1160年、清盛は正三位(しょうさんみ)に昇進して武士でありながら公家(くげ)の身分を得ることとなり、それまで貴族から見下(みくだ)されていた武士が、初めて公家=貴族の仲間入りをし、彼らと肩を並べることになりました。1161年には清盛の妻の妹で、後白河上皇に嫁いでいた平滋子(たいらのしげこ)が憲仁親王(のりひとりんのう)を産んだことで、後白河上皇との縁が近くなるなど、朝廷から着実に信頼を得た清盛は、出世街道を歩み続けることになりました。
そして1167年、清盛は従一位(じゅいちい)の太政大臣(だじょうだいじん)にまで昇進しました。また清盛は、憲仁親王が1168年に即位されて第80代の高倉天皇(たかくらてんのう)になられると、自分の娘である平徳子(たいらのとくこ)と従兄妹(いとこ)同士の結婚をさせて、二人の間に言仁親王(ときひとしんのう)がお生まれになると、親王が3歳の1180年に第81代の安徳天皇(あんとくてんのう)として即位させ、清盛はついに天皇の外祖父(がいそふ、母方の祖父のこと)となりました。
また、隆盛(りゅうせい)を極めた平氏の下には全国各地から500ヶ所以上の荘園(しょうえん)が集まると同時に、平氏が支配を任された知行国(ちぎょうこく)の数も全国の半数近くの30数ヶ国にまで拡大するなど、経済的な基盤(きばん)も強化されました。このような政治的・経済的な背景に支えられたことによって、武士(=平氏)が朝廷にかわって初めて本格的に政治の実権を握ることになりました。こうした平氏による政治のことを平氏政権(へいしせいけん)といいます。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
オバrev 平清盛は、武士であることを忘れ、貴族になろうとしたのかな。藤原清盛と名前変えてもいいくらいですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 平清盛は、武士であることを忘れ、貴族になろうとしたのかな。藤原清盛と名前変えてもいいくらいですね。
今回も鋭いですね(^^♪
武士出身でありながら、やってることはそのまんまですからね。次回(26日)以降に詳しくご紹介できると思います。
ぴーち こんばんは!
こちらでは、清盛の湯というのがありまして、一度だけ入った事があります!
http://kiyomori.net/ofuro.html
それと記事に関係ないコメ次いでに、
今日は先生のブログ、非常にヘビーで
コメントが書き辛いです(><)
ですので、こんなコメで失礼します^^;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こちらでは、清盛の湯というのがありまして、一度だけ入った事があります!
> http://kiyomori.net/ofuro.html
HPを拝見しましたが、落人伝説なんですね。源泉掛け流しとは贅沢(ぜいたく)な温泉です(^^♪
> それと記事に関係ないコメ次いでに、
> 今日は先生のブログ、非常にヘビーで
> コメントが書き辛いです(><)
> ですので、こんなコメで失礼します^^;
う~ん、難しかったでしょうか(^^ゞ
まぁ確かに難しい用語が並んでいますが、今日の流れをご理解いただいたうえでの話が続きますので、明日以降もよろしくお願いしますm(_ _)m
歴史
JJSG こんばんは。
そういった歴史があったから、今の世の中があるんでしょうね。
その歴史がなかったら、今の世の中はどうなっていたかなぁ。
JJSGさんへ
黒田裕樹 > そういった歴史があったから、今の世の中があるんでしょうね。
> その歴史がなかったら、今の世の中はどうなっていたかなぁ。
仰るとおり、今回の場合は「平氏政権」という「前例」があったればこそ、以後の歴史の流れが成立する訳です。平氏政権がなかったとすれば、貴族から武士への「政権交代」があれぼど上手くいったのか…。
正直言って見当もつかないですね。
平氏は荘園や知行国(ちぎょうこく)の他にも、日宋貿易(にっそうぼうえき)という大きな経済的基盤をもっていました。我が国と宋とはそれまで正式な外交を持っていませんでしたが、以前から民間の商船との交易は盛んに行われていました。清盛は摂津国(せっつのくに)の大輪田泊(おおわだのとまり、現在の神戸港の一部)を修築(しゅうちく)したり、音戸の瀬戸(おんどのせと、現在の広島県呉市付近)の海峡(かいきょう)を開いたりして、瀬戸内海の航路を整備して貿易の拡大に努めました。
貿易の主な輸出品は金や水銀、硫黄(いおう)などの鉱物(こうぶつ)や刀剣などの工芸品、あるいは木材などで、主な輸入品は宋銭(そうせん)や陶磁器(とうじき)、香料や薬品、書籍などでした。特に宋銭は我が国の通貨として流通し、貿易で得た莫大(ばくだい)な利益は、そのまま平氏の貴重な財源となりました。
こうして政治的・経済的に磐石(ばんじゃく、非常に安定していること)の体制を築いた平氏政権でしたが、平氏による権力の独占は、やがて周囲の反発を招くことになりました。中でも晩年の清盛を悩ませたのが、ある「大物政治家」による様々な行動でした。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
へえ~平清盛という人物は、
こんなに精力的に活躍された方だったんですか!
