18世紀後半からイギリスで始まった産業革命(さんぎょうかくめい)は大規模(だいきぼ)な工業生産力や軍事力をもたらしましたが、その流れが他のヨーロッパ諸国やアメリカへと広がっていったことで、世界全体に大きな影響を与えることになりました。
なぜなら、国外の市場や原料の確保を目指して欧米諸国(おうべいしょこく)が競(きそ)って海外での植民地(しょくみんち)の獲得(かくとく)に乗り出したからです。欧米諸国による侵略(しんりゃく)の手はやがてアジアへと伸び、インドやビルマ(現在のミャンマー)はイギリスの、インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジアの地域)は大部分がフランスの植民地となりました。
19世紀の末までには日本や中国の清(しん)・朝鮮(ちょうせん)と東南アジアの緩衝地帯(かんしょうちたい)として独立が続いたシャム(現在のタイ)を除(のぞ)いて、ほとんどの国々が欧米の植民地となってしまったとともに、侵略を免(まぬが)れた国々も欧米による圧迫(あっぱく)に悩まされることになりました。
そんな中で、まずは清が欧米の犠牲(ぎせい)となってしまったのです。




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オバrev 江戸時代って、今の日本とよく似ているように思えてしかたがありません。
日本はもちろん自由主義の民主国家ですが、鎖国まがいの中国以上に共産国家的ながんじがらめの規制もあります(;・∀・)
そうこうしている間に世界は大きく変化していますが、おそらく今の官僚支配が続く限り独自で変化に対応するシステム作りはできないでしょう(´・ω・`)ガッカリ…
そういう意味で、黒船ならぬ外圧による構造改革しか変わりようがないんじゃないかと諦め気分?
現代版明治維新は、これからかもしれません。
ところでタイは何故欧米の支配を免れて独立を維持できたのは何故なんでしょうか(?o?)・・・以前も効いたかも??
オバrevさんへ
黒田裕樹 確かに似ていますね。戦前の規制がそのまま生きているあたりは社会主義を彷彿(ほうふつ)とさせますし、思想の統制も行われているような気が…。
明治維新のような大混乱は二度と経験したくないですが、我が国が生まれ変わるためには避けて通れないのでしょうか?
> ところでタイは何故欧米の支配を免れて独立を維持できたのは何故なんでしょうか(?o?)・・・
タイ(当時はシャム)の領地は、西はイギリス、東はフランスの植民地に挟(はさ)まれていました。このため、英仏の両国が無用な争いを避けるためにシャムをわざと独立させていたという説があります。
もちろん、シャムの巧みな外交もプラスに働いたと思われますが。
阿片戦争。
晴雨堂ミカエル 黒田氏は中国・香港合作の「阿片戦争」をご覧になりましたか?ビクトリア女王が若くて綺麗な女優さんが演じていた事だけ印象に残っています。
たしかに当時のビクトリア女王は若くて綺麗ですが、少し演出が軽かったかな。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 私は見たことがありませんが、中国寄りの戦争映画なのでしょうか。
フィクションの世界も大切ですが、現実のアヘン戦争はやり方がえげつないですからね…。
各国の政府が保証する紙幣(しへい)が流通する現代と異なって、当時は国家が保有する金銀の量がその信用となっていました。つまり、国家にとって金銀は身体における血液と同じであり、血液が不足すれば身体に大きな影響を与えるように、国内の銀不足はイギリスにとって深刻な問題となりました。
しかし、清に対して売るものがなければどうすることもできません。悩(なや)みぬいたイギリスは、やがて悪魔(あくま)のような手段を思いつき、それを実行に移したことで巨額の利益を生み出すことに成功しました。
その悪魔の手段こそが、植民地であるインドで生産された「アヘン」を清へ輸出することだったのです。




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晴雨堂ミカエル 映画「阿片戦争」は、当然自国のナショナリズムを鼓舞する内容です。
欧米人俳優たちは契約通りの演技をしている感じですね。内容には内心不満でしょう。
特に若き美貌のビクトリア女王自らが侵略の野望むき出しですから。
中国にしては控えめな描写だと思いますが、ハリウッドに毒されている邦画界の評論やマスコミは、「中国側の解釈」と「冷静」な反応でした。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 なるほど、そうでしたか。
程度にもよりますが、健全なナショナリズムはどの国も良くある話ですからね。
どこかの国のように他国に配慮してばかりよりは余程問題ないと思います。
アングロサクソン
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
私は
イギリスというのは、紳士の国のクリーンなイメージがありました。
しっかりと、立憲君主制で、議会もあったからです。
ただ、イギリスのアヘン戦争のやり方を観ると
ぞっとします。
