日露戦争の敗北は、ロシアを支配していたロマノフ王朝にとって大きなダメージとなっていましたが、その後も第一次世界大戦でドイツに敗北を重ねたことや、生活物資の不足にあえいだことなどによって不満を爆発させた民衆が、1917(大正6)年3月に大規模な暴動を起こし、それがきっかけとなって、ついにロマノフ王朝が倒されました。これを三月革命といいますが、ロシアが当時使用していた暦に合わせて二月革命とも呼ばれています。
三月(=二月)革命後のロシアは不安定な政治情勢が続きましたが、その中から勢力を拡大したのは、共産主義を標榜(ひょうぼう、主義・主張や立場などを公然と表すこと)するレーニンでした。マルクスに由来する「貧富の差を憎むとともに私有財産制を否定して、資本を人民で共有する」という耳に心地よい思想が、それまでの長い帝政に苦しめられてきたロシアの民衆の熱烈な支持を集めたのです。
かくしてレーニンは、1917年11月にクーデターによって政治の実権を握ることに成功し、世界で初めての社会主義(=共産主義)政権であるソビエト政権を樹立しました。これを十一月革命、またはロシアの暦に合わせて十月革命といいます。
ソビエト政権は、1922(大正11)年にソビエト社会主義共和国連邦を成立させましたが、その裏でロマノフ王朝の一族をすべて処刑したばかりか、共産主義に賛同しないと見なした人民を数百万人も虐殺(ぎゃくさつ)するなど、血にまみれた恐怖政治を行い続けました。そして、広大な領土を持つ共産主義国家が突然誕生した現実は、我が国を含めた周辺諸国に甚大な影響を与えることになってしまうのです。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
今でもアメリカからの真綿攻撃は変わっていない気もしますね(^_^;)
共産主義に関しては、あまりにも極端な考え方に
傾倒している項目もあるので、首をかしげてしまう部分も有りますが、その極端な考え方が必要な時もあるとは思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 共産主義の考えの中には、社会保険制度などの有益なものもありますが、国家全体で行うことは、その後のソ連の失敗で明らかですからね。さて、この後我が国はどのような道を歩むのでしょうか…。
ドイツに戦力を集中されることを恐れたイギリス・フランス・イタリアの三国は、当時シベリアで孤立していたチェコスロバキア軍を救援するという目的で、我が国にシベリアへの出兵を要請してきましたが、出兵によってアメリカをこれ以上刺激したくなかった我が国はこれを拒否しました。
その後、チェコ軍が危機に陥(おちい)っているという情報が流れて、アメリカ国内でチェコ軍の救援に向けて派兵すべしとの世論が高まり、アメリカが我が国に共同出兵を要請してきたことで、当時の寺内正毅(てらうちまさたけ)内閣がようやく重い腰を上げて、大正7年8月にアメリカ・イギリス・フランスとともにシベリアへ派兵しました。これをシベリア出兵といいます。
しかし、出兵に際してそれぞれの思惑を持っていた各国は意思の疎通(そつう)を欠き、特に我が国はアメリカと激しく対立しました。なぜなら、アメリカが出兵した本音が「日本が満州北部やシベリアに進出するのを防止すること」であったのに対して、我が国には「ソビエトによる共産主義支配の危機が迫った満州を守る」という強い意思があったからです。
シベリア出兵は思ったよりもはかばかしい効果があげられないまま、大正9年初頭には各国が撤兵を開始しました。我が国もアメリカからの共同出兵打ち切りの報を受けて、撤兵への機運が高まりましたが、そんな折にとんでもない惨劇が起きてしまいました。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
このシベリア出兵に関しては、たまにテレビの特集などで帰還した元兵士の方の生々しい体験談を耳にしますが、その悲惨な話を聞かされる度に、居たたまれない思いで聞いています。
実際にその場に行かされるのも人間。それを命じているのも人間。同じ人間なのにどうしてこうも違いがあるのかと憤りを覚えます。
指示するだけなら、簡単でしょうけれど
実際に命を落とされた方を思うと、なんとも言えません。国同士の思惑の為に命が犠牲になることがあってはならないなと改めて思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんの仰る内容は、ひょっとすると大東亜戦争終結後に旧ソ連が行ったシベリア抑留かもしれませんが、いずれにせよ悲劇であることに変わりはないと思います。
特に今回、すなわちシベリア出兵の場合は、余りにも一方的な記述が多いことがさらに問題ですね。
ぴーち おはようございます!
