貿易の主な相手国はイギリスでした。我が国を開国させたアメリカは南北戦争(なんぼくせんそう)を抱(かか)えており、貿易どころではなかったからです。
貿易は大幅(おおはば)な輸出超過(ゆしゅつちょうか)となり、輸出品の中心となった生糸の生産量が追いつかず、国内で品不足となったことで物価を押し上げた一方で、外国製の安価な綿織物の大量輸入は、農村における綿作(めんさく)や綿織物業を圧迫することになりました。
幕府は物価高を口実に貿易を規制するため、1860年に雑穀(ざっこく)・水油(みずあぶら)・蝋(ろう)・呉服(ごふく)・生糸の5品を必ず江戸の問屋(といや)を経由して輸出するように命じた五品江戸廻送令(ごひんえどかいそうれい)を出しましたが、地方で輸出向けの商品を取り扱(あつか)っていた在郷商人(ざいごうしょうにん)や商取引の自由を主張する外国の反対で不成功に終わりました。
これらのことは、もし開国あるいは貿易に向けて何年も前から周到(しゅうとう)な準備を行っていれば発生しない問題でした。事態が起きてから対策を練(ね)るという、いわゆる後手に回ったことで対応に苦悩(くのう)していた幕府をさらに困らせたのが、我が国と外国との金銀の比価の違(ちが)いでした。




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オバrev 読めば読むほどに、今の状況と重ねて見えてしまいます。
今のお偉い官僚や政治家さんは当然周到な準備をしてTPPに望んでいるはずですよね・・・でもその痕跡はどうにも見えないのは何故(?o?)
野田総理も「ISD条項を詳しく知らないかった」なんて笑いをとるためのジョークですよね(*_*;
歴史は繰り返すのか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 いやいや、冗談に聞こえないところが心配ですよ(´・ω・`)
相手の都合にあわせる謙譲さは国内のみでしか通用しないという基本的な知識すら欠けているあたりが不安を増幅させますね…。
ぴーち こんにちは!
記事には関係ない質問で、失礼します(^_^;)
函館は、この当時は箱館と漢字が当てられて
いたんですね。
いつから函館という漢字に変換されたのでしょうか?
凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 函館となったのは少なくとも明治以降であることは間違いないようですが、諸説あるようですね。
地名というのは色々と変節があって、分からないことが多いようです。
しかし、幕府は自身の信用で一分銀4枚を小判1両と交換させていました。つまり実際の価値を度外視(どがいし)した名目貨幣(めいもくかへい)として一分銀を使用していたのですが、こうした「価格」と「価値」との違いが外国には理解されず、また幕府の外交技術や経済観念の乏(とぼ)しさもあって、アメリカ総領事のハリスが主張した「銀の価値による交換」が強引に行われることになってしまいました。
すなわち、メキシコドル4枚を日本で一分銀12枚という「価値」を基準に交換し、それを日本国内において金3両で両替(りょうがえ)すると、小判を海外に持ち帰ってメキシコドル12枚という「海外の金銀相場」で交換したのです。
日本を経由するだけで手持ちの資産が3倍になるという錬金術師(れんきんじゅつし)顔負けのカラクリによって、銀貨を日本に持ち込んで小判を安く手に入れる外国人が続出し、その結果として我が国の金貨が大量に海外に流出してしまいました。その被害は10万両以上ともいわれています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




