初めのうちは二人三脚で政治を行っていた二人でしたが、馬子による専横(せんおう)が目立ってくるようになると、崇峻天皇は、政治の実権を持てない自身の待遇に次第に不満を抱(いだ)かれるようになりました。
そんな592年10月のある日、崇峻天皇に生け捕ったイノシシが献上されました。崇峻天皇はイノシシをご覧になると、「いつかこのイノシシの首を斬るように、自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」と独り言を述べられました。
崇峻天皇のお言葉はやがて馬子の耳に入りました。身の危険を感じた馬子は、「殺(や)られる前に殺(や)ってしまえ」とばかりに、翌月に偽の朝廷の儀式に崇峻天皇を誘い出すと、配下の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に命じて天皇を殺害してしまいました。
我が国史上で配下の者に殺された天皇は、この崇峻天皇ただ一人です。尚、主君や親を殺すことを「弑逆」(しいぎゃく)といい、そのような人の道に背く最も悪い行いのことを「大逆」(たいぎゃく)といいます。



いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
?>主君や親を殺すことを「弑逆」(しいぎゃく)といい・・・
この時代のこの表現と
戦国時代の下剋上とは、意味合いが
全然違うんでしょうか?
?下剋上そのものは、殺すことという直接的な意味も含まれていたんでしょうか?
前回のお返事の件。
そうでしたか^^それは大変失礼しました^^;
黒田さんを一番最初に悩ませた問題児ということですね(^^A
それでも、声優さんのお名前を教えていただき、ありがとうございました^^
ちなみに、何のハーヴの香りだったんでしょうかね?
(この質問は、却下されても良いです^^;)
それでは、応援させてくださいね!
さすらい こんばんは。
「我が国史上で配下の者に殺された天皇は、この崇峻天皇ただ一人です」
ということは、テスト問題に出やすいかと思いますが
私の記憶にありません(笑)
覚えたいですが
また忘れるかもしれません(笑)
応援♪
ぴーちさんへ
黒田裕樹 こんばんは! いつも応援有難うございます!
ご質問にお答えしますね(^^♪
> ?>主君や親を殺すことを「弑逆」(しいぎゃく)といい・・・
> この時代のこの表現と戦国時代の下剋上とは、意味合いが全然違うんでしょうか?
戦国時代は極論すれば「誰もが出世できる」時代で、そのためには手段を選ばないこともありました。それまでの秩序はないに等しく、いうなれば「何でもあり」の世の中だったわけです。だからこそ、実力さえあれば主君を主君とも思わず、下の者が上の者に剋(か)つ(=勝る)という下剋上の時代でした。一方、6世紀の末頃は、蘇我氏などの実力者を除いては朝廷は他の豪族や当時の庶民にとって尊い血筋でしたから、意味合いは全く異なるという結論になりますね。
> ?下剋上そのものは、殺すことという直接的な意味も含まれていたんでしょうか?
殺す、という意味も含まれていますが、相手の権力さえ奪ってしまえば、必ずしも殺害してはいません。例えば、室町時代最後の将軍である足利義昭は、織田信長によって将軍の座を追われていますが、京から追放されただけで、殺されてはいません。
> 黒田さんを一番最初に悩ませた問題児ということですね(^^A
いえいえ、とんでもない!
「どう答えればいいのかな?」というのは、決してそういう意味で書いた訳ではないですよ。皆さんコメントの内容が多岐にわたっていて、失礼のないようにコメ返しなければ、というつもりだったんですが、誤解を招いてしまったとすればすみませんm(_ _)m
> ちなみに、何のハーヴの香りだったんでしょうかね?
> (この質問は、却下されても良いです^^;)
ごめんなさい、私にも分かりません…(´・ω・`)
さすらいさんへ
黒田裕樹 崇峻天皇の話は、テスト問題に出やすいはずなのですが、私にも記憶がありません。
どうしてでしょうね?
