「先の戦争によって先祖からの領土や国民の多くの生命を失い、大変な災厄(さいやく)を受けた。この際、私としてはどうすればよいのかと思い、退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、全国をくまなく歩いて国民を慰(なぐさ)め、励(はげ)まし、また復興のために立ち上がらせるための勇気を与えることが自分の責任と思う」。
「このことをどうしても早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官(=宮内省の役人のこと)たちは私の健康を心配するだろうが、自分はどんなになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかはまったく考えることなくやってほしい。宮内官はその志(こころざし)を達するよう全力を挙げて計画し実行してほしい」。
今までに経験したことのない敗戦を喫(きっ)して、大きく傷ついた国民を励まし、復興へ向けて立ち上がらせる勇気を持たせたい。そのためには自分の生命がどうなってもかまわない―。そんな昭和天皇の崇高(すうこう、気高く尊いこと)なるお考えを、GHQが理解できるはずがありませんでした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち おはようございます!
なるほど。。
確かにこれほどに崇高なお気持ちは、理解出来なかったことでしょうね・・・
現代でも天皇陛下は全国あちらこちらへ
ご訪問されていますが、(慰問の為に)
やはり昭和天皇のこの時のお気持ちの影響が
強いと受け取るべきなのでしょうかね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですし、昭和天皇のお考えは今上陛下にもしっかりと継承されておられます。
> 確かにこれほどに崇高なお気持ちは、理解出来なかったことでしょうね・・・
GHQはとんでもない思い違いをしていました。詳細は次回の更新をご覧ください。
それだけに、陛下のご巡幸の計画を聞いたGHQも、当初は「天皇の意図(いと)が分からない」と怪しみましたが、やがて一つの確信を得るに至って、敢えて許可しました。
「ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだから、旅先で石のひとつでも投げられればいいのさ」
「ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背(ねこぜ)の小男であるということを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなくて人間だ、ということをね」
「それこそが生きた民主主義の教育というものだよ」
GHQの役人たちには、昭和天皇がご巡幸によって多くの国民から無視され、蔑(さげす)まれ、疎(うと)まれ、あるいは暴力をもって迎えられるといった惨(みじ)めな姿しか想像できませんでした。しかし、彼らの期待は別の意味で大きく裏切られることになるのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
- 黒田先生
青田です。
最近、戦後の日本の状況の本を読みましたが、
あの状況での『昭和天皇の御巡幸』は、驚天動地のことだと感じました。
当時の日本の状況を
当時の日本人は、生きるのに精一杯で
震災の時のように仮設住宅、義捐金もありませんでした。
そして、治安も大変悪い状況でした。
あの状況での『昭和天皇の御巡幸』は、GHQだけでなく、現代の平和で、豊かな日本人にも
想像できないですね。
現代の日本人は、現代の感覚で、『昭和天皇の御巡幸』を考えるので、その偉大さに気づいていない気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、現代の私たちには想像もできないことであり、それだけに陛下の偉大さがわかるというものですね。
これから数回にわたって、昭和天皇のご巡幸を特集します。
ぴーち おはようございます!
戦時中、天皇と言えば、雲の上の人と教え込まれて来た中、その天上界の方が下界に降りて来られたわけですから、国民の驚きは相当なものであった事でしょうし、感謝、感激の思いで迎えられたのではないでしょうか。
それまで叩き込まれた印象というのは、そう簡単に意識を変えられないものですし。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 戦時中、天皇と言えば、雲の上の人と教え込まれて来た中、その天上界の方が下界に降りて来られたわけですから、国民の驚きは相当なものであった事でしょうし、感謝、感激の思いで迎えられたのではないでしょうか。
> それまで叩き込まれた印象というのは、そう簡単に意識を変えられないものですし。
仰るとおりですね。
昭和天皇のご巡幸は当時の国家や国民に大きな影響を与えました。
外国のGHQに理解できなかったのも当然です。
それだけに、会場には外国のカメラマンやアメリカ兵たちがひしめき合っており、彼らによって昭和天皇はあちこち引っ張られるなどもみくちゃにされました。
しかし、陛下は全く意に介(かい)されずに社長の説明を静かにお聞きになり、また工員たちには「生活状態はどうか」「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」など細かくお尋(たず)ねになりました。外国人から何をされても 「耐(た)え難(がた)きを耐え」、また口先だけとは考えられない陛下の工員たちに対するお優しいお姿に、涙が止まらない人もいたそうです。
「わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民(たみ)の心を うれしとぞ思ふ」
昭和21年のご巡幸の際における陛下の御製(ぎょせい)です。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
人生に大切な3つの「さ」があると
何処かの本で読んだことがあります。
「謙虚さ」「優しさ」「冷静さ」
この3つを常に持ち続けることは
困難なものですが、
まさに今日のお話の天皇のお気持ちは
常にこの3つを保ち続ける心の強さを
感じました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、ぴーちさんの仰るとおりだと私も思います。
無私の心をお持ちの陛下だからこそ、可能なのでしょうね。
しかし、陛下は「戦災の国民のことを考えれば何でもない。十日ぐらいは風呂に入らなくてもかまわない」と全く気にされることもなく、元気にご巡幸の毎日をお過ごしになられました。
昭和22(1947)年8月の暑い盛りに福島県の炭坑(たんこう)をご巡幸された際には、地下450mの地底まで降りられ、さらに40度を超える炎暑(えんしょ)の坑内を150mも歩かれて、居並ぶ坑夫(こうふ)たちを激励(げきれい)されました。
当時は石炭が貴重なエネルギーでしたが、陛下のお出ましに感激した坑夫たちによって、その後の出炭率が急上昇したそうです。以下は当時の情景を詠(よ)まれた御製です。
「あつさつよき 磐城(いわき)の里の 炭山に はたらく人を ををし(=雄々し)とぞ見し」
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち おはようございます!
