しかし、そんな時期になると決まって、我が国が命脈(めいみゃく)を保(たも)つことができるように、歴史の流れを自らの力で手繰(たぐ)り寄せるだけの人物が現れてきたのが、我が国のもう一つの歴史でもあるのです。そして、その人物は歴史上に少なくとも3人存在し、いずれも私(=黒田)が常日頃から尊敬するとともに、彼らがいなければ今の我が国の繁栄(はんえい)は有り得なかったと確信しています。
一人目は聖徳太子(しょうとくたいし)です。彼は冠位十二階(かんいじゅうにかい)や憲法十七条(けんぽうじゅうしちじょう)などによって我が国の今日(こんにち)の内政を形づくったのみならず、遣隋使(けんずいし)で見せた気概(きがい)はそれまでの中華への朝貢外交(ちょうこがいこう)を一変させ、我が国にとって真の独立をもたらしました。
二人目は織田信長(おだのぶなが)です。異見(いけん、違った考え)も多いですが、権益にしがみついた宗教勢力を徹底的に攻撃した彼の行為は、現代にもつながる政教分離(せいきょうぶんり)という大きな効果を我が国にもたらし、またその独創的かつ発展的な政策は、それまでの中世から近世へと我が国の歴史を劇的(げきてき)に変化させました。
そして三人目の人物こそが、今回から前後篇と二回にわたって紹介する昭和天皇(しょうわてんのう)です。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
サクラ 初春のお喜びを申し上げます。
大政が幾つか替わっても、この国を貫く芯は変わりませんねえ――。
2,000年も一つの家系が続いてきたって、純粋に凄いな、と思います。
また、それを支え続けてきたこの民族も素晴らしいのでしょう。
今年もよろしくお願いします。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 初春のお喜びを申し上げます。
明けましておめでとうございます。
> 大政が幾つか替わっても、この国を貫く芯は変わりませんねえ――。
> 2,000年も一つの家系が続いてきたって、純粋に凄いな、と思います。
> また、それを支え続けてきたこの民族も素晴らしいのでしょう。
そのとおりだと思います。
だからこそ、いつまでも失うことなく永遠に続いてほしいですね。
> 今年もよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いいたします。
harunayamanekoーmama 明けまして
おめでとうございます。
今年も宜しくお願いします☆
harunayamanekoーmamaさんへ
黒田裕樹 明けましておめでとうございます。
旧年中は当ブログへ何度もご訪問くださって有難うございました。
今年もよろしくお願いします。
ケンシロウ あけましておめでとうございます。
随分ご無沙汰しちゃいました。
今年も少な目の更新で頑張ります。
今年も先生の活躍を期待します。
お体を大切に頑張って下さいな。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 > あけましておめでとうございます。
> 随分ご無沙汰しちゃいました。
> 今年も少な目の更新で頑張ります。
ご無沙汰しております。
お元気そうで何よりです。
> 今年も先生の活躍を期待します。
> お体を大切に頑張って下さいな。
ケンシロウさんもくれぐれもご自愛ください。
今年もよろしくお願いします。
:黒田裕樹さん
風早 りら 彼らがいなければ今の我が国の繁栄は有り得なかったと確信しています
一人目は聖徳太子
二人目は織田信長
この二人は納得です
三人目の人物昭和天皇
それは理解していませんでした
明日からの講座を楽しみにしています
みなもとん 新年あけましておめでとうございます♪
昨年は、コメントを特別残したりはしなかったものの、何度も僕なんかのブログに足をお運び頂き、そして、僕も訪問させて頂き、本当に、ありがとうございました。
どうぞ今年も宜しくお願い致します。
こみー あけましておめでとうございます!
去年はありがとうございました!
今年も良ければ宜しくお願いします(^^)/
記事はいつものようにわかりやすく
いつも「へぇ~、なるほど」とか
そんな薄い人間ですが(^^;)
学ばせてもらってます
これからも頑張って下さい!
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 彼らがいなければ今の我が国の繁栄は有り得なかったと確信しています
> 一人目は聖徳太子
> 二人目は織田信長
> この二人は納得です
> 三人目の人物昭和天皇
> それは理解していませんでした
> 明日からの講座を楽しみにしています
昭和天皇は三人目でもあり、また現代の私たちの安全保障を考えれば一番かもしれません。
今回の講座で、ご生涯の前半部分について詳しく探っていきたいと思います。
終戦後、我が国では戦争に対する責任問題が次第に叫(さけ)ばれるようになりましたが、最大の責任者として昭和天皇の名を挙(あ)げる人々も少なくありません。しかし、これは本当のことなのでしょうか?
この当時に我が国で施行(しこう)されていた大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう、別名を明治憲法=めいじけんぽう)では立憲君主制(りっけんくんしゅせい)が標榜(ひょうぼう、主義や主張などをはっきりと示すこと)されており、第二次世界大戦への参戦においても、実は内閣が決議したことを昭和天皇が事務的に承認されただけでした。
こうした歴史的事実からすれば、昭和天皇ご自身に政治的な戦争責任があるとは断定できないのが現実でしょう。しかし、政治的や手続的な問題とは関係なく、昭和天皇は戦争に対する道義的な責任をずっと感じておられていました。だからこそ、我が国は憲法の概念(がいねん)を超越(ちょうえつ)した天皇陛下(てんのうへいか)のご聖断(せいだん)によって、戦争を終わらせることができたのです。
今回の講座では、昭和天皇のご誕生からご即位による「昭和時代」の始まり、そして激動のうねりの中においても、ただただ世界の平和を祈念され、一日も早く戦争を終わらせることに生命を賭(と)して取り組まれた昭和天皇のお姿を中心に、終戦期までの大きな歴史の流れを振(ふ)り返ってみたいと思います。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ボス。 今年も勉強させていただきます。
どうぞヨロシク


ボス。さんへ
黒田裕樹 > 今年も勉強させていただきます。
> どうぞヨロシク


明けましておめでとうございます。
いつも楽しい記事を有難うございます。
今年もよろしくお願いします。
明けましておめでとうございます。
晴雨堂ミカエル 正月早々、社民党や共産党が怒りだす内容ですな。いや、軽蔑と憐れみを投げかけられるか。
今日、連れ合いと初詣に行ってきました。毎年、神社の前では参拝客に向かって布教活動をするキリスト教信徒がいます。
布教といえば聞こえが良いが、台詞をよく聞けば八百万の神様の否定です。謙虚さのかけらもない。他宗教否定は国際法違反だと思うが。
もし昭和天皇に戦争責任があるのなら、キリスト教信徒にはローマ時代から一貫して行った他宗教弾圧虐殺粛清、十字軍や大航海時代の地球規模に渡って展開した侵略行為、近年でもナチスへの加担などの重大な罪があります。
少なくとも日本のキリスト教信徒の市民派は、皇室批判する資格はありませんし、したいのなら先にバチカン解体を目指すべきでしょう。
ぴーち こんばんは!
私も昭和天皇は、当時の内閣に勝手に祭り上げられたものと感じておりました。
国民を絶対なる求心力でまとめるには、天皇の存在以外ありませんから、その力を利用されてしまったという点では、昭和天皇は戦争の一番の被害者でもありますね。
(言い方が悪くて申し訳ありませんが^^;)
それでは、応援凸
mochimochi 晴雨堂ミカエル様
勝手に返答してすみませんが。。。
キリスト教信者は無責任者の集まりだと思います。
なんでもかんでもキリストの名を借りていろいろしてきました。
アメリカ人キリスト信者はその最悪たる者です。
そのアメリカ人に影響を受けてる日本人キリスト者はそれ以下です。
実際、日曜日の説教で天皇制廃止を唱えています。
外国人参政権を支持しています。
クリスチャン特有の優越感に浸っています。
でも、少し良いことは外国の人達が一神教に嫌気がさしてることです。
そして、カトリックの中でも変化が着実に起こっています。多神教に変化しつつあります。
私は日本が古来から多神教であることをとても感謝しています。
mochimochi 明治憲法というのは、西洋が驚くほど大変良くできた憲法であったと聞いたことがあります。多分西洋以外で初めてできた憲法ではないですか?
そして、戦争の件ですが、結果的にこれは防御戦争だったと聞いたことあります。客観的に見ても国を守るために始めたとのことです。
くやしいのは、海外では日本はドイツと同等に扱われるのが定説です。
でも一部の頭のいい人だけ真実を知ってるみたいです。
どうやったら早く誤解が解けるのでしょうかね?
これが解ければ日本は外国からの圧力に負けない国になれると思うのですが。
黒田裕樹さん
風早 りら 昭和天皇は戦争に対する道義的な責任をずっと感じていられたことは私にもよく理解出来ます
長い年月かけて全国を廻られたようですね
また先生から詳しくお話伺いたいと思います
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 明けましておめでとうございます。
仰るとおり、世界の宗教には様々な功罪があると思います。問題はそれらを認識したうえで、なおかつ我が国の風土に合ったかたちで布教活動を行うことができるか、ということですね(実際にそういうキリスト教信者の方もおられます)。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 私も昭和天皇は、当時の内閣に勝手に祭り上げられたものと感じておりました。
> 国民を絶対なる求心力でまとめるには、天皇の存在以外ありませんから、その力を利用されてしまったという点では、昭和天皇は戦争の一番の被害者でもありますね。
> (言い方が悪くて申し訳ありませんが^^;)
仰るような側面があったことは疑いないですね。
だからこそ、昭和天皇はご自身のお立場で可能な限りのことをなさったのです。そこには被害者としての側面はあっても、加害者でないことは明白ですね。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 「キリストの名のもとに」。確かに常套手段ですね。
大航海時代には世界の大陸で大虐殺が平然と行われていましたし。
一神教はもともと我が国の風土に合っていませんからね。
カトリックが我が国で生き延びるためにも、多神教へと変化するのは良いことだと思います。
お七夜(しちや)にあたり、端午の節句(たんごのせっく)の日でもあった同年5月5日には、ご称号を迪宮(みちのみや)、御名(おんな)を裕仁(ひろひと)と命名されました。「ゆたかに広く、おおらかな心で国を治め、人類の幸せのために尽(つ)くすことができるように」という願いを込(こ)めて明治天皇がお名付けになったといわれています。
裕仁親王はお健(すこ)やかに成長され、幼年期の頃(ころ)から厳格(げんかく)な明治天皇の御前(おんまえ)でも決してひるまれることなく、また伊藤博文(いとうひろぶみ)などの明治の元勲(げんくん)が挨拶(あいさつ)に参上しても、物怖(ものお)じなさらず堂々と応対されるなど、未来の天皇陛下にふさわしいそのお姿に、親王が幼い頃からお世話をしてきた侍女(じじょ)の足立(あだち)たかは涙がこぼれそうになったと後に語っています。
ところで、本編とは無関係かつ不遜(ふそん)な話で申し訳ないですが、私(=黒田)の名前(=裕樹、ひろき)に昭和天皇の御名と同じ漢字である「裕」が使われていることは、私の密(ひそ)やかな誇りでもあります。また、昭和天皇がご幼少の頃からお世話を続けた侍女の「足立たか」という名は、この後に思わぬところで私たちの目に留(と)まることになります。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
昭和天皇に即位された後のお話は
有名な話が多いですが、幼少の頃の
お話というのは、初めて伺ったように
存じます。
それにしても裕が同じであると言うことは、黒田さんが仰るまで気付きませんでした^^;
もしかして、昭和天皇のお名前に肖って付けられたのですか?
侍女の方のエピソードは存じませんので、
明日のお話が楽しみです♪
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇に即位された後のお話は
> 有名な話が多いですが、幼少の頃の
> お話というのは、初めて伺ったように
> 存じます。
あまり知られていないエピソードですからね。
歴史に残る人物は、地位や身分に恥じないご行動を、幼少の頃から身につけておられるんですね。
> それにしても裕が同じであると言うことは、黒田さんが仰るまで気付きませんでした^^;
> もしかして、昭和天皇のお名前に肖って付けられたのですか?
聞いたことがないので、おそらく偶然だと思います。
もし因んでつけられたのであれば、あまりにも畏れ多いです(^^ゞ
> 侍女の方のエピソードは存じませんので、
> 明日のお話が楽しみです♪
侍女についてはもうしばらく後に、本当に意外な場面で出てきますよ。
歴史のつながりの素晴らしさ、あるいは凄さを目の当たりにすることになります。
新年
てのりぱんだ あけましておめでとうございます。
いつも面白いお話をありがとうございます。
今年も楽しませていただきますね・・^^
mochimochi お名前の漢字が同じなのは本当に偶然だったのでしょうか?
