そんな節目(ふしめ)の年であったことからなのか、今年の8月10日に菅直人(かんなおと)内閣総理大臣が日韓併合に関する談話(だんわ)を発表しました。
談話の中において、菅首相は「当時の韓国の人々がその意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪(うば)われ民族の誇(ほこ)りを深く傷付けられたという多大の損害と苦痛に対し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明する」と自身の見解(けんかい)を示しています。
元々我が国では、朝鮮半島を我が国の領土としたという事実に対して反省の思いが強い傾向(けいこう)にあり、首相の談話もこの流れに沿(そ)う形でまとめられたのかもしれませんが、談話における「日本が、嫌(いや)がる大韓帝国を強引に併合して朝鮮半島の人々に多大な迷惑をかけた」ということは本当なのでしょうか?




いつも有難うございます。
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そうめん テンプレートを変えたんですね。
綺麗で良い感じですよ~
ちょっと関係ないですが菅首相といえば
菅首相と小沢氏との戦いが凄いですよね。
朝鮮半島を併合したのは明治時代だったんですか・・。
参考になりました(^^;)
そうめんさんへ
黒田裕樹 > テンプレートを変えたんですね。
> 綺麗で良い感じですよ~
有難うございます(^^♪
月もテーマも変わったので、ここらでイメチェン(笑)しました。
> ちょっと関係ないですが菅首相といえば
> 菅首相と小沢氏との戦いが凄いですよね。
民主党の代表選ですね。党内ばかりで盛り上がっても困るのですが…。
> 朝鮮半島を併合したのは明治時代だったんですか・・。
> 参考になりました(^^;)
本文にもありますように、今年(平成22年)で100周年ですからね。
今回の講座でぜひ知識を深めて下さい!
黒田先生
風早 りら 日韓併合から100周年
今だに 両国間では 見解の
相違が 多いです
明日からの先生の講座 楽しみです
私が不満に 思う事は
韓国 も 中国 も
日本の経済援助無しでは今日の繁栄は無いと思いますが
それを 韓国も中国も国民に知らしめて
いないように思えます
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 日韓併合から100周年
> 今だに 両国間では 見解の
> 相違が 多いです
> 明日からの先生の講座 楽しみです
有難うございます。タイムリーな話題であること、また私自身に思うことがあるゆえに今回の講座には特に力を入れております。ご期待下さい!
> 私が不満に 思う事は
> 韓国 も 中国 も
> 日本の経済援助無しでは今日の繁栄は無いと思いますが
> それを 韓国も中国も国民に知らしめて
> いないように思えます
外国には外国の事情があります。
それぞれの国で触れてほしくはない、あるいは触れたくない部分もあるのでしょう。
だとすれば、なおさら我が国に対してあれこれ言ってほしくはないと思うのですが…。
サクラ 初コメです。
あの国との関係をこじらせているのは、歴史認識の違い以前に「視点」の違いですね。
韓国は単純な上下関係のきびしい儒教国家で、中華冊封体制から遠のいた日本は、いつまで経っても韓国より下なわけですよ。
ですから当時首相の李完用が「合邦」だとおもっていても、今の韓国人にとっては屈辱的なんでしょうね。
だから謝っても謝っても済まない。
しかも日本人には日本人の視点があって――。
けど、菅総理とか上の人は、そういった事をある程度は理解してるんだと思います。
謝罪は国交の潤滑剤ですから。
平謝りしたところで日本に損はありませんし。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 初コメです。
はじめまして。ブログへのご訪問、並びにお言葉有難うございます。
> あの国との関係をこじらせているのは、歴史認識の違い以前に「視点」の違いですね。
> 韓国は単純な上下関係のきびしい儒教国家で、中華冊封体制から遠のいた日本は、いつまで経っても韓国より下なわけですよ。
> ですから当時首相の李完用が「合邦」だとおもっていても、今の韓国人にとっては屈辱的なんでしょうね。
> だから謝っても謝っても済まない。
> しかも日本人には日本人の視点があって――。
> けど、菅総理とか上の人は、そういった事をある程度は理解してるんだと思います。
> 謝罪は国交の潤滑剤ですから。
> 平謝りしたところで日本に損はありませんし。
前者については私も同感です。ただ、後者については知らず知らずのうちに現代の価値観に基づいた判断になっている傾向があるのではと私は考えております。
日韓併合の本質についてこれから探っていきますので、よろしければ今後もぜひご訪問下さい。
なお、「平誤りすれば許してもらえる」のは日本人同士であれば「謙譲の美徳」ですが、文化が異なると額面通りに受け取ってもらえないこともありますね。
サクラ いや、許してもらえると言ったわけではありませんよ。
これは、私の書きかたのミスですね。
謝罪することによって、韓国を宥めると言う事です。
あの国の上下意識は、日本側から見れば駄々をこねる子供の論法ですから。
それを知らず、謝罪と言わずとも「後ろめたさ」を感じている日本人の『大衆』意識こそ問題なのです。
上の人なら事実を知りつつ謝っているというのが私の考えですから。
サクラさんへ その2
黒田裕樹 > いや、許してもらえると言ったわけではありませんよ。
> これは、私の書きかたのミスですね。
> 謝罪することによって、韓国を宥めると言う事です。
> あの国の上下意識は、日本側から見れば駄々をこねる子供の論法ですから。
> それを知らず、謝罪と言わずとも「後ろめたさ」を感じている日本人の『大衆』意識こそ問題なのです。
> 上の人なら事実を知りつつ謝っているというのが私の考えですから。
なるほど、事実を知りつつ確信犯ということですか。
贖罪(しょくざい)意識を植え付けらえているのも問題ですね。
まずは私たち一人一人がお国柄と本当の歴史をよく知る必要がありそうです。
J時永 久しぶりにコメントします←
J時永です!
日韓併合は本当に強引なのか、は
非常に気になるところですね!
続きを楽しみにさせて頂きます^^
菅総理に関しては率直に申し上げますと謝罪は必要ない気がするんですけどねー。日本に原爆を落としたアメリカは罪意識は一応あっても平然と核を持ってるわけですし・・・ただ両国間でお互いに間違った解釈をしてしまうのは問題ですよねー。
ぴーち こんばんは!
朝鮮半島問題以後の話になるのかもしれませんが、関東大震災の後に
日本に居た韓国人(当時はきっと朝鮮人と呼ばれていた)が、日本人のあらぬ
噂(井戸に毒を投げ入れたなど)で大量虐殺されたという話がありますが、
震災と言う恐怖で一時的に集団ヒステリー現象に見舞われて、善悪の判断すら
出来ないパニック状態の中での誤解で起きた惨事だとしても、日頃から
日韓関係は余りよくは無かったことは明確であり、その災害が突破口となり
彼らに刃が向けられてしまったのではないかと思います。
しかしながら、日本人が精神的に情緒不安な状態であれ、その当時の韓国人にたいする
余りにも過激な暴動は、掃っても、掃っても拭い切れない汚点として韓国人の方達の
脳裏に刻まれた事でしょう。。
そんな根深い恨みの念は、たった一度の謝罪の言葉だけでは、解消されないものだと
思いました。。
応援凸
日韓併合に関しても同様であり、我が国が当時の大韓帝国(=韓国)を併合したという「結果」を知ろうと思えば、なぜ我が国が韓国を併合しなければいけなかったのか、あるいは逆に「韓国がなぜ我が国に併合されなければならなかったのか」という歴史の流れを知る必要があるのです。
そして、これらの歴史的な経緯(けいい)を知ることによって、私たちは初めて日韓併合に関する真実を理解することになり、また日韓併合について一定の評価をすることが可能になるのではないでしょうか。
今回の講座では、韓国が我が国に併合されるまでの歴史について、当時の世界情勢も踏(ふ)まえながら可能な限り公平な視点で探(さぐ)っていきたいと思います。




いつも有難うございます。
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紗那 ん、なんか興味深い導入です……!
どうして併合したのか、は自分で調べたり考えたりしたことはありましたが、どうして併合されなければ~という方向からは考えたこともなかったです!
サクラ ちょっと昨日のコメントと、その返信をブログに書こうと思います。
よろしいですか?
紗那さんへ
黒田裕樹 > ん、なんか興味深い導入です……!
> どうして併合したのか、は自分で調べたり考えたりしたことはありましたが、どうして併合されなければ~という方向からは考えたこともなかったです!
日韓併合に限らず、どちらかが一方的に歴史的な事実を作った、ということはあり得ません。韓国側には韓国側の「理由」も存在するはずですからね。
これからの展開にご期待ください!(^o^)/
ぴーち こんばんは!
確かに仰るとおりだと思います。
ある結果だけを見て、それが全てだと判断する前に、それがどうして行われたのか。どうしてそういう流れになってしまったのかという、原因のぶぶんは必ず存在するものですね。
そういう意味でも、また、勉強させていただきたいと思います♪
応援凸
サクラさんへ
黒田裕樹 > ちょっと昨日のコメントと、その返信をブログに書こうと思います。
> よろしいですか?
OKですよ。
今回のようにあらかじめ仰っていただければ有難いです。
よろしくお願いします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに仰るとおりだと思います。
> ある結果だけを見て、それが全てだと判断する前に、それがどうして行われたのか。どうしてそういう流れになってしまったのかという、原因のぶぶんは必ず存在するものですね。
> そういう意味でも、また、勉強させていただきたいと思います♪
有難うございます。
日韓併合へと向かう流れについてこれから詳しく探っていきたいと思いますので、よろしくお願いしますm(_ _)m
オバrev 日韓併合の、公正な、客観的な歴史史実を知ることは、歪められた歴史教育やマスコミの論調に晒されてきた我々にとって画期的なことかもしれません?
明日からの講座に期待しています。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 日韓併合の、公正な、客観的な歴史史実を知ることは、歪められた歴史教育やマスコミの論調に晒されてきた我々にとって画期的なことかもしれません?
> 明日からの講座に期待しています。
ご期待いただいて感謝しております。
まずは明治時代の始まりからスタートしてみたいと思いますので、よろしくお願いします。
黒田先生
風早 りら 日韓併合はかなり興味があります
いつも 今現在 日本だけが
責められています
仮に日本が100セント
非があるとしても いつまで
謝罪していくのでしょう
アメリカの民間人への原爆と投下は
世界の誰もが責めないというのに
これから期待しています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 日韓併合はかなり興味があります
> いつも 今現在 日本だけが
> 責められています
> 仮に日本が100セント
> 非があるとしても いつまで
> 謝罪していくのでしょう
> アメリカの民間人への原爆と投下は
> 世界の誰もが責めないというのに
> これから期待しています
有難うございます。
アメリカの件は私も同感ですね。
考えられるとすれば、戦勝国と敗戦国の違いでしょうか。
「勝てば官軍」というのは我が国だけではなさそうです。
あとは「過ぎたことは水に流す」という我が国の国民性がそうさせているのかもしれませんね。
永久に謝罪を求め続ける某国とは違うというところでしょうか。
しかし、当時の世界情勢は白色人種(はくしょくじんしゅ)による帝国主義(ていこくしゅぎ、政治や経済、軍事などの面で他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策のこと)の真っ只中(まっただなか)にあり、我が国は欧米諸国(おうべいしょこく)からの侵略(しんりゃく)や植民地化を免(まぬが)れるために、ありとあらゆる手段で近代化を進めていきましたが、広大な東アジアの中で、我が国だけがいくら頑張(がんば)ったところで限界がありました。
そんな我が国の生命線を握(にぎ)っていたのが朝鮮半島の存在でした。もし朝鮮半島が白人、特に当時のロシア帝国に奪われてしまえば、我が国の安全保障(あんぜんほしょう)が風前の灯(ふうぜんのともしび)と化してしまうのは明白だったのです。
そこで、明治政府は当時の李氏朝鮮(りしちょうせん)に近代化を進めるように働きかけました。朝鮮半島に独立国が誕生すれば、朝鮮の人々のためになると同時に我が国の安全度も増すと判断したからです。
政府は早速、当時の朝鮮国王である高宗(こうそう、または「コジョン」)に対して外交文書を送ったのですが、ここで両国にとって不幸な行き違(ちが)いが発生してしまったのでした。




