翌1919(大正8)年1月に、フランスのパリで講和会議が開かれましたが、我が国も連合国の一国として、当時の原敬(はらたかし)内閣が、西園寺公望(さいおんじきんもち)を全権として会議に派遣しました。
会議の結果、同年6月にドイツと連合国との間で講和条約が結ばれましたが、ドイツは全植民地を失ったほか、本国領土の一部を割譲させられたのみならず、軍事を制限されたうえに多額の賠償金が課せられることになりました。なお、この講和条約はヴェルサイユ条約と呼ばれており、また、条約に基づく新たなヨーロッパの国際秩序をヴェルサイユ体制といいます。
ヴェルサイユ条約によって、我が国は山東半島におけるドイツの権益を譲り受けたほか、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権を得ました。なお、このときに我が国が委任統治した島々の一つに、現在のパラオ共和国があります。
パリ講和会議は敗戦国となったドイツにとって非常に厳しい内容となりましたが、実は我が国にとっても、権益など得るものが多かった一方で、国際的に苦しい立場に追い込まれることになったというもう一つの事実があり、またそうなった原因をつくったのがアメリカと中国でした。
※下記の映像は4月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
どうして日本は、アメリカと中国から
毎回、毎回睨まれる運命を辿らなければいけないのでしょうかね?
封じ込めようとする力が強いということは、
それだけ日本は世界に影響を及ぼす国だと
警戒され、恐れられる存在なのだと判断されている
からなのでしょうかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰る一面が確かにありますね。
大正時代の大きな教訓を、今の私たちは活かさねばなりません。
だからこそ、いまから「負の歴史」を紹介していきます。
大統領が悪かった気が。。
青田です。 黒田先生
青田です。
日本は、アメリカと同じ連合国側に属して、
戦いました。
いわば、カタチ上は、同盟国です。
アメリカが日本を嫌いというよりも
ウィルソンが日本を大嫌いだったことが災いした気がします。
ウィルソンは、徹底的な君主嫌いで、有名で
第一次世界大戦で、ドイツ帝国、オスマントルコ帝国、ハクスブルク帝国の君主を廃止させました。
ウィルソンは、次は、日本の天皇制を失くしたと思っていたそうです。
あのフロイトでさえも、ウィルソンを完全なサイコパスだと言ってました。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、アメリカの当時の大統領の資質もあったというわけですね。
一国の為政者が諸国に様々な問題をもたらすのは、いつの時代も同じなようです。
かくして、講和会議はアメリカ・イギリス・フランスを中心に行われただけでなく、アメリカは自国の立場を利用して、会議にオブザーバーとして参加した中国の発言権を認めました。
会議において、中国はドイツの旧権益を、我が国を通さずに直接返還することを申し出るなど強気な発言を繰り返し、最終的にヴェルサイユ条約の調印を拒否しましたし、中国国内における排日活動も、アメリカの支持を得て激しくなっていきました。
また、先述した十四ヵ条の平和原則に基づいて、国際紛争の平和的解決と国際協力のための機関として、大正9(1920)年に国際連盟が設立されましたが、連盟で行われた会議において、日米両国がまたしても激しく対立することになったのです。
※下記の映像は4月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かにより多くの血が流れる戦い方をした国に対しては、それだけの多大な犠牲を出した見返りという
特典が認められるのは仕方が無い事だとは思います。
けれど、日本人の一般的な考え方から
思うに、わざわざより多くの血を流すことよりも、最小限の被害で踏み留まる方が、よほど勇気が居る気がしてなりません。
戦争とは狂気な沙汰ですが、
日頃の常識的な考え方が、戦争では通用しなくなる
所がまた怖い所でもありますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
当時の世界常識が、我が国の理想とかけ離れていたことが、我が国のみならず世界全体の悲劇だったのかもしれません。もっとも、これは今も同じことですが…。
我が国が提出した撤廃案は、会議に出席した16ヵ国中11ヵ国という多数の賛成を得ましたが、議長であったアメリカのウィルソン大統領が、「このような重要な事項は全会一致でないと認められない」と主張して強引に否決しました。
アメリカからすれば、日本人移民の迫害ができなくなることへの危機感もありましたし、何よりも欧米列強にとって、これまでの「白人を中心とする世界秩序」や「有色人種を奴隷(どれい)扱いする植民地制度」を破壊する可能性が高い提案は、「危険思想」以外の何物でもなかったのです。
かくして我が国は、アジアやアフリカの独立諸国や植民地支配を受けていた有色人種の民族に大きな勇気を与えた一方で、欧米列強からますます警戒されるようになり、特にアメリカの日本敵視がさらに強くなってしまいました。
ちなみに、世界平和の実現に大きな期待が寄せられた国際連盟でしたが、常任理事国として日本・イギリス・フランス・イタリアが選ばれたものの、そもそもの提案国であったアメリカが上院の反対で加盟できなかったり、またロシア(=ソビエト)や敗戦国であったドイツが除外されたりするなど、運営は当初から順調ではありませんでした。
※下記の映像は4月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんにちは!