偶然でもとてもすばらしいことですね。
私は日本がこれだけサバイブできたのは、多神教と天皇制があったからだと思います。
多神教は全てに神が宿っているから全てを尊敬するというアイデアを日本人に与え、天皇制は自制心を日本人に与えたと思います。
尊敬と自制のバランスが日本を強くしたと思います。
(あくまでも個人的な意見です。)
てのりぱんださんへ
黒田裕樹 > あけましておめでとうございます。
> いつも面白いお話をありがとうございます。
> 今年も楽しませていただきますね・・^^
お言葉有難うございます。
今年も分かりやすい歴史教育を目指して頑張ります。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > お名前の漢字が同じなのは本当に偶然だったのでしょうか?
> 偶然でもとてもすばらしいことですね。
どうやら偶然のようですが、非常に光栄なことだと思っております。
> 私は日本がこれだけサバイブできたのは、多神教と天皇制があったからだと思います。
> 多神教は全てに神が宿っているから全てを尊敬するというアイデアを日本人に与え、天皇制は自制心を日本人に与えたと思います。
> 尊敬と自制のバランスが日本を強くしたと思います。
> (あくまでも個人的な意見です。)
mochimochiさんのお考えもごもっともだと思います。
多神教の存在は大きいですね。
風早 りら 迪宮裕仁様のお名前の由来は
ゆたかに広くおおらかな心で国を治め人類の幸せのために尽くすことができるようにと
昭和天皇のために明治天皇がお名付けになった
そうですが 素晴らしい 発想だと感嘆いたしました
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 迪宮裕仁様のお名前の由来は
> ゆたかに広くおおらかな心で国を治め人類の幸せのために尽くすことができるようにと
> 昭和天皇のために明治天皇がお名付けになった
> そうですが 素晴らしい 発想だと感嘆いたしました
私もそう思います。
明治天皇の裕仁親王に対するご期待の大きさが感じられますね。
そして、そんな明治天皇のご期待に十二分に、いやそれ以上に応えられた昭和天皇の偉大なるご生涯も素晴らしいと思います。
明治45(1912)年7月30日、裕仁親王が11歳の時に祖父の明治天皇が崩御(ほうぎょ)され、その大葬(たいそう)の日であった9月13日に乃木は妻とともに殉死(じゅんし)しましたが、その数日前に乃木は裕仁親王に山鹿素行(やまがそこう)の名著である「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」を差し上げ、素晴らしい本であるから熟読(じゅくどく)されるように、と勧めました。
いつもと違い、ただならぬ気配が漂(ただよ)う乃木の様子に、裕仁親王は「院長閣下(=乃木)はどこかへ行かれるのですか?」と聞かれたそうです。後で乃木の殉死をお知りになり、祖父の明治天皇に続いて、大切な院長閣下まで失われた親王のお悲しみは、たとえようもないほど深かったに違いありません。
しかしながら、父君の大正天皇が即位され、ご自身は皇太子になられた裕仁親王は、その責任の重さをかみしめられながら、お悲しみを乗り越えられて勉学に励まれ、やがて成人された皇太子殿下は、大正10(1921)年にご病弱であられた大正天皇に代わって、20歳で摂政(せっしょう)になられました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
初歩的な質問で恐縮ですが、
どうして皇族方は学習院初等科(学習院大学等)
へ入学されるのですか?
皇族とのご関係が密な理由はあるのでしょうか・・
乃木大将は、私の住む県にも縁の深い人物では
ありますが、その一端を伺っただけでも、立派な人物であったことが判ります。
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 初歩的な質問で恐縮ですが、
> どうして皇族方は学習院初等科(学習院大学等)
> へ入学されるのですか?
> 皇族とのご関係が密な理由はあるのでしょうか・・
学習院は戦前では文科省(当時の文部省)ではなく宮内省(現在の宮内庁)の管轄とされていた関係で、華族など身分の高い子女のみを原則として受け入れていたんですね。皇室との深いつながりも、当時の慣例が流れとして残っているのです。
もっとも、最近では悠仁親王殿下が別の私立幼稚園にお通いになるなど、変化が生じているようですね。
> 乃木大将は、私の住む県にも縁の深い人物では
> ありますが、その一端を伺っただけでも、立派な人物であったことが判ります。
乃木大将は素晴らしい将軍でした。
日露戦争における旅順戦で多くの犠牲者を出したことで、一般にはその指揮能力に疑問符がつけられていることが多いようですが、これは完全な誤解です。いずれ機会を見て紹介できればと思います。
ところで。
晴雨堂ミカエル 小林よしのり氏が盛んに天皇論を漫画で述べています。個人的には共通認識があり、左翼系市民がことさらステレオタイプの権力者イメージを喧伝する事への効果的応酬になると評価しておりますが、黒田氏はどう思われますか?
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > 小林よしのり氏が盛んに天皇論を漫画で述べています。個人的には共通認識があり、左翼系市民がことさらステレオタイプの権力者イメージを喧伝する事への効果的応酬になると評価しておりますが、黒田氏はどう思われますか?
小林氏の活動は、皇室の重要性を再認識する意味では効果があると思っております。
ただ、同氏の考察をそのまま鵜呑みにするのではなく、一人一人が日本人として(もちろん外国人の立場から見た皇室観を含めて)どう生きていくかを知るための一里塚とすべきではないかと考えております。
黒田裕樹さん
風早 りら 乃木希典大将の裕仁親王への
ご教育は それは 稀に見る見事な
ことだったようですね
昨今の学習院初等科の教育について
考えさせてれるものがあります
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 乃木希典大将の裕仁親王への
> ご教育は それは 稀に見る見事な
> ことだったようですね
> 昨今の学習院初等科の教育について
> 考えさせられるものがあります
明治天皇のご信任厚かった乃木大将だからこそ成し得たことだったのでしょうね。
近年の学習院初等科は愛子内親王殿下をはじめとした様々な問題があるようで、残念に思います。
年が明けた大正13(1924)年、摂政宮は以前より婚約されていた良子女王(ながこじょおう、後の香淳皇后=こうじゅんこうごう)とのご結婚式を行われ、震災の悪夢に打ちひしがれていた国民がこぞって喜ぶ慶事となりました。
しかし、禍福(かふく)はあざなえる縄(なわ)のごとし。大正15(1926)年12月25日、かねてより療養(りょうよう)されていた大正天皇が47歳の若さで崩御されました。深いお悲しみのなか、皇太子裕仁親王は直(ただ)ちに践祚(せんそ、皇位の継承のこと)され、第124代天皇となられました。
同時に元号も「昭和」と改められました。昭和の由来は、中国最古の歴史書である書経(しょきょう)の「百姓昭明 協和萬邦」であり、国民の平和と世界の繁栄への願いが込められていました。なお、江戸時代(1764年、田沼時代の頃)に同じ出典から「明和(めいわ)」という元号が制定されています。
昭和3(1928)年11月10日、新しい時代にふさわしく、京都御所で即位の礼(そくいのれい)が華(はな)やかに行われましたが、その一方で昭和2(1927)年には金融恐慌(きんゆうきょうこう)が起きるなど、我が国全体に不穏(ふおん)な空気が漂いつつありました。そして昭和4(1929)年には、昭和天皇にとって最初の大きな試練が訪れるのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
オバrev まさに激動の時代を生きてこられた昭和天皇のお話、今までまとまった話は全く聞いたことがありません。我々昭和生まれとしては是非とも知っておきたい事です。ありがとうございます。
昭和天皇は天皇に即位される前に、摂政になられていましたが、これは現在なくなってしまったのでしょうか。ご高齢の今上天皇の体調によっては摂政が代役をするという形ができないかと思いますが。
満柚子 遅くなりましたが
あけましておめでとうございます♪
今年もよろしくです(*^w^*)
毎日お疲れ様です!!
ぴーち こんばんは!
以前、平和を願う元号が使われた時代というのは、皮肉な事に波乱万丈、激動の時代であることが多いなどと伺った事がありますが、昭和という時代は、そういわれる所以の最たる時代だったのかも知れませんね。
応援凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 > まさに激動の時代を生きてこられた昭和天皇のお話、今までまとまった話は全く聞いたことがありません。我々昭和生まれとしては是非とも知っておきたい事です。ありがとうございます。
こちらこそお褒めのお言葉有難うございます。後篇に向けて大きな励みとなります。
> 昭和天皇は天皇に即位される前に、摂政になられていましたが、これは現在なくなってしまったのでしょうか。ご高齢の今上天皇の体調によっては摂政が代役をするという形ができないかと思いますが。
現行憲法にも摂政の規定はありますが、今まで置かれたことがないですね。昭和天皇が晩年にご不例だった際には、国事行為臨時代行として今上陛下(当時は皇太子殿下)がお就きになられています。
満柚子さんへ
黒田裕樹 > 遅くなりましたが
> あけましておめでとうございます♪
> 今年もよろしくです(*^w^*)
明けましておめでとうございます(^o^)/
こちらこそよろしくお願いします。
> 毎日お疲れ様です!!
有難うございます(^ω^)
今年もお互い頑張りましょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 以前、平和を願う元号が使われた時代というのは、皮肉な事に波乱万丈、激動の時代であることが多いなどと伺った事がありますが、昭和という時代は、そういわれる所以の最たる時代だったのかも知れませんね。
残念ながらその傾向があるようですね。
平和の「平」が使われている現在の元号下ではどうなるのでしょうか…。
黒田裕樹さん
風早 りら 昭和天皇が若くして 即位なされ
それ以前にも身体が ご丈夫ではなかった
大正天皇の代わりとして
色々な 国事に携われていたことは
有名な事柄ですよね
長い間 どれだけ ご苦労されたことでしょう
その中でも 第二次世界大戦は それは
大変なことです 明日を期待しています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇が若くして 即位なされ
> それ以前にも身体が ご丈夫ではなかった
> 大正天皇の代わりとして
> 色々な 国事に携われていたことは
> 有名な事柄ですよね
> 長い間 どれだけ ご苦労されたことでしょう
> その中でも 第二次世界大戦は それは
> 大変なことです 明日を期待しています
摂政の時代を含めれば67年以上ですからね。
歴代の天皇に比べても長いご在位ですから、仰るとおり大変なご苦労だったと思われます。
第二次世界大戦のエピソードはいずれ紹介しますが、次回(6日)はそれ以前のお話をさせていただきますのでご期待下さい。
HANA子 あけましておめでとうございます
お久しぶりですHANA子です。旧年中は長いことご無沙汰しておりました
色々とありまして、ネットにつなぐことさえ覚束ない有様だったのですが、最近ようやく身の回りが落ち着きまして、またこうして御うかがい出来るようになりました
どうぞ今後ともよろしくです
>>最初の大きな試練
1929年といえば“暗黒のアレ”でしょうか
それとも4・16事件?
次回も楽しみにさせていただきますね♪
それと過去記事を漁らないとですw
HANA子さんへ
黒田裕樹 明けましておめでとうございます。
お久しぶりですね!
お元気そうで何よりです。
昭和4年といえば…実は前年の事件の結果です(これでお分かりかもしれませんね)。
過去記事ですか?
毎日更新ですのでぜひお楽しみいただければと思います(^^♪
この事件の首謀者(しゅぼうしゃ)は、当時の中華民国(ちゅうかみんこく)から我が国が租借(そしゃく、他国の領土の一部を一定の期間を限って借りること)していた遼東半島(りょうとうはんとう)の一部である関東州(かんとうしゅう)に配属されていた、我が国の陸軍である関東軍(かんとうぐん)の大佐(たいさ)でした。
事件発生に驚(おどろ)かれた昭和天皇は、直ちに当時の内閣総理大臣であった田中義一(たなかぎいち)に関係者の厳正(げんせい)な処分と軍の綱紀粛正(こうきしゅくせい、国家の規律や秩序あるいは政治のあり方や政治家・役人の態度を正すこと)を命じられました。
しかし、田中首相は陸軍などの強い反対を受けて関係者を処罰(しょばつ)することができず、結局事件をうやむやにしたうえで、翌昭和4(1929)年6月27日に調査結果を昭和天皇に上奏(じょうそう、天皇に意見や事情などを申し上げること)しました。
まだ28歳とお若かった昭和天皇のお顔の色がにわかに変わり、お怒りの声を発せられました。
「この前の約束と話が違うではないか!」




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
吉田彦九郎 明けましておめでとうございます。
ご無沙汰いたしております。
しばらく休ませていただいておりましたが、今年から再スタートしたいと思います。
黒田先生の足元にも及びませんが、少しずつ更新していきたいと思います。
『黒田裕樹の歴史講座』にも時々お邪魔して勉強させていただきます。
よろしくお願いいたします。
ぴーち こんばんは!
