こうなると困ったのは新羅です。高句麗と百済の両方から攻められた上に、我が国の支援も得られず、追いつめられた新羅は、起死回生の策として、唐との軍事同盟を選択しました。これは、ある意味非常に危険な賭けだったのです。
新羅と唐が同盟を結んだ場合、間に挟まれた高句麗や百済と戦いやすくはなりますが、問題はその後です。高句麗や百済が滅んだ後は、唐と新羅の両国が残されます。ということは、唐は新羅のみを相手にじっくりと時間をかけて滅ぼすことが可能となるわけです。
その後の展開が読めていた唐は、新羅からの誘いを喜んで受けました。唐から見て、遠く(新羅)の相手と結んで、近く(高句麗・百済)の敵を倒す、という政策のことを、遠交近攻(えんこうきんこう)といいます。
一方、新羅にしてみれば将来の不安よりも「今そこにある危機」の打開のためには、やむを得ない妥協(だきょう)でした。そして新羅は、唐の信頼を得るために、それまでの常識では考えられない政策を始めたのです。



いつも有難うございます。
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智里 大化の改新も終わり、やっと落ち着いたと思ったら、大陸ではそんなことがおきてたんですね。
しかし、いつの時代でも力で他国を支配するんですね。
高句麗と百済はこのあと大国相手にどうなるのか気になるところです。
ヒロキ この頃の朝鮮半島の出来事はややこしくて全然覚えてないや(笑
たしか最終的に新羅が唐を追い出すっていう展開になってた気がします(゜o゜)
智里さんへ
黒田裕樹 > 大化の改新も終わり、やっと落ち着いたと思ったら、大陸ではそんなことがおきてたんですね。
そうなんです。内政も外交も同時進行で待ったなしばかり…。政治家も大変です。
> しかし、いつの時代でも力で他国を支配するんですね。
> 高句麗と百済はこのあと大国相手にどうなるのか気になるところです。
新羅の今後が大きなカギを握ることになります。
追いつめられた新羅が何をやらかすのか…。
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > この頃の朝鮮半島の出来事はややこしくて全然覚えてないや(笑
> たしか最終的に新羅が唐を追い出すっていう展開になってた気がします(゜o゜)
さぁ、どうでしょうか?(笑)
ややこしい朝鮮半島の「勝者」を決める戦いはこれからですよ(^^♪
ぴーち そうですか。。
新羅は、もはや「四面楚歌」状態の中の唯一の
希望が、唐だったのですね。
しかし、追い詰められると思いも寄らない
力を発揮することもあるので、
新羅の取った行動が気になりますね~^^
時には「背水の陣」で頑張れば、
何とかなる場合もあるのですね!
それでは、窮鼠、猫を食むぴーちからの応援です凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 新羅は、もはや「四面楚歌」状態の中の唯一の
> 希望が、唐だったのですね。
事ここに至っては、唐の力を借りるしかないほどの弱小国だったんです。
> しかし、追い詰められると思いも寄らない
> 力を発揮することもあるので、
> 新羅の取った行動が気になりますね~^^
> 時には「背水の陣」で頑張れば、
> 何とかなる場合もあるのですね!
そうです。まさに奇想天外な作戦でした。詳しくは明日の講座をご覧下さい。
応援有難うございます!
さすらい こんばんは。
新羅も大変な歴史を歩んでますね。
何だかんだ言っても
しばらく時代はあるんですから
何か見えないもの(生きる力)があるんでしょうね。
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 新羅も大変な歴史を歩んでますね。
> 何だかんだ言っても
> しばらく時代はあるんですから
> 何か見えないもの(生きる力)があるんでしょうね。
新羅にとっての「見えないもの(生きる力)」。それは、唐の傘下に入ってでも亡国の危機を免れようとする努力でもありました。その努力とは何なのか?
明日の講座をご覧下さい。
応援有難うございます!
日本は温室の歴史?
K20AVTEC 新羅、高句麗、百済そして唐と、まさに国が滅ぶかどうかという、凄まじい経験を歴史的にしてきているんですね。
それと比べると、やはり日本は温室の中の歴史っていう感じがします。
新羅の打ち出した常識を逸した政策ってなんでしょう・・・もしかして麻生総理にも参考になるかな?
K20AVTECさんへ
黒田裕樹 > 新羅、高句麗、百済そして唐と、まさに国が滅ぶかどうかという、凄まじい経験を歴史的にしてきているんですね。
そうです。さらに共通しているのは、後にはすべて「国が滅びてしまっている」ことなんですね。
> それと比べると、やはり日本は温室の中の歴史っていう感じがします。
温室といえば確かに温室です。 ただ、それ故に歴史がつながっているんですよね。
> 新羅の打ち出した常識を逸した政策ってなんでしょう・・・もしかして麻生総理にも参考になるかな?