人間の性なのでしょうね。
いつでも自分が相手よりも僅かでも「優位」に立っていないと気がすまない人が私のすぐ身近にも居ますが、その最たる国がアメリカという国なのでしょうね。
ビジネスなどでもそうでしょうけれど、結局
出世が早いという人間の特徴は、いかに人に対して非情になれるかという事だと何処かの本で見かけましたが、確かに情に絆されてばかりでは、なかなか
大儲けはムリですが、それでも強引で、手厳しすぎる考えでは、何時かは敵を多く生むことになり、自分で自分の首を締める事にもなり兼ねないと思います。相手を利用したり、頭を常に抑えこもうとすれば、その反動も覚悟しなければなりません・・。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰る内容は、まさにアメリカの歴史でもありますね。
繰り返しになりますが、わが国の伝統的な国家運営こそが世界平和につながると思うのですが…。
アメリカの思惑に気付いた我が国は、これに対抗する目的で、艦齢8年未満の戦艦8隻(せき)と巡洋戦艦8隻を常備すべく、八八艦隊の建造計画を推進していましたが、果てしない軍拡競争に疲れたアメリカは、やがて世界各国に海軍の軍備制限を呼びかけました。
かくして大正10(1921)年に、アメリカ大統領ハーディングが中心となって、海軍軍備制限と極東及び太平洋問題に関する国際会議がワシントンで開かれました。これは、今日ではワシントン会議と呼ばれています。
ワシントン会議には、アメリカや日本の他に、イギリス・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9ヵ国が参加して行われ、我が国からは、当時の海軍大臣で後に首相となった加藤友三郎(かとうともさぶろう)を全権とする代表団が派遣されました。
この会議によって、アメリカが大きな利益を得たのに対して、我が国は第二次世界大戦、あるいは大東亜戦争にもつながる国際社会での孤立を招くことになってしまうのです。
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ぴーち こんばんは!
