1945(昭和20)年11月、連合国側は敗戦国となったドイツを裁(さば)くという名目(めいもく)でニュルンベルク国際軍事裁判(こくさいぐんじさいばん)を開廷(かいてい)しましたが、検察側(けんさつがわ)は「共通の計画または共同謀議(きょうどうぼうぎ)」「平和に対する罪」「戦争犯罪」「人道に対する罪」に基(もと)づいて被告(ひこく)を起訴(きそ)しました。
裁判では、文明に対する罪や平和に対する罪を大義名分(たいぎめいぶん)としたうえで「個人を罰(ばっ)しない限りは国際犯罪である侵略戦争(しんりゃくせんそう)を実効的に阻止(そし)できない」とされ、従来の戦争に対する概念(がいねん)では考えられないような主張が正当化されました。
裁判は1946(昭和21)年10月に結審(けっしん)し、12名の被告に死刑が宣告されたり、7名に終身刑や有期懲役刑(ゆうきちょうえきけい)が宣告されたりという、ドイツにとっては非常に厳しい判決が下されました。
しかし、ニュルンベルク国際軍事裁判と並行して行われた極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん)において、我が国はドイツとは比較(ひかく)にならないほどの理不尽(りふじん)な仕打ちを受けてしまうことになるのです。なお、当ブログでは極東国際軍事裁判に関して、今後は別称(べっしょう)である「東京裁判」という表記で統一します。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
なにやら今日の記事を読ませていただいただけでも
そうですが、これまでの流れの中で
アメリカが日本に仕向けた戦争から始まり、
終戦後にはここまで日本を陥れようとする
徹底振りに、激しい怒りを覚えますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 これまで私たち日本国民は、わが国の近現代史についてあまりにも無知でした。
言論の自由は非常に重要ですが、歴史の真実を理解したうえで自分なりに考察しなければいけません。
大東亜戦争(だいとうあせんそう)で我が国は敗北しましたが、結果として欧米列強(おうべいれっきょう)が持っていた植民地が解放され、アジアからアフリカ・アメリカ大陸に至(いた)るまで多くの国家が独立する流れへとつながっていきました。
日本など有色人種(ゆうしょくじんしゅ)の国家にとって悲願でもあった「人種差別の撤廃(てっぱい)」という大きな理想は大東亜戦争によって初めて達成されたといえますが、こうした現実は白色人種たる欧米列強にとって許されざる問題でした。
「日本のせいで自分たちが甘い汁を吸えなくなった」。そうした嫉妬(しっと)とも憎悪(ぞうお)ともいえるどす黒い感情が、敗戦国となった我が国に容赦(ようしゃ)なく襲(おそ)いかかったのが東京裁判だったのですが、その実態は裁判とは名ばかりの「戦勝国による復讐(ふくしゅう)の儀式(ぎしき)」でした。
なぜなら、東京裁判の裁判官が戦勝当事国からしか出ていないからです。本来は中立国から出せばよいのであり、それが無理ならせめて戦勝国と同数の裁判官を敗戦国から出すべきでした。
要するに東京裁判は「戦争の勝者が敗者を裁く」という一方的な内容であるとともに、それまでの国際法などの法律を一切無視したものであったことから、その正当性すら疑わしい「茶番(ちゃばん)」だったといえるのです。
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- 黒田先生
青田です。
東京裁判は、、国民の多くも、
今だにその裁判しか注目されてないですが
それ以前も無茶苦茶な裁判で、日本人が
裁かれているようですね。
東京裁判は、1946年。
たとえば、1945年10月にマニラ裁判で
山下泰文陸軍大将は、死刑になっています。
敗戦から、わずか2ヶ月です。
しかも、軍人として軍服の着用も許されず、
絞首刑です。
ここまでいくと裁判というよりも、
リンチですね。
おおよそ、民主主義を標榜する国のすることではないと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、近代国家のやることではないですね。
日本に対する恨みと、有色人種への偏見がそうさせたのでしょうか。時計の針は元には戻らないというのに。
マッカーサーの復讐の場
- 黒田先生
青田です。
やはり、東京裁判は、マッカーサーの復讐の場であった気がします。
(それ以外の要素ももちろん複雑に絡んでいたと思いますが)
というのも、東京裁判で、裁かれた多くが陸軍出身者で、海軍は、ほとんどいません。
東京裁判の前の
マニラ裁判でも、マッカーサーをフィリピン攻防戦で、敗退させた本間雅晴中将を銃殺刑にし、
最後まで抵抗した山下泰文陸軍大将を絞殺刑にしています。
ただ、マッカーサーは、その後、
「東京裁判は誤りだった」とトルーマン大統領に告白し、日本の戦争は「正当防衛だった」とアメリカ上院の外交・軍事委員会で証言しています。
それなのに
70年経った今でも、日本人自身が、自虐史観になっているのは、どうも納得できません。
ぴーち こんばんは!
