経済的な理由や家庭的な理由などで、必ずしも満足できない日常を過ごす人々もおられるでしょうが、それでも毎日を「生命の危険」と隣り合わせで生きている、ということは少ないと思います。一昔前に比べればかなり悪化しているとはいえ、我が国の警察組織はまだまだ信頼できますし、諸外国との平和条約などによる外交努力や我が国の法律の整備、加えて日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)によるアメリカ軍の駐留(ちゅうりゅう)と自衛隊(じえいたい)とによって、我が国自体の防衛力も健在です。
しかし、過去の我が国では少なくとも2回は、国の内外で治安が大いに乱れた時代がありました。一つは言うまでもなく戦国時代(せんごくじだい)です。中央の室町幕府(むろまちばくふ)の弱体化によって、力があれば身分の上下に関わらず出世ができるという下剋上(げこくじょう)の時代を迎えたことで、結果として当時の多くの人々の血が流されました。
また、大航海時代(だいこうかいじだい)を迎えていた西洋では、白色人種(はくしょくじんしゅ)による宗教(=カトリック)を利用しての諸外国への侵略が「正義」として当然のように行われていました。我が国では評価の低い豊臣秀吉(とよとみひでよし)によるいわゆる朝鮮出兵(ちょうせんしゅっぺい)も、実は欧州(おうしゅう、ヨーロッパのこと)からの侵略を回避(かいひ)するためだったという側面があったのです。尚、この話はいずれ機会を改めて紹介します。
では、もう一つの「治安が大いに乱れた時代」とはいつだったのでしょうか?
それは、今私たちが学習している「平安時代」なのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち 平安時代というと、名前の通り、平安な時代
だと想像してしまいますが、違って居たようですね^^;
そして、仰る通り、日本は一頃に比べると
治安が悪くなったとはいえ、まだまだ犯罪の少ない国ですもんね。先日もアジアに旅行へ行った女性が、惨い事に
殺害された状態で見つかる事件がありましたが、外国は
いつ襲われても不思議じゃないという事をいつも念頭に置いて、旅しなければいけませんものね。。
これからの展開を楽しみにしています^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 平安時代というと、名前の通り、平安な時代
> だと想像してしまいますが、違って居たようですね^^;
残念ながらそのとおりです。今回からしばらくはこの話が続きます。
> そして、仰る通り、日本は一頃に比べると
> 治安が悪くなったとはいえ、まだまだ犯罪の少ない国ですもんね。先日もアジアに旅行へ行った女性が、惨い事に
> 殺害された状態で見つかる事件がありましたが、外国は
> いつ襲われても不思議じゃないという事をいつも念頭に置いて、旅しなければいけませんものね。。
かつての我が国では「水と安全はタダ」という皮肉めいた言葉がありました。今はそのメッキがはがれつつあるとはいえ、根底では変わっていませんからね。空気のように当たり前な常識が、実は我が国でしか通用しないという現実を直視する必要もあるのかもしれません。
> これからの展開を楽しみにしています^^
有難うございます。よろしくお付き合いくださいm(_ _)m
mapことクワトロ猫 いつも楽しく読ませていただき、ありがとうございます。
歴史講座、感心しております。
わかりやすいのに奥が深い、と。
秀吉の朝鮮出兵が欧州からの侵略を回避した、という話、面白そう。楽しみにしています。
ブログ「真面目に笑えるリサイクルショップの謎」にリンクさせていただきました。
できましたら、こちらの末席にも相互リンクさせていただけたら嬉しく思います。
今後ともよろしくお願いします。
mapことクワトロ猫さんへ
黒田裕樹 > いつも楽しく読ませていただき、ありがとうございます。
> 歴史講座、感心しております。
> わかりやすいのに奥が深い、と。
お言葉有難うございます!