個人的に軍事力を強化していくことには賛成しかねますが、アメリカは自国の力だけを糧にして
一番になろうと懸命に努力する所には凄さを感じます。目標を達成するためには、是非が非でも頑張ろうとする所が、強さを差し引いても
世界から一目置かれる理由の一つなのかも知れないと思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かにそうですね。「他国を押し退けてでも自国の発展に努める」という姿勢は、一目置かれると同時に、不必要な恨みも買ってしまいそうですが…。
日本の外交能力の欠如
青田です。 黒田先生
青田です。
この当時の日本の政治家の外交能力は
根本的に欠如していました。
明治時代に岩倉使節団は、ドイツのビスマルク首相から
「万国公法は列国の権利を保存する不変の法というが、
大国にとっては利があれば公法を守るだろうが、不利とみれば公法に代わって武力を用いるだろう。」という言葉を聞き、
当時の明治の政治家は、国際社会の本質を知り、
感動しました。
それれから、明治の政治家は、小国といえども
国際社会のバランサーとして、日英同盟という曲芸的な外交能力を発揮しました。
(伊藤博文、山縣有朋は、ビスマルクを大尊敬していました。)
ただ、第一次世界大戦の頃には、日本の政治家は、このビスマルクの言葉さえ、すっかり、忘れていた気がします。
この時に日本は、政党政治が根づき、学歴貴族が政治の中枢にいたのが、アメリカ、中国に振り回された気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにそのとおりですね、
ネタバレになりますが(笑)、今後は仰った内容を中心に展開することになります。
しかし、我が国を激しく憎むアメリカにとって、将来日本と戦争状態となることを想定すれば、日英同盟は邪魔(じゃま)な存在でしかなかったのです。このためアメリカは、ドイツが敗れて同盟の必要がなくなったことを口実として、カナダとともに日英同盟の破棄を強く迫りました。
イギリスは日英同盟の破棄までは必要ないと考えていましたが、第一次世界大戦において経済的あるいは軍事的に大きな恩恵を受けたアメリカの強硬な態度に抗しきれず、日英同盟を破棄する代わりに、イギリス・アメリカ・日本・フランスの四ヵ国条約が大正10(1921)年に結ばれました。
しかし、同盟というものは「1対1」だからこそ威力を発揮するのであり、数ヵ国が連帯すれば責任の所在が分からなくなることから、何の意味もなくなってしまうのが常識でした。まさに「共同責任は無責任」であり、太平洋の現状維持を取り決めた四ヵ国条約が、この後に役立つことはなかったのです。
※下記の映像は4月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど~!
私は逆に4カ国も連帯を組めば、より強固な
意味を成すのかと思いましたが、現状は全く
正反対だったのですね。
確かに、家族でも子供の数が多ければ、親は老後安泰かとおもいきや、子供同士で親の面倒を誰が看るのかを押し付けあったりして、誰もその責任を果たそうとしない現状があったりしますもんね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
物事は「一対一」だからこそうまく回ります。
立憲君主制でないアメリカの暴走
青田です。 黒田先生
青田です。
二国間の同盟で
日露戦争です。
日本は、イギリスと同盟を結んでいました。
ロシアは、フランスと同盟を結んでいました。
ということは、
ロシア以外の強国であるフランスに釘を刺すことができました。
これは、、ロシアからすると同じで、日本と戦っている時にイギリスに釘を刺すことができます。
これって、世界常識なんですが、
民主主義世界で、キリストになりたと考えていたアメリカ大統領のウィルソンには、通用しなかったようですね。(ちなみに、このウィルソンをヒトラーは、尊敬していたそうです。)
正直、ウィルソンは、写真を観るだけ、血圧が上がります。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、時の大統領の資質で大きく世界が動くということになりますね。
理由はどうあれ、日英同盟の破棄によって、我が日本は強力な同盟国であるイギリスを失うことになりました。この後、アメリカは事実上孤立無援となった日本を狙い撃ちし、我が国をますます追いつめるようになるのです。
一方、日英同盟の破棄はイギリスにとっても致命的でした。日英同盟があったからこそ、イギリスはアジアに気を配らずに済み、第一次世界大戦においてヨーロッパ大陸に兵力を集中させることができたのです。
しかし、日英同盟が破棄されてからわずか20年で大東亜戦争が始まり、イギリスは戦艦プリンス・オブ・ウェールズが日本によって轟沈(ごうちん)させられるなど大きな損害を受けました。さらには、同じ有色人種である日本の奮戦に勇気づけられた、インドやシンガポールなどが戦後に次々と独立し、気が付けば植民地の大半を失ってしまいました。
一つの外交同盟の存在の有無が、世界中にかくも大きな影響をもたらすようになってしまうのです。日英同盟の終わりこそが、その後の我が国と世界の運命に甚大な影響を与えたことを、現代の日本人は忘れてしまっていますが、この事実はもっと意識されるべきことです。
※下記の映像は4月20日までの掲載分をまとめたものです。





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青田です。 黒田先生
青田です。
アメリカは、日本を国際的に孤立させた原因として
日本軍を怖がっていたこともあると思います。
アメリカは、軍備増強は進め、徴兵制を始めましたが、それでも、日本よりも軍事力は、全く、及びませんでした。
つまり、ガチンコで、日本と戦っても勝てる自信がなかったわけです。
だから、眠れる獅子(????)と思っている中国を日本にぶつけならが、日本と戦おうとします。
ぴーち こんばんは!
