当時はソ連のコミンテルン日本支部としての性格も持っていた日本共産党の活動に国体(こくたい、国家としての体制のこと)破壊(はかい)の危機(きき)を感じた当時の田中義一(たなかぎいち)内閣は、選挙直後の3月15日に全国規模(きぼ)で共産党員の一斉検挙(いっせいけんきょ)を行うとともに、共産党の影響下(えいきょうか)にあった労働農民党(ろうどうのうみんとう)や共産党系の労働組合であった日本労働組合評議会(にほんろうどうくみあいひょうぎかい)など3団体を結社禁止(けっしゃきんし)にしました。これを三・一五事件(さん・いちごじけん)といいます。
共産党勢力の拡大を恐(おそ)れた政府は同じ昭和3年に治安維持法(ちあんいじほう)を改正し、最高刑を死刑(しけい)としました。また、大逆事件(たいぎゃくじけん)をきっかけに創設(そうせつ)された特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ、別名を特高=とっこう)を全国の警察に設置し、翌昭和4(1929)年4月16日には共産党の多数の幹部(かんぶ)が検挙されました。これは四・一六事件(よんいちろくじけん)と呼(よ)ばれています。
これらの事件や法改正によって共産党は壊滅的(かいめつてき)な打撃(だげき)を受けましたが、社会主義の思想そのものはやがて別の方面から我が国の政治や経済に大きな影響を及(およ)ぼすようになるのです。
なお、最高刑が死刑に引き上げられた治安維持法でしたが、実際に死刑になった人間は一人も存在しませんでした。小林多喜二(こばやしたきじ)が特高に虐殺(ぎゃくさつ)された事件が一般的に知られていますが、これは取り調べ中の拷問(ごうもん)によるものであり、厳格(げんかく)に区別する必要があります。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
昔、小学生の時
『戦争と人間』という映画(9時間23分)
(満州事変から、モノハン事件までを描いた映画)
を観た時、特高警察の拷問シーンを観て、衝撃を受けました。
子供心に、単純に特高警察は、恐ろしい存在だと
感じました。
その映画の中で、あるセリフが印象に残っています。
『特高警察は、同じ警察官にも自分は、何をしているのかを一切、いう義務がない特別な存在。』
もちろん、その当時に撮影された経緯として、
自虐史観は、影響され、当時の共産主義に危機感を持っていたことは、わかりますが、やはり、特高警察には、ネガティブな印象を持ってしまいます。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに特高は恐ろしいイメージがありますね。
だとすれば、なぜ「特高が恐ろしい存在と化したか」ということも考えなければならないでしょう。
それだけ共産主義が恐怖の対象であったということですからね。
もっとも、戦局の悪化によって「何でもあり」となってしまったのもまた事実ですが…。
ぴーち こんばんは!
確かに死刑と拷問による死亡は
意味合いが違って来ますよね(^^ゞ
それでも、拷問によって死亡してしまうほど
昔の日本も相当過酷な手口で
事情徴収を行なっていたんですね。
外国映画ではよくありがちですが。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、拷問と死刑とでは全く意味合いが違いますよね。
小林多喜二の場合ですが、彼が捕まるまでの間に特高に対する様々な挑発的行為を続けており、そのことで恨みを買っていたという説もあるそうです。
一方、共産主義国家のソ連ではいわゆる五ヵ年計画が成功しているかのように見えたことで、世界の経済政策はアメリカのフランクリン=ルーズベルト大統領によるニューディール政策やドイツのヒトラーなど、自由主義から社会主義へとシフトし始めるものも現れました。
我が国日本でも金融恐慌(きんゆうきょうこう)から昭和恐慌(しょうわきょうこう)へと不況(ふきょう)が続くなかで、北一輝(きたいっき)や大川周明(おおかわしゅうめい)などを中心として次第に国家社会主義思想(こっかしゃかいしゅぎしそう)が広まるようになりました。国家社会主義とは天皇を中心としながらも、その思想は「貧富の差を憎(にく)むとともに私有財産制を否定して資本を人民で共有する」という社会主義(=共産主義)そのものでした。
要するに当時のソ連の指導者であったスターリンを天皇に置き換(か)えただけであり、天皇という「錦(にしき)の御旗(みはた)」を利用することで社会主義の本質をごまかしているに過ぎなかったのです。しかし、当時の我が国が大不況であったがゆえに、この国家社会主義思想は当時の軍人、特に青年将校(せいねんしょうこう)を中心に大きな広がりを見せるようになりました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
- 黒田先生
こんにちは
青田です。
この当時を舞台にした映画、小説はかなり、
読んだことがあるのですが、
その当時、国家社会主義思想家(勉強の出来る)には、日本の社会の状況は
不公平、不条理なことだらけに思えたようですね。
・ 一生懸命、働いても豊かにならない労働者がいる一方で、財閥の金持ちは、優雅な生活をしている。
・ 農村では、女性の身売りがあるのに、政治家は、無能で、他人事のように思っている人間ばかりである。
それが、日常の風景として、観えていると人間は、極端な思想へと流れてしまうようです。
今からすると、危険思想ですが、その当時の時代背景を考えると感情レベルでは、納得してしまいます。
(彼らは、頭で考えた通り、世の中が単純ではないことを理解していませんでしたが)
逆に、今のように豊かな日本で、『格差』=『悪』何でも平等と叫ぶほうが、理解できません。。。
ぴーち こんにちは!
