かくして、日米両国がついに戦争を始めた訳ですが、日本軍による真珠湾攻撃を「卑怯(ひきょう)な奇襲」とフランクリン=ルーズベルト大統領が主張したことによって、アメリカの世論は一気に戦争賛美となり、日本を叩き潰(つぶ)すことが正義とまで考えられるようになってしまいました。
しかし、我が国は真珠湾をまるで騙(だま)し討ちのように奇襲する意図は全くありませんでした。政府も連合艦隊も、開戦の通告を行ってから真珠湾攻撃を開始するつもりで周到な準備を重ね、開戦の30分前にはアメリカのハル国務長官に対して国交断絶の通告を渡す予定でした。
それなのに、現地(=ワシントン)の日本大使館の大失態でアメリカへの伝達が遅れたため、アメリカ国民に「日本軍が奇襲攻撃を仕掛けた」と誤解されてしまったのです。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち おはようございます!
なるほど。
日本はアメリカの思う壺にハマってしまった訳ですね。
もしかしたら、
日本の大失態も、弱点だと把握されていたりして
こちらもアメリカの想定内だったのでしょうかね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そのとおり、まさに「思う壺」でした。
これからその詳細を明らかにしていきたいと思います。
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ところが、日本大使館の職員が同僚の送別会を行うために総出で引き上げてしまったことで、国交断絶の通告たる「対米覚書」の解読が遅れてしまったのです。対米覚書は現地時間の12月7日午後1時にアメリカに手渡さなければならなかったのですが、解読に手間取った大使館側は、アメリカに対して独断で「約束の時間をもう1時間延ばしてほしい」と頼み込んでしまいました。
言うまでもないことですが、大使館の身勝手な都合が、はるか遠くで攻撃の準備を進めていた連合艦隊に伝わるはずがありません。結局、大使館側が対米覚書をハル国務長官に届けたのは同日の午後2時20分であり、真珠湾攻撃が終わってから約1時間も経ってからのことでした。
かくして、日本大使館員の常識外れの怠慢(たいまん)によって、真珠湾攻撃が我が国による「奇襲」とみなされるとともに、フランクリン=ルーズベルト大統領が「奇襲攻撃後に断交通知を持ってきた日本ほど、卑劣(ひれつ)で悪辣(あくらつ)な国はない」と喧伝(けんでん、さかんに言いふらすこと)するなど、日本側の大失態を最大限に利用する流れをつくってしまったのです。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
私事の話で恐縮ですが、
二番目の子供を出産した夜、
たまたまその産院内のお花見会が有りまして
院長及び通常勤務されている看護師さんたち
総出で出かけてしまった為に、臨時で雇われた
看護師さんしか院内には残っていませんでした。
所がそういう時に限って
私が急に様態が悪くなってしまい
その臨時の看護師さんだけが付き添って手当をして
下さったのですが、対応が悪く
次の日、転院を余儀なくされたのですが
何故、こういう時に
院長までもが不在になってしまうのかと
つらい目に遭った事をふと思い出しました(^_^;)
まあ、私個人の話はいづれにせよ
今回の場合の様に、国同士の緊迫感高まる中で
送別会などを執り行う危機感の無さに
日本の甘さを感じずにはいられません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 それは大変な目にあわれましたね。
当時の我が国の能天気さも含め、情けない思いがします。
えめる 大変長い間、ご無沙汰しておりました。
やっと復活気分のごあいさつに参りました。
8月は、戦争関連の大事な日がありますね
でもみんな、日常のことや仕事やレジャーに忙しく。
戦争を知る人たちが減っている中で
いよいよ独裁政治のような勝手なアベサン。
今こそ戦争の事実を、みんなが知るべきと、痛切に感じています
日本が戦争を回避できるかどうかの瀬戸際。
あの解散総選挙は、ほかに選べなかったという消極的な状況を利用しての、
独裁への布石でした
「お前らが俺を選んだんだから文句は言わせない」ってね……
実際わたしは、第二次世界大戦に関しての正しい知識は皆無といっていいでしょう
はだしのゲン、火垂るの墓などで戦争と原爆の被害の恐ろしさの一面は知りましたけど
