一方、この頃には各地の寺院が参詣者(さんけいしゃ)の増加に努めたために、門前町(もんぜんまち)や寺内町(じないまち)が発展しました。特に寺内町には門徒(もんと、宗門を同じくする信徒のこと)の商工業者が集結したことによって、新設の市場や町が開かれました。
主な門前町としては伊勢神宮の宇治・山田(うじ・やまだ、現在の伊勢市)や善光寺(ぜんこうじ)の長野などがあり、寺内町としては一向宗(いっこうしゅう)の摂津(せっつ)の石山(いしやま、現在の大阪市)や加賀の金沢などがあります。
なお、戦国大名の中には商業の発展のために市場の税を免除する楽市(らくいち)や、商業などにおける独占的な組合の座を撤廃(てっぱい)する楽座(らくざ)を行う者もいました。そして、この楽市・楽座を自己の領地で全国的に展開した一人の武将が、豊富な経済力をもとに天下統一へと近づくことになります。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
「楽市楽座」は何とか記憶の片隅から引っ張り出すことが出来ました(笑)
今でいう所の、『税務署』管軸や、『独占禁止法』的な効力を意味していたのでしょうか?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「楽市楽座」は何とか記憶の片隅から引っ張り出すことが出来ました(笑)
> 今でいう所の、『税務署』管軸や、『独占禁止法』的な効力を意味していたのでしょうか?
なるほど、絶妙な例えですね(^^♪
税金を安くして商業を発展させ、人口を増やして結果として増収につながる…。
現代の政治にも見習ってほしいですね。
黒田裕樹さん
風早 りら 大阪市は摂津の石山だったんですね
黒田裕樹さんの地元ですね
それを知っただけで 今日は嬉しいですよ
「一人の武将が、豊富な経済力をもとに天下統一へと近づくことになります」
黒田裕樹さんの明日への期待抱かせる
お話の仕方 魅力的です
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 大阪市は摂津の石山だったんですね
> 黒田裕樹さんの地元ですね
> それを知っただけで 今日は嬉しいですよ
仰るとおり、石山は私の地元にあります。現在の大阪城近くですね。
> 「一人の武将が、豊富な経済力をもとに天下統一へと近づくことになります」
> 黒田裕樹さんの明日への期待抱かせる
> お話の仕方 魅力的です
有難うございます。
物語形式のブログである以上は、一話完結の中にもつながりのある内容でありたいと常に思っております。
今回の「明日への期待」は、23日の講座で明らかになりますよ。
また、交通手段の発達は人の流れを活発にして、行商(ぎょうしょう)や巡礼(じゅんれい、聖地や霊場をめぐって旅をすること)が盛(さか)んになったことにより、各地で港町(みなとまち)や宿場町(しゅくばまち)が繁栄(はんえい)しました。これらの都市の中には、富裕(ふゆう)な商工業者たちが自治(じち)の組織をつくり、堀(ほり)をめぐらすなどして防御(ぼうぎょ)を固め、大名から独立するものもありました。
代表的な港町としては、日明貿易(にちみんぼうえき)の根拠地(こんきょち)となった堺(さかい)や博多(はかた)、あるいは伊勢の桑名(くわな)などがあり、特に堺は36人の会合衆(かいごうしゅう、または「えごうしゅう」)、博多は12人の年行司(ねんぎょうじ)と呼ばれる豪商(ごうしょう)の会議によって市政が運営されるという、一種の自由都市(じゆうとし)の性格を持っていました。
なお、京都においても町衆(まちしゅう)と呼ばれた富裕な商工業者を中心に自治的団体である町(ちょう)が結成され、惣村(そうそん)と同じように独自の町法(ちょうほう)が定められました。さらに、町が集まって町組(ちょうぐみ)という組織がつくられ、町衆の自治組織は月行事(がつぎょうじ、または「がちぎょうじ」)と呼ばれる代表者によって自治的に運営されました。
ちなみに、これらの町衆が戦災で大きな被害を受けた京都を復興(ふっこう)したことによって、1500年には京都の最大の祭りである祇園祭(ぎおんまつり)が再興(さいこう)されています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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サクラ 商人までもが領土を持つとなると、ほんと戦国時代のイメージって崩れますね。
武将だけではなく、宗教家、商人までもが独立した領土を持つ時代――。
ひょっとしたら武将以外が天下統一を成し遂げた可能性もあったんじゃないかと思うと――ほんとどうなっていたんでしょうね。その後の日本史は。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 商人までもが領土を持つとなると、ほんと戦国時代のイメージって崩れますね。
> 武将だけではなく、宗教家、商人までもが独立した領土を持つ時代――。
> ひょっとしたら武将以外が天下統一を成し遂げた可能性もあったんじゃないかと思うと――ほんとどうなっていたんでしょうね。その後の日本史は。
確かに、戦国時代は誰しもが出世を夢見る時代でした。
ただ、天下統一を成し遂げようと思えば、それこそとんでもないエネルギーや長期にわたる計画性など、数多くの難しい条件がそろっていましたからね。
宣伝になっては申し訳ないのですが(笑)、次回の講座で何らかの回答が出せればと思っております(^^ゞ
ぴーち こんばんは!
京都の祇園祭りは、TVでは拝見したことはありますが、実物は未だ未見なんですが、
一度、戦災で中断されていたんですか!
存じませんでした(^^A
また再興されてよかったですね^^
ここら辺のお祭りには、見られない
趣やら、豪華さがありますので、このまま
ずっと平和のまま、継続していって
欲しいですね~。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 祇園祭のルーツは平安時代にまでさかのぼるそうですから、1000年を超える長い歴史を誇っているんですよね。
応仁の乱のほか、第二次大戦の際にも中断していますから、仰るとおり平和の象徴としてもずっと続いてほしいと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 有名な祇園祭の発祥のいわれが理解出来ました
この頃から 商業が 活発化され
豪商が 出て 千石船のような
名前のある 船まで 活躍するようになった
のですね
祇園祭り 見てみたくなりました
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 有名な祇園祭の発祥のいわれが理解出来ました
> この頃から 商業が 活発化され
> 豪商が 出て 千石船のような
> 名前のある 船まで 活躍するようになった
> のですね
> 祇園祭り 見てみたくなりました
商業の発展はこの頃から目ざましくなりました。
町がにぎわう方が、祭りが盛り上がるに決まっていますからね。
祇園祭は宵山しか行ったことがありませんが、独特の雰囲気が楽しいですよ。
ただ、時期が時期だけにものすごく蒸し暑いんですけどね(笑)。
紗那 幕府や朝廷が権威を持っていた時代は守護などが自国のことに専念出来ていたのが、戦国時代になって、外にも目を向けざるを得なくなると、その時に力があったところは独立することもあったということなんでしょうか。
祇園祭、そういう裏をしると、なんか見る目が変わりますw
紗那さんへ
黒田裕樹 > 幕府や朝廷が権威を持っていた時代は守護などが自国のことに専念出来ていたのが、戦国時代になって、外にも目を向けざるを得なくなると、その時に力があったところは独立することもあったということなんでしょうか。
そのとおりですね。誰しもが出世できるということは、油断していれば足元をすくわれますから、実力を維持するのも大変だったというわけです。
> 祇園祭、そういう裏をしると、なんか見る目が変わりますw
長年続いていますからね。いろんな歴史があるんですよ(^^♪