我が国の軍の大佐の仕業といえども
他国のものを暗殺したとなれば、
個人の問題だけでは済まされなくなりますので、
その処分を直ちに執り行なうということは、正しい判断だと思いますし、当然、速やかに行うべき問題だと思いますが、軍の圧力によって天皇の意向が捻じ曲げられたと言うことは、天皇自身のお気持ちの上でも非常に遺憾な
ことだったと思います。(遺憾に思うところではなかったのでしょうけれど)
この当時の軍の権力・権限とは、天皇よりも上だったのでしょうか。
応援凸
吉田彦九郎さんへ
黒田裕樹 明けましておめでとうございます。
お元気そうで何よりですね。
こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、昭和天皇のお気持ちを理解するどころが捻じ曲げようとする姿勢に、陛下のお怒りが爆発されたのは無理もないことだと思います。そのお怒りが、更なる出来事を生み出してしまうところが何とも言えないのですが…。
当時の軍部は統帥権干犯問題が表面化する一歩手前でしたが、次第に内閣や政府の言うことを聞かなくなっていました。その背景には「ある思想」があるのですが、これについては日を改めて紹介することになります。
黒田裕樹さん
風早 りら 昭和天皇が 次第に軍に 利用されて
いく様子が これから 顕著になっていくでしょう
それは昭和天皇のお気持ちとは 全く
相反することだったと 私は思っています
第二次世界大戦への道のりの
真実 黒田先生に期待しています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇が 次第に軍に 利用されて
> いく様子が これから 顕著になっていくでしょう
> それは昭和天皇のお気持ちとは 全く
> 相反することだったと 私は思っています
仰るとおりです。
陛下のためと口にしながら、陛下にとって大事な人々を犠牲にするという大きな矛盾が、この後明らかになります。
> 第二次世界大戦への道のりの
> 真実 黒田先生に期待しています
有難うございます。
今回は真実について直接問いかけることはありませんが、陛下のお立場を中心に側面から眺めてみたいと考えております。
mochimochi 立憲君主制の重み
本当にその通りですね。
素人的な意見ですが、私は立憲君主制のバランスが悪かったのは、天皇が誠実すぎるお方だったかもと思っています。
というのは、イギリスも立憲君主制ですが、かなりの(?)腹黒さで、二枚舌で、イメージ的には日本は小学一年生でイギリスは太ってひげを生やしたしぶといお爺さんという感じがします。
今の日本は中学一年生くらいのイメージでしょうか?
とにかく日本は歴史をしっかり勉強して、騙されないようにしてほしいです。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 確かに世界には煮ても焼いても食えない君主も存在していますね。
我が国の天皇も125人存在されておられるので、中には豪傑の名にふさわしい方もおられるようですが、近現代ではむしろ「誠実な陛下」の印象が強いように感じられます。
君主が誠実なお方であっても、その下の政府が維新の元勲のように「食わせ者」であれば大丈夫なんですが、昭和の初期はどちらも真面目すぎるような思いもします。
せっかく過去に成功したとは言い難い歴史があるのですから、しっかり学んで二度と騙されないようにしたいものですね。
そのためには軍隊であっても当然規則を守らねばならないはずなのに、大きな事件を起こしたばかりか、その結果をうやむやにしようとする田中首相の報告を、昭和天皇はお許しになれなかったのです。そして、そのお怒りがさらなるお言葉を生み出してしまいました。
「辞表を出してはどうか」。
昭和天皇から直接辞職を迫(せま)られた田中首相は大きなショックを受けて、5日後の7月2日に内閣総辞職をすると、それから3ヵ月も経(た)たない同年9月29日に死亡してしまいました。
後に田中義一の死去をお知りになった昭和天皇は、お心の中で「しまった」と思われました。なぜなら、天皇陛下が行われたことは、結果的に明治憲法で定められた立憲君主制に反することだったからです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
なるほど、立憲君主制であるが為に
天皇は苦悩されたわけですね。
これが絶対君主制(専制君主制ともいうのでしょうか・・)なら、天皇の発言は絶対的効力を発したのでしょうけれど。。
天皇といえども、法律に従わなければいけないのがお辛い所だった事でしょう・・。
それにしても田中首相の死因は何だったのでしょうかね・・
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、立憲君主制であるが為に
> 天皇は苦悩されたわけですね。
> これが絶対君主制(専制君主制ともいうのでしょうか・・)なら、天皇の発言は絶対的効力を発したのでしょうけれど。。
> 天皇といえども、法律に従わなければいけないのがお辛い所だった事でしょう・・。
専制君主であれば自分のやりたい放題ですから何も気にする必要がありません。
昭和天皇は明治憲法を厳格に守られておられましたし、そもそも立憲君主制は武家政治でのお立場など、我が国で長い間定着してきましたからね。
> それにしても田中首相の死因は何だったのでしょうかね・・
急性の狭心症と伝えられていますが、心因的な影響があっても不思議ではないですね…。
黒田裕樹さん
風早 りら 田中首相の死が それからの
昭和天皇の立場を悪くして
しまったのでしょう
悲しいことですよね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 田中首相の死が それからの
> 昭和天皇の立場を悪くして
> しまったのでしょう
> 悲しいことですよね
仰るとおりですね。
因果関係は不明にしても、あまりにもタイミングが悪過ぎました。
その後の昭和天皇のお考えについては、次回(8日)の更新で明らかにします。
mochimochi どの君主にも言えると思えますが、責任感が重いし孤独でしょうね。。。
それにくらべ、今の内閣は責任感が無さすぎます。
無いのに偉そうにしているので見ているだけで腹立たしくなってしまう。。。
これからは変わってほしいです。。。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > どの君主にも言えると思えますが、責任感が重いし孤独でしょうね。。。
私もそう思います。そんな中でも君主の責任を全うされようとする陛下は素晴らしいですね。
> それにくらべ、今の内閣は責任感が無さすぎます。
> 無いのに偉そうにしているので見ているだけで腹立たしくなってしまう。。。
> これからは変わってほしいです。。。
現内閣か、あるいは次の内閣かどうかは分かりませんがそうであってほしいですね…。
まして、ご自身の発せられた言葉が内閣を総辞職させ、首相を死に追いやったかもしれないという結果が、日頃から責任感のお強かった昭和天皇に大きな影響をもたらすことになりました。
この事件以降、昭和天皇はご自身に誓(ちか)われました。
「今後、内閣が私に上奏することは、たとえ自分の考えと反対の意見であったとしても裁可(さいか)を与えることにしよう」。
昭和天皇にとっては、立憲君主というご自身のお立場をお考えになってのご決断でしたが、時代は統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)に関する問題が深刻(しんこく)になっており、陛下のご決断は皮肉にも、結果として軍部の暴走を黙認(もくにん)されることにつながってしまいました。
これ以降、昭和天皇は内閣とは無関係にご自身で政治的な問題に決断されることが2回ありました。そして、その2回ともが我が国の運命を大きく変えることになるのです。
昭和8(1933)年12月23日にご待望の男児である明仁親王(あきひとしんのう、現在の今上天皇=きんじょうてんのう)のご誕生という慶事もありましたが、1回目のご決断の機会は、その2年2ヵ月後に起きた大事件の際に訪れたのでした。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
そうですか。
昭和天皇のお気持ちを思うと
何とも居た堪れなくなるような思いがします。
その当時の日本の軍は天皇のお言葉も聞き入れられない程、それまでの戦争の勝利に酔いしれ、思い上がっていたんですね。
そして天皇の責任感の強さが、飛ぶ鳥も落す勢いの当時の日本には仇となってしまったのはとても残念でした。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですか。
> 昭和天皇のお気持ちを思うと
> 何とも居た堪れなくなるような思いがします。
陛下としては法律を厳格に守ろうとなされると、反対意見でもだまって通さざるを得なくなる。本当にお辛いですよね。
> その当時の日本の軍は天皇のお言葉も聞き入れられない程、それまでの戦争の勝利に酔いしれ、思い上がっていたんですね。
> そして天皇の責任感の強さが、飛ぶ鳥も落す勢いの当時の日本には仇となってしまったのはとても残念でした。
軍部の暴走には、単なる思い上がりだけでなく複雑な理由があります。次回(9日)の更新でその流れや暴走の結果として起きた悲劇について紹介したいと思います。
国内で自給自足(じきゅうじそく)できる国ならそれで良いかもしれません。しかし、我が国のように資源に乏(とぼ)しく外国との貿易に頼っている国家にとって、ブロック経済は深刻な打撃になりました。その一方で、建国されてから日の浅い共産主義国のソビエト連邦(現在のロシア)による政策は、貧困の生活にあえぐ、特に優秀な軍部の青年将校にとっては魅力的に映りました。
かくして軍部では天皇を中心とする社会主義思想が主流となり、地主や資本家などの富裕層(ふゆうそう)や、彼らと癒着(ゆちゃく、好ましくない状態で強く結びつくこと)していると思われた政党政治家(せいとうせいじか)を激しく憎(にく)むようになりました。先に紹介した張作霖爆殺事件や統帥権干犯の問題、あるいは昭和7(1932)年に首相の犬養毅(いぬかいつよし)が暗殺された五・一五事件(ご・いちごじけん)も、こうした流れの中で起きたのです。
我が国での社会主義思想は、やがて陸軍における皇道派(こうどうは)と統制派(とうせいは)との派閥(はばつ)争いをもたらし、昭和11(1936)年2月26日の未明、皇道派の青年将校らが首相の岡田啓介(おかだけいすけ)や大蔵大臣(おおくらだいじん)の高橋是清(たかはしこれきよ)、内大臣(ないだいじん)の斎藤実(さいとうまこと)、そして侍従長(じじゅうちょう、天皇側近である侍従の長官)の鈴木貫太郎(すずきかんたろう)らを次々と襲(おそ)いました。
いわゆる二・二六事件(に・にろくじけん)の始まりです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
mochimochi いろいろな流れを説明してくれたので、わかりやすいです。
ありがとうございます。
歴史は繰り返すってよく言われますよね。
今も昭和4年と同じじゃないですか?
素人の私が言っても現実味がないと思いますが。。。
自給自足してほしいと思います。
そしてしつこいようですが歴史を徹底的に勉強してほしいです。
特に学生と政治家に。
黒田先生頑張ってくださいね。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 こちらこそお言葉有難うございます。
確かに歴史は繰り返します。
今の状況は、混乱の大きさを考えれば戦前でもあるようですし、幕末でもあるような気がします。
いずれにせよ我が国が乱世に差し掛かっていることに間違いはありません。
普段は「昼行灯」であっても、ここぞとばかりに実力を発揮する人が必ず出てくるはずです。
しかし、その実力を持続させるには後継者の育成が必須であり、そのためには一にも二にも教育です。
私もほんの少しでもお役に立ちたいですね。
ぴーち こんばんは!
今現在の日本も450品目もの関税の値上げを実施し始めていますが、これもこの当時行ったブロック政策と同じ方式を展開しているのでしょうか。そうだとすると、日本の経済の益々の弱体化は否めませんね。
軍部の青年将校が事件を起した理由はそういう思いからなんですね。
確かに原因無くして、事は起こりませんものね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今現在の日本も450品目もの関税の値上げを実施し始めていますが、これもこの当時行ったブロック政策と同じ方式を展開しているのでしょうか。そうだとすると、日本の経済の益々の弱体化は否めませんね。
貿易と経済は密接に関係しています。そして、微妙な国際関係とも…。
自国の経済も大切ですが、他国を不当に追い込んでまで繁栄をもたらそうとすると、いつの世も手痛いしっぺ返しを食らうということですね。
> 軍部の青年将校が事件を起した理由はそういう思いからなんですね。
> 確かに原因無くして、事は起こりませんものね。
一般的に知られている軍部の暴走にも深い理由があるのです。
そして、その行為が昭和天皇に、さらには我が国にどのような影響をもたらすことになるのでしょうか。
それだけに昭和天皇のお怒りは激しいものがあり、直ちに「速やかに暴徒を鎮圧(ちんあつ)せよ」と命じられました。首相の安否(あんぴ)が分からないことで、内閣不在で混乱が生じてもおかしくない事態を、陛下のお言葉によって収めることができたのです。
もし陛下の素早(すばや)いご決断がなければ、我が国は皇道派によるクーデターによって政権が乗っ取られ、その後の運命がどのように変化したか分かりません。ただ、二・二六事件によって示された軍部の実力は、その後の内閣にも大きな影響を与え、事件後に組閣された広田弘毅(ひろたこうき)内閣によって軍部大臣現役武官制(ぐんぶだいじんげんえきぶかんせい)が復活してしまいました。
これは陸軍や海軍の大臣は必ず現役の軍人に限るという制度であり、もし内閣が軍部の意向に逆らうようであれば、軍部側は大臣を辞めさせたうえで後任の人選を拒否することで、内閣を総辞職させることができるというカラクリがありました。つまり、内閣は常に軍部の影響下に置かれてしまうという制度だったのです。
ところで、二・二六事件で重傷を負った鈴木貫太郎でしたが、とどめを刺(さ)されるところを、鈴木の妻の懇願(こんがん、ひたすらお願いすること)によって一命を取り留めました。この妻こそが「鈴木たか」、つまり幼年期の昭和天皇のお世話をした「足立たか」だったのです。たかによって生き長らえることができた鈴木は、やがて歴史の大きな舞台に再び登場することになります。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
オバrev いやぁ~、知らないことばかりです!
