寺院に対しては、その宗派ごとに寺院法度(じいんはっと)を発令し、本山(ほんざん)や本寺(ほんじ)の地位を保障するとともにその下に末寺(まつじ)を組織して、全体に対して厳しく統制しました。これを本末制度(ほんまつせいど)といいます。
その後、第4代将軍の徳川家綱(とくがわいえつな)の頃の1665年には、宗派に関係なく寺院や僧侶全体を共通に統制するために諸宗寺院法度(しょしゅうじんはっと)を出し、同年には神社や神職(しんしょく)に対しても同じように統制するために諸社禰宜神主法度(しょしゃねぎかんぬしはっと)を発令しています。
なお、先述のとおり江戸幕府の設立の以前から、キリスト教(カトリック)に対する弾圧(だんあつ)が厳しくなっていました。その詳細(しょうさい)はいずれ後述しますが、幕府はカトリックの禁止を確実なものとするために、1664年に寺請制度(てらうけせいど)を設けました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今でこそ政教分離が謳われていますが
この当時は、完全に宗教は国の支配下に
置かれていたんですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今でこそ政教分離が謳われていますが
> この当時は、完全に宗教は国の支配下に
> 置かれていたんですね。
この当時はキリシタン(カトリック)を排除するという大きな目的がありましたからね。
ところが、この目的を達成する過程で、皮肉にも「政教分離」の本質が達成されてしまうという逆説を生んでしまうのが歴史の面白いところです。
これからの更新を引き続きお楽しみ下さい!
- 今日は、イギリス王室のロイヤルウェディングにフィギュアスケート女子SP、そしてカープが同じ時間に重なってしまい、バタバタしています(^_^;)
しかし、ヨーロッパでも王制が残っている国はそんなに多く無いそうですがし、このイギリス王室の権威はやはり特別な感じがします。
日本も今でこそそういう階級制はほとんどなくなっているように思いますが、当時はやはり皇族や摂関家というのは特別だったんでしょうか。
日本の天皇制は、時代がどう変わっても日本人の心の拠り所であり宝として存続して欲しいと思っています。
名無し(?)さんへ
黒田裕樹 ホスト先から見てほぼ間違いなく常連の方だと思いますが、万が一のために名前は伏せておきます(^^ゞ
イギリスの王朝も特別な存在ですからね。ただ、我が国と決定的に違うところは男系の血が何度か断絶していることでしょうか。その重みを知っていられるからこそ、エリザベス女王陛下は昭和天皇がお越しになられた際に上座をお譲りされておられますし。
仰るとおり、皇室の血筋は我が国にとって何物にも替え難い重要なものです。歴史の勉強を重ねるたびに、私たち日本人が日本人として暮らしていけることの有難みを感じますね。そんな今日は「昭和の日」でした。
寺請制度によって、全国民が在住する周辺の寺院の檀家(だんか)として、寺院への参詣(さんけい)や父祖(ふそ)の法要(ほうよう)、あるいは付け届けを義務付けられ、これらに応じなければキリシタンとみなされるようになってしまいました。
檀家として登録された国民は原則として離脱(りだつ)を許されず、また婚姻(こんいん)や転居(てんきょ)の際には、所属する檀那寺(だんなでら)の証明書である寺請証文(てらうけしょうもん)が必要とされました。このように全国民が信仰する宗教を幕府が把握(はあく)することによって、カトリックの禁止を徹底させたのです。
なお、この頃までにカトリック以外にも幕府によって禁止とされた宗教があることを皆さんはご存知でしょうか。
それは日蓮宗(にちれんしゅう)の不受不施派(ふじゅふせは)です。




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ぴーち こんばんは!
キリスト教は外来という事で
納得出来ますが、日蓮宗は仏教であるので
幕府から禁止される原因は何処にあったのでしょうか。
お体のお加減はいかがですか?
どうぞご自愛くださいね^^
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > キリスト教は外来という事で
> 納得出来ますが、日蓮宗は仏教であるので
> 幕府から禁止される原因は何処にあったのでしょうか。
確かに不思議に思えますね。
ヒントを挙げるとすれば、日蓮宗の多宗派とは全く異なる性格でしょうか。
それを突き詰めていくと…。
> お体のお加減はいかがですか?
> どうぞご自愛くださいね^^
有難うございます。
はやく全快といきたいですね。
オバrev 昨日はHNなしのコメントを送ってしまい、失礼しました(*_*;
寺請制度って、結果的に現在の住民基本台帳を当時から作っていたことになっていたんじゃないでしょうか。
それまでは、住民の情報を正確に把握できていたんですかね、どうなるんでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 昨日はHNなしのコメントを送ってしまい、失礼しました(*_*;
いえいえ、どうぞお構いなく。
おそらくはそうでないかと思っておりました。
> 寺請制度って、結果的に現在の住民基本台帳を当時から作っていたことになっていたんじゃないでしょうか。
> それまでは、住民の情報を正確に把握できていたんですかね、どうなるんでしょうか?
