天武天皇は、大臣を置かずに自らが先頭に立って政治を行いました。豪族による私有地と私有民の廃止を徹底し、684年には皇族出身者を中心とする新しい身分秩序である八色の姓(やくさのかばね)を定めました。
その他にも、中国の法体系にならった律令(りつりょう)や我が国の歴史書である国史(こくし)の編さんを開始したり、我が国初の銭貨(せんか)となる富本銭(ふほんせん)の鋳造(ちゅうぞう)を行ったりしました。
外交面では新羅との国交を回復させ、遣新羅使(けんしらぎし)を任期中に何度も派遣する一方で、唐との国交を一時的に断絶しました。この結果、我が国は新羅という独立国家をはさんで、唐との外交関係修復に時間を費やすことができたのです。尚、遣唐使の復活は8世紀当初まで待つことになります。
天武天皇は自身(=天皇)が中心となる力強い国家体制の確立を目指して、中国の都城(とじょう)にならった本格的な宮都である藤原京(ふじわらきょう)の造営を開始しましたが、その完成を見られることなく、686年に崩御されました。



いつも有難うございます。
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さすらい こんばんは。
藤原京を見ることができなかったなんて残念ですね。
もうちょっと早く完成して
天武天皇の影響力があったなら、なんて
また歴史の「たら、れば」を考えてしまいます(笑)
平城京や平安京よりも有名になっていたかも?
巨大な藤原京での天武天皇の采配
見てみたかったです。
あ、いえ、見ることはできませんが(笑)
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 そうですね。藤原京は後の平城京や平安京に匹敵するほどの大きな都でしたから、造営にも時間がかかってしまった分、天武天皇のご寿命が尽きてしまわれたのが残念ですね。
応援感謝です!
ぴーち こんばんは!
天武天皇は、大臣を置かずに政治を行っていたんですか!
独裁的な政治を目指していたんでしょうか?
その辺の意味合いが良く分かりませんが
なんとなく、ブラジルの大統領だったフジモリ氏をふと思い出して
しまいました^^;
それでも、その結果が良好だったという事は
天武天皇の叡智は人並み以上に優れていたの
であったのでしょうね。
聖徳太子の再来?程では無いかなw
それでは、
真夏の大阪に雪も降らせることも出来るかもしれない男・・・
黒田氏に、
凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 天武天皇の場合は、クーデター的に政権を奪取したゆえに、配下の者に任せるよりも、自身が政治を行った方が後々のためになる、と思ったのかもしれません。
聖徳太子の再来ですか?
お二人とも外交・内政ともに活躍されてますが、平和的に摂政に就任したのと、戦いに勝って政権を奪ったのとでは少し違うかもしれませんね。
> それでは、
> 真夏の大阪に雪も降らせることも出来るかもしれない男・・・
> 黒田氏に、
> 凸
今日のキーワードは「寒い」です…
http://toymomo.blog61.fc2.com/blog-entry-2010.html#comment24116
NHK大河ドラマ
オバrev 天智天皇、天武天皇って、二人ともやり手ですが名前もいいですよね。
しかもそれが斉明天皇を母に持つ兄弟であり、天智天皇の息子と弟である天武天皇が争うことになるとは。
まさに絵になるというか、NHK大河ドラマでもいけそうな感じです(^^)/。
ところで気になるのは、しつこいようですが、この頃藤原氏はどうしていたんでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおりドラマチックな話ですよね。確かに大河ドラマ向きではありますが、最近の大河は脚本や演技が「?」なところがありますからねぇ…。
> ところで気になるのは、しつこいようですが、この頃藤原氏はどうしていたんでしょうか?