イギリスは、第二次世界大戦で、一般市民しかいない文化都市であったドレスデンという都市に無差別爆撃をして、多くの市民を殺害しました。
余談ですが
太平洋戦争におけるアメリカ軍による
日本各地への都市への無差別大空襲、広島、長崎への市内への原爆投下は、どう考えても、悪魔の所業と思うので、アメリカも、近代的な民主主義を標榜していても、やることは、悪魔の所業ですね。
昔、本に書いていたことですが
『一見、紳士風、実は、ドラキュランがアングロサクソンの特徴。』とありました。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、帝国主義国家は通常は「何でもあり」です。
だからこそ、私たちは歴史を学んで「普通の国」の恐ろしさと、日本がなぜ各国から絶賛されたのかという真実を理解しなければいけません。
なおまゆ イギリスいえ英国は、見た目は紳士ですが過去のしてきた事は相当あくどいですよね。東インド会社の設立なんか、一見良さそうに見えるのですが中身は相当ひどい。敢えて白人といわせてもらいますが、彼らの所業は500年の時を経て尚、今も影響しているほど残酷なものでしたね。
日本は、有色人種として初めて彼らに対抗し、勝ち、そして、負けて、今は、・・・。
ただ、アジア諸国の独立に日本が果たした役割は大きかったと思います。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 まさしくそのとおりです。
我が国が世界史上で果たした役割は、イデオロギーを抜きにして冷静に語らなければいけませんね。
幕末に入ったばかりなのでまだまだ遥か先のことになりますが、いずれは紹介したいと思います。
アジアの視点
青田です。 黒田先生、なおまゆさん
こんばんは
青田です。
アジア諸国において、日本の果たした役割は
非常に大きかったんですね。
下記の動画を観て、今までの私の世界の中の
日本観が変わりました。
また、宜しければ、ご覧ください。
■日本に対する世界の評価 (賞讃)アジア諸国は親日だった
http://youtu.be/yxP3JKupCAY
その当時のアジアでは、白人の国に黄色人種が
戦って勝てるという発想自体、全く、なかったんですね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 日本人は島国で暮らしている分、どうしても「世界史における日本」という見方に欠けるところがあります。
そこが敵対勢力につけ狙われるところでもあるのですが。
私の歴史講座では、そんな視野にならないように心掛けているつもりです。
オバrev アフガニスタンは世界のケシ生産量の9割を占め、欧州での麻薬密売の根源になっているらしく、米軍はもちろん英・仏・独軍が展開していますが、昔は似たようなことをやってたんですね┐(´д`)┌
リーマン・ショックやら欧州危機やら、紙幣を刷りまくって金本位制にするだとか、全く世界が欧米の思惑で動いているというのは今も変わらないような気がします。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、欧米中心の世界観は基本的には変わっておりません。
だからこそ、同じ過ちや悲劇を繰り返さないように日本は歴史教育という名の「理論武装」をする必要があるのだと思います。
イギリスが持ち込んだインド産のアヘンはたちまち清に広がり、あっという間にイギリスの茶の輸入量を上回ったことで、輸出の不足分を銀で支払わざるを得ず、逆に清が国内の銀不足に悩まされるようになりました。
困った清はアヘンの輸入を禁止しましたが、アヘンの持つ常習性の悲しさか、イギリス商人によるアヘンの密輸(みつゆ)が続けられたので、業(ごう)を煮(に)やした清はイギリスに対してアヘン輸入の厳禁(げんきん)を宣言し、イギリス商人からアヘンを没収(ぼっしゅう)して大量に処分しました。
清からすれば自国の経済や国民の健康を守るためのやむを得ない処置(しょち)だったのですが、イギリスは清の行為を暴挙(ぼうきょ)とみなし、これを口実(こうじつ)にインドで編成(へんせい)した軍隊を送って清と戦争を始めました。
1840年に始まったこの戦争は、アヘン戦争と呼ばれています。




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オバrev 自国の利益のために、言いがかりをつけて攻めこむ事を是とする、というのはアングロサクソンの元々もっている習性なのか、今もやってることは結局変わらないように思います(;・∀・)
それは、歴史的な事や狩猟民族であることが影響してるんでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、基本的に変わってないですよね。狩猟民族の習性なのか、いずれにせよやり方が汚いです。
思えば、第二次大戦における我が国も同じような目にあっているような…。
薬物、ダメ絶対
クラチー あ、このころの中国は、
林則徐さんと道光帝さんですね。
ああ…その後の未来がわかっているため、
フォローの使用がない…。
…あっ!?このころの英国って、
確かヴィクトリア女王様じゃない!