いつも有難うございます。
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風早 りら 朝鮮半島が当時のロシア帝国に奪われていたとしたら 大変です
共産圏にいずれ 日本は囲まれてしまう事になります
怖いくらいです
戦争に負けた時 せめてもの救いは ロシアに占領されなかった事だと思っています
もし そうなら 日本は 今ころ北朝鮮のように なっていたかもしれません
ぞっとします
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 朝鮮半島が当時のロシア帝国に奪われていたとしたら 大変です
> 共産圏にいずれ 日本は囲まれてしまう事になります
> 怖いくらいです
> 戦争に負けた時 せめてもの救いは ロシアに占領されなかった事だと思っています
> もし そうなら 日本は 今ころ北朝鮮のように なっていたかもしれません
> ぞっとします
私も同感です。
ロシアが共産主義のソ連と化したのは20世紀ですが、それまでに朝鮮半島がロシアの支配を受けていれば同じことだったでしょう。
第二次大戦の敗北後、我が国はアメリカの一国支配を受けたことで大きな影響を受けましたが、仰るとおりまだアメリカで良かったのかもしれませんね。
今回の講座で重要なのは、当時の我が国の為政者がりらさんのような恐怖感を抱きながら毎日を生きていかなければならなかった、ということです。
国民の生活そっちのけで政争に明け暮れる現代とはわけが違います。
このことを肝に銘じながら、講座を進めていきたいと思います。
ぴーち こんにちは!
白人至上主義。
どうしていつも白人が優位な立場なんでしょうかね?
個人的には白人には何の恨みもございませんが、
白人、黒人、黄色と
見た目で優劣を付けて、
優越感に浸る・・。
ようやく現代になりアメリカもオバマ大統領の
例にもあるように、黒人であうとなんであろうと
大統領としての才覚の有無で地位を獲得出来るようになったのは、非常に進歩的な事ですけれど。
韓国と日本の行き違いは何だったのでしょうか。
また、続きを楽しみにお邪魔させてくださいね!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 白人至上主義については全く同感です。
人種差別ほど馬鹿馬鹿しいものはありません。
にもかかわらず、黄色人種であるゆえに叩かれる日本。本当に悔しいですよね。
行き違いは文書のなかの「言葉」から始まりました。
この行き違いが、やがて我が国の国論をも二分してしまうのです。
詳しくは明日(5日)をご覧下さい(^^♪
サクラ リンクに加えさせてもらいました。
それにしても、西欧の植民地だった国々は何も文句を言わないんですね(文句を言うほうが非常識と言うべきか)。なおかつ英連合なんて作ってますし。
本当は日本も近隣諸国との強い関係を作るべきなんですけどね。先進諸国からの見えない包囲網なんて、今も健在ですから。
ご無沙汰しています。
しきしま 久しぶりにコメントします。
テンプレートが変わって爽やかになりましたね。
実は近現代史ですが、分からない事も多々ありますので勉強させて頂きます。
「両国にとって不幸な行き違(ちが)い」、、、ですか。
確か、、、朝鮮政府は当初、明治新政府を正式に認めていなかったような(朝鮮通信使を送っていた徳川幕府を正式とみなしていた?)、か又は、朝鮮は中国の冊封体制に組み入れられていた為、日本を対等とみなしていなかったとか?
ちょっと今回(も)、当てずっぽうでコメントしてしまいました。
サクラさんへ
黒田裕樹 > リンクに加えさせてもらいました。
有難うございます。こちらからも相互リンクさせていただきますね。
> それにしても、西欧の植民地だった国々は何も文句を言わないんですね(文句を言うほうが非常識と言うべきか)。なおかつ英連合なんて作ってますし。
> 本当は日本も近隣諸国との強い関係を作るべきなんですけどね。先進諸国からの見えない包囲網なんて、今も健在ですから。
考えられるとすれば「第二次大戦の後遺症」というべきでしょうか。悲しいかな、戦勝国と敗戦国の違いというべきなのか…。近隣同士の憎みあいは世の常でもあるんですけどね。
しきしまさんへ
黒田裕樹 > 久しぶりにコメントします。
> テンプレートが変わって爽やかになりましたね。
お久しぶりです。お蔭様で良いテンプレを借りることができました。
> 実は近現代史ですが、分からない事も多々ありますので勉強させて頂きます。
> 「両国にとって不幸な行き違(ちが)い」、、、ですか。
> 確か、、、朝鮮政府は当初、明治新政府を正式に認めていなかったような(朝鮮通信使を送っていた徳川幕府を正式とみなしていた?)、か又は、朝鮮は中国の冊封体制に組み入れられていた為、日本を対等とみなしていなかったとか?
> ちょっと今回(も)、当てずっぽうでコメントしてしまいました。
さすがしきしまさん、鋭いところを突いておられますね。
明日(5日)の更新までお待ちください。
関東の誠 おはようございます
日韓併合、「併合」という言葉に接する機会すら殆どなかったように思います。今年の夏、私にとって初めてテレビでこの出来事を扱った番組に出逢いました。なかなか客観的視点で語られることのない出来事なので、この機会に勉強させて頂きます。
※36年前に製作されながら上映中止なった映画「氷雪の門」のニュースを見ながらコメントさせて頂きました。
そうめん 朝鮮半島は日本の生命線を握っていたんですか・・。
これは参考になりました。
有難う御座います。
日本がロシア帝国に奪われたりしたら大変な事になっていたんですか・・。
もしこうなったら日本はどんな事になっていたんでしょうかね・・。
もしかしたらですが日本の存在が無かったかもしれません。
怖いですね。。。
もちろん、我が国にそんな意図(いと)はありません。明治新政府となり、我が国が天皇中心の新たな中央集権国家に生まれ変わったという意味で、形式的に「皇」や「勅」の字を使用したに過ぎなかったのです。我が国は朝鮮に対して理解を求め、新たに「皇」や「勅」の字を使用しない外交文書を送るなど懸命の努力を重ねましたが、態度を硬化(こうか)させた朝鮮は首を縦(たて)に振りませんでした。
我が国と朝鮮とが国交断絶の状態となった一方で、朝鮮を属国としていた清国と我が国との間では、明治4(1871)年に対等な条件の日清修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)が締結されていました。宗主国(そうしゅこく)である清国が我が国と国交を結んでいるのに対して、属国である朝鮮が国交を結んでいないということは、裏(うら)を返せば「朝鮮は明治政府を承認していない」という意思表示でもありました。
このような朝鮮の排他的(はいたてき)な外交態度に対して、明治政府の内部から「我が国が武力を行使してでも開国させるべきだ」という意見が自然と発生しました。いわゆる征韓論(せいかんろん)の始まりだったのですが、その背景には「朝鮮との外交問題を早く解決しないと、いつロシアが南下(なんか)して朝鮮半島を占領するか分からない。もしそうなれば我が国にとって死活問題になる」という焦(あせ)りもありました。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 左翼護憲市民の認識は、欧米列強が日本に対してやったことと同じ事を日本が中国朝鮮にやった、と信じて疑いません。
また、欧米列強の世界侵略が常態となっている時代に国境線がロシアと接しようとしている事態は極めて危険で、できるだけ戦線を本国から遠くに設定しようとするのは当時の国策として限られた選択肢の中の一つ、なんて言えば吊し上げです。
ところで、興味深い事に家康秀忠親子の思いきった軍縮、動員兵力と鉄砲保有数は世界トップクラスの軍事力に惜し気もなく大鉈ふるい、朝鮮との国交回復に尽力した事は、左翼護憲市民は高く評価しなければならないのに、殆んど無視されています。
しかし朝鮮学校の歴史教育には家康の平和外交は紹介されています。
まっ、これは利害関係からいって至極当然。自分達にとって利益になる、味方になる存在を記憶するのは当たり前です。
また、金大中は当時の朝鮮の閉鎖的外交を批判し、日本の幕末明治維新を高く評価しています。
つまり、何が言いたいのかというと、左翼護憲市民の歴史感は自虐以前に、「日本」の否定なのです。
朝鮮学校にしろ、韓国の政治家にしろ、日本を批難しながらも利害関係に基づいた冷静な分析を忘れていません。ところが護憲市民は感覚としてバランスを失っているのです。
サクラ あ、なるほど。
みことのりが問題だったんですね――今気づきました。
小学校の頃は江華島事件などのことを聞いて、「ひどいなー」なんて思っていたんですが、当時の事を考えてみれば仕方ありませんよね。
地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風を聴く
紗那 んー、征韓論!懐かしい響きですw
しかし、この征韓論が登場してくる過程が、教科書ではあまりに強引にこじつけられてる気がして、なっとくできなかったのですが、やっとその疑問も氷解しました!
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 なるほど、仰るとおり是は是、非は非ということで、かの国々の方がバランスが取れているといいうわけですね。
そんな無茶な論理が通用する世の中とは思えないのですが…それが通用するのでしょうね、彼らには。
サクラさんへ
黒田裕樹 > あ、なるほど。
> みことのりが問題だったんですね――今気づきました。
そういうことです。属国の立場としては、言葉一つにでも神経を使わなければいけなかったんでしょうね。
> 小学校の頃は江華島事件などのことを聞いて、「ひどいなー」なんて思っていたんですが、当時の事を考えてみれば仕方ありませんよね。
江華島事件は明日(6日)の更新で登場しますが、今回の背景を思い起こせばその通りになるでしょうね。
> 地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風を聴く
な、なんと大胆な一句ですね…(^^ゞ
紗那さんへ
黒田裕樹 > んー、征韓論!懐かしい響きですw
> しかし、この征韓論が登場してくる過程が、教科書ではあまりに強引にこじつけられてる気がして、なっとくできなかったのですが、やっとその疑問も氷解しました!
そういえば征韓論の背景についてはほとんど紹介していませんよね。
いきなり攻め込むわけがないのですから、今回のような理由があったことを紹介しても差し支えがないと思うのですが…ひょっとして遠慮?
ぴーち こんばんは!
慎重に相手国の状況や文化、言葉の違い、歴史などを
調査せずに、性急に取り掛かろうとした結果が命取りとなってしまったんでしょうね。
そういえば、昔アメリカに留学していた学生の
家に強盗が入り、相手の要求どおり、手を挙げて
抵抗しないそぶりをしたにも関わらず、殺害されてしまった事件がありましたが、なまじ英語が達者であった為に余計な一言を発してしまった事での惨事だった様ですが、言葉を知っていても、その正しい使い方を誤れば、自分の意図した事とはまるで違う結果になってしまうという恐ろしい例でした。
そして、やはり何事も焦りは禁物なんですね^^;
凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、国際関係の構築には、相手の国の風習の理解が必要な場合がありますよね。
焦りは禁物ですが、相手国の意図を早く察してくれる必要もあると思います。話せば分かることだってあるんですから…って、こういう発想は日本人ならではですよね(^^ゞ
黒田裕樹先生
風早りら 今回のこの講座は 一日も
かかせません
学校の教科書では全く
教えてもらっていない事だと思います
いつも 日本が 悪者にばかりされています
このように 韓国でも
教えて欲しいです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 今回のこの講座は 一日も
> かかせません
> 学校の教科書では全く
> 教えてもらっていない事だと思います
> いつも 日本が 悪者にばかりされています
> このように 韓国でも
> 教えて欲しいです
お言葉有難うございます。
教科書にはそれらしい記載はあるものの、詳しく解説しないことには意味が分からないでしょう。
一方的な価値観からではなく、公平な目で教えないと全体像が見えてきませんからね。
ただし、西郷のような政府の重鎮(じゅうちん)が国交のない国に出かけて万が一のことがあれば、朝鮮とはそのまま戦争状態となってしまうのは明らかでした。結局、征韓論は明治6(1873)年に欧米諸国の外遊(がいゆう)から帰国した大久保利通(おおくぼとしみち)らが反対したことで瓦解(がかい)し、敗れた西郷らは政府を下野(げや)しました(これを「明治六年の政変」といいます)が、大久保らの反対にも大きな理由がありました。
当時の政府には「一日も早く近代国家を達成して、欧米諸国に追いつかなければならない」という大きな目標がありました。そのためには富国強兵(ふこくきょうへい)や殖産興業(しょくさんこうぎょう)を目指さなければならず、朝鮮へ派兵する余裕は全くなかったのです。とはいえ、朝鮮との国交も急がなければなりません。そんな折、我が国と朝鮮との間で一つの事件が発生しました。
明治8(1875)年、朝鮮の首都である漢城(かんじょう、現在のソウル)の北西に位置する江華島(こうかとう)付近で我が国の軍艦(ぐんかん)の雲揚(うんよう)号が朝鮮から砲撃(ほうげき)を受けたのです。朝鮮からの軍事行動に対して我が国も報復として砲撃を行いましたが、これらの武力衝突(ぶりょくしょうとつ)は江華島事件と呼ばれています。
この事件をきっかけとして我が国が朝鮮に対して開国するように働きかけたことで、翌明治9(1876)年に日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)が結ばれました。




いつも有難うございます。
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サクラ 江華島事件って、朝鮮が攻撃してきたんですか。
私は日本側が勝手に測量とか挑発行為をして――しかしそれも必要悪なんだろうな、って思ってました。
あと、征韓論って名前が悪いですよね。
軍部の重鎮が乗り込むというのも、亜流の武力交渉みたいなもんですが。
いざとなればミンビ暗殺みたいなことも起こせますし(まあ、あれは朝鮮民衆が起こした物ですけど)。
ぴーち こんばんは!
そうですか。。
外遊して、世界を見て来た大久保利通は
それまでの経験上で得た持論があったのですね・
「富国強兵」
このワードは覚えています!
日本はこの当時、相当な焦りを抱えていたんですね。
その後の展開を楽しみにまた、お邪魔しますね^^
応援凸
サクラさんへ
黒田裕樹 > 江華島事件って、朝鮮が攻撃してきたんですか。
> 私は日本側が勝手に測量とか挑発行為をして――しかしそれも必要悪なんだろうな、って思ってました。
仰る説も根強いですね。ただ、当時の我が国と朝鮮との間では偶発的な事故として認識されていたという事実もあり、私も後者の説を採用しています。
もし仮に前者の説が正しかったとしても、仰るとおり国交樹立のための必要悪という見方も考えられると思います。
> あと、征韓論って名前が悪いですよね。
> 軍部の重鎮が乗り込むというのも、亜流の武力交渉みたいなもんですが。
> いざとなればミンビ暗殺みたいなことも起こせますし(まあ、あれは朝鮮民衆が起こした物ですけど)。
征韓論だと問答無用というイメージがありますからね。仰るとおり、事実上はそのとおりなのですが…。
閔妃暗殺については後日この講座で紹介しますので、その際にでもまた検討しましょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですか。。
> 外遊して、世界を見て来た大久保利通は
> それまでの経験上で得た持論があったのですね・
「百聞は一見にしかず」とはよく言ったものです。
逆に海外を見ることができなかった西郷にとっての悲劇でもありました。
> 「富国強兵」
> このワードは覚えています!
> 日本はこの当時、相当な焦りを抱えていたんですね。
> その後の展開を楽しみにまた、お邪魔しますね^^
有難うございます。
当時の政府の焦りは、平和に慣れきった現代の私たちの理解の及ぶところではないでしょうね(´・ω・`)
黒田先生
風早 りら 我が国が朝鮮に対して開国するように働きかけたことで日朝修好条規が結ばれたのですね
江華島事件は日本が一方的に悪いように
言われています
不満です
歴史を世界で 見直して 欲しいです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 我が国が朝鮮に対して開国するように働きかけたことで日朝修好条規が結ばれたのですね
> 江華島事件は日本が一方的に悪いように
> 言われています
> 不満です
> 歴史を世界で 見直して 欲しいです
他の方へのコメントでも書きましたが、事件当初は偶発的な事件として両国承認のうえで処理されています。だからこそ事件後に両国の間で国際条約が結ばれるのですが…。
日朝修好条規の内容が「不平等」であるとされているゆえに、関連付けるためにも我が国が悪者にされているのでしょうか。条約の内容については次回(7日)に紹介します。
確かに日朝修好条規には朝鮮に在留(ざいりゅう)する日本人に対する我が国側の領事裁判権(りょうじさいばんけん)が認められていましたが、これは江戸時代からの慣習をそのまま成文化(せいぶんか)したものですし、また関税自主権(かんぜいじしゅけん)については日朝両国がお互(たが)いに関税をかけないという取り決めをしているところが他の不平等条約とは異なっています。
それよりも重要なのは、日朝修好条規の第1条で「朝鮮は自主独立の国であり、日本と平等な権利を有する」と書かれていることです。これは我が国が朝鮮を独立国と認めたことを意味しており、当時の世界諸国が朝鮮を「清国の属国」としか見ていなかったことからすれば、非常に画期的(かっきてき)なことでした。
日朝修好条規は、裏を返せば朝鮮が初めて自国で結んだ国際条約であり、この条約が結ばれたことで、欧米諸国も次々と朝鮮と条約を結びました。その内容は我が国が欧米諸国と結んだのと同様に不平等でしたが、欧米諸国が朝鮮を一つの国として認めていることも意味していたのです。