表に出ていないことも知らなければ、私の中の勝手なイメージに過ぎないです。
ふわふわのイメージを中身のあるものに変えること、
また教えていただきにまいりましたのね
どぞっよろしくなのです^^
えめるさんへ
黒田裕樹 これはこれはお久し振りです。
ご復活とのこと、ご同慶の至りです。
現政権に関しては、様々な意見があると思いますが、私は歴史の立場から、是々非々で見守っていきたいと考えております。
大東亜戦争に関して、拙文が少しでもえめるさんのお役に立てれば幸いです。
さて、これだけの弁解の余地もない大失態をやらかした大使館員たちですが、彼らは「タイピングに手間取って遅れた」と言い訳して、自分たちのミスをごまかしたのみならず、その後も口を堅く閉ざして一切の責任を取ることなく戦後に出世を重ね、中には昭和天皇の側近として仕えた者までいます。
国交断絶の通告を手渡すということは、それこそ国家の命運がかかった重要な手続きです。解読が遅れそうであれば清書せずに手渡したり、最悪の場合は要旨(ようし)だけを口頭(こうとう)で伝えて文書を後回しにしたりするなど、いくらでもやり方があったはずです。
重要な局面で信じられないような大失態をおかした当時の大使館員の責任問題ですが、我が国の国益や誇りを断固として守るのであれば、このまま風化させてしまうことが果たして許されてよいものでしょうか。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そうなんですよね。
世の中、そう言う人こそが
何気に出世街道を歩んで行ったりするものなんですよね。本当にそういうお話を伺うと
腹立たしくも感じますが、
きっとそのような人にはそれ相当の
天罰は下るでしょうし、
そういう失態を二度と繰り返さないように
後世の者が(黒田さんの様な方が)
それに気づいて事態が好転して
いけばそれに越したことは有りません。
そう願わずにはいられません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 因果応報は世の常ですからね。
そうあってほしいものだと私も思います。
その際、我が国の大使館員の怠慢によって、フランクリン=ルーズベルト大統領が「日本軍による騙し討ち」と喧伝して「リメンバー・パールハーバー」と唱えたことで、それまで反戦気分の強かったアメリカ国民の我が国に対する敵愾心(てきがいしん)を一気に高め、国家を挙げて対日参戦のムードをつくり上げることに成功しました。
ところが、我が国が真珠湾攻撃を行うことを、ルーズベルト大統領をはじめとするアメリカ政府首脳が事前にすべて察知(さっち)しており、我が国が「先制攻撃」を仕掛けてくるのを待ち構えていたという説があることを皆さんはご存知でしょうか。
当時のアメリカは、我が国の秘密文書の暗号をことごとく解読しており、日本大使館が慌(あわ)てて準備していた国交断絶の通告たる「対米覚書」も、解読のうえルーズベルト大統領に事前に手渡されていたというのです。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
アメリカ政府首脳が事前に把握していた
という事実があった事は(当然ながら(^_^;)
存じませんでしたが、
結局、アメリカは何もかも承知の上で
戦争に挑んだ訳ですので
先日の言葉通り、日本は「飛んで火にいる夏の虫」
だったという事ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 先日の言葉通り、日本は「飛んで火にいる夏の虫」
> だったという事ですね。
残念ながらそのとおりですね。
アメリカが我が国を追い込むためにどんな手を使ったかについては、次回以降の更新をぜひご覧ください。
まず真珠湾攻撃の以前、アメリカがハル・ノートを我が国に通告した直後に、真珠湾を母港とする2隻(せき)の航空母艦(=空母)すべてが、本国の命令によって新鋭艦を伴って出港しました。この結果、真珠湾に残った軍艦は、そのほとんどが第一次世界大戦以来の旧型艦しかなく、しかも空母が存在しないという状態となってしまっていたのです。
またアメリカは、暗号の解読によって、我が国の開戦決定と真珠湾攻撃の予定日を事前に知りながら、極めて重要なはずのその情報をハワイに知らせるのを遅らせたため、現地の太平洋艦隊司令官が実際に情報を受け取ったのは、真珠湾攻撃が終わってから何と6時間以上も経ってからでした。
