当時の農民は、班給(はんきゅう)された口分田(くぶんでん)を耕作したほかに、口分田以外の公(おおやけ)の田である乗田(じょうでん)や、寺社や貴族の土地を借りて耕作しました。これを賃租(ちんそ)といいます。賃租は、原則として一年の間土地を借りて、収穫の2割を地子(じし)として政府や持ち主に納める方式でした。
農民の生活は、庸や調、雑徭に加えて兵役の負担に苦しみ、また疫病(えきびょう)の流行や凶作による影響もあって、口分田を捨てて本籍地から浮浪(ふろう)したり、あるいは完全に姿をくらませて逃亡(とうぼう)したりする者が後を絶ちませんでした。
また、人口の増加で口分田が不足して、公地公民制や班田収授の基礎が揺らいだこともあって、政府は722年に百万町歩(ひゃくまんちょうぶ)の開墾計画(かいこんけいかく)を立てましたが、上手くいきませんでした。計画だけが立ってもメリットがなければ、なかなか行動に移さないのが人間というものだからです。




いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
生活が向上してくれば
様々な問題も同時に出てきますよね。
人口増加は我が国発展のためにも
好ましいことですが
生きるためには苦労が出てくるのは当然で
早急に改善できるものはしたいですよね。
みんな、大変でした。
いや、私もですが(笑)
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 今日も有難うございます。
仰るとおり、人口増加は喜ばしいことではありますが、しっかりした政治をしないと、飢餓などの大きな問題を抱えてしまいます。
このために、奈良時代の政府は何度も法律を施行するという苦労をしています。詳しくは明日の記事をご覧下さい。
生きるのは確かに大変ですね(笑)。
たか この辺はちゃんと
授業をしっかり受けていたせいか
まぁまぁ知ってるトコが
ありました^^w
また続きを
読みに来ます^^
たかさんへ
黒田裕樹 > この辺はちゃんと
> 授業をしっかり受けていたせいか
> まぁまぁ知ってるトコが
> ありました^^w
それは良かったです(^_^)v
復習に役立てていただければ幸いです。
> また続きを
> 読みに来ます^^
ハイ! また是非お越し下さい!(^o^)丿
ぴーち こんばんは~!
自分の持ち家を謙遜して「我が家は、掘立小屋」などという場合がありますが、ここからこの言葉は受け継がれていたんですね^^
確かに人間は何か、メリットがないと動かないものかもしれませんね^^;
本当はデメリットも覚悟して、「損して得取れ」の精神も大切なんでしょうけど^^
あ、これでも、やはりその先のメリットを大いに期待してますかね(笑)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 自分の持ち家を謙遜して「我が家は、掘立小屋」などという場合がありますが、ここからこの言葉は受け継がれていたんですね^^
そうですね。日本語の語源は、意外と古くからあるものだといえますね。
> 確かに人間は何か、メリットがないと動かないものかもしれませんね^^;
> 本当はデメリットも覚悟して、「損して得取れ」の精神も大切なんでしょうけど^^
> あ、これでも、やはりその先のメリットを大いに期待してますかね(笑)
結局そのとおりでしょう。ではメリットを追求すればどうなるのか?