いつも有難うございます。
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風早 りら 「日朝修好条規は、裏を返せば朝鮮が初めて自国で結んだ国際条約であり、この条約が結ばれたことで、欧米諸国も次々と朝鮮と条約を結びました。その内容は我が国が欧米諸国と結んだのと同様に不平等でしたが、欧米諸国が朝鮮を一つの国として認めていることも意味していたのです」
現在の中学の教科書には
このような事は記載されているのですか
知らない人が多いと思いますが
サクラ 私の中学校では、欧米諸国がやった不平等条約を、列強に仲間入りした気分で繰り返した――としか教えてませんでしたよ。
冊封体制とかも無視です。
しかし、そもそも日本が朝鮮を独立国として認めた――これが日本の目的だったんでしょうね。
ただ「責任が自分にある」ということは、当時の朝鮮として負荷でしかなかったのでしょうが。
次々と欧米列強が不平等条約を押し付けてきたのですから。
しかしそこで日本のように踏み出せるかが問題だったのだと思います。
独立する事の重要性――これに気づくのは後々ですが。
それにしても、安重根や金九は、(ただ日本の支配を嫌っただけで)早くのうちから独立する事の重要性に気づけた人なんでしょうか?
それとも、単なる反日(と、反清?)主義の持ち主だったんでしょうか?
もし前者だったら、こういう人たちを諭して自律国家にできていたらなあ――とか思うのですが。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 現在の中学の教科書には
> このような事は記載されているのですか
> 知らない人が多いと思いますが
残念ながら皆無に近いといっていいかもしれません。
いかに教科書の記載が一方的であるかという間接的な証拠になっていると思います。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 私の中学校では、欧米諸国がやった不平等条約を、列強に仲間入りした気分で繰り返した――としか教えてませんでしたよ。
> 冊封体制とかも無視です。
> しかし、そもそも日本が朝鮮を独立国として認めた――これが日本の目的だったんでしょうね。
そのとおりです。我が国の本当の目的を無視して、見た目の不平等条約ばかりを強調しているんですから話になりません。
> ただ「責任が自分にある」ということは、当時の朝鮮として負荷でしかなかったのでしょうが。
> 次々と欧米列強が不平等条約を押し付けてきたのですから。
> しかしそこで日本のように踏み出せるかが問題だったのだと思います。
> 独立する事の重要性――これに気づくのは後々ですが。
独立するというのは大変なことですからね。
そこまでの覚悟があったのかどうか、その後の歴史を見なければ何ともいえませんが…。
> それにしても、安重根や金九は、(ただ日本の支配を嫌っただけで)早くのうちから独立する事の重要性に気づけた人なんでしょうか?
> それとも、単なる反日(と、反清?)主義の持ち主だったんでしょうか?
> もし前者だったら、こういう人たちを諭して自律国家にできていたらなあ――とか思うのですが。
近日中に紹介しますが、朝鮮には金玉均という人物もいましたからね。彼らとうまく連携できていれば歴史は大きく変わっていたことでしょう。しかし現実にはそうはならなかった。ということは…。
ぴーち こんばんは!
日本が朝鮮に対して仕掛けた第1条の様な印象は、その当時世界各国から「属国」とレッテルを貼られていた朝鮮からすれば、とても新鮮な言葉であり、初めて対等な立場と認めてくれ、理解してくれたありがたい存在として、写った事でしょうね。
先日の「手練手管」のお話ではありませんが、腹黒いこと(笑)を言わせていただくと、そういう相手の心理を上手く付くことが出来た日本の作戦勝ちとも言えるのでしょうね。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本が朝鮮に対して仕掛けた第1条の様な印象は、その当時世界各国から「属国」とレッテルを貼られていた朝鮮からすれば、とても新鮮な言葉であり、初めて対等な立場と認めてくれ、理解してくれたありがたい存在として、写った事でしょうね。
「朝鮮は中国の属国ではなく独立国である」。格下と思っていたとはいえ、我が国から認められた際の朝鮮の気持ちはどのようなものだったのでしょうね。当初はぴーちさんの仰るとおりだったと思うのですが…。
> 先日の「手練手管」のお話ではありませんが、腹黒いこと(笑)を言わせていただくと、そういう相手の心理を上手く付くことが出来た日本の作戦勝ちとも言えるのでしょうね。
国同士の外交問題では「腹の探り合い」が常道ですからね。生かすも殺すのその国次第でもあります。
こんばんは
しきしま 日朝修好条規については、私は全く理解が足りませんでした。この講座で”目から鱗”です。
2006年版の「新しい歴史教科書」でさえ、日本が朝鮮に圧力をかけて、朝鮮にとって不平等な条約が結ばれた、的な記述でした(但し、コラム欄で日朝修好条規の第一条には触れています)。
これは、日朝修好条規に対して理解が深まっていないのか、或いは、いわゆる近隣諸国に配慮した”書かせる検定”なのかもしれませんね。
また次が楽しみになってきました。
しきしまさんへ
黒田裕樹 > 日朝修好条規については、私は全く理解が足りませんでした。この講座で”目から鱗”です。
> 2006年版の「新しい歴史教科書」でさえ、日本が朝鮮に圧力をかけて、朝鮮にとって不平等な条約が結ばれた、的な記述でした(但し、コラム欄で日朝修好条規の第一条には触れています)。
> これは、日朝修好条規に対して理解が深まっていないのか、或いは、いわゆる近隣諸国に配慮した”書かせる検定”なのかもしれませんね。
> また次が楽しみになってきました。
有難うございます。
確かにつくる会の教科書でもそんな記載になっていますね。仰るとおり「近隣諸国条項」が幅を利かせているのでしょうか…。
今後もご期待いただければ幸いです。
しかし、この良好な関係は長続きしませんでした。開化政策に反対する勢力が国王の父であった大院君(だいいんくん、または「テウォングン」)のもとに結集して、明治15(1882)年に大院君がクーデターを起こし、同時に朝鮮の日本公使館が朝鮮人の兵士に襲(おそ)われ、館員らが殺害されました。これを壬午事変(じんごじへん)といいます。
この事件をきっかけに我が国が朝鮮へ出兵すると、清国も同時に派兵しましたが、我が国が朝鮮側と賠償(ばいしょう)条約(済物浦条約=さいもっぽじょうやく)を結んだことで武力衝突は回避(かいひ)されました。我が国は武力に頼らずに話し合いで解決しようとしたのですが、この姿勢が「日本は清国に比べて弱腰(よわごし)だ」とみなされたこともあり、この後の朝鮮国内では我が国よりも清国に頼ろうとする事大派(じだいは)の勢力が強くなりました。
ちなみに、事変の際に清国が派遣(はけん)した軍の代表者は後に中華民国大総統(ちゅうかみんこくだいそうとう)となった袁世凱(えんせいがい)です。なお、開国派を打倒して清国寄りの政策に戻(もど)そうという、いわば清国のためにクーデターを起こした大院君は、事変の後に逮捕(たいほ)され、清国へ連行されてしまいます。大院君に対する清国の仕打ちを見れば、当時の清国の朝鮮に対する冷徹(れいてつ)な態度がよく分かりますね。




いつも有難うございます。
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アースガイド 不思議と明治以降は頭に入って行きません、笑。
勉強させて頂きます!
そうめん なるほど・・
ここは凄い難しそうですね。
まだ明治時代は勉強してないので・・
勉強させて頂きますね。
関係ないコメントで、すいません。
アースガイドさんへ
黒田裕樹 > 不思議と明治以降は頭に入って行きません、笑。
> 勉強させて頂きます!
近代史は世界情勢を踏まえながらになりますからね。なるべく分かりやすく紹介できればと思いますので、よろしくお願いします。
そうめんさんへ
黒田裕樹 > なるほど・・
> ここは凄い難しそうですね。
> まだ明治時代は勉強してないので・・
> 勉強させて頂きますね。
> 関係ないコメントで、すいません。
いえいえ、大丈夫ですよ(^^♪
勉強してない分野だからこそ、先に理解ができればこんなに心強いことはありません。
そうめんさんのお役に立てるよう、私も頑張りますよ(^_^)v
黒田先生
風早 りら 凄く 難しい テーマになってきました
やはり 毎回 同じ事を言うようですが
この問題はとても デリケートです
でも 日本の政府自体が この事実を
どう考えているのでしょう
それが 不可解です
一方的に謝罪ばかりしています
サクラ な――袁世凱がこんなところで登場していたとは!
しかも大院君が清国へ連行されていたとは。
教科書では教えない――教科書以外をめくっても見落としがちな、重要な歴史をこのブログは教えてくれます。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 凄く 難しい テーマになってきました
> やはり 毎回 同じ事を言うようですが
> この問題はとても デリケートです
> でも 日本の政府自体が この事実を
> どう考えているのでしょう
> それが 不可解です
> 一方的に謝罪ばかりしています
りらさんの仰るとおり今の政府が謝罪ばかりしているということは、おそらくは歴史を知らないか、あるいは知らないふりをしているということでしょう。
朝鮮との関わりはこの後ますますややこしくなっていきますが、共通する一つの大きな流れに沿って、できる限り分かりやすく紹介していきたいと思います。
サクラさんへ
黒田裕樹 > な――袁世凱がこんなところで登場していたとは!
そうなんです。袁世凱、まだ20代の若かりし頃の活躍(?)です。このような地道な功績を重ねて大総統までのし上がったんですよね。
> しかも大院君が清国へ連行されていたとは。
> 教科書では教えない――教科書以外をめくっても見落としがちな、重要な歴史をこのブログは教えてくれます。
せっかく清国のためにクーデターを起こしたのに、用済みとばかりに連行される…。属国の運命なんてこんなものなのかもしれませんね。独立国と認めている我が国と連携していればこんなことには…。
こういった細かい歴史の流れが、近代史の理解には不可欠なはずです。当ブログでは今後も同じような側面から紹介していきますよ(^^♪
ぴーち こんばんは!
日本特有の「和」を持ってしての心を、一歩外へ持ち出そうとすると、
その気持ちが全く通用しないのが、悲しい所ですね。。
大陸に住む人たちは、海に囲まれている日本とは違い、いつ攻め込まれるとも判らない環境下で、常に強さを誇示していかなければならないという境遇下で過ごしているので考え方の違いもあるのでしょうが、強い国であると言う事は同時に、考え方もシビアで冷徹でもあるという面も、合わせ持っているという事なんでしょうね。
本来は、話せば判る友好関係が結べる関係が出来れば良いですけれどね^^
それには、やはり短いスパンではなく、これからも長い時間を要していく必要がありますね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりで、日本人の「話せば分かる」「和の精神」が世界で通用するとは限らないのが残念なところだと思います。
分かり合える日が来ればいいのですが…。
「朝鮮も早く近代化しなければならない」。そう強く感じた金玉均らは、福沢諭吉(ふくざわゆきち)から資金援助を受けた後、明治17(1884)年に独立党(どくりつとう)として朝鮮国内でクーデターを起こしましたが、清国が事大党(じだいとう)の支援(しえん)として出兵したために失敗に終わりました。これを甲申事変(こうしんじへん)といいます。
壬午事変と同様に、清国はまたしても朝鮮国内でのクーデターに軍事介入(ぐんじかいにゅう)したことになります。また、クーデターに失敗した金玉均が我が国の公使館に逃げ込むと、清国の兵士は公使館を襲って焼き討ちし、女性を含む多数の我が国の民間人が殺害されました。
このような酷(むご)い仕打ちを受けた我が国でしたが、国力の充実を優先して清国との武力衝突を避ける意味も込めて、翌明治18(1885)年に伊藤博文(いとうひろぶみ)が、清国の李鴻章(りこうしょう)との間で天津条約(てんしんじょうやく)を結びました。この条約によって日清両国は朝鮮から撤兵(てっぺい)するとともに、将来もし出兵する際にはお互いに通知しあうことを義務としました。
二つの事変を通じて、我が国は朝鮮を独立させようとしても、清国が宗主国の立場を利用して何度でも干渉(かんしょう)してくるということをつくづく思い知らされました。なお、金玉均は事変後に我が国に亡命(ぼうめい)しましたが、明治27(1894)年に上海(しゃんはい)で暗殺されています。