ううう、誕生日が同じ人物の汚点…。
ますますフォローしようがない…。
(T。T)
クラチーさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、歴史上動かしようもない事実はどうしようもないですね…(´・ω・`)
だからこそ、私たちは正しい歴史から多くを学ばないといけません。
「狩猟民族の習性なのか、いずれにせよやり方が汚いです。」について
EgloffMeiko 黒田先生、こんにちは!
私は白人社会でくらし始めて来年で20年になります。先生に対して失礼なものいいですが(ごめんなさい!)「狩猟民族の習性」とは違うと思います。
白人の「悪知恵」には本当に感心してしまいます。そこで、私は考えました。
*人が頭を使う時はどういう時だろう。
困った時です。
ということは白人は困っていた。
白人は何に困っていたのだろうか。
毎日の食べ物に困っていた。
白人は貧乏だった。
*白人はなぜ色が白いのだろうか。
日照時間が少ないところに住んでいるから。
日照時間が少なくかつ寒いと、作物が育ちにくい。
かつ、西洋の土地はやせている。
食べ物に不自由していた。
どこからか、食べるものを持ってこなければならない。
頭を使って武器を作ろう!
*寒~い。
野宿をすれば、凍死する。
住居と暖房がないと死ぬ。
住居と暖房にはお金がかかる。
お金が無い。
どこからか、お金になるものを持ってこなければならない。
頭を使って武器を作ろう!
*生き延びるのは大変だ。
でも、良い暮らしはしたい。
でも、汗水たらして仕事をするのは嫌だ。
他民族(有色人種)に嫌な仕事をさせればいい。
頭を使って武器を作ろう!
*冬は暗い。北欧は白夜になる。
気持ちまで暗くなる。
よ~し!あの太陽をこっちに向かせてやろう。
自然を人間様がコントロールすればいいのだ。
人間は自然よりも偉大だ。
頭を使って自然を屈服させよう!
まあ、こんなことを私は考えたわけです。そのうちに、「白人奴隷」が存在したことを知りました。奴隷制度は白人が思いついた制度だと思っていましたが、その前に白人自身が奴隷だったんですね!
*「驕れる白人と闘うための日本近代史」
ドイツ語原著 松原久子(元スタンフォード大学 特別研究員 現在カリフォルニア州に在住)
田中敏 訳 2005年 出版
第9章 高潔な動機 「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出
ここに詳しく書かれています。
かつて白人は貧しかったわけです。そこで気が付いたことですが、、、
よく考えてみると、世界四大文明「インダス、メソポタミア、エジプト、黄河」はすべて有色人種から生まれています。文明を生むためには「余裕」が必要です。食べるのにやっとという状況では「文明、文化」どころではありません。
私たちは白人様は初めっから「お金持ち」というイメージを持っていますが、そうではなかったのですね。ということは、、、「産業革命」という時点で白人が満塁ホームランをぶっ飛ばして「逆転」を果たしたということでしょうか?白人様は大変困っていた(おなかを空かせていた)ので、頭を使ってホームランをぶっ飛ばしたわけです。
長文になってしまいました。お忙しいところ、ごめんなさい!