お話を伺っているだけでも、本当に許しがたい事実だとは思いますが、
日本のこうした犠牲が、多くの有色人種を抱える国を結果的には救うことになった事は非常に尊いものだと思います。
白人が仕切る国からは、たとえ永遠に疎まれても、
この一件で救われた国々の人たちの記憶に、日本のこのような功績があったからこそ、今の自分たちがあるのだ・・くらいの認識を
少しでも多くの人たちに持っていて貰いたいものだなと思います。
青田さんへ その2
黒田裕樹 私も同感ではありますが、あまり話を先走らないでくださいね。悪い癖ですよ(笑)。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
我が国が信念をもって成し遂げた人種差別の撤廃は、新興国を含む多くの国家がその功績を認めてくださっています。
それなのに我が国がいつまでも他国にへりくだる姿勢を続けるのはいかがなものでしょうか。
にもかかわらずGHQが「戦争犯罪人」の逮捕に積極的(せっきょくてき)だった背景には、日本国民に「戦争そのものが犯罪である」という、本来は外交の一手段に過ぎない戦争に「犯罪」という誤った認識を植え付けさえようという意図(いと)があったのではないかと考えられています。
GHQによる戦争犯罪人の逮捕はその後も続き、11月19日には12名が、12月2日には広田弘毅(ひろたこうき)元首相ら59名が、同月6日には近衛文麿(このえふみまろ)元首相ら9名の逮捕を指示し、最終的にはGHQが昭和初期からの国家指導者とみなした100余名が戦犯として拘禁(こうきん)されてしまいました。
なお、自らが戦争犯罪人となったことに衝撃(しょうげき)を受けたのか、近衛文麿は12月16日に青酸(せいさん)カリを服毒(ふくどく)して自殺しました。日華事変(にっかじへん)の際に「国民政府を対手(あいて)とせず」という声明を発表して泥沼化(どろぬまか)させるなど、我が国を大いに混乱させた近衛文麿は、その責任を一切取ることなく自らの生命を断ったのです。
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ぴーち こんにちは!
GHQのやり口の汚さには、遣り切れない思いを感じますが、責任逃れの為だけに自らの命を断ち切ろうとする罪の方が人間としては深いと思いますね。
私は受けた東京裁判について
- 黒田先生
青田です。
私が、学生時代、教師から、教えられ、
その当時、友人も語っていた
東京裁判を中心にした太平洋戦争(本当は、大東亜戦争)について、散々、聞かされたのは、キーワードは
『身の程知らず。』です。
たとえば
● 『日本という小さな国が身の程も知らず、勝てるはずのない、大きな大国に無謀な戦いをしかけた。』
● 『軍人が身の程も知らず、戦争へと日本を、導いた。』
ただ、これって、結果論ですよね。
明治の日本そのものが身の程知らずで、発展し、
大国清、ロシアに勝ちました。
この『身の程知らず』は、今から、考えると白人の論理だと思います。
東京裁判は、
極東の小さな『黄色人種』が、身の程も知らず、白人に戦って、逆らった。
だから、今度、白人に逆らったら、こうなるぞ。
という見せしめ。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > GHQのやり口の汚さには、遣り切れない思いを感じますが、責任逃れの為だけに自らの命を断ち切ろうとする罪の方が人間としては深いと思いますね。
私もそう思います。特に近衛文麿は我が国を戦争に巻き込んだ一人ですからね。
責任も取らずに死んでゆくとは、どこまでお坊ちゃん気質なのでしょうか…。
青田さんへ
黒田裕樹 何度も繰り返しますが、我が国の歴史は我が国の視点で語るべきです。
何が悲しくて他国におもねる必要があるのでしょうか。
当たり前のこと
- 黒田先生
青田です。
冷静に考えると
『我が国の歴史は我が国の視点で語るべきです。
何が悲しくて他国におもねる必要があるのでしょうか。』というのは、非常に当然に主張ですね。
難しく考える必要はなく、
『国家として、主体性を持ち、主体性を基に