「たった一人だけ」というのはインパクトがある一方で、かえって忘れやすいのかもしれませんね。
応援有難うございます!
ケンシロウ こんにちは。
聖徳太子と聞いて1万円を連想するおいらに
歴史を語る資格はないと確信しましたw
でも先生のHPは学生の頃の記憶を辿ることが出来
再び勉強になるトコだと思っています。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 > 聖徳太子と聞いて1万円を連想するおいらに
> 歴史を語る資格はないと確信しましたw
いえいえ、それも立派な「お札の歴史」です(^^ゞ
今の20代以下の人たちは、聖徳太子が1万円札に使われていたことも知らないでしょうし。
> でも先生のHPは学生の頃の記憶を辿ることが出来
> 再び勉強になるトコだと思っています。
有難うございます。宜しければ、これからもどんどんコメントして下さい!
こみー 「殺られる前に殺ってしまえ」・・・
恐ろしいですね(´・ω・`)
言葉も恐ろしいですが、実行してしまうとは・・・
天皇もビックリ?でしょうね。。。
自分の発言?で自分が殺されるなんて。
こみーさんへ
黒田裕樹 そうですよね。
畏(おそ)れ多くも天皇を暗殺するとは…。
仰るとおり、考えただけでなく実行してしまうところがもっと恐ろしいですね。
実力者というのは、時として我々には想像もつかないことを堂々と実行してしまうものかもしれません。
「余計な一言は言うべきではない」
今回の事件が一つの大きな教訓になりそうですね。
こんばんは
ことぶきのこめや 聖徳太子あたりの話は好きです。
この先、非常に楽しみにしています。
馬子、蝦夷、入鹿は、私はそれほど嫌いではなかったります(笑)
ことぶきのこめやさんへ
黒田裕樹 光栄です。ことぶきのこめやさんを始めとする皆様のご期待に沿えるような内容を目指したいと思います。
蘇我氏は代々アクの強い政治家ですが、そんなところに憧れる人は結構多いと思いますよ。
馬子が政治の実権を握ろうと思えば、自分の血を引いている皇子を天皇に即位させればよいのですが、その条件に合う皇子は二人しかいませんでした。そのうちの一人である竹田皇子(たけだのおうじ)はまだ幼かったので、即位させるには当時では無理がありました。
もう一人の皇子は第31代の用明天皇(ようめいてんのう)の子で、19歳の厩戸皇子(うまやどのおうじ)でした。年齢的には若すぎるということもないのですが、幼少時から聡明(そうめい)の誉(ほま)れが高かったことが、馬子をためらわせました。優秀すぎる人物だと、自分のいうことを聞かなくなるおそれがあるからです。
困り果てた馬子でしたが、やがて妙案(みょうあん)が浮かびました。「男性にこだわるから前へ進まないんだ。皇室の血を引いているのならば、女性でもかまわないじゃないか!」



いつも有難うございます。
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オバrev えぇ~!(*。*)!
