1990(平成2)年8月2日、イラク軍が突然クウェート領内に侵攻して軍事占領したうえ、クウェートの併合を宣言しました。これに対して、国連安保理事会は直ちにイラクを非難し、アメリカを中心に多国籍軍を組織したうえで、経済制裁を行ってイラクにクウェートからの撤退を迫りましたが、イラクはこれを拒否しました。
このため、翌1991(平成3)年1月17日に国連の多国籍軍がイラクへの空爆を開始し、翌2月24日には地上戦に突入したうえで、27日までにクウェートを実力で解放させました。これを湾岸戦争といいます。
ところで、ポスト冷戦期の世界にとって最初の試練となった湾岸戦争において、我が国が戦ってもいないのに、敗戦にもまさる深刻な打撃を受けてしまったことを皆さんはご存知でしょうか。
※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
存じませんね。
何しろ、まだ物心付かない時代の話ですから~
という冗談は黒田さんには通用しないとして(^^ゞ
最後の問題は何でしょう?
経済的な打撃だったでしょうか?
アメリカとの同盟について
青田です。 黒田先生
青田です。
日本人は、アメリカは、同盟関係を大事にし
日本を守ってくれると勝手に思い込んでいますが
アメリカの外交は、行き当たりバッタリで、
完全に外交音痴です。
たとえば、
● 蒋介石の国民党軍vs毛沢東の共産党軍が内戦をしていた時、アメリカのマーシャルは、国民党軍の武器供与を突然、止めてしまって、共産党軍が中国を占領し、支配し、結果的に赤化しました。
● キッシンジャーという自分は頭は、イイと思い込んでいる外交音痴の国務長官が、米中国交樹立しました。
その癖、台湾に武器を援助。(何がしたいねん。)
● イラク・イラク戦争の時、イラク側に武器を援助したと思ったら、今度は、2003年のイラク戦争で、『大量化学兵器がある』と
勝手な言いがかりをつけ、泥沼化しています。
私は、日米同盟は、大事だとは、思いますが、この前提で、日本は憲法9条を改憲し、独自で国防できるという状態を整えないと健全な同盟は維持できません。
余談ですが、戦国時代、織田家と徳川家の軍事同盟は、20年維持しましたが、
徳川家は、織田家よりも、弱小でしたが、
織田家の主要な戦いに主力を率いて、参陣したから、徳川家は、戦国時代を生き延びられたことを
日本人は、知っておくべきです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 最後の問題は何でしょう?
> 経済的な打撃だったでしょうか?
確かに我が国は湾岸戦争で大きな出費をしましたが、本質は別のところにあります。
今後の更新にご注目ください。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに徳川家にはそのような実績がありましたからね。
歴史に学ばなければなりません。
しかし、アメリカが我が国に求めていたのは、経済よりも「人的支援」でした。「日本は何らリスクを負おうとはしない」という批判に対して、当時の海部俊樹(かいふとしき)内閣は、自衛隊の海外派遣や小型武器の携帯を明記した「国連平和協力法案」を国会に提出しました。
しかし、野党を中心に「国連平和協力法案は、平和主義を定めた日本国憲法第9条に違反する」という声が強く、法案は廃案となり、その後、国内で貢献方法について論議を重ねているうちに、湾岸戦争が始まってしまったのです。
人的支援を断念した海部内閣は、平成3(1991)年1月24日に、アメリカが要請した90億ドル(約1兆1,700億円)の拠出金(きょしゅつきん)の追加供与を決定し、また難民輸送のために、今回限りの特別措置(そち)として自衛隊機を派遣することを決定しました。
※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
要するに今の安倍内閣はこの時の事を教訓に
憲法を改定していきたいという意向を強くしている訳ですよね。
アメリカが今後、自らが戦争を仕掛けない様な国なら
良いですが、戦い好きな国だけに
厄介な問題です。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 要するに今の安倍内閣はこの時の事を教訓に
> 憲法を改定していきたいという意向を強くしている訳ですよね。
仰るとおりですね。
この後の我が国をめぐる動きをご理解いただければ、さらに分かりやすくなると思います。
湾岸戦争後、クウェート政府はワシントン・ポスト紙の全面を使って、国連の多国籍軍に感謝を表明する広告を掲載しましたが、その中に日本の名はありませんでした。また、湾岸戦争に関して、アメリカやクウェートが、公式の場で我が国に感謝の意を表明したことは一度もなかったのです。
国民一人あたり1万円以上という膨大(ぼうだい)な資金援助を行ったにもかかわらず、国際社会の冷たい仕打ちを受けざるを得なかったことに対して、当時の日本人の中には怒りを覚える人も少なくありませんでした。
しかし、国際的な信義から見れば、日本の行動こそが「理にかなわなかった」のです。
※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
以前にも書かせて頂きましたが、
個人のお付き合いでもそうでしょうけれど
お金で何でも解決しようとする人に
他人からの信用は得られないのと同じ話ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 個人のお付き合いでもそうでしょうけれど
> お金で何でも解決しようとする人に
> 他人からの信用は得られないのと同じ話ですね。
まさしく仰るとおりですね。
詳しくは次回の更新でご紹介いたします。
ある地域で大規模な自然災害が発生しましたが、これ以上の被害を防ぐための懸命な作業が行われていました。自分自身のみならず、愛する家族の生命もかかっていますから、全員が命がけです。
しかし、地域の資産家が、「そんな危険な作業は家訓があるからできない。その代わりカネは出すからそれで勘弁してくれ」と言ってきたら、皆さんは彼を信頼することができるでしょうか。