全く、存じませんでした^^;
そんな清盛にも苦手な方が居たんですね^^
どなたかしら・・。また、明日が楽しみです♪
それと、前回のコメントの件ですが、
ヘビーと言ったのは、黒田さんの記事にではなくて、
ブログサイトのサーバー不調?だったのか、
動作が遅くなってしまい、コメントがし辛い状況
だったんですよ^^;
勘違いさせてしまいまして、すみませんでしたm(__)m
それでは、凸
また、お邪魔しますね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > へえ~平清盛という人物は、
> こんなに精力的に活躍された方だったんですか!
> 全く、存じませんでした^^;
> そんな清盛にも苦手な方が居たんですね^^
> どなたかしら・・。また、明日が楽しみです♪
今日の記事は「政治家・清盛」を中心に書かせていただいております。
周囲を自分の一門で固めた上で、経済力を高めるために投資を行って莫大な利益を上げる…。これだけ聞けば、平氏政権に隙がないように見えるんですが…。
> それと、前回のコメントの件ですが、
> ヘビーと言ったのは、黒田さんの記事にではなくて、
> ブログサイトのサーバー不調?だったのか、
> 動作が遅くなってしまい、コメントがし辛い状況
> だったんですよ^^;
> 勘違いさせてしまいまして、すみませんでしたm(__)m
ありゃ、そうでしたか(^^ゞ
勘違いしてこちらこそ失礼しましたm(_ _)m
FC2は便利なんですが、こういう問題は困ったものですね…(´・ω・`)
私はやっぱり賢い?
清家淳子 大輪田泊は覚えてた(^-^)/
しかもおおわだのとまりとちゃんと読めた自分に感動(;_;)
すごい~私(=^▽^=)
でも後は分からなかったから凹んでました…
清家淳子さんへ
黒田裕樹 > 大輪田泊は覚えてた(^-^)/
> しかもおおわだのとまりとちゃんと読めた自分に感動(;_;)
それは良かったです(^_^)v
現在の神戸港の一部ですが、結構有名なのかもしれませんね。
> すごい~私(=^▽^=)
> でも後は分からなかったから凹んでました…
音戸の瀬戸は難しいですから、仕方ないですよ(´・ω・`)
おぉ
JJSG こんばんは。
おもしろくなってきました。
JJSGさんへ
黒田裕樹 > おもしろくなってきました。
有難うございます。
次回(27日)から、いよいよ平氏政権の「真の姿」を紹介することになりますので、よろしくお願いします。
計略の背景に後白河法皇の存在があったことを知った清盛は激怒して、2年後の1179年には軍勢を率(ひき)いて後白河法皇を幽閉(ゆうへい、閉じ込めること)して院政を停止し、法皇の近臣たちの官職をすべて解くなど、逆にクーデターを起こしました。この事件を当時の年号から治承三年の政変(じしょうさんねんのせいへん)といいます。尚、清盛の孫の安徳天皇(あんとくてんのう)が即位されたのはこの翌年(1180年)のことです。
清盛の立場から見れば、平氏政権を危(あや)うくしたのは後白河法皇側であり、法皇のかわりに平家と血のつながりのある天皇を立て、反対勢力を封じ込めて一門で官職を固めるのは当然の防衛手段といえました。しかし、法皇を幽閉するという強硬な手段が、周囲の更なる反発を招いてしまったのです。後の世で足利尊氏(あしかがたかうじ)や織田信長(おだのぶなが)らが同じように武士の身分でありながら皇室と対決状態にあっても、非難の声が平氏ほどなかったことを考えれば、まさに開拓者(かいたくしゃ)ゆえの悲劇ともいえました。
それに加えて、平氏政権には自身が気づいていない「重大な欠陥(けっかん)」があり、実はそれこそが後の平氏滅亡へと直接的につながっていったのでした。では、その欠陥とはいったい何だったのでしょうか?