聖徳太子には蘇我氏の血がながれてるんですか(驚)
驚きです。
しかも、初の女性天皇は蘇我氏の権力維持のためだったとは・・・ダブルビックリ
こんばんは
ことぶきのこめや そうだったんですか~。
馬子と厩戸皇子は、仲が良いのかと思っていました。
崇仏戦争でも一緒に闘っているし。
馬子としては、有能すぎて、手に余るとこのときから思っていたんですね。
さすらい 古今東西、いつの世にも
陰で操りたい者はいるんですね。
現代でもそうなんですから
人間って、そんな生き物なのでしょう(笑)
応援♪
およよのよ 聖徳太子ですね。
蘇我馬子と聖徳太子は遠いけど血縁関係があるのは知ってました。
結構前から近親相姦しまくりの入り組んだ家系図を眺めるのが好きで(西パプスブルグ家など)WIKIの聖徳太子の所も結構すごいですよね…。
ちなみにギャグマンガ日和、知ってました(笑)
わからないふりしてごめんなさい。
しかし推古天皇が女性天皇になった理由がそこにあるとは知りませんでした。
推古天皇はたしか聖徳太子の叔母か何かだった気がしましたけど馬子と直接血がつながってましたっけ。
オバrevさんへ
黒田裕樹 聖徳太子の存在は皆さんご存知でも、蘇我氏と血がつながっていることはあまりご存じないのではないでしょうか。
また、女性天皇は従来から「つなぎ役」としての立場が多く、今回の場合も、蘇我氏の言いなりになる男性天皇までの「中継ぎ」と馬子は考えていました。しかし…。
ことぶきのこめやさんへ
黒田裕樹 蘇我馬子と厩戸皇子は物部守屋との戦いで同士であり、また血縁関係もありましたが、だからといって仲良しとは限らないのは、現実の世界でも同じですね。
馬子からしてみれば、厩戸皇子が有能すぎて自分の手に余ったからといって、二度も天皇を暗殺することはさすがに出来ませんから、慎重になるのも無理はないと考えられます。
さすらいさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、自らが先頭に立って政治を行うよりも、身代わりを立て、自分は陰に回って「フィクサー」気取りの政治家は、古代から後を絶ちません。
昭和の「キングメーカー」もそうでしたし、現代の某政党でも…。
いつも有難うございます。
およよのよさんへ
黒田裕樹 さすがによくご存知ですね(^o^)丿
聖徳太子の頃の皇族は、近親婚が許されていた時代でしたから、仰るとおり血縁関係がかなり複雑になっていますね。
> ちなみにギャグマンガ日和、知ってました(笑)
> わからないふりしてごめんなさい。
やっぱり!
およよのよさんが知らないはずがないと思っていました。大人をからかうものではありませんよ(大笑)。
> 推古天皇はたしか聖徳太子の叔母か何かだった気がしましたけど馬子と直接血がつながってましたっけ。
推古天皇の母親は馬子の姉です。したがって、馬子の姪(めい)にあたりますね。
こんばんは
mee; え~ 教科書ではさらりとしか触れられていなかったような気がするのの、こんなに込み入ってたんですね~
ん~すごいです
mee;さんへ
黒田裕樹 コメント有難うございます!
教科書では当たり障りのないことを限られた紙面でしか書けませんから、どうしても無味乾燥になってしまうんですよね。また、通常の授業でも時間の制約がありますから、あまり込み入った話は出来ません。
でも、こういうマイペースで進められる講座では、時間をかけてじっくりと解説できますからね(^_^)v
馬子からの突然の申し出にとまどった炊屋姫でしたが、馬子の野望を見抜いた彼女は、やがて自らが天皇になることを承諾しました。
炊屋姫(以下「炊」) 「分かりました。貴方の言うとおりにしましょう。但し、条件がひとつだけあります」
馬子(以下「馬」) 「何なりとおっしゃって下さい(どうせ大した条件じゃないだろう)」
炊 「厩戸皇子(うまやどのおうじ)を皇太子に選び、彼を摂政(せっしょう)とします」
馬 「!(しまった…しかし今さら「ダメです」なんて言えない…)」
こうして炊屋姫は即位して第33代の推古天皇(すいこてんのう)となられました。我が国史上初の女性天皇の誕生です。
そして、天皇の代わりに政治を行う摂政には、彼女の希望どおり厩戸皇子が就任しました。彼こそが、我が国の歴史にその名を残す「聖徳太子」(しょうとくたいし)その人なのです。



いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
推古天皇。。さすがに天皇となられる力量だけあり
聡明な女性だったのでしょうね・・。
それにしても、黒田さんの記事が、今回ドラマ仕立てになっていて、大変興味深く読ませていただくことが出来ました^^
また、お邪魔させてくださいね!
