例えば、大陸の進んだ土木技術はそれまで不可能だった大規模な治水(ちすい)や灌漑(かんがい)事業を可能にし、優れた鉄製農具をつくることができる技術は、農業の生産性を大いに高めるなど、帰化人が我が国の産業や文化の発展に果たした役割は大きいものがあったのです。
また、漢字(かんじ)を我が国に伝えたのも帰化人でした。我が国にはそれまで文字の習慣がなかったのですが、漢字を使用して朝廷の様々な記録などを残すようになりました。
以前に書いた稲荷山古墳(いなりやまこふん)などから出土(しゅつど)した鉄剣(てっけん)にも、漢字の音(おん)を利用して人名(「獲加多支鹵大王=わかたけるのおおきみ」など)や地名などが刻(きざ)まれています。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!いつもありがとうございます^^
古墳時代に中国の文化が我が国に
渡って来たんですね!
現代では、日本人が途上国へ出向いて
井戸掘りの技術(上総掘り?)などを伝承している
ように、やはり技術が進んでいる国から、途上の国へ
技術が伝承されていき、それが生活を豊にしていくことは、喜ばしい事ですね!
それでは、応援させてくださいね^^
また、お邪魔します★
仏教伝来
オバrev 漢字は、5世紀前半に帰化人によって伝えられたんですね。なるほど~。
でも、仏教伝来は538年まで間が空きますが、一緒に伝わらなかったのがちょっと不思議です(・A・)?
さすらい こんにちは。
色々な文化を勉強するのはいい事ですよね。
ご先祖様たちも寡黙に勉強なさってくれたので
私たちの今があるので良かったです(笑)
応援♪
bunyan 黒田さんこんばんは~
昨日夜中に帰ってきました。
また、今日からはじめますね♪
黒田さんもがんばってくださいね。
智里 てっきり漢字は、仏教伝来の時に伝わったものかと思ってました。
欽明天皇が経典を受けて、漢字の文化が皇族、貴族から始まったと思ってたんですが、その前から伝わっていたんですね。
歴史って奥が深いな~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
ヒロキ 帰化人たちが品部として様々な技術が伝えられていくんですね(*^_^*)
この頃の帰化人のおかげで国が発展していくなんて嬉しいですね!!
ぴーち様
黒田裕樹 そうですね。
技術を持っている国が、持っていない国を助けるのも、また持っていない国が進んで教えを請うのも立派な外交だと思います。
その行為が結果として国を豊かにして、国民のためになるのならば尚更ですね!
オバrev様
黒田裕樹 漢字の伝来は、文字を持たなかった当時の我が国では画期的なことでした。また仏教については、国家レベルで伝えられたのは6世紀ですが、それ以前に帰化人の間で私的に崇拝されていた可能性もあります。
この点については、明日の講座でも取り上げる予定です。
さすらい様
黒田裕樹 仰るとおり、我が国の先祖が黙々と異文化を勉強してくださったからこそ、現代の我々があるのだと思います。我々も同じように努力して、後世にバトンタッチしたいものですね。
bunyan様
黒田裕樹 お帰りなさいませ!
ご旅行はいかがでしたか?
これからもお互いに頑張りましょう!(^o^)丿
また、6世紀に入ると百済(くだら)から五経博士(ごきょうはかせ)が来日し、我が国に医学・易学(えきがく)・暦学(れきがく)のほか、儒教(じゅきょう)を伝えました。さらに6世紀半ばには仏教(ぶっきょう)も百済から伝えられるなど、我が国の思想や倫理、道徳といった精神的な面でも大きな影響をもたらしました。
当時の我が国は、文化の面では確かに大陸や朝鮮半島に一歩先を譲っていましたが、そんな遅れを取り戻すかのように彼らの文化を積極的に受け入れようという姿勢が目立ちました。こういった先人の努力が、やがて時が経つと我が国独自の文化が花開く原動力になったのは間違いないでしょう。
尚、仏教が我が国に公式に伝来した年については、538年とする説と、552年とする説があります。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
もう既にこの頃から、日本人気質というべき、
勤勉さや、真面目さというのがあった訳ですね。
こういう祖先様が居たお陰で、
こんな国土も小さく資源も乏しい国が、先進国として
堂々としていられるんですね^^
応援させてくださいね!
またお邪魔します♪
海豚 無事(たぶん)に帰ってまいりましたっ。
コメありがとうございました♪
下の記事についてですが、
ついにワカタケルさん(笑)が出てきましたねぇ。
さすらい こんばんは。
聖徳太子の頃ですよね?
これからお話されるかもしれませんが
十七条憲法で史記に触れる部分がありますよね。
その史記に医学、易学、暦学、気学が含まれていて
それをどう解釈したかは謎のままです。
果たして当時の担当者が理解したかどうか(笑)
ピラミッドの謎を解明するのと同じで
我々の間でもそれはぼやけてますがね。
まあ、いつ医学が伝来したかは
それほど重要ではありませんし。
実際に使える医学になったのは
ずっとずっと後のことですよね。
いえ、インフルエンザで
これだけ騒いでいる現代ですら医学のことなんて
わかってないのかもしれません(笑)
応援♪
智里 どうして仏教がこれだけ広がったんでしょうね?
それまで日本人は神道を守ってきてたのに・・・。
やはり大陸に文化に染まったのでしょうか?
それとも聖徳太子の力が強かったのかな?
ま、いまではすっかり共存した存在ですけどね。
bunyan こんばんは~
我が国独自の文化の礎になったことは間違いないと思います。
ただ遣唐使がなくなってからが本当の我が国独自の文化が花開き始めたのじゃないでしょうか。
朝鮮半島からの影響だけでなく、隋や唐の影響をかなり受けたと思うのですけど、違いますかしら?
ヒロキ 仏教伝来以前にも、司馬達等という人が私的に信仰していましたね!
でもこのときの仏教は政治方面に利用されてしまうんですよねー(>_<)
こんばんは
ことぶきのこめや 漢字を受け入れ、平仮名を発明して、独自の文化を作り上げた日本人は本当にすごいですよね!
音読みと訓読みなど、先人達の英明さには、本当に頭が下がります!
ぴーち様
黒田裕樹 自国の文化が他国より遅れていると分かると、素直に教わって少しでも追いつこうとする努力は我が国のお家芸であり、古代からのDNAなんですね。
そんな先人のたゆまぬ努力の延長線上に我々がいるんだということを常に自覚したいものです。
海豚様
黒田裕樹 お帰りなさい!\(^o^)/
楽しかったですか?
仰るとおり、雄略天皇こと「ワカタケルさん」が登場しましたよ(笑)。
初めて聞くと、結構インパクトのある名前ですよね。
これからも歴史上の人物が次々と出てきますのでお楽しみに!
さすらい様
黒田裕樹 聖徳太子は6世紀末から7世紀にかけて活躍しますのでもう少し前になりますが、仰るとおり医学は奥が深いですよね。
我々が知らないことはまだまだたくさんあるからこそ、学問もまた成り立つと思います。
応援有難うございます。