これらに対し、坪内逍遥(つぼうちしょうよう)が明治18(1885)年に「小説神髄(しょうせつしんずい)」を発表して、それまでの勧善懲悪(かんぜんちょうあく)主義を批判(ひはん)したほか、人情や世相(せそう)をありのままに描(えが)いた写実主義(しゃじつしゅぎ)を唱えました。
その後、二葉亭四迷(ふたばていしめい)がそれまでの文語体から口語体で文章表現を行った言文一致体(げんぶんいっちたい)で「浮雲(うきぐも)」を発表して知識人の内面を描き、坪内逍遥の提唱した写実主義に相応(ふさわ)しい文学作品となりました。
なお、坪内逍遥の他の有名な作品としては「当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)」があり、また二葉亭四迷はロシア文学の翻訳(ほんやく)も行っており、ツルゲーネフの「あひゞき」「めぐりあひ」が有名です。
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オバrev 李明博の全文を読みましたけど、許せない暴言というか、狂っているとしか思えませんね。
こんな狂人大統領には、絶対に日本の土を踏ませてはいけません。
これは民主党のだらしなさはもちろんですが、ここへ来て民主党の政治主導なんて誰も信じてませんし、むしろ官僚主導内閣であることを日本人はよく理解しています。
ならば外交において外務省官僚は一体何をしていたのか!全く税金の無駄遣いというか、職務怠慢と言われてもしかたないと思います。
何れにしても、この李明博の暴言を取り消さない限り、日韓の正常な国交はないと強く訴えるべきだと思います。
次期大統領が、まともな人であることを祈るばかりです(;O;)
ぴーち おはようございます!
余談で申し訳ありませんが・・・
二葉亭四迷のペンネームの由来を以前本で知り、
苦笑したことをまた思い出してしまいました(^^ゞ
父親と意見が対立し、父親に勘当された時に
父親が四迷に吐いたセリフが「お前なんて、くだばってしまえ!」という言葉だったそうで、その「くたばってしめえ!」を変化させて、二葉亭四迷にしたという事でしたが、やはり文才ある人は、シャレも上手く利かせますね^^
応援凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 私も日本国民として許容できる範囲をはるかに超えていると判断するとともに、多くの皆様に現実を知っていただきたい考えで掲載しております。
大統領にここまでの発言を許したこと自体、仰るとおり官僚の怠慢であるといえます。
次期大統領の件ですが、これまでの韓国の大統領には就任時における期待を必ずと言っていいほど裏切られていますからね。そうならないようにするためにも我が国の断固たる考えを示すべきかと思われます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 二葉亭四迷のペンネームの由来は確かに洒落ていますね(^^♪
物語の作者だけにいろんな発想があっても良いかと思われます。
硯友社を結成した作家とその作品では、尾崎紅葉(おざきこうよう)の「金色夜叉(こんじきやしゃ)」や、山田美妙(やまだびみょう)の「夏木立(なつこだち)」などが有名です。
その後、尾崎紅葉の弟子である泉鏡花(いずみきょうか)が「高野聖(こうやひじり)」などを発表し、幻想的(げんそうてき)な独特の世界を華麗(かれい)な文体で表現しました。
また、幸田露伴(こうだろはん)は「五重塔(ごじゅうのとう)」などの作品で理想主義的な作風を打ち立てました。なお、尾崎紅葉と幸田露伴の二人が主導的立場にあった明治20年代の近代文学史上の一時期を、今日では「紅露時代(こうろじだい)」といいます。
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ぴーち おはようございます!