この当時は鎌足が亡くなった直後ですので、雌伏の段階です。鎌足の息子なら、近々私の講座にも登場しますよ(^^♪
持統天皇は、基本的には天武天皇の諸政策を次々と引き継いでいかれました。689年には法典である飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)を施行させ、690年には庚寅年籍(こういんねんじゃく)がつくられました。庚寅年籍は、670年の庚午年籍(こうごねんじゃく)と非常に紛らわしいので、注意が必要です。
694年には、天武天皇の時代に造営が始められた本格的な宮都である藤原京(ふじわらきょう)が完成し、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)から遷都(せんと)されました。大化の改新以来、我が国で目指された律令国家建設の大事業は、この時点でほぼ完成に近づいたのです。
697年、持統天皇は草壁皇子の子で、自身の孫にあたる第42代の文武天皇(もんむてんのう)に譲位された後、703年に崩御され、天皇としては初めて火葬されました。尚、女優でタレントの神田うのさんの名前は、持統天皇のご即位前のお名前である菟野讃良皇女(うののさららのひめみこ)が由来です。



いつも有難うございます。
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智里 火葬ってそんなに早くから始まってたんだ!!
いまと同じで、天に昇るために火葬したのかな?
それにしても、神田うのの名前がそこから来てるとは・・・・
ちょ~雑学でビックリΣ( ̄口 ̄*)
微妙な人間関係
オバrev 大宝律令というのは習いましたが、飛鳥浄御原令はどっちかというとマイナーですよね。あまり聞いたことがありません。でももしかして飛鳥浄御原令が、実質的な最初の律令を定めた法律ですか。
それと、天武天皇の奥さんが天智天皇の娘とはまた微妙ですね(^^;)
こういう敵味方入り乱れた人間関係って、戦国~江戸時代にもあったような気がします。
智里さんへ
黒田裕樹 > 火葬ってそんなに早くから始まってたんだ!!
> いまと同じで、天に昇るために火葬したのかな?
持統天皇が火葬されたのは、改新の詔(646年)の中の「薄葬令」に基づいており、それまでの古墳のような壮大な墓の規模を大幅に縮小するためだったと考えられています。
> それにしても、神田うのの名前がそこから来てるとは・・・・
> ちょ~雑学でビックリΣ( ̄口 ̄*)
「うの」って、一風変わった名前ですからね。私も初耳のときは驚きました(^^ゞ
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 大宝律令というのは習いましたが、飛鳥浄御原令はどっちかというとマイナーですよね。あまり聞いたことがありません。でももしかして飛鳥浄御原令が、実質的な最初の律令を定めた法律ですか。
仰るとおりです。飛鳥浄御原令はまだ法体系としては不十分だったため、大宝律令によって始めて完成されたと考えられています。ただ残念なことに、飛鳥浄御原令も大宝律令も現存していないんですよね。
> それと、天武天皇の奥さんが天智天皇の娘とはまた微妙ですね(^^;)
> こういう敵味方入り乱れた人間関係って、戦国~江戸時代にもあったような気がします。
そうですね。例えば、徳川家光の母親のお江の方は、浅井長政とお市の娘です。ということは、浅井氏と織田氏の血が流れていることになりますよね。
こんばんは^^
のらねこみゅー 神田うのさん~才を与えてもらったかな^^
ポチットな~♪
のらねこみゅーさんへ
黒田裕樹 応援有難うございます!
そうですね。恐れ多くも天皇陛下のお名前ですから、それだけ親御さんの期待も大きかったでしょうしね(^^♪
ぴーち こんばんは!
庚寅年籍と庚牛年籍があったこと事態を
まるきり知らなかったです(大汗
神田うのちゃんの名前の由来は、もしかして
以前聞いた覚えがありました!こういう雑学は
覚えていたりするんですが、歴史は・・・(苦笑)
それでは、今日は「冷やかし」抜きで
温かい応援を~♪
凸
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ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 庚寅年籍と庚午年籍があったこと自体を
> まるきり知らなかったです(大汗
そうでしたか。この二つは、どちらも7世紀で天智天皇と持統天皇という父娘でつくられていますから、非常に紛らわしいんですよ。これを機会に是非覚えて下さい!
