当時のアメリカは占領政策を円滑(えんかつ)に行うため、昭和天皇を戦争犯罪人として裁(さば)くまでの意思には至(いた)っておらず、本国からの指令を受けたマッカーサーも同じ思いでした。しかし、マッカーサーは昭和天皇との会見に不安を感じていました。もし天皇が自分に対して命乞(いのちご)いをするような人物であれば、やはり戦犯(せんぱん)として裁かざるを得ないのでは、と考えていたのです。
マッカーサーがそう思うのも無理はありませんでした。そもそも戦争に敗北した国の元首(げんしゅ)の末路(まつろ)としては亡命(ぼうめい)や自殺、あるいは市井(しせい)の人間として不遇(ふぐう)な人生を終え、その血は途絶(とだ)えてしまい、全く新しい王朝に取って代わるのが当然だったからです。
しかし、昭和天皇がマッカーサーに対して発せられたお言葉は、彼の不安を打ち消すどころか、想像にも及(およ)ばないものでした―。
「日本の戦争責任のすべてはこの私にある。自分の身はどうなってもかまわないから、飢(う)えている国民のためにぜひ食糧援助(しょくりょうえんじょ)をお願いしたい。ついては、皇室財産の有価証券類(ゆうかしょうけんるい)をまとめて持ってきたので、その費用の一部に充(あ)てて欲しい」。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
こういうお話を伺うと昭和天皇は
やはり素晴らしい人物であった事が
よく判りますね^^日本人の誇りとしての
象徴でもあります!
話は反れますが
昨日、浅田次郎著「日論の遺産」という
本を買ってみました。(ご存知でしょうか?)
この小説は既に映画化もされる予定でして、
帝国陸軍がマッカーサー元帥から奪取した200兆円の密令を守りぬいた将校達と20人の少女達の祖国復興を願った感動作いう内容だそうですが、これから徐々に読み進めて参りたいと思います。
それでは、応援凸
ぴーち 訂正です(ごめんなさい!)
「日輪の遺産」です。
キーを打ち間違えてしまい、申し訳ありませんm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こういうお話を伺うと昭和天皇は
> やはり素晴らしい人物であった事が
> よく判りますね^^日本人の誇りとしての
> 象徴でもあります!
仰るとおりですよね。
単なる血筋だけではなく、お振舞いも我が国の元首そのものです。
> 話は反れますが
> 昨日、浅田次郎著「日輪の遺産」という
> 本を買ってみました。(ご存知でしょうか?)
> この小説は既に映画化もされる予定でして、
> 帝国陸軍がマッカーサー元帥から奪取した200兆円の密令を守りぬいた将校達と20人の少女達の祖国復興を願った感動作いう内容だそうですが、これから徐々に読み進めて参りたいと思います。
残念ながら私は未読です。
浅田次郎さんの小説ですから、素晴らしい作品でしょうね。ぜひ読んでみたいものです。
Masa 国のトップとはこういったことを行動に起こせる人を言うのだと思いました。
昭和天皇からは大和魂のようなものを感じます。
続きがとても気になりますっ!
Masaさんへ
黒田裕樹 > 国のトップとはこういったことを行動に起こせる人を言うのだと思いました。
> 昭和天皇からは大和魂のようなものを感じます。
仰る思い、私もよく分かります。
国のトップの堂々たるお振舞いは、我が国に大和魂が根付いている証拠ではないでしょうか。
> 続きがとても気になりますっ!
今日から始まったばかりですからね。
続きをお楽しみに!
マッカーサーについての誤解
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
マッカーサーについて、多くの日本人が誤解していることがあると思います。
それは、厚木基地にマッカーサーが初めて、日本に降り立ったのが、初めての日本であり、
マッカーサーは、日本、日本人をあまり、知らなかったというイメージです。
実は、マッカーサーは
1906年に彼の父が駐日武官として、日本に勤務していた時、その副官として、東京で勤務していました。
さらに、日露戦争の時に
日本側から、日露戦争を視察しています。
だらこそ、マッカーサーは
昭和天皇についての会談で、日本人の精神力の源を理解できたと思います。
ただ
その後、日本人の精神性を潰すことにGHQが、執念を燃やすことになるのですが。。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに意外と知られていない話ですね。
さらに会見が終了して昭和天皇がお帰りになる際には、マッカーサーは自(みずか)ら玄関まで出て陛下を見送りました。たった一度の会見だけで、マッカーサーは陛下のお人柄(ひとがら)の虜(とりこ)となってしまっていたのです。
その後のGHQによる我が国への占領政策は、日本国憲法(にほんこくけんぽう)の強引(ごういん)な押し付けなど過酷(かこく)を極(きわ)めたものとなりましたが、昭和天皇の決死のご行動によって、皇室を中心とする我が国の国体(こくたい、ここでは天皇を中心とする我が国の体制のこと)を護(まも)ることはできました。
終戦(しゅうせん)の直前、昭和天皇による2度目のご聖断(せいだん)が下(くだ)った際に慟哭(どうこく、悲しみのあまり声をあげて泣くこと)した阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣に対して、陛下がお優(やさ)しく「私には国体を護れる確信がある」と仰(おっしゃ)られたとおりとなったのです。
もしマッカーサーとのご会見の際に、昭和天皇が他の一般的な国家元首のように命乞いをする哀(あわ)れな君主であったとすれば、その後の我が国の運命はどうなったでしょうか。考えただけでも私は寒気(さむけ)がしてきます。




いつも有難うございます。
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Masa 昭和天皇のお言葉にも驚きですが、マッカーサーさんが天皇のお言葉を聞いているときの態度にすごく驚きました(笑)
敗戦国の元首と戦勝国ではそういうことになるものなのでしょうか?
一般的(と言ったら変ですが)な敗戦国の元首はやはり命乞いをしてしまうものなのでしょうかね?
ぼくも、当時の元首が昭和天皇でなければ今の自分は無いと思うと鳥肌がたちました・・・。
ぴーち こんにちは!
昭和天皇のお人柄を形成された
乃木希典の教育方法や、その生き様の
影響が、マッカーサー元帥の
心をも虜にしたのでしょうかね^^
昭和天皇も、尊い人生の良き師を得たお一人で
あったのかもしれませんね!
応援凸
Masaさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇のお言葉にも驚きですが、マッカーサーさんが天皇のお言葉を聞いているときの態度にすごく驚きました(笑)
> 敗戦国の元首と戦勝国ではそういうことになるものなのでしょうか?
少なくともマッカーサーはそのつもりだったと思われます。
それにしても非礼極まりないですね。
> 一般的(と言ったら変ですが)な敗戦国の元首はやはり命乞いをしてしまうものなのでしょうかね?
普通はそうですよ。特に独裁者など、普段から国民のことを気にかけていない人物ほどそうなる傾向にあるようです。
> ぼくも、当時の元首が昭和天皇でなければ今の自分は無いと思うと鳥肌がたちました・・・。
本当にそうですね。我が国には昭和天皇がいらっしゃって本当に良かったです。
その思いは、これから講座を重ねるにつれてますます強くなることでしょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇のお人柄を形成された
> 乃木希典の教育方法や、その生き様の
> 影響が、マッカーサー元帥の
> 心をも虜にしたのでしょうかね^^
> 昭和天皇も、尊い人生の良き師を得たお一人で
> あったのかもしれませんね!
仰るとおりだと思います。
環境や身分を問わず、教育というものは本当に大切ですね。
なおまゆ 『無私』という言葉の意味が良く分かります。
『公』に生きる元首がどれ程居るでしょうか?
『公』は『民』です。民のために自らを投げ出せる元首を持った我が国は幸せです。
そのことに皆気づいているのでしょうか・
黒田裕樹さん
風早 りら マッカーサーの昭和天皇との会見前と
会見後の態度の違いが
昭和天皇の 後態度が どれだけ 立派かを
物語っているでしょう
それを 誇りにしたいですね
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > 『無私』という言葉の意味が良く分かります。
> 『公』に生きる元首がどれ程居るでしょうか?
> 『公』は『民』です。民のために自らを投げ出せる元首を持った我が国は幸せです。
> そのことに皆気づいているのでしょうか・
仰るとおりです。
無私のお心、公に生きる崇高なお考え。
我が国の国民は本当に幸せ者ですが当たり前であるがゆえに気づかないのがもどかしいですね。
あってはならないことですが、失ってから後悔しても取り返しがつかないのです。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > マッカーサーの昭和天皇との会見前と
> 会見後の態度の違いが
> 昭和天皇の ご態度が どれだけ 立派かを
> 物語っているでしょう
> それを 誇りにしたいですね
マッカーサーの態度を一瞬にして激変させた陛下のお姿。
仰るとおり、我が国の誇りであり、宝でもありますね。
連絡を受けた宮内省(くないしょう、現在の宮内庁)の職員は感謝して「せっかくですから、皇居の中も片付(かたづ)けていただけませんか」とお願いすると、皇居内で奉仕(ほうし)できることを知った青年たちは喜びました。そして迎えた作業開始の日の朝、青年たちは考えもしなかったサプライズを経験することになりました。
青年たちの前に、何と昭和天皇ご自身が歩いてこられたのです。陛下は感謝のお気持ちを語られるとともに青年たちの身の上などをお尋(たず)ねになり、最後に「何とぞ国家再建のために努力してほしい」と仰いました。そして陛下がお帰りになられる際に、感極(かんきわ)まった青年たちは当時GHQによって禁止されていた国歌「君が代」を涙ながらに歌いました。
この話は全国へと伝わり、その後も各地から皇居への勤労奉仕(きんろうほうし)に向かう人々が後を絶(た)ちませんでした。この慣習は現在も「皇居勤労奉仕団」として続いており、奉仕した人々は延(の)べ100万人以上に達しています。
なお「皇居勤労奉仕団」は宮内庁で募集しており、15人以上60人以内の団体であれば一時期を除(のぞ)いて受け付けています。詳しくはこちらをご覧(らん)下さい。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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Masa 「皇居勤労奉仕団」という活動は知っていましたが、名前までは知りませんでした(汗
最初は名前もない活動だったのかもしれませんが、数十名の方々の行動が現代にまで続いているとはっ!!
(あまり関係ない気もしますが)今でも勤労奉仕後に天皇陛下から直接お言葉がいただけるのでしょうか?
ぴーち こんにちは!
皇居奉仕団という団体の存在は、初めて知りました。
その奉仕活動が今も継続しているという
事は、また素晴らしい事ですね^^
そういう奉仕の精神は、これからも
続いて欲しいですね♪
応援凸
Masaさんへ
黒田裕樹 > 「皇居勤労奉仕団」という活動は知っていましたが、名前までは知りませんでした(汗
> 最初は名前もない活動だったのかもしれませんが、数十名の方々の行動が現代にまで続いているとはっ!!
