政府は902年に延喜の荘園整理令を出し、その後もたびたび整理令を出すことによって、不明確な荘園を没収したり、荘園の新設を禁止したりしようとしましたが、後述のとおり、荘園の最大所有者である有力貴族が荘園を取り締まるという体制には無理があり、効果は上がりませんでした。
律令政治に不可欠な班田も902年を最後に行われなくなり、戸籍上の男子の数も激減して、もはや従来の租(そ)・庸(よう)・調(ちょう)などを取り立てて国家財政を維持するという方法が不可能となったのです。
そこで政府は、本来は単なる地方行政官に過ぎなかった国司(こくし)に対して、一定額の税の納入を請け負わせる代わりに、一国内の統治を任せるようになりました。つまり、国司は政府から地方政治を一任されることになり、その権限が大幅に強化されたのでした。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
marihime 黒田さんこんばんは☆
変な書き込みしてごめんなさいねm(o・ω・o)mゴメン
でもおかげで安心してお邪魔できるようになりました。
歴史講座の続き見させてもらいますσ(゚ー^*)
全部見終わったら感想を寄せさせてもらいます``r(^^;)ポリポリ
ポチ全部しておきます。
marihimeさんへ
黒田裕樹 ご安心いただけて何よりです。
ご感想を楽しみにしておりますm(_ _)m
尚、堵(と)とは垣根(かきね)を意味しており、負名は「名田の経営を請け負った」ことからその名があります。田堵のなかには国司と結んで勢力を伸ばし、大規模な経営を行って大名田堵(だいみょうたと)へと成長していく者もありました。こうして課税の対象は、人が中心の人頭税(じんとうぜい)から、土地が中心の土地税(とちぜい)へと転換していきました。
さて、政府に対する「徴税請負人」(ちょうぜいうけおいにん)としての性格が強まった国司は、課税率の決定を自らの裁量で行うことによって、その地位を利用して任期中に私腹を肥やす者が後を絶たなくなったのですが、なぜか分かりますか?
地方に派遣された国司の役目は、一定の税を集めて政府へ送ることでした。ということは、定率の税さえ納めれば、後は自分の取り放題となるわけです。例えば、本来であれば4分の1の税を納めれば済むはずが、2分の1の税をかき集めることによって、差額の4分の1はそっくりそのまま自分の懐(ふところ)に入ってしまうというカラクリなんです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
オバrev 天皇中心の公地公民という社会主義国家に、自由経済を導入したようなものですね。
地位を利用して私服を肥やすというのは、水戸黄門では定番ですし、現在も世界各地で行われています。交通違反をしても賄賂を渡せば見逃してくれるとか(^^;)
人間の欲望って、変わらないですね。
ストーリーは全然違いますが、「欲望という名の電車」のタイトルを思い出しまして、当てはめてみました。名付けて「欲望という名の荘園」・・・普通過ぎ?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 天皇中心の公地公民という社会主義国家に、自由経済を導入したようなものですね。
そうですね。公地公民は古代の理想ではありましたが、現実にはそぐわなくなったというところでしょうか。
> 地位を利用して私服を肥やすというのは、水戸黄門では定番ですし、現在も世界各地で行われています。交通違反をしても賄賂を渡せば見逃してくれるとか(^^;)
> 人間の欲望って、変わらないですね。
人類がこの世に存在する限りはなくならないでしょうね(苦笑)。モラルハザードの国や地域ほどひどくなる傾向にありますが。
> ストーリーは全然違いますが、「欲望という名の電車」のタイトルを思い出しまして、当てはめてみました。名付けて「欲望という名の荘園」・・・普通過ぎ?
