幕府の実権は、当初は管領(かんれい)の細川氏が握(にぎ)りましたが、細川晴元(ほそかわはるもと)がやがて執事(しつじ)の三好長慶(みよしながよし)に倒され、その長慶も家臣の松永久秀(まつながひさひで)の台頭(たいとう)を許すことになりました。
諸国においても、守護大名が京都で幕政を担当している間に守護代(しゅごだい)や家臣に実権を奪われたことで、その多くが没落していきました。名門や旧家が滅びる一方で、まさに下剋上(げこくじょう、力があれば身分の上下に関わらず出世ができる風潮のこと)の名のもとに、戦国大名(せんごくだいみょう)と呼ばれた新興勢力による大名が各地で続々と誕生していったのです。
戦国大名は、自己の実力によって獲得(かくとく)した領国(りょうごく、別名を分国=ぶんこく)を治(おさ)めました。これらの戦国大名が活躍した、応仁の乱から室町幕府が滅亡するまでのおよそ100年間を戦国時代(せんごくじだい)といいます。
ちなみに、松永久秀は主君の三好長慶を裏切ったのみならず、1565年には第13代将軍の足利義輝(あしかがよしてる)を暗殺し、さらに1567年には東大寺(とうだいじ)に放火して大仏殿が焼け落ちるという大惨事(だいさんじ)を引き起こしており、戦国時代きっての梟雄(きょうゆう、残忍で強い人物のこと)と呼ばれています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




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サクラ 戦国時代って、何でもアリですね~。
私は昔、戦国大名って「伯耆国」とか「因幡国」とかを治めていたかと思っていたんですよ。
ところが鳥取県で有力だった南條氏っていうのは、伯耆国の東側だけを治めていたんですね。
しかもそれだけじゃなくって、私の通っていた幼稚園の部分だけを治めていた大名(?)もいたらしいですし。
そんな混乱期が、百年にも渡ったんですね~。
明治時代に始まった戦国時代が今終わったものと考えると、気の遠い話です。
サクラさんへ
黒田裕樹 ひとくちに戦国大名といっても、当初は一国すべてを領有しているのはむしろ少数派でした。
仰るような「猫の額(ひたい)」ほどの領地しか所有していない大名、というより国人が多数であり、彼らを取り仕切って家臣に組み入れたのが大名となっていったという図式もあります。
もっとも、同じくほんのわずかな領地から中国地方の大半を領有するまでに至った毛利元就のような大名も存在するところが、戦国時代の面白さでもあるわけですが(第5回の歴史講座に詳しく書いています)。
> そんな混乱期が、百年にも渡ったんですね~。
> 明治時代に始まった戦国時代が今終わったものと考えると、気の遠い話です。
100年は長いですからね。確かに気の遠くなる話ではあります。
ぴーち こんばんは!
戦国時代とは、100年間も続いたんですか!
この時代に生まれ、平和を知らずに一生を終えた人もいたという事実を思うと、せつないですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 戦国時代とは、100年間も続いたんですか!
> この時代に生まれ、平和を知らずに一生を終えた人もいたという事実を思うと、せつないですね。
確かに100年といえば人間の平均的な一生よりも長いですからね。
現代の平和に生きる私たちは、その有難みをもっと感謝しなければいけません。
黒田先生
風早 りら 応仁の乱から室町幕府が滅亡する100年間が戦国時代だったんですか
こんなに 長いとは 知りませんでした
庶民は どんなに 逃げ回り
苦しいことだった事でしょう
いつの時代も犠牲が 一番 大きいのは
庶民ですよね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 応仁の乱から室町幕府が滅亡する100年間が戦国時代だったんですか
> こんなに 長いとは 知りませんでした
> 庶民は どんなに 逃げ回り
> 苦しいことだった事でしょう
> いつの時代も犠牲が 一番 大きいのは
> 庶民ですよね
そうですね。
力あるものが世の中を支配する戦国時代は、弱いものは常に虐げられるという厳しい時代でもありました。
ただ、身分にかかわらず、強い者は誰しもが出世の機会が与えられた時代でもありました。その最たるものが豊臣秀吉ですね。
しかし、後に鎌倉公方が下総(しもうさ、現在の千葉県北部など)の古河公方(こがくぼう)と伊豆(いず、現在の静岡県南東部など)の堀越公方(ほりこしくぼう)とに分裂すると、上杉氏も山内(やまのうち)・扇谷(おうぎがやつ)の両家に分かれてお互いに争うようになりました。
これらの混乱に乗じた伊勢宗瑞(いせそうずい)は、京都から下って15世紀末に堀越公方を滅ぼすと、相模(さがみ、現在の神奈川県)の小田原に進出して、伊豆・相模の2ヵ国を領する大名となりました。
なお、伊勢宗瑞の子の氏綱(うじつな)が後に北条氏(ほうじょうし)を名乗ったため、宗瑞の名は今日では北条早雲(ほうじょうそううん)と呼ばれています。なお、北条氏は氏綱やその子の北条氏康(ほうじょううじやす)によって古河公方も滅ぼし、関東の大半を支配する大名となりました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