真珠湾が攻撃された昭和16(1941)年12月7日(現地時間)は日曜日だったため、何も知らされていない現地の司令官は、当日にゴルフを楽しむ予定だったと伝えられています。この事実は何を意味しているのでしょうか。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
考えられることは、
まず
日本の奇襲攻撃であった・・という
宣言を事実であると確証させる為の
無防備作戦であったのではないかと思うのですが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本の奇襲攻撃であった・・という
> 宣言を事実であると確証させる為の
> 無防備作戦であったのではないかと思うのですが。
そのとおりですね。
あえて無防備にすることで、奇襲攻撃に見せかけようと考えたと思われます。
象嵌師 こんにちは、 ある程度の物的被害と人的被害が無いとアメリカ国民に対して開戦の大義名分にならないのて人柱にしたのではないでしょうか。
象嵌師さんへ
黒田裕樹 > ある程度の物的被害と人的被害が無いとアメリカ国民に対して開戦の大義名分にならないのて人柱にしたのではないでしょうか。
ご慧眼ですね。国益のためには非情な手段も辞さない。日本人にはなかなかできないことです。
暗号の解読によって事前に攻撃されるのが分かっている以上、ルーズベルト大統領をはじめ政府首脳は、日本軍による攻撃の回避や、あるいはアメリカからの先制攻撃の可能性を探るなど、それこそホワイトハウスに缶詰状態となって最大限の努力を重ねるのが当然のはずです。
しかし、実際の彼が攻撃前夜に取った行動は、ホワイトハウスに家族を招いての食事会でした。その際にルーズベルト大統領は「戦争は明日始まる」と家族に対して満足そうに言ったとされています。
なぜ大統領は嬉(うれ)しそうだったのでしょうか。それは、彼にとって悲願であった「日本を挑発し続けることで先制攻撃させて、その結果アメリカが第二次世界大戦に堂々と参戦できる」という目標が達成されようとしていたからです。
そして、その悲願は、大西洋を越えたイギリスの首相であるチャーチルにとっても同じことでした。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
日本はアメリカの挑発にあくまで乗らずに
無視し続けたとしたら、今頃どうなっていたんでしょうかね?
そう考えると、戦争の仕掛けに乗らなかった事が正解だったのか、或いは
挑発に乗って戦争を開始したことが日本の将来の為に本当に必要な事だったのか・・
考えさせられました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 こればかりは分かりませんね。
ただ、当時の政府首脳では戦争に踏み切る以外に策がなかったといえるかもしれません。
なぜかについてはいずれ紹介します。
そして我が国が真珠湾攻撃を行うと、チャーチルは「これで戦争に勝った」と心から喜ぶとともに「長い間の苦しみから解放された」と後に書かれた自著の中で述べています。
かくしてルーズベルト大統領は、アメリカをヨーロッパ戦線に参加させるために日本をギリギリの状態にまで追い込み、先制攻撃させるよう罠(わな)を仕掛けましたが、それは同時に、真珠湾攻撃によって戦死したハワイの太平洋艦隊の兵士たち数千人を「生贄(いけにえ)」にしたことも意味していました。
ルーズベルト大統領の政敵で、当時は野党だった共和党のリーダーを務めたハミルトン=フィッシュは、後に出版した回顧録の中で「私たちはルーズベルトが欺(あざむ)いて(アメリカを)戦争に導いたなどとは(当時は)疑いもしなかった」と述べています。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
何やらこうして伺っていると
戦争の戦犯を受けるべき最も相応しい人物は
ルーズベルト大統領、その人だった気がして
来ますね(^_^;)
岬です。
岬 佑季 黒田先生
いつもご指導ありがとうございます。
英は敗戦から逃れるために、米を参戦させるよう仕向けたということですが、自国の国益のためにはどのような手段でも使うのですね。
国同士の駆け引きの中では、それが常識なのかもしれませんが、日本は当時そのような英の動きに対して、「阻止するためなら何でもする」というような行動はあったのでしょうか?