目立ちませんが、そう考えるとすごいことですよね。
民間によって始められたという事実も素晴らしいと思います。
> (あまり関係ない気もしますが)今でも勤労奉仕後に天皇陛下から直接お言葉がいただけるのでしょうか?
現代でも仰るような栄誉に浴する機会はあるようですよ。
言葉にできない感動でしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 皇居奉仕団という団体の存在は、初めて知りました。
> その奉仕活動が今も継続しているという
> 事は、また素晴らしい事ですね^^
> そういう奉仕の精神は、これからも
> 続いて欲しいですね♪
仰るとおり、民間による奉仕の精神は素晴らしいと思います。
また、お上の主導でないからこそ自主的に続いているのでしょうね。
黒田裕樹さん
風早 りら 皇居勤労奉仕団の始まりを教えて
下さり有難う御座います
皇居勤労奉仕団のことは 知っていても
その始まりは どうしてなのかは 知りませんでした
毎日が 新しい 発見です
有難う御座います
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 皇居勤労奉仕団の始まりを教えて
> 下さり有難う御座います
> 皇居勤労奉仕団のことは 知っていても
> その始まりは どうしてなのかは 知りませんでした
> 毎日が 新しい 発見です
> 有難う御座います
こちらこそお言葉有難うございます。
これからも皆様に新しい発見など、お楽しみいただけるような内容の更新を図っていきたいと思います。
オバrev 私がもしこの講座を聴きに行っていたら、涙が溢れて黒田先生の姿が見えなくなっていたでしょう(T_T)
やはり長い伝統に培われた本物の持つ力、事実というものは、時代や国を超えて感動を与えるものだと思います。
日本を守るために戦ってきた方々だからこそ、その思いは、戦争を知らない戦後生まれの我々とはまた異なる特別なものがあったことでしょう。
その思いを無視してきた戦後の歴史教育は大きな問違いを犯してきたと言わざるをえないです。
もう一度、我々がその史実を学び直すという意味で・・・黒田博樹の昭和歴史行脚って企画で、全国を講演して回るってのはどうでしょうか(~o~;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 私がもしこの講座を聴きに行っていたら、涙が溢れて黒田先生の姿が見えなくなっていたでしょう(T_T)
> やはり長い伝統に培われた本物の持つ力、事実というものは、時代や国を超えて感動を与えるものだと思います。
> 日本を守るために戦ってきた方々だからこそ、その思いは、戦争を知らない戦後生まれの我々とはまた異なる特別なものがあったことでしょう。
> その思いを無視してきた戦後の歴史教育は大きな問違いを犯してきたと言わざるをえないです。
お言葉有難うございます。
仰るとおり、戦前と戦後との流れをバッサリと切り捨ててしまった歴史教育には疑問を感じます。
真実に根差した物語だからこそ、より一層の感動を私たちに与えてくれますからね。
> もう一度、我々がその史実を学び直すという意味で・・・黒田裕樹の昭和歴史行脚って企画で、全国を講演して回るってのはどうでしょうか(~o~;)
それも楽しそうですね。
私にもっと甲斐性があればできるかもしれませんが…(^^ゞ
いわゆる「人間宣言」に相当するものは、昭和21年元日に昭和天皇が発表された「新日本建設ニ関スル詔書(しょうしょ)」ですが、この中に「人間」「宣言」という言葉は一切使用されていません。それもそのはず、人間宣言という名称は後日にマスコミや出版社が勝手に名づけたものだからです。
ではなぜ私たちは「人間宣言」に対して思い違(ちが)いをしているのでしょうか。その謎(なぞ)を探(さぐ)るために、そもそも「新日本建設ニ関スル詔書」が発表された経緯(けいい)を振(ふ)り返ってみましょう。
昭和20年12月、GHQは我が国と神道(しんとう)とのつながりを断(た)ち切るために、国家が神道を支援(しえん)したり、あるいは普及(ふきゅう)させたりすることを禁止する神道指令(しんとうしれい)を発しましたが、その次の段階として天皇の神格化を否定しようと考えました。しかし、これをGHQの主導で無理やり行えば日本国民の反発を招(まね)き、占領政策に影響が出るのは確実でした。
そこでGHQは昭和天皇が自主的に神格化を否定することを期待し、またその意を汲(く)んだ宮内省がGHQを納得させることができる詔書の作成に取りかかりましたが、昭和天皇は元々(もともと)自らが現人神(あらひとがみ)であることを否定されておられたので、特に問題には思われませんでした。なぜなら、天皇と国民とのつながりは、神格化によってのみ保(たも)たれるような弱いものではないとお考えだったからです。




いつも有難うございます。
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サクラ 中学校の時、組合の先生が、
「今、お前らは、天皇が神じゃないって当然思っとるがん。お前ら、自分の親が『お前は自分の子供じゃない』って言われたら、驚くだら? だから人間宣言出した時、日本人は驚いたんだよ」
って、教えていました。
当然、教室はざわめきました。
しかし私はそれが誤りだと、早い段階から気付いていましたよ。
よく祖母に、戦時中の話を聴いていたんで。
或る日、「陛下を神だと思ってた?」と訊いたら、「人だと思ってた」と答えていました。
ただ新聞などで皇室のことを書くときは、「陛下は~しあそばされた」というように、凄く回りくどい表現をつかっていたそうです。
なので新聞で、「陛下は~した」という表現があると、今でも肝を冷やすと言ってました。(笑
「人間宣言」に論を展開されると思っていましたよ。
晴雨堂ミカエル 世間一般の右も左も、欧米の歴史観や価値観に毒され過ぎています。
コロンブスの「新大陸発見」を鵜呑みにしている事然り、君主制やや民主主義の概念然り。
男尊女卑とて、もともと日本は欧米や中国ほど男女の権利格差はひどくありませんでした。ひどくなったのは、むしろ明治以降からでしょう。
男性家長が絶対だった欧米で発生したリブ運動を鵜呑みにしたフェミニストが日本で行うから、逆に浮いてしまう。
皇室の帝王学とて、ヨーロッパの君主とは全く違うものです。
昭和天皇にしろ、今上陛下にしろ、皇太子殿下にしろ、敢えて失礼を申せば非常に訓練されています。
圧政をしいた独裁者や暴君と同列に論じて天皇制批判を行う限り、左翼はますます矮小化したカルトに陥るでしょう。
ぴーち こんばんは!
結局、GHQは日本国民が天皇を神として崇め続けるということを、いづれアメリカに対して反逆を起こすきっかけとなる事に繋がるものだと恐れたのでしょうか。
しかしながら、日本人は随分と侮られていたものですね。とかく我々の国は「島国根性」だと揶揄される事がありますが、そういう島国であるという利点はまた逆に存在するもので、日本の心の連帯感は、そう簡単に崩れ去る事は無いということですね。
応援凸
サクラさんへ
黒田裕樹 失礼な物言いになるかもしれませんが、「歴史の生き証人」のお言葉は重いですね。
天皇は神様だから尊敬されていたわけではないことが、お婆様のお考えからはっきりします。
最近のマスコミや教科書における、皇室の方々への表現は何かと論議を呼ぶことが多いですね…。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 先を読まれてしまいましたね(笑)。
仰るとおり、我が国と諸外国との決定的な違いを理解しようともせず何事も同列に語るという無茶な考えは、国民からの支持を失うことはあっても、決して広がることはないでしょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 結局、GHQは日本国民が天皇を神として崇め続けるということを、いづれアメリカに対して反逆を起こすきっかけとなる事に繋がるものだと恐れたのでしょうか。
> しかしながら、日本人は随分と侮られていたものですね。とかく我々の国は「島国根性」だと揶揄される事がありますが、そういう島国であるという利点はまた逆に存在するもので、日本の心の連帯感は、そう簡単に崩れ去る事は無いということですね。
仰るとおり、島国における影響は悪いことばかりではありません。
神話の世界を含めれば2670年を超える我が国の国民同士の連帯感は、GHQの横やり程度では崩れるはずもありません…はずなのですが、戦後の我が国の変化を考慮すると、いささか自信がなくなってくるような気がしますね(^^ゞ
黒田裕樹さん
風早 りら 昭和21年元日に昭和天皇が発表された「新日本建設ニ関スル詔書(しょうしょ)」ですが、この中に「人間」「宣言」という言葉は一切使用されていません。それもそのはず、人間宣言という名称は後日にマスコミや出版社が勝手に名づけたもの
この事実は かなり 驚嘆しました
詳細を 明日 伺いたいと 思います
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 昭和21年元日に昭和天皇が発表された「新日本建設ニ関スル詔書(しょうしょ)」ですが、この中に「人間」「宣言」という言葉は一切使用されていません。それもそのはず、人間宣言という名称は後日にマスコミや出版社が勝手に名づけたもの
> この事実は かなり 驚嘆しました
> 詳細を 明日 伺いたいと 思います
ご存じでいらっしゃいませんでしたか。
しばらくの間「人間宣言の真実」についてお話したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
「天皇ヲ以(もっ)テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越(ゆうえつ)セル民族ニシテ、延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有(ゆう)ストノ架空(かくう)ナル観念ニ基(もとづ)クモノニモ非(あら)ズ」。
この文章だけ読めば、昭和天皇が自らの神格化を否定されたと見なすことも不可能ではないですが、これは詔書のほんの一部分に過ぎませんし、陛下が本当に仰りたい内容は、実はこの文章の直前にあるのです。
「然(しか)レドモ朕(ちん)ハ爾等(なんじら)国民ト共ニ在(あ)リ、常ニ利害ヲ同(おな)ジウシ休戚(きゅうせき、喜びや悲しみのこと)ヲ分(わか)タント欲(ほっ)ス。朕ト爾(なんじ)等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互(そうご)ノ信頼ト敬愛トニ依(よ)リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依(よ)リテ生ゼルモノニ非(あら)ズ」。
陛下は常に国民とともに存在(そんざい)し、国民と利害を同じくして、喜びも悲しみも一緒に分かち合いたいと仰ったうえで、天皇と国民との間の紐帯、すなわち強い絆(きずな)は単なる神話や伝説によってではなく、相互の信頼と敬愛とによって結ばれているとされておられるのです。




いつも有難うございます。
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とさを商店 この終戦時、占領時は昭和史のキモですね
ぴーち こんばんは!
これまで黒田さんの記事から勉強させて
いただいた中で、自らを神だと宣言していた戦国時代の武将達も居れば、自分は神ではなく、国民と共に一緒の目線で生きていきたいと述べる昭和天皇の様なお考えもありますが、
やはり人間は所詮、神にはなることが出来ないという事を一番よくご存知でいらっしゃったのではないでしょうか。。
そしてその人として生きるべく大切な謙虚・謙遜という言葉を深く身に付けた方だったのでしょうね。昭和天皇は、黒田さんの尊敬なさっている歴史上の人物のお一人ですか?
