昭和天皇に絶対の忠誠を誓っていた東條首相ならではの方針の転換でしたが、さらに東條は、外務大臣に対米協調派の東郷茂徳(とうごうしげのり)を選んだほか、大本営政府連絡会議を連日開いて、戦争回避への外交策を検討しました。
会議において統帥部から「開戦後2ヵ年は成算があるが、それ以降は不明である」との意見があり、政府もそれを了承しました。当時の我が国の石油の備蓄量は、民需の分を含めて2年分しかなく、まさに石油の有無が我が国の生命線を握っていたと言えました。
この他、外交交渉の期限を昭和16(1941)年11月30日夜12時(12月1日午前0時)と定めたほか、対米交渉の切り札として、アメリカの希望を可能な限り考慮した「甲案」「乙案」を取りまとめました。この時、交渉期限まですでに1ヵ月を切っており、まさに土俵際の外交交渉だったのです。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど、
石油が2年分しか無かった事を知りつつも
アメリカとの戦いを最終的に決定したというのは、
確かにそれしか選択肢が与えられなかったという事もあるでしょうけれど、相当に追い詰められた状況だったことが判る気がしました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
我が国をそこまで追いつめたのはどの国だったのか、ということも重要ですね。
実は、アメリカも
青田です。 黒田先生
青田です。
実は、アメリカも開戦2年間の力しか
ありませんでした。
アメリカの将軍達は、そのことを知っていました。
2年後は、アメリカの国債は、膨張しています。
アメリカは
戦時税制と国債の組み合わせで賄いました。
参戦中の1942-46年度については、財政支出3698億ドル、財政収入1687億ドルであり、税収負担率46%となります。
総額3000億ドルをこえる戦費の半分以上は国債です。
終戦時に債務合計に占める国債の比率は70%を超えていました。
但し、アメリカの場合は、その国債を買うのは
アメリカ人です。ということは、アメリカ国民への政府のプロパガンダは、もの凄かったということです。
しかし、
戦後教育の、
『カネ・資源のない日本が、カネ・資源のあるアメリカと戦って負けた。という』明らかに洗脳です。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、これも隠された歴史ですね。有難うございます。
来栖大使はルーズベルト大統領に我が国の苦しい立場を素直に表明して、交渉に応じるよう懸命に説得しましたが、大統領は言葉を適当にはぐらかして、やんわりと拒否するばかりでした。
実は、この時までにアメリカ側は日本の秘密文書の暗号を解読しており、我が国の交渉過程は筒抜けだったのです。それでも、我が国は切り札として最後まで取っておいた「乙案」も提示したほか、日独伊三国同盟の死文化すら申し入れましたが、アメリカは聞き入れず、11月26日に両大使に対して一つの「外交文書」を突き付けました。
それこそが、悪名高い「ハル・ノート」だったのです。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。





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青田です。 黒田先生
青田です。
実は、アメリカ海軍は、この戦いに
全面反対していました。
開戦当初の日米海軍比は7.5:10ですが、
日本 アメリカ
1941年12月 8日 1001000トン数 (237隻) 1439000トン数 (345隻)
です。一見するとアメリカのほうが有利なように思えますが、
当時は、艦隊決戦を想定していました。
アメリカ海軍の命中率は7%と世界標準では高いほうでしたが、日本海軍の命中率は、21%です。
ガチンコで、戦えば、アメリカ海軍は、必敗は
アメリカ海軍の将軍達の常識でした。
最初から、負ける無謀な戦いを日本がしたというのは、戦後教育の明らかな洗脳です。
日露戦争時の日本とロシアとの軍事力の差で、日本海海戦に圧勝した日本海軍の力を知っている、アメリカの海軍が反対するのは、理解できます。
(今でもアメリカの海軍士官学校では、東郷平八郎の写真が飾っているそうです。)
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国が無謀な戦いをしたというのは明らかな誤りですからね。
今後に向けての大きな研究課題です。
ぴーち こんばんは!