勉強不足で申し訳ありません(;_;)
岬佑季 拝
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 何やらこうして伺っていると
> 戦争の戦犯を受けるべき最も相応しい人物は
> ルーズベルト大統領、その人だった気がして
> 来ますね(^_^;)
私もそう思えてなりません。
今さらながら、世界の「腹黒さ」を実感させられます。
岬佑季さんへ
黒田裕樹 どの国も、自国の利益のためにはある意味「他国を犠牲にする」ことに何の遠慮もありません。
それをためらう唯一の国は、本来は「八紘一宇」の精神を持つ我が国です。もっとも、生き残るためには綺麗事を言っていられない時期もありましたが、仰る件に関しては、詳しくは後述しますが、残念ながらそういった行動が見当たらないのが現実ですね。
黒田裕樹拝
ご返答ありがとうございます。
岬 佑季 黒田先生
早々のご返答誠にありがとうございます。
自国の利益を優先させるのではなく、一貫して「八紘一宇」の精神を貫いたのですね。
当時の方々の判断には恐れ入ります。歴史をどう評価したらよいのかは難しいですが、並大抵の精神力ではできないことのように思いました。
また以降の回も拝読させて頂きます。ありがとうございます。
岬 佑季 拝
岬佑季さんへ その2
黒田裕樹 こちらこそご返信くださり、有難うございます。
歴史を総合的に評価するためには、自国の歴史を知らなければ話になりません。
そんな我が国の当時の対応について、これから更新を行うことになりますので、ぜひご笑覧ください。
黒田裕樹拝
しかし、大統領の行動を卑劣と感じるということは、裏を返せば、我々が第二次世界大戦当時から「全く成長していない」ことを示している、とも言えるのではないでしょうか。
なぜなら、ルーズベルトがアメリカの大統領である以上、彼がアメリカの国益を第一に考え、日本がその障害になるのであれば取り除こうとするのは、むしろ当然だからです。アメリカ側から見れば、彼の一連の行動、すなわち当時のアメリカは少しも悪くありません。
では、当時の世界における「アメリカにとっての最大限の国益」とは、いったい何だったのでしょうか。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
先日、アメリカ人に対しての意識調査の中で
日本に核爆弾が投下された事は本当に正しかった事なのかというアンケート調査の結果が出されていましたが、戦後当時は圧倒的に「あの戦争を終わらせる為には必要であった。つまり正しい判断だった」と言う意見が占めていたそうですが、
現代に生きる20代、30代のアメリカの若者に聞くと「核爆弾はあってはならないもの。投下したことは間違いだった」と答える回答が多く見られるようになったと言いますね。
まあ、依然として4,50代以降の人達の中には
「正しい」と未だに信じて疑わない人も居ることは確かなようですが、世界中で核の悲劇に向き合う人達の悲惨な話が耳に入るうちに、核の恐ろしさを
知る若者が増えだしたのでしょうね。
自国が行った行為に対して、ノーと判断するのはなかなか勇気のいる事だとは思いますが、アメリカ人のそういう客観的なものの味方には見習うべきものが多々有ります。
勿論、そういう位なので大胆な発想も出来るのでしょうけれど。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 客観的な視点は重要ですね。
我が国も全否定、あるいは全肯定だけで済ませるのではなく、様々な観点から歴史を見直すべきだと思います。
こうした事態を打開するためには、イギリスの要請を受けて第二次世界大戦に参加し、戦争がもたらす様々な特需によって経済を発展させるしかないとルーズベルト大統領は考えましたが、当時のアメリカは伝統的に孤立(こりつ)主義であり、他国の戦争に介入することを嫌っていました。
反戦ムードに満ちた国内の雰囲気を察したルーズベルト大統領は、自らの本音を封印して「攻撃を受けた場合を除いて絶対に戦争はしない」と公約し、1940(昭和15)年に三選を果たすと、イギリスなどと連携して日本を挑発し、先制攻撃をさせることで、アメリカがヨーロッパ戦線に参加できるように仕向けました。
ありとあらゆる工作や謀略を行ったルーズベルト大統領は、最終的にハル・ノートを突き付けることによって日本に真珠湾攻撃をさせるとともに、現地の司令官に情報を流さなかったりしたことでわざと日本を勝たせる(ように見せかける)とともに、空母や最新鋭の軍艦を事前に真珠湾から脱出させることで、実害を最小限に食い止めました。