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風早 りら 「 関東の大半を支配する大名 」
今 現在 関東に 住んでいる 私には
大変 興味があります
現在の神奈県 静岡県 千葉県
この頃から 有名だったのですね
明日も楽しみにしていますね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「 関東の大半を支配する大名 」
> 今 現在 関東に 住んでいる 私には
> 大変 興味があります
> 現在の神奈県 静岡県 千葉県
> この頃から 有名だったのですね
> 明日も楽しみにしていますね
そういえば今回(13日)はりらさんにとってご当所でしたね。
関東地方を治めた北条氏の活躍は結構古かったんです。
次回以降もぜひお楽しみ下さい。
甲斐(かい、現在の山梨県)では守護大名だった武田氏(たけだし)がそのまま戦国大名となり、武田信玄(たけだしんげん、出家前の名は晴信=はるのぶ)が信濃(しなの、現在の長野県など)に進出すると、謙信と信玄は北信濃の川中島(かわなかじま)で何度も激突(げきとつ)しました。これを川中島の戦いといいます。
東海では守護大名の流れをくむ今川義元(いまがわよしもと)が駿河(するが、現在の静岡県東部)を本拠(ほんきょ)として勢力を拡大し、他には三河(みかわ、現在の愛知県東部)の松平氏(まつだいらし)や尾張(おわり、現在の愛知県西部)の織田氏(おだし)、美濃(みの、現在の岐阜県南部)の斎藤氏(さいとうし)らが存在しました。
中国では守護大名の大内氏(おおうちし)が強大な力を持っていましたが、16世紀半ばに大内義隆(おおうちよしたか)が家臣の陶晴賢(すえはるかた)によって倒されると、その晴賢を安芸(あき、現在の広島県西部)の国人(こくじん、地方の豪族のこと)出身の毛利元就(もうりもとなり)が滅ぼし、山陰地方(さんいんちほう)の尼子氏(あまごし)と激しく争いました。
この他、四国では長宗我部氏(ちょうそかべし)が、九州では大友(おおとも)・龍造寺(りゅうぞうじ)・島津(しまづ)の各氏が、また東北では伊達氏(だてし)らが有力な戦国大名として君臨(くんりん)していました。




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ぴーち こんばんは!
こうして伺っていると、戦国時代に活躍していた武将の名前は今でも有名な方ばかりで、本当に日本全国、北から南まで戦いが繰り広げられていたのですね~改めて、驚きました!!
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こうして伺っていると、戦国時代に活躍していた武将の名前は今でも有名な方ばかりで、本当に日本全国、北から南まで戦いが繰り広げられていたのですね~改めて、驚きました!!
確かにそうそうたる顔ぶれですね(^^ゞ
戦国時代という名に嘘はないということがよく分かります。
紗那 戦国時代……!
いつの間にか講座の方も話が進んでたのですね!
しかし、あまりに興味ありすぎて今回の内容は知ってることばかりでした←
あ、でもそれはそれでいいことですよね♪
紗那さんへ
黒田裕樹 > 戦国時代……!
> いつの間にか講座の方も話が進んでたのですね!
そうなんです(笑)。
やっと戦国時代に入りましたが、まだ先は長い…。
> しかし、あまりに興味ありすぎて今回の内容は知ってることばかりでした←
> あ、でもそれはそれでいいことですよね♪
もちろんそうですよ(^^♪
まずは有名な戦国大名の紹介ですが、ここからは専門的な内容になるかも!?
上杉謙信は
オバrev あれ~、上杉謙信は関東管領だったんですか(O_O)
その後、信濃に移ったんでしょうか。
それにしても、この戦国時代に生き残るのは大変だったんでしょうね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > あれ~、上杉謙信は関東管領だったんですか(O_O)
> その後、信濃に移ったんでしょうか。
長尾景虎は1561年に関東管領の上杉憲政(うえすぎのりまさ)からその地位を譲られ、名を上杉政虎(うえすぎまさとら)と改めています。そして、同じ年に信玄との死闘で有名な4回目の川中島の戦いが起きているんですよね。
ちなみに、謙信と名乗ったのは1570年です。
> それにしても、この戦国時代に生き残るのは大変だったんでしょうね。
群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の世ですからね。勢力争いは半端(はんぱ)ではなかったでしょう。
:黒田裕樹さん
風早 りら 上杉謙信
武田信玄
今川義元
毛利元就
馴染みの深い 名前 登場
益々 楽しみに なってきました
戦国時代のお話 やはり 心トキメキますね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 上杉謙信
> 武田信玄
> 今川義元
> 毛利元就
> 馴染みの深い 名前 登場
> 益々 楽しみに なってきました
> 戦国時代のお話 やはり 心トキメキますね
このあたりは有名どころですからね。
次回(15日)からは戦国大名の統制力について探ってみたいと思います。
連コメですが
オバrev あ~、なるほど。越後に居ながら関東管領の職を兼務したってことですか?
オバrevさんへ その2
黒田裕樹 いえいえ、連コメも歓迎しますよ(笑)。
> あ~、なるほど。越後に居ながら関東管領の職を兼務したってことですか?
そのとおりです。もともとこの頃までには関東管領は有名無実化していましたからね。
謙信が関東管領を引き受けたことで、北条氏とは宿敵となってしまったことが、後の謙信の行動の大きな制約になった可能性が高いですね。