EgloffMeikoさんへ
黒田裕樹 なるほど、詳しいご教授有難うございます。
かつての関係が逆転したというわけですか。
だとすれば、再逆転まではできずとも(現在の国際関係が許さないでしょうし)、せめてイーブンには持っていきたいものですね。
この条約によって、清はイギリスに対して多額の賠償金(ばいしょうきん)を支払(しはら)ったほか、開港地を上海(しゃんはい)などの5港に増やして事実上の開国となり、香港(ほんこん)を割譲(かつじょう)したほか、付属の協定で領事裁判権(※注・りょうじさいばんけん)を認めさせられるなど、清にとって一方的に不利な内容となりました。
アヘン戦争で清が敗北したことは、それまで「東洋の大国」とされていた清が、欧米の資本主義と武力によって屈服(くっぷく)されられたことを意味しており、その後の東アジア全体の歴史に深刻な影響を与えることとなったのです。もちろん、我が国日本も例外ではありませんでした。
ちなみに、南京条約によって奪(うば)われた香港が中国に返還(へんかん)されるのは、約150年後の1997年のことです。
※注:領事裁判権とは…別名を治外法権(ちがいほうけん)。外国人が在留(ざいりゅう)する現地の国民に危害(きがい)を加えた場合に、その外国の領事(りょうじ)が自国の法によって裁判をする権利のこと。A国とB国のうち、A国のみが領事裁判権を認められた場合、A国の国民がB国で罪を犯(おか)してもA国で裁判が行われたのに対して、B国の国民がA国で罪を犯せば現地のA国によって裁判が行われるため、著(いちじる)しく不利となった。
ところで、私のリンク先であるうにた先生のブログ「ボヤytalday」で当ブログが紹介されました。うにた先生、有難うございます!




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ボス。 うにた先生のところ(ブログ)では、
先生の笑顔がバッチリですよ~


ボス。さんへ
黒田裕樹 ご覧いただけましたか(^^ゞ
昨日(6日)は楽しかったですよ。
こういう機会は何度でも良いですね(^^♪
今の段階でイギリス船が我が国に来航(らいこう)した場合、もし打ち払うような行動に出てしまえば、イギリスに対してみすみす攻撃のきっかけを与えてしまうことになってしまいます。あわてた幕府は、南京条約が結ばれた年と同じ1842年に天保の薪水給与令(てんぽうのしんすいきゅうよれい)を出しました。
これは、我が国を訪問した外国船に対して食糧や燃料を与えて速(すみ)やかに退去(たいきょ)してもらうというものでしたが、確かにこの法令によって外国との無意味な衝突(しょうとつ)は避(さ)けられたものの、そんな小手先(こてさき)な方法を採(と)るよりも、我が国が自主的に開国すれば何の問題もないはずでした。
我が国と同じく厳しい制限貿易を行っていた清は、アヘン戦争でイギリスに敗れたことで無理やり開国させられただけでなく、不平等な条約を強引に結ばされるなど散々(さんざん)な目にあっていました。我が国が清と同じような運命とならないためには、かつて田沼意次(たぬまおきつぐ)が目指したように自主的に開国して積極的に外国と交易する必要があったはずなのです。
しかし、それは無理な話でした。なぜなら、幕府は鎖国が祖法(そほう、先祖の代から守るべきしきたりのこと)であると固く信じていたからです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




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晴雨堂ミカエル 日常でもよくありますね。本来の目的を忘れて、手段を講じることが目的化してしまう。
征夷大将軍という国防軍最高司令官を戴く幕府という国軍司令部の真価が試される時がくるとは、幕閣たちは全く想像しなかったでしょう。
民主も自民も、保安院も東電も、みな同じです。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
目的と手段が逆転してそれが当たり前になっってから従来の目的を果たす時が来るとは何という皮肉でしょうか。
もちろん今とて例外ではありませんよね。
詳しくは次回(9日)以降に検証したいと思います。
なおまゆ TPP参加の是非が今、最も熱い議論です。
TPPが不平等条約に見えるのは私だけでしょうか?野田総理は井伊直弼の再来?