私が高校のときの日本史はご高齢ののんびりした先生で、授業は明治時代の途中までしかすすまず、後は自分でやって下さいと言われました(>_<)
ただ、おそらく大阪の大学には土地柄現代史専門の先生が少ないのか、たまたま受験した大学では現代史は出題されませんでした(^^ゞジツハワカッテマシタ
それにしてもこれだけの内容となると、当然高校で教える範囲を大幅に越えていると思います。
黒田先生は法学部出身ですから、特別日本史を深く学ばれた訳ではないでしょうから、おそらく独学で色々な資料を研究された結果じゃないかと推測するのですが、いかがでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
オバrevさんの仰るとおり、通常の近代史で学ぶ範囲を超えている可能性が高いですね。
しかしながらすべてが重要なところなので、削ろうにも削れないのがもどかしいところです。
ここまでの勉強も、仰るとおり独学からスタートしています。
教師になる決断をする以前から、自分の趣味の範囲で様々な文献を読んでいたのですが、研究すれば研究するほど奥が深いですね。
今回の段階での研究発表の意味も込めて講座を行っておりますが、数年後にはよりパワーアップしているかもしれませんよ(^^ゞ
ぴーち こんばんは!
陛下の一言で一旦は治まったかに見えた一連の事件も、やはりいかにこの時代の日本の軍部の勢い盛んな様子がうかがい知れますね。
あの「たか」さんは、ここで登場するのですね!
人間、渾身の思いを込めて相手にぶつかれば道は必ず開けるものなんだなと改めて感じました。
たかさんの真剣な思いがきっと相手の心を打ったのでしょう・・。感動的です。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 陛下の一言で一旦は治まったかに見えた一連の事件も、やはりいかにこの時代の日本の軍部の勢い盛んな様子がうかがい知れますね。
軍部によるクーデターこそ免れましたが、軍部大臣現役武官制を復活させたことで、軍部によるコントロールが決定的になりましたからね。この影響は大きかったと思います。
> あの「たか」さんは、ここで登場するのですね!
> 人間、渾身の思いを込めて相手にぶつかれば道は必ず開けるものなんだなと改めて感じました。
> たかさんの真剣な思いがきっと相手の心を打ったのでしょう・・。感動的です。
たか夫人は、軍刀でとどめを刺そうとした将校に対して「老人ですからとどめは刺さないで下さい。どうしてもというなら私の手で」と大声で叫んで止めたそうです。その後、病院に運ばれ鈴木の心臓が停止した際にも必死で夫の名を呼び続けたことで奇跡的に息を吹き返したとか…。まさに献身の夫婦愛が鈴木の生命を救ったことで、その後の歴史が大きく動くことになるんですよね。
mochimochi "たか”さんのお陰で命をとりとめた鈴木さんのその後が楽しみです。
独学とはすばらしい!
今は、インターネットの時代ですが、やはり本を読むべきですよね。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > "たか”さんのお陰で命をとりとめた鈴木さんのその後が楽しみです。
そうですね。この歴史の流れはまだまだ続きます。鈴木氏がなぜ生命を長らえたのか。この答えがやがて大きな舞台で明かされるんですよね。
> 独学とはすばらしい!
> 今は、インターネットの時代ですが、やはり本を読むべきですよね。
有難うございます。歴史系のサークルに入った経験もありますが、もともとは独学でしたからね。
仰るとおり、地道な読書を続けることが一番重要だと思います。
昭和16(1941)年12月8日、日本軍はアメリカ領であるハワイの真珠湾(しんじゅわん)を攻撃し、大東亜戦争(だいとうあせんそう・※注)が始まりました。これに先立って、戦争開始の閣議決定の裁可を求められた昭和天皇は、ご自身のお気持ちを封印(ふういん)され、立憲君主制に基づく明治憲法の規定どおりにお認めになりました。
戦争開始に伴(ともな)い、昭和天皇は開戦の詔書(しょうしょ、天皇の意思を表示した公文書のこと)を発表されました。漢文体で書かれた文面は、当時の東條英機(とうじょうひでき)内閣によって原案が作成されましたが、昭和天皇はその文面をご覧になった後に、あるお言葉を付け加えられました。そのお言葉を拝読した際に、私たちは陛下の本当のお考えを知ることができます。
「豈(あに)朕(ちん)ガ志(こころざし)ナラムヤ」
(現代語訳:どうしてこれが私の望むところであろうか、いや望むところではない)
※注:「大東亜戦争」は当時の我が国が決定した正式な名称です。ただし、戦後にGHQ(=連合国軍最高司令官総司令部、れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)によって「太平洋戦争」と名称変更を強制され、今日に至っています。今回の講座では、当時の雰囲気を重視する意味も込めて「大東亜戦争」と表記いたします。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
-
ぴーち こんばんは!
陛下の苦悩がよく表現されたお言葉ですね。
最初に日本が真珠湾を攻撃せざる負えなかったいうのも、何か避けて通れなかった理由があるということを以前、聞いたことがありましたが、
そこら辺の事情も是非、教えていただきたく存じます。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 陛下の苦悩がよく表現されたお言葉ですね。
ご自身としては戦争をさせたくない、しかし内閣の決めたことには従わなければならない…。
陛下はどれだけ苦悩なさったことでしょうか。
> 最初に日本が真珠湾を攻撃せざるを得なかったというのも、何か避けて通れなかった理由があるということを以前、聞いたことがありましたが、
> そこら辺の事情も是非、教えていただきたく存じます。
大東亜戦争に至る道のりは非常に複雑ですが、真珠湾の奇襲攻撃については、在アメリカ日本大使館員の怠慢が引き起こした「人災」であると伝えられています。
本来はアメリカに対して正式な断交通知書を手渡したうえで真珠湾を攻撃するはずでした。ところが日本大使館員が通知書をアメリカへ手渡すのが遅れてしまい、真珠湾攻撃が先になってしまったことで、奇襲攻撃とみなされてしまったのです。返す返すも残念な話ですね。
黒田裕樹さん
風早 りら 「どうしてこれが私の望むところであろうか、いや望むところではない」
昭和天皇の苦渋の程が伺える 文面で
私も お心を 思い 切ない想いで
読ませて頂きました
これらも このように 国民が知らされて
いない ことが一杯ありると思います
それを 明白にして下さることを
望んでいます
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「どうしてこれが私の望むところであろうか、いや望むところではない」
> 昭和天皇の苦渋の程が伺える 文面で
> 私も お心を 思い 切ない想いで
> 読ませて頂きました
> これらも このように 国民が知らされて
> いない ことが一杯ありると思います
> それを 明白にして下さることを
> 望んでいます
陛下のご心中、お察しするに余りありますね。
これから大東亜戦争の時代に入っていくわけですが、この後、陛下のご苦悩はさらに深まられていくことになります。
国民の多くが知らされていない、戦時中の陛下のエピソードを次回(12日)から詳しく紹介しますのでご期待下さい。
管理人のみ閲覧できます
-
mochimochi 真珠湾攻撃がどんな形で始まったかは、色々な説がありますが(その大使館の話も聞いたことがあるのですが、本当なのですか?)、攻撃しなければいけなかった原因はABCD包囲なんとかにあるのですよね。
たしか、ヘレン ミアーズの”アメリカの鏡・日本”にそう書いてあったと思います。
個人的に、全アメリカ人にこの本を読んでほしいと願っています。
この本は結構史実に基づいてますよね。。。(私はあまり詳しくないので、この本を信じているのですが。。。)
なんというか、みんな戦争の話をする時に、なぜその戦争が起こったのかあまり話さないような気がします。
原因を探れば、より良い世界を作るきっかけになると思うのに。。。
2011年は歴史の架け橋が創られたら良いなと勝手に願っています。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 真珠湾の直接の原因は大使館の話だといわれていますが、その流れは実に複雑です。
仰るとおりABCD包囲網もその一つですし、最後通牒のハル・ノートも有名ですね。
それに、自由主義国家同士の日本とアメリカがなぜ戦わなければならなかったのか、両国が戦った結果、漁夫の利を得た国がいなかったのか―など、枚挙にいとまがありません。
人間は失敗をする動物ですが、失敗した後に反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることが大切です。そのためには失敗の原因を研究することが何よりも重要なはずなのですが…。
「アメリカの鏡・日本」については読みたいと思っていながら、なかなか時間が取れません。
いつかじっくりと読んでみたいですね。
なおまゆ 教科書検定で天皇陛下という敬称が省略された教科書が採用されたとのニュース。
呼び方位どうでも良いという方もいらっしゃるが、何か、日本人にとって大切なものを失ってしまう気がします。
天皇陛下がこれまで成し遂げてこられたこと、国民に対する優しい思いを知れば、人情としてもそんなことはできないと思います。
天皇陛下あっての日本であることに気づかないのでしょうか?