人は相手の気持ちに寄り添おうと思う時、ただの想像だけでは限界が生じますが、こうして相手の置かれている立場、環境に自ら入り、経験することが苦労や大変さを知ること一歩なのでしょうね。
大切なのは、昭和天皇の様な相手の思いに少しでも寄り添うこと。同じ環境に身を置いて、共感しようとする気持ちなのだと思いました^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと私も思います。
昭和天皇の大御心(おおみこころ)の気高さが、私たち国民の大きな力となったんですよね。
奉迎場(ほうげいじょう、身分の高い人をお迎えする場所)となった広島護国神社の跡地(あとち)には、何と7万人もの人々が集まりました。昭和天皇はマイクを使用されて以下のお言葉を発せられました。
「このたびは皆の熱心な歓迎を受けてうれしく思う。本日は親しく市内の災害地を視察するが、広島市は特別な災害を受けて誠に気の毒に思う。広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献しなければならない」。
陛下の激励に対して、7万の群衆が一体となって「天皇陛下万歳!」と何度も何度も叫(さけ)びましたが、GHQの関係者は、特に天皇を恨(うら)んでいる者が多いと思っていた被爆地の広島でのこの様子に、驚くとともに恐ろしくなりました。
この影響もあったのか、翌昭和23(1948)年にご巡幸は中止となりましたが、多くの国民の熱意によって、翌昭和24(1949)年に再開されました。以下は広島における陛下の御製です。
「ああ広島 平和の鐘も 鳴りはじめ たちなほる見えて うれしかりけり」
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
- 黒田先生
青田です。
昭和22年というと原爆投下から、まだ、2年しか経っていません。
現在のように放射能を正確に測る機器のなかった当時ですから、現在よりも、放射能による恐怖感が強かったと思います。
そういう背景と前提を考えると
それにも関わらず、昭和天皇の広島行幸をされたのは、
それこそ、昭和天皇の覚悟を感じます。
広島市民の
7万人の群衆の「天皇陛下万歳!」は、それだけ
重いですね。
ぴーち こんばんは!
話が逸れてしまい、申し訳ありませんが
以前、雅子様が小さいお子さんに話掛けられている姿を見たときに、雅子様はちゃんと膝を折って
お子さんの目線にご自分の目線を合わせてお話をされていましたが、あの姿には感動させられました。
皇室で受けられる教育がそもそもそういう教えなのでしょうし、あるいは雅子様ご自身のお人柄からなのでしょうけれど、
子供であろうと、ただ小さいというだけで
ちゃんとした一人の人間として尊重している証だと思いますので、一般国民もあのお姿を真似するべきだなと思いました。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
7万人の「天皇陛下万歳!」は、映像も残っていますが、壮大です。
当時のGHQがおびえたのも無理はないですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 皇室の皆様方の崇高なお振舞いには、私たちは多くを学ばねばなりませんね。
広島でのご巡幸での感動秘話も、その流れがしっかりと受け継がれていると思います。
寮の各部屋の孤児一人ひとりに対して声をかけられた陛下は、最後の部屋で父と母の位牌(いはい)を抱いていた女の子に目を留められ、お尋(たず)ねになりました。
「(位牌をご覧になって)お父さん、お母さん?」
「はい、そうです」。
「どこで?」
「父はソ満(そまん、ソ連と満州のこと)国境で、母は引揚げの途中で亡くなりました」。
じっと女の子の顔をご覧になった陛下は、悲しそうなお顔をされてお言葉を続けられました。
「おさびしい?」
「いいえ、さびしくはありません。私は仏の子供ですから、お父さんやお母さんに会いたいと思えば、み仏様の前に座って呼びかければ、そばにやって来てそっと私を抱きしめてくれます。ですから私はさびしくはありません」。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち おはようございます!