普通過ぎるところが真実をついていることもありますよ(笑)。そんな欲望まみれ(?)の荘園に関する講義がしばらく続きますので、どうぞお付き合い下さいm(_ _)m
紗那 私腹を肥やす流れは知ってましたが、ほかにもいろいろと国司さん、やってたんですね。さしずめ、民衆を酷使するというところでしょうか(ぁ
ayumi うわあ、国司ってワル~い。
そんな感想ですみません。
いつも勉強になります。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 私腹を肥やす流れは知ってましたが、ほかにもいろいろと国司さん、やってたんですね。さしずめ、民衆を酷使するというところでしょうか(ぁ
そうなんですよ。自分の利益のためなら何でもする、という事実(?)を皮肉った話を今日(4日)の記事で紹介しております。
国司だけに酷使ですか。座布団1枚!(^ω^)
ayumiさんへ
黒田裕樹 > うわあ、国司ってワル~い。
> そんな感想ですみません。
> いつも勉強になります。
いえいえ、素直に思っていただけることが全体の理解につながりますので、今後ともよろしくお願いしますね(^_^)v
ぴーち こんばんは!今日は時間が少しありましたので、
ゆっくり読ませていただきました^^
国司の裏工作、今の時代も
政治や企業で、たまに発覚することですよね^^;
時々、何億と言うお金が何処かの川や、空き地に捨てられていたという事件が報じられますから、
使途不明金の出所が気になります。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!今日は時間が少しありましたので、
> ゆっくり読ませていただきました^^
毎日お忙しいところを、時間をつくって下さって有難うございます!(^o^)丿
> 国司の裏工作、今の時代も
> 政治や企業で、たまに発覚することですよね^^;
> 時々、何億と言うお金が何処かの川や、空き地に捨てられていたという事件が報じられますから、
> 使途不明金の出所が気になります。
役人が陰でやっていることは、基本的に昔も今も変わらないということでしょうか( ゚д゚ )
使途不明金ほど怪しいものはないですね。自分が汗水たらして稼いだお金でないからこんなことが出来るのでしょうけど。
清少納言(せいしょうなごん)による随筆として有名な枕草子(まくらのそうし)の第二十五段「すさまじきもの」(=興ざめするもの、という意味)では、国司などの任官に関して大勢の人が集まる様子や、任官できないと分かった家の主人に対する冷たい態度や、早くも来年の任官を当てにしている様子などが描かれており、当時の任官に対する大きな期待感がうかがえます。
こうして国司の地位を得た貴族は、自らは現地へ行かず、目代(もくだい)と呼ばれた代理人を派遣することが一般化しました。これを遙任(ようにん)といいます。国司が現地に赴任(ふにん)しない国衙(こくが、または国府=こくふ、国の役所のこと)は留守所(るすどころ)と呼ばれ、地方豪族などのその国の有力者が世襲的に役人として実務に従事しました。これを在庁官人(ざいちょうかんじん)といいます。
一方、現地へ自ら赴任する国司も存在しました。彼らは受領(ずりょう)と呼ばれ、中央で出世の望みを絶たれた貴族たちが、その腹いせ(?)に慣例を超えた重税を取り立てて、巨利を得ようとしました。このため、これを不満とする在地の有力農民との争いが絶えない一方で、国司の有様を比喩(ひゆ)的に描いた文献も残されています。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち 清少納言。ほんの触りの部分の「春は曙~」は有名ですよね!
今の時期は、
秋は夕暮。夕日のさして、山の端いと近くなりたるに・・・
ですかね^^
「すさまじきもの」の内容は存じませんが、
「にくきもの」(酔っ払いがお嫌いだったのかなw。私と同じだけど^^)や「うつくしきもの」などは、少しだけ存じています。
清少納言ではなく、紫式部の声が、女優の長山藍子さんの声と似ているなんて、言われてますが、(日本音響研究所調べ)清少納言は何方の声に似ているんでしょうかw
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 清少納言。ほんの触りの部分の「春は曙~」は有名ですよね!
> 今の時期は、
> 秋は夕暮。夕日のさして、山の端いと近くなりたるに・・・
> ですかね^^
そうですね。大相撲の春場所で優勝したかつての横綱曙が「春は曙」を文字っていたのを思い出します。枕草子は1000年経った今でも我々の心に深く浸透していますね。
> 「すさまじきもの」の内容は存じませんが、
> 「にくきもの」(酔っ払いがお嫌いだったのかなw。私と同じだけど^^)や「うつくしきもの」などは、少しだけ存じています。
枕草子の随筆は色んな思いが込められていますよね。
酔っ払いが嫌いですか?
