学問や文芸の世界でも新しい動きが始まりました。鴨長明(かものちょうめい)が天変地異(てんぺんちい)や戦乱が続く世の中の無常さを方丈記(ほうじょうき)にまとめたほか、関白九条兼実(くじょうかねざね)の弟で天台座主(てんだいざす、延暦寺の最高位の僧職のこと)の慈円(じえん)は、承久の乱(じょうきゅうのらん)の直前までの道理による独自の歴史論を展開した愚管抄(ぐかんしょう)を著(あらわ)しました。
和歌の世界では、西行(さいぎょう)が出家後に諸国を渡り歩くなかで山家集(さんかしゅう)をまとめたり、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の勅撰(ちょくせん、天皇や上皇の命令で歌集などを編さんすること)によって新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)が、藤原定家(ふじわらのていか)や藤原家隆(ふじわらのいえたか)らによって編集されたりしました。
新古今和歌集は、平安時代までの伝統を受け継ぎながらも、技巧的な表現や洗練された歌風が広く受け入れられ、武士の間にも広まりました。第3代将軍の源実朝(みなもとのさねとも)もその一人で、万葉調の歌を集めた金槐和歌集(きんかいわかしゅう)を遺(のこ)しました。なお「金」は鎌倉の「鎌」の偏(へん)を、「槐」は大臣の別称を表しています。




いつも有難うございます。
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紗那 新古今和歌集といえば、技巧に走りすぎて難解な歌も多いというのを国語で習いました。実際、難しかったです。万葉集は優しいなと←
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ケンシロウ こんにちは。
久しぶりに自宅へ戻っているおいらです。
昨日の講座は如何だったでしょう?
今回も盛況だったことと思います。
桜が咲き始めてから気候が不安定になっています。
体調管理には十分お気をつけ下され。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 新古今和歌集といえば、技巧に走りすぎて難解な歌も多いというのを国語で習いました。実際、難しかったです。万葉集は優しいなと←
確かに新古今和歌集あたりになると技巧派が増えて難解になりますからね。
そんななかで、万葉朝の歌が多い源実朝の存在は大きいと思います。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 いつも有難うございます。
講座は今回も盛況でした。
詳しくは後刻またUPしますね(^^♪
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オバrev 歴史講座も13回ですよね。トルコと日本の関係って、今まで考えたことないテーマですので、大いに興味あります。楽しみです。
しかし、文化史って著者と作品の名前覚えるのが大変そうですね(^^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 歴史講座も13回ですよね。トルコと日本の関係って、今まで考えたことないテーマですので、大いに興味あります。楽しみです。
有難うございます。ちょうど一年前の今日(4月25日)が第1回目の講座の日でした。あっという間の一年でしたね。今回の講座は、今までとは一味違う内容になったのではないかと思っております。
> しかし、文化史って著者と作品の名前覚えるのが大変そうですね(^^;)
そうなんですよね(´・ω・`)
こればかりは暗記がどうしても必要になってきますから、文化史が苦手な人は結構多いんですよ。私も記事の内容に頭を悩ませています(^^ゞ
鎌倉幕府の成立の過程には源氏と平氏による戦いがありましたが、これら源平両氏の栄枯盛衰(えいこせいすい)を主題として、実際の武士の戦いぶりを描(えが)いた軍記物語(ぐんきものがたり)がつくられました。軍記物語は語り物の形態による新しい文学の形式をもち、なかでも平氏の興亡をつづった平家物語(へいけものがたり)は、琵琶法師(びわほうし)によって平曲(へいきょく)として語られたことによって、文字の読めない人々にまで広く親しまれました。
説話文学としては、院政期に成立した今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)とともに「日本三大説話集」と称される古今著聞集(ここんちょもんじゅう)や宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)が成立しています。
また、鎌倉時代末期には吉田兼好(よしだけんこう、別名を兼好法師=けんこうほうし)による独自の広い見聞(けんぶん)や観察眼(かんさつがん)によって、徒然草(つれづれぐさ)という随筆集の名作が生まれました。
鎌倉時代は武士の政権だったことから、貴族の間では過ぎ去ってしまった古きよき時代への回顧(かいこ)や歴史の尊重という姿勢がみられ、順徳天皇(じゅんとくてんのう)ご自身の手による禁秘抄(きんぴしょう)などの、朝廷の儀式や先例を研究する学問である有職故実(ゆうそくこじつ)が盛んとなりました。




いつも有難うございます。
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スカイラインV35 平家物語と、後の太平記は2大軍記物と言われていますよね。どちらも負けた側の視点で描かれているんでしたっけ?