> 秀吉の朝鮮出兵が欧州からの侵略を回避した、という話、面白そう。楽しみにしています。
光栄です。来年の1月か2月あたりの「本物の歴史講座」で取り上げられれば、と思っております。
> ブログ「真面目に笑えるリサイクルショップの謎」にリンクさせていただきました。
> できましたら、こちらの末席にも相互リンクさせていただけたら嬉しく思います。
> 今後ともよろしくお願いします。
重ね重ね有難うございます。喜んで相互リンクさせていただきましたので、こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。
治安悪化の時代
徳薙零己 前作「北家起つ」では薬子の乱から冬嗣の死までを記し、今は1ヶ月間の中断期間(軽めのフィクションの小説)を挟みながら、11月から公開予定の藤原良房を主人公とする小説「中納言良房」を書いているところです。
書いているときに大きく感じたのは治安の悪化、それも、天災だけではなく人災の側面もある治安の悪化でした。黒田先生のおっしゃった平安時代の治安の悪化、私は今、原稿の上で実感しているところです。
予定では冬嗣の死から承和の変まで、良房が22歳から38歳になるまでの16年間を「中納言良房」では描く予定ですが、現在、原稿用紙500枚を突破、大変な目に遭っています。
ですが、何とか11月からのスタートには間に合わせますので、よろしければお立ち寄りいただければ幸いです。
p.s.勝手ながら、貴ブログを弊ブログ「いささめ」の相互リンクに設定させていただきました。お手数ではございますが、貴ブログにも弊ブログを設定いただけませんでしょうか。
こういうの
JJSG こんばんは。
こういう展開、好きですねぇ。
とっても興味深く読めます♪
続きを楽しみにしてまーす。
徳薙零己さんへ
黒田裕樹 > 前作「北家起つ」では薬子の乱から冬嗣の死までを記し、今は1ヶ月間の中断期間(軽めのフィクションの小説)を挟みながら、11月から公開予定の藤原良房を主人公とする小説「中納言良房」を書いているところです。
大作が続きますね。くれぐれもご自愛下さい。
> 書いているときに大きく感じたのは治安の悪化、それも、天災だけではなく人災の側面もある治安の悪化でした。黒田先生のおっしゃった平安時代の治安の悪化、私は今、原稿の上で実感しているところです。
そうですね。まさに人災といえる一面があると思います。私のブログでも明らかにしていくつもりです。
> 予定では冬嗣の死から承和の変まで、良房が22歳から38歳になるまでの16年間を「中納言良房」では描く予定ですが、現在、原稿用紙500枚を突破、大変な目に遭っています。
> ですが、何とか11月からのスタートには間に合わせますので、よろしければお立ち寄りいただければ幸いです。
膨大な枚数ですね。読み応えがあると思うので、期待しております。
> p.s.勝手ながら、貴ブログを弊ブログ「いささめ」の相互リンクに設定させていただきました。お手数ではございますが、貴ブログにも弊ブログを設定いただけませんでしょうか。
有難うございます。喜んでお受けしますので、今後ともよろしくお願いします。
JJSGさんへ
黒田裕樹 > こういう展開、好きですねぇ。
> とっても興味深く読めます♪
> 続きを楽しみにしてまーす。
有難うございます。こちらもホッとしました。
この単元はしばらく続きますので、よろしくお願いしますm(_ _)m
あひるの代理人 楽しく読ませていただいてます。
先の展開がとても楽しみですね。期待しています。
現代も隠然と存在する「差別」の始まりでもある時期なので書きづらい点が出てくるかもしれませんが、いつも通りシャープに切り込んでくださいね。
なぜこのような結果になってしまったのでしょうか?
それは、桓武天皇によって軍隊が廃止され、嵯峨天皇(さがてんのう)によって死刑が廃止されたからです。
桓武天皇が軍隊の廃止に踏み切られたのは以前にも書きましたが、東北地方の蝦夷(えみし)の征討(せいとう)が一段落したことで、国内の争乱がほとんどなくなり、滅多に起こらない戦争に備えて軍隊を常時持つことが不経済と考えられたからでした。
その後、軍隊廃止の替わりに置かれた警察組織に相当する検非違使(けびいし)によって、朝廷周辺では文字どおりに平和が続くうちに、血を流すことが避けられず、また死と常に隣り合わせであった軍事自体が「ケガレ」として嫌われるようになり、嵯峨天皇が死の象徴でもあった死刑の廃止を決断されたのでした。
しかし、検非違使が存在した朝廷周辺では曲がりなりにも治安が保たれたとしても、事実上何の警察力も存在しなかった地方はどうなったのでしょうか?