明治時代の初期からこれだけの文化が花開いたということは、それ以前の江戸時代に長年続いてきた平和な時代で培われてきた文化の温存があったからこそなのかも知れませんね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かにそれはありますね。
文学の発展には識字率の高さが必須ですが、江戸時代の平和が安定した教育をもたらしたのは間違いありません。
鎖国のメリットの部分がこんなところにもあらわれているようです。
日清戦争の前後には、感情や個性を尊(たっと)ぶロマン主義の文学が次々と発表されました。例えば、森鴎外(もりおうがい)は「舞姫(まいひめ)」を発表したり、アンデルセンの「即興詩人(そっきょうしじん)」を翻訳(ほんやく)したりしました。
また、北村透谷(きたむらとうこく)が雑誌「文学界」を創刊したほか、我が国の現在の五千円札の肖像画(しょうぞうが)で有名な女流作家の樋口一葉(ひぐちいちよう)が「たけくらべ」や「にごりえ」を発表し、下町に住む女性の悲哀(ひあい)を描(えが)きました。
詩の分野では、従来の漢詩にかわって七五調などの文語定型詩である新体詩(しんたいし)が現れ、島崎藤村(しまざきとうそん)が「若菜集(わかなしゅう)」を刊行しました。
短歌の世界では、与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)夫妻らが雑誌「明星(みょうじょう)」を創刊し、明星派の短歌がロマン主義の中心となったほか、与謝野晶子の歌集「みだれ髪(がみ)」が、女性の奔放(ほんぽう)な情熱をうたったものとして有名になりました。
万葉調の和歌の復興を目指した正岡子規(まさおかしき)は、一方で俳句(はいく)の雑誌「ホトトギス」を創刊し、その門下からは高浜虚子(たかはまきょし)が出ました。また、短歌における門下からは伊藤左千夫(いとうさちお)が出て、明治41(1908)年に雑誌「アララギ」を創刊しました。
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晴雨堂ミカエル 彼は万葉集を否定的に扱った事でも有名です。長歌を歌でないとか、さんざんです。
私は万葉集が好きなので、正岡子規には些か恨みに思う。
明治は一種の国風暗黒時代です。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 正岡子規は万葉集を評価して古今集を否定していたと私は記憶していますが。
国語に関しては詳細ではありませんが、長歌を歌でないと彼が言ったという話も聞いたことがありません。
私の勉強不足かもしれませんが…。
ネットでざっと確認してみました。
晴雨堂ミカエル これは私のほうが誤りの可能性が高いですね。
古今集の長歌は端にも棒にもかからず、後世長歌を詠む者は直に万葉を帥とする、という趣旨の文を残しているようですから。
正岡子規万葉集否定説の情報源は高校時代の古文授業にて国語教師の解説からです。
30年も昔の話ですので、私自身の記憶が変質してしまっている可能性もあります。
ただ、長歌を歌ではないと正岡子規が批判し、当時の権威が否定的だったために万葉集への評価も下がった、とけっこう具体的な解説だったと記憶していますので、少なくとも正岡子規長歌否定説が授業で話されたことは間違いなく、責任転嫁ではありませんが教師が誤っていたと思います。
ぴーち おはようございます!
伊藤左千夫といえば、私は「野菊の墓」
が一番印象的ですねぇ・・
男性作家さんであるにも関わらず
女性の一途でひたむきな恋心をあれほどまでに
繊細に表現出来る事は、やはり彼も文学の天才という学術的な称号に十分に値する方だったのでしょうね。
応援凸
晴雨堂ミカエルさんへ その2
黒田裕樹 了解しました。
お話をお聞きする限り、教師の責任は重大ですね。
社会科教師としてだけでなく、歴史講座のブログを運営する身としても他山の石としたいと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 野菊の墓といえばアイドル全盛期の松田聖子主演の映画が話題になりましたね。
今回は短歌についての話でしたので紹介はできませんでしたが、仰るとおり文学の天才肌が編み出した名作だと思います。
当時の自然主義の作家としては、「牛肉と馬鈴薯(ばれいしょ)」の国木田独歩(くにきだどっぽ)・「蒲団(ふとん)」の田山花袋(たやまかたい)・「破戒(はかい)」の島崎藤村(しまざきとうそん)・「黴(かび)」の徳田秋声(とくだしゅうせい)などが挙げられます。
また、明星派の影響を受けていた石川啄木(いしかわたくぼく)が「一握(いちあく)の砂」を発表して、社会主義思想を盛り込んだ生活詩をうたいあげました。
一方、こうした自然主義の流れに対立するかたちで、夏目漱石(なつめそうせき)が「吾輩(わがはい)は猫である」などの作品を発表して、知識人の内面を国家や社会との関係で表現したほか、森鴎外が反自然主義的な思想小説を次々と発表しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
(※次回[9月9日]からは第31回歴史講座の内容の更新を開始します)





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オバrev 小説はろくに読んでない私ですが、知った名前ばかりです。文学的に見て明治時代は、まさに百花繚乱とも言える状況じゃないでしょうか。
なぜここまで様々な色の文学が出てきたのか、その時代的背景とかはあるんですかね?
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、今回の更新は国語の内容にも使えそうな有名どころばかりですね。
これらの背景には、以前に書いたかもしれませんが国民の識字率の高さがあると思います。
文字が読めなければそもそも小説や詩歌が分かりませんし、内容の理解もおぼつきませんからね。
もちろん識字率は明治になって急上昇したのではなく、江戸時代の寺子屋を中心とした地道な教育の賜物ですね。
ぴーち おはようございます!
この頃の文学というのは、やはりフランスやロシアからの影響を多大に受けていたというのは、意外な気がしました。日本独自の文化から生まれた文学だとばかり思っていました。
石川啄木などの短歌は、その時代の生活ばかりではなく、人ならば人生においてこういう時もあるだろうという思いに密着した悲哀を感じ、現代で言う所のサラリーマン川柳にも通じる
親近感があり、私は好きですねぇ・・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 当時の文学については外国の影響こそ受けていますが、その中から日本らしさも出しているような気がします。
このあたりは他の文化と同じような感じがしますね。
石川啄木には共感できる人が多いですね。
彼の人生も相当だったらしいですが(^^ゞ