個人的には、麻生総理よりも鳩山代表が採りそうな策のような気がします…。
つまり、民族の風俗や服装、官制や年号に至るまで、すべてを中国風に改めたのです。そこには独立国としての面影が全く存在しませんでした。しかし、「中国のコピー」となることがどれだけ屈辱的であろうが、国が滅びては意味がありません。まさになりふりかまわぬ究極の政策といえました。
こうして唐と同盟を結んだ新羅は、やがて反撃に転じました。660年には唐と共同で百済を攻め、首都を落とされた百済は滅亡してしまいました。
百済の遺臣(いしん)たちの多くは、かねてから同盟を結んでいた我が国に逃れ、百済の復興を訴えました。彼らに同意した朝廷は、翌年の661年に斉明天皇ご自身が先頭となって軍勢を率いて、百済救済のために九州へ向けて出発しました。
しかし、斉明天皇は九州から動けぬまま、病のためにその年の夏に68歳で崩御されました。斉明天皇の崩御後は、中大兄皇子が即位しないままで政治を行いました。これを称制(しょうせい)といいます。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
朝鮮半島の紆余曲折は
現代にも受け継がれてますよね。
新羅もまた生きる術があったりなかったり
やはり「歴史」という「目に見えない神様」の
「お戯れ」だと思いますねえ(笑)
それならば新羅は
ずっと唐に服従していればいいものを
統一の後は結局滅亡の道なんですから
この時代も「政治は一寸先は闇」
ということでしょうかね(笑)
応援♪
ぴーち こんばんは!
あれれ・・
>新羅は「唐の属国」であることをアピールするために、自国の文化をかなぐり捨て、唐のマネをすることを始めました。
これはどこぞの国に似ているように思えるのは私だけでしょうか?
戦後、無条件降伏し、アメリカのマネをし、属国であることをアピール・・・・
では、では応援凸
また、お邪魔します^^
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 朝鮮半島の紆余曲折は
> 現代にも受け継がれてますよね。
> 新羅もまた生きる術があったりなかったり
> やはり「歴史」という「目に見えない神様」の
> 「お戯れ」だと思いますねえ(笑)
新羅の生き筋は「面従腹背」だったということですね。
これも歴史の残酷な結果です。
「腹背」がバレた後の新羅がどうなっていくのかが今後の見ものになりそうですね。
応援有難うございます!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > あれれ・・
> >新羅は「唐の属国」であることをアピールするために、自国の文化をかなぐり捨て、唐のマネをすることを始めました。
>
> これはどこぞの国に似ているように思えるのは私だけでしょうか?
> 戦後、無条件降伏し、アメリカのマネをし、属国であることをアピール・・・・
う~ん、鋭いですねぇ。戦後の我が国にも残念ながら当てはまるのかもしれません。
だとすれば、属国から脱出するにはどうすればいいのでしょうか…。次回の総選挙がカギを握るかもしれませんね。
応援有難うございます!
じらせますね~
オバrev えっ、母である斉明天皇が崩御されたのに即位しないんですか。じゃあフィクサーとして影で政治を動かすの?
しかしじらせますが、私がこの時代に覚えている唯一の天皇、、天のつく天皇がもうじき登場しますよね。名前はすごいかっこいい!
オバrevさんへ
黒田裕樹 > えっ、母である斉明天皇が崩御されたのに即位しないんですか。じゃあフィクサーとして影で政治を動かすの?
中大兄皇子が大化の改新以来、なかなか即位しなかったのは日本史最大の謎のひとつですね。「天皇」として即位してしまうと、改新が失敗した際に逃げ場がなくなるから、という説がありますが、決定的なものとは思えません。
> しかしじらせますが、私がこの時代に覚えている唯一の天皇、、天のつく天皇がもうじき登場しますよね。名前はすごいかっこいい!
天…全員「天」の字がつきますが(笑)。
スミマセン、冗談です。「兄」と「弟」がいますが、おそらく金曜日か、もう少し先か…。
よろしく
徐得恩 はじめまして!
私は台湾人です。たまにこのブログを見て、とてもうれしかったから、先生の文章を中国語に訳し始めています。
よろしいなら、私のブログにご覧になりますか?
徐得恩さんへ
黒田裕樹 私のブログへようこそ!
徐得恩さんのブログは、台湾語で私は読めませんが、お役に立てれば私もうれしいです。
またぜひ来てください。
白村江の戦いの敗北によって、百済の王族以下、多くの人々が我が国に亡命し、その後帰化しました。我が国は唐や新羅の報復を恐れて、国境沿いの対馬(つしま)や壱岐(いき)、筑紫(ちくし)に当時の兵士に当たる防人(さきもり)を置いたり、九州北部の行政機関であった大宰府(だざいふ)に水城(みずき=大宰府を守るための堀や土塁のこと)を築いたりしました。
その後の朝鮮半島では668年に高句麗が滅ぼされ、ついに唐と新羅が国境を接して争う事態になりました。我が国にも緊張感が高まりましたが、結局、唐や新羅が我が国に攻め寄せることはありませんでした。なぜでしょうか?