筒抜けとなっていたのは、
誰かアメリカのスパイでも居たのでしょうか?
講和の仲介国は?
青田です。 黒田先生
青田です。
日露戦争の時は、開戦前から、
講和の仲介国を決めていました。
日露戦争の時は、アメリカ。
だから、開戦前にセオドア・ルーズベルトの同級生だった金子謙太郎をアメリカに派遣していました。
(カネ集めのために高橋是清をイギリスへ、
敵国の内部を撹乱するために、明石元次郎をロシアへ)
つまり、日露戦争の時、政府・軍部も落とし所を考えていたわけです。
仲介できるのが大国の条件です。
しかし、この大東亜戦争に関して、日本は、事前に、講和の仲介する国を考えていません。
同盟国のドイツ・イタリアは、講和の仲介国になりません。
敵国であるアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・中華民国などは、敵国なので、仲介国になりません。
ソ連と日本は、日ソ中立条約を結んではいますが
同盟国のドイツとソ連く交戦状態で、仲介国になりません。
仲介国がない場合、総力戦になり、どちらかが
ボロボロになる戦いになり、悲惨な状況になります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 スパイと言うよりも、暗号解読の能力に長けていたと考えるべきかもしれませんね。
いずれにせよ、情報が漏れていてはどうしようもありません。
青田さんへ その2
黒田裕樹 いつも申し上げていることですが、今後のネタバレにつながりかねない投稿はお控えいただきたい。
申し訳ありませんでした
青田です。 黒田先生
青田です。
今後、気をつけます。
申し訳ありませんでした。
1.中国大陸や仏印(=フランス領インドシナ)からの全面撤兵
2.蒋介石の重慶国民政府以外の中国における政府の否認
3.日独伊三国同盟の破棄
もしこれらの条件を我が国が受けいれれば、満州を含む、我が国がこれまでの外交努力によって正式に得た権益をすべて手放すのみならず、汪兆銘(おうちょうめい)の親日的な南京国民政府、さらには満州国すら否認することを意味していました。要するに、我が国に満州事変以前の状態に戻ることをアメリカは要求したのです。
ただ、ハル・ノートに記された内容は確かに厳しいものがありましたが、例えば満州は中国大陸に含まれないなど、我が国がハル・ノートの条件を検討する姿勢を見せながらも粘り腰で様々な工作を行い、戦争回避に向けてあらん限りの努力をすべきではなかったでしょうか。
現実において我が国はそうした外交努力をすることもなく、ハル・ノートの条件を認められないという結果となりましたが、それは同時に対米交渉の打ち切りを意味しており、もはやアメリカと戦争するしか道が残されていないということにつながりましたが、それこそがアメリカの思う壺でもありました。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
やはりどんな時でも
焦りや先急いだ決断には良い結果が付いて
来ませんね。
最後まで諦めずに粘り腰の対話。
これからの外交にもきっと通じる方法だと
感じます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに仰るとおりですね。
過ぎたことは仕方がないので、今後の展開に活かしたいです。
それにしても、なぜアメリカはこうした「最後通牒」ともいえるハル・ノートを我が国に突き付けたのでしょうか。
アメリカのフランクリン=ルーズベルト大統領は、自国の疲弊した経済の打開や、あるいはイギリスを助ける意味などもあって、日本との戦争を望んでいましたが、先述のとおり、大統領自身は「攻撃を受けた場合を除いて絶対に戦争はしない」とアメリカ国民に公約していました。
アメリカが日本と戦争するためにはその第一撃、すなわち先制攻撃を日本に始めさせる必要があり、その引き金としてハル・ノートを我が国に突き付けたのです。この後、我が国が対米開戦に踏み切ることで、アメリカの目標は達成されたのでした。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。





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青田です。 黒田先生
青田です。
あまり、これも知られていませんが、
アメリカ国民の80%は、戦争には大反対でした。
この当時のアメリカ人の関心事は
① 経済問題。(失業)
② リンドバーグの誘拐事件。
でした。
この状況を覆すのは、アメリカ大統領といえども、至難の技です。
もし、
このアメリカの国内状況をもし、日本が正確に把握していれば、打ち手もあったと思いますが。。
ちなみに
アメリカの戦争は、ベトナム戦争でも、イラク戦争でも長引くと国民の中に厭世ムードが漂います。
ぴーち こんばんは!