幕末の状況と現在がダブって見えます。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 確かにそうですね。
参加するべきなのかどうか、メリットもデメリットも知らされないままに突っ走ろうとする。
いずれ大きな騒動になるような気もします。
わろ お久しぶりです。
私も、TPPを思い浮かべてしまいました><
幕末は、鎖国を続ければ清同様に不平等条約以上の災難を列強に強いられそうな気がします。
そう考えるとTPPも参加しないと、アメリカ様に思わぬ所で外圧を加えられのではとも思います。
今も昔も、力を持っている国が有利な交渉を行えますし、最良な答えを導くのは難しと思います。
っと、若干歴史からずれたコメントで申し訳なす><
わろさんへ
黒田裕樹 TPPは難しい問題ですね。
参加不参加をなし崩しで決めてしまうと、それこそ(ネタバレになりますが)何も知らないで気が付けば不平等条約を結ばされるような事態にもなりかねません。
急いで参加をするのでなく、国内における慎重な議論が求められるかもしれませんね。
> っと、若干歴史からずれたコメントで申し訳なす><
これは今の重要な問題ですし、大丈夫ですよ(^^♪
外交能力
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
今こそ、日本に有能な外交能力が必要な時ですね。
これだけ、世界の状況が複雑化して、パワーバランスが変化している状況で、日本が生き抜くには
外交能力がどうしても不可欠になってきます。
たとえば、
◆ 聖徳太子・・大国隋と対等外交を成立させた。
◆ 陸奥宗光・・・不平等条約の改正に成功。
◆ 小村寿太郎・・・ポーツマス条約で、孤軍奮闘。
こういった先人達のような外交能力のある人間が
今の日本で、出現するというのは、難しい話ですかね。
青田さんへ
黒田裕樹 出現しようにも、肝心の教育に問題があるような気がしますね。
とはいえ、何とかしなければいけないと思います。
考えてみれば
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
考えてみれば、今の民主党の前の主要閣僚は
管直人氏、仙谷由人氏と学生運動をしていた
人間が総理大臣、官房長官でした。
戦後、教育を受けた人間が政府の中枢に入るようになるというのは、やはり、時代の流れなんでしょうか。
高度成長時代は、松下幸之助、本田宗一郎氏のように戦前の教育を受けた人間で、戦後、生き残った人間が、少しでも復興をしようと頑張ってきたように思います。
私は、明治時代の考え方として
『和魂洋才』=(心は日本人、技術・知識は西洋から、学ぶ。)が好きです。
青田さんへ その2
黒田裕樹 時代が流れている何よりの証拠ですね。
良いことは良いこと、悪いことは悪いことの流れが後になってしっかりと来ています。
それだけに間違ってはいけないんですよね。
「和魂洋才」は日本人ならではの卓越した発想だと思います。
イスパニアやポルトガルによる侵略から免(まぬが)れるため、我が国は侵略の手先となっていたカトリックを禁止するとともに、我が国との交易をオランダや中国、あるいは朝鮮や琉球(りゅうきゅう)などのごく一部にしか許さないといった厳しい制限貿易を行い、その状態がまるで国を閉ざしたように見えたことから、19世紀初めまでに鎖国と呼ばれるようになったのです。
ところが、我が国が侵略を受けないためのやむを得ない対応であった制限貿易が、いつのまにか「鎖国」として定着し、幕府の創設者である徳川家康が積極的に諸外国と貿易をしようと考えていたという事実すら忘れ去られて、鎖国が幕府成立以来の「祖法」であるという有り得ない思い込みが当然となり、ついには絶対化してしまいました。
つまり、我が国において鎖国はそれ自体が目的だったのではなく、なしくずし的に「そうなってしまった」だけだったのですが、一旦(いったん)「祖法」として「絶対化」してしまったことで、変更しようにも大きな抵抗を伴(ともな)うようになってしまい、そのことが我が国に大きな悲劇(ひげき)をもたらしてしまうことになるのです。




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ろっぽん 質問・・・祖法とは、仮の法律という意味ですか
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 > 質問・・・祖法とは、仮の法律という意味ですか
祖法とは「先祖の代から守るべきしきたり」のことです。
もちろん鎖国にそんな決まりはあるはずがありません。無茶な思い込みですね。
我家にも祖法があります。
晴雨堂ミカエル 「祖法」という言葉は便利ですね。気分的に責任を負わなくていいし、気分的に決断しなくていい。決断や責任は祖先がやってくれます。