いつも有難うございます。
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オバrev 平安時代というより不安時代ですか。
やはり治安維持のための警察なり軍隊は必要ですね。そして死刑も。それは現代も続いていると思います。
しかしそれが行きすぎてもいけないし、まあ、そのバランスなんでしょうね。
今の日本は、海外のスパイから見れば天国らしいです。治安の良さは世界有数なのに、表だった犯罪を犯さなければ、お金さえあればスパイ活動がもうやりたい放題できるという話を聞きました。
今の時代は、世界的なレベルで治安を考えないといけないかも?
管理人のみ閲覧できます
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オバrevさんへ
黒田裕樹 > 平安時代というより不安時代ですか。
その発想はなかったですが(笑)、まさにそのとおりですね。
> やはり治安維持のための警察なり軍隊は必要ですね。そして死刑も。それは現代も続いていると思います。
> しかしそれが行きすぎてもいけないし、まあ、そのバランスなんでしょうね。
同感ですね。行き過ぎはともかく、全くなしではどうやって国民の生命と財産が守れるのでしょうか。そして、当時の為政者にはまだその発想を持ち得ることが出来なかったのでしょうか。
> 今の日本は、海外のスパイから見れば天国らしいです。治安の良さは世界有数なのに、表だった犯罪を犯さなければ、お金さえあればスパイ活動がもうやりたい放題できるという話を聞きました。
> 今の時代は、世界的なレベルで治安を考えないといけないかも?
これも同感です。ただ、世界レベルで物事を考える前に、まずは自国の足元を見つめないことには始まらないと思います。
ぴーち 激動の時代であった昭和が平成な世の中でありますようにという意味合いで、現代は「平成」という元号が付けられたと言われていますが、何だか似たような話ですね^^;
オバrevさんのコメントを受けてですが、
日本の路上にあるATM機械は、道端にお金が落ちているのと同じだと外国人犯罪グループは、笑って答えたと言いますように、余りに日本は治安の良さ・・という言葉に
妄信過ぎては居ないでしょうか・・。
軍備に関しては、やはり強力な槍は持たずとも、
守れるだけの頑丈な盾は必要ですね。
応援です凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 激動の時代であった昭和が平成な世の中でありますようにという意味合いで、現代は「平成」という元号が付けられたと言われていますが、何だか似たような話ですね^^;
皮肉ですよね。ちなみに、元号で「平」がつく時代もあまりよくない、という話を聞いたことがあります。歴史上の争いごとでも3つありますからね(そのうちの一つはもうすぐ出てきます)。
> オバrevさんのコメントを受けてですが、
> 日本の路上にあるATM機械は、道端にお金が落ちているのと同じだと外国人犯罪グループは、笑って答えたと言いますように、余りに日本は治安の良さ・・という言葉に
> 妄信過ぎては居ないでしょうか・・。
妄信の面は否定できないと思います。やはり「水と安全はタダ」という神話から抜け切れていないんでしょうね。
> 軍備に関しては、やはり強力な槍は持たずとも、
> 守れるだけの頑丈な盾は必要ですね。
軍備は戦うだけのものではありません。むしろ「防衛」のためにこそ必要なんです。この原則も現代の日本人には理解が難しいのでしょうか…。
必要
JJSG 歴史から学ぶ、ですね。
軍隊、死刑というと、平和、平安とは逆のような気がするけど、そういう制度、システムがないと、平安、平和は維持できない。
それが、人間の限界、ということなのでしょうねぇ。
かなしい現実でございますね。
JJSGさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、哀しいけれどこれが現実なんですよ。
理想は崇高なものだけれど、それだけで世の中は渡っていけないんですよね。歴史は時として非常に冷酷ですが、そういった側面も学んでいかないと、結局は同じことの繰り返しになってしまいます。
だからこそ、私たちは歴史に学び、歴史を学ばなければならないんです。それは教える立場の人間も同様です。
また、仮に警察組織が存在したとしても、以前に書いたように荘園が劇的に増加して国の収入が著(いちじる)しく減った現状では、組織の維持も不可能といえました。このような状態が長く続けば、地方の治安はどうなってしまうのでしょうか?
