城下町は将軍や大名の城郭(じょうかく)を中心として、政治や軍事の諸施設や家臣団・足軽の屋敷が置かれた武家地(ぶけち)や、有力寺院や神社が集められた寺社地(じしゃち)と町人が住む町人地(ちょうにんち)に区分されました。
町人には町内に町屋敷(まちやしき)を持ち、町の自治に参加する権利を持つ地主(じぬし)や家持(いえもち)と、その資格がない地借(じがり)や店借(たながり)がいました。なお、地借は宅地を借りて家屋を自分で建てており、家屋ごともしくはその一部を借りるのを店借と呼びました。
町人は町奉行の支配を受け、その下で町年寄(まちどしより)や町名主(まちなぬし)と呼ばれる町役人が町法(ちょうほう、別名を町掟=ちょうおきて)に基づいて町政を運営しました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
確かに今は何かにつけて、東京、東京と
言われていますが、これからはもっと地方都市にも主導権が移行すればいいなと思いますね。
新幹線などの交通手段も発達して、益々
日本全体の移動時間も短縮して来ている事ですしね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
一極集中は明治以降であり、江戸時代には機能が分散されていたことは盲点になっています。
アメリカと同じように首都機能を分けておかないと、今回の震災のように困った事態になると思います。
なんで
ろっぽん なんで徳川幕府は江戸なんですかね
神奈川でもよい気がします
日米不平等条約後の港になったのは、横浜でその後も考案都市になった
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 徳川家康が豊臣秀吉から強制的に関東へ移住させられた際に「城は江戸に築きたまえ」というアドバイスを受けたという話を聞いたことがあります。
当時の江戸は小山が多い土地だったのですが、それを削って余った土砂で近海を埋め立てて、広大な平野を人工的につくったことで江戸は発展したようですね。
江戸
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
そうなんですよね。江戸は、元々、湿地帯で
人工的に大都市にしたんです。
江戸を大都市に変貌させた徳川家康の都市整備能力にも驚愕させられますが、
同時に昔から、江戸は、地震、火事に脆い都市でした。
この歴史の事実を知っているので、
東京に行く時、あのビルの林を観るとぞっとします。
本当に日本人は、歴史から、学んでいるのかと。。
青田さんへ
黒田裕樹 家康によって関東平野が広がり、大都市に発展する機能を備えた江戸→東京。
日本全国が地震の巣ではありますが、人工都市のもろさは、仰るとおり人一倍かもしれませんね。
大阪
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
質問があります。
私の知るかぎり、大阪で、歴史的に大きな地震は
なかったと思うのですが、いかがでしょうか。
さらに
大阪は、台風も、大阪に上陸するころには小さくなり、
台風被害も少なかったきがします。
しかも、今の大阪ですが
・人間を買うなら、松茶町
・家電を買うなら、日本橋
というふうに物を買ううえで、便利な街になっています。
大阪から、東京に本社を移す会社が多いですが、
京都、神戸、名古屋、四国にたいしてのアクセスの良さを考えると、
江戸時代になっても、経済の中心は、大阪になるのも頷けますね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 1596年の慶長伏見地震では、京都の他に堺にも多数の死者が出ているらしいですし、記憶に新しい平成7年の阪神・淡路大震災でも大阪の震度は大きかったですから、一概には言えないかもしれません。
台風では戦前の室戸台風、戦後の伊勢湾台風で大阪でも大きな被害が出ています。
ただし、大阪城や現在の大阪府庁舎は地盤の固い上町台地に建てられていますから、先人の知恵は生かされているようですね。
先述した秀吉による兵農分離(へいのうぶんり)の政策は家康によってさらに進められ、士農工商(しのうこうしょう)と呼ばれた身分制度が確立しました。
支配身分たる武士は行政や治安の責任を負う一方で、苗字(みょうじ)と帯刀(たいとう)が許されるなどの特権を持っていました。なお、武士の特権として有名な切捨御免(きりすてごめん)ですが、もし無礼打(ぶれいう)ちをした場合には奉行所などで厳しく取り調べを受け、武士側に少しでも問題があれば切腹させられることから、実際には滅多(めった)に起こりませんでした。
被支配身分としては農民や職人・商人があり、これら以外の身分としては公家(くげ)や僧侶(そうりょ)・神官(しんかん)がありました。なお、士農工商のいわゆる四民とは別に、皮革(ひかく)の加工などを行った穢多(えた)や、受刑者に関する業務を行った非人(ひにん)と呼ばれる賤民(せんみん)の身分がありました。