内容をよく把握して居なかった様ですね(^_^;)
失礼しましたm(_ _)m
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 いえいえ、どうぞお気になさらずに。
今後ともよろしくお願いします。
パルチザンは我が国の守備隊と一旦は講和しましたが、やがて共産主義に同調しないニコライエフスクの市民を革命裁判と称して次々に虐殺するなど乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を繰り返し、同年3月には日本軍守備隊を全滅させ、また一部の日本人居留民を捕虜(ほりょ)としました。
日本政府は雪解けを待ってニコライエフスクに救援軍を派遣しましたが、パルチザンは救援軍が到着する前に、捕虜としていた日本人をことごとく惨殺したほか、市民のおよそ半分にあたる約6,000人を反革命派として虐殺し、最後には市外に火を放って逃走しました。
ニコライエフスクにいた約7百数十名の日本人全員が、戦死あるいは虐殺されるという大惨事に対し、我が国内で「元寇(げんこう)以来の国辱(こくじょく)だ」と対ソ強硬論が高まったのは当然でした。なお、この悲惨な事件はニコライエフスクの当時の呼称から、尼港(にこう)事件と呼ばれています。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そんなに沢山の日本人が犠牲になったことなど
今の今まで全く知りませんでした。
どちらかと言うと、現代の感覚だけで言わせて頂くと
日本人が海外で狙われるのは
お金目当てで・・という意識が強く、その他の理由で日本人が殺害される理由は何処にも無いのではないかと高を括っていた部分が有りました。
どこかで日本人は優遇されるはずだと思い込んでいる筋が有りましたので。
日本の常識はやはり海外では通用しないのが
常だという事なのですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 尼港事件は今から95年前になりますが、外国の、しかも革命が起きた国での悲惨な出来事ですからね。
今の常識では計り知れない様々な問題があると思われます。
後になって、ソビエトの革命政府が事件の非を認めてパルチザンの責任者を処刑しましたが、我が国が求めた賠償を革命政府が拒否したこともあって、現地での安全保障を重視した我が国は、大正11(1922)年までシベリアから撤兵ができませんでした。
シベリア出兵は最終的に当時で約10億円を費やしたほか、将兵約72,000人を現地に派遣し、そのうち約3,500名を失うこととなりましたが、結果としては何も得るものがなかったばかりか、領土的野心を周辺諸国に疑われ、特に日米関係に大きな溝をつくってしまいました。
ところで、我が国の多くの住民や兵士が虐殺された尼港事件ですが、これだけの大惨事でありながら、なぜか我が国の高校での歴史教科書の多くが取り上げていません。そればかりか、チェコ軍の孤立を自国の領土的野心を満たす好機として、我が国が進んで出兵したとか、あるいは我が国がシベリアでズルズルと駐留を続けたことで国際的な非難を浴びたというような、余りにも一方的な記述が見られる教科書もあり、当時の我が国が置かれた深刻な状況を判断することが極めて難しくなっています。
なお、我が国が保障占領した北樺太ですが、国家としてのソ連が成立した後の大正14(1925)年に日ソ基本条約が締結され、両国の国交が樹立したのを受けて我が国が撤兵しています。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かに日本人的な考え方として
良く言えば、自分を謙遜することが美徳とし
悪く言えば、卑下してしまう傾向が強いですが
事実をねじ曲げてまでも、卑下する事も無いと
思いますね。
事実は事実として、しっかり後世の者に
