この当時、マッカーサーは「戦争終結後に日本軍が速(すみ)やかに武装解除(ぶそうかいじょ)に応じたのは天皇が出した勅令(ちょくれい、ここでは「終戦の詔書」のこと)があったからだ」という事実を耳にしていたこともあり、昭和天皇を戦争犯罪人とするかどうかを慎重(しんちょう)に検討(けんとう)していました。
しかし、同時にマッカーサーは昭和天皇との会見に不安を感じていました。もし天皇が自分に対して命乞(いのちご)いをするような人物であったら、やはり戦犯(せんぱん)として裁(さば)かざるを得ないのでは、と考えていたのです。
マッカーサーがそう思うのも無理はありませんでした。そもそも戦争に敗北した国の元首(げんしゅ)の末路(まつろ)としては亡命(ぼうめい)や自殺、あるいは市井(しせい)の人間として不遇(ふぐう)な人生を終え、その血は途絶(とだ)えてしまい、全く新しい王朝に取って代わるのが当然だったからです。
ところが、昭和天皇がマッカーサーに対して発せられたお言葉は、彼の不安を打ち消すどころか、想像にすら及(およ)ばないものでした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
マッカーサー元帥を題材にした作品や、主役として描いた作品は他にもありますが、私は最近鑑賞した「終戦のエンペラー」という作品の中の、
昭和天皇役を演じた片岡孝太郎さんの演技や風貌が本当によく酷似していて、印象深いのですが、
その時の天皇のお言葉には、頭が下がる思いがしましたね。
オバrev そのお言葉はまだ分かりませんが、欧米人には理解できなかったんじゃないでしょうか。
率直なマッカーサーの気持ちはどうだったのか気になります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 この会見は歴史に残りますから、映画化されても不思議ではありませんからね。
昭和天皇のお言葉とは…。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > そのお言葉はまだ分かりませんが、欧米人には理解できなかったんじゃないでしょうか。
> 率直なマッカーサーの気持ちはどうだったのか気になります。
懸念されるお気持ちはよく分かります。
実際のお言葉は…次回の更新までお待ちくださいm(_ _)m
こんにちは
ひなこまこ はじめまして
いつもありがとうございます。
昭和天皇とマッカーサーの話の続きを早く知りたいです。
興味深いですね。
リンクさせていただいていいでしょうか?
ひなこまこさんへ
黒田裕樹 はじめまして、当ブログへのご訪問並びにお言葉有難うございます。
「昭和天皇とマッカーサーとの会見」については1月17日まで連載予定ですので、よろしくお願いします。
なお、リンクはご自由になさってください。
昭和天皇のお言葉を聞いたマッカーサーは「われ神を視(み)たり!」と大いに感動して、それまで陛下(へいか)の前で椅子(いす)に座り、足を組んでパイプをくわえたままの姿勢(しせい)からやおら立ち上がると、抱(だ)きつかんばかりに陛下と握手(あくしゅ)を交(か)わしました。なお、マッカーサーは後に当時の心境を「この瞬間(しゅんかん)、私の前にいる天皇が日本の最上の紳士(しんし)であることを感じとった」と述懐(じゅっかい)しています。
会見が終了して昭和天皇がお帰りになる際には、マッカーサーは自ら玄関まで出て陛下を見送りました。たった一度の会見だけで、マッカーサーは陛下のお人柄(ひとがら)の虜(とりこ)となってしまっていたのです。
マッカーサーの態度をまさに豹変(ひょうへん)させたのは、昭和天皇が強く感じておられた戦争に関する責任のお気持ちでした。大東亜戦争の開戦そのものは大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう、別名を明治憲法)の規定に従(したが)って手続きが進められ、昭和天皇は閣議(かくぎ)決定の裁可(さいか)をそのままお認(みと)めになられただけでした。
立憲君主制(りっけんくんしゅせい)の原則から見ても、昭和天皇に直接の戦争責任があるとは到底(とうてい)認められないものでしたが、その一方で陛下はご自身のお力で戦争を防ぐことができなかった道義的(どうぎてき)責任を強く感じておられました。だからこその「戦争責任のすべてはこの私にある」というお言葉だったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
天皇陛下の顔は勿論の事、眼さえ合わせてもいけないという前触れも(確か握手さえも?)
マッカーサー元帥は聞き入れず、最初から
天皇陛下を見据えていたというお話ですものね。
今思うと、その無礼極まりない態度を昭和天皇はよくぞ許したと思いました。お心の広さを改めて感じました。
それと同時に、今回のお話の様に、ご自分の命を捧げてまでも、国を守ろうとしたお気持ちを忘れてはならないと思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私たちは歴史的事実をあまりにも知らされなさすぎですね。
天皇陛下のご存在の気高さを理解できないようでは申し訳が立たないと思うのですが…。
明治憲法から~
鹿児島のタク 明治憲法(大日本帝国憲法)には、確かに陛下は統帥権のトップです。しかし、日本の場合、他国の皇帝や大統領と異なる…。
それこそ、「立憲君主制」ですね。
原則的には、陛下は臣下(内閣等)の決定を覆すことはできない。「輔弼」されているから、政治的には責任はない。これが原則…。と考えてもよいのでしょうか。…黒田先生。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 > それこそ、「立憲君主制」ですね。
> 原則的には、陛下は臣下(内閣等)の決定を覆すことはできない。「輔弼」されているから、政治的には責任はない。これが原則…。と考えてもよいのでしょうか。
そのとおりです。
このような基本的論理も知らずして、一方的に昭和天皇を悪人と断じる人々の神経を疑いますね。
ありがとうございます
ひなこまこ 天皇陛下のお言葉とそのお気持ちを理解してくれたマッカーサーさんに感激です。
人でよかった。
大事な心、持ち続けたいです。
ひなこまこさんへ
黒田裕樹 > 天皇陛下のお言葉とそのお気持ちを理解してくれたマッカーサーさんに感激です。
> 人でよかった。
> 大事な心、持ち続けたいです。
仰るとおりですね。
国体護持の功績がマッカーサーにもあったことは間違いありません。
昭和天皇の無私のご行動によって、皇室を中心とする我が国の国体(こくたい)を護(まも)ることはできました。終戦の直前、昭和天皇による2度目のご聖断(せいだん)が下った際に慟哭(どうこく)した阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣に対して、陛下(へいか)がお優(やさ)しく「私には国体を護れる確信がある」と仰(おっしゃ)られたとおりとなったのです。
もしマッカーサーとのご会見の際に、昭和天皇が他の一般的な国家元首のように命乞(いのちご)いをする哀(あわ)れな君主であったとすれば、その後の我が国の運命はどうなったでしょうか。考えただけでも私は寒気(さむけ)がしてきます。
ただし、我が国が皇室中心の国体を護れた一方で、GHQによる我が国の占領統治(せんりょうとうち)は過酷(かこく)を極(きわ)めたものとなっていきました。
占領軍による数々の「日本解体」あるいは「洗脳(せんのう)」はその後の我が国における「自虐史観(じぎゃくしかん)」を決定づけるものであったといえますが、その具体的(ぐたいてき)な内容はどのようなものであったのでしょうか。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
確かに、その後の日本のアメリカによる洗脳は
ジワジワと日本人の考え方まで変えてしまった様で、残念極まりないと思いますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに、その後の日本のアメリカによる洗脳は
> ジワジワと日本人の考え方まで変えてしまった様で、残念極まりないと思いますね。
そのとおりですね。
これからGHQによる占領政策についてじっくりと紹介していきたいと思います。