それは、新羅が唐と交戦状態に入り、しぶとく戦ったからです。新羅は旧百済領を唐と争ってこれを奪い、旧高句麗領の南半分とともに自領として、朝鮮半島の統一に成功すると、その後は唐に対して巧みな謝罪外交と小競り合いを繰り返しました。
そして、旧高句麗領の北部を中心に渤海(ぼっかい)が建国されたり、唐自体の内乱もあったりして、朝鮮半島に兵を釘付けできなくなった唐は、朝鮮半島の支配をあきらめ、やがては新羅の存在を認めたのでした。



いつも有難うございます。
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marihime ご無沙汰してしまいました。
パソコンの修理が終わって手元に戻ってきましたので、
今日から記事のアップを再開します。
またよろしくねσ(゚ー^*)
marihimeさんへ
黒田裕樹 復活されて何よりです(^_^)v
また是非ご訪問下さい!
ヒロキ 新羅、次第に強くなってますよねー。。。
続きを楽しみにしていまーす\(^o^)/
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > 新羅、次第に強くなってますよねー。。。
まさに大逆転ですよね。勝負は下駄をはくまで本当に分かりません。
> 続きを楽しみにしていまーす\(^o^)/
有難うございます!PC復活でエンジン全開(?)のHirokiさんにも期待しております!
ぴーち こんばんは!
またまた脱線させていただきます^^
防人とは、この理由で配置されたのですね!
この時代の話は頭の中で混乱していたもので
勉強にありました。
所でさだまさしの「防人の詩」とは、関係あるんでしょうか?
あ、脱線どころではなく、沈没してしまいましたかね^^;
失礼しました~w
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 防人とは、この理由で配置されたのですね!
> この時代の話は頭の中で混乱していたもので
> 勉強になりました。
防人の言葉は知ってても、いつ配置されたかは意外と分からないものなんですよね。
> ところでさだまさしの「防人の詩」とは、関係あるんでしょうか?
関連は確かにありますが、もともとは日露戦争を主題とする映画の主題歌として作られています。
> あ、脱線どころではなく、沈没してしまいましたかね^^;
> 失礼しました~w
いえいえ、色んな角度からのコメント、毎日楽しみにしております♪
応援有難うございます!
国にも栄枯盛衰があるんですね
オバrev しかし、新羅はしたたかな国ですね。
カープもこのしたたかさを見習って欲しい(T_T)
それにしても国というのは、いつまでも安泰というわけではなく、栄枯盛衰があるんですね。
日本も、今回の選挙結果次第では将来が大きく変わっていくかもしれません。
国会議員の責任は重いです。心から国家のことを考え、それこそ命がけでやってくれる人を選びたいです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > しかし、新羅はしたたかな国ですね。
> カープもこのしたたかさを見習って欲しい(T_T)
全くです(>_<)
これだけのしぶとさがあれば、CSどころか優勝だって夢ではないのですが…。
> それにしても国というのは、いつまでも安泰というわけではなく、栄枯盛衰があるんですね。
> 日本も、今回の選挙結果次第では将来が大きく変わっていくかもしれません。
我が国だって、いつまでも安泰だと思っていたら大間違いですし、国の行く末を決めるのは、仰るとおり我々国民の総意なんですよね。
風聞に流されることなく、責任をもって選択したいものです。
> 国会議員の責任は重いです。心から国家のことを考え、それこそ命がけでやってくれる人を選びたいです。
今の国会議員や地方議員、あるいは市井の中の人々にもそういう意思をお持ちの方が必ずおられると信じています。
政治難民
タイクーン 黒田裕樹さん、こんにちは

百済が滅んだとき、我が国は王族・貴族を受け入れたとかいてありますが、今の日本から考えるとかなり寛容な姿勢ですね

タイクーンさんへ
黒田裕樹 > 百済が滅んだとき、我が国は王族・貴族を受け入れたとかいてありますが、今の日本から考えるとかなり寛容な姿勢ですね

考えられる理由は少なくとも二つあります。いずれも、現代とは事情が全く異なります。
一つは、当時の我が国が文化的には百済など諸外国に後れを取っており、王族・貴族を受け入れることで文化の吸収を早めたい、と考えたこと。
もう一つは、百済と我が国ではルーツが似通っており、同化にはさほどの影響はない、と考えられていたことです。
何しろ1300年以上も前のことですから、現代の「移民受け入れ問題」とは全く次元が違う、と考えた方がよいのではないでしょうか。
島国である我が国は、朝鮮半島に強力な独立国が存在している間は、中国などの他国からの侵略を受けずに済んできたのです。今回の例も、まさにその原則どおりとなりました。
ただ、我が国がその原則どおりに行動できた条件の一つに、新羅との友好関係が挙げられます。百済との同盟関係が深かった我が国にとって、それまでの外交策を180度転換させるような政策は、そう簡単にできるものではありませんでした。
しかし、実際に7世紀後半には遣唐使が行われないかわりに、遣新羅使(けんしらぎし)が短期間に何度も行われているのです。我が国がそこまでの政策転換ができた理由は何だったのでしょうか?
