そして翌668年正月、中大兄皇子は43歳でようやく第38代の天智天皇(てんじてんのう)として即位されました。ただ、この即位も決してスムーズに行われたわけではありませんでした。
同じ668年に、新羅の僧である道行(どうぎょう)が、三種の神器(さんしゅのじんぎ、天皇であることを証明する大事な神器のこと)の一つである草薙の剣(くさなぎのつるぎ)を盗むという事件がおきました。道行は新羅まで逃げようとしましたが、途中で嵐にあって失敗に終わりました。
この事件は、新羅が天智天皇の即位を妨害しようとした事実の一つとされています。天智天皇はかつて百済再興を夢見て白村江の戦いを起こされました。ということは、天智天皇が百済を滅ぼした新羅に対して良い感情をお持ちでないことは明らかだったのです。



いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
オバrev この頃から奈良時代にかけて、都がコロコロ変わって、未だに訳がわからなくなってます。1時代は1つにしてよっ!と思ってます(^^;)
いよいよ大化の改新以降、飛鳥時代で名前を覚えている二人の天皇の一人、天智天皇登場ですね。
もう一人はよく似た名前ですが、もうじき登場されるのではないでしょうか。
読み方は、「てんちてんのう」ではなくて「てんじてんのう」なんですか Σ(゚Д゚ ) ナ、ナ、ナント!
もしかして今まで?十年間、間違って読んでいたかも。゚(゚´Д`゚)゚。?
ヒロキ 三種の神器、一目でいいから見てみたいものですね。
偽物ではなく本物を(*^_^*)
今回の話の草なぎの剣は本物なんですかねww
ぴーち こんばんは!
今日は雷雨もなく、一安心です^^;
昨日は失礼しましたm(__)m
今日も、脱線モードで失礼しますw
あのゆるキャラ「遷都」クンは、この時代の
遷都を名前にした訳ですね~
この時代の「三種の神器」は
国宝級の宝ものだったのでしょうけれど
昭和の時代の「三種の神器」は
今でもどんどん進化し続けていますよね^^
しかしいくら僧侶と言えども、悪行を働くものには
やはり天罰が下るものですね。
それでは、きゅうりの捧げものを黒田様に~~
応援です凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 > この頃から奈良時代にかけて、都がコロコロ変わって、未だに訳がわからなくなってます。1時代は1つにしてよっ!と思ってます(^^;)
実は古代の天皇の宮都は一代限りで移動しているんですよ。それがこの時代になると、移動の範囲が拡大するので、余計に目立つんですよね。せっかく大きな平城京を造った奈良時代にも頻繁に移動していますし。これじゃあ、覚えにくくて歴史嫌いが増えるもの仕方ないですかね…(´・ω・`)
> いよいよ大化の改新以降、飛鳥時代で名前を覚えている二人の天皇の一人、天智天皇登場ですね。
> もう一人はよく似た名前ですが、もうじき登場されるのではないでしょうか。
もうすぐ「皇子」として登場しますよ(笑)。即位されるのはもう少し先ですかね…。
> 読み方は、「てんちてんのう」ではなくて「てんじてんのう」なんですか Σ(゚Д゚ ) ナ、ナ、ナント!
> もしかして今まで?十年間、間違って読んでいたかも。゚(゚´Д`゚)゚。?