なるほど、
資本主義は資本主義なりの良い面もあり、
社会主義は、日本にとっては脅威的な存在であり、排除するべきものであるとは言うものの、
社会主義にも利点は存在し、
その両面の良いところを上手に取り入れて
行こうという考え方は、やはり日本的なのでしょうかね。
それでも、悪く言えば、それぞれの利点を利用して良いとこ取りだけしているだけ・・となるでしょうけれど、互いの利点を上手に選択し、その時代に沿うようにコントロールすることは必要な事だと思います。
応援凸
青田さんへ
黒田裕樹 仰るように、優秀な頭脳を持っていると「自分の考えが正しい」と思いがちですから、視野が狭くなって何事も不条理に見えるようですね。
彼らが現実の経済をもっと学んでいればと思いますが…。
当時に比べれば現代の「格差」なんて全然度合いが異なりますよね。もっと歴史に学んでほしいものです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり日本的なイメージがありますが、戦前の我が国においては一筋縄ではいかないところもあったようですね。
今後の更新で明らかにしていければと思います。
しかし巧い手ですな。
晴雨堂ミカエル けっこう私は北一輝のキャラは好きですし十代の一時期は石原莞爾将軍と並んでシンパシーを感じていました。
現代の護憲派市民は「右翼理論家」として蔑んでいます。考え方自体は殆ど一致しているのに何故軽蔑するのかと言えば、北の天皇制支持が「旧態依然」で気に入らんのでしょう。それからネタバレの危険がありますが、ある事件で暗躍した事も、軍国主義への道を開いた人物として忌み嫌っています。
私は右にも左にも友人知人がいるので、立場や価値観が違うと同じ事実でもこうも認識や解釈が違うのかと、面白くなる時があります。
天皇を錦の御旗に利用する事は日本の政争ではよくあります。また世間は意外に思うだろうが本来の社会主義思想に「偶像崇拝」は無い。(例えば、建前であれカストロは現役政治家の銅像をつくる事を禁止している。毛沢東や金日成よりは真面目だ)北一輝は日本人として「日本型社会主義」達成を考えていた、とも言えます。
ところが今の左翼やフェミニストはヨーロッパの受け売りばかり、日本の国情を無視したり否定する。いや、「日本」を憎んでいるのではないかとさえ思うほどです。何しろ「祖国」という単語を耳にするだけで顔をしかめる。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰る一面は確かにありますね。
自分に都合の良い解釈しかできないのもサヨクの特徴です。
右翼と左翼
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
私が学生時代にならった歴史教育では、
戦前の日本、ドイツは、右翼的な思想だと
教えられた気がします。
ただ、今回の黒田先生の主張では、
日本の青年将校は、『天皇を頂点とする社会主義。』という見解なんですね。
これは、ナチスについても、右翼政党と勘違いしている日本人が多いですが
ナチスの正式名称は
『ドイツ社会主義労働党』です。
以前、友人と話したことがあるのですが、
『右とか、左とかというレッテルが本質を見えにくくする気がします。というのも、それは、権力者の都合で、いくらでも変えられるからです。』
たとえば、この前の衆議院選挙でも、
国民に人気が出そうな新党名が続出していました。(国民の生活第一、減税党????)