我家にも「祖法」があります。たぶん百年くらい前だと思いますが、連帯保証人がらみで田畑の大半と母屋を失いました。そのため、たとえ相手が身内でも連帯保証人にはなるな、を子々孫々への家訓に定めました。
おかげで断る精神的負担が軽減されました。
「祖法」にこだわる精神状態とは、決断力や責任能力が減退しているんでしょう。
オバrev まさか成り行きで始まった鎖国が、祖法となって定着したとは・・・歴史って、そ、そんなもんなんですかねエエェェ(´д`)ェェエエ
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、祖法に頼ることで決断を自己のせいにしなくなり、責任は軽減されますね。
それで良いこともありますが、我が国にかかわる事態を同じように考えては、やはり問題があるといえるのではないでしょうか。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > まさか成り行きで始まった鎖国が、祖法となって定着したとは・・・歴史って、そ、そんなもんなんですかねエエェェ(´д`)ェェエエ
そんなものなんですよ、この場合は…(´・ω・`)
目的を忘れると、人間は適当になってしまうんですよね。
みんな
ろっぽん 意外と日本って祖法が多いじゃないですか
はりまのめいけいじに書きましたが
御中元とは7月半ばに行われる中元の施餓鬼会(せがきえ)の布施のなごりだそうですね
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 確かにそうですね。
日本人にとってはなじみ深いものかもしれませんが、世界に通用するかどうかとなると話が別になりそうですね。
今を考えてしまいます
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
『この鎖国を祖法と考えてしまったこと。』と
『戦後の憲法は、変えてはいけない。』と思い込んで、50年間も憲法を全く、変えようとしてないことと似ている気がします。
やはり、一度、鉄の掟のようになってしまったものを変えるは、黒船来航のような驚天動地が起きないと世論・政府も本腰を入れないのでしょうね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、祖法を憲法と置き換えればそのままそっくりになりますね。
もっとも、明治憲法も同じように改正しなかったのが我が国ですが。
GHQの改正命令に対して、当初は「改正の必要なし」とまで考えていましたからね。
オランダは欧米諸国の中で唯一(ゆいいつ)我が国と貿易を行っていましたが、そのオランダが我が国に開国を勧告するということは、自国の貿易の独占を失うことにもつながっていました。にもかかわらず開国を勧告した理由としては、仮に我が国が自主的に開国を行った後も、オランダとの縁(えにし)を忘れずに貿易上の友好な関係を続けてほしい、という思惑(おもわく)があったのかもしれません。
オランダによる開国勧告の内容として注目すべきことは、開国を勧(すす)める理由として世界で蒸気船(じょうきせん)が製造されたことを挙(あ)げていることでした。蒸気船は1807年にアメリカのフルトンが発明しましたが、このことが世界の歴史を、特に我が国の運命を大きく変えてしまったのです。
その理由は我が国が「海で囲(かこ)まれている島国」だからですが、なぜかお分かりでしょうか?




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ろっぽん ポットキャストのオンザウェーイジャーナルで
関西大学教授かな講師かどっちかは忘れたのですが、寺島実郎という方が言っていたのですが
イギリスやアイルランドのピューリタンがアメリカに渡航する前にオランダに居たそうでそういう関係でアメリカの意向もだいぶあるそうですね
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 なるほど、オランダの思惑にはアメリカも加担しているということですか。
有難うございます。
大量の船を作ろうと思えば莫大(ばくだい)な資本が必要ですし、それだけの大きなエネルギーを使い果たしてまで我が国を攻めようにも、失敗した場合のリスクの大きさを考えれば二の足を踏(ふ)んでしまうのが当然というものでしょう。
かくして、我が国は元寇(げんこう)などの一部の例外を除いて外国からの侵略を受けることがなく、特に江戸時代の初期に鎖国になってからは平和な状態が続き、いつしか我が国における防衛力(ぼうえいりょく)も低下していきました。
実は、蒸気船の発明はこうした「天然の防壁」を簡単に打ち破るものだったのです。なぜでしょうか?