う~ん、ぴーちさんの前ではお酒を飲んではいけないな…(^^ゞ
> 清少納言ではなく、紫式部の声が、女優の長山藍子さんの声と似ているなんて、言われてますが、(日本音響研究所調べ)清少納言は何方の声に似ているんでしょうかw
確か肖像画の骨格からの連想でしたっけ?
清少納言のはっきりと描かれた肖像画があったという記憶がありませんので、再現は難しいかもしれませんね。織田信長は甲高い声だったらしいですが…私と同じかな?
ぴーち こんばんは!
なるほど!肖像画が残されていたために、骨格を推測し、そこから、判明した訳ですね~。
話は反れますが、よく科捜研などで事件で亡くなられた方の骸骨を粘土で肉付けしていくと、生前の顔が現れて来たりしますが、一番難しいのは、一重か二重かという点らしいですね。関西人の方の方が、一重の確立が高いというデータをもとに、決めているそうですが、本当にそうなんでしょうかね?
あ、そうそう、
黒田さん、私の前では、しらふで宜しくお願いします(笑)
でも、きっと、黒田さんは、お酒を飲まれても、お酒に飲まれるような事はないかと思います・・・・が?ww
それでは、凸
また、お邪魔しますね^^
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 > 話は反れますが、よく科捜研などで事件で亡くなられた方の骸骨を粘土で肉付けしていくと、生前の顔が現れて来たりしますが、一番難しいのは、一重か二重かという点らしいですね。関西人の方の方が、一重の確立が高いというデータをもとに、決めているそうですが、本当にそうなんでしょうかね?
う~ん、どうなんですかねぇ。知り合いは一重と二重が半々のようですが…。ちなみに私は二重です(^^ゞ
> あ、そうそう、
> 黒田さん、私の前では、しらふで宜しくお願いします(笑)
> でも、きっと、黒田さんは、お酒を飲まれても、お酒に飲まれるような事はないかと思います・・・・が?ww
深酒することは滅多にないんですが、やはりエチケットですからね。いずれにせよご用心(笑)。
随行者たちが言われたとおりにしてかごを引き上げると、かごには陳忠ではなく山のようなヒラタケが載っていました。すると「もう一度降ろせ!」と言う声が聞こえて、もう一度かごを降ろして引き上げると、今度こそ陳忠が乗っていましたが、片手には一杯のヒラタケをつかんでいました。
随行者たちが安心し、かつ陳忠の行動にあきれ返っていると、陳忠は言い放ちました。「転落した途中で木に引っかかったので助かったのだが、見ればすぐそばにとんでもない量のヒラタケが生えているではないか。宝の山に入って手ぶらで出てくるのは悔やみきれない。『受領は倒るるところに土をつかめ』と言うではないか」。いやはや、凄まじいまでの陳忠の強欲ぶりですが、今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)に残されたこのエピソードは、当時の国司の有様を伝えた貴重な史料とされています。
このような国司の横暴ぶりに、地元の農民が耐えかねてついに朝廷に訴えるということもありました。988年の「尾張国郡司百姓等解文」(おわりのくにぐんじひゃくしょうらげぶみ)によって訴えられた藤原元命(ふじわらのもとなが)はその一例です。尚、訴えられた藤原元命は国司を辞めさせられていますが、その後も政界に留まっています。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
JJSG こんばんは。
リンクさせていただきました。
毎日、訪問させていただき、勉強させてもらいます♪
ポチポチ応援させていただきますね~。
JJSGさんへ
黒田裕樹 > リンクさせていただきました。
> 毎日、訪問させていただき、勉強させてもらいます♪
有難うございます。当方からもリンクさせていただきましたので、よろしくお願いします。
皆さんも是非高尚な「親鸞聖人のブログ」をご覧下さい。
永田町や霞ヶ関でも
オバrev 藤原元命のようなことは、永田町や霞ヶ関では日常茶飯事だったけど、政権交代に期待することは、そこを切り込んでもらいたいことです。