応援凸
とさを商店さんへ
黒田裕樹 > この終戦時、占領時は昭和史のキモですね
仰るとおりです。
この頃は現代にもつながる、昭和史にとって最も重要な分野のはずなのですが、なぜか詳しく紹介されることは少なく、あったとしても我が国にとってあまりにも一方的な話が多すぎるのは残念ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > これまで黒田さんの記事から勉強させて
> いただいた中で、自らを神だと宣言していた戦国時代の武将達も居れば、自分は神ではなく、国民と共に一緒の目線で生きていきたいと述べる昭和天皇の様なお考えもありますが、
> やはり人間は所詮、神にはなることが出来ないという事を一番よくご存知でいらっしゃったのではないでしょうか。。
お考えのとおりだと私も思います。
「自らは神でない」ことを一番理解されておられたからこそ、無私のお心で様々な難題を生命をかけて取り組まれたのでしょうね。
> そしてその人として生きるべく大切な謙虚・謙遜という言葉を深く身に付けた方だったのでしょうね。昭和天皇は、黒田さんの尊敬なさっている歴史上の人物のお一人ですか?
天皇という我が国の長い歴史を誇る元首でいらっしゃることを、誰よりも強くご自覚なさっておられたと私も思います。
第21回の講座の冒頭で紹介しましたように、昭和天皇は私が尊敬すると同時に、彼らがいなければ今の我が国の繁栄は有り得なかったと確信している三人の歴史上の人物のひとりです。ちなみにあとの二人は聖徳太子と織田信長です。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-759.html
ぴーち こんばんは!
リンクを貼ってくださった記事は読ませていただいておりませんでした(^^ゞ
失礼致しましたm(_ _)m
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 > リンクを貼ってくださった記事は読ませていただいておりませんでした(^^ゞ
> 失礼致しましたm(_ _)m
いえいえ、どうぞお気になさらないで下さい。
こちらこそお言葉をいただいて恐縮です。
神とは
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
たとえ、かりに軍部が昭和天皇を神格化したとしても、それは、守り神または、国民のことを見守る存在としての神の意味であったのであってキリスト教社会の神とは、全く、違います・
あれから、本を読んで、知ったことなのですが、
キリスト教社会の神=Godと
日本の古来の神とは、全く、そのニアンスが違うようですね。
キリスト教社会における神とは、全智全能の絶対的な存在なのに対して、
日本の古来の神は、七福神、山の神、火の神、学問の神のようにどちらかと言えば、精霊に近いような気がします。
それを、現代の歴史教育で、キリスト教社会の神の概念で、日本の神というものを考えるから、
否定的に感じるだけだと思います。
日本には、それまでの風土から、積み重ねてきた文化・歴史・大和言葉があるのに、それを今の価値観で、否定的に考える現代人は、好きになれません。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり「カミ」と「god」では全く異なります。
言わば精神論のような内容をごちゃまぜにしてしまったのは、明治維新以後の「西洋に追いつき追い越せ」のどさくさで日本人自身が研究する暇がなかったかもしれません。
明治政府の方針によって我が国は欧米からの侵略を免れたのですが、急速な近代化で失ったものも大きそうですね。
ところで「新日本建設ニ関スル詔書」の最初に明治天皇(めいじてんのう)による「五箇条のご誓文(ごかじょうのごせいもん)」が紹介されているのを皆さんはご存知でしょうか。詔書に五箇条のご誓文を付け加えられたのは昭和天皇ご自身のお考えであり、このことこそが陛下が詔書において本当に仰りたかったことなのです。
昭和52(1977)年、昭和天皇は記者からの質問にお答えなさるかたちで、詔書の始めに五箇条のご誓文が引用されたことについて以下のようにお言葉を発せられました。
「それが実はあの詔書の一番の目的であり、神格とかそういうことは二の問題でした。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇(ほこ)りを忘れては非常に具合(ぐあい)が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです」。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
五箇条の御誓文は存じておりましたが、昭和天皇ご自身が付け加えられたというのは、初めて知りました。ありがとうございます!
外国の受け売りではなく、民主主義はそれ以前から
日本にはあったものだという事を訴えたかった訳ですね。日本の誇りはいつまでも持ちあわせていきたいと思いますが、日本全体を見渡した時にその思いが次第に薄れてしまっているのではないかと残念に思うこの頃です。(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 五箇条の御誓文は存じておりましたが、昭和天皇ご自身が付け加えられたというのは、初めて知りました。ありがとうございます!
> 外国の受け売りではなく、民主主義はそれ以前から
> 日本にはあったものだという事を訴えたかった訳ですね。日本の誇りはいつまでも持ちあわせていきたいと思いますが、日本全体を見渡した時にその思いが次第に薄れてしまっているのではないかと残念に思うこの頃です。(^^ゞ
わざわざ初めにお付け加えになられたあたりが昭和天皇の強いご意思を感じさせますね。
仰るように、我が国そして国民が誇りを失わないようにという陛下のご配慮が、最近は必ずしもうまくいっていないことに私も不安を感じております。
明治の自由民権運動家も欧米の受け売りではありません。
晴雨堂ミカエル 民権運動家たちが作成した憲法草案は、当時の欧米の憲法より遥かに進んでいます。特に植木枝盛は世界有数の行動する理論家。
どういうわけか、現在の多くの護憲派はアメリカ人のベアテは評価するが枝盛は見ない。
高知の護憲派は、枝盛たちを弾圧した政府をアメリカが潰してくれた。日本国憲法は民権派の悲願という認識です。
明治天皇も含め明治の日本人の凄さをもっと評価すべきでしょう。枝盛は「西洋、おそるるに足らず」と、受け売り留学生たちを軽蔑していました。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 明治の人々は官民がそれぞれ非常に進んだ考えをお持ちであったということなんですね。
私たちは自分の国の近代史をもっと再評価しても良いと思います。
五箇条のご誓文
青田です。 黒田先生
青田です。
よく、考えれば、『五箇条のご誓文』は、
廃止されてないので、
現在でも有効だと思うのですが、
それを言うと、また、騒ぐ人間がいるでしょうね。
青田さんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
もっとも、こういった考えは、日本国憲法の施行と同時に我が国が新たにつくられたという革命思想にも由来していますが…。
それなのに、マスコミや出版社の多くが「天皇が神格化を否定した」という、詔書のほんの一部に過ぎず、かつ陛下の本当のご意思とは全く異(こと)なる部分だけを取り上げて「人間宣言」ともてはやし、ついには歴史教科書にまで記載(きさい)されてしまっているのです。なぜこのような誤解(ごかい)が生まれてしまっているのでしょうか。
さて、同じ昭和21年の正月における歌会始(うたかいはじめ)において、昭和天皇は以下の御製(ぎょせい、天皇による和歌のこと)をお詠(よ)みになっておられます。
「ふりつもる み雪にたへて 色かへぬ 松ぞ雄々(おお)しき 人もかくあれ」
終戦直後の絶望感が漂(ただよ)う中であっても、雪の中の青々とした松のように国民も強く生きて欲しいという、昭和天皇の国民への思いやりが込(こ)められています。またこの頃、陛下は国民を慰(なぐさ)めるためには自分がどうすればよいのかをお考えになり、そのための行動に移ろうとされておられました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
なるほど、単に明治天皇のご意思を尊重する
という意味合いではなく、国民の傷ついた心に配慮する気持ちをそこに託された訳なんですね。
しかしマスコミとは、いつの世も事実をその通り
に報道するのではなく、都合の良い様にデフォルメしたり、或いは真実とは真逆な事まで平然と言ってのけてしまう恐ろしさを持ちあわせていますね(^_^;)
ましてや、純粋に国民の為にこれほどまでにお考えになっていた気持ちをゴシップ記事に仕立てあげた意図は何だったのでしょうか。
美談として報道出来なかったという事は、なにやら陰謀を企む輩が居たのでしょうか?
(考えすぎですかね(^_^;))
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、単に明治天皇のご意思を尊重する
> という意味合いではなく、国民の傷ついた心に配慮する気持ちをそこに託された訳なんですね。
仰るとおりです。
この詔書には、傷ついた国民を励ましたいという昭和天皇のお優しいお気持ちにあふれているんですよね。それなのに…。
> しかしマスコミとは、いつの世も事実をその通り
> に報道するのではなく、都合の良い様にデフォルメしたり、或いは真実とは真逆な事まで平然と言ってのけてしまう恐ろしさを持ちあわせていますね(^_^;)
> ましてや、純粋に国民の為にこれほどまでにお考えになっていた気持ちをゴシップ記事に仕立てあげた意図は何だったのでしょうか。
> 美談として報道出来なかったという事は、なにやら陰謀を企む輩が居たのでしょうか?
