金属器は、まず銅と錫(すず)の合金である青銅器が広まって、その後に鉄器が使用されるようになるのですが、我が国では青銅器と鉄器がほぼ同時に伝来しています。
このため、通常では まず青銅器が主流となった(=青銅器時代)後に青銅器よりも硬さなどの優れた金属である鉄器が用いられる(=鉄器時代)ようになるのですが、我が国においては鉄器が実用的な道具としてすぐに広まりました。
つまり、我が国では石器時代から青銅器時代を飛び越えていきなり鉄器時代に移行したと考えられています。
このあたりは世界史を勉強している人には大変ややこしいので、注意が必要です。




いつも有難うございます。
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とまと こんにちは(^O^)
青銅器と鉄って、ほとんど同時だったんですか。
またひとつ、勉強になりました♪
お礼のランキングぽち~×2
さすらい こんばんは。
コメントありがとうございます。
リンクよろしくお願いします。
青銅器時代を飛び越えて
いきなり鉄器時代なんですか。
我々の祖先は慌しかったんですね(笑)
応援です♪
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やっぱり歳でしょうか?
清家淳子 黒田先生、こんばんはぁ(^◇^)
青銅器と鉄って同時期だったんですね。
正直習ってて忘れてしまったのか、それとも授業を受けてないか、聞いてないか(笑)
こういう生徒やっかいですよね(笑)
これからも講義お願い致します!(^^)!
コメント有難うございます!
黒田裕樹 とまと様
さすらい様
清家淳子様
コメント&応援有難うございます。
詳しくは次回に書きますが、我が国に残っている青銅器と鉄器を比べると、実用性は鉄器のほうが圧倒的に高いんですよね。
青銅器に実用性がほとんど見られないということは、青銅器より優れている鉄器がほぼ同時に使用されていた可能性が高い…というわけです。
文化の伝来が遅かった分、我々の祖先は得をしているのかもしれませんね。もっとも、当時の人々はさすらい様のおっしゃるように慌しかったかもしれませんが(笑)。
初めて知ったとしても、忘れていたとしても、これから理解して下されば鬼に金棒だと思いますので、今後とも宜しくお願いします♪
青銅器は、当初は朝鮮半島から輸入されましたが、すぐに国産されるようになりました。国産の青銅器としては銅鐸(どうたく)や銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)・平形銅剣(ひらがたどうけん)などがあり、いずれも朝鮮半島のそれよりも大きく、また幅広い形でつくられています。
これら国産の青銅器のうち、銅鐸は近畿地方を中心に、銅矛・銅戈は北九州を中心に、平形銅剣は東瀬戸内海を中心に分布しており、青銅器が広まった地方は、いずれも文化の先進地域として栄え、祭祀(さいし)を中心とした大きな連合体が作られていたと考えられています。
尚、島根県の荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)は、大量の青銅製祭器が発掘されたことで有名です。




いつも有難うございます。
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車寅三郎 ときどき覗かせていただいています。
質問が1点。
「縄文時代の人口はどれくらでしたでしょう」。
どうぞご教示を。
車寅三郎様
黒田裕樹 はじめまして。お越し下さいまして有難うございます。
ご質問の件ですが、様々な説がありまして一概には言えませんが、この当時は寿命が短かったこともあったのか、数万人~十数万人で推移していたという説が有力なようですね。
これからも宜しくお願いします。
bunyan こんばんは~
いつもコメントありがとうございます。
黒田さんのフアンが増えるといいですね。
ランキングアップに応援してポチッ三回しておきますね。
bunyan様
黒田裕樹 いつも応援有難うございます!
ここ数日でアクセスが急増して有難い限りですが、多くの方がご覧になるということで自分の書く文章に責任も感じております。
お互いに頑張りましょう。
bunyan様の次の更新も楽しみにしております!
♪もふ♪ こんばんは!!
いつも勉強させてもらっています^^
応援PPさせてもらいました^^
またお邪魔させてもらいます(^o^)丿
さすらい こんばんは。
最初に青銅を調合し
青銅器を発明した古代人は凄いですよね。
それが朝鮮半島を渡り
我が国に来て、すぐに国産ですか。
我々の祖先は器用だったんですね。
青銅製祭器
勉強になりました。
応援♪
♪もふ♪様
黒田裕樹 いつも有難うございます!
♪もふ♪様のように「身につく」内容の書き込みができますよう頑張りますね。
また訪問させていただきます!
さすらい様
黒田裕樹 こんばんは、いつも有難うございます。
おっしゃるとおり、青銅の技術を発明した古代人は凄いです。
また、輸入した青銅器を直ちに国産化してしまう我が国の技術力も素晴らしいものがありますね。
昔から手先の器用さ、加工の上手さは折り紙つきの我が国ならではだと思います。
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ところで、弥生時代の大きな特徴の一つに、土器の進化があります。この時代の土器は、縄文土器に比べて薄手(うすで)で赤褐色(せっかっしょく)を帯(お)びており、また良質の粘土を高温で焼いているために堅いものが多いです。
弥生土器は主として煮炊き用の甕(かめ)や貯蔵用の壺(つぼ)、食物を盛るための鉢(はち)や高杯(たかつき)などに用いられました。
ところで、皆さんは この時代のことをなぜ「弥生時代」と呼ぶかご存知ですか?
弥生土器が最初に発見された場所にヒントが隠されています。