凸
名前が・・・
オバrev 炊屋姫、後の推古天皇はさすがですね。ちゃんと見抜いて・・・って見抜けますわな普通(^^;)・・・ぎりぎりの所でその対策を立てるとは。これがあったからこそ、後の大化の改新もあったんでしょうね。
史実を動かしていった人達の人間模様といいましょうか、何とも味があってなかなか面白いですね。
それにしても、馬子(馬の子供)、厩戸(馬を泊める宿)皇子、炊屋(食事を調理する所)姫って名前は、今からでもなんとかなりませんか・・・ならんわね(^^)。
もう少し高貴な名前はなかったんだろうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 応援感謝です!(^_^)v
仰るとおり、推古天皇は男女の区別関係なく非常に聡明な人物であったと思われます。聖徳太子が思う存分我が国のために政治ができたのも、彼女の支えあってのことですから。
ドラマ仕立てはもともと好きなほうです(^^♪
今後も講座の中で度々出てくると思いますので、宜しくお願いします\(^o^)/
オバrevさんへ
黒田裕樹 おっしゃるとおり、推古天皇は馬子の腹を見抜けた可能性は高いですが、即座に実行に移せるあたりはなかなかだと思います。いずれにせよ、蘇我氏の専横を一時期でもストップさせたことにより、前例ができて大化の改新がやりやすくなったのは確かですね。
「馬子」の名前の由来は「午年生まれ」だからという説があります。また、当時は生活の安定のためにはコメなどの生産が欠かせませんから、食事に関する名前にも意味があるかもしれませんね。
厩戸皇子の名前の由来は…明日以降に紹介しますね(^^ゞ
こみー 聖徳太子の誕生(?)にはそんなことがあったんですね(^_^;)
なんか、知ってると思ってた事の裏にも何かがあるんですね。
なんかこういう教えてもらえてない事が起こってるって思うと、歴史が楽しくなりそうです(*^_^*)
ヒロキ おぉー!
推古天皇は色々と考えてたんですね(*^_^*)
馬子も聖徳太子が摂政になることは良く思ってなかったんですね!
歴史に「もし」なんて言うのもあれですが、
もし推古天皇が聖徳太子を摂政に任命してなかったらどうなっていたんですかね^^;
馬子が政権を握る??
ドラマ仕立ての講義でとても分かりやすかったです!
なるほど!
ことぶきのこめや こういう流れで、厩戸皇子が摂政のなったんですね。
昨日までの話で、あれ?っと思いましたが、すっきりしました!
やはり、この時期から日本史は格段に面白くなっていきますね☆
さすらい こんばんは。
(どうせ大した条件じゃないだろう)
と言った馬子は
そこまで考えがあさはかだったのですかね。
しかも、「今さら「ダメです」なんて言えない…)」
なんて。。。(笑)
後世の現代では
聖徳太子の方が有名なんですから皮肉ですね。
その聖徳太子ですら
不在説があるかもしれないというのですから
益々面白くなります。
続きが楽しみです。
応援♪
こみーさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、表舞台に出てくる歴史には、我々の普段知らない裏事情が必ずといっていいほど存在します。それを知らなくても(というより知らないほうが)「受験勉強の日本史」としては成立しますが、長い人生の将来のためには、知っておくことに越したことはありません。
この講座では今後もこういうスタンスで進めていきますので、宜しくお願いします。
ヒロキさんへ
黒田裕樹 馬子にとっては天皇という「(馬子には表向きの)最高権力者」にはさせたくなかったので、まわり道をしたつもりが、何の役にも立たなかった…。まさに歴史の皮肉です。
聖徳太子がいなければ、推古天皇は下手をすると馬子の言いなりになっていたかもしれません。一度天皇を暗殺している馬子の野望がさらに強くなると…。我が国の歴史は大きく変わっていた可能性が高いですね。
「ドラマ仕立て」は今後の講義でも出てくると思いますよ、お楽しみに!(^_^)v