いつも有難うございます。
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サクラ ある意味これは金玉均のミスですよね。
日本のように政権交代が上手くいってればと考えると、非情に惜しいです。
まあ、独立後にどんな国家が出来ていたかは多少不安ですが。
サクラさんへ
黒田裕樹 > ある意味これは金玉均のミスですよね。
> 日本のように政権交代が上手くいってればと考えると、非情に惜しいです。
> まあ、独立後にどんな国家が出来ていたかは多少不安ですが。
クーデターが失敗に終わったことは金玉均にとっては痛恨の失敗でした。
もし一時的であったも成功していれば、その後の朝鮮半島の歴史も大きく変わっていたことでしょう。
まさに「歴史は紙一重」だと思います。
黒田先生
風早 りら 中国は今だに 北朝鮮に
大きな 影響力を持っています
中国が援助しなければ 北朝鮮は滅びます
いい加減 手を引いてもらいたいと
今回のこの記事で 思いました
あの 我儘な 独裁国家を
甘やかしているのも 共産圏の国が
隣にあって欲しいという事でしょう
それでいて いつも 日本が悪者扱い
何故? いつも思っています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 中国は今だに 北朝鮮に
> 大きな 影響力を持っています
> 中国が援助しなければ 北朝鮮は滅びます
> いい加減 手を引いてもらいたいと
> 今回のこの記事で 思いました
> あの 我儘な 独裁国家を
> 甘やかしているのも 共産圏の国が
> 隣にあって欲しいという事でしょう
> それでいて いつも 日本が悪者扱い
> 何故? いつも思っています
仰るとおり中国と北朝鮮にとっては、現状の方が何かと都合が良いのでしょう。
両国とも、我が国を悪役にすることによって国民の結束を固めようとしているともいえますし。
隣国であることが、決して良いことばかりとは限らないのかもしれません。
ぴーち こんばんは!
日清戦争へのプロローグですね。。
こうして内容を拝見してますと
日本よりも清(中国)側のほうが、かなり
優勢に仕掛けていたのですね。
「仏の顔も三度・・」
太平洋戦争もそうらしいですが、日本は
どうしても戦わなければならない状態に
追い込まれてという図式が多いのでしょうか。。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日清戦争へのプロローグですね。。
> こうして内容を拝見してますと
> 日本よりも清(中国)側のほうが、かなり
> 優勢に仕掛けていたのですね。
> 「仏の顔も三度・・」
> 太平洋戦争もそうらしいですが、日本は
> どうしても戦わなければならない状態に
> 追い込まれてという図式が多いのでしょうか。。
確かにその傾向がありますね。日清戦争では清国に、日露戦争ではロシアに、第二次大戦ではアメリカに…。
現在も外交や内政で様々な干渉を受けていますが、大丈夫でしょうか?
紗那 むー、教科書にはない、日本と清と朝鮮の姿が浮かび上がってきますね……!
こうやってみると、日本が一方的に悪いように見られているのはおかしいとも感じます。。。
紗那さんへ
黒田裕樹 > むー、教科書にはない、日本と清と朝鮮の姿が浮かび上がってきますね……!
> こうやってみると、日本が一方的に悪いように見られているのはおかしいとも感じます。。。
そのとおりです。日韓併合への大きな流れは決して単純なものではないのです。
それぞれの国のそれぞれの事情を理解していくことが一番の近道ですね。
序盤戦?
オバrev ふーむ、この課題はやはり理解するのが結構難しい難しいですね。日本・中国・朝鮮という隣国同士が、古い歴史的繋がりを持ちながら、どこかで歯車が狂っていくんですかね。
しかし、この辺りの3国の関係が、後の日韓併合へと繋がっていくんでしょうね。
まだまだ序盤戦ですか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > ふーむ、この課題はやはり理解するのが結構難しいですね。日本・中国・朝鮮という隣国同士が、古い歴史的繋がりを持ちながら、どこかで歯車が狂っていくんですかね。
> しかし、この辺りの3国の関係が、後の日韓併合へと繋がっていくんでしょうね。
> まだまだ序盤戦ですか?
「序盤戦」はこの3国が中心となりましたが、もう1国が牙を磨いて待っているんですよね…。
次回(10日)の更新で登場しますよ。いずれにせよ、もうすぐ「中盤戦」ですね。
こうして朝鮮半島は日本・清国・ロシアの三ヵ国がお互いに勢力争いをする舞台と化してしまったのですが、その背景には我が国から清国、さらにはロシアへと次々と接近することで、他国からの干渉を逃(のが)れようとする朝鮮政府の姿勢もありました。この三つ巴(みつどもえ)の争いは、まずは我が国と清国との間で決着をつけることになりました。
明治27(1894)年、朝鮮の民間信仰団体である東学党(とうがくとう)の信者を中心とする農民が朝鮮半島の各地で反乱を起こしました。これを甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)、または東学党の乱(とうがくとうのらん)といいます。清国が朝鮮政府からの要請(ようせい)に直(ただ)ちに応じて派兵すると、天津条約に従って我が国に通知したことで、我が国もすぐに朝鮮へ派兵しました。
日清両国の兵士によって反乱は鎮圧(ちんあつ)されましたが、反乱後の朝鮮国内の内政改革の実施を巡(めぐ)って対立し、ついに両国は武力衝突してしまいました。日清戦争(にっしんせんそう)の始まりです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
うわ~!
とうとう、日清戦争の始まりですね(><)
ロシアの介入で、日露戦争の導火線にも火が!!!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > うわ~!
> とうとう、日清戦争の始まりですね(><)
> ロシアの介入で、日露戦争の導火線にも火が!!!
そうなんですよね。
日清・日露と我が国にとって正念場が続きますが、この頃の我が国と朝鮮(=韓国)との関係がどうだったのか…。まだまだ続きます。
サクラ 中学の教師は、「朝鮮が清に出兵を要請しただけなのに、日本が介入するのはおかしい」と言ってたんですよ。
しかしその後読んだ本には、「日本は天津条約に従って出兵した」って書いてありました。
しかし天津条約とは共同作戦を行う条約でない気がするので、やっぱ日本が「この期を逃すまい」と派兵したんじゃないかな――と思ってます。
(それでも仕方ないとは思いますが)
そのへんはどうなんでしょう?
サクラさんへ
黒田裕樹 > 中学の教師は、「朝鮮が清に出兵を要請しただけなのに、日本が介入するのはおかしい」と言ってたんですよ。
> しかしその後読んだ本には、「日本は天津条約に従って出兵した」って書いてありました。
> しかし天津条約とは共同作戦を行う条約でない気がするので、やっぱ日本が「この期を逃すまい」と派兵したんじゃないかな――と思ってます。
> (それでも仕方ないとは思いますが)
> そのへんはどうなんでしょう?
天津条約は確かに出兵を通告するのが目的ですから、サクラさんの仰ることも一理ありますが、同時に「派兵後は速やかに撤収すべし」とも書いてあるんですよね。我が国としては清国がそのまま朝鮮国内に駐留する恐れがあると判断して派兵したのではないでしょうか。
いずれにせよ、日清両国にそれぞれの問題や事情があり、どちらが悪いとも言い切れないのではと私は考えます。そもそも朝鮮が自国で反乱を鎮められなかったのが派兵をもたらしたというのもありますし。
なお、日清戦争の目的について明日(11日)の更新で詳しく紹介しますので、そちらもぜひご参照下さい。
紗那 おぉ、こんな流れでロシアが介入してたんですか!
いままでは、なんとなく、で日露戦争に突入してしまう教科書さんの開設だったので、腑に落ちなかったのですけど(汗
こういう事実を知ると、見る目が変わってきますw
紗那さんへ
黒田裕樹 > おぉ、こんな流れでロシアが介入してたんですか!
> いままでは、なんとなく、で日露戦争に突入してしまう教科書さんの開設だったので、腑に落ちなかったのですけど(汗
> こういう事実を知ると、見る目が変わってきますw
そうなんですよね。ある意味では韓国自身がロシアの介入を招いてしまったと言えるのかもしれません。
ロシア自体は日清戦争までは大人しくしていたのですが、我が国の勝利後は露骨に介入していきます。当講座でも近日中に紹介しますよ。
黒田先生
風早 りら 日清戦争
今回も興味深かったです
私達は知る権利がないように
思います
教科書 新聞 等
あまりにも 知識を 私達に 与えてくれません
不可解です
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 日清戦争
> 今回も興味深かったです
> 私達は知る権利がないように
> 思います
> 教科書 新聞 等
> あまりにも 知識を 私達に 与えてくれません
> 不可解です
インターネットによって私たちは様々な情報を入手することが可能になりましたが、本当に求めている「知る権利」に関しては、確かに通常ではなかなか手に入れられない傾向があるようですね。
メディアリテラシーを実地体験で身につけるには、私たちはまだまだ準備不足のような思いがします。
こんばんは
しきしま しきしまです。
成る程、こうしてみると確かに日本の明治維新は、佐幕にしても勤王にしても大したもんですよね。
この頃の朝鮮は、近代国家を目の当たりにしたり、内乱の勃発や列強の進出など、日本の幕末に相当するようなもんですものね。
しきしまさんへ
黒田裕樹 > 成る程、こうしてみると確かに日本の明治維新は、佐幕にしても勤王にしても大したもんですよね。
> この頃の朝鮮は、近代国家を目の当たりにしたり、内乱の勃発や列強の進出など、日本の幕末に相当するようなもんですものね。
いつも有難うございます。
仰るとおり、この頃の朝鮮は我が国の幕末の情勢に近いものがありますね。両者の明暗を分けたものが何だったのかを研究するのも興味があります。
清国側の主張が「朝鮮は我が大清国に属して200年になるが、毎年我が国に朝貢(ちょうこう)している」と書かれているのに対して、日本側は「朝鮮は我が国が誘って列国に加わらせた独立国であるにもかかわらず、清国は常に朝鮮を自分の属国として内政に干渉し続けている」と書いてあるのです。
要約すれば、朝鮮を自国の属領(ぞくりょう)にしようとする清国と、独立を助けようとする日本との間で日清戦争が起きたわけですから、もしこの戦いに「義」があるとすれば、清国と我が国のどちらの方にあるといえるのでしょうか。
さて、日清戦争は結果として我が国の勝利に終わり、翌明治28(1895)年に下関条約(しものせきじょうやく)が結ばれました。この条約には様々な事項がありますが、もっとも重要なのは「清国が朝鮮を独立国として認める」ということでした。




いつも有難うございます。
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しきしま 「清国が朝鮮を独立国として認める」、この時、初めて朝鮮は、朝鮮王国(朝貢関係)ではなく大韓帝国(独立国)となったんですよね。
話はちょっと戻りますが、日清戦争の頃からロシアも絡んできている話だったんですね。
現在の日本も周辺国の体制やイデオロギーに関係なく、「自国の安全保障は、自国でしっかり意識し続けておかねば」と思いました。
しきしまさんへ
黒田裕樹 > 「清国が朝鮮を独立国として認める」、この時、初めて朝鮮は、朝鮮王国(朝貢関係)ではなく大韓帝国(独立国)となったんですよね。
そのとおりです。東アジアの歴史にとってもいい気な意義のある出来事でした。なぜか教科書では大きく取り上げませんが…。
> 話はちょっと戻りますが、日清戦争の頃からロシアも絡んできている話だったんですね。
> 現在の日本も周辺国の体制やイデオロギーに関係なく、「自国の安全保障は、自国でしっかり意識し続けておかねば」と思いました。
我が国と朝鮮(=大韓帝国)の近代の歩みを振り返れば、いっそうその思いを強くしますね。
内部で対立している場合ではなく、呉越同舟の精神も必要ではないかと思います。
サクラ 宣戦布告の文章が今でも残ってたんですね。
まあ、清国だって、残り少ない属国を手放したくなかったんでしょうが。
しかし朝鮮へロシアの魔の手が伸びてるなんて、考えもしなかったでしょうね。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 宣戦布告の文章が今でも残ってたんですね。
> まあ、清国だって、残り少ない属国を手放したくなかったんでしょうが。
> しかし朝鮮へロシアの魔の手が伸びてるなんて、考えもしなかったでしょうね。
この頃になると史料は豊富にありますからね(捏造もあるから要注意ですが)。
清国の考えはサクラさんの仰るとおりでしょう。ロシアに関しては、言ってみれば朝鮮自らが招いた結果でもありますからね(露朝密約事件)。この後のロシアの動きに注目です。
とさを いつもお世話になっております
日本の将来のためにがんばってください
事後承諾ながらリンクいたしましたので
よろしくお願いいたします
黒田先生
風早 りら 朝鮮を自国の属領にしようとする清国
独立を助けようとする日本
日清戦争が起きた
韓国 中国 特に 北朝鮮
それを認めていませんよね
我が国も真実を どこまで伝えているのでしょう
不満がつのります
ぴーち こんばんは!
自分の領土にしたいが為に虎視眈々と狙っている国と独立の為に手助けしようとする国の考え方の違いは、結果的に雲泥の差が生じることになるんでしょうけれど、やはり、その国にとっては属国になって依存するよりも、独立する道を切り開いていくほうが、幸せでしょうね。
応援凸
とさをさんへ
黒田裕樹 > いつもお世話になっております
> 日本の将来のためにがんばってください
> 事後承諾ながらリンクいたしましたので
> よろしくお願いいたします
こちらこそいつもお世話になっております。有難いお言葉、励みにさせていただきます。
リンクの件、非常に光栄です。こちらからも相互リンクさせていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 朝鮮を自国の属領にしようとする清国
> 独立を助けようとする日本
> 日清戦争が起きた
> 韓国 中国 特に 北朝鮮
> それを認めていませんよね
> 我が国も真実を どこまで伝えているのでしょう
> 不満がつのります
第二次大戦後の世界の体制が、敗戦国日本に対して厳しくなっていることがその一因かもしれません。
ただ、国家というものは、国民のためにも自らの過ちをそう認めたがらないものです。
ある意味では謝罪を強要され続けている我が国の姿勢が真実を遠ざけているのかもしれません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 自分の領土にしたいが為に虎視眈々と狙っている国と独立の為に手助けしようとする国の考え方の違いは、結果的に雲泥の差が生じることになるんでしょうけれど、やはり、その国にとっては属国になって依存するよりも、独立する道を切り開いていくほうが、幸せでしょうね。
属国になるということは、宗主国のいうことには必ず従わなければならないということ。
その中には国益に反することや、国民の生命を脅かすこともあることでしょう。
前回の講座における今川家と松平家の関係がその例になりますね。
だとすれば、やはり独立国の方が幸せだといえるのではないでしょうか。
朝鮮はやがて1897(明治30)年に大韓帝国と国名を改め、国王の高宗が初代皇帝となりました。それまでの宗主国であった中国しか使えなかった「皇帝」の称号を初めて使用できるようになった歴史的な意義は、東アジアにおいて極(きわ)めて大きいものであったといえるでしょう。
しかし、朝鮮改め韓国にとっては、独立を脅(おびや)かす別の大きな問題がありました。清国が手を引いた代わりに、大国ロシアが朝鮮半島に触手(しょくしゅ)を伸ばしてきたのです。そのきっかけは、我が国がロシアから受けた「屈辱」(くつじょく)にありました。
下関条約によって、朝鮮半島の北西に位置する遼東半島(りょうとうはんとう)を我が国が領有することが認められたのですが、これは東アジアに領土的野心を持っていたロシアにとっては非常に困る問題でした。それを見越(みこ)した清国の李鴻章は、ロシアに働きかけて遼東半島を清国へ取り戻そうと考えたのです。




