私たちが「唱歌」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、いわゆる「文部省唱歌(もんぶしょうしょうか)」といわれる歌の数々ですが、それらは明治末期から編集された「尋常小学読本唱歌(じんじょうしょうがくとくほんしょうか)」や、あるいは「尋常小学唱歌(じんじょうしょうがくしょうか)」に代表されるものが有名ですね。
しかし、唱歌はそれらばかりではなく、例えば「鉄道唱歌」のように学校とは無関係のものも親しまれていますし、また、いわゆる軍歌も「戦時唱歌」と言い換えられることもあることから、唱歌の一種であると考えることができます。
つまり、真面目な、そして広い意味で教育的な目的でつくられた歌が唱歌であるといえ、その点では、明治期につくられた「紀元節」や「天長節」、あるいは旧制高校の寮歌やキリスト教の讃美歌(さんびか)も、唱歌と同類であるといえるのです。
※下記の映像は8月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
私が卒業した高校はキリスト系の高校でした。
ですので、朝礼の際には「賛美歌」を
歌わされたものです。
私自身は仏教徒ですので
実生活にはほとんど活用する事は有りませんが、
それでも一音楽としては、美しい旋律に惹かれましたね・・
クリスマスソングなどは日常でも
平気で歌わせていただいてますがw
万里ママ 唱歌、いいですよね^^
今なお歌い継がれていく形で
残っている数々の歌には、
やはり、良いメロディーと
印象に残る歌詞があります。
同類の歌にも、口ずさみやすくて
良い物が多く、古き良き日本の象徴ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もミッション系の高校でしたので、賛美歌は良く歌いました。
厳かな雰囲気の歌は、やはり唱歌らしさを感じます。
万理ママさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
唱歌が廃れていくのは寂しいし、またもったいないですが、だからこそ、一度は歴史をじっくり振り返るべきだと思います。
明治5(1872)年、明治新政府によって学制が公布され、その際に小中学校における音楽教育も規定されましたが、具体的には何の準備もできていませんでした。
その後、明治12(1879)年に文部省(現在の文部科学省)に音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)が設立され、アメリカ留学帰りの伊沢修二(いさわしゅうじ)が御用掛(ごようがかり)に任命されました。
伊沢は、アメリカの音楽教育家であったメーソンを我が国に招き、音楽教員の育成方法や教育プログラムの開発を行うとともに、我が国初の官制唱歌である「小学唱歌集」を明治14(1881)年から17(1884)年にかけて、3編に分けて発表しました。
※下記の映像は8月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
何事も付け焼き刃で制定された
ものは、余り成功した事はないようですが、
この場合は、どんな行く末を辿ったのでしょうか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、確かに一般的にはそのようなイメージが強いですよね。
小学唱歌集の場合は、意外な事実が発覚するかもしれません。
また、歌詞の流れも我が国古来の万葉集(まんようしゅう)にさかのぼる、「五・七・五」からくる「七五調」のリズミカルな旋律が多かったため、小学唱歌集は多くの日本人に親しまれるとともに、掲載された歌の多くが、その後に発表された官制あるいは民間の唱歌集に受け継がれました。
さらには、「見渡せば(むすんでひらいて)」「蝶々」「螢の光」「仰げば尊し」「庭の千草」のように、歌集に収められた曲の一部は、現在もなお歌い継がれているのです。
なお、スコットランド民謡の名曲である「アニーローリー」もこの歌集に収められていますが、歌詞が紫式部(むらさきしきぶ)と清少納言(せいしょうなごん)を称える「才女」となっています。
※下記の映像は8月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かに日本語と言うのは、多種多様なので
どんな言い方にも変えることが出来るので
便利といえば便利ですよね。
よく聞かれる話で、外国映画の日本語吹き替えを
する際に、口の開き方を見て、その言葉の意味と
ほぼ同じような意味の日本語をピッタリと入れてしまうのが得意なのは日本語であるが故の芸当だと言いますもんね!