> (考えすぎですかね(^_^;))
あながち考え過ぎでないかも…(^^ゞ
それはともかく、いつの世も自分の言いたいことが正しく報道されないのは困ったものですね。
当時はGHQにおもねったとしても、独立を回復した後はいつでも修正ができるはずなのですが…。
その当時の写真集が出ていましたね。
晴雨堂ミカエル 数年前でしたか、その当時の写真集が出ていました。ご覧になりましたか。
GHQ秘蔵のカラー写真です。ですから、終戦間もない時期の映像なのに、まるで最近撮影されたかのような鮮明なカラーでした。
アメリカは凄い。
「はだしのゲン」のエピソードでもありましたね。主人公ゲンは当然のことながら反天皇です。問題の場面も、あっという間に通り過ぎてしまって、ますます皇室への不信を強めてしまう展開でした。
仕方が無いですな。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 終戦直後の写真集は残念ながら未見です。
アメリカは当時からカラーフィルムをふんだんに使っていましたか。当時における物量の差を嫌でも感じさせてくれますね。
「はだしのゲン」については、当時の世相を色濃く反映しているとも言えますが、終戦直後は果たしてどうだったのか、今後の展開から類推できるかもしれませんね。
「先の戦争によって先祖(せんぞ)からの領土や国民の多くの生命を失い、大変な災厄(さいやく)を受けた。この際、私としてはどうすればよいのかと思い、退位も考えた。しかし、よくよく考えた末(すえ)、全国を隈無(くまな)く歩いて国民を慰め、励(はげ)まし、また復興(ふっこう)のために立ち上がらせるための勇気を与えることが自分の責任と思う」。
「このことをどうしても早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官(くないかん、宮内省の役人のこと)たちは私の健康を心配するだろうが、自分はどんなになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかはまったく考えることなくやってほしい。宮内官はその志(こころざし)を達するよう全力を挙げて計画し実行してほしい」。
今までに経験したことのない敗戦を喫(きっ)して、大きく傷ついた国民を励まし、復興へ向けて立ち上がらせる勇気を持たせたい。そのためには自分の生命がどうなってもかまわない―。そんな昭和天皇の崇高(すうこう、気高く尊いこと)なるお考えを、GHQが理解できるはずがありませんでした。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
去年、新型インフルエンザの猛威が日本を襲いましたが、日本はインフルエンザの場合は学校保健法で定められている出席停止措置がとられ、本人は数日間完治するまで学校を休まなければなりませんが、その当時、ある中国人の学生さんのブログに、日本がインフルエンザで学級閉鎖や、学校閉鎖までも行う事に疑問を感じ、日本はなぜにそこまで人の命を大切に思うのだろうか・・という様な疑問を投げかけていた文章を思い出しました。日本人はこうしてみると、昭和天皇の崇高なお気持ちには敵わないにしても、他人の事を思いやる気持ちを持ち、他人の為なら自分の命さえ、投げ打ってまで相手を助けてあげたいという気持ちを嘗ては持ちあわせていたように思います。
それがいつしか他の国からの受け売りや批判やらに同調して、本来の日本人らしさが失われて来ているのが嘆かわしくもあります。日本人の良さを見失われてしまっているのが、残念ですね。
けれどインフルエンザに話を戻させていただくと、自分が経験した苦しい思いを他にうつしてしまうのは心苦しいとか、それ以上広がらない様にしなければならないという気持ちを持ち、他人に迷惑をかけまいと気遣いをする心はまだ廃れた訳ではないことが唯一の救いでもあります。
そういう日本人の思いやりは、昔も現代でも外国人には理解し難い事なのだなとつくづく感じます。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、日本人にとって当たり前だった「生命を大切にする思い」「自分の生命よりも他人の生命を優先する」という考えが失われつつあるのが残念ですね(無論、他人のことは言えないのですが)。
昭和天皇のお考えは、多くの日本人の思いよりもさらに深いものであるがゆえに、GHQに分かるわけがありません。だからこそ、次回(8日)のような誤解を生んでしまうんですよね…。
紗那 たしかにこのような、自分の命をなげうってでも他人を助ける、という考え方は、日本特有とまでは言わなくても、かなり日本的な考え方ですよね……
単純に国民を煽ろうとしている、という風にGHQは受け取ったんでしょうか……
紗那さんへ
黒田裕樹 > たしかにこのような、自分の命をなげうってでも他人を助ける、という考え方は、日本特有とまでは言わなくても、かなり日本的な考え方ですよね……
仰るとおり、日本的ですね。私たちは自然と受け入れられるのですが…。
> 単純に国民を煽ろうとしている、という風にGHQは受け取ったんでしょうか……
なるほど、そういう解釈もありますね。
GHQは最終的にご巡幸を許可するのですが、その理由は…次回(8日)に分かります。
HANA子 この辺の内容は本で読んだ覚えがあります
GHQ高官の思惑や言葉に憤った覚えも
明日の…もう今日ですが、更新で語られるのでしょうね
話は変わりますが最近原武史氏の「大正天皇」を読み始めました。
これまでの大正という時代への見方が変わるとともに、この時代があって昭和という時代、昭和天皇という存在をより深く受け止めることが出来そうな気がします。
HANA子さんへ
黒田裕樹 > この辺の内容は本で読んだ覚えがあります
> GHQ高官の思惑や言葉に憤った覚えも
> 明日の…もう今日ですが、更新で語られるのでしょうね
はい、今日(8日)の更新で明らかになります。
国によって環境や考えが異なるというのがよく分かりますね。
> 話は変わりますが最近原武史氏の「大正天皇」を読み始めました。
> これまでの大正という時代への見方が変わるとともに、この時代があって昭和という時代、昭和天皇という存在をより深く受け止めることが出来そうな気がします。
大正天皇はご病弱ということもあってご生涯が結構謎に包まれていますね。
でも、仰るとおり大正時代があってこその昭和ですから、短くとも重要であったと思います。
それだけに、陛下のご巡幸の計画を聞いたGHQも、当初(とうしょ)は「天皇の意図(いと)がわからない」と怪(あや)しみましたが、やがて一つの確信を得るに至って、敢(あ)えて許可したのでした。
「ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだから、旅先で石のひとつでも投げられればいいのさ」
「ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背(ねこぜ)の小男(こおとこ)であるということを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなくて人間だ、ということをね」
「それこそが生きた民主主義の教育というものだよ」
GHQの役人たちには、昭和天皇がご巡幸によって多くの国民から無視され、蔑(さげす)まれ、疎(うと)まれ、あるいは暴力をもって迎えられるといった惨(みじ)めな姿しか想像できませんでした。しかし、彼らの期待は別の意味で大きく裏切(うらぎ)られることになるのです。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル イッセーオガタ氏の「太陽」でもアメリカ人(というより世界標準)の感覚がよく出ていますね。
昭和天皇が背広を着た姿がチャップリンに似ている事から、進駐軍兵士たちはチャーリーと渾名し、昭和天皇もそれに応えて米兵の前で仕草を真似たり。
マッカーサーは「子供みたいな男だ」と感想をもらす場面があります。
世界の常識で解釈された昭和天皇とマッカーサーの会見、とみるべきでしょう。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、相手国の歴史などを知らないが故のGHQの解釈でしょう。占領政策において自国の価値観を強引に押し付けたことも影響していると思います。
もっとも、戦後の我が国も歴史を知らないことで、官民ともに諸外国で常識では理解できない行動をとることがあるのは以前にお伺いしたとおりですが…。
ぴーち こんばんは!
歴史に疎い私如きが言える事ではありませんが、
それまで天皇陛下というお名前を聞いただけでも、
そこの居合わせた国民の緊張感は只ならない事であり、ましてや、天皇陛下は神だと崇められていた存在であった状況で、
戦争に惨敗したからと言って直ぐ様その結果を天皇のせいにするというのは、とても考えにくい事だと同じ日本人として感じます。
単純に日本が負けたのは、相手国のせいだと思いたい程です(^_^;)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 歴史に疎い私如きが言える事ではありませんが、
> それまで天皇陛下というお名前を聞いただけでも、
> そこの居合わせた国民の緊張感は只ならない事であり、ましてや、天皇陛下は神だと崇められていた存在であった状況で、
> 戦争に惨敗したからと言って直ぐ様その結果を天皇のせいにするというのは、とても考えにくい事だと同じ日本人として感じます。
> 単純に日本が負けたのは、相手国のせいだと思いたい程です(^_^;)
仰るとおり、日本人の感性は他国とは全く異なるところがありますからね。
その背景には連綿と続く我が国の歴史があり、歴史の浅い他の国にはなかなか理解できないでしょう。
当然GHQにも分かるはずがなく、本文のような対応になったと思われます。
最初のご巡幸先である昭和電工の付近は終戦後にアメリカ軍が接収(せっしゅう、権力機関が個人の所有物を強制的に取り上げること)しており、我が国の中でも占領色が一段と濃(こ)い場所でした。それだけに、会場には外国のカメラマンやアメリカ兵たちがひしめき合っており、彼らによって昭和天皇はあちこち引っ張られるなどもみくちゃにされました。
しかし、陛下は全く意に介(かい)されずに社長の説明を静かにお聞きになり、また工員たちには「生活状態はどうか」「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」など細(こま)かくお尋ねになりました。外国人から何をされても「耐(た)え難(がた)きを耐え」、また口先だけとは考えられない陛下の工員たちに対するお優しいお姿に、涙が止まらない人もいたそうです。
「わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民(たみ)の心を うれしとぞ思ふ」
昭和21年のご巡幸の際における陛下の御製です。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今上天皇、または皇太子が〇〇へご視察されましたというニュースをよく耳にしますが、昭和天皇が現地へ訪問、視察という習慣を最初に築かれた訳ですね。
いくら昭和天皇は「神」では無いと宣言されても、やはり崇高なお考えでいらっしゃっるお心は内面から自然に滲み出るものですよね。そのお姿を目の当たりにされた国民は、より一層天皇陛下への尊敬の念を新たにされた方も多かったのではないかと黒田さんの記事から、感じました^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今上天皇、または皇太子が〇〇へご視察されましたというニュースをよく耳にしますが、昭和天皇が現地へ訪問、視察という習慣を最初に築かれた訳ですね。
> いくら昭和天皇は「神」では無いと宣言されても、やはり崇高なお考えでいらっしゃっるお心は内面から自然に滲み出るものですよね。そのお姿を目の当たりにされた国民は、より一層天皇陛下への尊敬の念を新たにされた方も多かったのではないかと黒田さんの記事から、感じました^^
有難うございます。
仰るとおり、昭和天皇のお心はそのお立ち振る舞いから自然とにじみ出ていたと思われます。だからこそ、真摯なお姿に涙する国民もいたのでしょうね。
しかし、陛下は「戦災(せんさい)の国民のことを考えれば何でもない。十日ぐらいは風呂に入らなくてもかまわない」と全く気にされることもなく、元気にご巡幸の毎日をお過ごしになられました。
