館の周辺には年貢や公事(くじ)がかからない、佃(つくだ)や門田(かどた)などと呼ばれた直営地(ちょくえいち)があり、下人(げにん)や所領内の農民を使って耕作させた一方で、自らは地頭として国衙領(こくがりょう、国の領地のこと)や荘園を現地で管理して、農民から年貢を徴収(ちょうしゅう)して国衙領や荘園領主に納めていました。
武士の社会では、一族の子弟たちに所領を分け与える分割相続(ぶんかつそうぞく)が一般的でした。一族は宗家(そうけ、別名を本家=ほんけ)の長である惣領(そうりょう)を中心に統率されており、惣領以外の庶子(しょし)とともに、戦時には団結して戦うとともに、平時には氏神(うじがみ)の祭りなどが惣領を中心に行われました。このような制度を惣領制(そうりょうせい)といいます。
ちなみに、分割相続の際には女性に対しても公平に分配されていました。また、女性が御家人や地頭になる例も見られるなど、この時代の女性の地位は比較的高いものであったといえるでしょう。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
日本のこれまでの歴史の中では、
女性の地位というのは、いつの時代も低いものと漠然と考えておりましたが、
この時代のように、女性も優遇されていた時期があったのですね!
それと勉強不足で恐れ入りますが、地頭とは
現代社会でいう所の県庁、都庁、府庁、道庁などに値する存在なんでしょうか。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本のこれまでの歴史の中では、
> 女性の地位というのは、いつの時代も低いものと漠然と考えておりましたが、
> この時代のように、女性も優遇されていた時期があったのですね!
そのとおりでして、女性はいつの時代も低く見られたというのは真っ赤な嘘です。
「100」か「0」かというような暗黒史観は、人々の判断を誤らせますね。
> それと勉強不足で恐れ入りますが、地頭とは
> 現代社会でいう所の県庁、都庁、府庁、道庁などに値する存在なんでしょうか。
地頭は、平たく言えば国の領地や荘園の管理人ですが、任命権は幕府にありました。また、地頭はその権限を利用して様々な権利を奪っていくようになります。このあたりはいずれ紹介しますね(^o^)丿
黒田裕樹さん.
りら 惣領 の言葉
そこからきたのね
知らなかった
これからも勉強しますね
黒田裕樹さんのブログで
りらさんへ
黒田裕樹 そうですね。私たちが日常よく使う言葉の由来まではなかなか分からないものですが、それを知ることがまた歴史の理解につながることもあります。
先祖伝来の流れをしっかりとらえることができる講座でありたいものですね。
.
オバrev この時代は、見事に男女平等なんですね。
いつ頃から変わっていったんでしょうねぇ?
しかし、いざ鎌倉!という律儀な考え方はずっと続いていて、現在の会社人間に繋がっているような気もします。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > この時代は、見事に男女平等なんですね。
> いつ頃から変わっていったんでしょうねぇ?
室町時代になって、分割相続から長子相続に変わった頃か、戦国時代になって武将として戦うのが男だけになったからか、江戸時代の朱子学の影響か…。色々考えられますね。もっとも、現在は男女平等が標榜(ひょうぼう)されておりますが。
> しかし、いざ鎌倉!という律儀な考え方はずっと続いていて、現在の会社人間に繋がっているような気もします。
確かにそうですね。日本人の律儀さが、会社組織には好都合なところがあるのかもしれません。
.
紗那 あ、出ましたね。分割相続。
この週間が将来的に鎌倉幕府滅亡の間接的な一原因と化す訳ですか。 なかなか複雑ですね。
女性の地位の高さにびっくりしました。女性にも公平に、っていうのは初耳です。 ん~、今後の記事追っていきます。
.はじめまして。
tursiops 初めてコメントさせて頂きます。履歴をたどってお邪魔して以来のリピーターす。黒田裕樹さんの、少し別の角度から見た日本史、とても興味深く、楽しいので石器時代の記事から順に読ませて頂いているところです。
初めてのコメントで申し訳ございませんが、リンクさせて頂きました。御都合が悪いようでしたらご連絡いただけないでしょうか?
突然失礼いたしました。これからも記事の更新を楽しみにいたしております。
紗那さんへ
黒田裕樹 > あ、出ましたね。分割相続。
> この習慣が将来的に鎌倉幕府滅亡の間接的な一原因と化す訳ですか。 なかなか複雑ですね。
仰るとおりです。分割相続を続けていれば、一人一人の持つ所領は代を追うに従って少なくなりますよね。収入が減ったのに暮らし向きを変えられなければ、やがては借金生活になる。借金が増えれば…近日中に講座で紹介しましょう(笑)。
> 女性の地位の高さにびっくりしました。女性にも公平に、っていうのは初耳です。 ん~、今後の記事追っていきます。
私たちは必要以上に「かつての日本は男女差別がひどかった」と頭から信じ込まされているのかもしれません。差別がなかったとは無論言うつもりはないですが、せめて今回のような事実に基づいて議論を重ねたいものですね。
tursiopsさんへ
黒田裕樹 > 初めてコメントさせて頂きます。履歴をたどってお邪魔して以来のリピーターす。黒田裕樹さんの、少し別の角度から見た日本史、とても興味深く、楽しいので石器時代の記事から順に読ませて頂いているところです。
はじめまして、ご訪問ならびにお言葉有難うございます。
お気に召していただければ、それだけブログ継続への励みになります。
> 初めてのコメントで申し訳ございませんが、リンクさせて頂きました。御都合が悪いようでしたらご連絡いただけないでしょうか?