きっと何処の国でも
自ら戦争を仕掛けるという事はしたくない。
出来れば避けたいと思うきもちの方が優勢なのでは
無いでしょうか。
何かを仕掛けてくるにも、その国が背に腹変えられない事情が存在するからであり、
何の理由も無いまま、いきなり攻撃する
事を何処の国も避けたいと思うはずです。
それを考慮した上で
アメリカが「日本から先制攻撃を仕掛けて来た」と言う訴えは、それらの重要な原因を全く無視した言い分に過ぎず、それをまた鵜呑みに信じている
各国も節穴なのかなと思うのです。
青田さんへ
黒田裕樹 これもネタバレですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 当時の日本側の意思を思えば、全くもって仰るとおりです。
しかしながら、世界においては、どんな理由があろうが「先に手を出した方が非難される」こともあります。
世界は腹黒いですね。
ぴーち おはようございます!
先に手を出させるために、手練手管を考える悪知恵が上手く機能した方が勝ち。
それに上手く乗せられたほうが負けという事になるでしょうか。
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 > 先に手を出させるために、手練手管を考える悪知恵が上手く機能した方が勝ち。
> それに上手く乗せられたほうが負けという事になるでしょうか。
そのとおりです。
ましてや今回の場合、アメリカは自分が先に手を出すわけにはいかなかったですからね。
理由は本文のとおりです。
もしハリー=ホワイトが本当にソ連のスパイであったとすれば、彼がフランクリン=ルーズベルト大統領に取り入ったことで日米間に埋めようもない深い溝を構築し、日米開戦を誘発したことになりますが、果たしてソ連にそのようなメリットが存在したでしょうか。
アメリカはかねてから東アジアにおける権益を狙っており、そのための障害となっていた日本を敵視し続け、日米開戦によって、ついに我が国を中国大陸などから駆逐(くちく)することに成功しました。
しかし、我が国の後釜としてソ連と同じ共産主義国家の中華人民共和国が成立したことなどで、戦後にアメリカが得た「果実」はほとんど存在せず、さらに日本の弱体化によって、東アジアは当時の東ヨーロッパと並んで世界で最も「赤化」した地域となってしまったのです。
こうした歴史的事実を鑑みれば、ルーズベルト大統領の夫人が共産主義に憧れていたように、アメリカの大統領近辺にまでソ連のスパイが暗躍していたという説は、十分に成立すると言えるのではないでしょうか。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
スパイの存在ですか。。
正常な細胞をがん細胞に変化させて
しまう科学調味料の様な存在ですね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 正常な細胞をがん細胞に変化させて
> しまう科学調味料の様な存在ですね(^_^;)
言い得て妙ですね(笑)。
東アジアに未だに巣食うがん細胞を増殖させているのは…。
しかし、いわゆるハリマン問題などを原因としてアメリカとの間に出来た溝は、やがて人種差別に基づく日本人敵視政策を生みだし、また昭和初期のアメリカやイギリスなどによるブロック経済は、世界との貿易で生計を立ててきた我が国に大きな打撃を与えました。
さらに、巨大な共産主義国家であったソ連による軍事的あるいは思想的脅威は、我が国の内外に大きな刺激を与え、関東軍による満州事変から満州国建国への流れを導くとともに、大日本帝国憲法(=明治憲法)の大きな欠陥であった「統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)問題」が、軍部の暴走をもたらしました。
加えて、日華事変の泥沼化が我が国の体力を徐々に奪ってきたところへ、日独伊三国同盟や北部仏印進駐などをきっかけにABCDラインが引かれ、資源を求めて合法的な南部仏印進駐を行えば石油禁輸となり、それでも粘り強く対米交渉を行えば、ハル・ノートを一方的に突き付けられました。
かくして、命綱でもあった石油の入手経路を完全に断たれたばかりか、国家としての存続も風前の灯となってしまった我が国は、自衛のための最終手段として、日米開戦の選択肢しか残らないという状況に追いつめられてしまったのです。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