アニー・ローリーはあの才女達がモデルになっていたとは、驚きました!
初代リカちゃん人形が当時の正統派アイドル「酒井和歌子」さんと「吉永小百合」さんのいいとこ取り
だという事に似ているような(全く比較にならないですね(^^ゞすみません。。)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 外国由来の曲が、ここまでピッタリはまるのは偶然を超えて何かを感じますよね。しかも100年以上も愛されているんですから。
アニーローリーは愛情がこもった歌ですが、才女を称えるというのがいかにも日本らしいです(笑)。
また、明治34(1901)年に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)から発行された、官制唱歌の「中学唱歌」では、日本人の作詞・作曲の意欲の向上のために、あらかじめつくられた歌詞に対する作曲を懸賞募集としましたが、これに見事当選したのが滝廉太郎(たきれんたろう)であり、「箱根八里」や「荒城の月」などが収められています。
その後、音楽の進歩発展ぶりや、それに比して民間唱歌が乱発行されているのを憂慮(ゆうりょ)した文部省が、「日本人の子供を教育する唱歌は日本人の作詞・作曲によるべきである」として、当時の「尋常小学読本(じんじょうしょうがくとくほん)」の中に出ていた詩に日本人が作曲したものを中心に、「尋常小学読本唱歌」が明治43(1910)年に発表されました。
「尋常小学読本唱歌」の中では、「ツキ(お月さま)」「ふじの山」「春が来た」「虫のこえ」「水師営の会見」「われは海の子」などが現在も有名です。
※下記の映像は8月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんにちは!
滝廉太郎氏の曲は良いですね~
私は「荒城の月」も好きですが、「花」も
好きです。
歌詞を辿っていると、そこに確かに春の情景が
浮かんで来ますものね^^
話は逸れますが
最近のアニメなどは
殺伐としたものか、あるいは
逆に短絡的でその場限りの笑いを誘う内容の
ものが多く、一昔前の様に、世界名作劇場やら
日本の昔話の様な情操性がある
内容のものを放送してくれないかなと
息子がボヤいていたのを
ふと思い出しました(^^ゞ
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
我が国らしい昔の情緒ある風景を、私たちの世代で取り戻すべきです。そのためにも唱歌の復活が望まれます。
「尋常小学読本唱歌」に収められた歌をすべて取り込んだほか、1学年ごとに20曲の合計120曲がすべて日本人の作詞・作曲によるものであった「尋常小学唱歌」は、まさに明治初期以来の「唱歌教育」の賜物(たまもの)といえました。
その一方で、「尋常小学唱歌」に収録された曲のほとんどが、先述した「ヨナヌキ音階」であったほか、曲全体が「起承転結」など行儀(ぎょうぎ)よく整っており、終止音も「ド」あるいは「ラ」と判で押したように同じとなった単調さが、もう一つの大きな特徴でもありました。
また、これは「尋常小学読本唱歌」も同様ですが、「尋常小学唱歌」は文部省が東京音楽学校に編纂を依頼し、当時の東京音楽学校に依頼して編纂委員会を組織させ、音楽学校の教授を中心に構成された編纂委員が合議して作詞・作曲されたものでした。
このため、著作権は文部省が所有するとともに、個々の詞あるいは曲の作者が伏せられてしまったことから、これらの唱歌の多くが「作詞・作曲者不詳」となっています。なお、唱歌の中には「春が来た」「朧(おぼろ)月夜」「故郷(ふるさと)」のように、後に個々の作詞・作曲者が判明したとされる曲があるものの、その多くは根拠(こんきょ)が弱いとされています。
※下記の映像は8月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かに作詞、作曲者不詳という曲が有りますよね。
そういう理由があったんですか。
そう言えば、君が代なども作詞者
不詳だったように記憶しています。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 子供心に「どうして作詞作曲者が分からないんだろう」とは常々思っていましたので、理由を初めて聞いた際には驚いた記憶がありますね。