明日の更新をお待ちくださいね(^^ゞ
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第1位
kenちゃんマイド 先生歴史ブログ第1位おめでとうございます。
凄いことです。奈良時代の社会では当然行基菩薩は登場しますね。天平時代の繁栄は規制緩和と行基菩薩にあると思っています。楽しみです。
紗那 掘立穴住居・・・・・・ですか?初耳です。
まぁ確かに竪穴式からいきなり普通の家に進行するはずないですけど。
人口の増加はいいことだと思っていたんですが、やはり過ぎたるは及ばざるが如し、なんですね! ちょうど、塾の夏期講習でやっていたところなので、内容は結構早く飲み込めました♪
kenちゃんマイドさんへ
黒田裕樹 ブログ村のことですね。有難うございます。ランキングは、それ自体が目標ではありませんが、ブログを運営する際の励みにさせていただいております。尚、2位の方とはほとんど差がありませんので、今後も切磋琢磨していけるよう頑張りたいと思います。
行基については当講座でもちろん取り上げますが、もうしばらく後の天平文化の項目で詳しく解説する予定ですので、今しばらくお待ち下さい。
しかし、これでも開墾はなかなか進みませんでした。確かに自分の代や三世の間は所有が認められますが、いずれは国に返還しなければならないと考えると、どうしても二の足を踏んでしまうからです。自分が開墾した土地は、自分や子孫のものとしたいという当然の願いでもありました。
そこで政府は、743年に墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)を施行し、身分に応じた一定の面積の開墾した田地を無期限に所有できることとしました。これによって登録された田地の数はようやく増加しましたが、私有地の拡大も同時に進み、公地公民制の根本を揺るがすという結果を招いてしまいました。
有力な貴族や東大寺(とうだいじ)などの大寺院は、地方の豪族らの協力のもとに広大な山林や原野の開墾を進め、私有地を拡大していきました。これを初期荘園(しょきしょうえん)といいます。




いつも有難うございます。
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悠 墾田永年私財法はしっかり覚えてます
中学で習いましたから
けど、その後どうなったかまでは知りませんでした
悠さんへ
黒田裕樹 > 墾田永年私財法はしっかり覚えてます
> 中学で習いましたから
> けど、その後どうなったかまでは知りませんでした
コメント有難うございます。
これも受験日本史の「悪弊」のひとつですね。言葉だけ覚えていても、その後の経緯を説明しないと、本当の理解はできないんですよ。力になれるかどうか分かりませんが、私の講座が参考になれば幸いです。
紗那 ここの流れは全部把握できてたので、よかったです。
まぁひとつ疑問点といえば、初期荘園と荘園の違い。だったのですけど、よく読みこむと意味が把握できました。
初期のほうは自分たちで開墾、平安時代のほうは寄進によるものというとらえかたでいいんでしょうか?採点お願いします。
紗那さんへ
黒田裕樹 採点ですね(^^ゞ
基本的には間違っていませんが、初期荘園には「自分たちで開墾」した自墾地系荘園(じこんちけいしょうえん)のほかに、他の開墾地を買い取るなどした既墾地系荘園(きこんちけいしょうえん)もあります。初期荘園の大きな特徴は、国に税(=租)を納めることが義務付けられてたことでしょうか。尚、自墾地系荘園と既墾地系荘園をあわせて墾田地系荘園(こんでんちえきしょうえん)ともいいます。
荘園は平安時代になると、国からの税金を納める必要のない不輸(ふゆ)や、国司の立ち入りを逃れる不入(ふにゅう)などの特権が有力貴族を中心に認められるようになり、他の田地の持ち主が貴族たちへこぞって寄進し、税金を逃れるようになりました。これを「寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)」といいます。
従って、初期荘園は「墾田地系荘園」、平安時代は「寄進地系荘園」とまず認識して、それぞれの意味と流れを理解していけばいいと思います。
尚、この講座でも荘園については機会を見て別に取り上げることになると思います。
ぴーち こんばんは!
墾田永年私財法という言葉は習った記憶は
ありましたが、その前後の経緯は全く、存じませんでした^^;
出会って良かった黒田さん^^
また一つ、閑散としている私の歴史カテゴリーに
新たな知恵の実を置く事が出来、嬉しく思います♪
赤いか、青いかは秘密です(笑)
たろー 墾田永年私財法はボクも結構しってます
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 墾田永年私財法という言葉は習った記憶は
> ありましたが、その前後の経緯は全く、存じませんでした^^;
別の方のコメ返にも書きましたが、言葉の一つ一つをぶつ切りにして覚えさせるから、言葉を知っていても意味が理解しにくくなっているんですよね。今日の講座の内容は流れに特に注意して書いたつもりです。
> 出会って良かった黒田さん^^
> また一つ、閑散としている私の歴史カテゴリーに
> 新たな知恵の実を置く事が出来、嬉しく思います♪
これはまた、過分なお言葉を有難うございます(^^♪
> 赤いか、青いかは秘密です(笑)
私の名前に合わせて黒かったりして…
たろーさんへ
黒田裕樹 > 墾田永年私財法はボクも結構しってます
それは何よりです(^^♪
今回の講座で知識をさらに深めて下さいね!(^o^)丿
黒田さんへ
紗那 ということは、租を納める・納めないという区別もあるということですね。 意外に奥が深いんですねー。。。
ちょっと、荘園編を待つことにします。僕も勉強しよっと。
紗那さんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。歴史は勉強すればするほど奥が深いんですが、うっかりすると「木を見て森を見ず」となってしまい、全体の流れを見失うこともありますから注意が必要です。
とはいえ、そこまで深刻に考えることもなく、まずは通史を楽しく勉強できればいいんですけどね。
荘園編はおそらく平安時代には取り上げることになると思いますよ。