大丈夫ですよ。「てんちてんのう」も間違っていません。最近の歴史教科書が「てんじ」になっているので、合わせているだけです。これに関してはとやかく言うこともないか、と思いましたので…。
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > 三種の神器、一目でいいから見てみたいものですね。
> 偽物ではなく本物を(*^_^*)
> 今回の話の草なぎの剣は本物なんですかねww
道行の盗んだ草薙の剣は名古屋の熱田神宮にあったものと伝えられています。朝廷が取り戻した後はしばらく都に安置されていましたが、その後事情があって神宮に戻されたとも、あるいはそのまま朝廷が所有しているとも、あるいは「海の底」とも伝えられています。
ちなみに、一番最後の説は、18日の歴史講座と関係がありますよ(笑)。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今日は雷雨もなく、一安心です^^;
> 昨日は失礼しましたm(__)m
いえいえ、雷雨は大変ですからね。何事もなかったようで一安心です。
> あのゆるキャラ「遷都」クンは、この時代の
> 遷都を名前にした訳ですね~
…すみません(´・ω・`)
もう少し先の平城京遷都(710年)がルーツになります…。
> この時代の「三種の神器」は
> 国宝級の宝ものだったのでしょうけれど
> 昭和の時代の「三種の神器」は
> 今でもどんどん進化し続けていますよね^^
3C(カラーテレビ・クーラー・自動車)のことですね。最近は色んな業種で「三種の神器」が分かれているみたいですよ。
> しかしいくら僧侶と言えども、悪行を働くものには
> やはり天罰が下るものですね。
我が国に伝わる至宝を盗もうとするなんてとんでもない話です。どんな事情があれ、許される話ではないでしょうね。
> それでは、きゅうりの捧げものを黒田様に~~
…(@_@;)
(コメントをご覧の皆様へ…って、ぴーちさんばかりで3度目ですが)
こちらの記事をご参照下さい。
http://toymomo.blog61.fc2.com/blog-entry-1998.html#comment24018
こみー 草薙の剣ってこのころの3種の神器だったんですね。
名前は知ってましたが・・・(^^;)
また知識が増えました☆
無知なもんで・・・少しずつ覚えていかないと。
こみーさんへ
黒田裕樹 「草薙の剣」は、天皇の正当性を証明する大切な「三種の神器」の一つとして代々伝えられています。一方それにあやかって、最近の便利な電化製品などを同じように「三種の神器」と見立てているんですよね。
誰だって始めは無知です。無理をせず、理解できる範囲で少しずつ知識を増やしていって下さい。いつも言ってることですが、何事も関連づけて理解すれば、覚えるのも速いですよ!
さすらい こんばんは。
「良い感情をお持ちでない」
そこから、また憎しみの連鎖ですね(笑)
続き楽しみにしています。
明日ですね。
ご成功をお祈りしています。
もうレギュラーですものね。
特に心配もないと思いますが。
応援してます♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 「良い感情をお持ちでない」
> そこから、また憎しみの連鎖ですね(笑)
そのとおりです。今回に関しては、新羅も火に油を注いでしまいましたね。
> 続き楽しみにしています。
> 明日ですね。
> ご成功をお祈りしています。
> もうレギュラーですものね。
> 特に心配もないと思いますが。
> 応援してます♪
有難うございます。
あと半日と少しですが、できる限り完全に仕上げて頑張ってきます!
まず、668年に我が国で初の本格的な法令となる近江令(おうみりょう)を、中臣鎌足らとともに制定したとされています。ただ、近江令は現存せず、近年ではその存在を疑われている一面もあります。続いて670年には、我が国初の全国的な戸籍である庚午年籍(こうごねんじゃく)がつくられました。かつて「改新の詔」で記された戸籍がようやく完成したことになります。
また、671年には漏刻(ろうこく)、つまり水時計が宮廷内に設置され、正確な時を告げるようになったとされています。この日は今の暦に直すと6月10日であり、「時の記念日」として現代でも有名になっていますね。
さて、天智天皇の在位中に中臣鎌足が669年に亡くなっています。鎌足の死の直前に、天智天皇は大織冠(だいしょくかん)の地位と「藤原」の姓を授けられました。こうして鎌足は死後に「藤原鎌足」(ふじわらのかまたり)と呼ばれ、我が国の歴史にその名を残す「藤原氏」の始祖(しそ)となったのです。
鎌足が亡くなった瞬間、彼が辛(かろ)うじて繋(つな)いでいた「兄弟」の絆(きずな)が、不気味な音を立てて断ち切られていくのが聞こえました…。



お蔭様でカウンターが5000を突破しました! いつも有難うございます!
トラックバック(0) |
清家淳子 5000アクセスおめでとうございます(^-^)/
これからも、できるだけ時間取ってブログ訪問させて頂きたいです(・ω・)/
水時計教科書で見たの思い出しました(笑)
ちなみに大化の改新はムシゴハン(645年)って覚えてました(笑)
ぴーち こんばんは!私は5024番目でした!
おめでとうございます☆
3週間で1000カウントの勢いとは、凄いですね^^
所で、この頃に日本の「戸籍」が始まったのですね。
現在世界でも、戸籍制度がある国は、日本と韓国、台湾(中国もそうですかね?)くらいですよね。
戸籍は利点が多いので、これからの日本で廃止される事はないのでしょうね^^
アメリカなどは州ごとに色々な決まりごとが違うらしいので不便なことも多いようですが、日本は北から南まですべて統一されているので、
素晴らしい国ですよね^^
黒田さん、お忙しい中、きっちりとコメントくださり、
感謝します(^人^)
講座の方、またまた大成功のうちに終われますように
お祈り致しておりますね!
