手先が器用だった鍛冶職人(かじしょくにん)によって鉄砲はまたたく間に複製(ふくせい)されると、やがて貿易港でもあった堺などにおいて大量に生産され、各地の戦国大名に売り込まれました。
鉄砲の出現は、それまでの弓や槍(やり)、あるいは騎馬隊(きばたい)を主力とした戦闘方法が、鉄砲による歩兵戦が中心になるなどの大きな変化をもたらました。また、鉄砲は雨が降ると使用できないという弱点を持つ一方、雨の心配のない城の中ではいくらでも撃(う)てることから籠城戦(ろうじょうせん)に最適とされ、城の構築方法も、それまでの山城(やまじろ)から平山城(ひらやまじろ)、あるいは平城(ひらじろ)へと変化していきました。
ちなみに、ポルトガル人は鉄砲そのものを我が国に購入させる目的で種子島にわざと漂着したのではないかとも考えられています。その野望は我が国で鉄砲が大量生産されたことで潰(つい)えましたが、火薬の原料となる硝石(しょうせき)が我が国で生産されなかったことから、これを我が国に輸入することで貿易が成立することになりました。




いつも有難うございます。
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サクラ ほんと日本は技術大国ですよね。
当時世界一の銃保有国でしたし。
硝石に至っては、大量の糞尿や魚の腸で国内生産したという話も聞きます。
サクラさんへ
黒田裕樹 > ほんと日本は技術大国ですよね。
> 当時世界一の銃保有国でしたし。
> 硝石に至っては、大量の糞尿や魚の腸で国内生産したという話も聞きます。
そのとおりですね。
ただ、硝石については仰る方法で生産が軌道に乗ったのは江戸時代ですから、この当時は輸入に頼らざるを得なかったという事情もあります。
ぴーち こんばんは!
野望を胸に日本へ鉄砲を伝来したポルトガルも、
日本人の手先の器用さまでは計算外だったようですね。
やはり何事も侮ってはいけませんね。
それでも、その原料でもある硝石を大量に売ることが出来たのは、計算どおりだった様ですね。
ただでさえ、鉱物資源に乏しい日本ですものね。
所で、現在も中国が輸出制限しているレアアース問題も、
その代替素材が出来るようになれば、問題も
解決出来るんでしょうけれどね^^;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 野望を胸に日本へ鉄砲を伝来したポルトガルも、
> 日本人の手先の器用さまでは計算外だったようですね。
> やはり何事も侮ってはいけませんね。
> それでも、その原料でもある硝石を大量に売ることが出来たのは、計算どおりだった様ですね。
> ただでさえ、鉱物資源に乏しい日本ですものね。
そうですね。
我が国の器用な手先もさることながら、目的をさっさと切り替えるポルトガルの計算高さも大したものです。
> 所で、現在も中国が輸出制限しているレアアース問題も、
> その代替素材が出来るようになれば、問題も
> 解決出来るんでしょうけれどね^^;
レアアースについては中国以外の国からの輸入に活路を見出そうとしているようですね。
いずれにせよ、代替素材の早期開発が望まれるところです。
紗那 鉄砲は日本の中世史を大きく揺るがしたのですね。
この当時は、歴史的に見ても、世界が大きく揺れた時代の一つではないかと思ってます。
ポルトガル人も抜け目ないですが、まさか日本人が鉄砲を自産するとは考えもしなかったでしょうね
紗那さんへ
黒田裕樹 > 鉄砲は日本の中世史を大きく揺るがしたのですね。
> この当時は、歴史的に見ても、世界が大きく揺れた時代の一つではないかと思ってます。
仰るとおり、鉄砲という新兵器は、我が国の合戦を革命的に変化させる大きな存在でしたからね。
また、我が国での鉄砲の総数は世界でも抜きんでいたといわれていますから、世界史レベルの出来事であったといえます。
> ポルトガル人も抜け目ないですが、まさか日本人が鉄砲を自産するとは考えもしなかったでしょうね
日本人の、しかも有色人種の手先の器用さや技術力の高さはまさに想定外だったことでしょう。しかし、そんな中でも貿易に活路を見出すあたりはさすがですね。
黒田裕樹さん
風早 りら 種子島時尭の名前 始めて知りました