逆にマニフェストの一つ一つについては、よくよく検討して欲しいし、自民党はその不十分な内容を徹底的に突いてもらいたい。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 藤原元命のようなことは、永田町や霞ヶ関では日常茶飯事だったけど、政権交代に期待することは、そこを切り込んでもらいたいことです。
そうですね。昔話と笑っていられない情けない現実がある以上、可能ならばバッサリとやってもらいたいものです。それと経済対策ですね。国民が期待する優先順位を守ってもらいたいです。
> 逆にマニフェストの一つ一つについては、よくよく検討して欲しいし、自民党はその不十分な内容を徹底的に突いてもらいたい。
マニフェストの現実性もしっかり見極めたうえで、本当に必要なものから手をつけてほしいですね。
管理人のみ閲覧できます
-
ぴーち なるほど、
少しニュアンスは違いますが、「転んでもただでは、起きぬ」の境地ですかね^^
陳忠のように、抜け目ない性格には
ある意味、尊敬致しますが、
人を困らせるような事だけは、避けたいですね^^;
「憎まれっ子・・・世にはばかる・・・・』プッ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、
> 少しニュアンスは違いますが、「転んでもただでは、起きぬ」の境地ですかね^^
> 陳忠のように、抜け目ない性格には
> ある意味、尊敬致しますが、
> 人を困らせるような事だけは、避けたいですね^^;
文字どおりですね(^^ゞ
確かに尊敬できますが、友達にはなれそうもないです(´Д`)
> 「憎まれっ子・・・世にはばかる・・・・』プッ
なるほど。では私は長生きできそうって、あれ?( ゚д゚ )
そんな彼らにとって、まさに「救いの神」となったのが、摂関家などの中央の有力貴族、または寺社でした。彼らは自己の所領を有力貴族や寺社に名目上(めいもくじょう、名前の上だけ、という意味)寄進(きしん、寄付と似た意味)して領家(りょうけ)となってもらい、自らは下司(げし)などの荘官(しょうかん)となりました。
寄進された領家では、保護をさらに強力なものとするために、自らよりもさらに上級の有力者に重ねて寄進することもあり、寄進された上級の領主は本家(ほんけ)と呼ばれました。開発領主たちはこのようにして荘官による所領の私的支配を強化するとともに、摂関家をはじめとする有力貴族や寺社には数多くの荘園が集中するようになりました。こうした荘園を、以前に紹介した初期荘園(しょきしょうえん)に対して寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)といいます。
尚、初期荘園は貴族や寺社が人手を使って自ら開墾したり(自墾地系荘園=じこんちけいしょうえん)、他人から買収したり(既墾地系荘園=きこんちけいしょうえん)した墾田(こんでん)からなり、付近の農民を使用して経営していたので、寄進地系荘園と対比する意味で墾田地系荘園(こんでんちけいしょうえん)とも呼ばれています。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
オバrev 寄らば大樹の陰と、結局大手の藤原氏に、下請け、孫請けが集まっていった感じですね。
こういう構図は、今も変わらず続いているような気もします。日本人の特性なのかもしれませんね┐(´∀`)┌
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 寄らば大樹の陰と、結局大手の藤原氏に、下請け、孫請けが集まっていった感じですね。
> こういう構図は、今も変わらず続いているような気もします。日本人の特性なのかもしれませんね┐(´∀`)┌
確かにそうですね。自分ひとりでは何もできずに周囲の力を頼りに大きな顔をするあたりは、現代の政治家との共通点もあるような気がします(´・ω・`)
歴史
JJSG こんばんは。
難しいですが、とっても勉強になりますね。
歴史って、楽しいですよね。
ポチポチっと!