黒田さんのブログはそのことを確信させてくれます。今後の展開が楽しみです。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 私も昭和天皇をはじめとするこれまでの天皇陛下の方々のお話を存じているだけに、近ごろの教科書の扱い方には戸惑いと悲しみを感じます。
我が国にとって、天皇の存在がいかに大きいことか。
そして、天皇なくして我が国があり得ないという、大切なことであり恐ろしくもあること。
これらは、歴史を大きな流れでとらえれば当たり前のように理解できることのはずです。
「昭和天皇・前篇」の講座は後半に入ります。
我が国が避けて通ることのできなかった大きな悲劇に対して、真正面から立ち向かわれた昭和天皇のお姿が大きくクローズアップされていきますので、ぜひご覧になって下さい。
「峰つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらへと ただいのるなり」
厚い雲のように世界全体を巻き込んだ戦争が早く終わってほしい、という陛下の切実なお祈りのお気持ちを私たちは知ることができます。しかし、我が国は緒戦(しょせん、戦いの始めのこと)こそ勢いがあったものの、長期戦への準備がなかったことや、物量ともに勝(まさ)る連合国軍との圧倒的な戦力の差はどうしようもなく、徐々(じょじょ)に劣勢(れっせい)に立たされていきました。
そして昭和18(1943)年5月29日には、アメリカ領アラスカ州西のアリューシャン列島の先にあるアッツ島にて日本軍が全員死亡するという、いわゆる玉砕(ぎょくさい)の悲劇が初めて起きてしまいました。
翌5月30日に悲報を耳にされた昭和天皇は、報告に来た参謀総長(さんぼうそうちょう)に対して「アッツ島部隊は最後までよく戦った。そういう電報を打ってほしい」と仰(おっしゃ)いました。しかし、現地の部隊は盗聴(とうちょう)を防ぐため、玉砕の直前に無線機を壊(こわ)しており、もはや無線は通じないですし、何よりも電報を受け取る相手が誰もいません。
参謀総長がそう指摘すると、陛下は「それでも構(かま)わないから、電報を出してほしい」と重ねて仰いました。やがて参謀総長が陛下のご真意に気付くと、涙があふれて止まらなくなってしまいました。
なぜ参謀総長は男泣きしたのでしょうか。そして、昭和天皇が通じない相手への電報にこだわられたのはどうしてでしょうか。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
今年の歌会始のお題は「葉」だそうですね^^
今年はどんなお歌が詠まれることでしょうか。
ところで黒田さんの最後のお題の件ですが、
参謀長の涙と昭和天皇が電報を打つように懇願した理由ですが、その当時の前後に起こったことや天皇のその時のお立場などが私としては、把握し切れていないので、この場合のご心境を記事からのみ解釈させていただくと、天皇が電報を打つように念を押したのは、勿論、玉砕した兵士達への鎮魂の思いもあったでしょうし、本当の意味で戦争に終止符が打たれたのだという証しを示す意味として一方通行の電報に拘られたのかな。。などと単純に解釈してしまいました^^;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今年の歌会始のお題は「葉」だそうですね^^
> 今年はどんなお歌が詠まれることでしょうか。
私も毎年気になっていますし、楽しみにしております(^^♪
> ところで黒田さんの最後のお題の件ですが、
> 参謀長の涙と昭和天皇が電報を打つように懇願した理由ですが、その当時の前後に起こったことや天皇のその時のお立場などが私としては、把握し切れていないので、この場合のご心境を記事からのみ解釈させていただくと、天皇が電報を打つように念を押したのは、勿論、玉砕した兵士達への鎮魂の思いもあったでしょうし、本当の意味で戦争に終止符が打たれたのだという証しを示す意味として一方通行の電報に拘られたのかな。。などと単純に解釈してしまいました^^;
詳細なご見解を有難うございます。私自身も大いに検討させていただく意義があったと感じております。
不遜ながら、私なりに忖度(そんたく)した見解を次回(13日)に述べますので、またお越し下さい。
黒田裕樹さん
風早 りら 「峰つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらへと ただいのるなり」
この御歌には 感動しました
昭和天皇のお苦しみは どれ程
大きなものでしたでしょう
その頃の軍部の 横暴さを感じずには
いられません
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「峰つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらへと ただいのるなり」
> この御歌には 感動しました
> 昭和天皇のお苦しみは どれ程
> 大きなものでしたでしょう
> その頃の軍部の 横暴さを感じずには
> いられません
御製に託された陛下のお気持ちを、当時の軍部は考慮したことがあったでしょうか。
軍事がすべて悪とは申しませんが、統帥権を握っているはずの陛下のお考えに従ってこその軍部のはずですからね。このあたりの齟齬(そご)が我が国の悲劇かもしれません。次回(13日)の結果を知る者として、切なく思います。
そして、目の前に息を引き取ったばかりの遺体が横たわっていれば、子は親の、親は子の名を何度も叫びながら泣き崩(くず)れます。何度呼びかけようが二度と返事をすることがないことなど分かりきっていますが、それでも呼びかけずにはいられない…。
昭和天皇のご真意もそこにありました。我が国のために命をかけて戦い、そして散っていった兵士の一人ひとりが、陛下にとってはかけがえのない生命なのです。だからこそ、親が亡くなった子に対してそうするように、昭和天皇は二度と聞くことのかなわない、ねぎらいのお言葉を兵士たちにかけられたのでした。
やがて我が国の戦局はますます悪化し、昭和19(1944)年10月25日には爆弾(ばくだん)を載(の)せた飛行機が、敵の軍艦(ぐんかん)めがけて体当たりで突撃(とつげき)するという、いわゆる神風特別攻撃隊(かみかぜとくべつこうげきたい)による攻撃が始まりました。
翌26日に作戦実行をお聞きになった昭和天皇は「そのようにまでしなければならなかったのか!」と叫ばれ、しばし絶句(ぜっく)された後に「しかしよくやった」と仰いました。このお言葉は決して特攻隊を称賛(しょうさん)するのではなく、国のために生命を散らした兵士たちの尊(とうと)い犠牲に対する労(いたわ)りのお気持ちが込められていると考えるべきでしょう。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
仰るとおり、子供の最大の罪は親よりも早く先立つことで、親にとっては最大の不幸でもありますね。逆さ仏という現象は出来れば、経験したくはありませんが、これも親子であっても個人個人の寿命は皆、違いますので、仕方が無い事ですが、それにしても、昭和天皇という方は何処まで慈悲深い方だったのでしょう。。
今日は天皇のエモーショナルな部分を垣間見ることが出来、これまでの昭和天皇の印象がまたいい意味で変えさせていただいたことに感謝します^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 仰るとおり、子供の最大の罪は親よりも早く先立つことで、親にとっては最大の不幸でもありますね。逆さ仏という現象は出来れば、経験したくはありませんが、これも親子であっても個人個人の寿命は皆、違いますので、仕方が無い事ですが、それにしても、昭和天皇という方は何処まで慈悲深い方だったのでしょう。。
私もそう思います。
昭和天皇の慈悲深いお心に、私たち日本人がどれだけ勇気づけられたことでしょうか…。
> 今日は天皇のエモーショナルな部分を垣間見ることが出来、これまでの昭和天皇の印象がまたいい意味で変えさせていただいたことに感謝します^^
こちらこそ有難うございます。
これからの昭和天皇のエピソードにもご期待いただければと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 昭和天皇の
「 そのようにまでしなければならなかったのか!」の御言葉
「しかしよくやった」の御言葉
先生の説明で よく理解出来 心にしみました
ですが 事後報告には 疑問を感じます
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇の
> 「そのようにまでしなければならなかったのか!」の御言葉
> 「しかしよくやった」の御言葉
> 先生の説明で よく理解出来 心にしみました
> ですが 事後報告には 疑問を感じます
お言葉有難うございます。
事後報告についてですが、戦争の作戦遂行は軍部や内閣が独断でやっていたということになるのでしょうか。
時が経つにつれて、陛下のお役割は重要になっていきます。
mochimochi 言葉にできないようなことですね。。。
心が痛くなります。
ちなみに、こういうエピソードは初耳の方が多いのではないでしょうか。
多くの人に知ってほしいものです。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 言葉にできないようなことですね。。。
> 心が痛くなります。
そうですね。
陛下のお気持ちを思うと、何も言えなくなってしまいます。
> ちなみに、こういうエピソードは初耳の方が多いのではないでしょうか。
> 多くの人に知ってほしいものです。
このエピソードをもっと多くの人に知っていただくために、当ブログがほんの少しでもお役に立てれば嬉しいですね。
オバrev 黒田先生、昭和天皇のお話そしてお言葉、涙なくして聞けませんし読めません。
マスコミ、N教組やS派がよく使った、言葉尻を捉えたり、自分たちの都合良いように曲解した恣意的な話ではなく、陛下の本意をきっちり伝えてくださったことに感謝いたします。
私自身は戦後の生まれですが、戦争を体験している方のお話を聞きますと、本当に日本を守るために老若男女が必死だったことがよく分かります。そのことを批判することは誰にもできません。
その真実を後世に伝えていく義務が我々にはあると思います。
民主党政権の功罪の功の部分としてあえてあげれば、このようなことを真剣に国民が考えるようになったことかもしれません(^^ゞ
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 黒田先生、昭和天皇のお話そしてお言葉、涙なくして聞けませんし読めません。
> マスコミ、N教組やS派がよく使った、言葉尻を捉えたり、自分たちの都合良いように曲解した恣意的な話ではなく、陛下の本意をきっちり伝えてくださったことに感謝いたします。
有難うございます。この場面では、実際の講座の参加者の皆様の多くが涙されておられましたし、講演する私も、心の中で同じ思いでした。
> 私自身は戦後の生まれですが、戦争を体験している方のお話を聞きますと、本当に日本を守るために老若男女が必死だったことがよく分かります。そのことを批判することは誰にもできません。
> その真実を後世に伝えていく義務が我々にはあると思います。
誰だって命がけとなれば必死で抵抗します。その過程で仮に命のやり取りをしたとしても、誰が批判などできましょうか。澄んだ目で学ぶ、伝えることができる環境が大切ですね。
> 民主党政権の功罪の功の部分としてあえてあげれば、このようなことを真剣に国民が考えるようになったことかもしれません(^^ゞ
仰るとおりだと思います。人間は追い詰められて初めて気が付くもの。自民党政権のままでは永遠にこの機会を失っていたかもしれませんね。
また、国民の多くが食糧不足に悩(なや)まされている現実をお考えになった昭和天皇は、ご自身のお食事も国民と同じ配給を強くお命じになられ、代用食や水団(すいとん)などを進んでお召(め)し上がりになりました。
物資不足だけなら、苦しくても国民はまだ生きていけます。しかし、空から敵の軍隊に攻撃されてはひとたまりもありません。そして、その恐るべき事態が現実となる日がやって来てしまいました。
3月9日の夜から10日にかけて、アメリカのB29爆撃機(ばくげきき)が東京に大挙(たいきょ)して襲来(しゅうらい)し、あちらこちらに爆撃を行いました。いわゆる東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)であり、わずか1回の空襲で約26万戸の家が焼かれ、12万以上の人々が死傷し、100万人を超える人々が焼け出されるという甚大(じんだい)な被害をもたらし、世界史上でも例を見ない非戦闘員に対する大虐殺(だいぎゃくさつ)となりました。
空襲後、昭和天皇はご自身で被災地を訪問したいと希望なされ、約1週間後の18日に実現しました。空襲から間もない東京は焼け野原と化しており、焼け死んだ人々の遺体もそのままになっていました。陛下は被災者をお励ましになりながら、東京の変わり果てた姿に胸が痛む思いでいらっしゃいました。もはや一刻(いっこく)の猶予(ゆうよ)もなく、一日も早く戦争を終わらせないといけない―。
そして、その直後の4月に昭和天皇は次の内閣総理大臣に元侍従長の鈴木貫太郎を指名されました。ご自身との縁が深い鈴木ならば、この戦争を終わらせることができると期待されたのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
mochimochi 当時の状況がよくわかる講義で感謝します。
でも正直、想像を絶する光景で信じられません。
なんというか、しつこいようですが、もう一度その期間の歴史を世界中の人が研究してほしいと思います。
私も微力ですが、いろいろと話し合うきっかけをつかんでいこうと思います。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 当時の状況がよくわかる講義で感謝します。
> でも正直、想像を絶する光景で信じられません。
有難うございます。
飽食の時代、平和ボケの時代には考えられない出来事ですね。
わずか65年前の同じ我が国なんですが…。
> なんというか、しつこいようですが、もう一度その期間の歴史を世界中の人が研究してほしいと思います。
> 私も微力ですが、いろいろと話し合うきっかけをつかんでいこうと思います。
謎も多く、また時代背景も複雑ですから、まとめあげるのも大変かと思われますが、私も何とか頑張ってみます。
ぴーち こんばんは!
戦中はきっと
非鉄、鉄に関わらず、物質不足だった事でしょうね。以前、「がばいばあちゃん」という映画作品を鑑賞した際に、おばあちゃんが外出して歩く時に、腰に磁石を着けた紐を括り付けて、歩く姿がありましたが、そこへついてきた鉄も貴重なものであった事でしょう。
おばあちゃんは、生活の足しにしていたようですが。。
それにしても、地獄絵図と化した空襲の惨劇を目の当たりにした陛下のご心痛は、察するに余りあるものです。
私などは戦後の高度成長期に生を受けた人間ですので、幸か不幸か戦争の悲惨な状況も経験も全くありません。不幸というのは、勿論、戦争の悲惨さを実際に知らないという事の怖さです。
恐怖を知らない人間は、戦争の本当の怖さを知らないので、安易に平和の大切さをも忘れてしまいがちです。むしろそういう人間が増えてくることこそ、怖いものだと思います。
月並みですが、こういった話は非常に重要なお話ですので、黒田さんの講座で少しでも多くの皆さんにも何か感じていただきたく思いました。
応援凸
、
ぴーちさんへ
黒田裕樹 戦時中の物資不足は、現代の私たちには想像もつかないことですね。
思い起こせば、平成5年にコメ不足になった際には外国米を輸入して急場をしのぐことができましたが、日本米の方がいいといって随分もめたことがありました。戦時中の人々がこれだけ苦労なさっておられるのに、罰(ばち)が当たりますね。
戦争の悲惨さと平和の尊さとは、体験しないと本当に理解できないかもしれませんね。
現在の我が国を取り巻く情勢を思えば、過去の悲劇を繰り返さないためにも「国を守る」ための様々な知恵が求められていると思います。東京大空襲のような悲劇は二度と御免ですからね。
黒田裕樹さん
風早 りら 100万人を超える人々が焼け出されるという甚大な被害をもたらし世界史上でも例を見ない非戦闘員に対する大虐殺となりました
非戦闘員への大虐殺
今だに 世界に 理解しえない現実を憂います
空襲後昭和天皇はご自身で被災地を訪問したいと希望なされた
この事実は知りませんでした
知らない人は 多いと思います
先生の講座の影響は 強いです
これからも 期待しています
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 100万人を超える人々が焼け出されるという甚大な被害をもたらし世界史上でも例を見ない非戦闘員に対する大虐殺となりました
> 非戦闘員への大虐殺
> 今だに 世界に 理解しえない現実を憂います
大昔ならともかく、近現代では国際法によって非戦闘員への虐殺は厳しく禁じられています。
にもかかわらず、はっきりと記録に残るかたちで大虐殺を行ったアメリカ。
しかも、虐殺はこれだけではありません…。
>> 空襲後昭和天皇はご自身で被災地を訪問したいと希望なされた
> この事実は知りませんでした
> 知らない人は 多いと思います
> 先生の講座の影響は 強いです
> これからも 期待しています
有難うございます。
国民が空前の被害を受けたことに対して、陛下は非常にご心配なさっておられたと伝えられています。
国民の平和と安寧を祈り続けられるからこそ、目の前の惨状を黙ってご覧になられるわけにはいかなかったのでしょう。
mochimochi 昭和天皇にまつわるエピソードを思い出しました。
”昭和天皇のお食事” 渡辺 誠著をご存知でしょうか?