> 神田うのちゃんの名前の由来は、もしかして
> 以前聞いた覚えがありました!こういう雑学は
> 覚えていたりするんですが、歴史は・・・(苦笑)
結構有名なんですね。私は最近まで知りませんでした(笑)。
雑学から入る歴史も面白いものですよ。
応援有難うございます!
えめる せ、せんせいっ。漢字が多くて脳みそが焼け付きました(笑)
うのちゃんのとこだけすんなり理解(爆)
頑張ってついていきますニャ。
文武天皇の治世(ちせい)の701年、我が国初の本格的な法令である大宝律令(たいほうりつりょう)が、天武天皇の子である刑部親王(おさかべしんのう)や、藤原鎌足の子である藤原不比等(ふじわらのふひと)らによって完成しました。
律とは刑罰の規定で、令とは行政法や民法などの法規(ほうき)のことです。唐の律令にならって作られた大宝律令は、その後長く我が国の政治の基本となりました。尚、これより後の718年には、大宝律令を一部改訂(かいてい)した養老律令(ようろうりつりょう)がつくられています。
この頃の我が国の中央組織は、神々の祭りをつかさどる神祇官(じんぎかん)と、行政全般を担当する太政官(だいじょうかん、または「だじょうかん」)に大きく分かれ、太政官の下で大蔵省(おおくらしょう)などの八省(はっしょう)が政務を分担しました。また、行政の運営は、太政大臣(だいじょうだいじん、または「だじょうだいじん」)などの太政官の公卿(くぎょう)による合議で進められました。
地方の組織は、畿内(きない)と東海道などの七道(しちどう)に区分され、その下に地方行政区である国(くに)や、郡(ぐん、または「こおり」)、里(り、または「さと」)があり、それぞれ国司(こくし)・郡司(ぐんじ)・里長(さとおさ、または「りちょう」)が置かれました。
国内の要地である京や難波(なにわ)の地には左・右京職(さ・うきょうしき)や摂津職(せっつしき)が置かれ、九州には大宰府(だざいふ)が置かれました。尚、国司は中央の貴族が6年(のち4年)の任期で派遣され、郡司や里長は在地の有力者が任命されました。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
様々な国政の基盤ができたのですね。
色々な語句
受験生時代は必死で覚えました(笑)
応援♪
marihime 黒田さんこんにちは☆
いつもありがとうございます^^
寝不足とかはよくないですよ!
次回講座のためにも体調をベストにしておくことは大事なことヽ(*’-^*)。
アハハ母親みたいだーゴメン・・・(´_`illi)
ポチポチしていきますね!
あやね こんにちは!!(・∀・)
つい最近、世界史で律令体制を習ったのですごくタイムリーです!!(・∀・*)
でも学校の授業では雰囲気でなんとな~くしか分かっていなかったので・・・(⊃ω`泣)
すごく良い復習になりました(゚∀゚)☆
出た~
オバrev 大宝律令には改訂版があったんですか。
養老律令、聞き慣れない名前だ(^^;)
しかし、見事に国としての形が整備されてきてますね。
そしてこれを、天武天皇の子供と鎌足の子供が完成させたとは、天智天皇、天武天皇、藤原鎌足らの天皇中心の国作りへの思いは一緒だったんですね。
それにしてもいよいよ出ましたね藤原氏。
不比等は鎌足の子供だったんだ。この不比等から藤原氏の繁栄が始まるんでだろうか?
たろー 初めまして!
こみーさんの友達のたろーです
ボクのブログに来てくれてありがとうございます
歴史は結構好きです!
特に第二次大戦などもの凄く好きです
ぴーち こんばんは!
大宝律令。
今、頭の中で「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の
テーマが流れたような気がしました(^^A
懐かしいワードです^^
しかしながら、その改訂版で「養老律令」という
ものが作られていたなんて、知りませんでした(@@
読んでて良かった丸印の「歴史講座」です!