鉄砲が 種子島からと言うのは
知っていたのですが種子島時尭の
ことは知りませんでした
火薬の原料 これも考えたことはなかったです
原料の硝石は日本では生産されなかったんですね
それも初めて知りました
ありがとうございます
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 種子島時尭の名前 始めて知りました
> 鉄砲が 種子島からと言うのは
> 知っていたのですが種子島時尭の
> ことは知りませんでした
> 火薬の原料 これも考えたことはなかったです
> 原料の硝石は日本では生産されなかったんですね
> それも初めて知りました
> ありがとうございます
種子島氏は地名から苗字を名乗ったようですね。足利氏や新田氏と同じです。
いずれにせよ、種子島時尭の活躍がなければ我が国の歴史は大きく退化していたかもしれません。
戦国時代の頃、硝石は国内では生産されなかったゆえにポルトガルとの貿易が成り立ちました。
それがまた我が国の歴史に大きな影響を与えるのです。
いつものことながら、歴史には大きな流れがありますね。
南蛮貿易は先に我が国に上陸したポルトガルを主体にして行われました。我が国には鉄砲やその火薬・香料(こうりょう)・中国の生糸(きいと)などが輸入され、我が国からの輸出品としては、当時生産量が増加していた銀のほか、金や刀剣がありました。
また当時の貿易港としては、松浦氏(まつらし)の平戸や大村氏(おおむらし)の長崎、大友氏(おおともし)の豊後府内(ぶんごふない、現在の大分市)などの九州地方が中心でした。
なお、ポルトガル人やイスパニア人が南蛮人と呼ばれたのに対して、17世紀初頭の頃から来日したイギリス人やオランダ人は紅毛人(こうもうじん)と呼ばれています。




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ぴーち こんばんは!
南蛮人というのはよく耳にしますが、
紅毛人というのは初めて聞きました!
確かに赤毛・・というイメージはありますね^^;
今でこそ、日本の金の採取量は高くないと思いますが(ココの所、よく存じません)
この当時で、採り尽くされてしまったのでしょうか。
それでは、応援凸
黒田裕樹さん
風早 りら ポルトガル人やイスパニア人が南蛮人
イギリス人やオランダ人は紅毛人
今では 全て 外国人
時代によって 変わってきますね
貿易 この頃は日本も 金や銀も輸出出来たのですね
今では そんな 資源はありません
頭で 貿易するしか ありませんよね
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 南蛮人というのはよく耳にしますが、
> 紅毛人というのは初めて聞きました!
> 確かに赤毛・・というイメージはありますね^^;
南蛮人と区別するために名付けたのでしょうが、特徴をよくとらえてますね(^^♪
> 今でこそ、日本の金の採取量は高くないと思いますが(ココの所、よく存じません)
> この当時で、採り尽くされてしまったのでしょうか。
戦国時代にヨーロッパの進んだ技術が伝えられたことで(例えば、より深く掘り進めることができるようになった)、特に秀吉の頃から江戸時代初期にかけて、金は空前の採掘量を誇るようになります。
ちなみに現代の我が国では、主に鹿児島で金が採掘され続けています。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > ポルトガル人やイスパニア人が南蛮人
> イギリス人やオランダ人は紅毛人
> 今では 全て 外国人
> 時代によって 変わってきますね
そうですね。
戦国時代までは西洋人と接する機会はありませんでしたから、当時はそのように名付けたのでしょう。
現代では同じ外国ですから、当然かつ分かりやすい呼称ですね。
ちなみに私たちも外国においては立派な外国人ですが(笑)。
> 貿易 この頃は日本も 金や銀も輸出出来たのですね
> 今では そんな 資源はありません
> 頭で 貿易するしか ありませんよね
輸出するものは、時代によって工夫が必要です。
頭で貿易をするのであれば、当然その頭を鍛えなけれなならない。
教育はいつの時代も重要ですね。