昭和22(1947)年8月の暑い盛(さか)りに福島県の炭坑(たんこう)をご巡幸された際には地下450mの地底まで降りられ、さらに40度を超える炎暑(えんしょ)の坑内(こうない)を150mも歩かれて、居並(いなら)ぶ坑夫(こうふ)たちを激励(げきれい)されました。
当時は石炭(せきたん)が貴重(きちょう)なエネルギーでしたが、陛下のお出ましに感激した坑夫たちによって、その後の出炭率(しゅったんりつ)が急上昇したそうです。以下は当時の情景(じょうけい)を詠まれた御製です。
「あつさつよき 磐城(いわき)の里の 炭山に はたらく人を ををし(=雄々し)とぞ見し」




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
まさか天皇陛下が地下450mもの地下のしかも40度もある場所に坑夫を激励に訪れるなどとは思っても見なかったでしょうね( ´゚д゚)(゚д゚` )
それだけに喜びや感激は一入だったのでは無いでしょうか。
ここでは天皇陛下のお話ですが、やはりその時代時代で有名な方が目の前に来て、(例えば映画スターなど)激励の言葉などを掛けてくれたら、それこそ一生忘れられない思い出となりますもの^^
所で今日は奇しくも東京大空襲の日ですね。
この場をお借りしまして、改めて哀悼の意を表したいと思いますm(__)m
私などは幸いにも、戦争を知らない世代に生まれましたが、色々な話、或いは映画などを鑑賞させていただくとやはり戦争の恐ろしさや愚かさをひしひしと感じます。これからの世も戦争という最悪なシナリオが日本の歴史に刻まれませんように切に願いたいものです。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > まさか天皇陛下が地下450mもの地下のしかも40度もある場所に坑夫を激励に訪れるなどとは思っても見なかったでしょうね( ´゚д゚)(゚д゚` )
> それだけに喜びや感激は一入だったのでは無いでしょうか。
> ここでは天皇陛下のお話ですが、やはりその時代時代で有名な方が目の前に来て、(例えば映画スターなど)激励の言葉などを掛けてくれたら、それこそ一生忘れられない思い出となりますもの^^
仰るとおり、一生の思い出でしょうね。
だからこそその後の出炭率が急上昇したのでしょう。やる気はいつでも重要ですね。
> 所で今日は奇しくも東京大空襲の日ですね。
> この場をお借りしまして、改めて哀悼の意を表したいと思いますm(__)m
> 私などは幸いにも、戦争を知らない世代に生まれましたが、色々な話、或いは映画などを鑑賞させていただくとやはり戦争の恐ろしさや愚かさをひしひしと感じます。これからの世も戦争という最悪なシナリオが日本の歴史に刻まれませんように切に願いたいものです。
アメリカによる、我が国に対する信じがたい無差別な虐殺ですね。
いつの世も戦争に巻き込まれるのは無辜の国民です。
願わくば戦争などあってほしくはないのですが…。
奉迎場(ほうげいじょう、身分の高い人をお迎えする場所)となった護国神社(ごこくじんじゃ)の跡地(あとち)には、何と7万人もの人々が集まりました。昭和天皇はマイクを使用されて以下のお言葉を発せられました。
「このたびは皆の熱心な歓迎を受けてうれしく思う。 本日は親(した)しく市内の災害地を視察するが、広島市は特別な災害を受けて誠(まこと)に気の毒に思う。広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献しなければならない」。
陛下の激励に対して、7万の群衆(ぐんしゅう)が一体(いったい)となって「天皇陛下万歳(ばんざい)!」と何度も何度も叫(さけ)びました。GHQの関係者は、特に天皇を恨(うら)んでいる者が多いと思っていた被爆地(ひばくち)の広島でのこの様子に驚(おどろ)くとともに恐(おそ)ろしくなりました。翌昭和23(1948)年にご巡幸は一旦(いったん)中止となりますが、多くの国民の熱意によって昭和24(1949)年に再開されました。以下は広島における陛下の御製です。
「ああ広島 平和の鐘も 鳴りはじめ たちなほる見えて うれしかりけり」




いつも有難うございます。
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オバrev この講演を聴きながら何度涙したことでしょう。特に広島編では大涙(ToT)
陛下の広島ご巡幸は、広島市民よりの強い要望があってのことだと聞いています。
広島市だけでなく、戦艦大和を生んだ軍港呉へも立ち寄られ、多くの方々を励まされたそうです。
戦後の復興に果たした陛下のお役割は相当なものだったと思います。
これは長い歴史の中で培われた国民との信頼関係があるからこそではないでしょうか。
GHQには理解できなかったでしょうね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > この講演を聴きながら何度涙したことでしょう。特に広島編では大涙(ToT)
有難うございます。オバrevさんは広島にお住まいですから、特に印象深かったのではないでしょうか。
> 陛下の広島ご巡幸は、広島市民よりの強い要望があってのことだと聞いています。
> 広島市だけでなく、戦艦大和を生んだ軍港呉へも立ち寄られ、多くの方々を励まされたそうです。
> 戦後の復興に果たした陛下のお役割は相当なものだったと思います。
> これは長い歴史の中で培われた国民との信頼関係があるからこそではないでしょうか。
> GHQには理解できなかったでしょうね。
仰るとおりですね。
我が国における天皇と国民との絆の深さは、他国から受けた戦争の傷跡で壊れるようなものではないことを、歴史の浅いGHQに理解できるはずがありません。
本当に報道して欲しいこと
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
3月11日にテレビの報道番組で、どこの放送局も
『まだ、2年経って、復興が進んでない被災地』ばかりを報道していました。
私は、もちろん、それは、問題だと思いながら、その時、どうも違和感を感じてしまいました。
というのも、どこの放送局も
戦後、日本が
何十万人も死んで、一面、焼け野原から、どう
(広島では十七万人、東京では一回で十万人が亡くなりました。)
復活したかを報道する番組も評論家もいないかったからです。
終戦では、義捐金、補助金、助成金も全く、ありませんでした。
それでも、当時の日本人は、泣いて、恨んでいる余裕もありませんでした。
それでも、日本人は、復活しました。
もう、評論はいいので、戦後の日本人がいかに
復興したかの物語を昭和天皇の御生涯とともに
放送して欲しいと思います。
そして、多くの日本人に『絆』の意味をわかって欲しいですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰ることはごもっともだと私も思います。
昭和24年5月22日、佐賀県にお入りになった昭和天皇は、主に満洲(まんしゅう、現在の中国東北部)で両親を亡(な)くした孤児たちを預(あずか)った因通寺(いんどおりじ)の洗心寮(せんしんりょう)にお越(こ)しになりました。
寮の各部屋の孤児一人ひとりに対して声をかけられた陛下は、一番最後の部屋で父と母の位牌(いはい)を抱いていた女の子に目を留(と)められ、お尋ねになりました。
「(位牌をご覧になって)お父さん、お母さん?」
「はい、そうです」。
「どこで?」
「父はソ満(そまん、ソ連と満洲のこと)国境で、母は引き揚げ(ひきあげ、国外で生活していた者が生活環境を捨てて自国に戻ること)の途中で亡くなりました」。
じっと女の子の顔をご覧になった陛下は、悲しそうなお顔をされてお言葉を続けられました。
「おさびしい?」
「いいえ、さびしくはありません。私は仏(ほとけ)の子供ですから、お父さんやお母さんに会いたいと思えば、み仏様の前に座(すわ)って呼びかければ、そばにやって来てそっと私を抱きしめてくれます。ですから私はさびしくはありません」。
昭和天皇は女の子の前に歩み寄られ、二度三度と頭をなでられると、
「仏の子供はお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」。
そう仰った陛下の目から、はたはたと涙が流れ落ちました。
「みほとけの 教(おしえ)まもりて すくすくと 生(お)ひ育つべき 子らにさちあれ」
上記の御製は、因通寺の境内に碑(ひ)となって建てられています。




いつも有難うございます。
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えめる このお話を読んで、涙が出ました。
温かい思いやりのお言葉と、答えた子どもの芯の強い気持ち。
その両方がそろってこその感動。
この時代だからこそ培われた心なのでしょうか。
いいえ、いまにおいても持ちえると思います。
私も、震災の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
世界中から援助の申し出があるとか。ありがたいですね。
えめるさんへ
黒田裕樹 > このお話を読んで、涙が出ました。
> 温かい思いやりのお言葉と、答えた子どもの芯の強い気持ち。
> その両方がそろってこその感動。
> この時代だからこそ培われた心なのでしょうか。
> いいえ、いまにおいても持ちえると思います。
有難うございます。
私も、現代においても通じる話だと信じております。
こんなときこそ、国民が一致団結して困難に立ち向かうべきでしょうから。
> 私も、震災の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
> 世界中から援助の申し出があるとか。ありがたいですね。
原発も含めて被害が深刻化している現状を鑑みれば、本当に有難いと私も思います。
ぴーち こんばんは!
黒田さんには、今回ご心配をお掛けいたしましたが、余震も少しずつ回数が減り、お陰様で平穏さが次第に戻りつつあります。
しかしながら、今回の未曾有の震災で尊い命が沢山奪われてしまった事に対し、ご冥福を心よりお祈り致します。
震災の影響で原発爆発放射能拡散問題も浮上し、今後の行方が気になる所です。
こちらの問題も正直、恐い話です。
それでは、記事とは関係ないコメントで
恐縮ですが、これにて今日は失礼致しますm(_ _)m
応援させていただきますね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 黒田さんには、今回ご心配をお掛けいたしましたが、余震も少しずつ回数が減り、お陰様で平穏さが次第に戻りつつあります。
> しかしながら、今回の未曾有の震災で尊い命が沢山奪われてしまった事に対し、ご冥福を心よりお祈り致します。
> 震災の影響で原発爆発放射能拡散問題も浮上し、今後の行方が気になる所です。
> こちらの問題も正直、恐い話です。
仰るとおり余震の心配や原発の情報など不安は尽きませんが、堂かこれ以上の災害が起きないことを切に願っております。
> それでは、記事とは関係ないコメントで
> 恐縮ですが、これにて今日は失礼致しますm(_ _)m
> 応援させていただきますね^^
事情が事情ということもございますから、もちろん結構ですよ。
ぴーちさんもどうぞお気をつけて。
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なおまゆ 涙がでるお話です。
今、地震で被災しておられる方々に、必要なのは、こうした精神的な支えですよね。テレビ画面で泣き叫ぶ子ども達をみると特に哀しくなります。不安ばかりですが、こういうときこそ、日本人であるという誇りと思いやりを持って行動しようという気持ちになります。
スーパーでは食品の買占めが横行しています。
空っぽの棚に寂しさを感じました。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > 涙がでるお話です。
> 今、地震で被災しておられる方々に、必要なのは、こうした精神的な支えですよね。テレビ画面で泣き叫ぶ子ども達をみると特に哀しくなります。不安ばかりですが、こういうときこそ、日本人であるという誇りと思いやりを持って行動しようという気持ちになります。
そうですよね。
こうした国難の際に、精神的な支えほど私たち国民の力になる者はないと思います。
過去の震災においても、両陛下のお越しでどれだけの国民が勇気を頂戴したことでしょうか。