おじゃましました~♪
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 難しいですが、とっても勉強になりますね。
> 歴史って、楽しいですよね。
今日の記事は語句が多いので、いつもよりもわかりづらくなっているかもしれませんが、近いうちに詳しく説明させてもらうことになると思いますので、また是非お越し下さい。
応援有難うございます。
いくら荘園といえども、その大半は税の負担がかかる輸租田(ゆそでん)でした。しかし、名目上の荘園領主の権威を手に入れた開発領主らは、以前に紹介した官物(かんもつ)や臨時雑役(りんじぞうやく)を免除してもらうという不輸(ふゆ)の特権を認めさせるようになりました。不輸の特権は、政府の公文書(こうぶんしょ)である太政官符(だいじょうかんぷ)や民部省符(みんぶしょうふ)によって認められたため、このような荘園は官省符荘(かんしょうふしょう)と呼ばれました。
また、国司が地方の支配を任せられた平安中期には、国司(=受領)によってその任期中に免税の認可が行われるようになり、このような荘園は「国司が免除する」ことから国免荘(こくめんのしょう)と呼ばれました。ただし、国免荘には国司の交替時には取り消されるなどの不安定な要素もありました。
「税をよこせ」という国司と「払いたくない」という開発領主との対立が深まってくると、国司が荘園の状況を調査するために派遣した検田使(けんでんし)の立ち入りすら認めないとする不入(ふにゅう)の特権を得る荘園が増えていきました。これも荘園領主の権威あればこそ成し得たことであり、不入の特権は、やがて警察権の不介入にも広がっていきました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
よく荘園という名前は耳にして来ましたが、
こんなに詳しく解説していただいたことは、初めてです^^
それまで、知ろうともしなかった自分を今、無性に恥じています(><)
やはり、長生きはするもんですね~^^
明日は、台風が襲って来るようですが、どうぞ
お気をつけください。
何事も無く、過ぎ去ってくれることを祈ります。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > よく荘園という名前は耳にして来ましたが、
> こんなに詳しく解説していただいたことは、初めてです^^
> それまで、知ろうともしなかった自分を今、無性に恥じています(><)
そうですね。普通は荘園やそれにまつわる「不輸」や「不入」の特権の語句だけを説明して終わりですから、無理もないことだと思います。荘園はいわゆる「金のなる木」ということを理解させなければ無意味なんです。明日(8日)にはもっと詳しく説明できると思いますよ。
> やはり、長生きはするもんですね~^^
「佳人薄命」といいますから、ぴーちさんの場合は用心に越したことはないですよ(^ω^)
> 明日は、台風が襲って来るようですが、どうぞ
> お気をつけください。
> 何事も無く、過ぎ去ってくれることを祈ります。
日付が変わるのが近づくにつれて、雨が強くなってきました。そのうち風も強く吹くことでしょう。
明日以降も気軽にコメ返できますよう、無事で過ごしたいものです。
marihime 黒田さんこんばんは~♪
歴史の話は省略して``r(^^;)ポリポリ
台風が紀伊半島に上陸しそうですが、大阪は影響ありませんか?
私の地方も雨が強くなってきました。
東海地方は大きな台風の被害によく遭います。
今度は私のところも危ないようで、根尾川の水位がもう上がってきています。
山の中は怖いです~(´∵`)
いつの時代にも
JJSG こんばんは。
いつの時代にも、それぞれの立場で、それぞれの権利を主張し、権利を守るために、引っぱりあい、攻防があるんですよねぇ。
内容こそ違え、本質的には、現代も同じですね。
歴史は繰り返される~ですかね。
国債発行?