PS。お返事コメントの私のブログリンク、毎回すみませんです^^;性懲りもなくまた、宜しくお願いしま~すっ

応援凸
さすらい こんばんは。
あ、ここで「藤原」性なのですね。
勉強になります。
今日はお疲れ様でした。
ご成功だったことでしょう。
5000アクセス通過おめでとうございます。
これからも楽しみにしています。
応援♪
歴史講座 お疲れ様でした
オバrev 歴史講座、無事終了されたことと思います。
お疲れ様でした。
み、水時計?砂時計じゃなくて??どういう原理なんでしょうか???
鎌足はなかなかの人格者だったようですね。それで兄弟の絆が・・・なんですね。
山茶花四十郎 7世紀のこの動きが,
この後の国内・外交政策を
ある程度方向付けた感じですね。
それにしても,本当に勉強になります。
いつもありがとうございます。
清家淳子さんへ
黒田裕樹 > 5000アクセスおめでとうございます(^-^)/
> これからも、できるだけ時間取ってブログ訪問させて頂きたいです(・ω・)/
有難うございます(^o^)丿
お忙しいとは思いますが、どうぞご訪問下さい(^_^)v
> 水時計教科書で見たの思い出しました(笑)
教科書にも載っていますよね。7世紀ではあの設備でもかなり正確だったみたいですね。
> ちなみに大化の改新はムシゴハン(645年)って覚えてました(笑)
私もムシゴメです(笑)。他にも「虫殺し(ムシゴロシ)」というのもあるようですが…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!私は5024番目でした!
> おめでとうございます☆
> 3週間で1000カウントの勢いとは、凄いですね^^
3000を超えたあたりからスピードがだんだん速くなってきました。有難いことです。
> 所で、この頃に日本の「戸籍」が始まったのですね。
> 現在世界でも、戸籍制度がある国は、日本と韓国、台湾(中国もそうですかね?)くらいですよね。
> 戸籍は利点が多いので、これからの日本で廃止される事はないのでしょうね^^
> アメリカなどは州ごとに色々な決まりごとが違うらしいので不便なことも多いようですが、日本は北から南まですべて統一されているので、
> 素晴らしい国ですよね^^
戸籍制度は「人民支配の道具だ!」という批判がありますが、国の動きを正確につかむためには必須の制度です。我が国の場合は仰るとおり全国的に統一されているので、非常に分かりやすくなっていますよね。素晴らしい国だと私も思います。
> 黒田さん、お忙しい中、きっちりとコメントくださり、
> 感謝します(^人^)
> 講座の方、またまた大成功のうちに終われますように
> お祈り致しておりますね!
時間がなかったのに、ぴーちさんの記事をみて思わずコメントしてしまいました(笑)。
講座は無事終わりましたよ。詳しくはいつものように別記事で紹介します。
> PS。お返事コメントの私のブログリンク、毎回すみませんです^^;性懲りもなくまた、宜しくお願いしま~すっ

…(^^ゞ
ぴーちさんのこちらでのコメントが、リンク先を紹介した方が分かりやすい場合は、これからも紹介しますよ(笑)。
応援有難うございます!
大化の改新 私の場合
オバrev 連コメ失礼します。
大化の改新、私の場合は「無事故(645)の世作り」です(^^)
さすらいさんへ
黒田裕樹 > あ、ここで「藤原」姓なのですね。
> 勉強になります。
鎌足は死の直前に「藤原姓」を授けられたのです。
彼の場合は、生前は「中臣鎌足」、死後は「藤原鎌足」と区別した方が分かりやすいかもしれませんね。
> 今日はお疲れ様でした。
> ご成功だったことでしょう。
> 5000アクセス通過おめでとうございます。
> これからも楽しみにしています。
有難うございます。講座は無事終わりました。毎回来ている人からある「お褒めの言葉」をいただいたのですが…。また別記事で紹介しますね。
応援、有難うございます!
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 歴史講座、無事終了されたことと思います。
> お疲れ様でした。
有難うございます。無事終了しましたが、声が…(笑)。
いずれ別記事にUPしますね。
> み、水時計?砂時計じゃなくて??どういう原理なんでしょうか???