それでは、応援で~す凸
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 様々な国政の基盤ができたのですね。
律令体制の確立によって、様々な基盤ができました。中には、21世紀の現代にもその名を残すものがありますね。
> 色々な語句
> 受験生時代は必死で覚えました(笑)
私もその一人です(笑)。でも関連づけて覚えないと、すぐ忘れてしまうんですよね(^^ゞ
応援有難うございます!
marihimeさんへ
黒田裕樹 > いつもありがとうございます^^
> 寝不足とかはよくないですよ!
> 次回講座のためにも体調をベストにしておくことは大事なことヽ(*’-^*)。
全くそのとおりです。今日から早く寝よう…と思ったら、忙しくてこんな時間に返信しています…(´・ω・`)
> アハハ母親みたいだーゴメン・・・(´_`illi)
> ポチポチしていきますね!
色々とお気遣い、有難うございます!
あやねさんへ
黒田裕樹 > こんにちは!!(・∀・)
はい、こんにちは(^o^)丿
私のブログへようこそ!
> つい最近、世界史で律令体制を習ったのですごくタイムリーです!!(・∀・*)
> でも学校の授業では雰囲気でなんとな~くしか分かっていなかったので・・・(⊃ω`泣)
> すごく良い復習になりました(゚∀゚)☆
お役に立てて何よりです!
今回から3回くらいは高校の日本史の内容が続きますので、世界史の復習とともに、日本史の予習もして下さいね。
また是非お越し下さい!(^_^)v
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 大宝律令には改訂版があったんですか。
> 養老律令、聞き慣れない名前だ(^^;)
> しかし、見事に国としての形が整備されてきてますね。
「大宝」も「養老」も、実は年号が由来なんですよ。我が国では、「大宝」からは途切れることなく年号が続いています。それに合わせたかのように、律令政治も完成の域に達しているのは単なる偶然とは思えないですね。
> そしてこれを、天武天皇の子供と鎌足の子供が完成させたとは、天智天皇、天武天皇、藤原鎌足らの天皇中心の国作りへの思いは一緒だったんですね。
天智天皇にしても、天武天皇にしても、国に対する思いは変わりません。外交問題での不幸な対立が明暗を分けたのだと思われます。しかも、その明暗が「永遠に続いた訳ではない」のがまた歴史の不思議な一面でもあります。
> それにしてもいよいよ出ましたね藤原氏。
> 不比等は鎌足の子供だったんだ。この不比等から藤原氏の繁栄が始まるんでだろうか?
オバrevさんのお考えが果たして正しいのかどうか。8月にも始まる「奈良時代編」で明らかになると思います。予告だけしておきますと、「一筋縄ではいきません」。
位階や官職に応じて、封戸(ふこ)・田地(でんち)・禄(ろく)などの給与が与えられました。また、上流貴族が自分の一族の地位を維持させるために、五位以上の子(または三位以上の孫)は父(または祖父)の位階に応じた位階を与えられるという蔭位の制(おんいのせい)もありました。
律令制における身分制度としては、良民(りょうみん)と賤民(せんみん)に大別されました。このうち、賤民には五種類の区別があり、官有の陵戸(りょうこ)・官戸(かんこ)・公奴婢(くぬひ)と、私有の家人(けにん)・私奴婢(しぬひ)がありました。これらを五色の賤(ごしきのせん)といいます。
また、当時の刑罰には、五刑(ごけい)と八虐(はちぎゃく)がありました。五刑とは笞(ち)・杖(じょう)・徒(ず)・流(る)・死(し)のことであり、それぞれ笞は細いムチでうつ刑、杖は太いムチでうつ刑で、徒は強制労働で今の懲役(ちょうえき)刑にあたり、流は強制移住で後の流罪(るざい)に相当します。死は文字どおり死罪のことです。
八虐は天皇や国家、尊属(そんぞく、自分より上の世代の親族のこと)に対する罪のことであり、これらは有位者でも減刑されず、重罪となりました。



いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
蔭位の制ですか・・
生まれる順番も早い者勝ちという印象を受けました。
やはり、長男、長女として生まれてくることのほうが、
有利なんでしょうかね・・?