警察力や防衛力が存在しない世の中では、結局は力の強い者の天下となりますから、弱者は強者によって常にひどい目にあわされるという地獄の日々を送るしかないのです。加えて「中央権力によって殺されない」という死刑制度の廃止は、治安が乱れた世の中ではかえって犯罪の増加を生み、強盗や殺人事件の多発をもたらしました。
こんな乱れた世の中で、弱者は強者のなすがままにやられっぱなしで良いのでしょうか。誰の助けも期待できないからといって、泣き寝入りで終わって本当に良いのでしょうか?
答えは言うまでもありません。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
昨日、少年法を題材にした映画を鑑賞して参りましたが、
このところ、少年による犯罪が増加の傾向にあるようですね。しかも、殺人という極刑にも値する程の重罪事件が多く、更に年々その年齢が若年化しているのも、困りものです。
その少年たちは「少年法」により、極刑は免れてしまう為に、
少年たちは、やりたい放題の悪さをする・・・。
この分野の法改正も必須なように感じました。
応援です凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 少年法のそもそもの成立趣旨は、終戦直後の貧しい時代に、主に保護者のいない孤独な少年による食べていくための犯罪が多発したために、彼らを大人と同じ罪に問うには忍びないというものだったと聞いています。
時が流れるにつれて、成立当時のままの運用では現状とのズレが広がっていくばかりなのに少年法は容易に改正されることはありませんでした。そうこうしているうちに少年による犯罪は年々凶悪化し、少年法を悪用した遊び感覚での犯罪も多発しているのが現状です。
その背景には、仰るように極刑が滅多に科されない(18歳未満は死刑には絶対なりません)ことによる「やりたい放題」があると思われます。
「犯罪のない世の中」という理想に近づくためには、少年法の改正を含めた厳罰化が必至というのは矛盾するような話ですが、今回の平安時代の話も考慮すれば、やむを得ないのではないかと思います。
歴史に学ぶ
JJSG こんばんは。
やはり、歴史に学ばねばならない。
歴史は繰り返される。
同じ過ちを繰り返してはならない。
そのために、歴史という学問がある。
ということですね。
難しい問題がたくさんありますが、歴史のなかにヒントがたくさん隠されているんですね。
平和維持のため、戦争をおこさないために、核兵器や銃や武器があると考えるべきか。。。
死刑は大反対ですが、死刑を廃止すると犯罪が増える。。。
人間とはなんと愚かな。。。
なぜ人を殺してはいけないのか。
なぜ犯罪がけないのか。
なぜ人の命は尊いのか。
歴史から学ぶことは大切、重要ですね。
根本的なことを教え、伝えていくことが、もっとも大切だと思います。
それは、宗教の役割ですね。
JJSGさんへ
黒田裕樹 信仰の世界に身を置かれるJJSGさんならではの深いコメント、有難うございます。
仰るとおり、平和を達成するために血を流すか、あるいは抑止力のために手に武器を持つという大きな矛盾を抱えているのが、人間の深い業だと感じております。
ただ、私たちは現状を嘆き、あきらめる前に、先人が残してくれた財産から何がしかのヒントを得て、それを機会により素晴らしい世の中を未来の人のために残す努力を惜しんではいけないでしょう。
その手助けになり得るのが歴史であり、あるいは宗教であるといえるのではないかと思います。
泣き寝入り
オバrev 岡田外相は、日中韓共通の歴史教科書制作を提案したらしいですね。
理想論としては分かりますが、あまりに違いすぎる日中韓の歴史教科書の統一など、日本が妥協しない限り不可能だと思います。
そうなったときに、我々日本人の誇りは何処へ行ってしまうのでしょうか。泣き寝入り?