いつも有難うございます。
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智里 皇帝の称号を使えるようになったのは、かなり大きなことですよね。
本当の独立国家になったことを意味しますからね。
そうなると・・・清国は面白くないですよね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
それでロシアとの関係が出てくるんですね。
日清戦争、本当に日本が勝利して良かった戦いだったんでしょうか?
智里さんへ
黒田裕樹 > 皇帝の称号を使えるようになったのは、かなり大きなことですよね。
> 本当の独立国家になったことを意味しますからね。
> そうなると・・・清国は面白くないですよね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> それでロシアとの関係が出てくるんですね。
> 日清戦争、本当に日本が勝利して良かった戦いだったんでしょうか?
日清戦争で我が国が負けていれば、朝鮮半島の独立はさらに遠のいたことでしょう。
その意味でも勝って良かったはずなのですが、朝鮮半島に領土的野心を持っていたのは清国だけではなかったということなんですよね。
そう考えれば、日清・日露の両戦争は避けられない運命だったのかもしれません。
サクラ 朝鮮半島は、ここでようやく冊封体制から逃れることができたんですね。
しかしそれでも中身は変わらなかったと思いますが。
王を皇帝という称号にしただけですし。
外では大きく変わっているように見えても、中身が変わらない限り、どこかの国へ依存する事はやめられなかったのでしょうね。
それでいて、今になってそれを後悔する。
ちょっと前まで、天皇の呼び名は일완(イルヮン;日王)が主流でしたし。
まあ、今は천황(チョンフヮン;天皇)を使いはじめてますが。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 朝鮮半島は、ここでようやく冊封体制から逃れることができたんですね。
> しかしそれでも中身は変わらなかったと思いますが。
> 王を皇帝という称号にしただけですし。
> 外では大きく変わっているように見えても、中身が変わらない限り、どこかの国へ依存する事はやめられなかったのでしょうね。
> それでいて、今になってそれを後悔する。
外見が大きく変わることが、中身も変える大きな機会だったと思うんですが、現実にはうまくいかなかったことでしょうか…。
> ちょっと前まで、天皇の呼び名は일완(イルヮン;日王)が主流でしたし。
> まあ、今は천황(チョンフヮン;天皇)を使いはじめてますが。
「日王」は冊封体制をイメージしますから、正直言って失礼な言葉だと思いますね。
ぴーち こんばんは!
ロシアと言う国は
あれだけの領土を持ちながら、それでも
領土への野心が尽きないのですね。
最終目的は、地球全土を自分の国の領土に
という事なんでしょうけれど^^;
(北方領土も暗礁に乗り上げたまま)
しかし、こうして考えると、人間というのは
何処まで貪欲で、何処まで愚かな生き物なのかと
つくづく感じます。
徒然草で兼好法師が、俗世間を離れて隠居している者に対して柵を設けて、蜜柑の木を守っている様子を嘆いている場面を思い出しました^^;
(ちょっとニュアンスは違いますがw)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > ロシアと言う国は
> あれだけの領土を持ちながら、それでも
> 領土への野心が尽きないのですね。
> 最終目的は、地球全土を自分の国の領土に
> という事なんでしょうけれど^^;
> (北方領土も暗礁に乗り上げたまま)
この当時のロシアは東アジアに対する領土的野心を持っていましたが、その主な目的は冬でも海が凍らない港、いわゆる不凍港を欲しがっていたんですよね。
ちょうど北海道や朝鮮半島あたりが不凍港かそうでないかの境界だったので、これほどまでに執念を燃やしていたんです。
> しかし、こうして考えると、人間というのは
> 何処まで貪欲で、何処まで愚かな生き物なのかと
> つくづく感じます。
> 徒然草で兼好法師が、俗世間を離れて隠居している者に対して柵を設けて、蜜柑の木を守っている様子を嘆いている場面を思い出しました^^;
> (ちょっとニュアンスは違いますがw)
確かに人間の欲望には底がありませんからね。
俗世間から離れて生きる…まだまだ私には難しそうです(^^ゞ
紗那 自分では勝てないと察した清は、ロシアに助けを求めるわけですね。なんかずるがしこいというかなんというか……
しかし、このことは、日本が怒るのも無理ない話ですよね^^;
紗那さんへ
黒田裕樹 > 自分では勝てないと察した清は、ロシアに助けを求めるわけですね。なんかずるがしこいというかなんというか……
> しかし、このことは、日本が怒るのも無理ない話ですよね^^;
そのとおりです。戦争の敗北の屈辱を他国の力を借りて晴らす…。巻き込まれた我が国はいい迷惑ですよね。
もっとも、この後の清国は領土のあちこちを事実上欧米諸国に奪われるという自爆を見せてくれるわけなんですが(^^ゞ
こんばんは
しきしま 中国に「国王」に封じられる筋合いは無いけれど、「皇帝」を名乗るのはさすがにしんどいので「天皇」にしましょう。
これが「天皇」の称号の由来と思っています。
中国と海を隔ている事と、朝鮮半島が緩衝地帯として存在した事で可能となった事だとは思いますが、1000年以上昔の事ですね。
それが幕末の激動の時代に、「尊王」という形で国内統一の原動力となり、日本の危機を乗り越える力の一つになったのは、人知を超えた歴史の面白い所だと思います。
しきしまさんへ
黒田裕樹 > 中国に「国王」に封じられる筋合いは無いけれど、「皇帝」を名乗るのはさすがにしんどいので「天皇」にしましょう。
> これが「天皇」の称号の由来と思っています。
> 中国と海を隔ている事と、朝鮮半島が緩衝地帯として存在した事で可能となった事だとは思いますが、1000年以上昔の事ですね。
「天皇」を名乗ったのは聖徳太子による遣隋使の頃か、あるいは天武天皇の頃かといわれていますね。1000年をはるかに超える昔から名乗っているわけですから、歴史の深さを感じさせます。
> それが幕末の激動の時代に、「尊王」という形で国内統一の原動力となり、日本の危機を乗り越える力の一つになったのは、人知を超えた歴史の面白い所だと思います。
本当にそうですよね。朱子学による副産物もありましたが、日本人が危急存亡のときにはやはり皇室の御威光を頼りにする一つの例ではないかとも考えられると思います。
ロシアからの理不尽(りふじん)な要求に対して我が国は激怒(げきど)しましたが、巨大な三国に対抗するだけの軍事力を持っているはずがありません。我が国はやむなく要求を受け入れたのですが、朝鮮政府には我が国の低姿勢が「弱腰」に見えたことで、以後は我が国よりも力があると思えたロシアへと接近していったのでした。
このような「自分よりも大きくて強い国に自国を委(ゆだ)ねる」という事大主義(じだいしゅぎ)が、朝鮮政府内のいわゆる親露派(しんろは)の動きを強めることになり、その最たる存在が朝鮮王妃の閔妃(びんぴ、または「ミンビ」、韓国では明成皇后(めいせいこうごう、または「ミョンソンファンフ」)でした。
閔妃によって朝鮮が親露政権となり、ロシアが朝鮮に対して影響力を強めれば、日清戦争以前の清国の立場がそっくりそのままロシアに移動しただけとなってしまい、これでは我が国が何のために大勢の犠牲者(ぎせいしゃ)を出して日清戦争を戦ったのか分からなくなってしまいます。
これらの動きに焦りを感じた日本公使の三浦梧楼(みうらごろう)は、現地の朝鮮人と共謀(きょうぼう)して閔妃を暗殺してしまいました。これを乙未事変(いつびじへん)といいます。




いつも有難うございます。
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サクラ 半島の人々は、新しい時代に対する思考の切り替えが中々できなかったんですね。
『親日派のための弁明』(金完燮)には、革命家である朴泳孝が、日本人の手を借りてミンビを暗殺したとしか書いてなかったのですが――片方が利用していたとかでなく、完璧な共謀といったところでしょうか。
韓国ではこの問題をめぐって激しい反日感情が爆発してますね。
もっとも、日本のネット右翼だって完璧に朝鮮人の犯行としか思ってませんが。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 半島の人々は、新しい時代に対する思考の切り替えが中々できなかったんですね。
そうですね。自国の独立からさらに前進がなかなかできなかったゆえの迷走といえるかもしれません。
> 『親日派のための弁明』(金完燮)には、革命家である朴泳孝が、日本人の手を借りてミンビを暗殺したとしか書いてなかったのですが――片方が利用していたとかでなく、完璧な共謀といったところでしょうか。
> 韓国ではこの問題をめぐって激しい反日感情が爆発してますね。
> もっとも、日本のネット右翼だって完璧に朝鮮人の犯行としか思ってませんが。
親露政権を目指す閔妃の存在が頭痛の種だった我が国と、閔妃の専横を憎んだ朝鮮のそれぞれの一部の動きが一致しての暗殺ではないかと思われます。
乙未事変そのものの見解については、次回(14日)の更新で明らかにします。
ぴーち こんばんは!
そうですか!
ロシアがドイツとフランスを誘って
日本に対して干渉したので、「三国干渉」と言うのですね。←(そこから?)三国干渉というのを習ったのは覚えているのですが、どの国が、何のために干渉したのかという事実を曖昧にしていました^^;ありがとうございますm(__)m
そういう初歩的な事柄もしっかりと解説して
いただけて、本当にありがたいです^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですか!
> ロシアがドイツとフランスを誘って
> 日本に対して干渉したので、「三国干渉」と言うのですね。←(そこから?)三国干渉というのを習ったのは覚えているのですが、どの国が、何のために干渉したのかという事実を曖昧にしていました^^;ありがとうございますm(__)m
> そういう初歩的な事柄もしっかりと解説して
> いただけて、本当にありがたいです^^
「三国干渉」自体は有名ですが、確かに言葉が独り歩きしているというイメージがありますよね。
やはり基本が大事ということでしょうか(^^♪
乙未事変が大きな問題にならなかった背景には、朝鮮半島内では壬午事変や甲申事変によって、それまでに多数の日本の民間人が殺害されていたこともありますし、また、事変後に朝鮮国王の高宗がロシア大使館に移った際にも多数の日本人が巻(ま)き添(ぞ)えとなっています。
要するに、当時の世界各国から我が国と朝鮮が「お互い様」と思われていたからだともいえます。乙未事変における我が国の大失態は肝(きも)に銘(めい)じておくべき事件ではありますが、同時に当時の国際情勢も視野に入れたうえで考えなければいけない問題であるといえるでしょう。
いずれにせよ、閔妃暗殺以後の朝鮮改め韓国は親露政権となり、ロシアは朝鮮半島を足掛かりとしてしきりに我が国に圧力をかけるようになりました。韓国ばかりでなく、我が国の命運も風前の灯となった現状では、我が国の取るべき道は一つしかなかったのです。




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サクラ どんなに重大な事件でも話題にならなかったらそれまでですよね。
逆に、どんな小さな事件だってプロパガンダとして大いに利用できる場合だってあるわけですが。
何れにしろ、あの時は日本が上手く乙未事変を収束させ、今になって韓国が騒ぎ始めているといったところでしょうか。
日本にも非があったにしろ、あの時の責任機関は今や影も形もありませんのにね。
サクラさんへ
黒田裕樹 > どんなに重大な事件でも話題にならなかったらそれまでですよね。
> 逆に、どんな小さな事件だってプロパガンダとして大いに利用できる場合だってあるわけですが。
> 何れにしろ、あの時は日本が上手く乙未事変を収束させ、今になって韓国が騒ぎ始めているといったところでしょうか。
> 日本にも非があったにしろ、あの時の責任機関は今や影も形もありませんのにね。
許されざる事態が起きても、事後処理がしっかりしていれば世間は騒ぎません。
しかし、時が経って蒸し返されると話が厄介なことがありますね。
過ぎたことは水に流して先を見据える国民性と、過去の悪行(?)をいつまでも引きずる国民性。
しかしながら、仰るとおり当時の関係者や期間はこの世に存在しませんから、弁解の機会も与えられない。
難しい問題ですね。
黒田裕樹さん
風早 りら このように 今現在
微妙な問題で 中々真実は見えません
黒田裕樹さんが こうして
詳しく説明して下さり
有り難く思ってます
明日が楽しみです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > このように 今現在
> 微妙な問題で 中々真実は見えません
> 黒田裕樹さんが こうして
> 詳しく説明して下さり
> 有り難く思ってます
> 明日が楽しみです
お言葉有難うございます。
微妙な問題であるからこそ、イデオロギーにこだわらない真実を追求することが重要ではないかと思っております。
明日以降もよろしくお願いします。
ぴーち こんばんは!
確かに「朝鮮」と「日本」のこうした行為は
この場合は、お互い様に見えますね。
けれど、大きな戦争の大元の引き金になる要因って、こうした些細な出来事(実際的にはたった一人の命も尊いものですが)が、発端になるという事例、結構あったのではないかと思いますが、いかがなものでしょうか。
話は変わりますが、
今回も中国船が日本の領海内で漁船を
航行していて、衝突事件を起した問題も
中国側は、中国人の船長の身柄を拘束した事で、日本側に
抗議をして来た様ですが、自国の悪いのを
棚に上げて、遺憾の意どころではないように思いました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに「朝鮮」と「日本」のこうした行為は
> この場合は、お互い様に見えますね。
> けれど、大きな戦争の大元の引き金になる要因って、こうした些細な出来事(実際的にはたった一人の命も尊いものですが)が、発端になるという事例、結構あったのではないかと思いますが、いかがなものでしょうか。
確かにそういう面はありますね。日清戦争の引き金になったのも、朝鮮国内での甲午農民戦争でしたし。第一次世界大戦も皇太子の暗殺がきっかけでしたね。
> 話は変わりますが、
> 今回も中国船が日本の領海内で漁船を
> 航行していて、衝突事件を起した問題も
> 中国側は、中国人の船長の身柄を拘束した事で、日本側に
> 抗議をして来た様ですが、自国の悪いのを
> 棚に上げて、遺憾の意どころではないように思いました。
全くもってそのとおりです。
対中外交になると我が国の政府は腰が引けているような気がするのは私だけでしょうか。
紗那 確かに現代で起これば、間違いなく責任失墜な事件ですものね……w
時代背景によって、大きく捉えられる事件というのは変わってくるわけですか。
てことは、今小さく取り上げられてることが、100年後とかには教科書に乗ったりするかもですね。なんかわくわくしますw
紗那さんへ
黒田裕樹 > 確かに現代で起これば、間違いなく責任失墜な事件ですものね……w
> 時代背景によって、大きく捉えられる事件というのは変わってくるわけですか。
> てことは、今小さく取り上げられてることが、100年後とかには教科書に乗ったりするかもですね。なんかわくわくしますw
そのとおりですね。
特に今の我が国は激動の時期にあるともいえますので、紗那さんの生きてきた時代の様々な出来事が、ひょっとしたらその後の歴史を大きく動かすことになるかもしれませんよ(^^♪
日露戦争の勝利によって朝鮮半島からロシアが手を引いたことで、我が国はようやくロシアの南下政策を食い止めるとともに、韓国の独立を保(たも)つことができました。しかしながら、清国からロシアへと事大主義に走る傾向が見られた韓国をそのままの状態にしていれば、またいつ「第二、第三のロシア」が出現して、韓国の独立と我が国の安全保障が脅かされるか分かりません。
そこで、我が国は韓国の独立を保ちながら軍事権や外交権などを握ることによって、韓国を「保護国」(ほごこく)とする方針を固めました。我が国と韓国は、日露戦争中の明治37(1904)年に日本による韓国防衛の義務などを明記した日韓議定書(にっかんぎていしょ)を結ぶと、同じ年に韓国政府の財政や外交の顧問(こもん)に日本政府の推薦者を任命するとした第一次日韓協約(だいいちじにっかんきょうやく)を結びました。
日露戦争終結後の明治38(1905)年には第二次日韓協約(だいにじにっかんきょうやく、別名を日韓保護条約=にっかんほごじょうやく)を結び、韓国の外交権を我が国が持つことで、韓国が事実上我が国の保護国となりました。また、条約に基(もと)づいて首都漢城(現在のソウル)に統監府(とうかんふ)を置き、伊藤博文が初代統監となりました。