簡単に言えば、容器に水を流し、その水面の高さの変化で時の流れをはかる仕組みです。
振り子時計が発明されるまではよく使われたそうですよ。
> 鎌足はなかなかの人格者だったようですね。それで兄弟の絆が・・・なんですね。
仰るとおりです。このあとは文字どおり「骨肉の争い」が待っているのです…(´・ω・`)
我が国とかかわりの深い任那や百済を滅ぼした新羅は確かに憎いですが、その新羅が朝鮮半島を統一しようとする勢いである現状を考えれば、我が国の唐に対する防波堤(ぼうはてい)の意味も込めて、一切のしがらみを捨てて新羅と「大人の関係」を結ぼうというのがその考えでした。
しかし、こうした「現実的」な考えは、「新羅憎し」の感情を優先させる天智天皇や大友皇子には受け入れられず、両者はいつしか対立するようになりました。そして671年10月、天智天皇は大海人皇子を宮廷内に呼びつけられて、「天皇の地位を譲る」と述べられました。
「これは罠(わな)だ」と直感した大海人皇子はこの誘いを断り、直ちに出家して吉野(よしの、現在の奈良県)へ向かい、政治的野心のないことをアピールしました。
天智天皇は同じ年の12月に46歳で崩御されました。その死は単なる天皇後継だけでなく、我が国の今後の外交路線を含めた大きな流れの中で、避けることの出来ない波乱の予感を漂(ただよ)わせていました。



いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
清家淳子(宅麻伸さんのファン) そういえば大海人皇子っていたいた(笑)
この辺のテスト良かったのに、何でかな?
もう若更年期障害ですね(*u_u)
名前だけしか覚えてなかった(^o^;)
清家淳子さんへ
黒田裕樹 いえいえ、名前だけでも記憶に残っているのは良いことだと思いますよ、
これからの講座で是非思い出して下さいね!(^o^)丿
オバrev 大友皇子、大海人皇子の争いは、有名な壬申の乱かぁ、ってタイトルに初めから書いてありましたね(^^;)
権力争いもさることながら、反新羅か親新羅かという違いがあったんとは知りませんでした。
そりゃあ、情勢から言えば親新羅でしょう。何か日米安保のような話ですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 権力争いもさることながら、反新羅か親新羅かという違いがあったんとは知りませんでした。
教科書には単なる天皇後継の争い、としか書かれていませんが、私的な理由だけであんな大きな争いにはなりません。大乱にはそれなりの理由があった、というわけなんですよ。
> そりゃあ、情勢から言えば親新羅でしょう。何か日米安保のような話ですね。
そうですね。どちらが正義、というよりもどちらが長い目で見て国益にかなっているか、という点では同じだと私も思います。
ぴーち こんばんは!
親は平等に子供をしつけ育ててきたとしても命が違う兄弟で、やはり考え方も違って来てしまいますね。
鳩山兄弟も、若貴兄弟も、見事に反発し合って
いますもんね。
大人の関係・・良い響きですね~w
大海人皇子は俗に言う、世渡り上手だったんですね^^
私はどちらかと言うと、大友皇子タイプの世渡り下手なタイプだから、共感性はこちらが高いです^^
(自分の話になって恐縮ですが)
それでは、他人の関係である黒田さんへ応援ですww
あ、もとい、宅間伸さんの弟さんの黒田さんへ応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 親は平等に子供をしつけ育ててきたとしても命が違う兄弟で、やはり考え方も違って来てしまいますね。鳩山兄弟も、若貴兄弟も、見事に反発し合っていますもんね。
そうですね。一人っ子の私には分からない感情なんですが、兄弟であるがゆえに余計に反発して、かえって収拾がつかなくなることがあるようです。
> 大人の関係・・良い響きですね~w
> 大海人皇子は俗に言う、世渡り上手だったんですね^^
> 私はどちらかと言うと、大友皇子タイプの世渡り下手なタイプだから、共感性はこちらが高いです^^
> (自分の話になって恐縮ですが)
大海人皇子のように何事も冷静に判断する姿勢は、政治家としては有能ですが、友人にしたいタイプは、私も大友皇子の方がいいですね。
> それでは、他人の関係である黒田さんへ応援ですww
> あ、もとい、宅麻伸さんの弟さんの黒田さんへ応援凸
応援は大変有難いですが…これもリンク先が必要なようですね(笑)。
http://toymomo.blog61.fc2.com/blog-entry-2007.html#comment24068
東国の兵士を味方に付けた大海人皇子は、近江や大和へ向かって軍を進めました。近江朝廷側も善戦しましたが、結局は敗北し、大友皇子は自殺しました。大海人皇子が大友皇子を破ったこの戦いを、当時の十干十二支(じっかんじゅうにし)から「壬申の乱」(じんしんのらん)といいます。
大海人皇子が勝利した最大の原因は、東国の豪族が皇子に従ったからです。一方、大友皇子は西国に対して自分の味方になるように説得しましたが、いずれも拒否されました。なぜこのようなことになったのでしょうか?