宮内庁管理部大膳課に勤務されてた渡辺さんがどんな料理を天皇陛下が召し上がっていたか書いた本です。
その中で、両陛下と召使いがピクニックに行かれたときのエピソードがありました。(もちろん戦後の話です)
陛下はイチゴジャムサンドイッチが好きで一番先に2、3個食べたようです。
そして、まだ手のつけてないたくさんのサンドイッチを召使いに渡しました。”皆で食べなさい”と言う意味です。召使いが困って、みんなの手に渡るように配ると、陛下の食べる分がなくなるといったら、それでも良いとのことでした。
陛下は皆で一緒に同じ食事をしたかったようです。
これを読んで、すごいなぁと感じたことを思い出しました。
それと、もう一つ”暗黒大陸中国の真実”をご存知でしょうか?
私はこれを読んで、アメリカ人の宣教師が反日を煽動したことを知ってすごく腹が立ちました。
アメリカ人宣教師には何度も会ったことありますけど、その時は全然こういう事実を知らなかったので、今度会ったら絶対問いつめよう!と思っています。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 貴重なエピソードを有難うございます。
両方とも未読ですが、時間があればぜひ読んでみたいですね。
アメリカの行動については、次回(16日)以降にさらに詳しく紹介することになります。
アメリカの残虐性
青田 黒田先生
青田です
私は、アメリカという国は、決して、嫌いな国では
ありませんが、
戦争における残虐性においては、ぞっとします。
◆ 東京大空襲
・・・まず、東京周辺に爆撃を加えて、女性・子供・老人が東京から、出られないようにしてから
焼夷弾を集中投下して、火災で、多くの人間が死ぬようにした。
◆ 原爆投下
・・原爆の効果を知るために、
一度も空襲を受けたことがない都市で、
市街地の原爆を投下した。
一説には、第三の原爆は、『京都』になる予定と言われています。
ここまでのことを、『正義』の名において
出来るアメリカには、逆に背筋がぞっとします。
※ 戦前の日本軍を鬼のように騒ぐ人間もいるようですが、それを言うなら、アメリカ軍は、悪魔ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
現在のアメリカにどのような感情を抱こうがその人の自由ですが、歴史的事実を踏まえたうえで対応すべきだと思います。
そして5月25日から26日にかけて東京が空襲にあった際には皇居にも飛び火し、明治天皇以来の宮殿が焼け落ちると、昭和天皇は「そうか、焼けたか。これでやっとみんなと同じになった」と仰られ、その後は昭和36(1961)年末に新しい御所が完成するまで、防空壕(ぼうくうごう、空襲の際に避難するため地中に造る穴や構築物のこと)としてつくられた御文庫(ごぶんこ)でお過ごしになりました。
後に終戦を迎えても、我が国の経済が回復し、国民の生活が向上するまでは新しい御所の造営をお認めにならなかったのです。国民の安寧な暮らしを常に願われていた昭和天皇の御心をうかがい知ることができるお話ですね。
さて、昭和20年に入ってからも我が国の戦局は悪化するばかりであり、6月23日には沖縄における日本軍の守備隊が全滅しました。そして7月26日にはアメリカ・イギリス・中華民国(実際にはソ連)の3ヵ国によるポツダム宣言が出されました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
昭和天皇とマッカーサー元帥のお話を思い出しながら、拝見させていただきました。
天皇は、「私一人が悪いのであり、日本国民や、軍人が悪いのではありません。責任は私一人にあるのです」と、自分の命と引き換えに平和を願ったという発言も、強ち、眉唾ものの話ではなかったように思いました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇とマッカーサー元帥のお話を思い出しながら、拝見させていただきました。
> 天皇は、「私一人が悪いのであり、日本国民や、軍人が悪いのではありません。責任は私一人にあるのです」と、自分の命と引き換えに平和を願ったという発言も、強ち、眉唾ものの話ではなかったように思いました。
仰った話も有名ですね。
後篇で詳しく紹介することになりますので、またご覧いただければと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 「 私は国民とともにここで苦楽を分け合う 」
「 そうか焼けたかこれでやっとみんなと同じになった 」
陛下のこのお言葉 感動しました
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「 私は国民とともにここで苦楽を分け合う 」
> 「 そうか焼けたかこれでやっとみんなと同じになった 」
> 陛下のこのお言葉 感動しました
有難うございます。
真実の話だからこそ、私たちは陛下のお姿に感動できるんですよね。
いつの時代であろうとも、天皇なくして我が国の将来はありません。このため、我が国ではポツダム宣言を受諾(じゅだく)するかどうか、態度を明確にしないまま連合国軍の出方をうかがうことにしたのですが、この裏にはアメリカによるとんでもない謀略(ぼうりゃく)が隠(かく)されていました。
実は、当初の宣言文には「日本が降伏すれば天皇の地位を保証する」と書かれていたのです。駐日大使(ちゅうにちたいし)の経験者で我が国の実情をよく知っていたグルーによって、我が国が宣言に応じやすいようにつくられていたのですが、土壇場(どたんば、最後の場面という意味)でアメリカ大統領のトルーマンが削除しました。
トルーマンが削除した宣言が発表されたことによって、アメリカは宣言以前に決まっていた計画を実行に移しやすくなったのです。その計画こそが、悪名高い「原子爆弾(げんしばくだん)の日本への投下」だったのでした。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
mochimochi アメリカは過去も現在も汚い。
ちなみに、TPPのことをご存知でしょうか?
アメリカがまた日本を破壊しようとしてます。
詳しくは
TPPアメリカの真の狙いは!?
http://www.youtube.com/watch?v=aV4fmGVP3kw
をご覧になってください。
背筋がぞっとします。
ぴーち こんばんは!
なるほど、全体的な「無条件降伏」ではなかったのですね。
それにしても痛い所を見事に突いて来ますね。
そう考えると、アメリカは日本の野山を焼け野原にして、日本古来の雑木林を失わせて、代わりに成長が早いアメリカ杉を植樹することで、新たに花粉症という病気で、日本人を苦しめている。
計算ずくとは言い難いですが、アメリカのやり方にはいつでも悩まされる事が多いですね。
その反面、個人的にはマッカーサー元帥のように、日本贔屓のアメリカ人も存在して、情に脆く、話の判る人間もいるという事も忘れてはいけないようにも思います。
応援凸
mochimochiさんへ
黒田裕樹 自分の国益を考えるのはどの国も同じですが、やり方が露骨なのはいただけないですね。
我が国のように「お人よし過ぎる」のも問題があると思います。
もっと強くあってほしいですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 他国との付き合い方にも色々ありますね。
仰るように、我が国をヒイキにしてくれる人間がいる一方で、とんでもないことを考える人間もいます。
マッカーサーについては、後篇で詳しく考察してみたいと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 「原子爆弾の日本への投下」
この事実は 私達 日本人の
どれだけの人が知っているのでしょう
知る権利を 思いました
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「原子爆弾の日本への投下」
> この事実は 私達 日本人の
> どれだけの人が知っているのでしょう
> 知る権利を 思いました
原爆投下という現実に変わりはなくとも、仰るとおりその「過程」にどのような謀略があったかを知る必要があると思います。
そのことが、現在のアメリカとの同盟の「意義」をより深く知ることになるでしょう。
mochimochi TPPについての動画がもう一つありました。
11:54 ~ 20:20
上記の箇所見る価値あると思います。
mochimochi http://www.youtube.com/watch?v=bqwvNJBlaQA&feature=related
動画を貼付けるの忘れました。
すみません。
mochimochiさんへ その2
黒田裕樹 ご教授有難うございます。
今後の参考にさせていただきます。
これからも有益な情報がございましたら、ぜひお知らせ下さい。
ポツダム宣言の??
青田です。 黒田先生
青田です。
ポツダム宣言で、納得できないのは
第6条もあります。
「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないから。」
→ 日本が世界征服に乗り出す~
日本は、仮面ライダーのショッカーではありません。
そして、同じ9日にはソ連が、それまでの日ソ中立条約を一方的に破って我が国に参戦してきました。このままでは北海道をはじめとする我が国北部の領土がソ連に奪われてしまいます。まさに絶体絶命(ぜったいぜつめい)でした。
こうした非常事態を受けて、8月9日の夜に鈴木首相はポツダム宣言を受け入れるかどうかを決めるために、昭和天皇の御前で会議を開くことを決めました。いわゆる御前会議(ごぜんかいぎ)のことです。会議は鈴木首相の他に阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣、東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣など合計7人で行われ、東郷外相は宣言受諾を、阿南陸相はいわゆる本土決戦(ほんどけっせん)も辞さないと徹底抗戦(てっていこうせん)をそれぞれ主張し、いつまで経っても平行線が続きました。
やがて日付も10日に変わり、開始から2時間経ったある時、鈴木首相は立ち上がって昭和天皇に向かい、こう言いました。
「出席者一同がそれぞれ考えを述べましたが、どうしても意見がまとまりません。まことに畏(おそ)れ多いことながら、ここは陛下の思し召し(おぼしめし)をおうかがいして、私どもの考えをまとめたいと思います」。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
ソ連が参戦してきたお話がありましたが、
北方領土もそうですが、北海道本土自体も
危うく二等分されてしまう危機があったと
聞いた事がありました。
北方領土問題も、ソ連の堂々たる主張を
裏付ける根拠は何かあるのでしょうか。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 北方領土については、江戸末期に我が国が当時の帝政ロシアと初めて条約を結んだ際に、千島列島のうち国後・択捉・歯舞・色丹の四島は日本領、得撫島以東はロシア領と、両国合意のもとで決められています。
そんな歴史があるというのに、ロシア(当時はソ連)が大東亜戦争末期のゴタゴタを奇貨として強引に実効支配をしているのが現実です。
取り戻すのは至難の業ですが、あきらめたら終わりですからね。今年ももうすぐ北方領土の日(2月7日)がやってきます。
サクラ 停戦への会議は、原爆投下・ソ連参戦を受けて、初めて行われたことなのですか?
投下以前から日本の上層部は停戦に向けて動いていたから、原爆投下は戦争を早く終わらせたことにならない――という主張を、事あるごとに聞くのですが。
けれど陛下が東京を離れたがらなかった時に、松代の工事が進んでいたんですね。
――ねじれてる、って言うんでしょうか。
上層部が水面下で行っていた議論を(ことにポツダム宣言受諾の主張を)、他の者がやったら売国奴扱いですから。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 停戦への会議は、原爆投下・ソ連参戦を受けて、初めて行われたことなのですか?
> 投下以前から日本の上層部は停戦に向けて動いていたから、原爆投下は戦争を早く終わらせたことにならない――という主張を、事あるごとに聞くのですが。
御前会議が開かれたのは原爆投下とソ連の侵攻が直接の引き金ですね。確かにそれ以前から水面下で工作していた可能性はありますが、私は逆に「先に計画していたからといって、原爆投下の影響がないはずがない」と考えております。
> けれど陛下が東京を離れたがらなかった時に、松代の工事が進んでいたんですね。
> ――ねじれてる、って言うんでしょうか。
> 上層部が水面下で行っていた議論を(ことにポツダム宣言受諾の主張を)、他の者がやったら売国奴扱いですから。
確かにそうですね。こういった重要な議論は、当時は昭和天皇の御前でないと進められなかったでしょう。
黒田裕樹さん
風早 りら アメリカによる非戦闘員を対象とする空前の大虐殺も許しがたいことですが
ソ連がそれまでの日ソ中立条約を一方的に破って我が国に参戦してきたことも同じように許しがたいことです
それを今だに 両国が認めない事実が信じられないことです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > アメリカによる非戦闘員を対象とする空前の大虐殺も許しがたいことですが
> ソ連がそれまでの日ソ中立条約を一方的に破って我が国に参戦してきたことも同じように許しがたいことです
> それを今だに 両国が認めない事実が信じられないことです
戦勝国の道理と敗戦国の呪縛(じゅばく)が、真実を明らかにすることを拒否しているのでしょうね。
いずれにせよ、私たちはこの事実をもっと知る必要があります。
mochimochi 今だからそんなことがあったんだ、って私は思いがちですが、本当に歴史的な会議ですね。
阿波陸相はどうしてそんなに決戦にこだわったのでしょうか?
