大東亜戦争終結から約1か月が経った昭和20(1945)年9月27日、昭和天皇は連合国軍最高司令官総司令部(=GHQ)のマッカーサー元帥(げんすい)と会見されるため、アメリカ大使の公邸へと向かわれました。マッカーサーは陛下(へいか)を玄関で出迎えることもなく、会見場となった迎賓室(げいひんしつ)で待機していました。
この当時、マッカーサーは「戦争終結後に日本軍が速やかに武装解除に応じたのは、天皇が出した勅令(ちょくれい、天皇が発した法的効力のある命令のことであり、ここでは「終戦の詔書(しょうしょ)」を意味する)があったからだ」という事実を耳にしていたこともあり、昭和天皇を戦争犯罪人とするかどうかを慎重に検討していました。
しかし、同時にマッカーサーは昭和天皇との会見に不安を感じていました。もし天皇が自分に対して命乞(いのちご)いをするような人物であったら、やはり戦犯として裁かざるを得ないのでは、と考えていたのです。
マッカーサーがそう思うのも無理はありませんでした。そもそも戦争に敗北した国の元首の末路は、亡命や自殺、あるいは市井(しせい)の人間として不遇な人生を終え、その血は途絶えてしまい、全く新しい王朝に取って代わるのが当然だったからです。
ところが、昭和天皇がマッカーサーに対して発せられたお言葉は、彼の不安を打ち消すどころか、想像すら及ばないものでした。
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昭和天皇のお言葉を聞いたマッカーサーは「われ、神を視(み)たり!」と大いに感動して、それまで陛下の前で椅子に座り、足を組んでパイプをくわえたままの姿勢からやおら立ち上がると、抱きつかんばかりに陛下と握手を交わしました。なお、マッカーサーは後に当時の心境を「この瞬間、私の前にいる天皇が日本の最上の紳士であることを感じとった」と述懐(じゅっかい)しています。
会見が終了して昭和天皇がお帰りになる際には、マッカーサーは自ら玄関まで出て陛下を見送りました。たった一度の会見だけで、マッカーサーは陛下のお人柄の虜(とりこ)となってしまっていたのです。
マッカーサーの態度を豹変(ひょうへん)させたのは、昭和天皇が強く感じておられた戦争に関する責任のお気持ちでした。大東亜戦争の開戦そのものは、大日本帝国憲法(=明治憲法)の規定に従って手続きが進められ、昭和天皇は閣議決定の裁可をそのままお認めになられただけでした。
立憲君主制の原則から見ても、昭和天皇に直接の戦争責任があるとは到底認められないものでしたが、その一方で、陛下はご自身のお力で戦争を防ぐことができなかった「道義的責任」を強く感じておられました。だからこその「戦争責任のすべてはこの私にある」というお言葉だったのです。
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昭和天皇の無私のご行動によって、皇室を中心とする我が国の国体(=国家としての体制のこと)を護ることはできました。終戦の直前、昭和天皇による2度目のご聖断が下った際に、慟哭(どうこく)した阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣に対して、陛下がお優しく「私には国体を護れる確信がある」と仰られたとおりとなったのです。
もしマッカーサーとのご会見の際に、昭和天皇が他の一般的な国家元首のように、命乞いをする哀れな君主であったとすれば、その後の我が国の運命はどうなったでしょうか。考えただけでも私は寒気がしてきます。
ただし、我が国が皇室中心の国体を護れた一方で、GHQによる日本の占領統治は過酷を極めたものとなっていきました。占領軍による数々の「日本解体」あるいは「洗脳」は、その後の我が国における「自虐(じぎゃく)史観」を決定づけるものであったといえますが、その具体的な内容はどのようなものであったのでしょうか。
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