自国の身の潔白を伝えていくべきだと思いますが・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 事実をねじ曲げてまでも、卑下する事も無いと
> 思いますね。
> 事実は事実として、しっかり後世の者に
> 自国の身の潔白を伝えていくべきだと思いますが・・
まさしく仰るとおりです。
バンドン会議の際の安倍首相のお言葉のように「反省」はあっても、いわれなきねじ曲げを受けいれる必要は全くありません。
しかし、共産党による一党独裁の政治を始めたソビエトは、共産主義社会の実現を名目として、反対する民衆を、裁判にかけることもなく有無を言わさず大量に虐殺しました。政治や言論の自由を失った民衆からしてみれば、ロマノフ王朝以上に抑圧された、非民主国家での圧政の日々と言えたかもしれません。
自国での革命に成功したソビエトは、世界の共産化をめざして1919(大正8)年にコミンテルンを組織しました。コミンテルンの主な目的は、各国の知識人や労働者をそそのかして、共産主義の革命団体を世界中に旗揚げし、そのすべてをソビエトからの指令によって動かすことで、各国の内部を混乱させて共産革命を引き起こそうというものでした。
コミンテルンはやがて目標の一つを東アジアに定め、中国大陸内で民衆に共産主義を広めたほか、我が国にもコミンテルン日本支部ともいうべき組織を、日本共産党という名で大正11(1922)年に秘密裏(ひみつり)に立ち上げました。
そもそも我が国は、ソビエトと国境を接した満州に権益を持ち、あるいは朝鮮半島を自国の領土としていましたから、ロマノフ王朝を皆殺しにするなど、君主制の廃止を何とも思わなかった共産主義による脅威(きょうい)を、天皇陛下に万が一のことがあっては大変なことになると、世界で最も強く感じていました。共産主義への恐怖と内部で密かに進んだコミンテルンの工作とが、大正時代以降の我が国の歩みを大きく狂わせる結果を招くようになるのです。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんにちは!
共産主義そのものの考え方には
共感出来るものがあったとしても、その内容を
利用して全て自国の思い通りになるように
仕向ける国が存在した事がこの思想を
最悪なものにしてしまったのですね。
なんでもそうでしょうけれど、
人間の欲が絡んで悪用されてしまうと
末路は悲しいですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、共産主義の思想を国家レベルに引き上げ、自分の理想通りの国をつくろうという段階でどうしようもないですね。それまでの歴史が完全に闇に葬られるのですから、国民の抵抗が強いのも当然です。
しかし、第一次大戦が終結して、ヨーロッパ諸国の産業が復興すると、アジア市場は再びヨーロッパの商品であふれるようになったことで、我が国は大正8(1919)年から再び輸入超過となり、特に重化学工業の輸入品の増加が国内の生産を圧迫しました。
そして大正9(1920)年には、株価の暴落をきっかけとして戦後恐慌(せんごきょうこう)が起こり、銀行で取り付け騒ぎが続出したほか、綿糸や生糸の相場が半値以下に暴落したことで、紡績業や製糸業が事業を縮小せざるを得なくなって失業者が増えたほか、物価の下落によって中小農民が没落しました。
さらには、こうした不況に追い打ちをかけるかのように、大正12(1923)年9月1日午前11時58分に関東大震災が発生し、東京を含む京浜地帯が壊滅的な被害を受けたほか、震災によって多くの銀行の手形が決済不能となりました。
政府は日本銀行に約4億3,000万円という巨額の特別融資をさせて何とか一時はしのいだものの、不況が慢性化してその後の決済が進まず、3年後の大正15(1926)年になっても約2億円の未決済分が残るなど、日本経済が大きな打撃を受けたまま、時代は昭和を迎えるのです。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんにちは!