母親が臨月(りんげつ)の際に馬小屋の前で産気づいたため、生まれた後に厩戸皇子(うまやどのおうじ)と名付けられたという話は有名ですが、「馬小屋の前で産気づいた」といえば、西洋の偉人である「イエス=キリスト」にも似たような伝説がありますね。
また、聖徳太子の他の有名なエピソードとしては、幼少時から抜群に有能であったために、10人の全く別々の話を同時に聞き分けることができた、というのもあります。
この他にも聖徳太子には様々な伝説があり、現実の世界でも内政や外交に大活躍するのですが(これから紹介していきます)、それらがあまりにも浮世離(うきよばな)れしているということで、最近では「聖徳太子は実在しなかった」とか「聖徳太子の業績は大半がつくり話だ」などという学説も出てきています。
さらには「聖徳太子」という彼の名前の呼び方についても、最近では意見が分かれています。



いつも有難うございます。
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およよのよ まあ作り話でしょうな。
この前に法隆寺へ行った時、手に取った資料の聖徳太子伝説にびっくり。
確かに聖徳太子は凄い人だったんだろうけど信者が広めた偽伝説だと思っております。
大体なんでもできる超人ってのはどこか欠けてないとだめなんですよ。魅力半減なんですよ。
曹操、ナポレオン=ちびとか。
およよのよさんへ
黒田裕樹 > まあ作り話でしょうな。
> この前に法隆寺へ行った時、手に取った資料の聖徳太子伝説にびっくり。
> 確かに聖徳太子は凄い人だったんだろうけど信者が広めた偽伝説だと思っております。
仰るとおり、伝説にはいわゆる「尾ひれ」がつくものです。ただ、聖徳太子が我が国に与えた良い意味での影響が大きかったことで、ここまで「ふくらんだ」伝説がつくられたのでしょう。
> 大体なんでもできる超人ってのはどこか欠けてないとだめなんですよ。魅力半減なんですよ。
> 曹操、ナポレオン=ちびとか。
確かにそういう面はありますね。
だから「ギャ○○ンガ○和」の聖徳太子があれだけ人気があるのかな?(^^ゞ
ぴーち こんばんは!いつもお世話になっています^^
穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。
こんな長い名前を昔は呼んでいたんですね~。
途中で、舌噛みそうにならなかったかしら(笑
それと、確かに聖徳太子は10人の別の方の話を聞きわけたというのは、有名な話ですよね^^
日本に初めて仏教を広めた人も、聖徳太子だと聞きました。
まあ大昔の話なので、その業績が本当に正しかったという確証は確かに難しいですよね。
生き証人が居ないんですもんね^^
それでは、応援凸
また、為になるお話を聞かせてくださいね^^
ヒロキ 聖徳太子の伝説は有名ですよね!
確かに美化されてると思うことはありますが、
昔の人の伝説なんて皆そんなものですよね(笑
もしいないとしたら聖徳太子絡みのものはどうなるんでしょうね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!いつもお世話になっています^^
こちらこそいつも有難うございます!(^o^)丿
> 穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。
> こんな長い名前を昔は呼んでいたんですね~。
> 途中で、舌噛みそうにならなかったかしら(笑
確かに舌を噛みそうな名前です(^^ゞ
1400年以上前の日本語の発音はどうなっていたんでしょうね?
> 日本に初めて仏教を広めた人も、聖徳太子だと聞きました。
仏教が本格的に広まったのは、仰るとおりこの時代からです。
いずれこの講座で紹介しますね。
> まあ大昔の話なので、その業績が本当に正しかったという確証は確かに難しいですよね。
> 生き証人が居ないんですもんね^^
「証拠は?」と問いつめられると確かにありません。しかし、これらの聖徳太子伝説がすべて虚構の世界だというのなら、何の理由でこんなに大きな話をでっち上げる必要があるのでしょうか?