独自の歴史観を持つ。』ことですね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 そのとおりですね。
私がブログを始めた理由もそこにあります。
こうした観念は大東亜戦争当時には認知されているはずもありませんから、条例は「事後法(じごほう)によっては過去を訴追(そつい)できない」という不遡及(ふそきゅう)の原則を明らかに逸脱(いつだつ)したものであり、法理学上においても後世に大きな禍根(かこん)を残すものでした。
しかしながら、日本を断罪(だんざい)することに躍起(やっき)になっていたGHQや連合国は、同年4月29日の昭和天皇のお誕生日に東条英機(とうじょうひでき)元首相ら28人を「A級戦犯(きゅうせんぱん)」と一方的にみなして起訴(きそ)し、翌5月3日から審理が開始されました。世にいう極東国際軍事裁判(=東京裁判)の始まりです。
なお、GHQがわざわざ昭和天皇のお誕生日を起訴の日に選んだ理由は、国民がこぞって祝うべき日に贖罪意識(しょくざいいしき、贖罪とは「犯した罪をつぐなうこと」)を植え付けさえようという意図(いと)があったとされており、後日にはもう一つの「祝日」に対して当てつけのような仕打ちを行うことになります。
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- 黒田先生
青田です。
この東京裁判の国際法違反は、日本のためだけでなく、
人類にとって、良くないと思います。
こういった慣習を創ると、それが、国際法が形骸化するからです。
事実、戦後、国際法の形骸化に進んだ気がします。
日本は、幕末に不平等条約を結びましたが、それを
明治政府は、引き継ぎました。
それくらい、国際法が重く、近代国家として
世界に認められるには、国際法の順守が絶対条件だと認識したからです。
ぴーち こんばんは!
こうして伺っていると、世界の警察と言う面目を保つ為には、姑息な手段も厭わない卑劣な行為が
影では行われていたのですね。
正義の味方もただの上っ面だけでは、
底が知れますね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。我が国は植民地化を防ぐためにも一流国家になろうとし、国際法も遵守し続けました。
しかし、その一方で21世紀の今になっても事後法で処理しようとする国家が存在しますね…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こうして伺っていると、世界の警察と言う面目を保つ為には、姑息な手段も厭わない卑劣な行為が
> 影では行われていたのですね。
> 正義の味方もただの上っ面だけでは、
> 底が知れますね。
そのとおりです。現代の国連に対する幻想もそうですし、自分の国は自分で守るという自覚を国民自身も持たねばなりません。
意味がわからないこと
青田です。 黒田先生
青田です。
この極東軍事裁判は、裁判ではなく
裁判という名の復讐ショーです。
当然、『裁判』となると『原告』が存在しますが、
連合国は、
「原告は、文明である。」であるという意味不明なことを連合軍が言いました。
訳がわかりません。
私が、もっと、驚いたのは
この東京裁判の裁判費用の27億円は
日本が全額負担していました。
怒りMAXというより、意味が全く、わかりません。
青田さんへ その2
黒田裕樹 全くそのとおりかと思われます。
ABCの区分は「戦犯の単純な区分」であり、A級は「戦争を始めた国家指導者」が中心で、B級は「通常の戦争犯罪である捕虜虐待(ほりょぎゃくたい)などを命じた戦場の指揮官」、C級は「戦争犯罪を実行した兵隊」という意味です。
現代の私たちが間近で起こった問題に対する責任の重さの違いを例えて「あいつはA級戦犯だ」と口にすることが多く見られますが、こうした行為は歴史の事実に対して無知であるのみならず、戦争犯罪人とみなされ断罪された人々への冒涜(ぼうとく)であるともいえるでしょう。ちなみにこの件は「戦犯」という表現そのものにも言えるのですが、いずれ改めて紹介(しょうかい)します。