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オバrev それまでは、風まかせの帆船でしたが、自力の動力を持った蒸気船は、今で言えば小さな漁船しかなかったところへ原子力空母がやってきたみたいな感じでしょうか^_^;
それにしても、イノベーションによってそれまでの常識は見事に覆されることは歴史そのもののような気もします。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、イノベーションによる見事なまでの常識の転換ですね。
こうした流れに気付かない時点で、幕府の政治を行う使命が失われたも同然と言えるでしょう。
丈夫な船を造(つく)ろうと思えば、固い金属である鉄を使えばよいのですが、鉄は重すぎて沈(しず)んでしまいます。しかし蒸気船が発明されたことで、蒸気機関によって鉄製の船を浮(う)かび上がらせることが可能になったほか、船に多数の人間や大砲(たいほう)などの銃器(じゅうき)を積み込むことも出来るようになりました。
もし海上から大砲や鉄砲などで対岸の陸地を狙(ねら)い撃(う)ちすることが出来るようになれば、海で囲まれている我が国にとっては、日本列島のどこからでも狙われるということにならないでしょうか。
つまり、蒸気船の発明によって我が国は「天然の防壁」どころか「どこからでも狙われる大変危険な国」になってしまったのです。
オランダも蒸気船の脅威(きょうい)が分かっていたからこそ、別の思惑があるとは考えられるものの、我が国に対して親切にも開国を勧告してきたのですが、そんなオランダに対して老中の阿部正弘(あべまさひろ)は、世界情勢の認識の乏(とぼ)しさもあって勧告を無視してしまいました。
「鎖国は幕府の祖法であって変えることはできない」。有り得ないことを当然のものとする、こうした頭でっかちで凝(こ)り固まった思想が、我が国最大の危機(きき)と幕府崩壊(ほうかい)への序章(じょしょう)になったのです。




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青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
やはり、産業革命が、アジア、それに日本に与えた影響は、あまりにも、大きかったですね。
世界のパワーバランスを決めてしまった気がします。
冷静に考えたら、島国の日本に海軍という発想が
ないこと状態で、黒船が来たら、最大の危機になるのは、当然と言えば、当然です。
産業革命の本質。
晴雨堂ミカエル 蒸気船も含め、全ては産業革命と市民革命の本質でしょう。蒸気船や機関車は産業革命の象徴、市民革命は国民皆兵システムを確立し常備軍の強大化と速やかな動員が可能。世界征服のために機能したといっても過言ではありません。
ところで水戸の烈公はオランダの新聞などを取り寄せ欧米の事情をある程度把握していました。また老中たちに上座から意見できる立場です。
この時点で既に水戸と幕閣とはかなり緊張状態と思いますが、如何でしょう?
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、産業革命が我が国に、いや世界に与えた影響は大きいですね。
設立当初はむしろ正反対であったのが、平和に慣れて海軍の発想がなくなってしまう。
幕府のこうした姿勢では、国を護ることができないのはむしろ当然でしょう。
こうした問題は、決して過去の話だけではないはずです。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 確かに産業革命は世界征服の資質を備えていた一面が存在しますね。
水戸藩ですが、緊張状態であったと同時に、幕府全体が開国派となることの「障害」になったといえますね。
ところが、その水戸藩が徳川氏の滅亡を回避することができるのですから、歴史というのは不思議です。
島嶼国家の弱み
EgloffMeiko 黒田先生、こんにちは!
「天然の防壁」を持つ我が国(島嶼(とうしょ)国家)の弱みは、一旦敵の侵入を許すと逃げ場が無いことです。
私はイラク戦争の時に、国境の方へ歩いて逃げるイラク国民を見てハッとしました。日本は自分の足で国境を超えて隣国へ逃げることができない!背筋が冷たくなりました。
「鎖国政策」はこのような特別な事情からも来ているのではないでしょうか?
EgloffMeikoさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、確かに鎖国には鎖国なりの事情があると思います。
ただ、世界事情の変化に気が付かずに、結局墓穴を掘るかたちで国益を著しく損なうところが問題ではないかと考えられます。もちろん、現代とて例外ではありませんが…。
オバrev こりゃまさに、現代版原子力空母ですね。
東北震災の時に駆けつけえくれた米国空母ドナルド・レーガンは、全長332m、排水量10万トン、搭載機90機という、1隻でその辺の国の海軍を上回るくらいの戦闘力ですからね。
天然の防壁は当時からだんだん薄くなり、今や薄いレースのカーテン1枚くらいの感じでしょうか^_^;
オバrevさんへ
黒田裕樹 > こりゃまさに、現代版原子力空母ですね。
> 天然の防壁は当時からだんだん薄くなり、今や薄いレースのカーテン1枚くらいの感じでしょうか^_^;
私も同意見です。
自国の防衛を考えれば、防壁代わりに自前の原子力空母を持つのが当然という発想があっても良いはずなのですが…。