「どうして本当なのか?」と問う前に「でっち上げ」と決め付ける明確な根拠を知りたいものです。
> また、為になるお話を聞かせてくださいね^^
為になるかどうかは分かりませんが…宜しくお願いしますm(_ _)m
ヒロキさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、昔の人の伝説というものは大なり小なり美化されるものです。
そんな美化された伝説の中に潜んでいる真実を突き止める作業も、歴史研究の醍醐味のひとつといえるでしょう。
「聖徳太子虚構説」を唱える人の中には、奈良時代のある政治家(いずれ紹介します)が業績をでっち上げたとしていますが、だとすれば中国の歴史書等に載っている「事実」はどう根拠付けるんでしょうね。
真実を知っているのは
オバrev 聖徳太子のやった政治改革の実績を見ると、桁外れに優秀な人物だったことは想像できますが、10人の人の話を同時に聞くなど、ちょっとホンマかいなと思う所はあります。
日本書紀は藤原不比等が編纂にタッチしていたと思うのですが、藤原氏や当時の天皇を美化するような内容になっているでしょうから、その中に出てくる聖徳太子も、どこまでが本当でどこからが嘘かは、不比等のみぞ知る?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 聖徳太子のやった政治改革の実績を見ると、桁外れに優秀な人物だったことは想像できますが、10人の人の話を同時に聞くなど、ちょっとホンマかいなと思う所はあります。
優秀な人物だったゆえに、「聖徳太子ならそれくらいのことができたであろう」と、美化されたところは正直言ってあると思います。ただ、それは太子の政治が肯定されているからこそなんですよね。物事を否定する場合に、良く言う人はいませんし。
> 日本書紀は藤原不比等が編纂にタッチしていたと思うのですが、藤原氏や当時の天皇を美化するような内容になっているでしょうから、その中に出てくる聖徳太子も、どこまでが本当でどこからが嘘かは、不比等のみぞ知る?
今となってはそうですね。藤原不比等がどこまで手を加えているかは正直分かりませんが、少なくとも「でっち上げ」は有り得ません。他の歴史書とも組み合わせたり、史跡に残された当時の評価などを総合的に考える必要があると思います。それなのに、最近は聖徳太子を否定的に見る学説が定着した感があり、私自身は非常に違和感を感じています。そのあたりを今日(5日)の講座でふれてみたいと思います。
すなわち、歴史教育では生前に使用された名前で表現すべきであるから、聖徳太子ではなく本名の「厩戸皇子」(うまやどのおうじ)、あるいは「厩戸王」(うまやとおう)と呼ぶことにする、というのです。高校でよく使用される有名な教科書では、現実に「厩戸王」という表現が使用されています。
しかし、歴史研究で決着がついていない事柄(ことがら)を、そう簡単に変えてしまってよいものでしょうか。ましてや後世の人々が「聖徳太子」という名を贈ったという重い現実を無視してまで、呼び方の変更を急ぐ理由が他にもあるのでしょうか。
聖徳太子は、1000年を遥(はる)かに超える長い年月の間、我が国の人々に語り継がれた偉人です。また、近現代でもお札の肖像画(しょうぞうが)に何度も登場し、特に昭和33(1958)年から昭和59(1984)年まで26年の長きにわたって、我が国の最高額紙幣(しへい)である一万円札に使用されたという事実が、聖徳太子の人気が途切れることなく続いている明確な証拠となっています。
この講座では、今後も「聖徳太子」という称号で、彼の様々な業績を紹介していくことにします。



いつも有難うございます。
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さすらい こんばんは。
我々の年代では
どうしても一万円札の印象ですよね(笑)
1諭吉という言い方よりも
1聖徳としましょうか。
あ、でも、言いにくいな(笑)
応援♪
ヒロキ ・・・ということはぼくが生まれた時には1万円は諭吉だったてことでwww
「聖徳太子」という名前は死後100年後に付けられた名前なんですね!
そういえば昔の天皇の名前も後から付けられた名前だと聞いたことがあるのですが・・・。
ぴーち こんばんは!