なお、東京裁判はA級戦犯とみなされた人々のみを裁いており、B級戦犯・C級戦犯と決めつけられた人々は国内外の軍事法廷で裁かれました(詳しくは後述します)。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
私は、学生時代、A級戦犯=死刑
B級=終身刑、C級=禁固刑
だと、勝手に思い込んでいました。
しかし、実際には、A級戦犯でも死刑になっていない方、B級、C級戦犯でも死刑になっている方がいるのに驚きました。
キッカケは、『私は、貝になりたい。』を観て
B級、C級で死刑になった方がいることに驚いたからです。
これは、私だけでなく、多くの日本人が今でも
誤解しているのでしょうね。
青田さんへ
黒田裕樹 青田さんだけでなく、私も詳しく調べるまでは誤解しておりました。
無知の罪は深いですが、教えないことの害悪はもっと大きいと思います。
ぴーち こんばんは!
なるほど!
私もこの件に関して(も)無知状態でした^_^;
ABCなどと区分されてしまうと、日本で言う通知表の数字や、甲 乙 丙 などという昔の評価の仕方と
同じ様に、罪の重さの程度を表す表記かと
思っておりました!
重さではなく、種類の方だったのですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
教えられれば容易に理解できることなのに、何故か多くの日本国民は蚊帳の外に置かれている。
考えれば考えるほど不可解な話です。
裁判において、清瀬一郎(きよせいちろう)らの日本側弁護団は、ブレイクニーらの連合国側弁護団と協力して「平和に対する罪」や「人道に対する罪」といった国際法に定められていない罪に基づいて裁判を行う資格はないと主張しましたが、ウェップはこれを認めませんでした。
また、アメリカによる我が国への原爆投下(げんばくとうか)に関しては、ブレイクニーは原爆のような武器の使用を禁じたハーグ陸戦条規第4条を根拠として日本側の報復の権利を主張しましたが、ウェップは「ここは連合国を裁く法廷ではないから、連合国側の非法を立証しても本審理の助けとはならない」と主張し、これらに関する証拠書類提出を即時却下(そくじきゃっか)しました。
これらの例を見ても分かるように、東京裁判においては「連合国側の戦争犯罪」はすべて不問に付された一方で、突如(とつじょ)として主張された「南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)」など、連合国側の戦争犯罪をごまかすために我が国の存在しない悪行(あくぎょう)を「捏造(ねつぞう)」するといった、まさに「やりたい放題」の「茶番」な「復讐劇」が繰(く)り広げられたのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
なるほど、聞けば聞くほど
理不尽すぎる出来事ばかりで怒りを通り越して
呆れ返る思いがしますが、
人間の心理的な思いからすれば、常に人は
心地の良くない状態を好まず、正しいと思う方向へ
自然に導かれる本能を持ち合わせていると思いますので、こうした理不尽さや、無理に有耶無耶にした問題を無視する事が出来なくなってくると思われます。少しでも多くの人達がこの事例に注目してくれると、大勢の人たちの心が黙っていないと思いますね。
戦犯の中にも疑問があったのでは
- 黒田先生
青田です。
戦犯として、裁かれた方達(私は、戦犯と呼びたくないので)は、
陸軍士官学校などのエリートも多く、含まれています。
当然、彼らは、アメリカ、ヨーロッパなどへの
留学経験があるだけでなく、国際法を十分に
熟知していたはずです。
これは、想像ですが、
戦犯として、裁かれた方達の多くは、なぜ、自分が裁かれているのかさえ、???と思われていた方も多かったと思います。
特に文官であった広田弘毅の死刑は、本人も納得できないだけでなく、私も納得できません。
しかも、この東京裁判の陰湿な所は、裁判は
旧陸軍士官学校の講堂で、開廷しています。