そこには、白村江の戦いの後の外交路線を「反新羅」でいくのか、あるいは「親新羅」でいくのかで対立した「兄弟」による骨肉の争いがありました。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
いつも勉強になります。
新羅の歴史もまた日本と関係していくのですね。
祝辞ありがとうございます。
これからもお互い頑張りましょう。
応援♪
MAHHYA ある意味、日本は朝鮮半島に守られ続けていたのですね。
恩をあだで返すようなことをした、歴史的なさまざまな事実は、消せませんね(>_<)
管理人のみ閲覧できます
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遣新羅使
オバrev 遣新羅使はやはりあったんですね。
実は、私の故郷の町は万葉の里と呼ばれており、万葉集に我が町を詠んだ歌が載っています。
それは736年頃に遣新羅使が風早で船泊まりした時のものです。
遣新羅使じゃなくて、遣唐使じゃないのかとずっと思ってましたが、疑問が晴れましたv( ̄▽ ̄)v イエイ
難波港を出発するときに妻が送った歌への返しとして詠んだそうです。
「わが故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖辺に 霧たなびけり 」 (巻15-3615)
(私がこうして旅にでているので、今頃妻は嘆いているんだろう 風早の港にたなびいている霧はまるで妻の吐息のようだ)
妻が送った歌は以下です。
「君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ」 (巻15-3580)
(あなたがこれから遠くへ旅立つ途中の海辺の宿で もし霧が立ったなら、あなたを恋して嘆いている私の吐息と思ってください)
昔の人は風流ですねぇ( ´Д`)=3
さて親新羅となるのか、反新羅となるのか、大きな分かれ目ですね。
さすらいさんへ
黒田裕樹 こちらこそ応援いつも有難うございます。
朝鮮半島に生き残った新羅と我が国とは、この後も「浅からぬ因縁」の関係が続きます。
今後も是非ご覧いただければと思います。
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 朝鮮半島に存在する独立国が、我が国の防波堤となったのは事実です。
そのために、我が国と朝鮮半島との間には、綺麗事では済まされない関係が続いてきました。
権謀術数、深慮遠謀、遠交近攻…。時には多くの血が流されたこともありました。
しかしそれは、我が国と朝鮮半島の独立国のそれぞれが、お互いの国の為と信じて、あらゆる手段を尽くして争ってきた結果なのです。
現代に生きる私たちは、祖国でもある日本という国で幸せに暮らしています。この幸福は、多くの先祖の方々の願いと、血のにじむような努力の結晶でもあります。
「恩」や「仇」という、現代の価値観から物事を見ることは間違ってはおりません。しかし、先祖に感謝し、次代にこの国を引き継ぐ使命のある私たちは、祖先の行動を断罪するばかりでなく、その生き様や努力から、数多くの勇気と希望を持ちたいものであると、私は常々考えております。
今後とも宜しくお願い致します。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 遣新羅使はやはりあったんですね。
遣新羅使は高校のほとんどの教科書にも記載がありませんからね。新羅と我が国の関係を探るうえでも大事な事実なのですが…。
> 昔の人は風流ですねぇ( ´Д`)=3
物事をストレートに表すのが当たり前になってしまった今の世の中にはない婉曲な表現がいいですよねぇ。
> さて親新羅となるのか、反新羅となるのか、大きな分かれ目ですね。
明日から早速…といきたいところですが、少しだけ回り道をします(笑)。
管理人のみ閲覧できます
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これらの事実から
h.hamauzu おはようございます!
現在に至るまで、これらの国々と、わが国は
「ただならぬ関係」が続いていますね。
ただ、お互いに言い分はあるでしょう。
ここは過去に学び、
価値観が違うことをまずは認め合えるようになり、
そこから先へ進んで欲しいと思います。
いつまでもお互い仮想敵国じゃ~ね♪
だれか第三者がもうかっちゃいそうですw
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 仰ること、まさにそのとおりだと思います。
価値観や歴史観の違いは如何とも出来ませんし、いがみ合いが続けば、それこそ「漁夫の利」でしょう。
どちらかにおもねるのではなく、言いたいことが言える「大人の関係」でありたいものです。
当時の我が国と新羅の関係のように…。