聖徳太子という名前が死後100年経ってから・・というのは、初めて知りました^^
聖徳太子の印刷された紙幣は
やはり私も一番大好きでした^^
当たり前ですかね(^^A
それでは、応援凸
さすらいさんへ
黒田裕樹 いつも有難うございます。
> 我々の年代では
> どうしても一万円札の印象ですよね(笑)
そうですよね(笑)。子供の頃から聖徳太子のことは何も知らなくても、漠然と「えらい人」というイメージを持ち続けていました。いつの日か5万円札や10万円札が発行された暁には、聖徳太子を復活させて欲しいと密かに思っております(^_^)v
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > ・・・ということはぼくが生まれた時には1万円は諭吉だったてことでwww
もうそんなに時が流れているんですね。ヒロキさんの世代では、聖徳太子が1万円札に使われていたこともご存じない人が多いんでしょうね。
> そういえば昔の天皇の名前も後から付けられた名前だと聞いたことがあるのですが・・・。
そのとおりです。この講座でも何人かの天皇陛下を紹介していますが、すべて崩御されてから後に名前を贈られています。一世代前の昭和天皇も、生前は今の陛下と同じく「今上天皇(=現在の天皇、という意味)」という称号でした。
但し、生前から「自分が亡くなったら○○天皇と呼んで欲しい」と語られた天皇もおられます。後醍醐天皇などがそうですが、その理由は…いずれこの講座で紹介しますね(^_^)v
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 聖徳太子という名前が死後100年経ってから・・というのは、初めて知りました^^
意外と知られていない事実ですよね。それだけ聖徳太子のイメージが定着している間接的な証明でもあります。
> 聖徳太子の印刷された紙幣は
> やはり私も一番大好きでした^^
> 当たり前ですかね(^^A
私も大好きでした(^o^)丿
25年経った今でも一万円札といえば「聖徳太子」のイメージが残っています…。
えめる 前の講義で、偉い人は後から名前が贈られる、というのがあったのを思い出しました。
100年もの間、人々に忘れられることなく尊敬されていた、人徳の高い人ですね、きっと。
だから私も、その人となりを表している「聖徳太子」のままがよいと思いました。
あ、リンクこちらからもさせて頂きます。ありがとうございます。
えめるさんへ
黒田裕樹 > 前の講義で、偉い人は後から名前が贈られる、というのがあったのを思い出しました。
仁徳天皇のことですね。彼の仁愛に満ちたエピソードは有名です。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-62.html
> 100年もの間、人々に忘れられることなく尊敬されていた、人徳の高い人ですね、きっと。
> だから私も、その人となりを表している「聖徳太子」のままがよいと思いました。
ご同意いただけたことに感謝します(^^♪
> あ、リンクこちらからもさせて頂きます。ありがとうございます。
こちらこそ有難うございます\(^o^)/
今後とも宜しくお願いしますm(_ _)m
100年たっても
h.hamauzu だいじょ~ぶ!
・・・しつれいしました。
おはようございます。
仮に、ですが、彼が実在していなかったとしても、
また、名前がちがっていたとしても、
それがなんなのでしょうか。という感じです。
これだけ、今なお、尊敬され続けるには理由があるはずです。
今の政治家よ!
聖徳太子くらいの伝説、つくってみぃ!!
しつれいしました
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 …そういうCM、確か今もありますよねぇ。私が小さい頃から続いているはずです(笑)。
> 仮に、ですが、彼が実在していなかったとしても、
> また、名前がちがっていたとしても、
> それがなんなのでしょうか。という感じです。
> これだけ、今なお、尊敬され続けるには理由があるはずです。
私もそう思います。実在しないだの、名前が違うだのgdgd言う前に、聖徳太子の「愛される理由」を真剣に考えて欲しいものです。
> 今の政治家よ!
> 聖徳太子くらいの伝説、つくってみぃ!!
そのとおり!(児○清風に)
いつもながらのスカッとするコメント、有難うございます!(^o^)丿