それと、刑罰の種類は大まかなのに、細い紐と、太い紐でという
細かい区別があるのが、何とも面白いですね(決して、刑が面白いわけではありませんので、悪しからず・・)
それでは、応援凸
また、お邪魔します^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 蔭位の制は、上流貴族が、自分の子孫も有利に出世できるように最初から「下駄を履かせた」制度なんですよ。聖徳太子の「冠位十二階」のような平等制度からすれば、ずいぶん虫のいい話だと思います。もっとも、そんなハンデがあったとしても、出世できる人間は出世できますけど。
五刑制度は、刑の重さで処分方法が違っている点でははっきりしていると思います。仰るように、面白いという訳ではないのですが、興味(?)を持つ内容ではありますね。
今日も応援、有難うございます!
さすらい こんばんは。
五色の賤(ごしきのせん)
思い出しました。
公奴婢(くぬひ)と私奴婢(しぬひ)が
なんとなく覚えられずにいました(笑)
応援♪
がありました。これらを
さすらいさんへ
黒田裕樹 いつも応援有難うございます!
五色の賤(ごしきのせん)は言葉は覚えていても、種類を全部は言えないものですよね。でも受験には出てくるんですよねぇ。他に出すべきところがあると思うのですが。
ひえ~(涙)
オバ こ、これは、覚えきれない~(T_T)
ひとつ気になったんですが、良民ってのは具体的には貴族ですか。
とすると賤民は労働者?
sugar salt 初めまして!いつも私のところに足を運んで頂きありがとうございます。歴史は学生の時に勉強したきり目にする事がないのですが・・。(大河は見ますけど・・・)。歴史はいろいろ奥深いと思います。過去は変えられませんが、調べるうちにいろいろわかってきたりすると、もし、~だったらって考えたらまたおもしろいかも知れませんね。。
ブログ名変更しました!
marihime こんにちは☆
ブログ名を変更しましたのでお知らせしておきますσ(゚ー^*)
ポチッ
オバさんへ
黒田裕樹 > こ、これは、覚えきれない~(T_T)
確かに。でも高校の日本史では頻出の問題なんですよ。暗記主義ここに極まれり、と言ったところでしょうか…。
> ひとつ気になったんですが、良民ってのは具体的には貴族ですか。
> とすると賤民は労働者?
良民には貴族たる官人も確かにそうですが、口分田を支給される一般農民も含まれます。従って、必ずしも労働者=賤民というわけではありません。
sugar saltさんへ
黒田裕樹 こちらこそ、当ブログへのコメント、有難うございます!
仰るとおり、歴史は奥が深いです。過去の学んだことの真相をつかもうとして勉強すれば、また別の新たなる課題を見つけて、そちらを勉強したりと…。
過去の事実は動きませんが、見方は時代や角度によって様々な変化があります。この場合には、一元的な見方をせずに、当時の状況や時代背景を身長に見極める必要も出てくるでしょう。
「もし~だったら」と考えることも大切です。我々が失敗した際に、反省して二度と同じことをしないようにはどうすればよいかということを考えますよね。それと同じように、過去の歴史の中で「if」を学ぶことによって、当時の状況や人々の気持ちが分かるようになるのです。
また是非お越し下さい!
marihimeさんへ
黒田裕樹 応援有難うございます!
ブログ名のご変更、了解しました。早速リンク先を変更しておきますね。
今後とも宜しくお願いします。
民衆の当時の税負担には、租(そ)、庸(よう)、調(ちょう)、雑徭(ぞうよう)がありました。租は口分田からの収穫の3%を税負担することであり、庸は都で10日働くか、その代わりに布を納める制度で、調は各地の特産品を納めるものでした。庸や調による納税品は、自費で都まで運ぶ義務がありました。これを運脚(うんきゃく)といいます。また、雑徭は一年に60日間(のち30日間)を限度に国司の命令で働くという労役制度でした。
この他、春に稲を貸し付け、収穫時に高い利息とともに徴収するという公出挙(くすいこ)があり、国の重要な財源となった一方で、年5割~3割という重い負担が民衆を苦しめることになりました。尚、私的な目的で行われた私出挙(しすいこ)では、年の利率が10割という厳しいものもありました。
我が国の治安と国防にも、民衆の力が必要でした。成年男子3~4人に1人の割合で徴集され、京の警備には衛士(えじ)が、諸国には軍団(ぐんだん)が置かれ、九州沿岸の警備は防人(さきもり)が任じられました。兵士たちは食料と武装を自分で調達しなければならず、経済的な負担が重たかった一方で、庸や雑徭などの一部の税負担は免除されました。



いつも有難うございます。
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sisi ブログ村投票しましたよ。
あの時代は、細かく調査していることが、すごいですよね。
sisiさんへ
黒田裕樹 > ブログ村投票しましたよ。
いつも有難うございます!