> スーパーでは食品の買占めが横行しています。
> 空っぽの棚に寂しさを感じました。
震災における被害の大きさが、国民をパニックに陥れているようですね。
こういう時こそ冷静さを求めたいものです。
古代の天皇には、高いところにのぼって国を見渡し、その様子を褒(ほ)め称(たた)えることによって、天皇のお言葉で国を良くするという「国見」の風習がありました。例えば、仁徳天皇(にんとくてんのう)は宮殿(きゅうでん)から人家(じんか)を眺(なが)められた際にかまどから煙(けむり)が立ち上(のぼ)っていないことに気が付かれると、すぐさま3年間税を免除(めんじょ)されました。
そして、3年後に再び国見をなさると、人家のあちこちのかまどから煙が立ち上っていました。国民が食事を出来るようになって良かったと天皇は満足げにその様子を見つめられ、以下の御製をお詠みになったと伝えられています。
「高き屋(や)に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民(たみ)のかまどは にぎはひにけり」




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
天皇のご巡幸という行事は古くから
行われていたんですね。
はい、
確かにかまどから煙が上がり、食事の支度が出来る事はある程度生活が安定している証拠でもありますよね。
街灯が灯り始める夕暮れ時、夕飯の支度の為に台所辺りからいい匂いが外まで流れてきたときなど、何となく幸せを感じる時がありますもの^^
そんな様子を眺められ安堵していた時代もまた
良い時代だったのではないかと思われます。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仁徳天皇のお話は古墳時代の伝説ではありますが、歴代の陛下のお考えとも共通するお優しい御心だと思います。
特に大阪では仁徳天皇陵が存在するだけに、昔から人気が高いですよ。
日本の民主主義
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
青山繁晴さんが、この「仁徳天皇のかまど」の話について、
いつも、この精神が明治憲法につながる日本型民主主義の原点だと語っています。
青山氏曰く、
「この話を神話ということをいう人間もいる。
しかし、神話なら、もっと凄い。なぜなら、世界の王族、皇帝で、こんな神話がある国はないから。」と言っていました。
よく、考えたら、世界の王族・皇帝の神話は、
自分の権威を高めるものばかりで、
民が困っていて、そのために税金を免除するという神話(それが神話としても)は、ありませんよね。
日本人は、アメリカ型民主主義が、本当の民主主義と思いすぎです。
そもそも、民主主義の定義自体が抽象的で、曖昧だからです。
なぜなら、日本の明治憲法は、世界に冠たる立派な民主主義だからです。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国の民主主義は他のどの国も真似のできないものです。
2670年続く天皇を中心として、国民が等しく団結する。こんな幸せな国に生まれたことの喜びは、おそらくは自身ではわからないものなのでしょうね。
豊かさによる麻痺
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
私は、車椅子の社長である春山満氏のラジオ番組を聴いているのですが、
春山氏曰く、「戦後の復興を遂げた日本人と
今の日本人とは、全く、違う。
戦後の日本人は、アメリカから、憲法を押し付けられても、復興ために、ぐっと堪えて、
少しでも、豊かにしようと頑張った。
しかし、今の日本人は、豊かで、平和なのに文句ばかり言っている。」
今こそ、日本人が、先人の歴史を真摯な気持ちで、学び(単なる事実ではなく、その時の日本人が、どれほど、心細く、不安で、辛かったか)
それぞれが、元気を出すことで、日本を変えることが大事ですね。
マスコミでは、まず、出てこない言葉ですが、
私は、あえて、こう言いたいです。
「日本大好き。」
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰るとおり、様々な勢力によるネガティヴキャンペーンによって我が国はすっかり元気をなくしていますね。
しかしながら、こうした澱んだ「空気」は公平な歴史観を持つことによって一掃できると確信しております。
それこそが私のような歴史教育を担当する者の使命ですね。
「大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見をすれば 国原(くにはら)は 煙立ち立つ 海原(うなばら)は 鴎(かまめ)立ち立つ うまし国そ 蜻蛉(あきづ)島 大和(やまと)の国は」
[現代語訳:大和には多くの山があるが、とりわけ立派なのは天の香具山であり、その頂(いただき)に登り立って国見をすれば、国土には煙が立ちのぼり、海上には鴎(かもめ)が羽(は)ばたいている。なんと豊かで美しい国であろうか、この大和の国は]
[※「蜻蛉島」は「大和」にかかる枕詞(まくらことば)です]
このように、古代から天皇は国見をなさることによって我が国が永久(とわ)に栄えることを願われ続けてこられているのです。昭和天皇ももちろんそのお一人であり、ご巡幸における陛下の大御心(おおみこころ、天皇のお心のこと)は、やがて我が国に大きな繁栄(はんえい)をもたらしました。
それは戦後の復興や、昭和30年代を中心とする空前(くうぜん)の高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)のことです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
計画節電の実施があやふやで、今のところ混乱しているようですが、とりあえず今の時点では、正常に電気が供給されているようなので、今のうちにお邪魔させていただいています。
天皇がご巡幸なさったその後には国の繁栄や復興がまるで約束されているかのようですね^^それだけ天皇という存在が我が国にとって偉大であるという事なのかもしれませんね!
黒田さんがご紹介下さりましたサイトはまだ拝見させていただいておりますが、折を見て覗かせていただきますね^^
応援凸いつもありがとうございますm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんにちは!
> 計画節電の実施があやふやで、今のところ混乱しているようですが、とりあえず今の時点では、正常に電気が供給されているようなので、今のうちにお邪魔させていただいています。
有難うございます。そちらは何かと大変なようですね…。
> 天皇がご巡幸なさったその後には国の繁栄や復興がまるで約束されているかのようですね^^それだけ天皇という存在が我が国にとって偉大であるという事なのかもしれませんね!
このように国の繁栄を願い、実現していくことができるのは、やはり天皇陛下以外にはありえないでしょう。
まさに我が国特有の「まつりごと」だと思います。
> 黒田さんがご紹介下さりましたサイトはまだ拝見させていただいておりますが、折を見て覗かせていただきますね^^
> 応援凸いつもありがとうございますm(_ _)m
こちらこそ、お気に召していただければ嬉しいです(^^♪
また、日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)の締結(ていけつ)によって、我が国はいわゆる「アメリカの核(かく)の傘(かさ)」に入ったことで、安全保障面では他国よりも優位に立って軍事予算を抑(おさ)えることが可能になり、その分経済政策にかなりの予算を活用することができたという一面もありました。
しかし、考えてみて下さい。例えば親が我が子の学業成績を良くしようとして優秀な家庭教師をつけたり、勉強以外に雑用(ざつよう)をさせないようにしたり(これはこれで問題がありますが)、あるいは内容が理解しやすい参考書を与(あた)えたりしたところで、それだけで成績が上がるものでしょうか?
どれだけ勉強しやすい環境(かんきょう)をつくったところで、一番重要であるはずの「本人のやる気」がなければ、所詮(しょせん)は「絵に描(か)いた餅(もち)」で終わってしまいます。戦後復興や高度経済成長にしたところで、国民全体をやる気にさせる「何か」がなければ、ここまでの経済大国に成長できることは有り得なかったでしょう。では、国民を「やる気にさせた」ものとは一体何だったのでしょうか。
実は、これこそが「昭和天皇のご巡幸」によるものなのです。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル あくまでご巡幸は一助になったと捉えるべきで、過大な評価は昭和天皇も今上陛下も困惑されるでしょう。
また物事には必ずマイナス面もあります。先進諸国の中で日本が最も農業を蔑ろにしてきました。
国策として農業を生殺しにし、第一次産業から第二次産業へ労働力が流入するよう仕向けた。食糧自給力を犠牲にしての経済発展でもあります。
日本人の基礎学力と労働者資質を考えたら、食糧自給力犠牲の下で力を集中させれば高度経済成長はむしろ当然でしょう。
昭和天皇をはじめ皇室の方々は自然科学に親しみ日本の山河や農業を誇りに思っていらっしゃるはずですから、自民とアメリカの政策には内心思うところあると私は見ています。
黒田裕樹 ご意見有難うございます。
確かに高度経済成長には功罪ともにありますからね。次回では功の部分を、次々回以降では罪の部分を詳しく紹介いたしますが、陛下のご巡幸が国民のやる気を引き起こしたことは間違いないと考えております。
ぴーち こんばんは!
今回の東北大震災で天皇陛下が被災地ご訪問をご検討されているというニュースが流れていましたが、今のところはまだまだ現地へ出向く事は
困難な状況でしょうけれど、やはり陛下のお言葉
が被災された方々の大きな心の支えとなる事でしょうね・
昨日黒田さんからご紹介いただいたサイトを覗かせていただきました。
仰る通り、力強く、それでいて心優しい言葉の数々に私も心打たれました。
素敵な言葉をいただき、私も感謝させていただきます^^
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今回の東北大震災で天皇陛下が被災地ご訪問をご検討されているというニュースが流れていましたが、今のところはまだまだ現地へ出向く事は
> 困難な状況でしょうけれど、やはり陛下のお言葉
> が被災された方々の大きな心の支えとなる事でしょうね・
阪神・淡路大震災の際、陛下はわずか二週間後に被災地へお越しになりました。お連れの人は最小限に、そしてヘリコプターで直接かけつけられ、多くの被災者を励まされたそのお姿は、今でも印象深く残っております。
> 昨日黒田さんからご紹介いただいたサイトを覗かせていただきました。
> 仰る通り、力強く、それでいて心優しい言葉の数々に私も心打たれました。
> 素敵な言葉をいただき、私も感謝させていただきます^^
お気に召して良かったです。
「心に残るつぶやき」
http://prayforjapan.jp/tweet.html
皆様もぜひご覧下さい。
BJのぶ 弊ブログの足跡から参りました。ご訪問ありがとうございます。
全然違う観点からコメントさせていただきますが、
最終的には本人のやる気、当たり前と言えば当たり前なのですが、そういう身近なものが忘れられていると思います。要はみんな「コンビニ化」してしまって「楽な方法」「簡単な方法」を求めてしまうんですよね。
自分も外国語でメシを食っている者なので、
(ブログだけ見るとそうは思われないでしょうがw)
外国語の勉強も王道はなし、よく「何でそんなの何ヶ国語も話せるんですか?」と聞かれるのですが、「本人のやる気でしょ」とサラリと答えてます。聞く側にとっては「何か秘策かウルトラCでもあるのではないか?」と期待しているみたいですが、そんなものは元々ないですし、ないものは出せません(笑
戦後、確かに日本は復興して豊かにはなりました。しかし、その分日本人の生活はおろか、頭まで「コンビニ化」してしまったのはマイナスかもしれませんね。
最近の20代を見ているとそう思えてなりません。
BJのぶさんへ
黒田裕樹 こちらこそ、ご訪問並びにお言葉ありがとうございます。
仰るとおり、物事を為そうと思えば本人の「やる気」「根気」が必要不可欠なはずなのですが、便利すぎる世の中では忘れ去られてしまっているようですね。