とにかく、この当時のGHQは、ネチネチと粘着質です。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、これだけメチャクチャな茶番劇の真実をもっと多くの日本国民に知ってもらう必要がありますね。
心ある人々はきっと黙ってはいられないと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 戦犯と決めつけられた人々には先の戦争の責任を取る覚悟はお持ちだったかもしれませんが、このような理不尽な復讐劇に付き合わされるとは思っていなかったのではないでしょうか。
確かにGHQはネチネチしていますね。公判の場所もそうですし、起訴の日や、あるいは処刑の日も…(これ以上はネタバレなのでやめますが)。
判決は東条英機(とうじょうひでき)元首相ら7人が絞首刑(こうしゅけい)、16人が終身刑、2人が有期禁固刑という厳しいものであり、このうち絞首刑は同年12月23日に執行(しっこう)されましたが、この日は当時の皇太子殿下(こうたいしでんか、現在の今上天皇=きんじょうてんのう)のお誕生日であり、起訴日(昭和天皇のお誕生日)と共に日本国民に贖罪意識(しょくざいいしき)を植え付けようと意図したと考えられています。
ところで、東京裁判の判決は多数判決の他に少数判決が存在しており、なかでもインドのパル判事は「事後法による不当性」「復讐心の満足と勝利者の権力誇示(こじ)が目的」「勝者が敗者を罰しても将来の戦争発生を防止できない」などの理由で全被告の無罪を主張しました。パル判事の判決文の最後は以下のような文章で締めくくられています。
「時が熱狂と偏見(へんけん)をやわらげた暁(あかつき)には、また理性が虚偽(きょぎ)からその仮面(かめん)をはぎ取った暁には、その時こそ正義の女神(めがみ)は、その秤(はかり)の平衡(へいこう)を保(たも)ちながら、過去の多くの賞罰(しょうばつ)に、その処(ところ)を変えることを要求するであろう」。
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- 黒田先生
青田です。
この東京裁判を考えると、世の中(国際社会)とは
正しいか、正しくないかで、成り立っているわけではないということを感じます。
つまり、理不尽で、不条理でも、パワーバランスで、成り立っています。
たとえば
もし、それ以前に、まだ、アメリカと十分に戦える兵力を温存していた状態での講和条約を結んでいれば、こんな理不尽な裁判を受けることもなかったと
思えます。
(もちろん、この裁判の理不尽さには、怒りを感じますが)
私は、この東京裁判は、現代の教訓とすべきことがあると思います。
どれだけ、こちらが国際法上正しくても、軍事力がなければ、全く、通用しないのが、国際社会であるということ。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
我が国が二度とこのような目に遭わないためにも、対等の同盟ならともかく、他国に従属する必要のない強さを持たねばなりません。
ぴーち こんばんは!
さすが、ラジブ・ガンジーを生んだ国だけあります!
このように
客観的かつ、冷静な目で判断できる国が数多く存在することを期待していきたいと思うと同時に、パル判事に改めて感謝したいです^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 パル判事は法的根拠から無罪と断定したと伝えられていますが、これこそが正当な判決というものでしょう。
インドと我が国の絆は確かに深いですよね。
パル判事の判決文
柊三郎 "When time shall haven softened passion and prejudise, when Reason shall have stripped the mask from misrepresentation, then justice, holding evenly her scales, will require much
of past censure and praise to change places."