いつも有難うございます。
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さすらい こんばんは。
3月に弥生さんという方が
文京区弥生で土器を発掘した
からです(笑)
日本の祖先も
段々進化してきましたね。
明日の講義も楽しみです。
お祝いコメありがとうございました。
また色々助かりました。
応援です♪
こんばんは^^
のらねこみゅー 思わず調べてしまいました^^;
調べてついでに他のこともわかって為になりました~♪
さすらい様
黒田裕樹 もしもし、答えを先に言わないで下さい(笑)。
さすらい様は本当に正解されたのか、すべては明日(15日)の正午頃に判明します。
次回をお楽しみに(って、ドラマじゃないんだから)!
また是非お越し下さい♪
のらねこみゅー様
黒田裕樹 講義の楽しみは、聞くことはもちろん、疑問に思うことがあれば自分で調べることにもあります。
自分で調べた知識はそう簡単に忘れないものですからね(私がそうですし)。
お喜びいただいてこちらも嬉しいです!
bunyan こんばんは
コメントがおくれました。
ごめんなさいね。
明日史跡めぐりに行く準備のために史料あさりをしていたのと、明日の記事の下書きをしていて、黒田さんのブログをのぞけませんでした。
二つともポチッしていきます。
黒田さんの歴史講座は、もっとたくさんの若い人たちに読んでもらえるといいですね。
応援しますよ。
bunyan様
黒田裕樹 いえいえ、お忙しいときでもご訪問下さって感謝しております。
一応高校生向けの内容にしておりますし、若い人々にたくさん見ていただきたいのはもちろんですが、いろんな年齢層の皆様に様々な評価をいただけるのも楽しみですね。
いずれにせよ、ここ数日の訪問される方々の急増は有難い限りです!
bunyan様のブログにもまた伺いますね♪
答えはまだ言わないで(;_;)
清家淳子 私すごい気になります(*u_u)
答え聞く前に調べたい(*u_u)
でも本日携帯のみなので、調べるのも時間かかりそう(ノ_・。)
しかも伊賀に今向かってます(→o←)ゞ
帰って時間に余裕あれば調べます
清家淳子様
黒田裕樹 平日は業務の関係上、予約投稿をしているので間に合いませんでした。どうぞご理解下さい。
今後とも、当ブログを宜しくお願いします。
1884(明治17)年3月2日、東京都本郷区向ヶ岡弥生(やよい)町(現在の文京区弥生二丁目)の向ヶ岡貝塚(むこうがおかかいづか)で今までにない様式の壷(つぼ)が発見されました。この土器は発見された地名から「弥生土器」と命名され、やがて弥生文化、弥生時代とその名が広まっていくことになったのです。
…今の文章をさらっと読んだ人、何か気がつきませんでしたか?
弥生土器が発見されたのは、1884(明治17)年の3月2日…
そう! 弥生に発見されているんですよ!
なんという偶然!
ところで、縄文土器と弥生土器の違いを下記にまとめておきましたので、よろしければ参考にして下さい。
縄文土器 → 厚手・黒褐色・低温・もろい
弥生土器 → 薄手・赤褐色・高温・硬い
それから、弥生時代の代表的な遺跡としては、これまでに挙げた静岡県の登呂遺跡(とろいせき)や島根県の荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)のほかに、福岡県の板付遺跡(いたづけいせき)や、佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)があり、板付遺跡や吉野ヶ里遺跡では大規模な環濠集落(かんごうしゅうらく)が有名です。
また、最初に土器が発見された向ヶ岡貝塚を含む地域は、現在では「弥生二丁目遺跡」という名で史跡(しせき)に指定されています。




いつも有難うございます。
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歴史は必然?
オバrev 黒田様 コメントありがとうございました。
学生時代、日本史は得意ではなかったけど、好きでした(^^;)
決して偶然ではなく、時代背景や複雑な人間関係や支配者の強欲などによって必然的に動いていたんじゃないかと思ってます。
しかし弥生の名前の起源は知りませんでした。
弥生時代の遺跡って、西日本が多いですよね。米作りが西日本でしかできなかったからですかね?
おぉ、板付遺跡も弥生時代の遺跡なんですね。
息子が福岡にいるので今度行ったときに訪れてみます。
オバrev様
黒田裕樹 こちらこそコメント有難うございます。
おっしゃるとおり、一見偶然に見える出来事も、一本の線でつながっていることが多いのが歴史です。
その謎を解き明かすのも、実に楽しい作業でもあります。
弥生時代の遺跡が西日本に多いのは、以前の講座にも書かせていただきましたが、稲作に向いているか否かというのが大きな理由になります。
遺跡の旅もなかなか楽しいものですよね。是非お勧め致します。
また是非お越し下さい。こちらも伺わせていただきます。