気がつけば、一等国ですか。
日本人と言うのは本当に地道ながらも着実に
目標地点まで惜しみない努力をする国民なんですね。
それを知っている外国は、日本に多大な試練を与えてくれます・・(^_^;)
それでも何とか立ち上がって再び歩き出す。
今日のお話を伺って、また日本人の素晴らしさを
再確認させて頂いた気がしました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、日本人の素晴らしさを再認識できますが、そのための犠牲があまりにも大きすぎるとも言えそうです…。
しかも、先述したケロッグ国務長官の「経済封鎖は戦争行為そのものである」という言葉を借りれば、先の石油禁輸の例を出すまでもなく、ハル・ノートによってアメリカは我が国に対して侵略戦争を先に仕掛けたも同然であり、我が国が対米開戦に踏み切ったのも無理からぬことではありました。
ハル・ノートを突き付けられた東條内閣は、半年以上続けてきた日米交渉を断念し、昭和16(1941)年12月1日の御前会議において、ついに「開戦のご聖断」が下りました。なお、戦争開始の閣議決定の裁可を求められた昭和天皇は、ご自身のお気持ちを封印され、立憲君主制に基づく大日本帝国憲法の規定どおりにお認めになられました。
昭和天皇のご意志であった「対米戦争回避」を実現できなかった東條首相は、開戦日(12月8日)の未明に首相官邸の自室において、皇居に向かって号泣しながらお詫びしたと伝えられています。
一般的な歴史認識においては「東條英機こそ日本を戦争に巻き込んだ重大な戦争犯罪人である」とされることが多いですが、前任の第三次近衛内閣が「戦争の決断をしたくない」とばかりに無責任に政権を投げ出した後に国論をまとめ上げ、ギリギリまで戦争回避に努力したという「歴史の真実」を、私たちはどのように評価すべきでしょうか。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
東條英機は後にA級戦犯者とされた人でしたよね?
そういう止むに止まれぬ断腸の思いがそこに
あった訳ですか。
最終的に自殺を図る場面を映画やドラマで何度か
観たことが有りましたが、死にきれなかった様ですね。
自分一人の責任では賄いきれない程の
尊い命が失われた戦争ですが、それでも
彼の心の中は常に苦渋に満ちて居たのでしょうね。
最高責任者に任命されたが故の苦悩ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、自分が首相の際に開戦しなければならなかった彼の苦悩は察するに余りあると思います。
東條英機氏を戦犯と決めつけるのはたやすいですが、同じ日本人であれば、彼の心情をくみ取る配慮も必要ではないでしょうか。
象嵌師 はじめまして、 ブログを拝見させていただきました。 日本の為に素晴らしい活動をしていただき、 ありがとうございます。 東条英機をはじめとする先人の方々の汚名をはらすべく、 これからもよろしくお願いいたします。
象嵌師さんへ
黒田裕樹 こちらこそ、拙ブログへお越しくださり、有難うございます。
過分のお褒めのお言葉、光栄です。今後ともよろしくお願いいたします。
短期間で急成長した我が国を支えたものは何だったのでしょうか。無論、そこには三国干渉の際に見られたような「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」をはじめとする精神論もあったでしょうが、何よりも重要だったのは「世界の中の日本の位置付けを正確に分析し、我が国の発展のためにあらゆる知恵を絞る」という地道な努力でした。
人間というものは、一般的に戦争など目に見える大きな出来事に心を奪われがちですが、一つの戦闘行為の裏には数えきれないほどの下準備や、あるいは謀略などが隠されているものです。それは我が国においても例外ではなく、動乱の戦国時代を最終的に制した者は、単なる戦上手だけではなく、ありとあらゆる謀略を使ったうえで、200年以上の長きにわたる平和を築き上げた徳川家康(とくがわいえやす)でした。
また、開国など様々な影響を受けた幕末の混乱期においても、幕府や薩長、あるいは朝廷などの内部で様々な人物が蠢(うごめ)き合い、血で血を洗う国内での勢力争いを繰り広げる一方で、日本の植民地化を狙った外国による過度の干渉を防ぎきったことにより、明治新政権を誕生させることに成功しました。