オバrev 荘園がこういう形になると、税が有力貴族や寺社に行く変わりに、朝廷の税収は大幅に減少するんじゃないでしょうか。
しかし国債を発行するわけにもいかないし。
藤原氏と手を握るしかなかったんですかね?
marihimeさんへ
黒田裕樹 こんばんは。
こちらも強い風が吹いておりますが、台風はどうやら大阪よりも東海地方のほうへ向かっているようですね。
山の中と仰いますが、土砂災害にも注意されたほうがよいのではないでしょうか。
いずれにせよお互いに無事でありたいものですね。
JJSGさんへ
黒田裕樹 > いつの時代にも、それぞれの立場で、それぞれの権利を主張し、権利を守るために、引っぱりあい、攻防があるんですよねぇ。
> 内容こそ違え、本質的には、現代も同じですね。
そうですね。その攻防が国民のためであればまだ救いがあるのですが、少なくとも現代ではどうでしょうか…。
> 歴史は繰り返される~ですかね。
現代でも似たような状況ですからね。未来もおそらく同じなのでしょうか。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 荘園がこういう形になると、税が有力貴族や寺社に行く変わりに、朝廷の税収は大幅に減少するんじゃないでしょうか。
鋭いですね。その辺りは次回(8日)以降に詳しく紹介するとともに、さらに後日にはその影響を考察することになると思います。
> しかし国債を発行するわけにもいかないし。
> 藤原氏と手を握るしかなかったんですかね?
おそらくそれが現実だったでしょう。政治面のみならず、資金面でも優位に立っていたわけです。
ぴーち 黒田さん、こんばんは♪
佳人薄命・・。
了解しました(笑)
そちらは大丈夫だったようですね^^
安心しました♪
荘園の更に詳しいからくり、解説してくださり
感謝します^^
今の世の中の裏事情も良くは判りませんが、
きっと似たような事例が茶飯事?なのかもしれませんね^^;
それでは、応援凸
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 > そちらは大丈夫だったようですね^^
> 安心しました♪
ぴーちさんもご無事なようで何よりです。久しぶりの上陸でしたからね…。
> 荘園の更に詳しいからくり、解説してくださり
> 感謝します^^
> 今の世の中の裏事情も良くは判りませんが、
> きっと似たような事例が茶飯事?なのかもしれませんね^^;
いえいえ、お言葉有難うございます。
私も裏事情はよく分かりませんが、同じようだったら寂しいものがありますね。歴史に学んでいないことが…。
こうすると、表向きは有力貴族らの「荘園」となりますから、国司から税は取られません。もっとも「名義貸し」による一定の「名義使用料」は有力貴族らに支払わなければなりませんが、本来の税よりは格安ですから、喜んで負担する、というカラクリなのです。
私たちのこの行為が何を意味するか分かりますか?
「荘園」といえば聞こえがいいですが、その実は有力貴族らが公認した「脱税行為」でもあったのです。上記のようなシステムがあれば、耕作者の多くはこぞって領家(りょうけ)に自らの田地を寄進しますよね。寄進された領家は、荘園の特権を確固たるものにするために、さらに上級の本家(ほんけ)に寄進しますから、その先にあるのは…そう、当時の実質的な権力者の頂点たる摂関家に行き着きます。
以前に紹介した藤原道長(ふじわらのみちなが)や藤原頼通(ふじわらのよりみち)らが、あれだけ強力な政治の実権を握り続けることができたのも、寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)の集中という財政面の裏付けがあったればこそだったのです。その一方で、本来の国税の納入が激減したことで、この当時の国家財政は破綻(はたん)状態であったという厳しい現実もありました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
JJSG 脱税行為、いけませんよねぇ。
当時は、よかったのかな???
今も昔も、政治は難しいですねぇ。
しかし、なにより、人間の欲というのは、深いものです。
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 脱税行為、いけませんよねぇ。
> 当時は、よかったのかな???
もちろん良くはありません。しかし、脱税といっても政治のトップが堂々と行い、それを取り締まる法律もなければ権力もない有様では、まさにやりたい放題でした。このようなモラルハザードが意外なところに影響を及ぼしているんですよね。10日以降には紹介できると思います。
> 今も昔も、政治は難しいですねぇ。
> しかし、なにより、人間の欲というのは、深いものです。
本当にそうですね。摂関家なんて、我が国の富をこれだけ自分に集中させておきながら、これ以上何を望んだというのでしょうか…。
ayumi おおお、分かりやすいです。
いかんぞ、摂関家。
藤原氏のその後
オバrev 日本の政治って、この頃から変わってないんですね。もしかして、日本人のDNAかなと思ってしまいます(^_^;)
藤原氏について言えば、やがて勢力は衰えていくんでしょう。鎌倉~室町と名前が歴史の表舞台から消えたように(あてにならない)記憶してます。
でも、これだけの権力者が本当に没落してしまったのか、はたまた密かに陰で権力持ち続けていたのか、鎌倉以降の藤原氏については・・・先の話ですか?