やはり、天皇陛下の地位の事を思われたからですか?
陸相は当時大きな権力を持っていたのでしょうか?
学校では教えてくれない講義をしていただいてありがとうございます。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 今だからそんなことがあったんだ、って私は思いがちですが、本当に歴史的な会議ですね。
> 阿南陸相はどうしてそんなに決戦にこだわったのでしょうか?
> やはり、天皇陛下の地位の事を思われたからですか?
> 陸相は当時大きな権力を持っていたのでしょうか?
> 学校では教えてくれない講義をしていただいてありがとうございます。
こちらこそ有難うございます。
阿南陸相は陸軍のトップでした。ということは(内心はともかく)表向きには陸軍の強硬な主張を繰り返すしか手段がなかったのです。なお、阿南陸相の真意については後日明らかになります。
ちなみに、当時の陸相は軍部大臣現役武官制によって事実上首相よりも高い地位を誇っていました。この事実が、阿南陸相に複雑な生涯を送らせることになるのです。
なおまゆ 謝罪という言葉は政治の中にはないのですね。アメリカ、ソ連共に人道的にも、国際法的にも許されざることをしてきました。勿論、他の白人諸国も同様です。
何故、日本だけが謝罪し、莫大な補償金を支払わなくてはならないのでしょうか?
歴史が明らかにしてくれる『事実』に則り、日本政府は外交をすべきですよね。
まさか総理大臣だから『アイムソーリー』というギャグなら哀しい物があります。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > 謝罪という言葉は政治の中にはないのですね。アメリカ、ソ連共に人道的にも、国際法的にも許されざることをしてきました。勿論、他の白人諸国も同様です。
> 何故、日本だけが謝罪し、莫大な補償金を支払わなくてはならないのでしょうか?
> 歴史が明らかにしてくれる『事実』に則り、日本政府は外交をすべきですよね。
> まさか総理大臣だから『アイムソーリー』というギャグなら哀しい物があります。
日本人同士の感覚と諸外国との丁々発止(ちょうちょうはっし)のやり取りとは全く別物です。
相手に先駆けて謝罪するという行為は、外国に対して「なめられる」ことに他なりません。
これまでに何度も痛い目にあっているというのに、いつになったら我が国の首脳は目を覚ますのでしょうか。
「それなら意見を言おう。私の考えは外務大臣と同じ(=ポツダム宣言を受諾する)である」。
昭和天皇のお言葉が発せられた瞬間、大臣らの目から涙がこぼれ落ち、やがて号泣に変わりました。陛下も涙を流されながら、お言葉を続けられました。
「念のため言っておく。今の状態で阿南陸相が言うように本土決戦に突入すれば、我が国がどうなるか私は非常に心配である。あるいは日本民族はみんな死んでしまうかもしれない。もしそうなれば、この国を誰が子孫に伝えることができるというのか」。
「祖先から受け継いだ我が国を子孫に伝えることが天皇としての務めであるが、今となっては一人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人々に我が国の未来を任せる以外に、この国を子孫に伝える道はないと思う」。
「それにこのまま戦いを続けることは、世界人類にとっても不幸なことでもある。明治天皇の三国干渉(さんごくかんしょう)の際のお心持ちを考え、堪(た)えがたく、また忍(しの)びがたいことであるが、戦争をやめる決心をした」。
昭和天皇のご聖断によって、我が国は「国体(こくたい、ここでは天皇を中心とする我が国の体制のこと)を護(まも)る」という条件を付けることでポツダム宣言を受諾することを連合国側に通知しました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
風早 りら 「念のため言っておく。今の状態で阿南陸相が言うように本土決戦に突入すれば、我が国がどうなるか私は非常に心配である。あるいは日本民族はみんな死んでしまうかもしれない。もしそうなれば、この国を誰が子孫に伝えることができるというのか」
「祖先から受け継いだ我が国を子孫に伝えることが天皇としての務めであるが、今となっては一人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人々に我が国の未来を任せる以外に、この国を子孫に伝える道はないと思う」
昭和天皇のご聖断
このような 詳しいことは 今まで
知ることが出来ませんでした
日本のこの戦争に対する 私達にもっと
詳細に 誰でもが 分かるように
説明が 何処かでなされるべきことだと感じます
黒田先生の講座を 知らなければ
生涯知らずに 終わる処です
この国の そのような政府のあり方にも疑問を感じます
mochimochi 陛下のお言葉を読んで、なんだか涙が出てきました。
陛下と大臣達の日本と日本国民を守る覚悟が感じられるようです。
陛下は日本を守るために恥も受け入れなければならなかったのですよね。
大変悔しく思います。
本当に日本は天皇陛下あっての国だと思います。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇のご聖断
> このような 詳しいことは 今まで
> 知ることが出来ませんでした
> 日本のこの戦争に対する 私達にもっと
> 詳細に 誰でもが 分かるように
> 説明が 何処かでなされるべきことだと感じます
> 黒田先生の講座を 知らなければ
> 生涯知らずに 終わる処です
> この国の そのような政府のあり方にも疑問を感じます
仰るとおり、昭和天皇のご聖断に関する情報が少なすぎます。
戦争の「悪」の面については細かいところまで教えながら、「善」ともいうべき内容は一切教えられない。
どう考えても恣意的なものが感じられるといわざるを得ないですね。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 陛下のお言葉を読んで、なんだか涙が出てきました。
> 陛下と大臣達の日本と日本国民を守る覚悟が感じられるようです。
> 陛下は日本を守るために恥も受け入れなければならなかったのですよね。
> 大変悔しく思います。
> 本当に日本は天皇陛下あっての国だと思います。
昭和天皇の並々ならぬご決意が感じられるお言葉ですね。
今までにない国難の時期に、このようなご立派な君主がおられる。
我が国は本当に幸福だと思います。
ぴーち こんばんは!
天皇にとって、耐えがたく、忍びがたい戦争をやめる決心というのも、苦渋の選択だった事でしょうね。
この時の天皇の本意を知らずに
今の時代に生きる私たちは平和であることを当たり前の様に感じ、感謝する気持ちさえも薄れてしまっている事に改めて反省させられます。
今、また改めて戦後の原点に立ち返り、
日本が本当に進むべく道筋を天皇の意思と
共にお浚いしていくべきだと痛感させられました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 天皇にとって、耐えがたく、忍びがたい戦争をやめる決心というのも、苦渋の選択だった事でしょうね。
> この時の天皇の本意を知らずに
> 今の時代に生きる私たちは平和であることを当たり前の様に感じ、感謝する気持ちさえも薄れてしまっている事に改めて反省させられます。
> 今、また改めて戦後の原点に立ち返り、
> 日本が本当に進むべく道筋を天皇の意思と
> 共にお浚いしていくべきだと痛感させられました。
平和の尊さをただ受け取るだけでなく、その重さをかみしめることは本当に重要ですね。
昭和天皇のご意思に背くことは、日本人として大事なものを失ってしまうような気がします。
オバrev 黒田先生、まさに号泣です。
こういう、あの当時を日本のために必死に生きていた我が国の祖先の歴史や、天皇家の歴史に関わる歴史的事実は、しっかり伝えてもらいたいですね。
そう考えると、やはり戦後の東京裁判の評価や我が国の教科書も含めた教育内容の見直しが是非とも必要と思えてきます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 黒田先生、まさに号泣です。
> こういう、あの当時を日本のために必死に生きていた我が国の祖先の歴史や、天皇家の歴史に関わる歴史的事実は、しっかり伝えてもらいたいですね。
> そう考えると、やはり戦後の東京裁判の評価や我が国の教科書も含めた教育内容の見直しが是非とも必要と思えてきます。
私も同感ですし、今回の場面でも実際に参加された皆様は涙を流しておられました。
いわゆる「東京裁判史観」は、我が国がGHQによって支配されている頃の「洗脳」の遺物です。
独立を果たしてから59年が経とうとしていますが、いつになったら見直してくれるのでしょうか…。
せめて、小さくとも民間から声を上げていかなければなりませんね。
想像の域を出ませんが…
関東の誠 昭和のある時期、防衛論議の際某国が戦闘行為に及び、日本の国土に侵攻・上陸して来たらどうするか。ということが話題になりましたが、ある野党は「最後まで平和を訴え続けて最後は逃げればいい。」と発言していたように思います。
これは日本国民に国土を捨て難民になれというように聞こえ呆然としたものでした。
ポツダム宣言の受諾は戦勝国の上陸を受け入れる意味で、戦後の防衛論争と似ていたと思います。
外国の侵攻を受けた国の元首は亡命するか、国民に吊し上げられるのが大方の外国の価値観かと想像します。
この点で日本の天皇家は諸外国とは違い国民の安全を優先にお考えになり、仮に国民が難民となって国土から去る場面であっても最後まで国土にお残りになるお考えなのでは?。と想像します。
昭和天皇の思し召しをしっかり理解できる日本人でありたいと思っています。
そういえば、最近「殿下」や「妃殿下」という言葉を聞く機会がなくなったように思います。
長くなり失礼しました。
関東の誠さんへ
黒田裕樹 仰るような話は私も聞いたことがあります。
個人の思想はともかく、政治家の発言としてはにわかに信じがたいですね。
色々と議論すべき問題があると思います。
この条件では我が国が連合国の属国になってしまう危険性があり、また何よりも天皇の地位の保証が不完全なままでした。この内容でポツダム宣言を受け入れるべきか、外務側と軍部側で再び意見が対立しましたが、ソ連による我が国侵略の脅威(きょうい)が間近(まぢか)に迫った現状では時間がありませんでした。
そこで、鈴木首相は14日に改めて御前会議を開きました。会議では自らの意見を述べる者も、またそれを聞く者も、すべてが泣いていました。陛下も意見をお聞きになりながら何度も涙を流され、しばしば眼鏡を押さえられました。そして、昭和天皇による2度目のご聖断が下りました。
「私の考えは、この前言ったことに変わりはない。相手方の回答に対する不安もあるだろうが、私はそのまま受け入れて良いと思う。また玉砕して国に殉ずる思いもよく分かるが、私自身はいかになろうとも、国民の生命を助けたい」。
ご聖断が下った後、阿南陸相は耐え切れずに激しく慟哭(どうこく、悲しみのあまり声をあげて泣くこと)しました。昭和天皇はそんな阿南に対して優しく声をおかけになりました。
「阿南、お前の気持ちはよく分かっている。しかし、私には国体を護れる確信がある」。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
この当時の日本軍は玉砕を崇拝していた様ですが、天皇のご決断のお話を伺って、硫黄島の戦いで総司令官を務めた「栗林中将」の玉砕禁止を思い出してしまいました^^;(知識が浅くて申し訳ありませんが・・汗)
死を選択することを美化せずに、出来ることなら、一人でも多くの命を繋ぐことで一国を守ろうとするお考えには賛成です。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > この当時の日本軍は玉砕を崇拝していた様ですが、天皇のご決断のお話を伺って、硫黄島の戦いで総司令官を務めた「栗林中将」の玉砕禁止を思い出してしまいました^^;(知識が浅くて申し訳ありませんが・・汗)
> 死を選択することを美化せずに、出来ることなら、一人でも多くの命を繋ぐことで一国を守ろうとするお考えには賛成です。
死ぬことよりも、生き抜くことで我が国の未来に貢献できるようにする。
これも一つの立派な生き方ですよね。
そして、実務のトップに君臨するある首脳の責任の取り方は…。
黒田裕樹さん
風早 りら 「私自身はいかになろうとも、国民の生命を助けたい」
このお言葉あってのこその
今の日本があるのでしょう
明日の講座 楽しみにしています
15日の 詳細を お聞きしたいです
おねこ のそり。
勝たなければいけないこと、辱めより死を選ぶこと。
戦争ってのは、命をつかってゲームの駒を動かしているんですよね。
負けることで、命を守る、とても尊い決断だと思いました。
今も、あちこちが戦争してるけど、一体どういうことなんだいっ?
戦争は金儲けビジネス。恐ろしい考えですよね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「私自身はいかになろうとも、国民の生命を助けたい」
> このお言葉あってのこその
> 今の日本があるのでしょう
> 明日の講座 楽しみにしています
> 15日の 詳細を お聞きしたいです
仰るとおり、陛下のまさに一身をなげうった覚悟があったからこそ、戦争を終えることができたといえます。
いよいよ終戦ですが、その前に軍部を止めるための「もう一つの一身をなげうった行動」があります。
おねこさんへ
黒田裕樹 > のそり。
> 勝たなければいけないこと、辱めより死を選ぶこと。
> 戦争ってのは、命をつかってゲームの駒を動かしているんですよね。
> 負けることで、命を守る、とても尊い決断だと思いました。
そのとおりですね。
これ以上犠牲者を出さないためにも、生きて辱めを受ける覚悟を決める。
言うことはたやすいですが、なかなかできる決断ではありません。
> 今も、あちこちが戦争してるけど、一体どういうことなんだいっ?
