人々は水田の近辺で生活した方が便利なので、平地に定住するようになりました。住居も縄文時代の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)から、やがて掘立柱(ほったてばしら)の平地式建物が多くなり、住居が集まってつくられた集落の規模も、住居が増えることによって次第に大きくなっていきました。
集落が大きくなるにつれて問題になるのは、いかにして集落全体を外敵から守るかということです。そこで人々は、集落の周りに深い濠(ほり)や土塁(どるい)をめぐらしました。このような集落のことを環濠集落(かんごうしゅうらく)といいます。
また、農業は狩猟(しゅりょう)や漁撈(ぎょろう)以上に気候に左右されやすいことから、人々は太陽や月などの自然に霊(れい)が宿ると信じており、豊かな収穫を祈り、また収穫を感謝する祭りを重んじました。これらの祭りに用いられたのが青銅製祭器(せいどうせいさいき)です。
尚、青銅製祭器については後日改めて学習します。




いつも有難うございます。
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とまと こんにちは(^O^)
いい加減にならってきた歴史のやり直しに、ピッタリですね♪
コツコツ、読ませて頂いております。
ありがとうございますm(__)m
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とまと様
黒田裕樹 ご訪問&クリック有難うございます!
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bunyan こんばんは
ホント歴史の授業に出ているような錯覚に陥る表現ですね。
やはり先生に花〇ひとつです~
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bunyan様
黒田裕樹 いつも有難うございます♪
ブログをご覧になるお一人お一人が大切な教え子のつもりで更新しています。
bunyan様を見習って(?)、もう一つのランキングも始めました。少しでも近付きたいですね。
カンゴウ集落って習った?
清家淳子 只今歴史得意だったのにとへこんでます(*u_u)
やっと法隆寺の前ですよ(*u_u)
いやぁ、黒田先生にお見せしたいけど真っ暗(笑)
中宮寺もあるらしいっす(^O^)/
今度明るいうちに行って、アップしますね(^-^)/
黒田先生、花粉症大丈夫ですか?
私今目がかゆくて死にかけです(*u_u)
共に花粉症の季節乗り切りましょ(=^▽^=)
清家淳子様
黒田裕樹 花粉症は家に帰ってやっと落ち着きました。
最近は鼻も目も薬でやっと症状を止めてますが、その薬がなぜか今日は鼻だけ効かなかった…花粉多かったのかな?
花粉症自体は峠を越しそうですが、清家様もマクドという「峠」を越えて無事目的地に着いて下さいね♪
法隆寺や中宮寺のUP,楽しみにしてます(笑)。
また、方形(ほうけい)の低い墳丘(ふんきゅう)の周りに溝(みぞ)をめぐらした方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)も各地でつくられ、後期には大規模な墳丘墓(ふんきゅうぼ)も出現しました。大型の墳丘墓の中には、大量の青銅製の武器などの副葬品も見られます。
こうした墓の出現から考えられることは何だと思いますか?
そもそも農作業というものは簡単に一人でできるものではなく、共同作業がどうしても必要になりますよね。効率よく共同作業をやろうと思えば、一定のルール、すなわち秩序が必要です。水田の開発や灌漑(かんがい)、治水(ちすい)など、共同作業が大規模になればなるほど秩序が重視され、集落の中でもっとも優秀な人が指導者として作業を引っ張ることになります。
こうして人々の間に集落の統一者が現れることにより、統一者の死後の墓も、それまでの簡素なものからやがて外観・内部ともに大きく進化していくのです。




いつも有難うございます。
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bunyan こんばんは
古代史は専門でないので(もちろん近現代史も)難解なことはムリだけど、この頃の共同生活や作業に指導者が必要になったことはわかりますが、まだ上下関係はなかったのじゃないかしら。
さすらい こんばんは。
すみません
少しバタバタしてまして
講義に来れませんでした(笑)
にもかかわらず
ウチの講義には来ていただいて
ありがとうございます。
歴史の時間
私も好きなので
出来る限り受講したいと思います。
さてウチの近所にも
東京では珍しい古墳があります。
時の支配者の権力の
象徴だったんですね。
エジプトにはピラミッドもありますし
中国にもまだまだ発見されていない
古墳がたくさんあります。
先生の講義
また聞きにきます。
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コメント有難うございます。
黒田裕樹 bunyan様
本文に書いたとおり、弥生後期の大規模な墳丘墓からは大量の副葬品が見つかっています。たった一人の墓のためにそれだけの外観や内部を充実させるということは、指導者が単なるリーダーではなく、事実上の支配者として君臨していたと考えられ、そこから身分の差が広がっていったと思われます。
さすらい様
いつも応援有難うございます。古墳の話もいずれこの講座で詳しく行いますので、またお越し下さい。
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