こうして始まった昭和時代でしたが、いきなり大きな試練(しれん)を迎(むか)えることになってしまいました。大正12(1923)年に発生した関東大震災(かんとうだいしんさい)によって多額の民間手形が支払(しはら)い不能となった際、災害地を支払地とする手形は政府が信用保証して支払いを延長(えんちょう)しました。
しかし、それらは問題の先延(の)ばしに過ぎず、支払いの猶予(ゆうよ)が昭和2(1927)年で切れることから政府はその整理に着手(ちゃくしゅ)することになりました。なお、当時の内閣は病死した加藤高明(かとうたかあき)にかわって成立した、憲政会(けんせいかい)を与党とする第一次若槻礼次郎(わかつきれいじろう)内閣でした。
第一次若槻内閣は新たに公債(こうさい)を発行していわゆる震災手形(しんさいてがた)を整理しようと考え、そのための法案を議会に提出しましたが、議会では銀行の放漫(ほうまん)な貸し出しが今回の事態を招(まね)いたなどという非難の声が挙(あ)がり、なかなか前へ進みません。そうこうしているうちに、経営難に苦しむ中小銀行の資金繰(ぐ)りが限界に達しつつありました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
何やら時代が変わった途端に苦難というのは
訪れるものなのですね。
最近でも、民主党が政権を握った矢先に
大震災という災難が訪れ、再び自民党が政権を奪還した途端に、アフリカでの痛ましいテロ事件が
降って湧いた様に起こりましたが、
まるでその都度、国を司る者の力量を試すかのようです・・・( ´゚д゚`)
それにどう素早く対応出来るかが、その後の評価にも大きく影響してくるものですが・・・
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、新時代に対する苦難というのはある意味いつの時代も起こっているものですね。
こんな時こそ政治の力量が問われると思いますが、昭和初期はどうだったのでしょうか?
危機の時の政権
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
政治家というのは、危機の時に誰が政治の舵取りをするかで
決まりますね。
今の日本も、もし、あのまま、民主党があの悪法(人権法案)を通して政権をまだ、握っていていたらと思うと、
本当にぞっとします。
そう考えると、国の運命は、ギリギリのタイミングで、誰がリーダーになっているかで、決まるようなきわどいものなのかもしれませんね。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにおっしゃるとおりですね。
国の命運を託すにふさわしいリーダーは危機にこそあらわれるのかもしれません。
次官は大蔵大臣(おおくらだいじん)の片岡直温(かたおかなおはる)に対応を相談しようとしましたが、議会で審議中(しんぎちゅう)のため面会できず、事情を書面に記(しる)して蔵相(ぞうしょう)に言付(ことづ)けました。
一方、大蔵省(おおくらしょう)からの助力(じょりょく)が得られないと判断した東京渡辺銀行は改めて金策(きんさく)に走り、別の銀行の資金援助(えんじょ)を受けて辛(かろ)うじて決済を行い、その旨(むね)を大蔵省に伝えようとしましたが、担当の次官が不在(ふざい)ですぐには連絡できませんでした。
その頃(ころ)、片岡蔵相は議会から厳(きび)しい追及(ついきゅう)を受けていましたが、そんな折(おり)に次官から書面で「東京渡辺銀行休業」の報告を受けた蔵相は、追及をかわしたい一心(いっしん)からつい口走(くちばし)ってしまいました。
「東京渡辺銀行がとうとう破綻(はたん)を致(いた)しました」。





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ぴーち こんにちは!