この他、江戸時代の社会を支えた生活共同体として家制度(いえせいど)があり、家族は家長(かちょう)を中心に団結して協力した一方で、長男が単独相続することが普通でした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ろっぽん 被差別部落は現代でも関西では根強く
飲み屋で郵政の部落の活動家と議論したことがありましたが、
東北大の日本史の教授が言ってましたが
東北では被差別部落はなかった
イヤあるないでケンケンガクガクやったのですが
関西人特に高齢者の方の
部落、在日、東北の蝦夷、北海道のアイヌに対する差別意識は根強く
ホテルマンのとき近畿日本ツーリストの客にこういうことを言われました。「東北は200年遅れてる」とまぁ客なので「そうですか」とうけながしましたが。
まり姫 黒田さんこんにちは☆
明日から留守にしますので3日ほどはお邪魔できません。
帰ってからまたお邪魔させていただきますネσ(゚ー^*)
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 確かに関西ではまだ根強い印象がありますね。
学校においても人権教育は必須ですし。
東北等に対する発言は、関西人としても残念に思います。
自らが優先している、あるいは特権階級と考える発想は、根底に差別意識が存在している証左でもありますからね。
まり姫さんへ
黒田裕樹 了解いたしました。
ブログ上での再会を楽しみにしております(^^♪
ぴーち こんばんは!
映画・ドラマなどではよく「切り捨て御免」というフレーズを耳にしますが、やはり人を殺めた事に対する罪には代わりは無かったのですね。
確かによく考えてみれば、武士が人をむやみに切り捨てて良いという
法はあってはならないですものね(^^ゞ
応援凸
もし、江戸時代の侍が現代にタイムスリップしたら・・。
晴雨堂ミカエル たぶん時代劇を観たら、あまりにも人が斬り殺されるのでビックリするでしょう。
日本の刑事モノやサスペンス劇場などを観てきた中国人が日本に観光に来て日本人の礼儀正しさやホスピタリティに触れて驚くのと同じでしょう。
なにしろ、日本の刑事モノはよく人が殺されますし、中国のテレビで放送される日帝モノでは傲慢不遜で狡猾な日本人しか出てきませんから。
たしか忠臣蔵で有名な元浜奉行不破数右衛門は、家の下男を斬った事で奉行職を解任され、藩にも居れなくなって出奔したとか。
「時代劇」の人権感覚なら、奉行職解任までいかないでしょう。
時間や場所から離れるにつれてデフォルメは激しくなりますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 映画・ドラマなどではよく「切り捨て御免」というフレーズを耳にしますが、やはり人を殺めた事に対する罪には代わりは無かったのですね。
> 確かによく考えてみれば、武士が人をむやみに切り捨てて良いという
> 法はあってはならないですものね(^^ゞ
仰るとおり、江戸時代の侍はむやみやたらに他人を切り捨てていません。
もっとも、幕末の混乱期には血なまぐさい時間が多いので、そのイメージに引きずられているのかもしれませんが…。
娯楽時代劇は功罪の両面がありそうですね。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 確かにデフォルメが極端ですね。
刑事ドラマで殺される人数は、おそらく1クールで年間の殺人事件を上回るのではないでしょうか。
同じ警察署管内での事件としてはあまりにも多すぎます。
不破数右衛門の話にしても、人ひとりを斬っただけで藩を追われるのですから、実際の赤穂事件で吉良家側に16人の死者が出たらしいですが、戦国時代が遠い昔となった時代背景を考えれば、それだけの人数でも十分に大事件だったでしょう。
…映画やテレビドラマでは100人以上切られている印象がありますが(^^ゞ
オバrev なるほど~、斬り捨て御免の真実が分かりましたよ。
江戸時代は、徳川幕府による独裁政権だと思いますが、身分制度以外は意外に民主的だったんですかね?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど~、斬り捨て御免の真実が分かりましたよ。
そういうことなんですよ(^^♪
江戸時代といっても、戦国の遺風が残っていた初期はともかく、綱吉以降はそう簡単に人殺しができなくなった時代でした。
> 江戸時代は、徳川幕府による独裁政権だと思いますが、身分制度以外は意外に民主的だったんですかね?
私はそう考えています。
独裁政権=非民主的、とは限らないですからね。民主的な選挙で選ばれても、独裁政権は誕生し得ることはヒトラーのように歴史が証明しています。そして現在も…。