仰るとおりの流れですね。当初は住民の信仰調査が目的だったのですが、いつの間にか戸籍や現在でいうところの住民調査の性格を持つようになってしまいました。それまではこれだけの大規模なものはなかったと思われます。
では逆に、他の宗派の人間からの施しがあった場合はどうすればよいのでしょうか。相手側からの厚意までは断らずに受けいれようとする考えが広がっていった一方で、それすらも認めずに、他派からの一切の施しを拒否する(=不受)という主義を貫(つらぬ)いたのが不受不施派でした。
これは、権力者側から見れば国家による統制を受けないどころか、国家権力そのものを認めないという危険な思想になります。このため、日蓮宗不受不施派はカトリックと同様に幕府の厳しい弾圧を受けることになってしまったのです。
ところで、これまでに紹介した寺請制度は、幕府が禁教とした宗派を信仰させないようにするという宗教弾圧の性格を強く持っていましたが、それと同時に現代にまでつながる大きな恩恵となった重要な側面も持っていました。
それは、我が国における「政教分離の原則」の完全なる定着です。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




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ぴーち こんばんは!
確かに鎌倉時代に日蓮聖人が存命中から様々な迫害を受けたお話は有名なので、私も存じております。
結局その度重なる迫害では命を落とす事無く、天命を全うされた様ですね。
その教えをそのまま受け継いだのでしょうから、幕府からすれば、目の上のタンコブになるのは当然でしょうね。
しかし不受不施の考え方は一見、宗教を流布させていくには不利な考えだと思われがちですが、それだけ自身の教えに絶対的な自信が
あり、何かと煩悩が多い人間の心を戒める為には
それくらいの厳しさも必要な事だと説いているのかも知れません。他の宗教でも荒行をし、滝に打たれたり、坐禅を組んだりと人間の中の煩悩を拭い去ろうとする修行がありますが、考え方としては同じでは無いのかと思いますが、いかがでしょうか。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お考えは確かにそのとおりです。誰にもおもねることなく、自身の教えを貫くという立場からすれば、不受不施派こそが本来の宗教かもしれません。
ただし、この考えこそが国家権力に逆らうことになり、封建社会の江戸幕府においては許せなかったということになりますね。難しいものです。
そんな宗教勢力に対して、焼討(やきう)ちや反対勢力の皆殺(みなごろ)しなどの思い切った手法で一掃(いっそう)したのが織田信長であり、豊臣秀吉もその政策を受け継ぎました。家康も二人にならって政教分離を進め、その遺志を継いだ江戸幕府によって「寺請制度」として完成したのです。
寺請制度は全国民が必ずどこかの檀家となることを義務づけられ、原則として離脱も許されないという「寺院が住民を支配している制度」ですが、これは裏を返せば、寺院側が「何もしなくても」檀家の参詣や法要、あるいは付け届けで生計が立つようになったことを意味していました。
つまり、江戸幕府という名の国家権力が、寺院に「権益」を与えることによって逆に統制することで、宗教が政治に関わる必要を一切なくしてしまったのです。
かくして我が国では、宗教が政治に関わることがいつしか「あり得ない」こととなり、政教分離の原則が完全に定着しました。そして、これらによる恩恵あるいは影響は、現代においてもなお続いているのです。




いつも有難うございます。
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h.hamauzu ご無沙汰しております。
またじっくりと読ませていただきますね。
先生業がんばってくださいね。
新しい風をおこしてくだされ~
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 お久しぶりです。
毎日何とか頑張ってますよ~(^ω^)
ぜひ講座のご感想もお知らせ下さいね(^^)v
日本型システムの完成。
晴雨堂ミカエル これも上手い手だと思いますな。
江戸時代は世界的にも高水準に完成された行政システムが誕生しました。
幕府の役人、大名の役人、大身旗本の家臣、領国の治安と行政を守るには些か少ない人数で遣り繰りできたのも、名主や檀家制度のおかげともいえます。
圧倒的軍事力と政治力で国民を管理下に置く一方で、権益をうまく分散させて、必要以上にお上に責任が集中しないようになっている。
同時に誰が責任者なのか曖昧になる弊害も出ましたが。
震災や空襲が無かったら、膨大な数の「公文書」が残っていて、江戸時代のかなり細かいところまで判ったでしょうね。
ぴーち こんばんは!