あらら・・
いい所でお話が終わってしまいましたね(T_T)
まるで連続テレビ小説の様な展開w
それにしても、休業と破綻では
話が変わって来てしまうので、その後相当拗れたのではないですかね・・(゜レ゜)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 狙ったわけではないのですが、前後の流れでこうなってしまいましたね(^^ゞ
おっしゃるとおり、大臣による「失言」がこの後の我が国に大きな影響を与えてしまうのです。
しかし、当日の決済を終えていた東京渡辺銀行は現実には破綻していなかったのです。にもかかわらず議会において「破綻した」と口走ったのは、片岡蔵相による「痛恨(つうこん)の失言」以外の何物でもありませんでした。
かくして大蔵大臣に「破綻」を宣告(せんこく)された東京渡辺銀行に預金者が引き出しに詰(つ)めかけたことで、翌日には「本当に」休業に追い込(こ)まれただけでなく、東京渡辺銀行の破綻を不安に思った人々が他の中小銀行にも預金引き出しに殺到(さっとう)するという取り付け騒(さわ)ぎを起こしたため、連鎖反応(れんさはんのう)のように他の銀行も次々と休業を余儀(よぎ)なくされてしまいました。
これらの動きは今日では金融恐慌(きんゆうきょうこう)と呼(よ)ばれています。政府は日本銀行による非常貸し出しでこの騒ぎを何とか沈(しず)めましたが、金融恐慌の流れは「別の大手銀行」の経営破綻によってさらに拍車(はくしゃ)をかけることになってしまうのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
私のような一般人がどんなに御託を並べても
何の影響も無いでしょうけれど、やはり上に立つ者の一言一句の重みは全く異なりますので、
気をつけていただきたいものですよね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、政治家のように人の上に立つ公人の発言には途方もない責任が伴います。
今も昔も変わることなく言葉は慎重に選んでいただきたいものですが、その一方で失言を求めようとする報道姿勢もおかしな話だと思いますね。
オバrev 政治家って、我々庶民から見ても、ちゃんと科学的検証をせずに思い込みで発言してるってありますね。
直近で言えば、O市市長H氏(^^ゞ
もちろん政治家ですから、ダイレクトに発言することも大事ですが、慎重でなくてはならない問題は慎重に、根拠を持った発言が求められると思いますけど。
「今」でも…
鹿児島のタク 現在でも、日本で、このようなこと有り得るでしょうか。
金融機関の破たんとは異なりますが、例えば、日本国債が…いつか…ただの紙切れに…。
これだけ国が借金をしていれば、可能性はないとは言い切れない…。経済のことは詳しくないのでこの程度で…。
考えただけでも恐ろしい。でも、日本国債…私もっていないのです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 おっしゃるとおり、政治家の思い付きでの発言は後に混乱を招きますよね。
特に今の政権には根拠ある発言を心がけてもらいたいものです。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 金融機関の破綻は20世紀末にもありましたね。
国債に関しては、ここでは詳しい説明は省略しますが、貸主と借主が同じ日本人で、主に国内で流通することを考えればそれほど心配することはないと思います。
政府と日銀が通貨量を調整すれば緩和できますからね。
確かに…・
鹿児島のタク 20世紀末の金融機関の破綻は、「公的資金」(つまり税金)の投入で難を逃れたという感じだったのでしょうか。
それと、確かに日本国債の8~9割程度(正確な数字!?)は日本人が持っているということなので、大丈夫だとは思うのですが…。この場合の「大丈夫」と「安全」は全く違うことでしょうから…。心配性なんです。ハッハッハッ!