鎮魂の意味があるんでしょうか?
軍記物では全くないですが、先の源氏物語も鎮魂の意味があるんですよね。
何れにしても、日本人の性質、体質を体現した傑作なんでしょうね。私も時間があれば、また読んでみたい気がします。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 平家物語と、後の太平記は2大軍記物と言われていますよね。どちらも負けた側の視点で描かれているんでしたっけ?
> 鎮魂の意味があるんでしょうか?
おそらくはあると考えられます。盲目の僧である琵琶法師に語らせているくらいですからね。
> 軍記物では全くないですが、先の源氏物語も鎮魂の意味があるんですよね。
> 何れにしても、日本人の性質、体質を体現した傑作なんでしょうね。私も時間があれば、また読んでみたい気がします。
出だし以外にも有名な場面がいくらでもありますからね。私も断片的でしか読めていないのが残念ではあります。
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紗那 宇治拾遺物語は、今古典でやってます♪ いろんなところで絡んできますね、歴史は。
朝廷は政治の実権を幕府に奪われたから、文化のほうに走ったてことですか。
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智里 土曜の講座はどうでした?
日本とトルコの絆、日本には遅かりし大航海時代の到来の時の話だったのかな?
「日本三大説話集」!?
自分達が知ってる昔話が出来たのもこのくらいなのかな~。
知ってるのは平家物語だけでした(〃 ̄ω ̄〃ゞ
紗那さんへ
黒田裕樹 > 宇治拾遺物語は、今古典でやってます♪ いろんなところで絡んできますね、歴史は。
古典は歴史とのつながりが深いですよね。連動して理解できれば鬼に金棒です(^_^)v
> 朝廷は政治の実権を幕府に奪われたから、文化のほうに走ったてことですか。
そのとおりだと私も思いますね。過ぎ去りし日々を懐かしむという慕情もあったことでしょう。
智里さんへ
黒田裕樹 > 土曜の講座はどうでした?
> 日本とトルコの絆、日本には遅かりし大航海時代の到来の時の話だったのかな?
講座はお蔭様で盛況でした(^_^)v
また後刻に記事をアップします。
> 「日本三大説話集」!?
> 自分達が知ってる昔話が出来たのもこのくらいなのかな~。
> 知ってるのは平家物語だけでした(〃 ̄ω ̄〃ゞ
今昔物語も含めて、確かに昔話の宝庫ですね。
宇治拾遺物語はともかく、古今著聞集はなじみが薄いかもしれませんね(´・ω・`)
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ぴーち こんばんは!
そうですか。
昔はいわゆる「文盲」と言われる
人たちが多く存在していて、そういう人たちにも判り易い様に、歌や曲で表していたのですね!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昔はいわゆる「文盲」と言われる
> 人たちが多く存在していて、そういう人たちにも判り易い様に、歌や曲で表していたのですね!