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、思想は右や左という単純な視点で判断できるものではありません。
社会主義と資本主義のそれぞれの本質をしっかりと見抜く必要があります。
しかし、その優秀さとは裏腹(うらはら)に彼らの給料は決して高くなく、また預かった兵士からは東北地方を中心に欠食児童(けっしょくじどう)や婦女子の身売りなどの悲惨(ひさん)な境遇(きょうぐう)の話を聞かされたことで、多くの青年将校たちが当時の経済体制に不満を感じるとともに憎(にく)むようになりました。
彼らの怒りは富裕層(ふゆうそう)である地主や資本家、そして財閥(ざいばつ)に向けられ、さらにはそんな体制を許しているとともに財閥と癒着(ゆちゃく、好ましくない状態で強く結びつくこと)している(と彼らが思い込んでいた)政党政治をも敵視(てきし)し始めました。
そんな彼らが先述(せんじゅつ)した国家社会主義思想に染(そ)まっていくのは、ある意味自然な流れでもありました。頭脳明晰で文武両道の青年将校たちは自分の思想に絶対の自信を持っており、そんな彼らの様々な行動によって、やがて我が国の運命が大きく暗転することになるのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
このことを考えると、私は、いつも、やりきれない気持ちになります。
というもの、青年将校は、
優秀なだけではなく、私利私欲もなく、真剣に
純粋に国のことを考えていたことは、確かだからです。
やはり、この問題の最大の原因は
彼らは、『軍事官僚』であって、『生粋の軍人』ではなかったことだと思います。
個人的には、明治初期の軍人は、この時の青年将校よりも、視野が広かったと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、やりきれないですね。
彼らが真面目だった分、もっと広い視野で物事を判断してほしかったです。
ただ、維新前後から戦争をくぐり抜けてきた人間と、机上の学問が中心の人間との視野が全く異なるのもある意味仕方がないとも言えますね。
ぴーち こんばんは!
政府の内情を知れば知るほど
嫌な面も共に知る事となるのは、忍びない事です。
知らぬが仏だと言え、国民が知らないままで居れば、政府の思うままに世の中は都合の良い様に進められてしまうでしょうから、こうして反発出来る
人間の出現も必要不可欠である様に思いました。
応援凸
この当時の世界の空気
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。青年将校をかばうことになりますが、
青年将校の国家社会主義的な考えて陥った原因は
日本だけではなく、この当時の世界各国の
空気が、停滞感・閉塞感に包まれていたことも大きな原因だと思います。つまり、日本だけではなく、各国とも視野が極端に狭くなっていました。
◆ アメリカ、イギリスは、ブロック経済。
→ 明治時代のように良くも、悪くも外側への広がりを求めない空気。
◆ ドイツは、第一次世界大戦で、一方的に
責任を取らされ、多額の賠償金、領土も削られ、
失業者が増大していて、ヒトラーが出てきた。
→ 明治時代は、ビスマルクが富国強兵で、ドイツを強国にした。
◆ 帝政ロシアが滅び、人類史上初の共産主義国家が出来た。
→ 明治時代は、帝政ロシアで、隆盛を極めていた。
こう考えると、
明治時代よりも、この時代は、世界全体が、内向き思考になっていた気がします。
戦前の日本=ネガティブなイメージで、捉えがちですが、
この頃は、アメリカ、イギリス、ドイツなども、思い出したくない暗い時代だったように思います。(たとえば、アメリカは、禁酒法時代で、マフィアの抗争事件が日常化していました。)
ある意味、凄い事。
晴雨堂ミカエル 明治時代前半、将校は華族・士族出身者ばかりでしたが、昭和に入ると平民出の将校が多数を占めるようになりました。貴族中心の将校団が標準の欧州からみれば画期的です。
華族中心の将校だったら、北一輝への共鳴はあり得ない。西男爵のようにダサい陸軍を嘲笑うごとく、長髪にしたり、スコッチにジッポにスボーツカーなど、趣味に走る程度でしょう。
ところで、彼ら青年将校たちの思い、昭和天皇には届かなかったようですな。思い込みの悲劇です。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに政府の「秘密主義」によって国民が害を受けるのであれば許されざることです。
ただ、これは何事にも言えますが「過ぎたるは及ばざるがごとし」。
政府や富裕層憎しのあまり冷静さを失えばどのようなことになるでしょうか。
とはいえ、これも「貧しさゆえの悲劇」と言えるかもしれませんが…。
青田さんへ その2
黒田裕樹 その通りですね。
逆に言えば、第二次世界大戦への道は我が国だけが原因ではない、ということにもつながると思います(これ以上は話が大きくなりすぎるので控えますが)。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 確かに青年将校の出身層の違いは大きかったでしょうね。
あまりにも一方的な思い込みはいつの世も悲劇をもたらすようです。