「政府と日銀が通貨量を調整すれば緩和できる。」・・・マネーサプライ…!? このあたりを私ももっと勉強したいです。(歴史とはちょっと違いますが…)
鹿児島のタクさんへ その2
黒田裕樹 仰るとおり、公的資金の投入で金融危機は回避できますし、これまでもそれを続けています。
国債の件ですが、重要なヒントとなるのが実は今回の直後ともう一回後に登場します(2回目はおそらく3月頃になると思いますが)。
現在と状況がよく似ており、かなり参考になるのではと思われますのでそれまでお待ちください。
鈴木商店の倒産は、同社に巨額(きょがく)の金銭を貸し付けていた台湾銀行(たいわんぎんこう)にも資金繰(ぐ)りに苦しむようになるなどの深刻(しんこく)な影響(えいきょう)を与(あた)えましたが、他の中小銀行と違(ちが)って台湾における紙幣発行権(しへいはっこうけん)を持っていた特殊銀行(とくしゅぎんこう)である台湾銀行がもし休業の憂(う)き目を見れば、治(おさ)まりかけていた金融恐慌がさらに広がりを見せるようになるのは必至(ひっし)でした。
あわてた政府は緊急勅令(きんきゅうちょくれい)によって台湾銀行を救済(きゅうさい)しようと考え、枢密院(すうみついん)に働きかけましたが、これを第一次若槻礼次郎内閣打倒(だとう)の好機(こうき)と見た立憲政友会(りっけんせいゆうかい)は、枢密院に働きかけて議案を否決(ひけつ)させました。
議案を否決された第一次若槻内閣は総辞職し、また台湾銀行は休業に追い込まれて金融恐慌が最高潮(さいこうちょう)に達してしまったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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鹿児島のタク 本日のブログ見て,現在の政治と同じことをやっていたのか…と思ってしまいました。
逆に言うと,当時から現在まで,政治が全く“成長”していないように思われます。駆け引きですね。与党と野党の…。主導権争い。
「勅令」なんて言うのも,超法規的措置のような気がして,これは禁じ手ですよね。でも,そこまで追い込まれていたんだ。
小学校・中学校・高等学校の日本史の学習は,…日本の場合,上層部が意図的にそうしているのかは存ぜぬが,近現代史が欠落してしまいますからね。
あまり,このあたりは,深く学習していない。でも,現代社会に直結する,近現代史は大事にしないといけませんねえ。やっぱり…。
私などは,「経済」とは,「経世済民」の四字熟語からきているという基本的なことさえ,社会人になってから知りました。
今日も,いい研修になりました。有難うございます。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、政争優先の政治は昔と大差ありません。
政治家こそ真っ先に歴史に学ぶべきですし、それができなければ存在の意味がないといえるでしょう。
ぴーち おはようございます!
やはり「急いては事を仕損じる」事になりますね。
時に「善は急げ」などという場合がありますが、
焦る気持ちで行った事、急場しのぎで取り付けた事などに、良い結果は生まれない様ですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに取り付け騒ぎの「第二派」や「第三派」が出てくるようでは意味がないですね。
記憶に新しい平成の取り付け騒ぎも同じでした。
根本的な解決が望まれますが…。
第一次若槻内閣の総辞職を受けて、陸軍大将(りくぐんたいしょう)で立憲政友会総裁(そうさい)の田中義一(たなかぎいち)が内閣を組織しました。
田中内閣の大蔵大臣(おおくらだいじん)となった高橋是清(たかはしこれきよ)は手形の決済(けっさい)や預金の払(はら)い戻(もど)しなどを一時的に猶予(ゆうよ)する支払猶予令(しはらいゆうよれい、別名をモラトリアム)を出すための緊急勅令(きんきゅうちょくれい)を直(ただ)ちに枢密院(すうみついん)に諮問(しもん、意見を求めること)しました。
今度は枢密院も勅令を許可して3週間のモラトリアムが発せられると、高橋蔵相(ぞうしょう)が日本銀行に巨額(きょがく)の特別融資(とくべつゆうし)を行わせたことで金融恐慌(きんゆうきょうこう)はようやく収拾(しゅうしゅう)へ向かいました。
ちなみに日本銀行は特別融資のために急きょ大量の200円札を発行しましたが、余(あま)りに巨額であったために準備が間(ま)に合わず、裏面(うらめん)が白紙(はくし)のままでした。
なお、休業した台湾銀行についても議会で審議(しんぎ)され、2億円の救済法案が成立して再建されています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
裏面が白紙とは!