ayumiさんへ
黒田裕樹 > おおお、分かりやすいです。
有難うございます。私にとっては最も嬉しい一言です!(・∀・)
> いかんぞ、摂関家。
実際そのとおりですね。摂関家ばかりに富が集中した弊害については、数日後に改めて紹介する予定です。その際に再び「分かりやすい」と仰っていただけますように…。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 日本の政治って、この頃から変わってないんですね。もしかして、日本人のDNAかなと思ってしまいます(^_^;)
全く変わっていませんね。脱税行為が公認(?)されているこの時代の方がよりひどいのかもしれませんが…。
> 藤原氏について言えば、やがて勢力は衰えていくんでしょう。鎌倉~室町と名前が歴史の表舞台から消えたように(あてにならない)記憶してます。
> でも、これだけの権力者が本当に没落してしまったのか、はたまた密かに陰で権力持ち続けていたのか、鎌倉以降の藤原氏については・・・先の話ですか?
ヒントを申し上げれば、オバrevさんの前半の記憶は当たっていますね。後半については…為政者が武家に移った段階でどうなるか、ということになると思います。ただ、平安後期には劇的な(?)政権交代もありますよ。
う~む
h.hamauzu こんばんは!
う~む!いまと何もかわってないじゃないか!
いや今は合法的に、ズルをしとるヤツが多いから、
もっとタチがわるいか?
黒田先生が国政に打って出る日を楽しみにしております!?
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 > う~む!いまと何もかわってないじゃないか!
> いや今は合法的に、ズルをしとるヤツが多いから、
> もっとタチがわるいか?
どんなに規制しても、法の網をするりと抜けて…というやつですね。首相の献金問題も注目を集めつつありますし、まさに仰るとおりだと思います。
> 黒田先生が国政に打って出る日を楽しみにしております!?
わ、私が国政!?(゚Д゚)
それよりも教師としての「先生」に復帰することが第一目標ですので…。
名主は、荘園などの領主に対して年貢(ねんぐ)・公事(くじ)・夫役(ふやく)などを納めました。年貢は以前の租(そ)や公出挙(くすいこ)にあたる米などの現物納付であり、公事は以前の庸(よう)・調(ちょう)に相当する各地の特産物や手工業品の物納で、夫役は以前の雑徭(ぞうよう)にあたる労役奉仕(ろうえきほうし)でした。
一方、国司も荘園の増加を指をくわえて見ていたわけではありませんでした。国の支配下においていた公領(こうりょう)である国衙領(こくがりょう)を郡(ぐん)・郷(ごう)・保(ほう)という行政単位に再編成して、開発領主を郡司(ぐんじ)・郷司(ごうし)・保司(ほうじ)に任命して徴税を請け負わせました。
要するに、政府の公領たる国衙領を、国司の私領的な色彩を強めることによって、荘園と同様の構成としたわけです。以前に紹介した、かつての律令制における国(くに)・郡(ぐん)・里(り)という上下の区分で構成されていた一国の編成は、荘(しょう)・郡(ぐん)・郷(ごう)などが並立する荘園と公領とで構成される体制へと変化していきました。こうした変化後の体制のことを荘園公領制(しょうえんこうりょうせい)といいます。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
昔は「名主」(みょうしゅ)という音読みで呼ばれていたんですね。「名主」を(なぬし)と呼ばれるようになったのは、ずっと後なんでしょうか?それとも、よく時代劇などで話されている言葉は、現代人でも容易に理解出来るように、その当時に使われていた言葉は極力判り易く、編集されてしまってると聞いた事があるので、そういう習いで行くと、なぬしという読み方は、元々存在しなかったのでしょうか・・。
労役奉仕・・簡単に袖の下などに入れるもので無いという事が好感が持てる制度ですね?w