そのとおりです。平曲のお陰で、昔は文盲であっても言葉の意味が理解できて、それが国民全体の教養力を高める下地になっていました。それが以後の国民の知的水準の高さへとつながっているという側面もあります。
.黒田先生
りら 平家物語
宇治拾遺物語
徒然草
馴染み深い物語がいよいよ登場ですね
昨日は帰りが遅くて講座が受けられず残念でした
一日一回は先生の講座で勉強したいです
りらさんへ
黒田裕樹 このあたりの時代になると、現代でも有名な作品が多くなりますから、学習するのが楽しみになってきますね。
お言葉有難うございます。
私も昨日はりらさんのブログを訪問できなくて残念でした。
忙しいときは仕方がないですが、できるだけお伺いしたいものですね。
なお、鎌倉時代の末期には宋の朱熹(しゅき)によって広まった儒学(じゅがく)の一つである宋学(そうがく)が伝わりました。朱子学(しゅしがく)とも呼ばれた宋学における、臣下として守るべき道義(どうぎ)や節度(せつど)などのあり方を示した大義名分論(たいぎめいぶんろん)は後世に大きな影響を与え、鎌倉幕府に対する討幕(とうばく)運動への思想的な支柱(しちゅう)となりました。
同じく末期の頃には、伊勢神宮の外宮(げくう)の神官であった度会家行(わたらいいえゆき)によって独自の神道(しんとう)理論である伊勢神道(いせしんとう、別名を度会神道=わたらいしんとう)が生まれました。
度会家行は、著書である類聚神祇本源(るいじゅうじんぎほんげん)の中で、従来の本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)に対して、逆に仏が神の化身(けしん)としてこの世に現れたとする神本仏迹説(しんぽんぶつじゃくせつ、別名を反本地垂迹説)を唱えています。




いつも有難うございます。
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紗那 文庫って言葉は、すでにこのころからあったんですね!ライトノベルの電撃文庫とかが大好きな僕にとっては、なんか親しみが←
朱子学しか知りませんでした!そんな言い方もあるんだ……
紗那さんへ
黒田裕樹 > 文庫って言葉は、すでにこのころからあったんですね!ライトノベルの電撃文庫とかが大好きな僕にとっては、なんか親しみが←
電撃文庫ですか(^^ゞ
この当時の本は貴重品ですから、実時は執権の一族だけあって経済力があったのかもしれませんね。
> 朱子学しか知りませんでした!そんな言い方もあるんだ……
教科書では宋学と記載しているところが多いですが、中身は同じですよ。
どちらでも答えられるようにできればいいですね。
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ぴーち こんばんは!
黒田さん40000HiT、おめでとうございます☆
おめでとうございます!
遅ればせながら、お祝い申し上げます^^
爆進する黒田パワーに肖りたいと思います(笑)
すっかり精彩を欠き、既に霞を食べて生きる伸びる仙人のようなブログ生活を送っているぴーちでした(爆)
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
気が付けば40000HITでした。皆様のお陰ですm(_ _)m
私も多忙で精彩を欠いておりますが、人一倍食欲があって困っております(爆)。
これからもよろしくお願いしますね(^_^)v
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TSUNE 初めまして!
自分は高校2年で日本史を選択しているのでこのブログはとても勉強になります
これからも更新よろしくお願いします
TSUNEさんへ
黒田裕樹 > 初めまして!
> 自分は高校2年で日本史を選択しているのでこのブログはとても勉強になります
> これからも更新よろしくお願いします
はじめまして!