たまにお札の印刷ミスか何かで
印刷の絵柄がズレていたり、硬貨であれば
真ん中の穴が微妙にズレていたりするのは、珍しい為に
プレミアが付いたりしますが、
現代では
裏面が白紙というのは、銀行の練習用の紙幣に
間違われてしまいそうですね(^^ゞ
応援凸
陸・海軍大臣⇒首相
鹿児島のタク このブログを読むには,高等学校の日本史の教科書等が必要そうだ。
実は,私は自分の“知的財産”を守ろうと思って(笑),以前,鹿児島県内のいわゆる“進学校”が使っている「山川出版社」の日本史教科書を持っている。…だが,これまで開くことはなかった。
でも,このブログに出会って,開かざるを得ない状況にありそうだ。時間があれば…。
高校の時,「軍部大臣現役武官制」というのがあったのを知った。戦後民主主義の教育を受けていた自分にとっては,“何か変な感じ”とは思っていた。
でも,今振り返ってみると,わが鹿児島の先人「山本権兵衛」も海軍大臣の時期があり,日露戦争に先立って帝国海軍連合艦隊司令長官の人事を「東郷平八郎」としたという経歴がある人物である。この山本権兵衛も確か2回内閣総理大臣をしている…。確か,2度目は”流産”したような感じだったが…。(シーメンス事件だったかな!?)???
今回は,「高橋是清」も登場した。この人も何と表現していいのか…“すごすぎる”人物だが…。
「モラトリアム」と関連した人物だったのか?
「モラトリアム」なんて,当時の高校生だった私には,珍しい英語なので…いったい何なのと思っていたが,実はこういう非常事態中の非常事態だったんだねえ。
今後,この講義では,日本の経済状況のジリ貧と戦争の足音が聞こえてくるような展開になるのでしょうか。
ということで,今日もありがたい研修をすることができました。どうもありがとうございます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かにそうですね(笑)。
今回の紙幣はあくまで緊急用でしたので、別の紙幣の印刷ができ次第すぐに回収されたそうですが、本物かどうか当時の人も首をひねったかもしれませんね。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 このブログは高校生の受験対策用にもなっていますので、確かに教科書が必要かもしれません。
当時の経済状況は決して良いとは言えませんが、その一方で回復も早いものがありました。
ただ、軍部の件も含めて非常に複雑な事情がたくさん絡み合っているので、そのあたりをできるだけわかりやすくまとめられればと思っております。
なお、山本権兵衛については大正時代で紹介しております。
恐慌を起こした政権の責任はともかくとして、金融政策は本来であれば一刻(いっこく)も早く実施(じっし)しなければならないものです。しかし、現実には野党(やとう)の立憲政友会が「政争の具(ぐ)」として枢密院(すうみついん)に「待った」をかけさせたことで政策の実現が遅(おく)れただけでなく、台湾銀行も休業に追い込(こ)まれてしまいました。
また、枢密院は第一次若槻内閣の失政(しっせい)の一つとして「幣原外相(しではらがいしょう)による協調外交(きょうちょうがいこう)の失敗」を非難(ひなん)していますが、外交問題を国内の政争に利用するという姿勢(しせい)にも疑問符(ぎもんふ)を付けざるを得ないのではないでしょうか。
いずれにせよ、政争のためには「何でもあり」という当時の政党の手法(しゅほう)が後述(こうじゅつ)する「統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)」の問題を引き起こし、我が国を苦境(くきょう)へと追い込むことになったのは間違(まちが)いないでしょう。
もっとも、政権交代で高橋是清(たかはしこれきよ)が大蔵大臣(おおくらだいじん)になったからこそ金融恐慌が早く収拾(しゅうしゅう)できたともいえますし、また第一次若槻内閣の幣原外相から田中義一内閣に代わったことで、それまでの協調外交の姿勢が改まった(詳しくはいずれ後述します)というメリットがあったのも事実ではあります。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
そうですよね。肝心な政治が政争の為に
滞っているようでは、何も解決出来ないどころか
益々、国内の不安は増える一方ですものね。
昔、東映の怪獣映画を観ていた時に、
正義の味方と敵の怪獣が、街の中で
ドタバタと決死の戦いをしている場面が
ありましたが、確かに敵を倒すために
必死に戦ってくれるのはありがたいですが、
眼下に住んでいる人間達は、さぞ迷惑を被ったであろうなと心配していました(^^ゞ
目の前の事だけに、或いは自分自身の保身の為だけに懸命になり過ぎて
周りの状況が見えなくなってしまう
政治家には国を統司する権利も、ましてや
国民の安全、安心を守る力量も持ちあわせて
いないとう事になりますかね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、政治は国家や国民の幸福を常に考えて行動しなければなりません。
現政権が取り組んでおります国家再生にも期待したいと思います。
外交と内政!