こうしてアメリカの第二次世界大戦への参加の大義名分をつくり出したルーズベルト大統領は、日本大使館の怠慢で国交断絶の通告が遅れたことも最大限に活用して「リメンバー・パールハーバー」のプロパガンダを完成させ、彼の予想どおりに戦争特需が起きて、アメリカ経済は劇的な回復を遂げたのです。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
将棋の世界でもプロとなると
何十手先をも見据えて戦うなどと聞いた事が
有りますが、きっとこの時のルーズベルト大統領も
数手先まで読みながら、事を進めて居たのでしょうね。
自身の経験が後押ししていたのかも知れませんが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそんな気がしますね。
これも政治の巧妙さであり、それに対応できなかった当時の我が国が残念でなりません。
ただし、アメリカのもう一つの悲願であった「東アジアにアメリカの権益を構築する」ことは、ルーズベルト大統領が1945(昭和20)年に急死すると、後継のトルーマン大統領も果たすことができず、それどころか、ソ連や中華人民共和国といった共産主義国家を戦後に急成長させる結果となりました。
これは、ルーズベルト大統領の周囲にソ連(=コミンテルン)のスパイが多数存在していたことが原因とされていますが、それ以外にも、日本との戦争が長期間にわたり、約10万人という予想外の多数の戦死者を出したことなどが、戦後のルーズベルト大統領の評価を下げることにつながりました。
ルーズベルト大統領に関する様々な評価を見れば、国益を追求し続けることの難しさや、謀略を仕掛けた一方で自分自身が謀略に引っかかっていたことなど、人間の生き様の複雑さや困難さを思い知らされますね。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かに自国の国益だけを考えれば、
ルーズベルト大統領の様な采配はベストなのでしょうけれど、結果的に早々に足元を掬われてしまう事になってしまったのですね。
相手国の国益までも考えられる話し合いが
存在すれば、もう少し株が上がったのかも知れませんが(^_^;)
オバrev 欧米人は、こういう巧妙に自分の悪さを隠しながら大義名分を掲げて戦いをするというズルさがありますよね。
逆に日本人に一番欠けている。
これは歴史や文化の中で培われた違いなんだろうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 相手国の国益など、普通は考えませんからね。
そんなお人よしは、日韓併合で朝鮮半島のレベルを自国並に引き上げた我が国くらいでしょう。
オバrevさんへ
黒田裕樹 相手国の侵略を常に受けていると、どうしても巧妙さが目立ちますよね。
島国であるがゆえに、長いあいだの平和を保った我が国に一番欠けているところかもしれません。
繰り返しますが、私たち日本国民が、ルーズベルト大統領による一連の手法を「卑劣」であると一方的に断じることがあっても、それならそれで、なぜ当時の日本政府の首脳がルーズベルト大統領に勝てなかったのかということを「反省」する必要もあるのではないでしょうか。
戦いに敗れた相手を罵(ののし)るだけでは、私たちは永遠にその相手には勝てません。もし将来にリベンジの機会があった場合、絶対に負けないようにするには私たちに何が足りないのか。あるいはどの部分を「改良」すれば勝てるのか。
二度と負けられない「次」のためにあらん限りの対策を考え、それを実行することこそが、我が国の輝かしい未来を信じて潔く散っていった無数の戦死者や犠牲者、すなわち「英霊」の皆様に報いる道ではないでしょうか。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんにちは!
確かに
自国の失敗を鑑みもせずに相手国ばかり攻めて
いては、何も解決しませんものね。
スポーツなどでもそうでしょうけれど、
いかに自分自身に欠けている要素を知ることが
出来るかで次の試合にも生かされていくものだと
思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
だからこそ、なおさら大東亜戦争全体を振り返り、反省すべき点はしっかりと善処しなければならないはずが、「日本が悪い」の一辺倒ではどうしようもありません。
オバrev これを経営者的観点から考えれば、何でもありの世の中で、危機管理の対応を取らないこと自体が自殺行為です。
ただそのためには、十分な学習や経験が必要だと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 まさしく仰るとおりであり、だからこそ私たちは偏りのない正しい歴史を学ばねばならないと強く思っております。