以上は、引用されたパル判事の判決文の原文のようです(なおReasonの字体はイタリックでした)。
ついでにと言うか、寧ろと言うか、ここは生の原文をきちんと押さえておくことは日本人として(就中、先生の教えられておられる若い生徒さん達にとって)有意義ではないかと思いました。
柊三郎さんへ
黒田裕樹 貴重な資料のご提供、有難うございます。
確かに原文にあたることは、思い違いをしないためにも重要ですね。
裁判においては、証人や資料が少なかったり、栄養失調の捕虜(ほりょ)にゴボウを食べさせたことや、腰を痛めた捕虜に灸(きゅう)を据(す)えたことが捕虜虐待(ぎゃくたい)と認定されたりするなど、杜撰(ずさん)な内容が多く、無実の罪で裁かれた者も多かったのではないかといわれています。B級・C級戦犯の処罰(しょばつ)や処刑は、いわば戦勝国の敗戦国に対する見せしめと報復がその実態でした。
いずれにせよ、我が国が連合国側によって無実の者を含めて多数の者が不当な裁きを受けさせられ、1,000人以上の生命を奪われてしまった事実に変わりはありません。「日本は戦後補償がまだ不足している」と声高(こわだか)に主張する人が今もなお日本国内を含めて後を絶たないようですが、数多くの尊(とうと)い同胞(どうほう)の生命が失われてしまったという悲劇を経験した我が国のどこが「償(つぐな)いを果たしていない」というのでしょうか。
しかも、連合国において一方的に決めつけられた「戦犯」という言葉は、今の我が国では完全に否定されているのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
私はこの事実を黒田さんの今日のお話で初めて知ることとなりましたが、戦後保障が不足している・・という思いは持っていませんでした。
日本はそれ相当の代償としての意味合いで、お金を
海外へ融通して来てると思っていたからです。
お金でなんでも解決しようとする思いは、金持ち国の驕りと取られてしまうかもしれませんが、それでも、その
身銭を切る思いの大変さを少しは分かって貰いたいものです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、金銭の補償も我が国は必要以上に果たしてきています。
まして多くの人命まで失っているというのに、それでも「タカリ」のように要求する姿勢が私には信じられません。
同年6月には日本弁護士連合会(=日弁連)が「戦犯の赦免勧告(しゃめんかんこく)に関する意見書」を提出したこともあって運動は全国に広がり、当時の人口の約半分にあたる4,000万人もの日本国民の署名が集まりました。
これに基づいて、翌昭和28(1953)年8月3日に衆議院で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致(ぜんかいいっち)で可決されました。この決議は現在も有効ですから、我が国において「戦犯」なる者は一切存在しないのです。
にもかかわらず、我が国の国会議員やマスコミなどはこうした厳然(げんぜん)たる事実に頬(ほお)かむりをして、靖国神社(やすくにじんじゃ)に祀(まつ)られたかつてのA級戦犯の人々を非難するなど、戦犯に対する不当な扱(あつか)いを続けており、日本国民や世界中の多くの人々も戦犯が未だに存在すると錯覚(さっかく)しています。
事実に基づいて歴史を語るのが鉄則であるならば、我が国に「戦犯」が存在しない以上、もはや「戦犯」という呼称(こしょう)を使用すべきではないのです。いずれにせよ、裁判終結から65年以上が過ぎた今もなお我が国を蝕(むしば)んでいる「東京裁判史観(とうきょうさいばんしかん)」からの一日も早い脱却(だっきゃく)が望まれるのではないでしょうか。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
この事実は、全く、知りませんでした。
当時の人口の約半分にあたる4,000万人もの日本国民の署名が集まったということは
、
昭和27年頃には、国民は、戦犯などとは、思ってなかったんですね。
それなのに
マスコミは、ともかく、一部の国会議員も
A級戦犯と連呼し
世間通年で、多くの国民は
戦犯は、存在すると思っています。
70年間の間に事実が風化し、さらに
国民の意識レベルは、劣化したのかもしれませんね。
昭和27年頃の日本人と現代の日本人との差を感じます。
青田さんへ
黒田裕樹 青田さんもご存じないということは、やはり相当数の国民が知らないということでしょうね。嘆かわしい限りですし、仰るとおり国民の意識やレベルの低下に慄然とします。
ぴーち こんばんは!