世の中の「コンビニ化」は、根気や応用力などの人間にとって重要な要素をなくしてしまっているような気がしますし、最近に若い人々の無気力にもつながっているような思いがします。
そんな若者たちに対する教育が、今後ますます重要視されることでしょう。責任の重さを痛感いたします。
ご巡幸において人々を励まされ、人々と共(とも)に悲しまれ、そして涙を流された昭和天皇のお姿を間近(まぢか)に拝見(はいけん)した国民は大いに感激するとともに、陛下の大御心に恥(は)じないように自分たちも頑張(がんば)らなければいけないという気持ちが自然と芽生(めば)えていきました。
多くの国民が共通して抱(いだ)いた熱意は、陛下がご巡幸を終えられた昭和30年代になって一気に爆発(ばくはつ)して復興への目覚(めざ)ましいエネルギーとなり、国民全体の大きな「やる気」となって我が国を引っ張り、高度経済成長、そして経済大国への道を切り開いたのです。
何事においても、物事の結果には必ずその原因が存在します。我が国の戦後復興の根本(こんぽん)には昭和天皇のご巡幸があることを、私たちは感謝するとともに決して忘れてはいけませんね。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
戦時中は天皇陛下というお名前を発しただけでも、恐れ多いこととしてその存在は絶対的であり、更に神として崇められてきた存在だっただけに、陛下が直接国民の前に立たれて励ましの言葉を発せられるという行為は、奇跡に近い事であってより心に深く刻まれた思いだったのでしょうね。
今でも勿論、被災という大きな痛手を受けて心が落ち込んでいる状態に陛下に直々にお言葉を掛けていただくことは非常に感慨深いことだと思います。
今日は被災地には雪が降っていますね。
燃料も毛布も不足している状態で、自然は
何処まで
彼らを苦しめるのでしょう。。
本当に心苦しく感じます。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 戦時中は天皇陛下というお名前を発しただけでも、恐れ多いこととしてその存在は絶対的であり、更に神として崇められてきた存在だっただけに、陛下が直接国民の前に立たれて励ましの言葉を発せられるという行為は、奇跡に近い事であってより心に深く刻まれた思いだったのでしょうね。
> 今でも勿論、被災という大きな痛手を受けて心が落ち込んでいる状態に陛下に直々にお言葉を掛けていただくことは非常に感慨深いことだと思います。
仰るとおり、現代であっても陛下のお姿やお言葉に勇気付けられることが多いですから、ましてや終戦直後の国民にとってはなおさらのことだったでしょう。仰るとおり、感慨深く心に刻まれたことと思います。
> 今日は被災地には雪が降っていますね。
> 燃料も毛布も不足している状態で、自然は
> 何処まで
> 彼らを苦しめるのでしょう。。
> 本当に心苦しく感じます。
私も同じ思いです。
一日も早く、気候のうえばかりでなく本当の「春」が被災地の皆様に訪れることをただただ祈っております。
天皇陛下のお言葉
青田です。 こんにちは
いつも、歴史講座に参加し、質問をしている
青田です。
まず、最初に、
3月11日、東北関東沖地震の
被害に見舞われた皆様には心よりのお見舞いを申し上げます。
被災地の皆様のご無事と、一刻も早い復興を心より祈念いたします。
私も阪神大震災の経験者の兵庫県民だけに胸が痛みます。
ところで、皆様、本日の天皇陛下のビデオメッセージをご覧になられましたでしょうか。
私は、観ていて、涙がでそうになりました。
避難所では、食糧・水が不足していることが
深刻化していますが、
そえれよりも、精神的な障害のほうが大きいと
聞きます。
こういう時に、天皇陛下のビデオメッセージは
本当に大きな力になりますね。
実は、本日は、朝から、天皇陛下のメッセージが
あるという気がしていました。
これは、『今、天皇陛下のお言葉があるとどれだけ
被災者が勇気つけられるだろう。』という願いが
叶った気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 私も拝見しました。
何というもったいないお言葉でしょうか。
被災者の皆様を始め、我が国民が一つとなって、復興へと力強く進みたいものです。
陛下のメッセージはこちらでもご覧いただけます。
http://www.youtube.com/watch?v=Y7PNP-mYDkM
心配していること
青田です。 こんにちは
青田です。
テレビのニュースで、心配していることがあります。
それは、『首都圏』で、『食糧の買い占め』『燃料を買い占め』をしている人がいるとのことです。
食品や他の物品が、被災地へ届かなくなってしまうことは、避けなければいけません。
黒田先生の歴史講座で
『天明の大飢饉』で、老中の田沼意次が、
西日本のコメを東日本に廻そうとして、松平定信がコメを買い占めて、東日本で、餓死者が続出したのを思い出しました。
黒田先生は、どう思われますでしょうか。
青田さんへ その2
黒田裕樹 昭和40年代終盤のオイルショックのような状況になってきましたね。
今は被災者の支援が何よりも大切ですから、自分のことよりも周囲に目を向けてほしいのですが…。
買い占めやめよう作戦
青田です。 黒田先生
お疲れ様です。
青田です。
現在、首都圏で、買い占めが起こり、被災地に
十分な物資が行かない危険性があるそうです。
Twiter上で、『買い占めやめよう作戦』が広がっています。
このポスターは、本当によく、出来たポスターだと思います。
http://japan.zdnet.com/sp/eq2011/35000628/
このポスターを
黒田先生は、どう思われますか?
青田さんへ その3
黒田裕樹 よくできたポスターですね。
啓発にふさわしいとは思いますが、後は国民の意識次第ですから…。
トップの言葉
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
管総理が原発事故の処理をする消防隊にたいして
現場から、離れたから厳罰に処すと言ったそうです。
それにたいして、石原知事は、『現場の消防隊員の
気持ちを考えずに何ということを言う!』と抗議し、管総理は、謝罪したそうです。
http://www.sanspo.com/shakai/news/110322/sha1103220507015-n2.htm
私は、自分の命をかけて、原発事故に対処した現場の人間には、勲章を与えるべきだと思います。
彼らは、本当の英雄だからです。
大量の放射能の近くで、活動する作業員は、どれだけ不安で、つらかったか。
作業員とその家族のことを思うと胸が痛みます。
マスコミももう少し、その作業に当たった人達に
感謝の内容を報道して欲しいと思いますが
黒田先生は、どう思いますか。
青田さんへ その4
黒田裕樹 後方で指揮をとる人間よりも、現場で命がけで働いている人々のほうがはるかに凄いですからね。
仰るとおり、もっと感謝できるような報道があってもよいとは思いますが…。
フィルターを通しているような報道姿勢には問題があるでしょうね。
現在のローマ法王は第265代のベネディクト16世ですが、先代のヨハネ・パウロ2世が昭和56(1981)年、ローマ法王として初めて来日(らいにち)されました。その際に法王はお自ら昭和天皇をご訪問されたのですが、このことが世界に大きな衝撃(しょうげき)を与えました。
なぜなら、ローマ法王が外国をご訪問されてその国の元首や首相にお会いになる際は、訪問先の元首や首相が法王を訪(たず)ねて会いに来るのが慣例だったからです。法王ご自身が皇居までお出かけになられて陛下にお会いされるというのは前例のない、非常に大きな出来事だったのでした。
そして法王が昭和天皇に面会なさった際に、陛下が右手を差し出されて握手をされようとすると、法王は両手で受け止められました。これは世界最高の権威でいらっしゃるローマ法王が、昭和天皇を自分よりも上の存在であるとお認めになった歴史的な瞬間(しゅんかん)でもありました。
なぜ法王はそのように思われたのでしょうか。それは、昭和天皇をはじめとする皇室の方々には、脈々(みゃくみゃく)と受け継(つ)がれた「奇跡の血統(けっとう)」が存在するからです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
これからこちらは計画停電が始まるようなので
お昼にお邪魔させていただいていますm(_ _)m
今日のお話は、以前伺った事があります^^
やはり日本の天皇制歴史の重みというのは
重要なんですね!黒田さんも是非、これから先も
ブログや講座を継続されますよう、微力ながら応援しています^^・
花粉症もどうぞお大事になさってください。
それでは、応援凸
あっ、これは不思議に思った。
晴雨堂ミカエル ローマからは異教徒の「王」に過ぎないのに、なぜそんな敬意をはらうのか不思議でした。
ローマ法王は少なくともヨーロッパの国家元首や王より上席、いわば戦国時代の天皇と大名の関係に近い。
私はひねくれているので、異教徒懐柔策の伝統が続いているのかと思っていました。
追記。
晴雨堂ミカエル それから先代法王は歴代の法王の中では革新的で、キリスト教の功罪を認め、異教徒との和解に積極的でした。
だからどこの国の元首にも同じように接したかな、とも思いましたが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんにちは!
> これからこちらは計画停電が始まるようなので
> お昼にお邪魔させていただいていますm(_ _)m
有難うございます。
関東地方は大規模停電もあり得るとか…。厳しいですね。
> 今日のお話は、以前伺った事があります^^
> やはり日本の天皇制歴史の重みというのは
> 重要なんですね!黒田さんも是非、これから先も
> ブログや講座を継続されますよう、微力ながら応援しています^^・
> 花粉症もどうぞお大事になさってください。
我が国における皇室のご存在の重みは、外国から見るとよく分かるんですよね。
私の体調にまで気遣って下さり、感謝いたします。
こんなご時世ですが、講座は毎日続けたいと思っております。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 ヨハネ・パウロ2世は確かにそれまでの法王とは違って革新的でしたが、だからこそご自身の地位の重みをよくご存じだったと拝察します。
ちなみに他の君主にはそれまでの慣例どおりだったらしいですよ。
125人の中には女性の天皇もおられますが、いずれも神武天皇の直系(ちょっけい)にあたられる、いわば「男系(だんけい)の女性天皇」であり、女系(じょけい)、すなわち神武天皇の血を全く受け継いでおられない天皇は、過去に一人も存在しません。
これだけ長い間同じ血を受け継がれてきた皇帝(こうてい)は我が国の天皇以外、世界のどこにもいないのです。いわば我が国の天皇は「世界最古にして最後の皇帝」であり、まさに「皇帝の中の皇帝」なのです。
だからこそ、ローマ法王は自然と昭和天皇に敬意を表され、また昭和天皇が外国をご訪問された際にはイギリスのエリザベス女王は上座(かみざ)をお譲(ゆず)りになり、アメリカのフォード大統領(だいとうりょう)は最高の敬意を表すホワイトタイで出迎えたのです。また、現在のオバマ大統領が来日して今上陛下に面会した際に、深々と頭を下げていたのは記憶に新しいですね。
神武天皇の男系の血は、今上陛下から秋篠宮殿下(あきしののみやでんか)を通じて悠仁親王(ひさひとしんのう)殿下に現在も受け継がれておられます。ローマ法王とともに並ぶ世界のトップ2に、キリスト教信者でなく、また白色人種(はくしょくじんしゅ)でもない天皇があらせられるという非常に重い現実を、私たち日本国民も光栄に思いながらしっかりと守り続けていきたいですね。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!今朝ほどは温かいお言葉をいただきありがとうございましたm(_ _)m
今日も午後から停電となりますので、先に黒田さんの所へお邪魔させていただきたいと思います。私のブログへいただいたコメントへのお返事は夕方以降になってしまうかもしれません。申し訳ありませんm(_ _)m
今日のお話を伺って益々日本の歴代の天皇の存在に改めて敬意を表するともに、日本という国の国民として生まれてこれた事にまた新たな喜びを感じました^^
オバマ大統領が恭しくお辞儀をしている場面は記憶に新しいです^^
それでは、応援凸
また、お邪魔させてくださいね!