リンクの件は喜んでお受けします。こちらからも是非相互リンクをさせていただきたいと思います。
> 突然失礼いたしました。これからも記事の更新を楽しみにいたしております。
いえいえ、こちらこそよろしくお願いいたします。
一方、武士は苦労の末に所有できた先祖代々の所領を子孫に伝えることを念願するとともに、そのために武勇を重んじるなどの質実剛健(しつじつごうけん、飾り気がなく真面目で、たくましく、しっかりしているさまのこと)の気風や名誉を大切にしていました。
このような武士特有の道徳は「兵(つわもの)の道」や「弓馬(きゅうば)の道」と呼ばれ、武士による力強い精神と生活は、我が国の社会に新しい活力を与えるとともに、武士による新しい社会を世の中に定着させる要因にもなりました。
また、武士の道徳は、武勇を重んじるとともに主人に対する忠誠心や、一門や一家の繁栄(はんえい)を願うといった精神、あるいは恥を知るという感情といった特徴(とくちょう)を持っており、これらは後世における武士道(ぶしどう)の起源にもなりました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ラズベリー いつもありがとーございます^∀^
ラズベリーわ社会苦手なんですけど,黒田裕樹さんのぶろぐ見てると
なんだか好きになったよーな気分になりました★!
教科書より分かりやすいですww
ラズベリーさんへ
黒田裕樹 > いつもありがとーございます^∀^
お帰りなさい!(^o^)丿
こちらこそいつも有難うございます(^^♪
> ラズベリーわ社会苦手なんですけど,黒田裕樹さんのぶろぐ見てると
> なんだか好きになったよーな気分になりました★!
> 教科書より分かりやすいですww
それはものすごく大事なことですよ。
苦手科目というのは表面上の成績だけでなく、心の中に「この教科は嫌いだ」という意識が勉強させるのをためらわせるものです。
ということは、逆に言えば苦手意識さえなくすことができれば、一転して得意科目になる可能性だってある、というわけです。
これからも是非お越しくださいね(^_^)v
.武士の道徳、武士道について
伝次郎 この時代頃から武士の生き方が形作られているのですね。
私はてっきり江戸時代だけでできたと考えていました。
新渡戸稲造の武士道は貴族の私兵「さぶらふ」から江戸の終わりまでの武士の生き方を武士道としたのでしょうか?
お邪魔しました。
伝次郎さんへ
黒田裕樹 武士道は近世に完成されたと考えられておりますが、突然起こったわけではなく、長い歴史の中で少しずつ構成されていったんですね。
歴史を流れでとらえなければならない重要性の一つでもあります。
そして、新渡戸稲造の「武士道」も、そういった流れの中で編み出されたと考えるべきではないかと私は思います。
.
ぴーち こんばんは!
武士といえば、一番真っ先に
思い浮かべるのは、
「武士は食わねど、高楊枝」
「武士に二言はない」「武士の情け」「人は武士、花は桜」
え~っと、、後は何でしょうか^^;
ことわざを並べろというお題じゃなかったですねっ(大恥)
藤沢周平の「武士の一分」も有名ですね~。
あ、これも外したかしら(^m^
応援~♪
.黒田裕樹様
りら 武士道の起源
分かりやすかったです
これからも 楽しく勉強させて頂きますね
.武士道精神
オバrev なるほど、武士道の原点は鎌倉時代にあるんですね。
それにしても、この武士道精神というか、武士としての理念や哲学といったようなものは、特別に教えていたのか、それとも自然と武士が身につけたものなのかが気になるところです・・・って、また質問してしまった ^^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 武士といえば、一番真っ先に
> 思い浮かべるのは、
> 「武士は食わねど、高楊枝」
> 「武士に二言はない」「武士の情け」「人は武士、花は桜」
> え~っと、、後は何でしょうか^^;
> ことわざを並べろというお題じゃなかったですねっ(大恥)
武士のつくことわざは色々ありますよね(^^♪
それだけ武士の時代が長かったということでもあります。
> 藤沢周平の「武士の一分」も有名ですね~。
> あ、これも外したかしら(^m^
いえいえ、外されていませんよ(笑)。
時代劇映画もまだまだ健在ですね(^_^)v
りらさんへ
黒田裕樹 いつも有難うございます。
武士道はこの時代の武士の生活が基本になっているんですよね。
歴史の長さが実感できるエピソードでもあります。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > それにしても、この武士道精神というか、武士としての理念や哲学といったようなものは、特別に教えていたのか、それとも自然と武士が身につけたものなのかが気になるところです・・・って、また質問してしまった ^^;
ハイ、質問にお答えします(笑)。