この所、航空機の故障、事故などが頻発していますが、あるニュースの解説の方が、航空機事故というのは一つだけの原因ではなく、いくつかの悪条件が重なって起こるものだと言っていたのを思い出しました。
悪いことが幾重にも重なる事で、日本経済が
ドン底に冷え込んでしまったのですね。
きっとそれも見落とされた小さな原因の積み重ねが
どんどん膨れ上がってしまったのでしょうけれど。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 第一次大戦後の我が国は、いわゆる「恐慌」が相次いで発生してしまいます。
中には大震災という不可抗力もありましたが、不況がなぜ発生したのかを振り返ることによって、我が国が置かれた環境を振り返るとともに、今に生かす何らかの処方箋を見出すことができるでしょう。
しかし、当時の与党であった憲政会率いる第一次若槻礼次郎(わかつきれいじろう)内閣が、新たな公債を発行して手形を整理しようと考え、そのための法案を議会に提出しましたが、立憲政友会を中心とする野党の反発が強く、審議が進まないうちに、昭和2年3月の大蔵大臣の片岡直温(かたおかなおはる)の失言がきっかけで、多くの中小銀行に預金を求める人々が殺到するという取り付け騒ぎが発生しました。
さらには、翌4月に総合商社の鈴木商店の倒産をきっかけとして、台湾での紙幣発行権を持っていた台湾銀行が休業に追い込まれたことで、いわゆる金融恐慌が最高潮に達してしまったのです。
その後、総辞職した若槻内閣に代わって成立した、立憲政友会を与党とする田中義一(たなかぎいち)内閣の大蔵大臣となった高橋是清(たかはしこれきよ)が、手形の決済や預金の払い戻しなどを一時的に猶予した3週間の支払猶予令(=モラトリアム)を枢密院(すうみついん)に出させて、そのあいだに高橋蔵相が日本銀行に巨額の特別融資を行わせたことで、金融恐慌はようやく収拾へ向かいました。
ちなみに、日本銀行は特別融資のために急きょ大量の200円札を発行しましたが、余りに巨額であったために準備が間に合わず、裏面が白紙のままでした。また、休業した台湾銀行についても議会で審議され、2億円の救済法案が成立して再建されています。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
高橋是清の判断の俊敏さや、正確さが
日本を救ったわけですね。
それにしても、裏面が真っ白とは!
今なら子供の遊び道具にされてしまいそうですね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、高橋是清の速やかな判断で危機は救われましたが、この後に新たな問題が発生してしまいます…。
この紙幣は別名を「裏白」といいますが、確かに今では考えられないですね。
1929(昭和4)年10月、ニューヨークのウォール街において株価が大暴落したことをきっかけにアメリカで恐慌が起きると、その影響がヨーロッパなどにも飛び火して、世界恐慌(または世界大恐慌)となりましたが、大恐慌を乗り切るためには国内産業を保護するしかないと考えたアメリカは、翌1930(昭和5)年にホーリー・スムート法を成立させ、アメリカに輸出される多数の品目に対して、途方もなく高い関税をかけました。
突然のアメリカの仕打ちに激怒した他国が、報復としてアメリカ製品に対する関税を引き上げたことで、アメリカの貿易量は半分以下となり、恐慌が長期化しました。景気を回復させようとしたアメリカの政策が、かえって不況を増長させるという最悪の結果となったのです。
ホーリー・スムート法によって、それまでの自由貿易から一気にブロック経済に入ったアメリカに対し、イギリスも1932(昭和7)年に、カナダやオーストラリア・ニュージーランド・インドなどの英連邦諸国を集めてオタワ会議を開き、英連邦やイギリスとの間で、アメリカと同じように排他的なブロック経済の体制を構築しました。
世界恐慌によって各国がブロック経済へと移行するようになった一方で、絶体絶命の危機を迎える国も現れました。それはドイツと我が日本です。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
こういうお話を伺っていると
世界と繋がっている以上、
自国だけを守ろうとして保守的になり過ぎたり
あるいは攻撃的になり過ぎたりと
極端な政策を打ち出してしまうと
それが返って自国を苦しめる材料となり
仇となってしまうこともあるものだなと思いました。
世界と足並みを揃えて行くのは、本当に難しいものですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、難しいですよね。