さらには明治期においても、超大国だったロシアを内部から崩壊させるべく、明石元二郎(あかしもとじろう)が革命の裏工作を行ったことなどによって日露戦争を勝利に導くなど、我が国には、生き残りのために様々な工作や謀略を駆使してきたという「もう一つの歴史」が存在していたのです。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かに人間は最悪な状態に直面しても
それを何とか回避して行こうとあらゆる知恵を絞る事も可能ですし、その能力に長けている民族の
中でも日本は特に優秀な方なのでしょうね。
それと
日本が平和ボケと称されている江戸時代にも
独特な文化が生まれ、その文化が
世界各国から賞賛されていることも事実だと
思いますので、何事もそうですが、無駄な事は
世の中一つも存在しないのではないかと思われます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
危機管理能力が備わらなければ、国家を維持することができません。
日米開戦前の我が国はどうだったのでしょうか…。
戦国時代や幕末、あるいは明治期において数々の工作や謀略を成功させてきた我が国が、なぜこの時期になって先人の経験を生かすことができなかったのでしょうか。
その理由として考えられることは、そうした先人の智恵を活用するだけの器量、あるいは度量を当時の指導者が持ち合わせていなかったのではないか、ということであり、もっと厳しい言い方をすれば、「当時の指導者たちは表向き優秀であっても、百戦錬磨(ひゃくせんれんま)の先人たちに比べればはるかに劣っていた」という見解が成立します。
また、そうなってしまった流れとしては、現場での経験よりも筆記試験を中心とした「机上の考え」が優先される傾向があり、これは現代においても全く変わっていません。
先人の経験を日本民族の智恵として生かせなかった理由は何であったのかということは、現代の私たちにも突き付けられている重要な課題ではないでしょうか。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど、確かに頭でっかちだけで
行動が伴わなければ、何の意味もなさないですものね。
以前何処かで人間の体というのは、
頭の中で描いた通りの行動を起こしたり、描いてた通りの風景や作り物などで具体化するという事がなかなか出来ない人が多いと聞いた事が有ります。
それが難なく出来る人は少なく、大半の人は
描いていた通りの行動も具体化も出来ない様です。
練習、努力、経験という積み重ねでようやく
到達出来る様にどうやら出来ている様ですね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、学力だけの頭でっかちがいくら集まったところで、具体的な解決ができない場合がほとんどです。
これは戦前だけの話ではないですからね。
漢文体で書かれた文面は、東條内閣によって原案が作成されましたが、昭和天皇はその文面をご覧になった後に、あるお言葉を付け加えられました。そのお言葉を拝読した際に、私たちは陛下の本当のお考えを知ることができます。
「豈(あに)朕(ちん)ガ志(こころざし)ナラムヤ」
(現代語訳:どうしてこれが私の望むところであろうか、いや望むところではない)
こうして我が国はついに対米開戦という事態となったのですが、その際の我が国内部における「信じられない手違い」によって、我が国による正当な戦闘行為が「奇襲攻撃」と後年に至るまで誤解されてしまう結果となったことを皆さんはご存知でしょうか。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。
(※第48回歴史講座の内容はこれで終了です)





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ぴーち こんばんは!
信じられない手違いとは、あの事でしょうか・・
日本語を英文に翻訳する事に手間取るという
初歩的なミス・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 信じられない手違いとは、あの事でしょうか・・
> 日本語を英文に翻訳する事に手間取るという
> 初歩的なミス・・
さすがによく覚えておられますね。
8月3日からの更新をお楽しみください。