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昔は「名主」(みょうしゅ)という音読みで呼ばれていたんですね。「名主」を(なぬし)と呼ばれるようになったのは、ずっと後なんでしょうか?それとも、よく時代劇などで話されている言葉は、現代人でも容易に理解出来るように、その当時に使われていた言葉は極力判り易く、編集されてしまってると聞いた事があるので、そういう習いで行くと、なぬしという読み方は、元々存在しなかったのでしょうか・・。
平安時代に成立した名主(みょうしゅ)は、その後も地位を維持してきましたが、室町時代の守護大名やその後の戦国大名が強い軍事力などで領国を支配するようになると、その力は次第に衰えていきました。
しかし、各地の村落としての自治能力は残っていたので、江戸時代の幕府や各藩は旧名主層を指導者として、ある程度の自治を任せました。指導者は西日本では庄屋と呼ばれましたが、東日本では名主(なぬし)と呼ばれるようになりました。
以上のことから、はっきりとした時期は分かりませんが、遅くとも江戸時代の頃には「みょうしゅ」が「なぬし」と呼ばれるようになったと考えられます。おそらくは昔の名残だったのでしょう。
> 労役奉仕・・簡単に袖の下などに入れるもので無いという事が好感が持てる制度ですね?w
労働の内容にもよると思われます。仮に朝から晩まで休みなくこき使われるとすれば、「袖の下」の方がマシかもしれませんし。物納だろうが肉体労働だろうが、いつの時代も「喜んで負担する」税というのはなかなかないものかなのかもしれません。
このままいくと荘園だらけ?
オバrev この頃の荘園と公領の割合というのはどのくらいだったんでしょうか。
想像では、荘園の方が多くなったような気がします。
そして荘園の増加と伴に、朝廷の実質的な力は衰えていったんでしょうね。
金の切れ目が縁の切れ目という諺もありますし・・・
しかしこのままいくと、荘園だらけですが、実際はどうだったんでしょうか。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > この頃の荘園と公領の割合というのはどのくらいだったんでしょうか。
> 想像では、荘園の方が多くなったような気がします。
はっきりとした割合は分かりませんが、明らかに荘園の方が多いですね。それも摂関家の分が圧倒的です。
> そして荘園の増加と伴に、朝廷の実質的な力は衰えていったんでしょうね。
> 金の切れ目が縁の切れ目という諺もありますし・・・
摂関家が平等院鳳凰堂のような豪華な建築物を建てる実力がある一方で、朝廷は門の修理すらできなかったというエピソードが残っていますからね。まさにお言葉どおりです(´・ω・`)
> しかしこのままいくと、荘園だらけですが、実際はどうだったんでしょうか。
確かにこのままでは…ですが、摂関家の天下はいつまでも続くかどうか、ということがカギを握ることになると思います。
う~ん。。。
JJSG こんばんは。
やっぱり難しいかも。。。
教科書読んでるみたいでした!(笑)
JJSGさんへ
黒田裕樹 > やっぱり難しいかも。。。
> 教科書読んでるみたいでした!(笑)
申し訳ありませんm(_ _)m
出来る限り分かりやすさを心掛けてはいるのですが、高校の日本史レベルを基調としている関係もあって、時々は今回のようにどうしても語句が中心の内容になってしまうんですよ。
次回(10日)からは単元がかわりますので、少しは理解しやすくなるかもしれません。今後ともよろしくお願いします。
ぴーち 私、ちょっと勘違いをしてしまいました^^;
納税の話だったんですもんね(><)
現物の方が、判り易くて良いという単純な解釈をしてしまいました^^;
失礼しました~。。
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 いえいえ、お気になさらずに。
私もぴーちさんをはじめとする他の皆様の記事の中味を勘違いしてコメントすることはよくありますから(笑)。
今後も気楽にコメントしてくださいね(^^♪