mochimochi そういえば、天皇陛下の声明が昨晩ありましたよね。ありがたいです。
そのお言葉の中で、日本国民が冷静に対処していることが述べられていました。
今まさに危険な場所におられる方に、何の言葉をかけて良いか分かりません。本人達は冷静でいられないにもかかわらず、取り乱さずにおられるというのは、本当に心うたれます。
天皇陛下のもとに一つとなり、頑張りたいですね。
ブログ更新ありがとうございます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今日のお話を伺って益々日本の歴代の天皇の存在に改めて敬意を表するともに、日本という国の国民として生まれてこれた事にまた新たな喜びを感じました^^
> オバマ大統領が恭しくお辞儀をしている場面は記憶に新しいです^^
ぴーちさんの思いは私も同感です。
先日のメッセージといい、我が国は皇室に支えられているということを実感させて下さいますね。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > そういえば、天皇陛下の声明が昨晩ありましたよね。ありがたいです。
> そのお言葉の中で、日本国民が冷静に対処していることが述べられていました。
> 今まさに危険な場所におられる方に、何の言葉をかけて良いか分かりません。本人達は冷静でいられないにもかかわらず、取り乱さずにおられるというのは、本当に心うたれます。
> 天皇陛下のもとに一つとなり、頑張りたいですね。
私もそう思います。
陛下のメッセージには感激しますし、また名もない人々の命がけのご努力には、本当に頭が下がる思います。
> ブログ更新ありがとうございます。
いえいえ、私にできることをさせていただいているだけですから…。
なおまゆ もうすぐ計画停電になります。
ささやかな助け合いが無能な政府に関係なく行われ大きな混乱がないのは日本ならではデスよね。
日本人の根底にある『天皇陛下への畏敬』を忘れてはならないと思います。
黒田さんのブログはそれを正しく思い起こさせてくれます。
今も、テレビを観ていますが、テレビ局のカメラが現地に入るなら、救援物資を少しでも届ければよいと思います。届けているのかもしれませんが、伝わってこないのが残念で腹立たしく思います。
報道の自由以前に考えることがあると思います。
天皇陛下の『公の精神』を少しでも学んで欲しい。切に願います。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
今回の震災ほど、報道の在り方を私たちに問いただしていることはないと思います。
計画停電なら、深夜放送の自粛や放送局の「輪番停波」を行っても良いはずですし。
現状の混乱を思えば、無私に徹された陛下の大御心の素晴らしさには感動ですね。
皇太子殿下
青田です。 皇太子殿下
皇太子殿下が、英国王子の結婚式に欠席することをお決めになられましたね。
マスコミでは、小さく、扱われましたが、
こういう時にこそ、マスコミは、天皇陛下、皇太子陛下の被災地を勇気づけるメッセージとして
ゴールデンタイムに流さないのかと憤りを感じます。
それと話は、変わりますが、救援物資の提供を各自治体が受付を行っているのですが
1箱単位以上、あるいは、毛布は、新品でないといけないとされています。
箱詰めすれば、一箱になると思うのですが、
こういう規制があると一般の人の救援物資の
提供が減ると思うのですが、
黒田先生は、どう思われますか?
青田さんへ
黒田裕樹 殿下に関しては、我が国の現状をお考えになってのご決断と拝察できるだけに、仰るとおりだと思います。
後者については、同じ救援物資を送るにしても各自がバラバラでは現地での支給に支障が出る恐れがあるからという判断ではないでしょうか。
物資も重要ですが、義援金という手段もありますので、送る側の考え次第だと思います。
オバrev 今回の大震災で、日本人の礼儀正しさが海外から大変高く評価されています。
様々な時代を経ながら長い間絶えることなく引き継がれてきた天皇の血統への思いが我々日本人の心にあることも大きいと思います。
この大震災は日本に大きな打撃を与えましたが、その危機を救うために日本の各地から支援が行っていますし、福島第一原発事故では、まさに日本の叡智を結集し、命がけで現場の方達は作業をしておられます。
海外からも多くの支援が来ています。
黒田先生の記事や、最近のニュースを聞いていて、何とか原発が安定化したその後には、困難はあってもおそらく日本は力強く復興していくことは間違いないと確信しています。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、天皇・皇室を中心とする我が国の長い歴史が国民の背骨となって支えておられると思います。
第二次大戦後の廃墟から立ち上がった我が国です。
今回も今上陛下のメッセージを受けて、我が国はきっと復興するでしょうし、またそうしなければなりません。
昭和57(1982)年、歴史教科書において外国が一方的に不利となる記述があったとして大問題になりましたが、後に全くのデマであったことが明らかになりました。しかし、この「教科書誤報事件(きょうかしょごほうじけん)」に対するマスコミの謝罪(しゃざい)は、一部の例外を除いてついになされることがなく、その後の「近隣諸国条項(きんりんしょこくじょうこう)」という名の自主規制(じしゅきせい)によって、健全な青少年の育成に欠かせない歴史教科書が外国の干渉(かんしょう)を平気で受けいれるようになってしまいました。
さらに昭和60(1985)年、当時の中曽根康弘(なかそねやすひろ)首相が終戦記念日の8月15日に靖國神社(やすくにじんじゃ)を公式に参拝(さんぱい)した際に、中国や韓国といった特定の国家の猛反発(もうはんぱつ)を受けたことで、以後10年以上にわたって、国政における最高権力者が我が国のために尊(とうと)い生命を捧(ささ)げられた多くの人々の御霊(みたま)をお慰めできないという異常事態を招いてしまいました。
翌昭和61(1986)年の終戦記念日の際に、昭和天皇は以下の御製をお詠みになっておられます。
「この年の この日にもまた 靖國の みやしろのことに うれひはふかし」




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
今日は日中の気温が高かったお陰で、計画停電が実施されずに過ごしておりますが、仕事があった為に今になってしまいましたm(_ _)mけれど、停電が無いということがこんなに有難いものかと感慨深いものを感じております^^
そうでしたか・中曽根さんの時からだったんですね。この内政干渉が甚だくなったのは・・・。
余り外国の言い分や、文化を軽々しく受けてしまうのも、良し悪しですよね。
今回の中国軍隊受け入れを検討するしないの話も、簡単に受け入れが行われない事を祈りますが。。
それでは、応援凸
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ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今日は日中の気温が高かったお陰で、計画停電が実施されずに過ごしておりますが、仕事があった為に今になってしまいましたm(_ _)mけれど、停電が無いということがこんなに有難いものかと感慨深いものを感じております^^
お言葉に実感がこもっておられますね。
当たり前に思っていることが失われたとき、どれだけ不便で悲しいものでしょうか…。
> そうでしたか・中曽根さんの時からだったんですね。この内政干渉が甚だくなったのは・・・。
> 余り外国の言い分や、文化を軽々しく受けてしまうのも、良し悪しですよね。
> 今回の中国軍隊受け入れを検討するしないの話も、簡単に受け入れが行われない事を祈りますが。。
今回取り上げた二つの出来事がそもそもの混迷の始まりですね。
中国軍の受け入れだなんて、ブラックジョークも良いところですよ。
米軍に関することも含め、自分の国は自分の防衛隊(=自衛隊)で守るべきものなんですから。
管理人のみ閲覧できます
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教育勅語
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
田母神さんが、『教育勅語』を復活させるべき。
と言っていました。
田母神さん曰く
『こう話すと、軍国主義の復活と叫ぶ人がいるから、その人に教育勅語を読んだことがあるのか』と尋ねると
『読んだことがない。』と答えるそうです。
田母神さん曰く
『教育勅語には、当たり前の普通のことしか書いてない。』というので
『教育勅語』を調べると
本当に当たり前の道徳教育に必要なことが
書いてありました。
好きな部分を抜粋します。
あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし
、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
『本当に純粋な道徳教育』ですね。
軍国主義とは、まったく、関係ありません。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、教育勅語は軍国主義とは未関係です。
GHQの命令で占領中に国会で無効決議をさせられたのが尾を引いていますね。
外国では教育勅語の精神がいまだに生きているそうですが…。
陛下のご無念のお気持ちは、以下の御製で私たちもうかがい知ることができます。
「思はざる 病(やまい)となりぬ 沖縄を たづねて果(はた)さむ つとめありしを」
実はこのとき、昭和天皇は病魔(びょうま)に蝕(むしば)まれておられました。宮内庁は陛下の玉体(ぎょくたい、天皇などの身分の高い人物のからだのこと)にメスを入れる決断を下しました。手術は成功して昭和天皇はお元気を取り戻(もど)されましたが、翌昭和63(1988)年の夏頃から急激(きゅうげき)に体調が悪化されました。
終戦記念日の8月15日に日本武道館(にっぽんぶどうかん)で行なわれた全国戦没者追悼式(ぜんこくせんぼつしゃついとうしき)に際して、昭和天皇はご療養先(りょうようさき)の那須御用邸(なすごようてい)からヘリコプターで駆けつけられましたが、そのやつれたお姿に対して多くの国民は息をのみました。この日の陛下の御製は以下のとおりです。
「やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど」




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
そうです。あの時は天皇陛下のご病気の報道が随時テレビで報道されておりましたね
(-_-;)
下血なされたとの言葉が一番印象に残っています。
生きている限り、どんなに地位が高い人や、或いは大金持ちであっても生老病死は平等に訪れ、避けては通れませんが、天皇陛下もさぞ心残りだった事でしょう。
その時の無念のお気持ちが伝わる御製ですね・
応援凸
しー “しー”としては初コメですね…笑
リンクの件ですが…
こ、こちらこそよろしくお願いしますっっ!!!!
あぁ…もうちょっと前から読まないとわかりませんね……。
読み甲斐あります^^
きゃす 遅くなりましたが、コメントありがとうございました。
とても励みになる言葉を頂きました、本当にありがとうございます。
というか、以前からずっと読んで頂いてたようで嬉しいですw
このブログを読むと教科書では学べないことなども知ることができて大変勉強になります。
日本史は大好きなので、今後も楽しみにしてますね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうでしたね。
ずっと願われておられた沖縄へのご行幸がかなわなくなった陛下のご無念はいかばかりでしたでしょうか…。
しーさんへ
黒田裕樹 > “しー”としては初コメですね…笑
ようこそ当ブログへ!!(^ω^)
> リンクの件ですが…
> こ、こちらこそよろしくお願いしますっっ!!!!
有難うございます(^_^)v
早速リンクさせていただきますね。
> あぁ…もうちょっと前から読まないとわかりませんね……。
> 読み甲斐あります^^
毎日更新していますからね(^^ゞ
ゆっくり読んで下さいね(^o^)/
きゃすさんへ
黒田裕樹 > 遅くなりましたが、コメントありがとうございました。
> とても励みになる言葉を頂きました、本当にありがとうございます。
> というか、以前からずっと読んで頂いてたようで嬉しいですw
かなり前からお邪魔してますよ(^^♪
お役に立てて良かったです。
> このブログを読むと教科書では学べないことなども知ることができて大変勉強になります。
> 日本史は大好きなので、今後も楽しみにしてますね!
進学しても日本史は重要ですからね。
今後ともよろしくお願いします。