもしれません。戦前において、満鉄の鉄道技術は既(すで)に世界一だったのであり、超高性能の蒸気機関車(じょうききかんしゃ)によって牽引(けんいん)された、全客車冷房完備の「特急あじあ号」は特に有名でした。
加えて、1960年代の世界では、技術革新が進んで産業が発展したのみならず、IMF体制によって国際通貨が安定し、また人員の完全雇用をめざしての財政あるいは金融政策が普及していました。
そんな時期において、我が国は、世界における貿易の成長率の約2倍という高さで輸出を拡大して、成長産業の需要を増加させるとともに、輸出によって得た多額の外貨を基本として、生産の増加に必要な原材料や燃料を輸入していました。
また、産業の拡大には燃料の安定供給が欠かせませんが、当時は中東における原油生産が急増し、価格が低下していたため、我が国が推進していた重化学工業化に必要な原材料や燃料を、安い価格で入手することが可能だったのです。
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産業界はこぞって技術革新の成果を導入し、積極的な設備投資を行ったことで、オートメーション化が進み、生産性を向上させるとともに、国内市場のみならず、輸出の拡大によって世界市場にも日本商品が多く出回るようになりました。
高度経済成長期には、石油化学工業や電子工業・合成繊維(せんい)工業が新たに誕生したほか、鉄鋼業・造船業・カメラなどの精密工業・後には自動車工業が国際競争力をつけるようになりました。また、鹿島や千葉・川崎・四日市・堺・岩国・福山・水島などの太平洋ベルト地帯にも、次々と大型コンビナートが建設されました。
また、高度経済成長を機に、終身雇用制や年功序列型賃金などを特色とする、いわゆる日本的経営が定着したほか、重化学工業が伸長したことによって、第二次・第三次産業が日本経済の中心を担(にな)うようになりましたが、第一次産業の比重はその分低下しました。
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ぴーち こんにちは!
の時代は、国内での競争力が主な中心だったのですね。国内でこうして切磋琢磨したからこそ、
日本は世界でも有数な技術大国へ伸し上れた訳ですね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
国内での切磋琢磨が、世界に負けない技術力を身につけることにつながりましたからね。
こうした労働者や農民の所得の増加が、国民全体の所得を引き上げるとともに、国内市場の拡大にもつながったことから、所得倍増計画が予想を超える速さで進んでいったとも考えられるのです。
高度経済成長によって日本経済は上向きとなり、昭和34(1959)年から36(1961)年にかけては「神武景気」以上の好景気となる「岩戸景気(いわとけいき)」、昭和41(1966)年から45(1970)年には、それらをもしのぐという意味で命名された「いざなぎ景気」といった好況に恵まれました。
また、産業構造の変化に伴い、主力エネルギーもこれまでの石炭から石油へと急速に転換されました(これを「エネルギー革命」といいます)。しかし、斜陽化(しゃようか)した石炭産業では、三井三池炭鉱争議などの労働争議が発生したほか、九州や北海道を中心に炭鉱の閉山が相次(あいつ)ぐようになりました。
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ぴーち 石炭から石油へのエネルギー転換で
より
経済効果が急速に加速していったと言うことなんですね。
しかしこれらの天然資源も
あともう少しで底を付くと警告されている方も
いらっしゃいますが、
次世代に来るエネルギー原料は
何が開発されていくのでしょうか・・。バイオ燃料?
いづれにせよ、日本が産出国になれるように
なると世界的な立ち位置が随分と変わるのになと
思うんですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹
石炭から石油へのエネルギー革命は当時の世界に大きな変化をもたらしましたが、現代もより安全な原発の開発や、メタンハイドレートの有効活用などによって、我が国がエネルギーに困らなくなる手段はいくらでもあるはずですからね。
なお、LT貿易とは、交渉に当たった日本代表の高碕達之助(たかさきたつのすけ)と、中華人民共和国代表の廖承志(りょうしょうし)の両名の頭文字をとったものです。
我が国では、昭和35(1960)年に「貿易為替自由化大綱」を決定して、貿易の自由化が計画的に進められ、昭和39(1964)年にはIMFと世界銀行の年次大会が東京で開かれました。
また、我が国は同年に「国際収支を改善する目的では為替管理を行えない」、つまり貿易支払いや資本移動に対する制限を禁止された国である「IMF8条国」となるとともに、経済協力開発機構(=OECD)にも加入して、貿易の自由化が義務付けられました。
我が国は前年の昭和38(1963)年に「国際収支上の理由から輸入制限をすることができない」とされたGATT11条国にも移行しており、世界から「経済大国」としての存在を認められたといえます。
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ぴーち こんばんは!
なるほど!
国が活気付くという時は、飛ぶ鳥をも落とす勢いが
備わるものなんですねぇ・・
この頃の日本はまさに怖いもの知らずな
印象が伺えます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、当時の我が国はまさに「日の出の勢い」でした。
当時の勢いを思い出したいと同時に、経済大国への道は日米安保による平和がもたらしたことを考慮する必要がありますね。
開放経済体制の下で国際競争力を高めるために、我が国の企業も様々な動きを見せました。例えば、昭和39(1964)年には、財閥解体(ざいばつかいたい)によって3社に分割された三菱重工が再合併しました。
また、昭和45(1970)年には八幡製鉄と富士製鉄とが合併して新日本製鉄が創立されるなど、企業の大型合併が進められました。なお、同社は平成24(2012)年に新日鉄住金となっています。
この他、三井・三菱・住友・富士・三和・第一勧銀など、旧財閥系を中心とする都市銀行が、系列企業への融資を通じて企業集団を形成するなどの動きも見られました。
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ぴーち こんばんは!
この頃から、三井、住友、第一勧銀などなどの
銀行が勢いを増して来たのですね。
これらの銀行は今でも
おしも押されぬ存在として君臨してますものね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > この頃から、三井、住友、第一勧銀などなどの
> 銀行が勢いを増して来たのですね。
> これらの銀行は今でも
> おしも押されぬ存在として君臨してますものね。
これら多くの都市銀行は、高度経済成長期から長く我が国を支えてきました。
バブル崩壊後に一部は破たんしましたが、統合を重ねたうえで「メガバンク」として現在も君臨していますね。