大和朝廷は、5世紀末から6世紀にかけて、当時は大王(おおきみ)と呼ばれた天皇を中心とする政治の仕組みをつくり上げていきました。
朝廷に従った豪族たちは、血縁集団としての同族関係をもとに構成された氏(うじ)と呼ばれる組織に編成されました。彼らは共通の祖先神である氏神(うじがみ)を祀(まつ)り、一族の長たる氏上(うじのかみ)が、氏に属する氏人(うじびと)を統率(とうそつ)しました。
朝廷では、各氏の家柄(いえがら)や能力に応じて姓(かばね)を与え、朝廷のもとに組織させました。このような政治的な身分秩序を氏姓制度(しせいせいど)といいます。
なお、皇室には氏に相当する特定の呼び名はありませんでした。これは、当時から皇族には他と区別する必要のないほどの権威があったからで、現代の皇族が名字をお持ちでないのも、この流れをくんでおられます。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
朝廷はもうこの頃から、姓が与えられたわけですね。
皇室は確かに、○●宮様や、○●親王殿下など
呼ばれていますものね。
先走ってた質問で恐縮ですが、
一般の民(こういう言い方をするのかは存じませんが)
が苗字を与えられたの
は、明治時代からだったでしょうか。
それでは、応援させてください^^
ぴーち様
黒田裕樹 皇族が名字がお持ちでないのも、長い歴史の流れとつながっているんですよね。
> 一般の民(こういう言い方をするのかは存じませんが)が苗字を与えられたのは、明治時代からだったでしょうか。
明治になって、庶民(しょみん)が苗字を持つことを許されたのは事実ですが、それまでに「隠れ苗字」を持っていた人も結構多かったということです。
こんばんは!
瀞子(seiko) 黒田裕樹さん、こんばんは!
先日は私のブログへコメントありがとうございました^^
こちらへ来て、黒田さんの日本への、そして歴史への愛情に驚かされました!そしてさらに、以前のブログに社会人をされてから教師になられたと書かれたことにも驚きです!!
それから、歴史を学ぶにカテゴリされている記事で、歴史をただ暗記しても意味がないと言われていたこと、本当にそうだと思います。
私は、これまで母国の方々が生きてこられた軌跡を、自分の血肉にしてそして次の世代の人たちに伝えていきたいと思っているので、とても黒田さんのお言葉に共感致しました。
小まめに更新するのは大変だと存じますが、応援しておりますので頑張ってください!
ヒロキ 名前は地名や職業から由来していますよね!
朝廷の直属民である名代・子代には名前(もしくは呼び名)はついていたのでしょうか??
さすらい こんばんは。
そういえば、皇室から
黒田姓になられた方がいましたね(笑)
氏の始まりを見るのも面白いものですね。
応援♪
瀞子(seiko)様
黒田裕樹 過分のお言葉、有難うございます!
瀞子(seiko)様が仰った「これまで母国の方々が生きてこられた軌跡を、自分の血肉にしてそして次の世代の人たちに伝えていきたい」という思いが、こんな私を安定(?)していた社会人生活から、教師への転進を決意させました。
念願かなって教師となり、初めて教壇に立ったときの感動は一生ものです。
現在では一旦遠ざかっておりますが、再び挑戦できる日を目指して、自分がこれまでに勉強してきた知識や思いを、ブログに託して続けております。
毎日の更新は決して生易しいものではありませんが、瀞子(seiko)様のように温かく見守ってくださる読者がおられることに深く感謝して、これからも続けていきますので、宜しくお願いします!
ヒロキ様
黒田裕樹 > 名前は地名や職業から由来していますよね!
そのとおりです。例えば、海部(あまべ)は、漁業と航海技術で活躍したからその名がついていますね。
> 朝廷の直属民である名代・子代には名前(もしくは呼び名)はついていたのでしょうか??
王家の名(長谷部=はせべ)や、職名の名(刑部=おさかべ)がついていたようですよ。
さすらい様
黒田裕樹 はい、黒田慶樹さんの奥様ですね。
ご結婚がお決まりになった際にはずいぶん冷やかされました(苦笑)。何しろ一字違いですから。
偶然とはいえ、恐れ多いことです。
ちゃてれ おはようございますー。
カウンターが2000を突破しましたねー!!
おめでとうございます~
いつも記事に関係ない
こんなコメントばかりですみませんー。
ちゃてれ様
黒田裕樹 いえいえ、コメントのお気持ちだけで十分です(^-^)v
今後とも宜しくお願いします。
また、大伴(おおとも)や物部(もののべ)、あるいは中臣(なかとみ)のように武力など特定の能力を持った有力豪族には連(むらじ)が与えられ、筑紫(つくし)や毛野(けの)などの地方の有力豪族には君(きみ)が、それ以外の一般地方豪族には直(あたえ)が与えられました。
中央の政治は、臣や連の姓をもつ豪族から有力な者が大臣(おおおみ)や大連(おおむらじ)として選ばれ、彼らを中心として進められました。
一方、地方の豪族からは、国造(くにのみやつこ)や県主(あがたぬし)などの地位が与えられ、それぞれの地方の行政を担当しました。



お蔭様でカウンターが2000を突破しました! いつも有難うございます!
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オバrev 大化の改新ころ蘇我入鹿とか出てきてたと思うのですが・・・ウン十年前の記憶 ^^;
あと物部氏とか大伴家持とか中臣鎌足とか出てきた記憶も・・・。
豪族達は皆さん姓をもってたんですね。
ところで、氏はそれぞれ名前がついてたんですか?
中臣鎌足は何氏に属しているとかあったんでしょうか??