いつも有難うございます。
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風早 りら 私は今まで 何故 日露戦争を
日本がする必要があったのか
理解出来ませんでした
高校までの 勉強では 理解不能でした
大学では日本史は専攻していません
日本が自国の 領土拡大目的での事と思っていました
先生の講座で 興味がわいて しっかり
勉強させて 頂きたいと 思います
サクラ 保護国になった時点で、もう属国みたいなものですよね。
これまでの朝鮮半島での流れを見てますと、完全に韓国は受身だったとしか思えません。
やはり誰もが能動的に動かなければ、決して良い方向には――少なくとも自分の思う方向には――進まないんですね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 私は今まで 何故 日露戦争を
> 日本がする必要があったのか
> 理解出来ませんでした
> 高校までの 勉強では 理解不能でした
> 大学では日本史は専攻していません
> 日本が自国の 領土拡大目的での事と思っていました
> 先生の講座で 興味がわいて しっかり
> 勉強させて 頂きたいと 思います
いつも有難うございます。
日露戦争の目的については、仰るとおり「領土拡大」が主な理由としか紹介されていませんが、これは原因と結果が逆になっています。結果として南樺太などの領土を獲得していますが、目的はあくまでのロシアの魔の手から我が国の独立を守るためであり、その延長線上に韓国の帰属に関する問題もありました。
日露戦争については本文にあるように、いずれ機会を改めて紹介します。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 保護国になった時点で、もう属国みたいなものですよね。
> これまでの朝鮮半島での流れを見てますと、完全に韓国は受身だったとしか思えません。
> やはり誰もが能動的に動かなければ、決して良い方向には――少なくとも自分の思う方向には――進まないんですね。
確かに保護国は事実上の属国ですが、周囲はまだ独立国として扱ってくれますからね。
仰るとおり、当時の韓国自身がイニシアチブをとって独立を守っていれば、このようなことにはならなかったはずですが…。
ぴーち こんばんは!
日露戦争の一番の勝因は何だったんでしょうか。
日本は物腰が柔らかと言う事で、弱いイメージが
植えつけられていましたが、当時の軍事力はロシアよりも、勝っていたんですね。
応援凸
こんばんは
しきしま 明治維新にしても、その後の近代化にしても、日本にあって朝鮮(中国やインドも含め)に無かったもの、それは「武士」の存在だと思います。
自分で土地を開墾・経営し、家の盛衰は今でいう所の自己責任で、自家に危機が迫った時は武器を持って戦う。
幕末の危機に際しても敏感に反応したのは、幕府であり薩長であり、いずれも武士だったと思います。
その後の近代国家への移行でも、独立の維持でも武士や武士だった人の果たした役割は大きかったと思っています。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日露戦争の一番の勝因は何だったんでしょうか。
> 日本は物腰が柔らかと言う事で、弱いイメージが
> 植えつけられていましたが、当時の軍事力はロシアよりも、勝っていたんですね。
日露戦争の我が国の勝因には色々ありますが、真っ先に考えられるのは軍事と政治の「シビリアンコントロール」が抜群だったことでしょうか。
我が国とロシアとの戦いは、まさに薄氷を踏む思いで辛うじて我が国が勝ってきたなかで、日本海海戦で東郷平八郎がロシア艦隊に完勝した際に、ここが潮時と和平交渉に持ち込めたことで、我が国が優位に立ったまま戦争を終えることができましたから。
もしそのままズルズルと戦いを続けていれば、物量で圧倒的なロシアの前に我が国は敗北を重ねたかもしれません。戦争は始めることよりも、止める際のタイミングが難しいんです。第二次世界大戦がそうであったように―。
しきしまさんへ
黒田裕樹 > 明治維新にしても、その後の近代化にしても、日本にあって朝鮮(中国やインドも含め)に無かったもの、それは「武士」の存在だと思います。
> 自分で土地を開墾・経営し、家の盛衰は今でいう所の自己責任で、自家に危機が迫った時は武器を持って戦う。
> 幕末の危機に際しても敏感に反応したのは、幕府であり薩長であり、いずれも武士だったと思います。
> その後の近代国家への移行でも、独立の維持でも武士や武士だった人の果たした役割は大きかったと思っています。
仰るとおり、我が国の躍進には「武士の精神」が不可欠でしたね。日露戦争の頃、まだ江戸時代に武士だった人々が重鎮として控えていたことが、どれだけ我が国の支えになったことでしょうか。
逆に言えば、残酷な時の流れによって武士の経験者が死に絶えた際に世代交代がうまく進まなかったことが、第二次世界大戦による我が国の悲劇を招いてしまったといえるかもしれません。
智里 いや~、まさか「伊藤博文」が韓国の初代統監だったとは知らなかったッス!!
日本の総理大臣もやって、韓国の総理大臣みたいなのもやるとは強者ですね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
だけどこの時の韓国の「保護国」=「侵略された国」ってイメージあるから、いまの日本に対してこんな感じなのかな?
智里さんへ
黒田裕樹 > いや~、まさか「伊藤博文」が韓国の初代統監だったとは知らなかったッス!!
> 日本の総理大臣もやって、韓国の総理大臣みたいなのもやるとは強者ですね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
伊藤博文の政治家としての実力は傑出していますね。明治維新を経験した武士出身だけのことはあると思います。
> だけどこの時の韓国の「保護国」=「侵略された国」ってイメージあるから、いまの日本に対してこんな感じなのかな?
そうですね…。保護国というのも屈辱的だとは思いますが、やはり併合されたという事実の方が「侵略」のイメージが強いかもしれません。
その併合の真の原因は…もうすぐ明らかにします(^^ゞ
しかし、会議に出席していた列強諸国(れっきょうしょこく)が条約の違法性を認めずに密使の会議への参加を拒絶(きょぜつ)したことで、韓国は目標を達成できませんでした。高宗や密使らの当初の思惑(おもわく)とは裏腹(うらはら)に、国際社会が第二次日韓協約の正当性を認めたことにもつながったのです。
韓国の面従腹背(めんじゅうふくはい、表面では服従するように見せかけて、内心では反抗すること)ぶりが明らかになったことで、韓国は当時の国際社会の信頼を損(そこ)なうと同時に我が国の激怒を招(まね)き、高宗は退位に追い込まれました。
そして同年に第三次日韓協約(だいさんじにっかんきょうやく)が結ばれ、韓国の内政権は完全に日本の管轄下に入り、我が国による統治(とうち)が強化されることになりました。




いつも有難うございます。
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サクラ 今まで受身でいながら、しかしちゃっかり密使を送ってたんですね。
事大国が日本でいけなかった理由は、やはり強い上下関係意識からでしょうか。
それにしても「違法性」が認められると思ったあたり、国際意識の薄さが感じられます。
最新の人権感覚と民族意識で当時を見る愚かさ。
晴雨堂ミカエル この時代の空気を冷静に評価できるのは黒田氏のような方で、護憲派日本人や現代の韓国人には無理でしょう。
韓国人も本音の部分では判っているとは思うのです。韓流時代劇などを観れば、当時の朝鮮は国民国家ではなく中国から冊封というコンセンサスを得て中国皇帝の臣下としての「王国」の名義を維持してきた長い歴史に培われた国家権力の「性格」「体質」があります。中国からの承認が無ければ、国王の資格すら危うくなる。
日本派・中国派・露西亜派に分かれての宮廷内権力闘争が展開されていたことでしょう。自主独立する概念がイマイチ乏しかった。
ですから、日本の幕末明治維新に羨望する韓国の民族主義的保守政治家はけっこう多いのです。
また、古参の民主化運動家の多くは朝日新聞を読んで育っています。たとえば「ハンギョレ新聞」の創業者たちなど。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 今まで受身でいながら、しかしちゃっかり密使を送ってたんですね。
> 事大国が日本でいけなかった理由は、やはり強い上下関係意識からでしょうか。
> それにしても「違法性」が認められると思ったあたり、国際意識の薄さが感じられます。
密使を送った主な理由は、仰るとおり中華思想に由来する上下関係があったからでしょう。
それにしても、19世紀以降の国際的な法律関係に無知であるということは、やはり国家としては問題があるといわざるを得ないような気がします。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
仰るとおり、当時の国家関係は当時の国家間や歴史観、あるいは倫理観で判断すべきであり、そのためにも正確な歴史的知識が不可欠です。
建前ではなく、本音の部分で史実に沿った歴史観のもとに当時を振り返ってほしいものです。
黒田裕樹
風早 りら 第二次日韓協約から第三次日韓協約
に至るまでの 経過が よく 説明されていて
分かりやすかったです
こんな 克明に 日韓のことを
知っている 人がどれだけいる事でしょう
黒田裕樹さんに テレビで講演して欲しいです
そうなる事を祈って応援しています
ぴーち こんばんは!
高宗は、自ら「墓穴を掘る」行為となって
しまった様ですね。いつの時代も、悪(心)の栄えた試し無し・・と言った所でしょうか。
(少々、強引かも知れませんが^^;)
今回の民主党の選挙も、O氏の野望は
あえなく葬り去られてしまいました。
自身の驕りと、国民を侮った考えが
招いた結果です。
甘かったですね。
応援凸
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 第二次日韓協約から第三次日韓協約
> に至るまでの 経過が よく 説明されていて
> 分かりやすかったです
> こんな 克明に 日韓のことを
> 知っている 人がどれだけいる事でしょう
> 黒田裕樹さんに テレビで講演して欲しいです
> そうなる事を祈って応援しています
有難うございます。
歴史研究には我が国の立場にたったとしても、冷静な評価が求められます。
テレビの講演ですか…。夢のような話ですが、実現するかどうかはともかく、前進して行きたいですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 高宗は、自ら「墓穴を掘る」行為となって
> しまった様ですね。いつの時代も、悪(心)の栄えた試し無し・・と言った所でしょうか。
> (少々、強引かも知れませんが^^;)
> 今回の民主党の選挙も、O氏の野望は
> あえなく葬り去られてしまいました。
> 自身の驕りと、国民を侮った考えが
> 招いた結果です。
> 甘かったですね。
いくら不満に思っているからといっても、国際的なルールを無視した強引な行為はやはりそう簡単には認められませんよね。
仰るように、強引な手法は、側近ならともかく、多くの人間の共感を呼ぶには至らないようです。
紗那 なるほど……
なかなか抜け目がないですね……
しかし、少し読み誤ってしまったのですね^^;
当時の世界でも、日本は重要な国だったということなんでしょうか。
この流れで、第三次に突入すると。そもそも第三次とかの条約すら知りませんでした。
段階を踏んでたんですね……!
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど……
> なかなか抜け目がないですね……
> しかし、少し読み誤ってしまったのですね^^;
抜け目はないんですけど、国際社会のルールについては明るくなかったようですね。
会議にすら参加できませんでしたし。
> 当時の世界でも、日本は重要な国だったということなんでしょうか。
日露戦争に勝ったばかりですからね。国際社会の目も俄然(がぜん)変わってきますよ。
> この流れで、第三次に突入すると。そもそも第三次とかの条約すら知りませんでした。
> 段階を踏んでたんですね……!
そのとおりです。いきなり併合したわけではなく、第一次~第三次という流れがちゃんとあったんですよ。
併合についても、この頃にはまだそのつもりはなかったのですが…。
伊藤としては、韓国の独立国としてのプライドを守るために、近代的な政権が誕生するまでは外交権と軍事権のみを預かり、その後に主権を回復させる考えだったのです。
教育者であるとともに植民地政策に明るかった新渡戸稲造(にとべいなぞう)が韓国の植民地化に関する計画を伊藤に持参した際にも、伊藤は「植民地にしない」と一蹴(いっしゅう)したうえで、韓国人による韓国の統治の必要性を、時間をかけて新渡戸に説明したというエピソードが残っています。
「韓国は韓国人によって統治されるべきである」。我が国初の内閣総理大臣であり、維新の元勲(げんくん)でもある伊藤だけにその発言は重く、伊藤が生きている間には韓国が併合されることはないだろうと考えられていました。
しかし、その伊藤が、よりによって韓国人に暗殺されてしまうという悲劇(ひげき)が起こってしまったのです。