湾岸戦争は、国連すら承認した戦争でした。本来ならば、緊急事態法を即座に制定してでも、我が国は国際社会に信頼を得られるよう、何らかのかたちで人的支援をすべきだったのです。その意味においても、湾岸戦争は我が国にとって大きな教訓となったのでした。
ちなみに、憲法改正の問題が、いわゆる右派の人々だけでなく、広く一般的な「国民的課題」と認められるようになったのは、この湾岸戦争からです。日本国憲法第9条に縛(しば)られ、身動きのできなかった湾岸戦争での我が国の対応に疑問を感じた国民の意識が少しずつ変化することで、現在の安倍晋三内閣が憲法改正を課題の一つに挙げるまでに、国民的議論が成熟してきたという側面も見逃せません。
※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。





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青田です。 黒田先生
青田です。
イギリスは、いつも、米国にたいして
全面支持で、軍事力も必ず、出します。
もちろん、元々、アングロサクソンで、プロテスタントということはあるとは、思いますが、
それだけではありません。
イギリスのアイルランド問題に関しては
アメリカは、全面的にイギリスを支持します。
アイルランドは、イギリスへの支配(植民地)は、200年以上で、日本の韓国併合どころではありません。
それでも、アメリカは、イギリスを全面支持します。
もし、日本もアメリカの軍事行動にたいして
面従腹背でも、全面支持で、軍隊を出していれば日本と韓国の問題では、日本を全面支持に廻っつていたとおもいます。
韓国軍は、アメリカのベトナム戦争で、アメリカ軍以外では、最大の兵力を出しました。
その弊害として、ライダイハンが多数数生まれましたが、アメリカは、そのことには一切、触れず、日本の慰安婦問題を問題にします。
アメリカは、カウボーイ思想の国なので、一緒に血を流してくれた人間を信用しますが、そうでないと全く、信用しません。
ぴーち こんばんは!
私などの様にこういう問題には素人の人間ならまだしも、世界情勢にも詳しく、政治理論にも長けている護憲派と言われる人達が、盛んに憲法改正に反対する理由というのはどういう訳なのでしょうかね・?こういう理由が理解出来ていない。。という事なのでしょうか。あるいは知った上で
何か違う理由で反対をするのでしょうか・・
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、そういう一面もありますね。
だとすれば、最近はそのアメリカですら韓国を擁護できなくなってきたということでしょうか…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 世界情勢にも詳しく、政治理論にも長けている護憲派と言われる人達が、盛んに憲法改正に反対する理由というのはどういう訳なのでしょうかね・?こういう理由が理解出来ていない。。という事なのでしょうか。あるいは知った上で
> 何か違う理由で反対をするのでしょうか・・
私にもよく分かりませんが、あるいは我が国よりも別の国の方に視点が向いていると仮定すれば、話は早いかもしれません。
昭和29(1954)年に自衛隊が発足して以来、初めてとなった海外派遣は、国連や東南アジア諸国の賛成もあって、6月5日から他の多国籍軍派遣部隊と協力して掃海作業を開始しました。
炎天下の劣悪な環境の中、海上自衛隊は担当した海域約700平方kmにおいて、「湾岸の夜明け作戦」と呼ばれた機雷除去を行い、9月10日までに、他国が処理できなかった困難な機雷除去を完遂(かんすい)しました。
海上自衛隊の掃海技術は国際社会で高い評価を受け、かつて日本の国旗を除いて謝意を表した広告を掲載したクウェートでも、掃海部隊派遣後には、日本の国旗が新たに他国に加わって印刷された記念切手が発行されるなど、危険を伴(ともな)った人的貢献を行ったことで、外国における我が国の評価がそれまでと一変したのです。
※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
このお話は、私も当時聞いていて
さすがは、日本人。
与えられた仕事をしっかりとこなし
現地の方たちの心に寄り添う活動を
行っていて素晴らしいなと感動を与えて
貰ったのを覚えております。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もよく覚えています。
海上自衛隊の皆様の活躍ぶりに、それまでの認識が大きく変わりましたよね。
政府は「国際貢献という観点から、戦闘終結地域への、戦闘目的以外の自衛隊の派遣であれば可能である」との判断を下し、湾岸戦争の翌年に当たる平成4(1992)年に国際平和協力法(PKO協力法)を制定させ、国連平和維持活動への人的貢献として、自衛隊の参加を可能としました。
そして、同年9月には、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の要請により、カンボジアに自衛隊が派遣され、我が国における本格的な人的支援への道が開かれたのです。
その後、自衛隊の海外派遣は平成5(1993)年のモザンビーク、平成6(1994)年のザイール(現在のコンゴ民主共和国)、平成8(1996)年のゴラン高原、平成14(2002)年の東ティモール、平成16(2004)年のイラク、平成23(2011)年の南スーダンなど継続的に行われ、自衛隊の活躍ぶりが、我が国の世界における信頼度を高めています。
なお、PKO協力法をめぐっては、法案に強硬に反対した社会党や共産党などによって牛歩(ぎゅうほ)戦術が行われたり、社会党の衆議院議員全員が辞職届を出したりするなど、審議引き延ばしを目論(もくろ)んだ議事妨害によって、採決がずれこんだという経緯もありました。
※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
国と国との本格的な争い毎なら
キレイ事は有り得ないかも知れませんが、
第三者的な立場での人助けであれば
痒い所にも手が届く様な手厚い対応が出来るのは
今のところ
日本の他に右に出る国は無いのではなかろうかと
思います・。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
自衛隊の世界における活躍ぶりは我が国の宝ですね。