オバrevさんへ
黒田裕樹 残念ながら、現状では「泣き寝入り」以外は「あり得ない」でしょう。岡田外相の過去の発言などを振り返れば、彼がどんな思想の持ち主であるかがよく分かります。そんな人間が外務大臣であることが、我が国の誇りを守ろうとする人々から見れば「あり得ない」わけですが…。
相手と友好関係をもつことは、決して相手の言いなりになることではありません。過去に卑弥呼が魏に対して朝貢外交を展開した屈辱を忘れずに、様々な困難を乗り越えて、聖徳太子が隋に対して対等外交を達成したという我が国の苦難の歴史を理解していれば、このような発想にはならないと思うのですが…。
21世紀になって、我が国が再び朝貢外交を展開して他国の軍門に下るのであれば、それこそ聖徳太子に対して顔向けができませんね。
なみなみ こんばんは。
お祝いメッセージ、ありがとうございました。
現代にも通じる深い話です!
死刑制度廃止・核の戦争抑止力等の事を
考えてしまいます。
現代にそのまま当てはめるわけにはいきませんが、
考えるヒントやきっかけになります。
歴史を学ぶのはほんとに大事ですね。
今日も勉強になりました。
なみなみさんへ
黒田裕樹 > お祝いメッセージ、ありがとうございました。
いえいえ、どういたしまして。100話の積み重ねは素晴らしいと思いますよ。
> 現代にも通じる深い話です!
> 死刑制度廃止・核の戦争抑止力等の事を
> 考えてしまいます。
> 現代にそのまま当てはめるわけにはいきませんが、
> 考えるヒントやきっかけになります。
同感です。重要なのは、是非をはじめから決め付けるのではなく、我々が自分自身で時間を費やして検討することだと思います。
> 歴史を学ぶのはほんとに大事ですね。
> 今日も勉強になりました。
お言葉有難うございます。今後ともよろしくお願いします。
彼らは、家子(いえのこ)と呼ばれた一族や、郎党(ろうとう、または家人=けにん)と呼ばれた従者(じゅうしゃ)を率いて武装集団を形成するようになり、やがては侵略防止ばかりでなく、所領の秩序も維持するようになりました。これが武士団(ぶしだん)の起こりなのです。
こうして誕生した地方の武士ですが、武士団の形成に関しては、実はもう一つの理由がありました。「おいしい」職務である国司=受領(ずりょう)がその原因です。彼らは任期制ですから、一定の年数が過ぎると都へ戻らなければなりませんが、ここで一つの問題が起きました。何か分かりますか?
受領たちは自己の任期中に土地を開墾できるだけ開墾して巨利を得ましたが、任期中に開墾した土地を都へ持って帰ることは不可能でした。せっかく開墾した土地を他人に奪われるのは納得がいかないということで、任期が切れた後も地方にそのまま残って土着(どちゃく)し、同じように武士となっていく者も現れたのです。
武士たちは、各地の豪族が次第にまとまって地方武士団を形成していきましたが、やがては受領から土着した貴族の出身者たちがその中心となっていきました。その中でも特に有名だったのが、桓武平氏(かんむへいし)や清和源氏(せいわげんじ)の出身者たちでした。




いつも有難うございます。
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marihime 黒田さんこんにちは☆
留守中コメントありがとうございました。
昨晩は帰るのが遅くなったので、お礼に伺うのを遠慮させていただきましたσ(゚ー^*)
毎日の更新ほんとにお疲れさまです。
ポチ
marihimeさんへ
黒田裕樹 お帰りなさいませm(_ _)m
marihimeさんこそ、「今日は何の日」の記事の更新、お疲れ様です。自分の誕生日までまだ先がありますが、楽しみに待っております(笑)。
平氏と源氏の由縁
オバrev 桓武平氏ってのは、桓武天皇の子孫という意味ですか。そうすると平氏ってのはどこからきたんでしょうか。
同じく、清和と源氏もそれぞれちゃんとした意味があるように思いますが、どうでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 桓武平氏ってのは、桓武天皇の子孫という意味ですか。そうすると平氏ってのはどこからきたんでしょうか。
仰るとおり、桓武天皇の子孫です。桓武天皇の孫の中で身分の低い者が「平姓」を与えられて臣籍降下したのがそもそもの始まりです。平氏の血はその後公家と武家に分かれて、武家の方の子孫がやがて歴史に名を残すことになります(まずは次回で紹介することになります)。
> 同じく、清和と源氏もそれぞれちゃんとした意味があるように思いますが、どうでしょうか?
