しかし、「なぜ明治憲法は改正されなければならなかったのか」、あるいは「なぜ日本国憲法はGHQが作成したマッカーサー草案をもとにして制定されたのか」という歴史的経緯が理解できなければ、当時の我が国が、「GHQから押しつけられた日本国憲法を受けいれざるを得なかった」という「真の姿」を見出すことができません。
昭和20(1945)年8月15日、我が国は連合国からのポツダム宣言を受けいれるかたちで終戦を迎えましたが、宣言の内容には「軍隊の無条件降伏」こそあったものの、宣言文には「私たちの条件は以下のとおり」と書かれており、決して「全体的な無条件降伏」ではなかったですし、また宣言に書かれた条件の中には「新憲法の制定」は含まれていませんでした。
ところが、GHQはその政策の大きな柱として、ポツダム宣言に違反し、さらに国際法であるハーグ陸戦条規にも反する「新憲法の制定」を当初から決定していました。
しかも、宣言違反をカムフラージュするために、あたかも「日本が自主的に憲法を改正、または起草を行う」ように仕向けることが、当時の基本方針として明示されていたのです。
※下記の映像は3月26日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
黒田さんの歴史講座で勉強させて頂き始めてから、こうしたアメリカの一連の態度を知らされる度に
アメリカの考え方の汚さを思い知らされ、考えさせられて参りましたので、僅かながらでもこの当時の日本の苦渋な思いが分かるような気がします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 黒田さんの歴史講座で勉強させて頂き始めてから、こうしたアメリカの一連の態度を知らされる度に
> アメリカの考え方の汚さを思い知らされ、考えさせられて参りましたので、僅かながらでもこの当時の日本の苦渋な思いが分かるような気がします。
有難うございます。
アメリカの態度は、白人のそれでもあります。
第47回歴史講座でも、そのあたりの生々しさを表現できると思いますので、よろしくお願いします。
オバrev ポツダム宣言や国際法に違反しているのに、何故出来たのか。日本人の生真面目な性格が関係しているような気がしますが?
オバrevさんへ
黒田裕樹 確かにそれもありますが、我が国側が受けいれざるを得ない事情もありました。
講演の最終あたりで詳しく紹介します。
翌昭和21(1946)年に改正憲法の草案が完成し、2月8日に政府がGHQに提出しました。この草案は、憲法問題調査委員会の中心人物であった国務大臣の松本烝治(まつもとじょうじ)の名前から、「松本試案」と呼ばれています。
松本試案の内容は、前年の昭和20年の帝国議会で松本大臣が発表した、いわゆる「松本四原則」に基づいていました。その内容は以下のとおりです。
1.天皇の制度の基本原則を変更しない
2.議会の権限の拡大
3.国務大臣の議会に対する責任の明確化
4.自由及び権利の保護の拡大と侵害に対する国家の保障の強化
政府としては、明治憲法の基本方針を大きく変更する必要はなく、部分的な改正だけでGHQが求める民主化に十分対応できると判断していたのです。しかし、GHQは松本試案の内容は保守的であると見なして2月13日に拒否通告し、さらにGHQが独自に作成した「マッカーサー草案」を政府に提示しましたが、GHQの高飛車な対応や、草案の内容に対して、松本大臣をはじめとする当時の政府の首脳は、唖然(あぜん、あっけにとられること)かつ慄然(りつぜん、恐れおののくこと)としました。
※下記の映像は3月26日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
いわゆる「白人至上主義」が戦争に勝利した事で
より一層、強調された形となってしまい、白人根性の傲慢さが増してしまったという事でしょうかね?
しかしながらよく考えてみれば、強者とは常に
その地位を剥奪しようとする敵を多くつくる事になり、虎視眈々とそのチャンスを狙われる側になるので、常に「勝者」を演出していなければならないので大変だなと思いますね。。
これは単なる平和ボケした小市民の一意見として聞いてください(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > いわゆる「白人至上主義」が戦争に勝利した事で
> より一層、強調された形となってしまい、白人根性の傲慢さが増してしまったという事でしょうかね?