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
えめる なんだったのでしょうかニャ?
まったく分かりません。
って、こんなコメントしか出来なくて、恥ずかしいです。
あうあうー。
馬人 うーん、難しいですねw
この時代、理解するのに沢山の時間を要しますorz
おいおい!法王を幽閉したのかよっ!
平氏滅亡の理由、気になります~
えめるさんへ
黒田裕樹 > なんだったのでしょうかニャ?
> まったく分かりません。
> って、こんなコメントしか出来なくて、恥ずかしいです。
> あうあうー。
お気になさらずに(^^♪
これからしっかりと理解してくださいね(^_^)v
馬人さんへ
黒田裕樹 > うーん、難しいですねw
> この時代、理解するのに沢山の時間を要しますorz
確かに色んな要素が複雑にからみあっていますからね。
ただ、もつれた糸も「ある理由」で簡単にほぐれるんですよ。
> おいおい!法皇を幽閉したのかよっ!
> 平氏滅亡の理由、気になります~
いくら組織防衛のためとはいえ、法皇様を幽閉するのは、やりすぎですね。
しかも「第一号」だかた余計に叩かれるし…。
「開拓者」はいつの世も肩身が狭いものなんですね。
ぴーち なるほど、、強引気味に
疾走しようとすると、それだけ
風当たりも強いと言う事ですね。
重大な欠陥を、私に質問なさらないでぇ~~^^;
え?私だけにじゃないから、大丈夫だって?(笑)
でも、皆さんも悩んでいらっしゃるので、私が判らないのは
仕方がないかな(苦笑)
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、、強引気味に
> 疾走しようとすると、それだけ
> 風当たりも強いと言う事ですね。
そうですね。無茶な方法はどうしてもしこりが残りますし、火種がある限りはいつ燃え上がるか分かりませんからね。
> 重大な欠陥を、私に質問なさらないでぇ~~^^;
> え?私だけにじゃないから、大丈夫だって?(笑)
> でも、皆さんも悩んでいらっしゃるので、私が判らないのは
> 仕方がないかな(苦笑)
いささか難しいでしょうか?(^^ゞ
次回(28日)以降から分かると思いますよ。
よくわかりません
オバrev やっぱ、やり過ぎたらいけないですね、いつの時代も。
でも権力持ったら、その辺が見えなくなるし、それを言ってくれる人もいなかったんでしょうね。
それにしても、頼朝、義経を生かしておいたことや法皇幽閉以上に重大な欠陥?
・・・貴族の仲間入りをしたのに、貴族特有のブラックジョークが言えなかったとか(?_?)?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > やっぱ、やり過ぎたらいけないですね、いつの時代も。
> でも権力持ったら、その辺が見えなくなるし、それを言ってくれる人もいなかったんでしょうね。
そのとおりですね。独裁者はいつの時代も孤独ですし、それゆえに行き過ぎた政治を行ってしまいがちです。
> それにしても、頼朝、義経を生かしておいたことや法皇幽閉以上に重大な欠陥?
> ・・・貴族の仲間入りをしたのに、貴族特有のブラックジョークが言えなかったとか(?_?)?