この当時は資本主義に対する理解がまだ不足していたからなおさらでした。
そして、その隙をついてある勢力が…。
なぜなら、アメリカは広大な領土とそこに眠る資源を持っており、またイギリスも世界各地に植民地を持っていたことから、両国とも自給自足による国家の運営が可能だったからです。その他にもフランスやオランダ、あるいはソ連といった国々も、同じく自給自足によってブロック経済を乗り切ろうとしました。
しかし、第一次世界大戦によってすべての植民地を失ったドイツにとって、ブロック経済による貿易の抑止は死活問題でした。ブロック経済によって多くの失業者が町にあふれるという危機を迎えたドイツでしたが、そんなときに救世主が現れました。
彼こそが、ナチス(=国家社会主義ドイツ労働者党)を率いて1933(昭和8)年に政権を握ったヒトラーでした。ヒトラーは賠償金の支払いの破棄を宣言したほか、新たな体制の構築によって自給自足が可能な国家の建設をめざし、やがては他国との戦争を模索(もさく)するようになるのです。
なお、同じように経済的に苦しんでいたイタリアでは、1922(大正11)年に政権を得ていたファシスタ党のムッソリーニが、領土の獲得をめざして1935(昭和10)年にエチオピアへ侵入しています。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そうですか・・
そう考えると
ヒトラーもムッソリーニも
大国の圧倒的経済力に押し潰れそうになった中から
生まれたその国を救う為の風雲児だった訳ですね。
世界からは良い印象を持たれない彼らだと思いますが
元はといえば、大国が富を独り占めしようとした
結果生まれた存在だという事を認識しなければ
ならないのでしょうね。
本当の悪
青田です。 黒田先生
青田です。
ドイツ=悪のように歴史ドラマで、描かれますが
ドイツの帝政は失くし、ワイマール憲法を押し付け領土を減らせれ、莫大な賠償金を払わされました。
その黒幕は
アメリカ(ウィルソン大統領)です。
何となく、日本の戦後のアメリカの占領政策の方向性に似ている気がします。
「一見、紳士風。実は、ドラキュラン」がアングロサクソンの特徴と言われていますが、うまい、表現です。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
もしヒトラーの存在を否定したいのであれば、彼が世に出ることをうながしたブロック経済の是非についても真剣に検討すべきでしょう。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにその側面は見逃せませんね。
そう考えれば、ちょうど今日の安倍首相とオバマ大統領の関係が、我が国のみならず世界にとっても理想なのかもしれません。
やはり、リーダー(人材で決まりますね。)
青田です。 黒田先生
青田です。
正直、国家の命運は、リーダー(人材)で、
決まってしまうと思う。
この当時の世界の指導者層は、かなり、ひどかったです。
自分のことしか考えてない中国の蒋介石(1923年に孫文の指示でソ連の軍政を視察して、1928年には、反日・反共・対英米善隣外交。)
優生思想のロクでもないルーズベルト、
馬鹿なヘタレのムッソリーニ、
残虐非道な謀略王のスターリン、
学歴貴族化した日本の指導者層、
経済的能力があるが誇大妄想狂のヒトラー
という悪いサイクルでした。
そう考えると
今回の安倍総理とオバマ大統領の会談が成功したのは、世界の健全な秩序創りには、重要なファクターになりますね。
安倍氏は、正直、かなり、優れています。
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰るとおり、優れたリーダーが存在するとそうでない国の現状と未来は歴史が証明していますね。
我が国に安倍首相がご存在くださることは有難いです。
当時の世界全体が「自国の経済安定のためには他国を顧(かえり)みる余裕はない」という流れだったこともあり、やがて日本国内から「アメリカやイギリスを見習って、我が国だけの自給自足圏(けん)をつくる以外に生き残る術(すべ)はない」という声が挙がるのは、むしろ当然だともいえました。
こうした考えが、当時我が国が権益を持っていた満州を自給自足の、すなわち我が国が他国からの干渉を受けずに統治するという発想に至り、ドイツと共に第二次世界大戦への遠因の一つとなるのですが、そもそもアメリカやイギリスなどがブロック経済を行わなければ、日独両国はここまで追いつめられることはなかったのです。