私も勿論、この事実は存じませんでしたが、
息子がよく靖国神社に参拝する事に対して
何故、海外からあのような非難を受けなければならないのか?日本の為に命を惜しまず戦った者たちに対して哀悼の意を示すことが何故に悪いのか?と
言っていますが、私も確かにそうだなと思っています。
霊の存在をないがしろにしている気が。。
- 黒田先生
青田です。
私は、戦犯が存在しないという事実について、完全に無知でしたが、
それでも、靖国神社参拝で、大騒ぎする周辺諸国(無宗教の某中国など)については、怒りを感じ、
それを大騒ぎするマスコミには、怒りを通りこし、
血圧が上がり、倒れそうになりました。
それは、古来より、日本人が持っていた霊というのものへの崇敬の念を踏み躙ることだと思うからです。
日本のマスコミは、興味本位で、心霊番組をやるくせに、真面目に霊というものについて、
語ろうとせず、英霊という概念を否定します。
日本は、平安時代(もっと前から)、
ネガティブな面では、呪い、祟る。
ポジティブな面では、見守る、祈る。
というのがあり、そこから、いろいろな文化や
現在でも残る歴史的建造物があります。
靖国神社を否定することは、日本の今までの歴史を全て否定することになってしまいます。
ただ、こういう古来より伝わる日本の歴史、伝統さえも理解できない日本人が増えたことは、確かですが。。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんと息子さんの仰るとおりです。
戦没者への慰霊という素直な感情をないがしろにする行為は許されません。
青田さんへ その2
黒田裕樹 私も同じ思いです。
戦後の70年近くで、私たちは数々の重要なものを失ったのかもしれませんね。
さらに驚いたこと
- 黒田先生
青田です。
このことに驚いたので、さらに調べて驚いた事実が
ありました。
というのも
『戦犯』の赦免、恩給法、遺族年金などは
私は、保守政党から、発議されたと思い込んでいました。
しかし、実は、当時の社会党からの発議でした。
発議にあたって社会党の古屋貞雄議員は次のような発言をしています。
「敗戦国のみ戦争犯罪の責任を追及するということは、
正義の立場から考えてみても、基本的人権の立場から考えてみても、
公平な立場から考えてみても、私は断じて承服できないところであります。・・・・世界人類の中で、
最も残虐であった広島、長崎の残虐行為をよそにして、
これに比較するならば、問題にならぬような理由をもって戦犯を処分することは、
断じてわが日本国民の承服しないところであります。
ことに、私ども、現に拘束中のこれら戦犯者の実情をちょうさいたしますならば、
これらの人に対して、与えられた弁明ならびに権利の主張をないがしろにして下された判定ででありますことは、
ここに、多言を要しないのでございます」
。
(『日本を蝕(むしば)む人々 平成の国賊を名指しで糺す 』 渡部 昇一著より引用)
さらに翌年の昭和28年「戦犯」として処刑された人々を「公務死」と認め、
遺族の生活を援助するための遺族援護法改正が国会の場で議論された。
社会党の堤ツルヨは次のような正論を述べている。
「処刑されないで判決をうけて服役中の者の家族は留守番家族の対象になって保護されておるのに、
早く殺されたがために、国家の補償を留守家族が受けられない。
しかも、その英霊は靖国神社の中に入れてもらえないということを今日の遺族は非常に嘆いておられます」。
ということは、当時の社会風潮として
保守政党だけでなく、超党派の社会党も『戦犯』というのは、明らかにおかしいという考えだったんですね。
この当時の日本人の考えは、与党、野党とも、総括的には
現在よりも健全であった気がします。
青田さんへ その3
黒田裕樹 仰るとおり、当時の野党はまだ健全でした。
現在の哀れな姿がウソのようですね。
この時の社会党
青田です。 黒田先生
青田です。
野党も満場一致というのが、信じられなかったのですが、
調べてみると、
社会党は、大東亜戦争前には、
軍部に積極的に協力し
大政翼賛会への合流を推進した議員が多かったでうしs、
この時の社会党にも、大東亜戦争を戦った復員兵が多くいて、
実際、国土防衛のためにB29に向けて、高射砲を発射していた射撃手もいたそうです。
この時は、個々の考えは、党によっては違いはあっても、国を愛する気持ちでは、完全一致していたのですね。
この当時の野党と今の野党は、全く、別モノですね。
時代の風化・歴史の捏造には、正直、寂しさと怒りを感じます。
青田さんへ その4
黒田裕樹 当時の野党は、まだ国家観をしっかり持っていた人物が存在していましたね。
現代と比べると、私も青田さんと同じ思いがします。