第一次防衛力整備計画を決定して、我が国の自衛力の強化に努めた岸内閣は、「日米新時代」のスローガンを掲(かか)げて、片務的(へんむてき)な内容だった従来の日米安全保障条約の改定に意欲を見せました。
岸首相の努力もあって、昭和35(1960)年1月に我が国とアメリカは、ワシントンで日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)に調印しました。新安保条約は、アメリカの日本防衛義務を設けるなど対等な内容に近づけたほか、在日アメリカ軍の軍事行動における事前協議制や、固定有効期限を10年とすることなどが規定されました。
しかし、こうした新安保条約の批准(ひじゅん、全権委員が署名して内容の確定した条約に対して締結権をもつ国家機関が確認のうえ同意を与えること)をめぐって、日本国内で激(はげ)しい闘争(とうそう)が繰(く)り広げられるようになるのです。
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ぴーち こんにちは!
確かに国同士が仲良くし合うことは
良い事だとは思いますが、
アメリカと日本の間には、どうも
公平な立場での握手ではなく、
アメリカ上位のまま、それに日本が従う形に思えてなりません。
この頃の日本では,A型の血液型の人間に
いきなりO型という全く異なった血液を輸血されて
血液型不適合で混乱している絵図が浮かんで来るようです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに「対等に近づいた」だけであり、100%の対等関係ではありませんからね。
しかしながら、俗にいう「平和憲法」の縛りで、我が国が軍隊を持つことを憚られる現状では、やむを得ないのかもしれません。
また、当時の国会で審議されていた警察官職務執行法(けいさつかんしょくむしっこうほう)の強化や教員の勤務評定などをめぐって、岸信介内閣は革新勢力と対立していましたが、これらと同時期に新安保条約の調印が行われたため、条約を批准する国会審議において、与野党の意見が激突しました。
このため、岸内閣はやむを得ず昭和35(1960)年5月19日に衆議院で条約批准案を野党欠席のまま強行採決に踏(ふ)み切りましたが、これを契機(けいき)として、院外の安保改正阻止闘争(安保闘争)は激しさを増し、安保改定阻止国民会議や全学連(ぜんがくれん)による10万人を超えるデモ隊が、連日のように国会を取り囲むようになりました。
そして、6月15日には全学連主流派の約1万人が国会に乱入し、警官隊と衝突(しょうとつ)して死者を出す惨事(さんじ)となってしまったのです。
新安保条約は参議院の承認を得られぬまま、6月19日に自然成立となりましたが、この騒ぎによって、予定されていたアメリカのアイゼンハワー大統領の訪日が中止されたほか、混乱の責任を取って岸内閣が総辞職しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
岸信介氏のお名前だけは存じておりますが、
この時代をまとめていく事には
相当な求心力が必要だったことでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 岸信介氏のお名前だけは存じておりますが、
> この時代をまとめていく事には
> 相当な求心力が必要だったことでしょうね。
仰るとおり、カリスマ的な求心力や政治力がなければできなかったと思います。
この時期に岸首相が存在したことが、後の我が国の平和を考えると良かったのかもしれません。
ただ、これだけ混乱しては仕方がないのですが、憲法改正までは首相として存在してほしかった、というのも考えられそうですね。
しかしながら、日米が対等の関係に近づいた新安保条約によって、アメリカの「核の傘(かさ)」に入るという選択を強(し)いられながらも、我が国の安全保障が飛躍的(ひやくてき)に高まったことが、その後の平和と繁栄(はんえい)をもたらしたのが歴史の真実なのです。
とはいえ、新安保条約批准(ひじゅん)以後の歴代自民党政権が、さらに大きな混乱を招きかねない憲法改正や再軍備といった重要な問題を棚上(たなあ)げして、経済成長に偏重(へんちょう)する政策(せいさく)に終始するようになるなど、安保闘争が保守陣営に与えた影響は大きなものがありました。
なお、安保闘争をめぐって意見が対立した社会党右派の西尾末広(ひしおすえひろ)が離党(りとう)し、昭和35(1960)年1月に民主社会党(のちの民社党)を結成しています。
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ぴーち こんばんは!
そうですね。。
今、憲法改正をするべきでは無いと唱える人の
中には、これまで長い期間、変わらずに変えずに
守り通して来たものをいとも簡単に変えてしまってよいものだろうかと言う意見が多い様ですが、
確かにこれまで守り通して来た張本人は自民党であるので、政党には今回のこの問題の責任は
重く圧し掛かっているものと
思います。
出来れば、こういう問題は後手に回さずに
もっと早い段階で改正出来ていれば、混乱を招くことは無かったのではないかとさえ感じます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうなんですよね。
当時の大混乱を考えれば致し方ないとはいえ、岸首相の実行力があれば、憲法改正への道筋が開けたのではないか、と残念に思えてなりません。
とはいえ、憲法改正をしてはいけないことは絶対にないのですから、現内閣には粛々と進めてほしいですね。