斬新な発想ですが(笑)、残念ながら違います。週末の二日間で詳しく解説していきますので、ご覧になって下さいね(^^♪
勝てば官軍
JJSG こんにちは。
勝てば官軍、弱肉強食。
よーするに、正しいも正しくないも、勝つか負けるかで決まってしまう。
現今の政治も、なんら変わらない。
今日ほめて、明日悪く言う人の口 泣くも笑うも、ウソの世の中。。。(一休)
世の中のこと、みなもって、そらごと、たわごと、まことあることなし。(歎異抄)
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 勝てば官軍、弱肉強食。
> よーするに、正しいも正しくないも、勝つか負けるかで決まってしまう。
> 現今の政治も、なんら変わらない。
悲しいかな、そういう傾向が見られるのは仕方がないことかもしれませんね。
平家はこの段階では勝者ですが…。
そんな武士たちにとって、深刻な問題となったのが「土地制度に関する大きな矛盾(むじゅん)」でした。我が国では公地公民制の原則が早々(そうそう)に崩(くず)れ、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)によって新たに開墾(かいこん)した土地の私有が認められましたが、その権利があったのは有力貴族や寺社などの限られた勢力のみでした。
しかし、実際に現地で汗水たらして開墾したのは、せっかく耕(たがや)した土地を一所懸命(いっしょけんめい)に守り抜くために武士となった人々でした。それなのに、法律上では武士たちには土地の所有が一切認められなかったがために、仕方なく摂関家などの有力者に土地の名義を移して、自らは「管理人」の立場をとるしかなかったのです。
つまり、武士は実質的には自分たちの土地であっても、正式な所有者にはなり得ませんでした。こんな不安定な、また人を馬鹿にした話はありません。「自ら開墾した土地は、自らの手で堂々と所有したい」。武士たちの願いには切実なものがありました。
やがて時代は流れ、武士の中からついに政治の実権を我が手にする勢力が現れました。もちろん平清盛をはじめとする平氏政権のことです。全国の武士は、同じ身分である平氏ならば、自分たちの期待にきっと応えてくれると固く信じていました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ケンシロウ こんにちは。
今日は講座の日ですね。
今頃準備に追われている頃かと思いますが
頑張って下さいな。
ブログのタイトルを300mmの・・・に変更しました。
お手数ですが変更願います。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 > 今日は講座の日ですね。
> 今頃準備に追われている頃かと思いますが
> 頑張って下さいな。
お蔭さんでようやく準備が整いました。
これから行ってまいります。
> ブログのタイトルを300mmの・・・に変更しました。
> お手数ですが変更願います。
了解しました。直しておきますね(^^♪
管理人のみ閲覧できます
-
必然
JJSG こんばんは。
時代の流れ、というものを感じます。
当然の流れ、必然、といった感じでしょうか。
そうやって、刻々と変化、変遷していったのですねぇ。
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 時代の流れ、というものを感じます。
> 当然の流れ、必然、といった感じでしょうか。
> そうやって、刻々と変化、変遷していったのですねぇ。
そうだと思います。時代の流れには逆らえないのか、あえて逆らって名を残すのか…。平氏政権も、誕生の流れには必然性があったと思われますが…。
なぜなら、平氏が摂関家の真似(まね)をしただけでは、武士たちの立場に全く変化がなかったからです。もともと藤原氏が摂関政治を行っていた頃には、武士たちの多くが「貴族たちには武士の気持ちなどは分かるまい」と思い、あきらめていました。そんな折に自分たちの代表でもある平氏が政治の実権を握り、今度こそはという期待が高かっただけに、裏切られたという思いも強く、平氏に対して「同じ武士なのに、どうして俺たちの思いが分からないのか」と余計に不満を持つようになりました。
また、それまで政治を行っていた貴族たちも、身分が低いうえに血を流す「ケガレた」仕事しかしないと見下(みくだ)していた武士である平氏が、自分たちの真似をしたことに対して激しく反発していました。すなわち、平氏の行った政治は、武士と貴族の双方から問答無用で拒否されてしまったのです。後の世で武士による政治が広く支持されたという現実を考えれば、初めてであるがゆえに確固(かっこ)たるビジョンを持てなかった「開拓者」としての平氏の悲劇でもありました。
こうして、武士として初めて政治の実権を握った平氏は、当時の国民の代表たる武士たちの共感を得ることができませんでした。いくら武力で世の中を支配したところで、それが国民の理解を得られなければ、その支配は長続きできません。それゆえに「武士のための政治」を実現させる他の勢力が現われると、平氏の天下はたちまち崩れ去ってしまう運命にあり、現実としてそうなってしまいました。
では「武士のための政治」とは一体どのようなものなのでしょうか。そして、平氏にかわって政治の実権を握った勢力には、なぜ「武士のための政治」が理解できたのでしょうか?