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ぴーち こんにちは!
確かに日本に持ち込んだだけでお金が増えるとあらば、それを利用しない手はありませんよね(^_^;)
こうして伺っていると、昔から日本という国は
脇が甘い傾向が強かったというか、未だに外国から
経済問題などでは見下されている傾向が強いのですね(^_^;)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 数々の失政の中でも、国益の損失という意味でも特大ですね(´・ω・`)
経済で脇が甘いといえば、TPP問題も深刻ではないでしょうか…。
有名な話ですね。
晴雨堂ミカエル 昨年の大河ドラマで、久坂玄瑞が龍馬に講釈する場面でも紹介されていましたね。
幕府の外交音痴を示す事例で、歴史漫画やクイズ番組などでは、幕府の担当者が「我が国は昔から決まっている事である」の一点張りで、アメリカ側は「万国の常識をなんと心得る!」と脅されやむ無くのパターン。
「紙切れの紙幣が価値を持つのと同じ」と言い返してやりたいところですが、実際のところ幕府はどんな交渉をしたのでしょう? 交渉の記録は残っていないのでしょうか?
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 幕府は何度か外国と交渉しているようですが、最後にはハリスの強引さに押し切られているようですね。
大量の金貨流出への危機感を持っていなかったのかもしれません。
> 「紙切れの紙幣が価値を持つのと同じ」と言い返してやりたいところですが
荻原重秀のような有能な経済官僚がこの時代に存在していれば、と惜しまれますね。
経済の素人
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
幕府は、『徳川吉宗』以降、『田沼意次』を
のぞいて、経済のど素人状態が続いたようですね。
ある意味、財政改革に成功した雄藩(薩摩藩、長州藩、佐賀藩)のほうがよほど、経済に通じていたと思います。
ただ、今の日本の政権も経済に関しては、ど素人なので、不安を感じます。
青田さんへ
黒田裕樹 幕府は貨幣の独占発行権があったので、家斉の頃のように都合が悪くなれば貨幣を乱発して「その場しのぎ」をすることができました。その一方で雄藩にはそんな権利はありませんから嫌でも改革せざるを得なかったので、経済にも自然と通じるようになったのです。
現在の政府はデフレ時に増税をしようとする素人以下の経済音痴ですからね…。
経済の素人というより・・
晴雨堂ミカエル 横レス失礼します。
経済の素人というよりは、経済を蔑視する似非ヒューマニストですよ。
素人というだけなら、まだ失敗から学習してくれる可能性がありますが、似非ヒューマニストは失敗の自覚も無いし失敗の責任は自分には無く「エコノミスト」にあると思っていますから。
定信も忠邦も、「負けた」とは思ったかもしれませんが、「間違っていた」「失敗した」とは断固として思わない。
そんな輩が現代社会の至るところにいます。
利害の連鎖、すなわち経済は食物連鎖と同じ。それを考えないどころか、否定するのは社会を破壊するも同じ、しかし多くの似非ヒューマニストは自分の権益は否定しないものです。
晴雨堂ミカエルさんへ その2
黒田裕樹 なるほど、確かに「経済無知」よりも「経済蔑視」の傾向が強いですね。
失敗を反省しないところは悪質そのものです。
有難うございました。
貨幣の価値が下がれば物価が上昇するのは当たり前です。しかも、好景気時に貨幣における金の含有量(がんゆうりょう)を下げて文化を向上させたかつての元禄小判(げんろくこばん)とは違って、貿易による値上がりで景気が悪化していた時期に貨幣を改鋳(かいちゅう)しましたから、物価がますます上昇して悪質なインフレーションとなり、庶民の暮らしは大きな打撃を受けるようになってしまいました。
庶民の怒りは貿易に対する反感となり、貿易を行っていた商人や我が国に在留(ざいりゅう)する外国人が襲(おそ)われるようになりました。例えば1860年にはハリスの通訳でオランダ人のヒュースケンが江戸で暗殺されています。これら外国人に対する襲撃(しゅうげき)は、そのまま攘夷運動(じょういうんどう)の激化(げきか)につながりました。
また、世相(せそう)の不安は農村では百姓一揆(ひゃくしょういっき)の、都市では打ちこわしの多発を招(まね)き、これらに対応しきれない幕府の権威(けんい)はますます下がっていきました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




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ぴーち こんにちは!
この当時日本に来日していた外国人は
えらい、とばっちりを受けてしまったんですね(´・ω・`)
悪質なインフレーションが続くと、やはり生活していくために皆、必死になるものですが、現代の日本も同じような状態に陥らなければ良いのですが。。。
応援凸
そういえば
クラチー ひょっとして明日は、
田中久重さんの日?
はわわ~、頑張ってください!
埼玉から応援していますです!
(@○@;)
この頃の日本は、諸外国と感覚がズレていたんですよね。
鎖国なんかしているから騙されるんだよなぁ…と思うけど、
日本の独自文化が発展できたのは、一部、鎖国のおかげとも言えるし…。
うーん、やはり意志の弱さかなぁ。
(--;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かにとんでもないとばっちりですね。
でも、史実では外国人の犠牲者はこの後も増え続ける一方なのが何とも…。
不景気で食べられなくなると、飢えた人々が命がけで戦おうとします。
幕末の暴動は貨幣価値の違いにあったという事実は意外と知られていないですね。
現代においても、政策を間違えれば多くの人々が食えなくなって同じようなことが起こらないという保証はどこにもありません。
クラチーさんへ
黒田裕樹 そうです、いよいよ明日が講座ですよ。
下絵がしっかりしているから大丈夫でしょう(^^♪
鎖国にはメリットもデメリットもありますが、自主的に開国すればデメリットを補うことは不可能ではありません。
ありえない「祖法」にこだわり、開国を拒み続けたからこその大失態ですが、それだけの意志の強さを外国に全く見せられないところが何とも…(´・ω・`)