国歌である君が代は、古来の和歌に明治になって曲が作られたものですが、作曲者は林広守氏だそうです。
1年
「日の丸の旗」「鳩(鳩ポッポ)」「人形」「かたつむり」「桃太郎」
2年
「浦島太郎」「案山子(かかし)」「紅葉(もみじ)」「雪」
3年
「茶摘(ちゃつみ)」「汽車(今は山中)」「村祭」「冬の夜」
4年
「春の小川」「広瀬中佐」「村の鍛冶屋(かじや)」「橘中佐」
5年
「鯉のぼり(いらかの波と)」「海(松原遠く)」「冬景色」
6年
「朧(おぼろ)月夜」「故郷(ふるさと)」
皆様の思い出の歌が、これらの中にあるでしょうか。また、今回紹介した以外にも、 「尋常小学読本唱歌」あるいは「尋常小学唱歌」の中で皆様それぞれの愛唱歌が存在することでしょう。
※下記の映像は8月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
タイトルを見ただけでは浮かんでこない曲も
有りますが、懐かしい歌が並んでいますね^^
日本の四季を織り交ぜた作品も多いことに
改めて気付かされました。
この所、日本の四季の様相も変化しつつありますが、
せめて歌で四季というのをしっかりと感じて
行きたいものだと思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、唱歌などの昔の歌は、四季などの季節感がはっきりしていましたね。
昔の情緒を失わないためにも、こういった財産をしっかり守っていきたいです。
「新訂尋常小学唱歌」で新たに発表され、現在でも有名な歌としては、4年生用の「牧場の朝」、6年生用の「スキーの歌」などが挙げられます。
その後、昭和16(1941)年に小学校が国民学校に改編されると、いくつかの歌の入れ替えを行ったうえで、1年生用が「ウタノホン」、2年生用が「うたのほん」、3年生から6年生用が「初等科音楽」と分けられて発行されました。
これらの中では1年生用の「ウミ」「おうま」や、2年生用の「たなばたさま」、6年生用の「スキー」が今も知られています。
※下記の映像は8月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
「スキー」ですか^^
今なら、「スノボー」の歌という事に
なるでしょうかw
スノボーとなると、同じカタカナ語でも
なんとなく落ち着きが無くなりますね(^^ゞ
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、今ならさしずめ「スノボー」ですよね(笑)。
冬の風物詩にも時代の移り変わりがあるというところでしょうか。
これらの唱歌集で収録された曲では、1年生用で、かつての「小学唱歌集」の「見渡せば」の曲を活かした「むすんでひらいて」や、「ぶんぶんぶん(蜂が飛ぶ)」、3年生用の「小ぎつね」、4年生用の「かえるの合唱」「アマリリス」「夜汽車」、6年生用の「思い出」「よろこびの歌(ベートーベンの第九)」などが有名ですが、実は紹介したすべての曲が外国由来のものです。
その後、教科書がそれまでの国定教科書から、文部省による検定教科書とされたため、民間会社発行の教科書が主流となりました。一部の唱歌は「検定済教科書に必ず採録すべき歌」とされたものの、時代の流れとともに唱歌が歌われなくなってきているのは残念な限りです。
また、GHQの占領政策の悪影響によって、歌詞の書き換えあるいは一部削除を受けたり、中には存在そのものが抹消されたりした数々の歌が、独立回復から60年以上、そして戦後から70年近くも経過しているにもかかわらず、未だに「名誉回復」がなされていないのも大きな問題ではないでしょうか。
ここからは、数々の唱歌の中から有名な数曲を選び、講師である私(黒田裕樹)自身が歌いながら、その詳細を紹介したいと思います。
※下記の映像は8月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
何なんでしょうかね?
日本人の考え方って、
特別自分の身に降りかからない
事でなければ、可怪しい事が起こっても
別に気にしないみたいな所が
有りますよね・・
歌の歌詞に関しては
特に「気にもならない」と
思っている人が大多数を占めているのではないかと
思いますね。。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
由緒ある唱歌の歴史を汚してはなりません。