この謎を解き明かすためにも、カギを握る人物の行動を、次の時代の分野でじっくりと考察(こうさつ)してみたいと思います。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
えめる 世を治めるものは、確かなビジョンを持たなければならニャイ。
ですにゃね。
武士による政治の先駆者であった清盛。
自分の立場しか考えなかったのかニャ……。
次回からじっくりでスニャね。
はいっ!←返事だけ元気なネコ。
えめるさんへ
黒田裕樹 > 世を治めるものは、確かなビジョンを持たなければならニャイ。
> ですにゃね。
> 武士による政治の先駆者であった清盛。
> 自分の立場しか考えなかったのかニャ……。
武士であっても、後半は事実上貴族でしたからね。「武士の気持ち」が分からなくなっていたと思われます。それがまた悲劇でもありました。
> 次回からじっくりでスニャね。
> はいっ!←返事だけ元気なネコ。
そうなんですが、ワンポイントをはさんで吉宗になりますので、再開にはしばらく時間がかかるかも…m(_ _)m
馬人 貴族から逆に批判されてしまったんですね…。
学校生活でいうと、転校したところで威張り、
「何コイツ、この学校を分かったフリして威張ってやんの」
といじめられるようなものでしょうか?ww
貴族から見れば、武士は汚れてますもんね・・・。
アクセスランキングに参加しませんか?
ブログランキング はじめまして、
人気ブログランキングのブログん家の管理者です。
よろしければ、アクセスランキングに参加しませんか?
http://www.blog-server.net/
よろしくお願いします。
馬人さんへ
黒田裕樹 > 貴族から逆に批判されてしまったんですね…。
> 学校生活でいうと、転校したところで威張り、
> 「何コイツ、この学校を分かったフリして威張ってやんの」
> といじめられるようなものでしょうか?ww
なるほど、上手い例えですね。あとは生徒会長に立候補した際に「生徒の言い分を通してみせる!」と息巻いたことで圧倒的多数で当選したのに、実際には先生の言いなりになっているとか(笑)。「生徒」と「先生」以外でも当てはまるのものは多そうですね。
> 貴族から見れば、武士は汚れてますもんね・・・。
そのとおりです。争って血を流す「ケガレた」存在としか見ていませんでしたからね。そもそもは自分たちの政治のせいで武士が誕生せざるを得なかったというのに…。
ブログランキングさんへ
黒田裕樹 お誘いいただいて有難うございます。
あまりランキングを増やすと、ご覧になっていただく方へのご負担が増える恐れもありますので、慎重に判断したいと思います。
身分
JJSG こんばんは。
先がまた楽しみになってきました。
貴族も武士も皇族も、みな同じ人間なのに、どうして皆、上下の身分差別をつけたがるのでしょう。。。
結局、人間は、自分さえよければよい、という我利我利亡者が本性だからでしょうか。」
そして、歴史は繰り返される。。。
続きを楽しみにしています♪
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 貴族も武士も皇族も、みな同じ人間なのに、どうして皆、上下の身分差別をつけたがるのでしょう。。。
「他人とは違う」ことでしか存在感のない人が多いからかもしれませんね。本来は「オンリーワン」で当たり前なのに、わざわざ歌で紹介されるくらいですから…。
> 結局、人間は、自分さえよければよい、という我利我利亡者が本性だからでしょうか。」
> そして、歴史は繰り返される。。。
確かに本性かもしれませんね。なまじ権力を持つと、歯止めが効かなくなるのかも…。
> 続きを楽しみにしています♪
有難うございます。ただ、講座のUPなどがありまして、しばらく時間をいただくことになりますのでご了承下さい。
h.hamauzu こんばんは!
新しいことを切り開いて、モノにする・・・
そのためには確乎たるビジョンが必要なんですね。
分かっちゃいるけど耳が痛いです~!
ちなみに私の家系は平氏の末裔でして、
父方の田舎は高知の山奥だったりします
つまり、高知まで落ち延びたわけです・・・
で、父の名前は「章盛(あきもり)」といいます。
いかにも平氏だと思いませんか?
身内の話で失礼しました♪
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> 新しいことを切り開いて、モノにする・・・
> そのためには確乎たるビジョンが必要なんですね。
> 分かっちゃいるけど耳が痛いです~!
確かに「言うは易し、行うは難し」ですからね。でも、方法が分かればできないことはないし、できたからこそ新しい時代を迎えられたのもまた事実なんですよね。
> ちなみに私の家系は平氏の末裔でして、
> 父方の田舎は高知の山奥だったりします
> つまり、高知まで落ち延びたわけです・・・
「落人伝説」は各地にありますからね。山奥のように見つかりにくい場所でない
と生活できないのも事実のようです。
> で、父の名前は「章盛(あきもり)」といいます。
> いかにも平氏だと思いませんか?
確かに「盛」がつくと、そういうイメージがありますね。
> 身内の話で失礼しました♪
いえいえ、また数々のお話を楽しみにしておりますm(_ _)m