清和源氏は清和天皇の皇子が「源姓」を与えられて臣籍降下したことが始まりです。こちらの系統は、鎌倉幕府を創設したある人物に行き着くことになります。
尚、平氏も源氏もそれぞれの天皇以外の系統から臣籍降下しています。例えば、以前に紹介した源高明は醍醐源氏になります。
たすじゅう こんばんは。この時代は脱税対策のためか名称や実態が把握しにくく、権力階層も次々と変わっていくので学生時代に理解するのに苦労しました。こうやって順番に解説していただくととてもよく分かります。
コメント、ありがとうございました。とても励まされました。次回の講義がよりいっそう楽しみになりました。
面白い
JJSG こんばんは。
面白い展開になってきた!
とってもわかりやすくて、楽しいです。
歴史は好きですが、教科書みたいな歴史は嫌い。。。
よみやすくて、わかりやすい、楽しい歴史が好きでございます。
たすじゅうさんへ
黒田裕樹 > こんばんは。この時代は脱税対策のためか名称や実態が把握しにくく、権力階層も次々と変わっていくので学生時代に理解するのに苦労しました。こうやって順番に解説していただくととてもよく分かります。
そうですね。武士の起こりにせよ、荘園の発展にせよ、それぞれがバラバラで教えられると訳が分からなくなるので、「歴史の流れ」の重要性が一番問われる段階でもありますから特に注意したつもりなんですが、そういったお言葉をいただくと嬉しく思います。
> コメント、ありがとうございました。とても励まされました。次回の講義がよりいっそう楽しみになりました。
いえいえ、そう仰っていただけると恐縮です。今後ともよろしくお願いいたします。
JJSGさんへ
黒田裕樹 武士の起こりは特に重要なので、前振りに多少の時間を費やしましたが、いよいよ武士に関する本格的な話に突入しますので、ご期待いただければと思います。
時には重要語句の説明のためにどうしても教科書的な内容になることもありますが、基本的には「教科書で詳しく取り上げない」内容を重視していく心づもりです。
将門はその後も下野国(しもつけのくに、現在の栃木県など)や上野国(こうずけのくに、現在の群馬県の大部分)の国府も攻略して関東の大半を占領し、自身が桓武天皇の子孫であることから新皇(しんのう)と自称しました。しかし、翌940年に同じ東国の武士である平貞盛(たいらのさだもり)や藤原秀郷(ふじわらのひでさと)によって将門は滅ぼされました。
同じ頃、西国でも伊予国(いよのくに、現在の愛媛県)の国司であった藤原純友(ふじわらのすみとも)が瀬戸内海の海賊を率いて反乱を起こし、伊予国の国府や大宰府を攻め落としました。こちらの戦いは「藤原純友の乱」と呼ばれています。こちらは941年に清和源氏の始祖である源経基(みなもとのつねもと)や小野好古(おののよしふる)によって純友が倒されました。ちなみに、小野好古は遣隋使(けんずいし)で有名な小野妹子(おののいもこ)の子孫です。
同時期に東西で起きた二つの反乱は、乱自体は何とか制圧したものの、軍事力の低下が明らかとなった朝廷に衝撃を与えるとともに、地方武士の組織が一層強化されるきっかけになりました。尚、この二つの乱は当時の年号から承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)とも呼ばれています。




いつも有難うございます。
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オバrev 平将門は桓武平氏、小野好古は小野妹子の子孫なんですね。
この頃は姓を持っていること自体が有力な家系ということですかね?
となると、平将門の乱を鎮めた藤原秀郷や同じく反乱を起こした藤原純友は藤原氏の子孫で、平将門の乱を鎮めた平貞盛は桓武平氏の子孫と考えていいのでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > この頃は姓を持っていること自体が有力な家系ということですかね?
姓は皇室から与えられる由緒あるものですから、当然貴族かその出身ということになりますね。従って(かつては)有力な家系といえると思います。
> となると、平将門の乱を鎮めた藤原秀郷や同じく反乱を起こした藤原純友は藤原氏の子孫で、平将門の乱を鎮めた平貞盛は桓武平氏の子孫と考えていいのでしょうか?