鹿児島のタク 「枢密院」の存在の立ち位置がよく分かりません。「元老」がスタッフでしょうが…歴史的には、中世で力を誇った「院政」に似ているとは、…言い過ぎでしょうか?
外交の「失敗」を、内政に影響させるのは、これまで私自身考えたことはなかった。ただ外交問題の「原因」は、「内政上」の問題であることが多いのは、もはや明らかだ。
今日もよい研修が出来ました。有り難うございました。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 枢密院はそもそも明治憲法草案の審議機関でしたが、その憲法によって天皇の最高諮問機関とされました。
政府の決定に威厳と重みをもたせる意味においても有効な機関であったと思われます。
仰るとおり、内政と外交は表裏一体です。
だからこそどちらも国を誤ってはならないのです。
度重(たびかさ)なる恐慌で銀行の休業や倒産が相次(あいつ)いだことや、政府が弱小(じゃくしょう)銀行や不良銀行の整理に着手(ちゃくしゅ)したことによって、いわゆる大銀行(だいぎんこう)に多くの預金が集中することになりました。三井(みつい)・三菱(みつびし)・安田(やすだ)・住友(すみとも)・第一(だいいち)のいわゆる五大銀行への預金は、昭和4(1929)年には全体の35%にまで達しています。
これらの大銀行は財閥(ざいばつ)との結びつきが強く、金融恐慌でも大きな打撃(だげき)を受けなかった財閥は経済界において大きな地位を占(し)めることとなり、やがて独占資本(どくせんしほん)を形成(けいせい)するようになりました。
なお、不況時における弱小銀行の整理や大銀行への統合は他の分野における企業(きぎょう)の集中をもたらし、日本の紡績業(ぼうせきぎょう)が第一次世界大戦後に中国の紡績工場を次々と建設するなど(これらは在華紡=ざいかぼう、と呼ばれました)、産業資本の輸出も促進(そくしん)されるようになりました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
大規模な金融改革。アベノミクスが発動されましたが、私はアメリカのレーガン大統領が同じような政策を行なってその後の経緯を詳しくは存じませんが、その方法をとるのが一番妥当だと判断した末の政策なのでしょうけれど、いきなりその思索を浴びせられて、円安の打撃をじわじわと味あわなければいけない国民は、しばしの間は苦労を強いられますね(T_T)
特にガソリンのじわじわ値上げは効きます。
それでも国民がその政党を信じ、首相に願いを託したのだから、それで知らんぷりせずに国民全体も良い方向へ迎えるような努力をしなければいけないでしょうね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、景気の本格的な回復には時間がかかるため、その間は苦労を強いられるのは確実ではあります。
現政権の政策が今後に希望の持てるものであることを信じるしかないのかもしれませんね。今までが今まででしたから…。
ユッセ はじめまして。
いつも拝読させて貰っています。
民主主義である以上、不況時の世論の動向に政治家は神経を使うのでしょう。そして時に過度のポピュリズムに陥るきっかけに、そしてガス抜きとしてのナショナリズムにつながることもあるのでしょう。
そんなことを昭和初期の大恐慌から感じることもあります。
次回も楽しみにしてます。
ユッセさんへ
黒田裕樹 はじめまして、当ブログへのご訪問並びにお言葉ありがとうございます。
仰るとおりの流れが政治の世界には確かに存在しますね。
大恐慌に関しては今回で一旦終了しますが、今後も歴史の流れをしっかりと見極めた更新を続けてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。