> 戦争は金儲けビジネス。恐ろしい考えですよね。
戦争は確かに良くないことですが、攻められれば受けなければいけません。
難しいですね。
mochimochi ”昭和天皇は日本史にとても影響した人” と黒田先生が仰った意味が分かりました。
失礼かもしれませんが、陛下は私のヒーローになってしまいました!
国民みなさんに陛下の事をよく知ってもらいたいです!
mochimochiさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、昭和天皇は私たち日本国民にとってヒーローであり、恩人でもあります。我が国には天皇陛下がいらっしゃって本当に幸せですね。
陸軍の強硬派は戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、陸相は「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」と一喝(いっかつ)しました。
その後の閣議では昭和天皇による「終戦の詔書」の内容についても審議されましたが、阿南陸相は黙って閣議の決定に従いました。そして鈴木首相に別れの挨拶を告げると、すべての責任を取って翌8月15日午前4時40分、昭和天皇から拝領(はいりょう)したワイシャツを身に着けて割腹(かっぷく)しました。
想像を絶する痛みや苦しみのなか、阿南陸相は介錯(かいしゃく、とどめを刺して楽にすること)を断り、午前7時10分に絶命しました。以下は血染めの遺書に残された阿南陸相の最期の言葉です。
「一死以テ大罪ヲ謝シ奉(たてまつ)ル 神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ」




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
腸は「第二の脳」などと言われる位に、脳と同じ様に重要な器官でもあり、例え脳死状態に陥っても、腸だけはしっかりと正常な動きが出来るといいますが、昔の人はその事を知っていたのでしょうか。断腸の思いなどという言葉は非常に苦しい様子を表す言葉ですが、それ程に「割腹」をするという事は非常に苦しく、痛々しい状況であった事でしょうね(><)
自分の命を持ってして、この国を存続させていきたいという切実な思いが、割腹という形と共に表現された場面はその場に居合わせた人物の脳裏には強烈なメッセージとなった事でしょうが、
昔の軍人さんは、常に死と隣合わせでいたためか、覚悟が違いますね・非常に壮絶な話ですが・・。
応援凸
mochimochi 涙なしに読めませんでした。。。
”神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ”
大変重い言葉だと思います。
私も神州は美しいので守っていきたいと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 陸軍の強硬派は戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、陸相は「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」と一喝(いっかつ)しました
このお話も初めて聴きました
阿南陸相には よく言ってくれたと
伝えたい気持ちです
ぴーちさんへ
黒田裕樹 すべての責任を取って割腹した阿南陸相。
いくら死と隣り合わせの軍人とはいえ、仰るとおり壮絶な話ですね。
そんな陸相の思いは、別の意味で我が国を救うことになります。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 涙なしに読めませんでした。。。
> ”神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ”
> 大変重い言葉だと思います。
> 私も神州は美しいので守っていきたいと思います。
割腹してまで我が国の未来を託した阿南陸相。
仰るとおり、私たちが守っていかなければいけませんね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 陸軍の強硬派は戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、陸相は「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」と一喝(いっかつ)しました
> このお話も初めて聴きました
> 阿南陸相には よく言ってくれたと
> 伝えたい気持ちです
私もそう思います。
阿南陸相の決死の思いが我が国を救ったという事実の重さを、私たちはしっかりと受け止めなければいけませんね。
HANA子 阿南惟幾陸相は確かにあまり知られていないのが惜しい人物なんですよね
平凡な人物とされながらも、誠実な人柄は多くの人に慕われていたと聞きます
226事件の際にも決起将校たちに
「農民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」
と軍人は政治に関わるべきではないという自説を叫んでいましたし
陸相自身は抗戦派だったようですが、抗戦を主張する青年将校たちの決起を押し留めていたことも鑑みるに、最後まで天皇陛下の臣であることをを貫かれたのでしょうね
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 阿南惟幾陸相は確かにあまり知られていないのが惜しい人物なんですよね
> 平凡な人物とされながらも、誠実な人柄は多くの人に慕われていたと聞きます
> 226事件の際にも決起将校たちに
> 「農民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」
> と軍人は政治に関わるべきではないという自説を叫んでいましたし
仰るとおり、人望の厚い立派な人物でしたようですね。
このことが、彼の死後に一つの大きな実を結ぶことになるのですが。
> 陸相自身は抗戦派だったようですが、抗戦を主張する青年将校たちの決起を押し留めていたことも鑑みるに、最後まで天皇陛下の臣であることをを貫かれたのでしょうね
私もそう思います。
軍人としてよりも、天皇陛下に対する忠臣、すなわち国家のために殉じる覚悟を持っておられた。
それゆえの割腹自害だったのでしょう。本当に惜しい人物です。
今でも根強い誤解
青田 黒田先生
青田です。
私の父親は、80歳なのですが、
終戦の時、14歳でした。
今でも、父親は、口にするのは
『もっと、早く、天皇陛下が戦争を終わらせていたら、こんなことにならなかったのに。』と言いだします。
私が、明治憲法について、説明しようとすると
???になります。
戦後教育には、もちろん、問題はありますが、
今の70代は、戦争中、戦争直後は、小学生、中学生なので、真実を知らない老人も多いですね。
特攻隊の平均年齢が19歳ですから、
本当は、今、生きている真実を知るその世代が
次の世代に真実を語り継ぎ、真実を風化させないようにしないといけなかったと思います。
(私は、小学生の時、実際に戦争に行った叔父から、真実を聞きました。ただ、学校で、また、洗脳されましたが)
あの戦争を知っている世代が、どんどん亡くなって、違う方向に歪められているのが、今の日本ですから
青田さんへ
黒田裕樹 確かにその通りですね。
ただ、現在はネットという手段がありますし、真実を広める手段はまだまだあると思います。
「阿南には阿南の考えがあったのだ。気の毒な事をした」。
事実、人望が厚かった阿南陸相の割腹自害は陸軍全体に大きな衝撃(しょうげき)を与え、若干(じゃっかん)の離反(りはん)はあったものの、その後の徹底抗戦への動きを封じることができました。阿南陸相は昭和天皇のご聖断を確かなものにするため、自ら命を絶つとともに、責任の重さから介錯を断って、最期を迎えるまで苦しみぬいたに違いありません。
陸軍の最高責任者として、戦争への責任などが何かと問題視される阿南陸相ですが、昭和天皇のご聖断を受けて陸軍全体をまとめ上げ、最後にはすべての責任を一人で取ったその潔(いさぎよ)い姿勢は、立派なものであったというべきでしょう。
また、陛下の侍従長として長く仕えたことで、昭和天皇とまさに阿吽(あうん)の呼吸でご聖断を導き出し、本土決戦による我が国滅亡の危機や、ソ連の参戦による北海道などの侵略をギリギリのタイミングで防ぎきった鈴木首相の政治力も素晴らしいものがありました。
国民のことのみを考え、自らを顧(かえり)みずに下された昭和天皇のご聖断の背景には、こうした「忠臣」による我が国への無私の行動もあったのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
晴雨堂ミカエル イッセー・オガタ氏が昭和天皇に扮した「太陽」はご覧になったことがありますか?
ぴーち こんばんは!
昨日に引き続き、割腹自害のお話ですね・・
武士の美学として一番見苦しくない自害の方法だと伝授されてきたこの死に様も、介錯があってこそ見苦しくない死に様だと美化され、完結されるものを、わざわざ介錯を断り、壮絶な死に様を世に示した阿南陸相の覚悟は相当なものだったことでしょう。
勿論、天皇のご聖断を決定付ける手段としての役割も果たせた事で無駄死にではなかったでしょうけれど、同時に割腹自害の悲惨で、見苦しい姿を見せてくれた事が、自殺を美化することがいかに間違いであるかという事実にも世間は気付いていただきたかったものですが。。
応援凸
黒田裕樹さん
風早 りら ソ連の参戦による北海道などの侵略をギリギリのタイミングで防ぎきった鈴木首相の政治力も素晴らしいものがありました。
私が常に 思っていることの一つがこのソ連の
参戦です もしここで このまま 戦争を
終わらしていなければ 日本は ドイツの
ように アメリカとソ連との支配下に置かれ
たのではと想定していることです
考えただけでも 恐ろしいことです
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > イッセー・オガタ氏が昭和天皇に扮した「太陽」はご覧になったことがありますか?
他の方からもご質問がありましたが、残念ながら未見です。
海外からの陛下の評価は貴重ですから、ぜひ拝見したいと思っているのですが…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 戦時中の話でしたから、阿南陸相の自害の件は一般に知られていなかった可能性もありますからね。
自害そのものは分かっていても、介錯を断ったことまではどうだったのでしょうか…。
いずれにせよ、相当な覚悟を決めての自害であり、だからこそ陸軍も矛を収めたのでしょうね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> ソ連の参戦による北海道などの侵略をギリギリのタイミングで防ぎきった鈴木首相の政治力も素晴らしいものがありました。
> 私が常に 思っていることの一つがこのソ連の
> 参戦です もしここで このまま 戦争を
> 終わらしていなければ 日本は ドイツの
> ように アメリカとソ連との支配下に置かれ
> たのではと想定していることです
> 考えただけでも 恐ろしいことです
仰るとおり、このタイミングで終戦を迎えたことで、北方四島は奪われてしまったものの、北海道そのものは辛うじて守ることができました。
とはいえ、終戦後もソ連の侵攻は続き、千島列島の占守島(しゅむしゅとう)などで壮絶な戦いが続いているのですが、いずれは当講座でも紹介したいですね。
オバrev 強権による独裁・恐怖支配ではなく、下の者の意見をしっかり聞き、国民のための決断をくだされるという、信頼と人望があったからこそ、忠臣も生まれ、ここぞという時にそれぞれが無私の行動をとったのだと思います。
独立国家として平和な日本が現在あるのも、このような歴史があったからなんですね。
やはり被虐的歴史教育から、事実に基づいた歴史教育に転換する必要性を痛感します。それによって日本人が自信を取り戻し、結果として経済的効果もあると思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 強権による独裁・恐怖支配ではなく、下の者の意見をしっかり聞き、国民のための決断をくだされるという、信頼と人望があったからこそ、忠臣も生まれ、ここぞという時にそれぞれが無私の行動をとったのだと思います。
> 独立国家として平和な日本が現在あるのも、このような歴史があったからなんですね。
> やはり被虐的歴史教育から、事実に基づいた歴史教育に転換する必要性を痛感します。それによって日本人が自信を取り戻し、結果として経済的効果もあると思います。
私もそう思います。
理念なき経済発展は、一時的な効果はあっても大きなツケとなって返ってきますからね。現代の我が国が不況から脱出できないのも、自民党や民主党に関係なく、現代の政治に問題があるからではないでしょうか。
65年前の陛下や政治家の覚悟を少しでも理解していれば、このようなことにはならないはずですが…。
mochimochi 日本のために戦い、独立を自分たちの命で守り抜いた方々に感謝を捧げたいと思います。
どうしてこういう人達のことを学ぶ機会が日本に無いのでしょうか?
私が無知なことを学校の先生の責任にするのは間違っていますが、余りにもおかしいと思います。
”日本はすごく悪い事をしたけど、アメリカの恩によって独立が許された”って今まで思っていました。
事実アメリカ人も間違った認識をしています。
話は変わりますが、天皇陛下の神格化について質問があります。
アメリカ人によりますと、日本の民衆は天皇陛下の事を不死身の神だと完璧に信じ込んでいたと言っています。
日本人の事を馬鹿にしてるように聞こえるのですが。
そもそも、日本には万物に神が存在するというようなアイデアがありますよね。日本の思想を知らないで天皇の神格化について述べるのは間違っていると思います。
でも、実際どうだったのですか?
mochimochiさんへ
黒田裕樹 日本人の奥ゆかしさ、悪く言えばお人よしは財産でもありますが、国内ならともかく、生き馬の目を抜く国際社会では、もっと自己主張すべきだと思います。
そうでないと、仰るように外国人にまで間違えて歴史認識を植え付けることになりますから、百害あって一利なしです。
天皇に対する神格化は明治維新以後の国策であったことは事実ですが、それ以前から神格化はともかく、国民が天皇に対する畏敬の念を持っていたことは間違いありません。そうでないと国策だからといって定着するわけがありませんからね。
我が国に限らず、外国のことを知る際にはもっと研究してほしいですね。まして我が国は2000年を誇る歴史を持っているのですから。