承 なかなか大変ですが、skypeのおかげでさびしさは感じませんw
甲子園にそんな選手が実在したんですか!?笑
ヒロキ 日本史でいつも思うのですが、
読み方が独特ですよね^^;国造もそうですが人名などww
誰がそう読んだのですかね・・・。。
さすらい こんばんは。
名前をたどっていくと面白いですよね。
歴史上、潰された一族も
残っていれば多彩な名前があったでしょうね。
2000ヒットおめでとうございます。
これからも楽しみにしています。
プロフ、きっちり載せられたのですね。
凛々しく格好いいです!
応援♪
えめる 自分の苗字のルーツをたどると、
もしかして何かいいこと(?)が分かるのでしょうか。
せ、せんせいっ。写真!公開ですね。すてきです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 蘇我入鹿も、物部氏(物部守屋)も、大伴家持も、中臣鎌足も有名な歴史上の人物ですね。これから私の講座でもとりあげる予定です。
仰るとおり、それぞれ「○○氏」と呼ばれる一族に属しています。
中臣鎌足も、もともとは「中臣氏」の一員でした。彼が死ぬ直前に当時の天智天皇から与えられた姓の一族が、その後の我が国の歴史をになっていくことになりますね。
承さんへ
黒田裕樹 コメント有難うございます。逆境に負けずに頑張って下さいね。
甲子園の選手については、承さんのブログにコメントさせていただきましたm(_ _)m
ヒロキさんへ
黒田裕樹 読み方が独特なのは、本来我が国にあった「大和言葉(やまとことば)」に、外国から伝わった漢字の音を無理やり当てはめたからだと考えられています。
でも、その「当てはめ」から、やがて漢字の訓読みや、ひらがな・カタカナが用いられるきっかけにもなるのですから、歴史は面白いですよね。
さすらいさんへ
黒田裕樹 そうですね。長い歴史の中で埋もれてしまった一族も多いですから、名前の種類は現代よりもはるかに多かった可能性もあると思います。
> 2000ヒットおめでとうございます。
> これからも楽しみにしています
有難うございます。2000ヒットとブログ開始からちょうど2ヶ月経ったのを機に、自分のプロフを公開することにしました。これからも自分の文章に責任を持てる内容を目指しますので、宜しくお願いします。
えめるさんへ
黒田裕樹 皆さんそれそれの苗字に歴史がありますから、たどっていくと何か興味を持てることが見つかるかもしれませんね。
2000ヒットとブログ開始2ヶ月を機にプロフを公開することにしました。過分のお言葉、恐縮です(^^ゞ
一方、朝廷も直属の民である名代(なしろ)・子代(こしろ)をもち、彼らに生産物を納めさせるとともに、直轄地(ちょっかつち)である屯倉(みやけ)を各地に設けて、田部(たべ)に耕作させました。
朝廷には祭祀(さいし)や軍事などの様々な職務がありましたが、これらは伴造(とものみやつこ)と呼ばれる氏(うじ)が分担しました。
伴造に選ばれたのは、秦氏(はたし)などの帰化人(きかじん)を祖先にもつ豪族が中心であり、伴(とも)と呼ばれる世襲(せしゅう)の職業集団や、品部(しなべ、または「ともべ」)と呼ばれる職務における能力者を統率して朝廷に仕えました。
なお、部曲や名代・子代、品部などを総称して、部民(べのたみ、または「ぶみん」)といいます。




いつも有難うございます。
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オバrev このあたりから、突然漢字の読み方が難しくなるんですよ。
特に、部曲(かきべ)、屯倉(みやけ)、伴造(とものみやつこ)とかはどうやっても読めん(T_T)
オバrevさんへ
黒田裕樹 大和言葉と漢字との融合によって、現代では考えられない読み方になっていますからね。
普段はお勧めしませんが、今回に限っては暗記したほうがいいのかもしれません(´・ω・`)
さすらい こんばんは。
そうそう、思い出しました。
中学か高校で「屯倉(みやけ)」を
なかなか覚えられなくて困ったことがありました。
今でも読めませんが(笑)
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 「屯倉(みやけ)」は確かに読めませんね(^^ゞ
ちなみに「土産(みやげ)」の語源になっているらしいですが…。
こんな風に、逆のやり方で覚えた方がいいのかもしれませんね。
ケンシロウ こんにちは。
ブログ記事とは関係ありませんが
先生おいらよか若い。
ウワァァ━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━ン!!!
ぴーち こんばんは!
なるほど~とこちらへお邪魔させていただいて、記事を拝見しているうちは、漢字の読み方もそうなのか~と思うのですが、
多分、一度寝て、明日の朝には、漢字にふりがななしでは絶対判らないと思います(^^A
と書いている内にも、もう忘れてます(><)
でも、本当に独特な言い回しが多いですね~。。
黒田さんの所はそういう意味で、刺激的です!
また、お勉強させてください^^
応援凸
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 そ、そんなこと言われたって、どうしたらいいのか分かんないよ…
。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・(ノД`)ウワァァァン!
思わず乗ってしまった…。
泣かないで(笑)、また是非お越し下さい。
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ぴーちさんへ
黒田裕樹 刺激的とは有難いお言葉ですが、確かに読み方難しいですよね。
というより、この3日間、言葉の羅列(られつ)だけで終わっているような気が…(^^ゞ
いずれも大和朝廷の政治制度を理解するには欠かせない用語なんですが、もう少し理解しやすい教え方があってもよさげな気もしますねぇ…(@_@;)
明日からまた新しい単元になりますが、今回学習した用語が結構出てきますので、「読みながら」ご確認下さいね!(^^♪
いつも応援有難うございます!(^o^)丿
ヒロキ 屯倉と田荘がゴッチャ混ぜになりますね^^
いつもどっちかで悩んでましたww