GHQは、昭和20(1945)年11月に皇室財産の凍結を指令すると、翌昭和21(1946)年11月に公布された日本国憲法の第8条で「皇室に財産を譲(ゆず)り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは贈与することは、国会の議決に基づかなければならない」と規定し、皇室への経済力の集中を事実上遮断(しゃだん)しました。
さらに翌昭和22(1947)年1月には皇室経済法と皇室典範(こうしつてんぱん)が公布され、これらによって皇室財産の大部分が国有化されたほか、残った財産も課税対象となりました。ちなみに、昭和天皇が崩御(ほうぎょ)された際に、今上天皇は相続税を納付されておられます。
この他、宮内省(くないしょう)の組織が縮小されて宮内庁となり、昭和天皇の弟君であられた秩父宮家(ちちぶのみやけ)・高松宮家(たかまつのみやけ)・三笠宮家(みかさのみやけ)以外の11宮家・51人の皇族が皇籍(こうせき)を離脱(りだつ)されました。さらには刑法における皇室に関する「不敬罪(ふけいざい)」も廃止され、一部の心ない国民が天皇や皇族に対する誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を行っても、一般的な罪以外は問われなくなってしまいました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
なるほど・・
なにやら真綿で首を絞めるように
じわじわと皇室を窮地に追い込んでいく手口は
非道極まりない考えですねぇ・・。
しかしながら、どんなに踏みにじられても、
雑草のごとき精神で立ち上がろうとする
姿はやはり戦中の大和魂が息づいていたのかもしれませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 我が国の、いや世界の至宝たる皇室をここまで貶めたGHQの卑劣な手段に対して、私たち日本国民はもっと怒ってよいと思いますし、先人が踏み留まった流れを失わないよう、私たちはもっと自覚すべきともいえますね。
不敬罪について
青田です。 黒田先生
青田です。
これは、『ヘイトスピーチ規制法』ともリンクしますが
たしか、不敬罪の第76条
『皇族ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ二月以上四年以下ノ懲役ニ處ス。』だったと思います。
そう考えると
『ヘイトスピーチ規制法』の罰則が懲役2年以下ですので、皇室にたいする不敬罪も復活させないと、社会秩序という意味でバランスが崩れると思います。
大正時代、普通選挙と治安維持法を同時に成立させて、バランスを取りました。治安維持法については(賛否両論ですが)
それと『不敬罪』について
質問ですが、実際に罰せられた事例は多かったのでしょうか?
私の
高校時代の馬鹿な歴史教師は
『戦前、小学校で、黒板に天皇でも屁をしますか?という落書きがあり、校長以下、処分を受けた。』と何度も話していました。
さらに
『戦前は、天皇を直視すると恐れ多くて、目が潰れると信じていた日本人が多くいた。』と語ってました。
このあたりが、話がかなり、歪曲していて、どうもわかりません。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにそうですね。皇室に対する誹謗中傷が野放しにされている現状は大問題です。
文章中の高校教師の発言は、かつての「生類憐みの令」の与太話と構造がそっくりですね。
今は、日本人の責任
青田 青田です。
GHQは、たしかに昭和27年までは、
その種を撒きましたが、
その後、不敬罪を復活させるチャンスは何度もあったと思います。
この皇室に対する誹謗中傷は、今でも続いているのは、GHQの責任ではなく、日本人の責任だと思います。
私は、不敬罪の復活を望みます。
というのも、昨今のマスコミの皇室の報道は、どんどん劣悪になっています。
『譲位』を『退位』としたり。。。
このままだと日本の国体も崩れかねません。
ところで、昭和天皇は昭和21(1946)年の元日に「新日本建設ニ関スル詔書(しょうしょ)」を発布なされましたが、今日ではこれが昭和天皇による「人間宣言」とされ、自ら「天皇の神格化を否定した」と、一般に使用される教科書で紹介されることが多いですが、この表現は正しくはありません。
なぜなら、そもそも「新日本建設ニ関スル詔書」の中に「人間」「宣言」という言葉が一切使用されておらず、さらには「人間宣言」という名称自体が後日にマスコミや出版社が勝手に命名したものだからです。
ではなぜ私たちは「人間宣言」に対して思い違いをしているのでしょうか。その謎を探るために、そもそも「新日本建設ニ関スル詔書」が発表された経緯(けいい)を振り返ってみましょう。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
- 黒田先生
青田です。
私は、
小学校の時は、教師から
『天皇は、お金で、命を助けてもらった。』
と教えられ、
高校の歴史の授業で、歴史の教師から
『天皇が、人間宣言をし、世界中から、笑われた。』と教えられ、
その時、クラスの生徒全員が(馬鹿にしたような)
『大爆笑』になったのを今でも、覚えています。
よく、考えると、『天皇が人間宣言』をした当時の
日本の国民の考え方と
私が歴史教育を受けた当時の日本の国民とは
同じ日本人でも、かなり、考え方などで
温度差(劣化)がひどくなっていたのですね。
それだけ、私の歴史教育を受けた時には、人材が劣化していたということですが。。
教育とは、恐ろしいですね。
私の場合、黒田先生の歴史講座は、目から鱗で、自分の常識が変わりました。
ぴーち こんばんは!