お役に立ててこちらも嬉しい限りです。教科書の太字の部分を中心に取り上げており、センター試験に耐えられるレベルも目指しておりますので、これからも頑張って下さいm(_ _)m
大仏様は天井を張らずに全体的な構造美を示すことによって、大陸的な雄大さと豪快な力強さを表現しており、代表的な遺構(いこう、昔の建造物における残存物のこと)としては東大寺南大門(とうだいじなんだいもん)が挙げられます。
鎌倉時代中期になると、細かい部材を組み合わせることによって、清楚(せいそ、清らかで飾り気のないこと)で整然とした美しさを表現した禅宗様(ぜんしゅうよう、別名を唐様=からよう)が伝えられました。円覚寺舎利殿(えんがくじしゃりでん)などがその例です。
また、平安時代以来の我が国の伝統建築様式である和様(わよう)に、大陸伝来の様式を巧(たく)みに取り入れた、河内国(かわちのくに、現在の大阪府河内長野市)の観心寺金堂(かんしんじこんどう)などを代表とする折衷様(せっちゅうよう)も生み出されました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
歴史に疎い私でも「東大寺」の名前は
存じておりました(苦笑
一度焼失していたんですね(@@
再建されたものが、現代まで至っているわけですか。。
それは存じませんでした。
長い歴史の中では、色々な事が起こりますね。。
今、ふと故平山郁夫氏の描いた崩壊された「バーミアン」遺跡の光景を思い出してしまいました。
遺跡の顔の部分をあんな形で崩してしまうなんて、人間とは愚かなものですね(><)
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 歴史に疎い私でも「東大寺」の名前は
> 存じておりました(苦笑
> 一度焼失していたんですね(@@
> 再建されたものが、現代まで至っているわけですか。。
> それは存じませんでした。
> 長い歴史の中では、色々な事が起こりますね。。
平安末期に平氏によって一度消失しているんですよね。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-341.html
この時期に再建されるんですが、戦国時代にまたしても消失してしまいます。
今の大仏殿は江戸時代に再建されたものです。
> 今、ふと故平山郁夫氏の描いた崩壊された「バーミアン」遺跡の光景を思い出してしまいました。
> 遺跡の顔の部分をあんな形で崩してしまうなんて、人間とは愚かなものですね(><)
あれは宗教の問題もからんでいますから難しいですね。
政教分離の有難みが良く分かります。
.黒田先生
りら 平安時代の建築は憧れます
和様と折衷様があったんですね
権現堂にコメント有難うございます
いつもお忙しい黒田先生に
あのような美しい世界でゆっくり
なさって頂きたいと思いました
りらさんへ
黒田裕樹 > 平安時代の建築は憧れます
> 和様と折衷様があったんですね
我が国独自の様式に、海外からのを上手くミックスさせるのも我が国の伝統ですからね。
> 権現堂にコメント有難うございます
> いつもお忙しい黒田先生に
> あのような美しい世界でゆっくり
> なさって頂きたいと思いました
有難うございます。お蔭様で癒やされました。
連休前でいつも以上にバタバタしておりますが、何とか頑張れそうです。
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HANA子 鎌倉時代の質実剛健な文化にも憧れるもんです、HANA子です
日本の良さはこういった文化財や過去の書物が比較的キチンと残っていることだと思うんです
だからこそ、今こうして遠い昔の出来事に思いをはせることも出来るという・・・
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 鎌倉時代の質実剛健な文化にも憧れるもんです、HANA子です
私も憧れる一人です。明日(28日)に出てきますが、子供の頃に東大寺南大門で初めて見た金剛力士像には大興奮したものでした。
> 日本の良さはこういった文化財や過去の書物が比較的キチンと残っていることだと思うんです
> だからこそ、今こうして遠い昔の出来事に思いをはせることも出来るという・・・
そのとおりですね。文化や伝統を大事にする我が国の国民性ならではと思います。
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.こんにちは
星月冬灯 記事を拝読していて、思わず
東大寺に行きたくなりました^^
平安時代の建築は本当に見事
ですよね。煌びやかで神々しさを
感じます。これも日本の歴史で
あり、文化なんですよね。
大切にしていきたいものです^^
.
タカシ☆TZR いつもブログを見ていただきありがとうございます.
鎌倉中期に禅宗様が伝えられるとの表現に違和感を感じました.
承元の築の東大寺鐘楼にすでに詰組がみられるんですよね.
これは栄西がかかわったものとされていますが,
その前に栄西が建てた建仁寺がどういうものかが気になります.
この時点で禅宗様が用いられているように思っていました.
清楚で整然とした美しさを表現した禅宗様という言葉にもなんか違和感があります.