今日のお話を伺って
やはり日本という国は、もしかしたら
世界で一番脅威になる存在になるのではと確信
いたしました。
今でこそ、軍事に関しては消極的ですが、
これが一旦、戦力を有する国と化した時には
アメリカをも凌ぐパワーを発揮してしまう力を秘めている気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、怖がっていたからこそ封じようとしたわけですね。
戦国時代後期にイスパニアやポルトガルが我が国の実力の高さを警戒したのと同じ構図ですが、その後の対応が…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
ただ、他国にとっては脅威であっても、そもそもの発想が、外国とは違って「八絋一宇」の精神を持つ我が国は、本来は和を求める民族である、ということも忘れてはいけません。
聖徳太子を見習って欲しいです
青田です。 黒田先生
青田です。
たしかに、アメリカは、大国ですし、やり方は
陰険です。
ただ、それを何とかするのが、外交です。
日本の外交能力は、あまりにも低いです。
かつて、
小国の日本が、隋の煬帝と対等外交を実現した聖徳太子の外交能力を考えると、たとえ、小国でもバランサーとして、全体を観る力があれば、難局を乗り越えたはずですね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 私もそう思います。
我が国の海軍は、米英への対抗のため対7割(米英5、日3.5)を唱えましたが、海軍大将でもあった全権の加藤友三郎が、これを抑えるかたちで調印しました。また、条約締結後は各国が10年間戦艦を建造しないことも取り決められました。
軍縮条約によって、西太平洋における防備に関して各国が制限を受けることになりましたが、なぜかアメリカのハワイとイギリスのシンガポールはその例外とされました。つまり、「日本だけが西太平洋における防備を一方的に削られた」格好となったのです。
後に我が国が大東亜戦争の際に、ハワイの真珠湾を最初に攻撃し、またシンガポールにも激しい攻撃を加えた理由には、この不平等ともいえる条約がもたらした軍事的な不均衡(ふきんこう)もその一つがありました。
※下記の映像は4月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんにちは!
なるほど・・
お話を伺っていると、アメリカがいかにも
仕掛けそうなやり口だと思いましたが、
その根底には、日本を絶対負かしてやろうという
陰湿な魂胆が秘められていたので
尚更の事だった訳ですね。
こういう卑怯な手口を使う国を嫌う国が他にも
現れるのは仕方が無い思いが更に強まりました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 残念ですが、そう考えないとつじつまが合いませんね。
まさに「世界は腹黒い」。正統派だけでは御しきれないことも理解しなければなりません。
なぜなら、石井・ランシング協定で、アメリカは中国における日本の特殊権益の保有を認めていたにもかかわらず、九ヵ国条約によって、中国の権益は「すべての国が平等」となってしまったからです。
アメリカにとって石井・ランシング協定は、自国が第一次世界大戦に参戦中に日本が中国大陸に対して余計な手出しをさせないために、その場しのぎで結んだに過ぎなかったのです。事実、先述のとおり、この協定は九ヵ国条約が発効した大正12(1923)年に破棄されてしまいました。
この後、我が国が中国大陸に何らかの立場で関わる度に、アメリカを中心とする世界が九ヵ国条約違反を強硬に主張したことで、我が国のみが国際的な非難を浴びる遠因となりました。さらに、我が国は九ヵ国条約に基づいて、ヴェルサイユ条約という名の国際的にも「正当な手段」で手に入れた山東半島における旧ドイツ権益を、大正11年に中国に返還することになってしまいました。これを山東懸案解決条約といいます。
※下記の映像は4月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
目的の為には手段を選ばないアメリカのやり口が
まかり通ってしまう所がまた皮肉なものですね(*_*;