なるほど、ここでも私たちはマスコミが勝手に
でっち上げた情報に振り回されてしまっていた・という事だったんですね。
青田さんへ
黒田裕樹 教育はやり様によってはいくらでも洗脳できますから、確かに恐ろしいですね。
人材の枯渇も気になりますが、だからこそ今からでも育てねばなりません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、ここでも私たちはマスコミが勝手に
> でっち上げた情報に振り回されてしまっていた・という事だったんですね。
まさしくそのとおりです。
今回から数回に分けて、マスゴミのでっち上げと詔書の真実を紹介したいと思います。
しかし、これをGHQの主導で無理やり行えば、日本国民の反発を招き、占領政策に悪影響となるのは確実でした。
このため、GHQは昭和天皇があくまでも「自主的」に神格化を否定することを期待したことで、その意を汲(く)んだ宮内省によって、GHQを納得させることができる詔書(しょうしょ)の作成が行われました。
こうした動きに対し、昭和天皇は元々自らが現人神(あらひとがみ)であることを否定されておられたので、特に問題には思われませんでした。なぜなら、天皇と国民とのつながりは、神格化によってのみ保(たも)たれるような弱いものではないことを、陛下ご自身が一番理解されておられたからです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
そうですか・・・
やはり天皇制というのは日本の歴史そのもであると思いますので、その存在は絶対的なものであると
信じて疑いもしないところがありますものね。
例えば、ある国が何処かの国に干渉しようとしてもなかなか
上手くいかない事が多いように、いくらアメリカが優位に運ぼうとしても
日本の長い歴史に育まれた信頼関係には割り込む事は出来ないのだと思います。
この当時の日本人のほうが
- 黒田先生
青田です。
考えようによっては、この当時の日本人のほうが
精神的に強かった気がします。
天皇と自分達が精神的に繋がっているという意識があったからです。
もし、それがなければ、あれだけ国土が荒廃していれば、世界常識では、無政府状態で、長年にわたって、国はボロボロになり、復興は不可能です。
もしかしたら、今のように唯物論のアメリカ被れの日本人のほうが、心の拠り所がなく、弱いのもしれません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 例えば、ある国が何処かの国に干渉しようとしてもなかなか
> 上手くいかない事が多いように、いくらアメリカが優位に運ぼうとしても
> 日本の長い歴史に育まれた信頼関係には割り込む事は出来ないのだと思います。
まさにそのとおりです。
歴史が浅く上っ面の干渉しかできない国に、長い歴史と伝統を誇る我が国の信頼関係を崩せるはずがなかったのですが、戦後の異常な空間が長続きした現状では、占領側の思いどおりになりつつあるのもまた事実です。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
価値観の変化は世の常とはいえ、外圧で押しつぶされるようなことがあってはならないと思います。
しんばりぼう
ウナ いつものブログアップに感謝いたします
ありがとうごさいます
私達には『芯』があります
震災や戦災にさいなまされても
大水に巣を流された蟻のように
黙々と明日を切り開きます
お殿様を意識してはいなくとも
誰もがアイスキャンディーの割り箸にように
『あること』を疑いません
お陽さまは雨天でも闇夜でも有ります
目には見えずとも
人々は在ることは疑いません
あり難い事です。
ウナさんへ
黒田裕樹 こちらこそ、拙ブログへのご訪問並びにお言葉有難うございます。
仰ること、まことにそのとおりであると私も思います。
「天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空(かくう)ナル観念ニ基(もとづ)クモノニモ非(あら)ズ」。
この文章だけ読めば、昭和天皇が自らの神格化を否定されたと見なすことも不可能ではないですが、これは詔書のほんの一部分に過ぎませんし、陛下が本当に仰りたい内容は、実はこの文章の直前にあるのです。
「然(しか)レドモ朕(ちん)ハ爾等(なんじら)国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚(きゅうせき、喜びや悲しみのこと)ヲ分(わか)タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依(よ)リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」。
