紙幣が大量に流通するということは、紙幣の価値そのものを著(いちじる)しく下げるとともに、相対的に物価の騰貴(とうき、物価が値上がりすること)を招いたため、激(はげ)しいインフレーションをもたらしました。
物価の騰貴は国民生活に深刻(しんこく)な影響をもたらしただけでなく、定額の地租(ちそ)の金納に頼っていた、政府の歳入(さいにゅう、国の収入のこと)が実質的に減少してしまうという結果にもつながりました。
さらには、明治初年からの我が国の貿易において、「売るもの」、すなわち輸出品が乏(とぼ)しかったために、大幅(おおはば)な輸入超過が続いたことで、大量の金銀が外国に流出し、国内の正貨(せいか、一国の貨幣制度の基準となる貨幣のこと)の保有高(ほゆうだか)も底をつくなど、国家財政は危機的な状況にありました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
ちょうど、明治政府の財政については
不思議に感じていたことでした。
というのも、江戸時代の経済力の基本は、米です。
もちろん、他の特産物は、あったにしろ、
米の収穫に頼った経済基盤でした。
それが、明治維新になって、いろいろ、近代化を進めたり、
不平士族の反乱の戦費などを賄えるはずはない
と思っていました。
明治政府としては、経済基盤・財政基盤を創ることが急務ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
今までの財政では破たんするのが目に見えていましたからね。
だからこそ、ある人物による「正真正銘の痛みを伴う改革」が必要になってくるのです。
ぴーち おはようございます!
今年になってから聞いた話ですが、
日本には個人レベルでも金の保有数が多い事を聞きつけた中国とインドのバイヤーが
買い占めに掛かっているという事ですが、
この頃の背景とはまた違うでしょうけれど、
中国、インドの貪欲な動きに日本はこれから
どう太刀打ちして行かなければいけないのでしょうかね・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 個人資産は基本的に自由な取引が認められますが、相手が外国の場合は慎重さが求められますね。
今話題になっている尖閣諸島の帰属問題と同じことが言えるかどうかは分かりませんが、個人の利益と国益とを常に意識する必要はあると思います。
その後、明治14(1881)年に起きた明治十四年の政変によって、大隈が政府から追放されると、代わって大蔵卿に就任した松方正義(まつかたまさよし)が、政府の歳入を増やしながら同時に歳出(さいしゅつ、国の支出のこと)を抑え、保有する正貨を増やすことによって財政危機から脱出する政策に取り組みました。
松方は、酒造税(しゅぞうぜい)や煙草税(たばこぜい)を増税することで政府の歳入を増やした一方、歳出を抑えるために行政費を徹底的(てっていてき)に削減(さくげん)したほか、官営事業の民間への払い下げを推進しました。
また、余った歳入によって不換紙幣の処分を進め、市場(しじょう)における紙幣の価値を少しずつ高めたことによって、政府が明治15(1882)年に中央銀行として日本銀行(にっぽんぎんこう)を設立すると、明治18(1885)年には銀との交換、つまり兌換(だかん)が可能な兌換銀行券が発行され、さらに翌明治19(1886)年には、政府紙幣も銀貨との兌換が可能となり、本位貨を銀とする銀本位制(ぎんほんいせい)の貨幣制度が確立しました。
なお、明治16(1883)年に国立銀行条例が改正されたことで、国立銀行は銀行券の発行権を失って普通銀行に転換させられ、日本銀行が我が国唯一(ゆいいつ)の発券銀行となりました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち おはようございます!
江戸時代に十分育まれた日本人の美徳でもある
節約志向を優先した結果、今ある財政の中で切り詰められるもの、見直せるものを見極めて、やりくり上手な財政国家が成り立っていった訳ですね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
行き過ぎた経済政策を抑えるのは、やはり我が国古来の節約精神だったわけですね。
ただし、国家財政は立ち直ったとしても、その代償は大きいものがありました。
次回の更新で詳しく紹介しております。
しかし、政府による歳出を抑えた厳しい緊縮政策は、市場における紙幣の流出の減少をもたらし、物価が下落(げらく)してデフレーションとなったほか、増税による負担増も加わったため、全国的な不況(ふきょう)となってしまいました。
特に農村では、生産の中心となった米や生糸の価格の下落に加え、定額金納の地租の負担が増えたことで大きな打撃(だげき)を受け、所有していた農地を手放したことで自作農から小作農(こさくのう)へと転落したり、工場などで働く賃金労働者となったりした人々が増加した一方で、少数の大地主に農地が集中する傾向(けいこう)が見られるようになりました。
そして、松方財政がもたらしたとも言えるこれらの経済不況は、それまで熱を帯(お)びていた自由民権運動にも、結果として重大な影響をもたらすことになったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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晴雨堂ミカエル この時期は日本の酒文化受難の時代でもあります。
当時は工業が発達していないので、酒は日本の国庫を支える税源でした。
そのため、戦が起きるたびに酒税が上がり、多くの造り酒屋が滅びました。たとえば泉州では村や町ごとに造り酒屋があったものですが、現在その殆んどは無くなっています。
ビールも現在の麒麟・札幌・朝日の三大メーカーに淘汰されたのは日露戦争以後、それ以前は全国に100社ほどありました。
そういった流れに抵抗した政治家が、前述の植木枝盛です。
当時はともかくとして、今は酒税法の見直しをはかるべきですね。でないて酒文化は滅びます。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 明治時代の歳入における酒税の割合は4割を超えたこともありますからね。
植木枝盛は様々なところで活躍していますね。
ぴーち おはようございます!
なるほど、余りにも切り詰めた財政を行なってしまっては、国民の懐を圧迫してしまい、結果的に、国民からの反発はどんどん膨らんで来ると言うのは当然の成り行きでもありますよね。
特に一度でも裕福な生活を味わってしまった後の辛抱には、人間耐え難い事が多いですものね(*_*;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、長い目で見れば国家財政の危機を救ったのですが当時の人々にとってはたまったものではありませんでした。
ここまで講座の更新を続けて、果たして現状の財政難はどう解消すればよいのか?とふと思ってしまいました。
松方財政の真似をすれば、確かに財政赤字は減るかもしれませんが、大量の失業者が出て我が国が大パニックになるかもしれませんし…。