どうしても、声を大きく発する所に世界は注目してしまい、それがあたかも真っ当な言い分だと通用してしまう所が怖い所ですよね。
押しの強いアメリカのプロパガンダに
世界がまんまと乗せられてしまうのは悔しさを覚えますが、それでもその強引さには必ずしっぺ返しが訪れるのではないかと思いたいです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、強引すぎますよね。
その流れを今も引きずっているようですが、いつかは痛い目にあうでしょう。もっとも、我が国がそれに巻き込まれないように気を付けねばなりませんが。
ワシントン体制は、ヨーロッパのヴェルサイユ体制とともに、第一次世界大戦後の世界秩序を形成することになりましたが、我が国にとっては、第一次大戦で得た様々な権益を放棄させられるなど、アジアにおける政策に対して、列強からの強い制約を受けることになったほか、日英同盟の破棄によって、国際的な孤立にもつながるようになりました。
しかも、このワシントン体制には大きな欠陥(けっかん)がありました。ワシントン会議後に成立したソビエト連邦が会議に参加していないことで、九ヵ国条約をはじめ数々の国際条約の制約を受けなかったことから、アジアにおいて他国に構うことなく、自由に侵略を行うことが可能だったのです。
巨大な軍事国家でもあったソ連の誕生は、やがてアジアの赤化をもたらすとともに、我が国を苦境に追いつめることになりましたが、そんな我が国に対して、別の方向からさらに追い打ちをかける法律が1924(大正13)年に成立しました。
それは、アメリカによる日本人排斥移民法のことです。
※下記の映像は4月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
まあ。。次から次へと試練をよくも与えてくださいますねぇ・・(^_^;)
けれど、日本という国は、逆境に立たされてこそ、
その真価を発揮できる国だと信じております!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国は逆境に強い国でもあります。
しかし、ここから先の展開までは…。
1920(大正9)年にはカリフォルニア州で第二次排日土地法が成立し、日本人移民自身の土地所有の禁止だけでなく、その子供にまで土地所有が禁止されました。続いて1922(大正11)年には、アメリカの最高裁判所で黄色人種、すなわち日本人のアメリカへの帰化権が否定されたのみならず、すでに帰化した日本人移民の帰化権まで奪われることになりました。
そして1924(大正13)年に、日本人排斥移民法がアメリカ全土に適用される連邦法として成立し、アメリカは国家全体として日本人移民すべてを排斥することを宣言したのです。
アメリカによる一方的かつ冷酷な態度に、日本人の多くはアメリカに対するそれまでの感情を激変させ、敵視するようになりました。後に我が国がアメリカと大東亜戦争を始めた際、日本国民の多くが「大変なことになった」と思ったと同時に、「積年の思いが晴れてスッキリした」と考えた人々も決して少なくなかったのです。
なお、日本人排斥移民法が成立した当時は摂政宮(せっしょうのみや)であられた昭和天皇は、後年に「先の大戦の遠因はアメリカ移民の問題であり、近因は石油が禁輸されたことである」と仰っておられます。
※下記の映像は4月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
私は、白と黒、どちらの色が好みですか?と聞かれたら、黒と答えます。
黒色の方が、落ち着きがあり品格が有ると思うからです。
どうして、白が優勢だと言うのでしょうか?
白色である事がそんなに偉い事なのでしょうか?
何を持ってして、白が良いと言うのでしょうか?
白人が勝手にそう決めた事で、自分たちが世界中で一番凄いんだという事をただ誇示したいだけの
手段が、人間の肌の色の違いだとすれば、
これは人間としてはそれこそ、低レベルな考えだと思わずには居られません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、白人の優位性など、私たちには全く理解できません。
ただ、悲しいかなそれがまかり通っていたのが、20世紀前半までの歴史なのです。