いずれにせよ、英米を中心とするブロック経済体制は、共産主義という全く異なる経済体制であったために大きな影響を受けなかったソ連も含めて、世界の構図を大きく変えましたが、そんな中での当時の我が国による内政や外交の動きが、世界全体にさらなる影響をもたらすようになるのです。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
自国の安定の為に、他の国のことなど構っていられなくなる。確かに追い詰められると何とか自分だけでも助かれば・・と思うのは人情ですものね。
しかしこの世は不思議なもので、他の者が窮地に陥れば、それに引きづられるかの様に、助かるはずの我が身までがそれに飲み込まれてしまうという
法則が存在するようですね。結局、この世の中
周りの人間が居るからこそ生きていけるというもので、たまたま自分一人だけが生き残れたとしても、いづれは生きながらえる事が出来なくなるものですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに不思議ですよね。
業の深さを思い知らされる話でもあります。
経済の自助作用から政府主導での経済立て直しへと政策を大きく転換した点では、むしろ社会主義的な色彩の濃いものと言えるかもしれません。なお、ニューディール政策によってアメリカは大規模な公共事業を起こし、国民の雇用と賃金を確保することで不況を乗り切ろうとしました。
もっとも、アメリカが本格的に不況を脱出する要因となったのは、我が国と大東亜戦争に突入したことによって、第二次世界大戦へ参戦したことで、戦争特需が生まれたことが挙げられ、ニューディール政策にどれだけの影響があったかどうかは意見が分かれています。
なお、アメリカで12年ぶりの民主党政権となったことで、フランクリン=ルーズベルトが、それまでの共和党政権が拒否してきたソ連の国家承認を就任早々行うなど、容共政権(=共産党に理解を示す政権のこと)の性格を持っていましたが、この事実は今後の歴史を振り返る際に重要な意味を有することになります。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
やはり共産主義を完全否定することは出来ないという事なのでしょうかね・・?
意に沿わない主義でもあえて受け入れる事で
上手く中和され、それまで煮詰まっていた問題に流れが生まれたという事なのかもしれませんよね。
いよいよ極悪人の登場ですね。
青田です。 黒田先生
青田です。
いよいよ、ヒトラーと並ぶ、極端な優生思想を
持つ、極悪人の登場ですね。
日本にとっては、百害あって一利なしの
大統領です。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > やはり共産主義を完全否定することは出来ないという事なのでしょうかね・・?
> 意に沿わない主義でもあえて受け入れる事で
> 上手く中和され、それまで煮詰まっていた問題に流れが生まれたという事なのかもしれませんよね。
共産主義の考えそのものがすべて悪というわけではありません。
ただ、それを自らの政治に都合の良いように巧みに利用すればどうなるのか…。
このことが、世界に大きな不幸を招くようになったのが歴史的な事実です。
青田さんへ
黒田裕樹 結果から見れば、確かにそういわざるを得ませんね。
もっとも、彼の本格的な「活躍」に関しては、次回(第48回)の歴史講座で紹介することになりますが…。
時代は繰り返す
青田です。 青田です。
つくづく、人間というのは、同じことを繰り返す生き物だと思います。
(1)今度の大統領選では、アメリカの9割の若者が
社会主義者のバーニー・サンダースを支持しました。
(格差にたいする社会主義思想を受け入れる。)
(2)さらに、トランプ氏が打ち出そうとしているのは、
かつてのアメリカのニューディール政策にかなり、近いものです。(ようは、保護貿易にして、国の政策で経済を変えようというものです。)外国からの輸入品に高い関税を掛けながら、
① CCC(民間資源保存局)による大規模雇用。
② NIRA(全国産業復興法)による労働時間の短縮や超越論的賃金の確保。
③ AAA(農業調整法)による生産量の調整
ワグナー法「全国労働関係法」による労働者の権利拡大。
さらに、似ているのは、このニューディール政策をしていた時の大統領のルーズベルトは、白人至上主義者です。
トランプのブレインのスティーブン・ダノンは、超白人主義者です。
(3)さらにトランプ大統領とルーズベルト大統領が似ているのは、トランプは、ロシアをかなり、好意的であり、ルーズベルト大統領は、ソ連をスグ承認したことです。
これらの共通点から、未来を考えると、未来にたいして、嫌な予感が。。
青田さんへ その2
黒田裕樹 もしそう思われるのであれば、少しでも行動をすることですね。
元首相の外交力に私は期待します。