> あの時代は、細かく調査していることが、すごいですよね。
そうですね。でも、現実にはなかなか上手くいかないんですよね。早くも奈良時代には…。
相模守高時 租庸調に班田収授法。。。
このあたりは受験日本史の知識のみ。
楽しみながら学ぶことができませんでした。
勉強させてもらいました
相模守高時さんへ
黒田裕樹 > 租庸調に班田収授法。。。
> このあたりは受験日本史の知識のみ。
> 楽しみながら学ぶことができませんでした。
> 勉強させてもらいました
有難うございます。
私も正直、このあたりに関しては「分かりやすく」説明することは非常に難しく思えました。暗記ばかりになりがちですが、その後の歴史の流れを理解するのに重要な項目でもありますので、敢えて講座に記した次第です。
たろー ランクリしときました!
いろいろ班田収授法について分かりました
ぴーち こんばんは!
今日は非常に見慣れた言葉でしたので、
安心しました^^
それにしても、東国原知事が言うと問題になってしまいましたが、(●●●軍団じゃないですがw)私がここで言っても何の問題にもならないでしょうから、言いますが、日本も韓国のように、若い時期に数年、徴兵制度があっても良いように思うですよね。
緊迫感のない世の中ですから、いざという時の
対応を早いうちに身につけさせておくと言う意味でも、あっても良さそうな制度だと思うんですが、いかがでしょうか?
(色々な問題抜きで)
ぁ、脱線でしたか?
この暑さで線路が歪んでしまったようですw
それでは、応援凸
さすらい こんばんは。
「班田収授法」は覚えられました!(笑)
「防人」は漢字変換できるものと
できないものがありますね。
私の携帯は変換できません(泣)
応援♪
たろーさんへ
黒田裕樹 > ランクリしときました!
> いろいろ班田収授法について分かりました
ご訪問&コメント&ランクリ有難うございます!
班田収授法は内容がややこしいですが、個別に分けて理解すれば大丈夫ですよ(^_^)v
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今日は非常に見慣れた言葉でしたので、
> 安心しました^^
それは良かったです(^^♪
>日本も韓国のように、若い時期に数年、徴兵制度があっても良いように思うですよね。
> 緊迫感のない世の中ですから、いざという時の
> 対応を早いうちに身につけさせておくと言う意味でも、あっても良さそうな制度だと思うんですが、いかがでしょうか?(色々な問題抜きで)
仰ること、ごもっともです。若者の有り余ったエネルギーを変なことに使わないようにするためにも必要なことかもしれませんね。その一方で、自衛隊は「志願兵」であるがゆえに規律がしっかりしている、という話もあります。徴兵が募兵か、判断が難しいところですね。
> この暑さで線路が歪んでしまったようですw
この時期はレールに水をまく光景が見られますね。私も頭を冷やして出直しです(笑)。
いつも応援、有難うございます!
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 「班田収授法」は覚えられました!(笑)
良かったです。奈良時代には今回の「班田収授法」を踏まえた話が出てきますので、結構重要なんですよね。
> 「防人」は漢字変換できるものと
> できないものがありますね。
> 私の携帯は変換できません(泣)
なぜでしょうね?
禁止ワードでもないような気がしますが…。
応援有難うございます!