日常生活では、古墳時代の前期から中期にかけては弥生土器の系統に属する赤焼きの土師器(はじき)が用いられましたが、5世紀中ごろになると、朝鮮半島から伝わった技法による、硬質で灰色の須恵器(すえき)もともに用いられるようになりました。
また、当時の男性は、筒袖(つつそで)の衣に乗馬ズボン風の袴(はかま)を着用し、髪を左右に分け、耳のところで三つ編みなどに束ねる美豆良(みずら)に結っていました。一方、女性は筒袖の衣にスカート風の裳(も)を着け、大きな髷(まげ)を結い、耳や首、腕などに装身具(そうしんぐ)を身につけていました。
これらの姿は、古墳から出土した人物埴輪(じんぶつはにわ)に表現されています。




いつも有難うございます。
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ヒロキ なるほど!!あの独特な髪形は美豆良っていうんですかね(*^_^*)
勉強になります!!
ぴーち こんばんは!
この時代から、女性は装飾品を身に付けるようになっていたんですね^^
男性が髪をみつあみしていたんですね。確かに
そういうイラストを拝見した事があります^^
現代の男性も同じようにしている姿、見てみたいですが’笑
それでは、応援です凸
店長 こんばんは。
あらあら・・
インフルエンザの影響で延期ですか・・
もうすぐでしたので、テンションを維持するのは
大変でしょうが、仕方ない・・・・・ んですかね?
いずれにせよ、がんばってください。
応援してます。 では
ヒロキ様
黒田裕樹 美豆良(みずら)は「角髪」とも書きます。中国大陸から冠が普及するまでは、貴族の髪型の定番でした。冠をかぶるようになってからは、主に少年の髪型になります。
聖徳太子像で、太子の両脇にいる子供たちが美豆良の髪型をしていますね。
ぴーち様
黒田裕樹 有難うございます(^^♪
美豆良は見た目が結構可愛らしいですから、案外今のイケメンに似合うかもしれませんね。そういえば10年ほど前に本木雅弘氏が聖徳太子を演じた際に、少年時代の太子を美豆良のカツラを付けて演じていました。
店長様
黒田裕樹 ギリギリまで開催しようかどうか迷っていたんですが、休校こそほとんどの地域で解除されたものの、終息宣言が出された訳でもなく、一週間後に再び蔓延しないという保証がない以上は、大事をとりました。残念です(>_<)
とはいえ、中止ではなくあくまで「延期」ですから、モチベーションを落とすことなく、普段のブログの更新に励むことにしますので、今後とも是非お越し下さい。
ケンシロウ こんにちは。
講座は6月に延期されたようですね。
新型インフルエンザの影響って恐ろしいですね。
さすらい こんばんは。
少しずつ我が国も
身なりの文化が出来てきたんですね。
千年後、我が国の未来人は
昭和、平成の時代の身なりを見て
どう思うんでしょうね(笑)
応援♪
ケンシロウ様
黒田裕樹 無念ですが1ヶ月延期です。
その分、時間をかけて完璧な講義が出来るようにしたいです。
…新型インフルエンザ、来月末までには収束してほしいですよね(´・ω・`)
さすらい様
黒田裕樹 埴輪のお陰で、当時の服装がわかるようになりましたね。
今から1000年前といえば平安時代。貴族の男性は束帯・衣冠で、女性は女房装束でしたが、風流さが感じられますね。
西暦3000年の我が国はどうなっているのでしょうか…。
春にその年の豊作を祈る祈年祭(としごいのまつり)や、秋に一年の収穫を感謝する新嘗祭(にいなめのまつり)は特に重要な行事であり、この頃に流入した外来文化とも融合(ゆうごう)して、我が国独自の伝統文化が形成されていきました。
尚、祈年祭や新嘗祭は、皇室の重要儀式として現代においても行われています。また、新嘗祭は明治以後は大祭日となり、現在でも「勤労感謝の日」という名の国民の祝日として残っています。
当時の人々は、海や山などの自然に神が宿ると信じて自然神を祀(まつ)ったり、祖先の神を祀るための社(やしろ)をつくったりしました。また、心身の汚(けが)れをはらい、災いから免れるために清らかな水に入って体をすすぐ禊(みぞぎ)や祓(はらい)を行い、鹿の骨を焼いて吉凶を占う太占(ふとまに)も行われました。
さらには、裁判において熱湯の中に手を入れさせ、手がただれるかどうかで真偽(しんぎ)を判断するという神判(しんぱん)の盟神探湯(くかたち)も行われました。




いつも有難うございます。
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ヒロキ 祈年祭と新嘗祭は現在でも行ってるんですか!?
名前は知っていたのですが、実際に見たことないので興味あります(*^_^*)
この頃は呪術的な占いが多いですね。
ケンシロウ こんにちは。
盟神探湯(くかたち)って初めて聞きますが
こんな時代から訳の分からん宗教団体のようなことを
やっていたのですね。
ヒロキ様
黒田裕樹 祈年祭も新嘗祭も皇室の儀式なので、残念ながら私も実際に目にしたことはありません。
占いが多いのは、呪術的な力で政治を行っていた名残でしょう。政治のことを現在でも「まつりごと」といいますし。
新嘗祭は現在では11月23日に行われています。追記しましたので、また是非ご覧下さい。
ケンシロウ様
黒田裕樹 古代には科学という概念がなく、呪術的な力がすべてを支配していましたから、現代においては仰るとおり「訳の分からん宗教団体」しかやらないことをやっていたんですね。
ちなみに時代は下って、足利義教や織田信長も似たようなことをやっています。
さすらい こんばんは。
まだまだ人間的に発展途上
だったんですね。
まあ、現代でも人間なんて未完成ですが
「熱湯の中に手を入れさせ」
はキツイですね。
せめて熱湯風呂で笑わせて欲しいです(笑)
応援♪
さすらい様
黒田裕樹 「熱湯風呂」とはいいですね~(笑)
もっとも、TVでは演出だけで、実際には違うらしいですが…。
科学の力が証明されていない時代だったですから、人間の限界を超えることを平気で行っていたのかもしれませんね。
有難うございます!
くかたち・・・
h.hamauzu おはようございます。
くかたち・・・こんな字だったんですね。
学生時分より恐ろしいとは思ってましたが・・・
私は肌が弱いので、有罪確定ですw
おはようございます。
スズメちゃん 祈年祭や新嘗祭など、皇室の行事として耳にしたことがありますが、
この時代から続いていたのですね!
それが、勤労感謝の日として残っているなんて・・・
歴史を知るって、面白いですね。
残念ですね
オバrev 歴史講座の延期は残念ですね。早くこの騒動が収束してくれることを願ってます。
なるほど、新嘗祭が勤労感謝の日の元だったんですね。
この自然神を敬うというのは、縄文時代のアメニズムから続いていて、日本人のDNAとして刻まれているんじゃないかと思います。
h.hamauzu様
黒田裕樹 盟神探湯は確かに恐ろしいですよね。
肌の強弱に関係なく、ただれない人はいないと思いますが…。
あるいは勇気を試していたのかもしれませんね。
コメント有難うございます!