そのとおりですね。「遅れた黄色人種に俺たちが教えてやるんだ」という傲慢さが見えます。
> しかしながらよく考えてみれば、強者とは常に
> その地位を剥奪しようとする敵を多くつくる事になり、虎視眈々とそのチャンスを狙われる側になるので、常に「勝者」を演出していなければならないので大変だなと思いますね。。
> これは単なる平和ボケした小市民の一意見として聞いてください(^_^;)
今のアメリカがまさにその状態ですね。戦前の我が国は逆に敵をつくらないように配慮し続けましたが…。
松本大臣がなぜ一院制なのかをGHQに問いただすと、ホイットニー民政局長は「日本にはアメリカのように州という制度がないから上院は必要ないし、一院制の方がシンプルではないか」と答えました。要するに、憲法草案を作成した立場の人間が、二院制の意義を全く知らないのです。
さらに松本大臣を驚かせたのが、「土地その他の天然資源は国有とする」という事項でした。これは私有財産の否定を意味しており、松本大臣が後に幣原首相に草案を報告した際に、「まるで共産主義者の作文だ」という会話が残されています。
なぜマッカーサー草案には二院制に対する認識が欠けていたり、あるいは私有財産を否定するような内容が含まれていたりしたのでしょうか。それもそのはず、実はマッカーサー草案は、「憲法の素人がたったの一週間で作った急ごしらえ」のものだったからなのです。
※下記の映像は3月26日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
素人が急ごしらえで作った草案ですか・・
それはどうしてそのような事になって
しまったのでしょうね・・。
素人が作った憲法が国を支える屋台骨として
存在させようとすること自体、信じがたい事実ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですよね。
なぜそうなったかについてはこれから明らかにしますが、にわかに信じがたい話となります。
オレンジ 黒田先生って、こんなに立派な講演をされるのに、まだ臨時講師なんですか?採用しない大阪府教育委員会はどうかしています!黒田先生のような人に正しい歴史を教えてもらいたかったです!これからも頑張って下さい!
オレンジさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
採用試験に合格できないのは、ひとえに私の実力不足です。
これからも努力して頑張ります。
GHQは事前に松本試案の概要を入手しており、日本政府に先手を打つかたちで、自分側からの草案作成を急いでいたのです。
ところが、民政局員の25人のメンバーのうち、弁護士の資格を持っている人物こそ存在したものの、憲法学を専攻した者は一人もいませんでした。このため、民政局は日本の民間憲法草案やアメリカ合衆国憲法ほか、世界各国のありとあらゆる憲法を参考として、わずか一週間で急ごしらえの草案をまとめ上げ、マッカーサーの承認を得たうえで日本政府に通告したのです。
なお、民政局のメンバーには、ベアテ・シロタ・ゴードン氏のような女性も含まれており、彼女によって「家族生活における個人の尊厳と両性の本質的平等」が規定された憲法第24条が起草されたことが知られていますが、何と言っても憲法に対する素人が、しかも外国人の手によって作成された草案ですから、我が国にとっては困惑以外の何物でもありませんでした。
しかし、我が国は松本試案を断念して、マッカーサー草案を受けいれる以外に選択肢は存在しませんでした。なぜなら、GHQが占領という立場を悪用した脅しを我が国にかけてきたからです。
※下記の映像は3月26日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
マッカーサー草案がこれほどまでに
何も考えられずに提案された憲法だったとは
存じませんでしたので、正直驚きました。
しかも今の今まで日本人はそのいい加減な憲法を順守して、守って来たのかと考えるとなんと愚かな・・と思う反面、日本人とはなんとタフで忍耐力に優れた人種なのだと改めて感じました(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに愚かですよね。
押し付けられた憲法は、独立後には速やかに変えられるはずだったのですが…。
そして昭和21年2月13日にマッカーサー草案を提示した際、ホイットニー民政局長は松本大臣に対して、「この改正案(=マッカーサー草案)を受けいれなければ天皇の地位を保証することができない」と通告しました。これはすなわち、昭和天皇の身柄と引き換えにマッカーサー草案の受けいれを求めるという、事実上の脅迫でした。
さらに、ホイットニーらが会合の場所である外務大臣官邸から一旦庭に出た際に、一機のB29爆撃機が大きな轟音を響かせて飛んでいきました。これも「言うことを聞かなければ日本に爆撃を加えるぞ」という、政府に対する心理的な圧迫でした。
加えてホイットニーは、GHQと政府との連絡役を務めていた白洲次郎(しらすじろう)に対して、「我々は戸外に出て原子力エネルギーの暖を取っているのだ」と言い放ちました。この発言も、広島や長崎に次いで三度目の原爆投下を行う可能性があることを示したものであると考えられています。
※下記の映像は3月26日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
もう他に選択肢を与えられない条件ですね(^_^;)
これではまるで
先日のお話に出てきた死刑宣告と同じじゃないですか!