大陸に「清楚で整然とした美しさ」の建築ってあんまりないように思うので.
むしろ構造や装飾の面で禅宗様を導入して,
結果的に「清楚で整然とした美しさ」を表現したのではないかと思います.
南宋の頃の建築で「清楚で整然とした美しさを表現した」建築で例になるようなものって,
中国に何かありますか?
大陸の建築は詳しくないのでよくわからないです.
星月冬灯さんへ
黒田裕樹 > 記事を拝読していて、思わず
> 東大寺に行きたくなりました^^
それは光栄です。現在の東大寺は江戸時代の再建ですが、往時の伝統を今に伝えていますよ。
そういえば今年(平成22年)は奈良遷都1300年ですね。
> 平安時代の建築は本当に見事
> ですよね。煌びやかで神々しさを
> 感じます。これも日本の歴史で
> あり、文化なんですよね。
> 大切にしていきたいものです^^
仰るとおりです。今回のような文化史の勉強は、私たちが普段意識していない伝統建築の重要性を思い起こさせてくれますね。
絵画では、平安時代末期に始まった絵巻物(えまきもの)が引き続き盛んにつくられ、人物の一代記を描いた一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)や、合戦における戦いぶりを描いた蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)・平治物語絵巻(へいじものがたりえまき)などの作品が生まれました。また、個人の肖像(しょうぞう)を写実的に描いた似絵(にせえ)もつくられ、藤原隆信(ふじわらのたかのぶ)・信実(のぶざね)父子による名作が生まれました。
書道では、宋や元の書風が伝えられたことで、伏見天皇(ふしみてんのう)の皇子であった尊円法親王(そんえんほうしんのう)によって、平安時代以来の世尊寺流(せそんじりゅう)を基本とした青蓮院流(しょうれんいんりゅう)が新たに創始されました。
工芸面では武家政権の影響を受けて武器や武具の製作技術が進歩したことで、刀剣では備前国(びぜんのくに、現在の岡山県南東部)の長船長光(おさふねながみつ)や京都の粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)、鎌倉の岡崎正宗(おかざきまさむね)らが名作を残しました。また、宋の青磁(せいじ)や白磁(はくじ)が輸入されたことで、尾張国(おわりのくに、現在の愛知県西部)の瀬戸焼(せとやき)を初めとする陶器(とうき)の生産も盛んとなりました。
※これで鎌倉時代は終了です。明日(4月29日)からは第13回歴史講座の内容の更新を開始します。




いつも有難うございます。
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HANA子 そう!
この頃の仏教芸術や絵巻物、刀剣類が大好物なんです
刀剣といえばやはり一番人気は正宗でしょうか
わたしが特に目を奪われた覚えがあるのが東京国立博物館所蔵の太刀・小龍影光・・・備前長船の一品なんですが、別名「のぞき龍影光」と呼ばれる名刀なんです(長く名物と認められなかったって不遇な挿話があります)。
やっぱ好きな物に関しては話が長くなっちゃいますね^^;
長文失礼です
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クメゼミ塾長 金剛力士像
黒田先生も拝観されましたよね?
何回観ても、写実的でド迫力
圧倒されますね~♪
あっ大きさもですが、実在しないはずなのに、あのリアルさ。
凄いし、素晴らしいです
HANA子さんへ
黒田裕樹 今回も詳しいお話を有難うございます。
鎌倉時代になると、現代にもつながる文化が多くなりますよね。特に刀剣類は武家政権とともに発展を続けましたから、その美しさはHANA子さんの仰るように目を奪われるものがあります。
クメゼミ塾長さんへ
黒田裕樹 奈良は同じ関西地方ですから、小学生時代の遠足も含めて、仰るように何度も拝観しておりますよ。幼い頃は良くマネをしたものです(笑)。
実像を近くで見たときの興奮は、何度足を運んでも同じものがありますね。