物事の筋道というのは、生活していれば自然と成り立つものですから、当初は自然と身につけられたものではないかと思います。そして、それが理想とされたことによって、後世になると幼い頃から精神論として叩き込まれるようになったといえるでしょう。
良いと思われるものは歴史に残り、後世の人間に教材になる。武士道精神に限らない話でもありますね。
地頭による非法に対して、荘園領主は訴訟によって事態を解決しようとしましたが、現地に根を下ろした地頭の行動は、次第に無視できないものになっていきました。そこで領主側は、地頭との紛争を避(さ)けて収入を確実に得るため、やむを得ず地頭に荘園の管理一切を任せて、一定の年貢収入だけを請け負わせるという地頭請(じとううけ)の制度を認めました。なお、請負の対象となった土地のことは請所(うけしょ)と呼ばれました。
この他にも、現地の土地を分割して地頭に分け与え、別々の支配を認め合うという下地中分(したじちゅうぶん)も行われるようになるなど、地頭の権限はさらに強化されていきました。これらの背景には、武士が政治の実権を握ったことで地位が飛躍的(ひやくてき)に上昇したのみならず、強い武力を持っていた地頭に対して、荘園領主が何もできなくなってしまったという実情がありました。
鎌倉幕府の方針も、基本的には当事者間の取り決めによる解決を進めたことで、荘園などの現地の支配権は、次第に地頭の手に移っていきました。まさに「泣く子と地頭には勝てない」といったところでしょうか。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
りら 荘園ってそういう意味だったんだ
いつも頭の回転が良くなるみたい
明日も楽しみにしてるね
.
ぴーち こんばんは!
う~ん。。確かに
「泣いている子」は
手に負えないですもんね^^;
地頭は、飛ぶ鳥を落とすような
勢いがあったのですね!
それでも、その後の展開が
気になります^^;
応援凸
.
ラズベリー こんなに分かりやすく書くってすごいですねー★^∀^!
ランキングの全部ぽちっとしましたww
りらさんへ
黒田裕樹 今日も有難うございます。
荘園は奈良時代から続いていますが、この頃になると勢力が衰えて、次第に地頭のほうが影響力を増してくるんですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > う~ん。。確かに
> 「泣いている子」は
> 手に負えないですもんね^^;
「泣く子と地頭には勝てない」ということわざほど、当時の状況を物語っているものはないと思います。武力を背景に荘園の影響力を削いでいくあたりが巧妙ですよね。
> 地頭は、飛ぶ鳥を落とすような
> 勢いがあったのですね!
> それでも、その後の展開が
> 気になります^^;
そうですね。鎌倉時代は地頭の影響が強いですが、室町時代になると別の役職の方が強くなっていきます。戦国大名以前に「○○大名」と呼ばれていますからね(^^♪
ラズベリーさんへ
黒田裕樹 > こんなに分かりやすく書くってすごいですねー★^∀^!
嬉しいですねぇ(^_^)v
私にとっては最大級の褒め言葉です(^o^)丿
> ランキングの全部ぽちっとしましたww
有難うございます。ラズベリーさんのブログへも、こちらからまた応援させていただきますね(^^♪
.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
いつも時代でもやっぱり一つ認めてしまうと
そこから少しづつ掌握されて
最後には完全に支配されてしまうのは
いつの時代も共通なものだと感じました。
「泣く子と地頭には勝てない」
まさにその通りだと思いますね。
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > いつも時代でもやっぱり一つ認めてしまうと
> そこから少しづつ掌握されて
> 最後には完全に支配されてしまうのは
> いつの時代も共通なものだと感じました。
そうですね。まさに「庇(ひさし)を貸して母屋を盗られる」といったところでしょうか。
現代でも同じようなことが起ころうとしているようですが…。
> 「泣く子と地頭には勝てない」
> まさにその通りだと思いますね。
これほどしっくりとしたことわざも珍しいですね。
地頭の横暴さが目に浮かぶようです。
.
shana おお、農民さんが苦しくなってきますね。やはり二重に取られると大変でしょうねー……
ていうか、力に物を言わせるのって……
shanaさんへ
黒田裕樹 > おお、農民さんが苦しくなってきますね。やはり二重に取られると大変でしょうねー……
表向きは地頭が荘園領主の代わりに年貢を徴収することになっていますが、その実は…。この時代はまだまだ「力あるものが勝つ」んですね。
> ていうか、力に物を言わせるのって……
武士の世の中ですからね。鎌倉幕府自体も「力に物を言わせて」政権を奪取しましたから、この流れもむしろ当然なのかもしれません。