仰るとおりです。藤原秀郷や藤原純友は藤原北家の出身で、平貞盛は将門の従兄弟に当たります。血縁といえども仲が良い訳ではなく、貞盛の父親は将門に殺されています。将門の討伐は「仇討ち」という側面もあったんですね。
ぴーち こんばんは!
今日は、歯医者に行って遅くなってしまいました^^;
私のブログへいただきましたコメントへのお返事は、また後ほどさせてくださいね^^
所で、平将門は、私の住んでいる県に深い縁がある
人物だったのですね(@@
何も知らないとは、本当におめでたいものです(苦笑)
北部の方に「平家落人村」と呼ばれている所がありますが、
一度「平清盛」の湯という温泉に浸かった事があります^^
こちらの方へお出での際は、是非、お湯に浸かって
いただきたいですね~(u u *)
と・・記事と関係ない方向へまたまた脱線しちゃいました(笑)
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 「ゆかりの人物」というのは、知ってるようで結構知らないものですね。灯台下暗しの一面もありますし。
将門の場合は、一時は関東全体を支配したわけですが、「開拓者の悲劇」ともいうべきか、あまりにもうまれた時期が早すぎたような気がしますね。
温泉は大好きです(^^♪
清盛のお湯ですか。そのまま高熱を出して倒れそうになったりして…って、この時期は冗談でも言ったらまずかったでしょうか?
久しぶりの脱線(?)ですが、やはりいいものですね(^_^)v
へぇ~
JJSG こんばんは。
今日もお勉強になりました。
へぇ~、そうなんだぁ~、と思うばかりでございます。
JJSGさんへ
黒田裕樹 いつもコメント下さって有難うございます。
これを機会にこの分野にも興味を持っていただければ幸いです。
紗妃ママ ayumiちゃんの義妹のmiyuです。
すごい勉強になるブログですね!!!
歴史好きなのでまた遊びにきます☆
紗妃ママさんへ
黒田裕樹 ブログへのご訪問並びにお言葉有難うございますm(_ _)m
歴史好きとは何よりです。今後の参考になれますよう更新を続けますので、どうぞよろしくお願いいたします。
平将門の真意
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
この平将門の乱ですが、
これは、考えようによっては、朝廷から
独立して、武士による独立した政権を関東に創ろうと考えのではないかと思いました。
しかし、小さな軍事力だけで、それを実現することが出来ず、結局、単なる反乱になった気がします。
ただ、この時代から、地方の武士には、中央とは
独立したいというニーズがあったということは
地方の武士にとって、土地問題は、昔から、願っていた悲願だったんですね。
やはり、源頼朝のように優れた政治力・リーダーシップ力がないと中央から、全く、独立した
武家政権を創るのは、出来ないですね。
それにしても、源頼朝は、恐ろしいくらいの優れた政治家ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、将門は関東における独立政権の樹立を考えていたのだと思います。
だからこそ「新皇」を名乗ったのでしょうし、その背景に土地制度があったのも間違いありません。
しかし、彼はあまりにも早すぎましたし、清盛も土地制度の矛盾が理解できず、自らが搾取する側に回ってしまったのですから話になりませんでした。
頼朝が凄いのは、将門や清盛の失敗を肌で感じていたからでしょう。
源氏の御曹司が約20年という途方もない「実地訓練」によって、凄味のある政治家となったいったんですね。
また、地方の国司も盗賊などを追捕(ついぶ、追いかけて捕まえること)する追捕使(ついぶし)や、内乱が起きた際に兵士を統率する押領使(おうりょうし)として武士を使用するようになりました。尚、平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷は押領使として、藤原純友の乱を鎮圧した小野好古は追捕使としてそれぞれ任命されたうえで戦っています。
このようにして、軍隊を持たなかった朝廷や国司は治安の維持のためにやがて武士を積極的に利用するようになりました。当時の武士は政府の求めに応じて各地で起きた反乱を鎮圧するのが主な役目であり、朝廷を脅(おびや)かすまでの実力には至っていませんでした。承平・天慶の乱から約100年後に藤原道長(ふじわらのみちなが)や藤原頼通(ふじわらのよりみち)らが栄華の頂点を極めたのが何よりの証拠です。武士団の更なる成長は、藤原氏の栄華の時代の後にやってくるのでした。
余談ですが、今回紹介した「滝口の武士」と非常に紛らわしい言葉がこの後2つ出てきます。11世紀の北面の武士(ほくめんのぶし)と13世紀の西面の武士(さいめんのぶし)ですが、それぞれの時代で改めて紹介します。また、これは意外な事実ですが、平将門は若い頃に以前に紹介した藤原忠平(ふじわらのただひら)に仕えたことがあり、その縁で滝口の武士として雇われているのです。朝廷に仕える武士であった将門が、やがては朝廷に対して反乱を起こしたわけですから、何とも皮肉な話ではありますね。




いつも有難うございます。
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h.hamauzu こんばんは!