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サクラ ああ、新渡戸稲造はこんなところに出てくるんですね。
伊藤博文には、何かしらの意図があったのでしょうか。
それとも、韓国の自治を尊重して、併合しないと発言したのでしょうか?
サクラさんへ
黒田裕樹 > ああ、新渡戸稲造はこんなところに出てくるんですね。
新渡戸稲造は教育者だけではなく、優秀な農学者でもありましたからね。
台湾が日本の領土となった際に、農業の立場から近代化に成功しているんですよ。
> 伊藤博文には、何かしらの意図があったのでしょうか。
> それとも、韓国の自治を尊重して、併合しないと発言したのでしょうか?
おそらくはサクラさんの仰るとおりでしょう。
伊藤博文は朝鮮人を高く評価している面もありましたから。
それなのに…。
よくぞ取り上げてくれました。
晴雨堂ミカエル 韓国朝鮮では伊藤博文は侵略者の頭目で、安重根は救国の英雄です。日韓の認識の違いは永久に埋まらないでしょう。これは仕方のないことです。日韓に限らず、独波でも独仏でも仏英でも同じことで、歴史認識とはそういうものだと割り切る事が大切なのですが、変な幻想を見る人が多いので困ったことです。
伊藤博文は高杉晋作から「植民地」にされるということがどういうことか、そしてどんな禍根を残すことになるのかを聞いて知っている人物です。
また、奇麗事ではなく、朝鮮人の気質や歴史的関わりから併合についてのリスクがどれだけ高いかも知っている人間です。彼なら、併合よりも半独立、さらには完全独立のほうが日本にとっても負担は少ないと計算しているタイプでしょう。
深田祐介氏の「炎熱商人」を思い出します。黒田氏はお読みになったことはありますか?
こんばんわ^^
waravino 伊藤博文って。そういう立場だったんですね。知りませんでした^^;なのに・・・・。悲劇そのものですね。日韓の糸が縺れてしまったのは。こんなところにも原因があるんですね。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、今回の記事のような真実を知らずして(あるいは知らないふりをして)、日韓両国の歩み寄りは有り得ないでしょうね。違う国同士の共通の歴史認識はどう考えても不可能でしょう。
伊藤博文ほど、国益を考えた政治家はいなかったといえるのでしょうか。むやみに併合するのではなく、保護国から完全独立の方が、我が国にとってははるかに良かったはずですから。
良き書籍をご紹介下さって有難うございます。未読ではありますが、機会を見つけて読んでみたいものですね。
waravinoさんへ
黒田裕樹 > 伊藤博文って。そういう立場だったんですね。知りませんでした^^;なのに・・・・。悲劇そのものですね。日韓の糸が縺れてしまったのは。こんなところにも原因があるんですね。
同じ日本人でありながら、私たちは伊藤博文の実像についてあまり知らされていないような気がしますね。
今回の紹介も、ひとつの歴史教育の実践と言えそうです。
仰るとおり、伊藤博文さえ暗殺されなければ、日朝のその後の歴史も大きく変わっていたことでしょう。詳しくは次回(18日)の更新で明らかにします。
紗那 これはこれは……!
盛大に初耳でした。
博文さん、こんな意見を持ってる人だったとは……!
なるほど、このあとの展開が想像できます♪
結構、誤解してることが多いと感じます、まいどまいどのことですけど^^;
紗那さんへ
黒田裕樹 > これはこれは……!
> 盛大に初耳でした。
> 博文さん、こんな意見を持ってる人だったとは……!
> なるほど、このあとの展開が想像できます♪
紗那さんもご存じなかったんですね。
伊藤博文は、実は韓国にとって最大の理解者だったのです。
そんな人物を…おっと、これは次回ですね(^^ゞ
> 結構、誤解してることが多いと感じます、まいどまいどのことですけど^^;
私も最初は誤解していましたよ。
誤解から学ぶのもまた歴史ですね(笑)。
ぴーち こんばんは!
伊藤博文説を今のアメリカにも
見習っていただきたい気持ちになりました!
それでも、暗殺されてしまうというのは、何かしら誤解が生じてしまったのでしょうか・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 伊藤博文説を今のアメリカにも
> 見習っていただきたい気持ちになりました!
> それでも、暗殺されてしまうというのは、何かしら誤解が生じてしまったのでしょうか・・。
そのとおりですね。伊藤博文のように、独立国としてのプライドを守るような対外政策を行ってほしいものです。
伊藤博文の暗殺は、仰るように誤解もありそうですが…詳しくは次回(18日)の更新をご覧下さい。
熱心な愛国家であったとされる安重根からしてみれば、初代統監として韓国を保護国化しただけでも伊藤の罪は重く、また伊藤こそが韓国を併合しようとしている首謀者(しゅぼうしゃ)だと考えたのかもしれません。しかし、伊藤が韓国人によって殺されるということは、現実には絶対にあってはならない出来事でした。
安重根による伊藤博文の暗殺による衝撃(しょうげき)は、第二次世界大戦後にGHQ(別名を連合国軍最高司令官総司令部=れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)のマッカーサー元帥(げんすい)を「我が国の皇室を守る」という理由で日本人が暗殺する行為に等しいといえます。
マッカーサー元帥は昭和天皇(しょうわてんのう)を戦争犯罪人として東京裁判(とうきょうさいばん)にかけようとしていたアメリカ政府の方針に断固として反対し、結果として天皇が裁(さば)かれることはありませんでした。そんなマッカーサー元帥を、もし日本人のテロリストが暗殺していればどうなっていたでしょうか?
天皇をかばった唯一無二(ゆいいつむに)の実力者を失ったことで、昭和天皇は恐(おそ)らく東京裁判にかけられていたことでしょう。それだけでなく、元帥を暗殺されたことでアメリカの世論が一気に硬化して、我が国はアメリカによって完全に統治され、日本としての歴史に終止符(しゅうしふ)が打たれてしまっていたかもしれません。
安重根によるテロ行為は、それほどまでに重大な事件であったとともに、我が国と韓国の歴史をそれぞれ大きく変えてしまう出来事だったのです。




いつも有難うございます。
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佐佐木あつし 安重根。
来ましたねー。
この人物ほどその評が数多にわたる人もいないですね。
ブルジョワジー的立ち位置や民族意識から
果てはキリスト教的な見解など重複した見方が
後世に問題を投げかけてますね。
あの、薬指の一件にしても
まさしく「恨(ハン)」を体現した
モノなのでしょうね。
サクラ 安重根の知識不足がいけなかったのか、あるいは伊藤の意見は一部の人しか知らなかったのか――そこが気になるところですね。
何れにしろ、戦後の日本人がマッカーサーを暗殺しようとしたかと思えば――それはあまり考えられない事ですが。
今や安重根といえば、韓国国民の英雄ですよね。
ミンビ暗殺に激怒して関係の無い日本人を殺した金九(キム・グ)だとか、昭和天皇に爆弾を投げつけた李奉昌(イー・ボンチャン)だとか――韓国は「日本に刃向かった」というだけでテロリストが英雄扱いされてると思います。
ただ、レジスタンスなどにとって、テロリストが英雄になること自体はおかしくないとは思いますが(卑怯な手を使わざるを得なかったりしますからね)。
しかし安重根や上記の二人は、それでも正当な評価を受けていないと思いますね。
ぴーち こんばんは!
昭和天皇は、ご自分の命を掛けて、戦争責任を
負われるご覚悟はお有りの様でしたね。
その意思の固さに、マッカーサー元帥が心を打たれたという話を聞いた事があります。
応援凸
風早 りら 伊藤博文の 死は とても残念な事でしたね
彼が 生存していてくれたら
この世界は また 全く
違った ものと なっていた事でしょう
様々な事 考える機会を 与えて
下さり ありがとう
佐佐木あつしさんへ
黒田裕樹 安重根の場合、薬指を切断して同志との結束を固めたというエピソードが決意の固さを表していますが、歴史の結果は時として容赦がないですね。
いずれにせよ、彼に関しては仰るとおり様々な見解があるようです。
サクラさんへ
黒田裕樹 人物の評価というのは、国によって正反対になることがよくありますね。
以前に紹介した豊臣秀吉も、我が国と韓国では別人のような扱いを受けていますし。
安重根のようないわゆるテロリストについては、反日というフィルターを通せば英雄という見方ができるのも理解できないことはありませんが、その結果がどうなってしまったのかも考えるべきではないでしょうか。
正当な評価の基準は難しいものがあるようです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇は、ご自分の命を掛けて、戦争責任を
> 負われるご覚悟はお有りの様でしたね。
> その意思の固さに、マッカーサー元帥が心を打たれたという話を聞いた事があります。
有名なエピソードですね。
昭和天皇のご存在が、未曽有の危機に瀕していた我が国を救ったという見方もあります。
いずれはこの講座で紹介できればいいですね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 伊藤博文の 死は とても残念な事でしたね
> 彼が 生存していてくれたら
> この世界は また 全く
> 違った ものと なっていた事でしょう
> 様々な事 考える機会を 与えて
> 下さり ありがとう
仰るとおり、伊藤博文の暗殺は痛恨の悲劇でした。
彼がもし存在していれば、歴史の歯車はどう回転していたか分かりませんからね。
少なくとも現状よりは良い方角に向かっていたような思いがします。
テロにたいする日本の対応
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
この当時、日本の民間人が殺されたり、伊藤博文の暗殺で、日本国内の世論は、大変なニュースだったと思います。
その後、日本は国として、堂々とした態度をとりました。
それで、不思議でしかたないのは、
現代の日本です。
拉致問題は、この伊藤博文の暗殺に匹敵するほどの
国家によるテロだと思うのですが、
日本国内での、世論がごく一部の国士の方、以外は
あまりにも、小さい気がします。
マスコミでも、普通のごく一般的な事件として
報道されていて、詳細なことがほとんど報道されていません。(あの報道を観ても、ほとんど、わからないと思います。)
根本原因は、日本人自身の愛国心の欠如なのでしょうね。
(ごく、一部の国士を除いて)
青田さんへ
黒田裕樹 愛国心の欠如もちろんあると思いますが、マスゴミの心が我が国ではなく拉致した側に傾いていれば、南北関係なく「なかったことにする」のが当然だとも言えるでしょうね(事の善悪は別として)。
しかし、我が国は併合に対してあくまで慎重でした。日韓併合が国際関係にどのような影響をもたらすのかを見極める必要があったからです。そこで、我が国が関係国に併合の件を打診(だしん)すると「我々が韓国と不平等条約を結んでいた条件を変更さえしなければ問題ない」という虫が良い話があっただけで、表立って反対する国は存在しませんでした。
また、イギリスやアメリカの新聞も東アジアの安定のために日韓併合を支持するという姿勢を示したことで、我が国は初めて日韓併合条約を結んだのです。時に明治43(1910)年8月22日のことでした。なお、日韓併合後には朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)がおかれ、後に総理大臣を務めた寺内正毅(てらうちまさたけ)が初代総督を務めています。
日韓併合は、このような慎重な手続を踏まえたのみならず、国際的な世論の同意も得て初めて実現したのでした。なお、平成13(2001)年に日韓併合条約の有効性が日本と韓国(=大韓民国)との間で議論された際に、韓国側が「強制的に併合されたから無効である」として国際会議に訴えましたが認められず、21世紀においても国際社会が日韓併合における我が国による朝鮮半島支配の正当性を認めていることが確認されています。




いつも有難うございます。
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サクラ 併合条約は合法だった――これはもう変えざる事実ですね。
それを今さら不法と主張する韓国は、今も昔も国際的ではないのでしょうか。
しかし李完用が併合に賛成していたあたり、上層部はそれなりに慎重だった気がします。
併合に反感をもつ民衆と、反日的なテロリストと、事大主義に固着した王室と、改革を目指した人々――。
あのころの朝鮮半島は、まさにカオスでした。
その混沌に終止符を打つのは、やはり併合しかなかったのでしょうか。
サクラさんへ
黒田裕樹 記事にもあるように、日韓併合は周囲にも気を遣ったうえで慎重に結んでいますからね。
少なくとも「武力で強引に結んだ」という印象はありません。
加えて、仰るように韓国側の政府も慎重だったからこそ実現したといえるかもしれません。
当時の韓国は確かに混沌とした情勢でしたから、いわゆる「自国のみでの収拾」ができたかどうかには疑問符が付くところですね。時間をかければ解決できたのかもしれませんが…。
紗那 併合が合法……!
しかも、現代社会において国際的に認められている!
これは驚きでした。
中学校の先生は、こういうことを知っていて授業をしていたんでしょうか。だとしたら、ちょっと悲しいです。
なんか凄まじく認識が変わっていきます……!
紗那さんへ
黒田裕樹 > 併合が合法……!
> しかも、現代社会において国際的に認められている!
> これは驚きでした。
そのとおりです。今から100年前の国際社会で韓国を併合することに表立って反対した国家は存在せず、また日韓両国が合意のうえで正式な条約で結ばれた、まごうことなき合法的な手続きで行われています。
さらに、その正当性は100年近く経った21世紀においても認められています。これ以上の正当性が他にあるでしょうか。
> 中学校の先生は、こういうことを知っていて授業をしていたんでしょうか。だとしたら、ちょっと悲しいです。
> なんか凄まじく認識が変わっていきます……!
教え方は人それぞれですから私ごときが口をはさむ問題ではありませんが、歴史教育は公的な事実に基づいて行われるべきであると個人的には思っております。紗那さんの認識が変わることに関しては、私自身非常に重い責任を負っていますが、それにこたえられるだけの自信を持ってブログを続けていますよ。
ぴーち こんにちは!韓国は何を根拠に「強制的に」と主張しているのでしょうか。
その主張が間違いだと自覚しているからこそ、
反対意見を述べているのでしょうけれど、随分と往生際が悪い国ですねぇ。
儒教の影響と何か関係するのでしょうか。。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんにちは!韓国は何を根拠に「強制的に」と主張しているのでしょうか。
> その主張が間違いだと自覚しているからこそ、
> 反対意見を述べているのでしょうけれど、随分と往生際が悪い国ですねぇ。
> 儒教の影響と何か関係するのでしょうか。。
形はどうあれ我が国に併合されたことに変わりはないですから、そのことに関するやるせなさが「強制的に」という「神話」を生んでいるのかもしれませんね。
仰るとおり儒教の精神から一段低く見ている我が国からだけに、その思いが一層強くなっているのかもしれません。
オバrev 日韓併合は、様々な歴史的事実の積み重ねがあってのことなんですね。
韓国の国民的感情も分からないではないですが、当時の国際情勢やら縦横に関連しあった状況を冷静に判断して、どこかで終止符をうたないと、不毛の議論が無駄に繰り返されるだけでお互いにメリットは何もないと思います。
というか日韓基本条約で既に終止符がうたれているはずだと思うのですが、政府の恣意的なプロパガンダや菅談話やら仙石左翼官房長官の意味不明な発言が、さらに火を大きくしてしまったように思います。
政治家には特にこういう歴史的事実をきちんと勉強して欲しいものです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 日韓併合は、様々な歴史的事実の積み重ねがあってのことなんですね。
> 韓国の国民的感情も分からないではないですが、当時の国際情勢やら縦横に関連しあった状況を冷静に判断して、どこかで終止符をうたないと、不毛の議論が無駄に繰り返されるだけでお互いにメリットは何もないと思います。
私も同意見です。
歴史的事実に関する建設的な議論は歓迎すべきことですが、現在のような議論を続けることに関する益はなく、お互いの国家に対する感情を害するばかりだと思いますね。
> というか日韓基本条約で既に終止符がうたれているはずだと思うのですが、政府の恣意的なプロパガンダや菅談話やら仙石左翼官房長官の意味不明な発言が、さらに火を大きくしてしまったように思います。
> 政治家には特にこういう歴史的事実をきちんと勉強して欲しいものです。
歴史に無知な政治家の存在が我が国に何をもたらしているのか、私たちは今ほどそれを痛切に感じる機会はないのかもしれませんね。
黒田裕樹さん
風早 りら 「イギリスやアメリカの新聞も東アジアの安定のために日韓併合を支持するという姿勢を示した」
そんな事 初めて知りました
私達が知る権利を 奪われている感じすらします
最近 憤り 感じます
先生 頑張って これからもお願いします
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「イギリスやアメリカの新聞も東アジアの安定のために日韓併合を支持するという姿勢を示した」
> そんな事 初めて知りました
> 私達が知る権利を 奪われている感じすらします
> 最近 憤り 感じます
> 先生 頑張って これからもお願いします
有難うございます。
確かに伝えなければならないことを伝えきれていない節がありますね。
バランスを欠いているとでもいうべきでしょうか…。
この講座ではこれからも様々な歴史的事実にスポットを当てていきたいと思います。
さらに、歴史の評価というものは当時の国際世論の動向にも注目すべきであり、少なくとも現代の価値観や倫理観(りんりかん)のみで簡単に結論を下(くだ)すことはできないはずです。だとすれば、一国の総理大臣が持つ現代の歴史観を中心にまとめた談話にはどのような価値が存在するのでしょうか。
もっとも、日韓併合に関してはそれまでの歴史だけでなく、併合後に朝鮮半島自身やそこに暮(く)らした人々がどのような運命をたどっていったのかについても考察する必要があるでしょうし、私の講座でも紹介したいところですが、今回は時間がありません。
併合後の歴史についてはいずれ日を改めて紹介することにしますが、それまでの間に、日韓併合に至るまでの歴史について皆さんとともに様々な意見の交換ができればと願っております。
(※第18回歴史講座の当日の内容はこれで終了ですが、次回に補足の記事を載せます。)