昔はちゃんと「死生観」と言うものを
子供のうちからしっかりと教えていた家庭も
多かったと思います。
死と言う現象は、誰しも避けて通れるものではないだけに、肉体は滅んでも魂だけはその後も存命する
(宗派によっては、死んでしまえば消滅してしまうと唱えるものもありますが)と言うことを知るだけでも、生きている者の
気持ちは救われると思いますし、今現在生きている
うえでの心構えも違ってくると思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
「唯物史観」がはびこってしまった現代ではなかなか考えられなくなりましたが、昔の「日本人の死生観」も重要な伝統ですので、大事にしなければと思います。
「仏の子供はお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」。
そう仰った昭和天皇の目から、はたはたと涙が流れ落ち、女の子は小さな声で「お父さん」と陛下を呼びました。
このとき、その場にいた大人たちは、東京から随行(ずいこう)した新聞記者も含めて皆が顔を覆(おお)って泣いたそうです。
「みほとけの 教(おしえ)まもりて すくすくと 生(お)ひ育つべき 子らにさちあれ」
上記の御製は、因通寺(いんどおりじ)の境内に碑(ひ)となって建てられています。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
昭和天皇を「おとうさん」と呼んだのは
後にも先にもこの女の子ただ一人だったのではないでしょうか?
(すみません、勝手に断定してしまいまして(^^ゞ)
これは貴重なエピソードですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうですね。断定こそできませんが、仰るとおりの可能性は高いですね。
いずれにせよ貴重な、そして泣けるエピソードです。
「どなたが戦死をされたのか」。
「息子でございます。たった一人の息子でございました」。
声を詰まらせながら返事をする老婆に、陛下は続けて声を掛けられました。
「どこで戦死をされたの?」
「ビルマ(現在のミャンマー)でございます。激しい戦いだったそうですが、息子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。息子の命は陛下に差し上げております。息子の命のためにも、長生きをしてください」。
そう言って老婆は泣き伏(ふ)してしまいました。じっと耳を傾けておられた昭和天皇は、流れる涙をそのままに、老婆を見つめられておられたそうです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんにちは!
日本人のこういう発想は誇りに思うべき事だと思いますし、今後の日本に生きる人たちにもしっかり刻んでおいて欲しい考え方だなと思いました。
他人を許す。という高次元の思いを
持つという事は、その方のそれまでの苦労や葛藤、悩みをどれだけ乗り越えて来たかという経験に左右される部分も多いかとは思いますが、
報復や復讐心に自身の心までも燃え尽くしたりせずに、相手の立場や心情まで汲み取れるような
思いを今後の遺産として残していきたいものです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 本当にそうですよね。
日本人の美徳ともいえる思いを、子孫の私たちもずっと残していくべきです。
「長い間、遠い外国でいろいろ苦労して大変であっただろうと思うとき、私の胸は痛むだけでなく、このような戦争があったことに対し、深く苦しみをともにするものであります。皆さんは、外国において、いろいろと築き上げたものを全部失ってしまったことであるが、日本という国がある限り、再び戦争のない平和な国として新しい方向に進むことを希望しています。みなさんと共に手を携(たずさ)えて、新しい道を築き上げたいと思います」。
昭和天皇のお言葉を受け、引揚げ者の一人が陛下に近づいて、以下のように言いました。
「私は陛下を恨んだこともありました。しかし苦しんでいるのは私だけではなく、陛下も苦しんでいらっしゃることが今分かりました。今日からは決して世の中を呪(のろ)いません。人を恨みません。陛下と一緒に私も頑張ります!」
この言葉に対して、側(そば)にいた青年が声をあげて泣き伏(ふ)しました。
「こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。俺が間違っておった。俺が誤っておった!」





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
- 黒田先生
青田です。
お恥ずかしい話ですが