・・・用心棒に雇ってたんですね~
官の世界では、なんかこのシステムはほんとに現代と変わってないですね。
下克上すら現代はない分、もっとひどいか・・・?
権力のイヌ、では終わりたくない、どころか、
終生安定にどっぷりつかってしまうのでしょうか・・・
・・・すみません、なんかワケが分からぬことを言ってしまいました。ではまたです
武士
JJSG 日本の歴史は、武士の歴史なんでしょうかね。
今の時代、武士はどこにいるのか???
サラリーマン?
警察?
自衛隊?
それとも・・・。
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 この頃の武士は、将門のように反乱は起こしても、朝廷の命令で動く武士によってつぶされるという繰り返しでした。
まだ朝廷や貴族の権威が高かったのと、武士自体が未成熟だったことが考えられますが、「武士のためのの政権」がまだできていなかったことも大きな理由です。そのカギを握るのは、土地…おっと、これはまた後日に紹介しましょう(笑)。
犬で終わって安定を望むか、滅亡覚悟で逆らうか…。曲がりなりにも「食える」世の中である限りは反乱は起こりにくいかもしれませんね。
JJSGさんへ
黒田裕樹 今の世の中に必要なのは、武士というよりも「志士」でしょうね。
それは、我が国の将来を考えたときに「何かをしなければ」と思える人々すべての中に芽生えていると思います。
その中から本当の「武士」が生まれてくることでしょう。
下級武士は
オバrev この頃の武士は、上級武士は貴族ですが、下級武士は農民と考えていいんでしょうかね。
何か、山賊や倭寇と大差ないような気もしますが・・・
オバrevさんへ
黒田裕樹 > この頃の武士は、上級武士は貴族ですが、下級武士は農民と考えていいんでしょうかね。
上級武士は、貴族というよりは「貴族出身の武士」または「貴族が先祖の武士」と言えるでしょう。下級武士に関しては仰るとおりの傾向があると思います。
> 何か、山賊や倭寇と大差ないような気もしますが・・・
微妙な表現ですね(笑)。ちなみに、倭寇はもっと後の時代(室町以降)ですが、倭寇の後期は外国人が中心となっています。
藤原氏
kazu 武士の力も藤原氏にはかなわなかったようですね。
絶大な権力だったようですが、おかげで源氏物語や枕草子などの文学も栄えたのでよかったのかもしれませんね。
そういえば西行も北面の武士だったという話をなにかで読んだ記憶があります。
kazuさんへ
黒田裕樹 > 武士の力も藤原氏にはかなわなかったようですね。
> 絶大な権力だったようですが、おかげで源氏物語や枕草子などの文学も栄えたのでよかったのかもしれませんね。
武士が登場したばかりの頃は、まだまだ貴族の「権威」が幅を利かせている時代でしたので、将門や純友があれだけの反乱を起こしてもびくともしなかったのです。文化の発展は経済的や精神的な余裕があればこそですから、藤原氏の栄華とともに文学の隆盛もあったといえるでしょう。
> そういえば西行も北面の武士だったという話をなにかで読んだ記憶があります。
西行法師は俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)といって、仰るように出家前は北面の武士として活躍していますね。いずれ平安末期の文化で取り上げることになると思います。