陛下は常に国民とともに存在し、国民と利害を同じくして、喜びも悲しみも一緒に分かち合いたいと仰ったうえで、天皇と国民との間の紐帯、すなわち強い絆(きずな)は単なる神話や伝説によってではなく、相互の信頼と敬愛とによって結ばれているとされておられるのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
自分欲が強い人間は、自分は神の化身だと
人々を洗脳してまでも、成り上がろうとしますが、
所詮、人間は多くの煩悩を抱えて悩む生き物で、とても神や仏の領域には到達出来ない存在ですよね。
天皇はそういう人間としての身の程をしっかりと弁えた
生き方を学んでいらっしゃったのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 民のためにひたすら神に祈られる天皇陛下であらせられますからね。
無私のお心が、ここまでの紐帯を築き上げてこられたのでしょう。
ところで、この詔書の最初に、明治天皇による「五箇条の御誓文(ごせいもん)」が紹介されているのを皆さんはご存知(ぞんじ)でしょうか。詔書に五箇条の御誓文を付け加えられたのは昭和天皇ご自身のお考えであり、実はこのことこそが、陛下が詔書において本当に仰りたかったことなのです。
昭和52(1977)年、昭和天皇は記者からの質問にお答えなさるかたちで、詔書の始めに五箇条の御誓文が引用されたことについて、以下のようにお言葉を発せられました。
「それが実はあの詔書の一番の目的であり、神格とかそういうことは二の問題でした。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇(ほこ)りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです」。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
天皇ご自身は、戦争中にはカリスマ的な存在として
崇められて来たようですが、それは周りの人間がそう仕立てただけの話で、本人はそれを望んではいなかったはずですものね。
戦争が終われば、その役目も終えたいと思うのは当然の事なのかも知れませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 天皇ご自身は、戦争中にはカリスマ的な存在として
> 崇められて来たようですが、それは周りの人間がそう仕立てただけの話で、本人はそれを望んではいなかったはずですものね。
> 戦争が終われば、その役目も終えたいと思うのは当然の事なのかも知れませんね。
仰る流れも確かにあると思いますし、国民との絆を何よりも大切にされた陛下でいらっしゃいましたから、明治天皇の御業績になぞらえられたのでしょうね。
それなのに、マスコミや出版社の多くが「天皇が神格化を否定した」という、詔書のほんの一部に過ぎず、かつ陛下の本当のご意思とは全く異なる部分だけを取り上げて「人間宣言」ともてはやし、ついには歴史教科書にまで記載(きさい)されてしまっているのです。なぜこのような誤解が生まれてしまっているのでしょうか。
さて、同じ昭和21(1946)年正月の歌会始(うたかいはじめ)において、昭和天皇は以下の御製(ぎょせい、天皇による和歌のこと)をお詠(よ)みになられました。
「ふりつもる み雪にたへて 色かへぬ 松ぞ雄々(おお)しき 人もかくあれ」
終戦直後の絶望感が漂(ただよ)う中であっても、雪の中の青々とした松のように国民も強く生きて欲しいという、昭和天皇の国民への思いやりが込められています。またこの頃、陛下は国民を慰(なぐさ)めるためには自分がどうすればよいのかをお考えになり、そのための行動に移ろうとされておられました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち おはようございます!
物事の結果だけを挙げれば、マスコミ各社の様な
文章が出来上がるのでしょうね。
いわゆる人間らしい感情や魂がそっくり抜け落ちた
事実がそこに生まれてしまう様に。
営利主義、上辺だけの情報収集にのみ埋没すると
いづれは考え方まで歪み、腐るおそれがあります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 物事の結果だけを挙げれば、マスコミ各社の様な
> 文章が出来上がるのでしょうね。
> いわゆる人間らしい感情や魂がそっくり抜け落ちた
> 事実がそこに生まれてしまう様に。
> 営利主義、上辺だけの情報収集にのみ埋没すると
> いづれは考え方まで歪み、腐るおそれがあります。
ぴーちさんのお考えに同感です。
マスゴミの現状の腐り具合を鑑みれば「さもありなん」ですよね。