私は、小学校、中学校の時、その当時、昭和天皇は、苦しんでおられることを知りませんでした。
教師が、『天皇は、お金を使って、命を助けてもらった。』とか、『天皇は、人間宣言をして、世界中から、笑われた。』と教えられたからです。
ただ、正しい真実を知ると、昭和天皇の苦しみは
想像を絶するものだったことを知りました。
この青年もそうですが、この時代の日本人は、
それぞれみんな苦しかった。
そして、今後の日本の発展のために
それぞれがそれぞれの役割と使命を果たした気がします。
現代の日本人(私も含めて)、こんなに豊かなのにアレも欲しい、コレも欲しいと『ごね得』になった日本人は、恥ずかしいですね。
もしかしたら、豊かさが日本人を弱くしたという気がします。
私も、頑張らないといけないという勇気がわきました。
(本当は、マスコミは、日本人の不安を煽る事を報道せず、この昭和天皇の巡幸のように、これから頑張ろうという勇気のでるメッセージを報道するべきですよね。)
青田さんへ
黒田裕樹 確かに豊かさが日本人をダメにした印象が強いですね。
同時に、日本人に罪悪感ばかりを現在もなお押しつけているマスゴミの罪も深いですが。
でぢこ この前の講演会に来たでぢこです。
昭和天皇は巡幸でこんな素晴らしいことを仰られていたんですね。昭和天皇ってあまり話が上手くないイメージがあったので誤解していました。
私は琉球沖縄史に興味があるのですが昭和天皇が沖縄に来られていたらきっと違っていたと思いました。
でぢこさんへ
黒田裕樹 こんにちは。先日の講演ではお世話になり、有難うございました。
確かに、昭和天皇がお元気なうちに沖縄に行幸されておられれば、という思いは今もなおありますね。
今上陛下の沖縄に対する思いが非常にお強いのはもったいなくもありがたいことですが。
ぴーち こんばんは!
まさに戦地に送り出した親御さんの心境と
同じようですね。
子供も戦地で苦しい思いをしていたでしょうけれど、それを思う親の苦しさも計り知れない思いを抱えていた事でしょう。。
オバrev 天皇陛下のご巡航の意味は大きかったんじゃないでしょうか。やはり陛下のお話を直に聞くということは何よりも説得力のある真実だったそうだったと思います。
現場に出向いて面と向かって生の声を聞く、これこそコミュニケーションの基本ですが、それが現在一番欠けているのが官僚だと思いますけど・・・
いつまでたっても振り回されています orz
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > まさに戦地に送り出した親御さんの心境と
> 同じようですね。
> 子供も戦地で苦しい思いをしていたでしょうけれど、それを思う親の苦しさも計り知れない思いを抱えていた事でしょう。。
仰るとおりです。
昭和天皇のご苦悩が私たちにもよく理解できるだけに、切なくなります。
オバrevさんへ
黒田裕樹 確かに今の我が国にはコミュニケーションの基本すら成立していないですね。
これ以上は振り回されたくはないですが…。
泣きじゃくる青年に対して、陛下は頷(うなず)きながら微笑(ほほえ)みかけられました。昭和天皇による慈愛(じあい)に満ちたお振る舞いやお言葉が、洗脳された青年たちの心を溶(と)かしたのです。
その後も昭和天皇によるご巡幸は続けられ、昭和29(1954)年8月の北海道ご視察まで、当時アメリカの占領を受けていた沖縄を除(のぞ)く全国46都道府県において、日数にして165日、延べ3万3千kmにも及びました。陛下がご巡幸の際に直接お声を掛けられた人々は、2万人にものぼったといわれています。
ご巡幸において人々を励まされ、人々と共に悲しまれ、そして涙を流された昭和天皇のお姿を間近に拝見した国民は大いに感激するとともに、陛下の大御心(おおみこころ)に恥じないように自分たちも頑張らなければいけない、という気持ちが自然と芽生(めば)えていきました。
多くの国民が共通して抱(いだ)いた熱意は、その後の復興への目覚ましいエネルギーとなったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
こんな事を書いては大変失礼で語弊があるかも
知れませんが、どんなに姿かたちが貧弱で、貫禄に欠けた人物に見えても、そこに宿る命が純粋で、清らかなものであればあるほど、その人物を目の前にしただけで、体全体から発せられる神々しい何かに恐れをなしてしまうものだと思います。
人間の思いや考え方一つで、その人を包む雰囲気やエネルギーは黙っていても、相手に通じるときが
あるのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰る意図は充分に理解できます。
代々の血脈を受け継がれてこられた陛下だからこそ、その奇跡に私たちは尊崇の思いを抱かせていただくのですからね。
管理人のみ閲覧できます
-