天智天皇による一連の急進的な改革に、地方がついていけなかったからという見方もありますが、やはり天智・大友父子の「反新羅」の外交政策を疑問視していた可能性が高いと思われます。我が国の未来のために、恩讐(おんしゅう)を越えて新羅との関係を修復しようとする大海人皇子の考えが全国に受け入れられたからこそ、一種のクーデターともいえる壬申の乱が成功したのでしょう。
尚、大友皇子は、壬申の乱から約1200年後に明治政府によって、第39代の「弘文天皇」(こうぶんてんのう)の名を贈られています。



いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
なるほど~!
いつまでも、新羅に対して、反感を持つことよりも、
友好的な関係を築きたいという国民感情に沿った政策が
勝利に繋がった訳ですね
さすがに「和」の国は、争いごとを極力好まずに
話し合いで穏便に解決することを昔から
望んでいたんですね。農耕民族だからでしょうか?
それでは、お腹には「白あん」が沢山詰っていそうな黒田さんへ応援です凸
大海人皇子が3枚上手
オバrev やはりトップに立つ者は、器量の大きさが必要ですね。
そして、親新羅という時代の流れの読み、
大化の改新を始め、修羅場をくぐり抜けてきた経験。
1枚も2枚も、いや3枚くらい大海人皇子の方が上手だったんですね。
この後も、天智天皇系と大海人皇子系で因縁は続くのかな?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど~!
> いつまでも、新羅に対して、反感を持つことよりも、
> 友好的な関係を築きたいという国民感情に沿った政策が
> 勝利に繋がった訳ですね
反感を持ち続けることによって「共倒れ」を避けたわけです。
唐に漁夫の利をさらわれるわけにはいきませんからね。
> さすがに「和」の国は、争いごとを極力好まずに
> 話し合いで穏便に解決することを昔から
> 望んでいたんですね。農耕民族だからでしょうか?
この場合は「対話」が確かに有効でしたね。
「圧力」と平行して行う外交の重要性は、今も昔も変わらない、というところでしょうか。
> それでは、お腹には「白あん」が沢山詰っていそうな黒田さんへ応援です凸
…これもリンク先が必要なようですね。ぴーちさんも上手ですねぇ(^^ゞ
http://toymomo.blog61.fc2.com/blog-entry-1991.html#comment24088
管理人のみ閲覧できます
-
オバrevさんへ
黒田裕樹 > やはりトップに立つ者は、器量の大きさが必要ですね。
そうですね。分不相応の者がトップに立てば、ろくなことがありません。
> そして、親新羅という時代の流れの読み、
> 大化の改新を始め、修羅場をくぐり抜けてきた経験。
> 1枚も2枚も、いや3枚くらい大海人皇子の方が上手だったんですね。
今思えば、天智天皇が崩御された段階で勝負は決まっていましたね。
百戦錬磨の大海人皇子に、大友皇子が勝てるわけがありません。
ましてや外交問題も抱えたうえでは…。
> この後も、天智天皇系と大海人皇子系で因縁は続くのかな?
はい、続きます。講座には書いておりませんが、約100年後に別なかたちで爆発するんですよね。
相模守高時 大津市皇子山に縁のある私、弘文天皇稜にも何度か足を運びました。
大友皇子は乱後、相模、上総へと逃れたという話を聞いたことがあります。
伊勢原にはお墓もあります。
真偽はともかく、ロマンを感じます。
相模守高時さんへ
黒田裕樹 「大友皇子不死説」は昔からありますね。無念の死を遂げた皇子の御霊(みたま)を慰めるために、あるいは怨霊(おんりょう)となってこの世にたたるのを恐れたために、敢えて死ななかったことにする、といったところでしょうか。今回の歴史講座の源義経や、真田信繁(=幸村)などもそうですね。
MAHHYA 大友皇子、海千山千の大海人皇子にやられて、ちょっとかわいそうだな、という印象があったのですが、朝鮮との関係をめぐって、豪族の思惑がそれぞれあったのですね。
とても、よくわかりました。
えめる 政治家たるもの、時代を見越して、時には自分の意志を曲げてでも、
国の行く末を案じる器量が必要なんですね。
今の日本の行く末、見越したら何が見えてくるのか……恐くなっちゃいます。
先日は温かいお言葉、どうもありがとう。おかげ様で元気になれました。
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 当時の豪族に限らず、通常の人間は、確固たる理由もなしに支持者について行ったりしないものです。そういう事情を教えない今の歴史教育は、まさに「暗記」だけの科目に成り下がってしまいますよね。
私の講座では、できるだけそんなことのない様に心掛けております。