言い逃れも出来ずにそれに従うしか無かったのは
余りにも苦痛な事でしたね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 まったくもってそのとおりです。
敗戦国の悲劇とはいえ、卑怯極まりないですね。
松本大臣をはじめとする数々の抵抗もむなしく、マッカーサー草案は、一院制を二院制にすることや、土地その他の天然資源の国有化を削除することなどの細かい変更があったのみで、ほぼ原案どおり閣議で決定され、帝国議会における審議が始まりましたが、この審議の内容は毎日のように英文に訳されてGHQの管理下に置かれ、GHQの了解なしにはどのような修正もできないという有様でした。
また、憲法改正における重要な審議である憲法改正特別小委員会は非公開とされ、すべてがGHQの思惑どおりに進められたうえで、若干の変更を加えたのみで衆議院と貴族院で相次いで可決され、昭和天皇のご裁可を経て、昭和21年11月3日に日本国憲法が公布されるとともに、翌昭和22(1947)年5月3日に施行(しこう)されました。この日は「憲法記念日」として国民の祝日となっています。
新しく制定された日本国憲法が、マッカーサー草案を下敷きとしていることは、GHQによって機密事項とされ、我が国が独立を回復する昭和27(1952)年まで一切公表されませんでした。国民が全くあずかり知らないところで新しい憲法が誕生していただけでなく、そこには本来許されるべき日本人による自由な憲法批判が全く認められない、という閉鎖性が秘められていたのです。
五箇条の御誓文を国政の指針と定めた後、我が国の古典などを参考にしたうえで、約8年近くの長い歳月をかけて完成させた明治憲法に対して、素人が一週間で書き上げた、しかも外国製の憲法を、国会での審議とは名ばかりで、GHQによって無理やり制定させられた日本国憲法。憲法に対する我が国での自由な議論は大いになされるべきですが、少なくとも両憲法の成立過程を十分に理解したうえで進めるべきではないでしょうか。
では、このような経緯でつくられた日本国憲法の内容について、私たちはどのように学校で教えられているのでしょうか。詳しくは次回の「公民授業」並びに講演で紹介させていただきたいと思います。
※下記の映像は3月26日までの掲載分をまとめたものです。
(※第2回公民授業の内容はこれで終了です。次回[3月27日]からは通常の更新[=通史完結にあたって]に戻ります))





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ぴーち こんばんは!
まずは6周年おめでとうございます!
黒田さんのブログに初めてお邪魔させて頂いてから4年目程になりますでしょうか?
これまで本当に沢山の学びを経験させて頂き
日々感謝致しておりますm(_ _)m
これからもまた宜しくお願いいたします。
本文の件ですが、
今回は日本国憲法についてのお話でしたが、
敗戦国になってしまった国の悔しさ、苦しさを
日本もこうして味わう羽目になってしまいましたが、敗戦国の酷さを及ばずながら、時々耳にしたりしますが、どの国も惨めな戦後を辿っているのだなとしみじみ思います。日本は国を分断されたりしなかっただけまだましだと言われる人も居ますが、
それでも、戦後70年を迎えた現在でもアメリカの
言う事に従わなければならない風潮には悔しさを覚える事が多いのがなんとも遺憾に思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お祝いのお言葉有難うございます。
ぴーちさんは拙ブログ誕生間もない時期からずっとお付き合いくださってますよ(^ω^)
仰るとおり、戦後から70年も経つのですから、一日も早い自主憲法の制定が望まれますよね。
完全にブラックジョーク
青田です。 黒田先生
青田です。
この無理やり押しつけられた日本国憲法は
完全にブラックジョークだと思うのは
日本国憲法21条で、『検閲の禁止』を規定していますが、GHQへの批判、東京裁判の検閲をGHQは、しまくっています。
さらに、日本国憲法39条で、『事後法・遡及処罰の禁止』を規定しているのに
東京裁判自体、戦犯を事後法で、裁いています。
日本国憲法は、東京裁判の最中に施行されました。
全く、意味がわかりません。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにブラックジョークですね。
だからこそ、憲法改正あるいは自主憲法制定が必要なのではないでしょうか。