いつも有難うございます。
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waravino 日韓が本当に歩み寄り理解しあおうとすれば。日本もそうですが。現在の韓国側の偏った歴史教育も問題になろうかと思います。日本でいくら叫んでも。相手が耳栓をしていては。何も広がっていかないし。進歩もありません。事実を知りながら。自己都合で歪曲することは。あってはならないことです(考え方を変えていくのは。大変なことだと思いますけれど)
waravinoさんへ
黒田裕樹 > 日韓が本当に歩み寄り理解しあおうとすれば。日本もそうですが。現在の韓国側の偏った歴史教育も問題になろうかと思います。日本でいくら叫んでも。相手が耳栓をしていては。何も広がっていかないし。進歩もありません。事実を知りながら。自己都合で歪曲することは。あってはならないことです(考え方を変えていくのは。大変なことだと思いますけれど)
私もそう思います。我が国はこちらから謝って理解を得ようとするのに対して韓国側は自分に非があっても謝らないという、基本的に文化の違いもあるにはあるんですが、ここまでくると仰るとおり、自己都合による歪曲と判断されても仕方がないような思いがしますね。
独自解釈+不干渉しかない?
オバrev 歴史的事実の評価は、その前後左右を含めて把握した上でないと難しいですね。
そういう意味では、やはり歴史教育の重要性を痛感します。
でも経済的結びつきは、そういう歴史観の思惑とは独立して発展してきてます。
国交断裂するわけにもいかないし、日・韓・中については、歴史解釈は各国に委ねるがお互いに干渉しないという取り決めを第三国主導で決めるしかないんじゃないでしょうか。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 歴史的事実の評価は、その前後左右を含めて把握した上でないと難しいですね。
> そういう意味では、やはり歴史教育の重要性を痛感します。
だからこその歴史教育のはずなのですが…。現状はどのようなものでしょうか。
目先のみにこだわって大局を見失いたくはないものです。
> でも経済的結びつきは、そういう歴史観の思惑とは独立して発展してきてます。
> 国交断裂するわけにもいかないし、日・韓・中については、歴史解釈は各国に委ねるがお互いに干渉しないという取り決めを第三国主導で決めるしかないんじゃないでしょうか。
仰ることは、過去にはきちんと行っていましたよね。
唐が滅びてから明が興る以降の約500年間は、我が国と中国・朝鮮との間に国交は存在しませんでしたが、激しく戦った元との間にも私貿易は行なわれていましたからね。相互不干渉であれば現代でも十分に成り立つとは思うのですが、第三国を引き受ける国家が存在するかどうかにかかっていると思います。
サクラ 日韓併合が朝鮮半島に何をもたらしたかは別として、韓国・北朝鮮にとって「日本が支配した」という事実だけが許せれないんですよね。
それはやはり、全体を通して「日本人は――」という意識があるのだからだと思います。
そして今も、その意識から抜け切っているとは言えません。
しかし日本人も、国境を越えて自分達と同じ意識がある――という錯覚に陥っています。
それは恐らく併合当時の日本人だって同じだったでしょう。
そういった半島の意識を理解していれば、併合以外の道を選択する足がかりになっていたのかもしれません。
朝鮮半島が独立し、今や併合以前の流れが繰り返されようとしています。
ネット右翼や保守派の意見はどこか征韓論を連想させますし、親日派が弾圧されているのは、そのまま変わっていません。
これから先、日韓関係はどこへ向かっていくのか――。
歴史を学ぶことの重要性を、改めて意識しました。
サクラさんへ
黒田裕樹 日韓併合の頃には日鮮同祖論が正当化されて、それが併合後の朝鮮半島でも影響を与えたというのがありますからね。
日本人の認識の問題もあったかもしれませんが、それゆえに併合後の朝鮮半島の政策には大きなものがあったともいえます。このあたり(併合後の朝鮮半島)については、私の講座での以後の課題ですね。
確かに韓国の反日、我が国の嫌韓ぶりは日に日に高まりつつありますね。どちらかからではなく、日韓両国がともに過去の歴史に学ぶ姿勢が重要だと思うのですが…。
ぴーち こんばんは!
確かに、今現代だけの価値観で語ろうとするのは、安易過ぎますよね。それまでの国の歴史や、国同士の関わり合いを度外視した発言は、反感を買って当然の事だと思います。
人間、次の日から「じゃあ、今までの事は水に流して、お互い手に手を取って仲良くやりましょう」なんて、簡単に気持ちを切り替えていけるわけには行きませんよね。
ましてや、お互いの国の間に、血塗られた過去が存在するのなら、尚更ですね。
今日は、容量が重いのか、PCの調子が悪いのでこの辺で失礼します^^;
凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 国同士の感情、というより国民同士の感情というのは、血なまぐさい歴史から時間が経っていなければ、和解するには相当の月日がかかります。
だからこそ、国家同士で平和条約を結んでそれまでの過去を清算して水に流し、未来志向で良好な関係を目指そうとするのですが、最近の日韓関係は、国家同士で関係をこじらせているような、そんな気がしますね。
このままの関係が続いて、日韓関係がさらに悪化することを危惧(きぐ)しています。
黒田先生
風早 りら 現代の価値観や倫理観のみで簡単に結論を下すことはできないはずです
それが この国を代表する者に 理解出来ない
のかと 情けなくなります
民主党には がっかりで うんざりです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 現代の価値観や倫理観のみで簡単に結論を下すことはできないはずです
> それが この国を代表する者に 理解出来ない
> のかと 情けなくなります
> 民主党には がっかりで うんざりです
りらさんのご不満、ごもっともだと思います。
歴史的経緯を理解できれば、どちらかが一方的に悪いと決めつけられるはずがないのに、なぜ急いで謝ろうとするのでしょうか。国益を損なう行為は厳に慎んでほしいですよね。
今回の講座に関しては、皆様から様々なご意見をいただきました。日韓併合に至る歴史については詳しくご存じなかった(あるいはこれまでに教えられていなかった)方が多かったようで、特に日韓併合条約が両国が合意のうえで、なおかつ国際的にも認められた合法的なものであったことに関しては、大きな反響があったようです。
今までの繰り返しになりますが、歴史教育は事実に基づいた、かつ第三者的な視点から行うことが大原則です。日本人である以上は日本の立場から考えることはあったとしても、公平な感覚を失ってはいけません。しかし、近現代史の、特に我が国と朝鮮半島との関係においては、必ずしも原則どおりには進んでいないようです。
朝鮮半島の人々に対して個人的に謝罪の気持ちを抱くことは自由ですが、内閣総理大臣のような公的な立場の人物が、個人の感情との区別をせずに意見を述べることは、国益にかなった行為とは言い難いのではないでしょうか。また、歴史的経緯を無視した発言が見られることに関しては、歴史に対する「無知」の印象すら感じられますが、国の命運を託された為政者が歴史を知らないという事態はいかがなものでしょうか。
もっとも、私は今回「併合までの歴史」しか述べておらず、その後の日朝関係について紹介しなければ片落ちであるとも言えます。私自身もさらに研究を重ねて、いずれは「併合後の歴史」についても紹介させていただきますので、その際にもよろしくお願いいたします。
(※次回[9月22日]より通常の更新=室町時代に戻ります)




いつも有難うございます。
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風早 りら 「内閣総理大臣のような公的な立場の人物が、個人の感情との区別をせずに意見を述べることは、国益にかなった行為とは言い難いのではないでしょうか」
今回の先生の講座で この事を自覚した
人も多いと思います
あまりにも この件に 限らず
国益にかなった事が出来無すぎです
かなり 怒りたくなる事があります
こんばんわ^^
waravino 日韓両国において正しい歴史教育が行われるよう願ってやみません。講義。お疲れ様でした^^)/
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「内閣総理大臣のような公的な立場の人物が、個人の感情との区別をせずに意見を述べることは、国益にかなった行為とは言い難いのではないでしょうか」
> 今回の先生の講座で この事を自覚した
> 人も多いと思います
> あまりにも この件に 限らず
> 国益にかなった事が出来無すぎです
> かなり 怒りたくなる事があります
りらさんのお怒りが、サイレントマジョリティーの国民の総意だと思います。
人の上に立つ人物は、文字どおり分別のある人間であってほしい。自戒を込めて痛感します。
waravinoさんへ
黒田裕樹 > 日韓両国において正しい歴史教育が行われるよう願ってやみません。講義。お疲れ様でした^^)/
お言葉有難うございます。waravinoさんのお考えは、私の切なる願いでもあります。
公平な視点での正しい歴史教育が行われることを切望します。
ぴーち こんばんは!
最近の政治家さん達は、自分の立場を忘れ
公私混同するような発言をされる方が多いですね。
私達一般人が語っている分には、何の影響も無い発言でも、一国の首相や、大臣が口にすると問題になりますね。
そこの所はよく熟慮していただき、後先考えない様な
発言は控えていただきたいと思います。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 最近の政治家さん達は、自分の立場を忘れ
> 公私混同するような発言をされる方が多いですね。
> 私達一般人が語っている分には、何の影響も無い発言でも、一国の首相や、大臣が口にすると問題になりますね。
> そこの所はよく熟慮していただき、後先考えない様な
> 発言は控えていただきたいと思います。
まさにその通りだと思います。
自分の地位や立場に責任を持って、国益にかなった政治を行ってほしいですよね。
そのためにも不用意な発言をしないように、くれぐれも熟慮をお願いしたいものです。
お願いします
オバrev 総理大臣はもちろん国会議員の方々は、日本国民の支持を得て議席を得ている以上、国益を最優先にしてほしいですね。
どうも最近、そうではないとしか思えないことが目立っていますので・・・
そうだ!黒田先生、ぜひ国会議員を対象にした「歴史講座」をお願いします(^^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 総理大臣はもちろん国会議員の方々は、日本国民の支持を得て議席を得ている以上、国益を最優先にしてほしいですね。
> どうも最近、そうではないとしか思えないことが目立っていますので・・・
全くその通りですね。尖閣諸島をめぐる問題に関しては気を吐いている部分もありますが…。
> そうだ!黒田先生、ぜひ国会議員を対象にした「歴史講座」をお願いします(^^;)
………(^^ゞ
今はとても顔ではありませんが、それくらいの実力を蓄えるのもまた漢(おとこ)ではありますね。
「事実」というものの見方。
晴雨堂ミカエル 人間というものは主観によって「事実」を無意識に「編集」するものです。同じ個人でも、幼児の頃は「広い」と感じた小学校の運動場が中学生になって母校の小学校が「狭い」「小さい」と感じてしまう、そんな変化があります。
交通事故をはじめとする法廷闘争も然りです。相手は嘘をついていると憤ったり、あるいは事実を淡々と述べているつもりなのに相手方弁護人の追及で自分の記憶に自信がなくなったり。
ましてや、国家間の問題となれば何を言わんがです。単純に考えて、双方の言い分に対して双方の国民が支持する訳です。主張する人が自分1人で、周囲が「間違っている」と言われれば考えを変える気にもなるかもしれませんが、日本には1億人、中国では10億人の世論がある訳です。
それを利害関係や漠然とした友好イメージなどを絡めて落としどころを作るのが政治家なのですが。
護憲派市民の平和思想は傾聴に値する部分も多々ありますが、問題なのは韓国朝鮮への「初恋」感情にも似た同情と憧憬の念、日本の国家権力に対する裏付けの無い憎悪(彼等に言わせれば裏付けは五万とあるが、直接自分が迫害を受けた訳ではない)です。
彼等彼女の歴史観では、アイヌモシリ(北海道)を侵略し、琉球(沖縄)を侵略し、台湾を分捕り、その延長線上に日韓併合があったという事です。朝鮮を清国から「独立」させ日本の保護領としたのも併合のためのプロセスに過ぎない。
私はそういう「事実」の見方も一理あると思う。ただ、伊藤博文が植民地化に反対であったことも合わせて認めてほしい事実です。日清戦争前夜、開戦へと舵をきろうとする軍部に難色を示し続けたのも伊藤博文でした。彼はヨーロッパ列強の連合艦隊によって長州が無様に大敗した苦い経験から慎重だったのです。
お互いが憎き相手の弁護士になったつもりで事実を再検証する習慣をつけてほしいものです。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
> それを利害関係や漠然とした友好イメージなどを絡めて落としどころを作るのが政治家なのですが。
落としどころどころか、今はむしろ政治家が率先して逆方向へ足を引っ張ろうとしているような気がしますね。
> お互いが憎き相手の弁護士になったつもりで事実を再検証する習慣をつけてほしいものです。
そのとおりだと思います。憎むからこそ弁護をすれば、相手の気持ちが一番よく分かりますからね。
現実には有り得なさそうですが…。