まるで「北風と太陽」の様ですね。
「北風」は信長、秀吉政策であったとすれば、
「太陽」は家康政策であった訳ですね。
韓国が北朝鮮に行った太陽政策も、もしや家康の
政策に倣って行われた政策だったりして・・(^^ゞ
応援凸
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、権益を巧みに分散させた非常に優れたシステムだと思います。
しかし、このシステムが責任者を曖昧にした…もっとも、それ以前から責任者がはっきりしないのが我が国の伝統ではありますが。
責任を明確にすると、かえって権力が集中して独裁者を生みますからね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに家康の政策は「北風と太陽」の世界における太陽ですね。
もっとも、家康=江戸幕府の場合は背後に強靭な軍事力が控えていたからこそできた芸当ではありますが…。
ひるがえって、北朝鮮と韓国の場合はどうなのでしょうか?
オバrev >寺院に「権益」を与えることによって逆に統制することで、宗教が政治に関わる必要を一切なくしてしまったのです.
なるほど~!あっさりと目的を叶えさせることによって幕府への反発をなくすどころか、その権益を守るために幕府への忠誠を誓うようになるってことですね。
・・・あ、頭良すぎです。体操で言えばウルトラGの技ですね(+o+)
現在の政治家にもこのくらいのしたたかさが欲しい orz
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど~!あっさりと目的を叶えさせることによって幕府への反発をなくすどころか、その権益を守るために幕府への忠誠を誓うようになるってことですね。
> ・・・あ、頭良すぎです。体操で言えばウルトラGの技ですね(+o+)
全くその通りです。信長や秀吉の流れをしっかりと受け継いだからこその、江戸幕府による離れ業ですね。
> 現在の政治家にもこのくらいのしたたかさが欲しい orz
…これも仰るとおりです(´・ω・`)
素直さや綺麗事だけでは政治はできません。長い目で見て国民にとって益となる政策を考えてほしいものですが…。そのための教訓は、歴史を振り返れば腐るほど存在しているというのに。
なおまゆ 葬儀の時に今も生きているシステムですね。
今は、それが家庭の負担になってる気がします。
失礼な言い方ですが、坊主丸儲け、の温床なんでしょうか?
住職にはいろんな方がいます。
このシステムの上に乗っかった生臭坊主を良く見るのです。悲しい現実はどうにかなるのでしょうか?
なおまゆさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、まさに「坊主丸儲け」のシステムですね。
今日(3日)の更新でも紹介しましたように、安定した収入が得られることで、本来の宗教が持つべき情熱を失ったことも大きいと思います。
物事はすべてがうまくはいかないものですね。
寺請制度によっていわゆるキリシタンは完全に排除されましたが、その一方で国民が必ずいずれかの寺院の檀家とさせられたことは、同時に個人の信仰の自由を奪(うば)われたことも意味していました。
寺院にとっても、周辺の住民が檀家となることで信者数が固定され、また幕府の保護を受けて経済的な安定を得ることができましたが、それは同時にこれまでのような熱心な布教活動が不要となったことで、仏教の本来の任務に対する情熱を失わせる結果をもたらしました。
このような流れを受け継いだことで、我が国では国民の宗教に対する意識が低下した結果、いわゆる「無神論者(むしんろんしゃ)」が増えており、日本人の宗教観のなさや、宗教に関する無関心さが、宗教を重んじる外国人との間でトラブルを引き起こすなど国内外で問題となっています。
また、政教分離を強調するあまり、我が国古来の風習である「神道との関わり」のすべてが否定される傾向が見られ、総理大臣や知事、市長などの公人(こうじん)が、役職名で神社に参拝したり、あるいは玉ぐし料を支出したりすることなどが憲法違反とみなされています。
我が国における政教分離に至る歴史の流れを理解することは非常に大切なことですが、それと同時に日本人として当然に持つべき宗教観の育成も、我が国にとって重要な課題ではないでしょうか。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
確かに安定、安心は退屈を生むと言いますもんね。それ以上努力する必要が無くなると同時に
向上心も失われる。世の中とはどちらかに傾倒し過ぎると、これもまた問題が生じて来るもので、難しいものですね(^_^;)
所で、信長や秀吉は自分の意見だけを優先させ、それに反対する者の意見は尽く退けていた様ですが、家康は逆に色々な者から意見を聞き、時には意見されることも恥とは思わず、政策に活かして来たからこそ、優れた政策を打ち出す事が出来たとも言われている様ですが、やはり余りに出来過ぎた法案でも、必ずしもオールマイティでは無いという事なんですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、信長や秀吉のデメリットを克服できたはずの家康、その政策を引き継いだ江戸幕府であってもうまくいかないところがある、というのが歴史の教訓でもあります。
万能でないというのであれば、そのメリットを生かして別の方向へと見出す努力をするのが本来の政治の姿なのでしょうね。