確かに大日本帝国憲法(=明治憲法)の第11条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と書かれており、条文を素直に読めば、統帥権は天皇のみが有するという規定ですが、こうした軍部の主張には無理がありました。
なぜなら、一国の軍備について決定を下すことは統治権の一部であり、統治権は天皇の名のもとに国務大臣(=内閣)が行うものだからです。従って、軍部による主張は統帥権の拡大解釈に過ぎず、統帥権干犯問題は社会的地位の低下に危機感を抱いた、軍人社会の反撃の一つでしかありませんでした。
ところが、時の野党であった立憲政友会(りっけんせいゆうかい)が「与党の攻撃材料になるのであれば何でもよい」とばかりに、統帥権干犯問題を「政争の具」として軍部と一緒になって政府を攻撃したことで、話が一気に拡大してしまったのです。ちなみに、この時に政府を激しく非難した政友会の議員の一人である鳩山一郎(はとやまいちろう)は、鳩山由紀夫(はとやまゆきお)元首相の祖父です。





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ぴーち こんばんは!
外国との争いが一段落したと思ったら、
今度は国内での抗争劇が勃発ですか・・
人間は一つの国の国民の
一人として生き続ける限り、いつでも
なにかしらの揉め事を抱えていきていかなければ
いけないものなんですね^^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 本当に争いが絶えませんよね。
それぞれが国家を考えていることは理解できますが、難しいものです。
だからこそ、私たちは歴史を直視して、良い面も悪い面も今後に活かさなければなりません。
大問題!
鹿児島のタク 「統帥権干犯」問題は、大事件ですね。明治憲法の小さな穴をついた…というか、明治憲法を実質的に作成した人々(伊藤博文など)は、将来こういう問題が出てくるとは思いもしなかったでしょう。もちろん、明治大帝も…。
それにしても、野党が“政争の具”としていたなんてひどすぎる…。知りませんでした。
個人攻撃はいけないかもしれませんが、鳩山由紀夫元総理の時は、“変”なことばっかりでしたね。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 統帥権干犯問題は痛恨の一撃でしたが、それを主張するよりも、自己の立場をわきまえずに私益で拡散した方が罪深いですよね。
仰るとおり、「あの一族」の際には不思議なことばかりが起きます。
かくして、政党政治を行う立場である政党人自らが「軍部は政府の言うことを聞く必要がない=内閣は軍に干渉できない」ことを認めてしまった「統帥権干犯問題」をきっかけとして、我が国では軍部の暴走を事実上誰も止められなくなってしまいましたが、さらに事態を深刻化させたのが、当時の青年将校を中心に軍部にはびこっていた「ある思想」でした。
なお、統帥権干犯が主張され始めた当時に海軍軍令部長を務めていたのは条約締結に強硬に反対していた加藤寛治(かとうひろはる)でしたが、彼の前任者こそが鈴木貫太郎であり、普段から「軍人は政治に関わるべきではない」と考えていた貫太郎であれば、もしかしたら統帥権干犯問題は起きなかったかもしれません。
統帥権干犯問題が表面化した当時は、世界恐慌(せかいきょうこう)と呼ばれた不景気が全世界を暗く覆(おお)っていましたが、アメリカやイギリスなどの広大な領土や植民地を持つ欧米諸国は、自国の経済を守る目的で他国からの輸入品に多額の関税をかけるという、いわゆるブロック経済の政策を進めました。
国内で自給自足できる国ならそれで良いかもしれません。しかし、我が国のように資源に乏(とぼ)しく、外国との貿易に頼っている国家にとって、ブロック経済は深刻な打撃になりました。その一方で、建国されてから日の浅い共産主義国のソビエト社会主義共和国連邦(現在のロシア)による政策は、地方出身者が多く、その家族が貧困生活にあえいでいた青年将校たちにとっては、魅力的に映りました。
かくして軍部では天皇を中心としただけで、実質的には社会主義である「国家社会主義」思想が主流となり、地主や資本家などの富裕層や、彼らと癒着(ゆちゃく)していると思われた政党政治家を激しく憎むようになりました。また、天皇に絶対の忠誠を誓っていた青年将校たちにとって、昭和天皇にお仕えしていた侍従長の貫太郎は「君側(くんそく)の奸(かん)」として、命を狙(ねら)われる存在と化したのです。





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ぴーち こんばんは!
資源が乏しいというのは、国として
大きなハンデでもあり
致命的でもありますね・・。
しかしながら、資源もお金もそうですが
そのものが無ければ、生きていく中に
工夫が生まれ
逆に豊富であれば、怠慢になりがちですよね。
そういう意味では、生きていく為の
知恵が絞り甲斐のある
国に生まれ育ったことを誇りに思う
べきなのかも知れませんね^^
それにしても、貫太郎氏のその後の運命が
気になります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに我が国が抱えたハンデは大きいですが、その分工夫をするという精神が身についたことは良かったですね。とはいえ限度というものもありますが…。
> それにしても、貫太郎氏のその後の運命が
> 気になります。
次回の更新から衝撃的になってしまいますね…。
国家社会主義とは~青年将校の気持ち
鹿児島のタク おはようございます。
「国家社会主義」思想…えっ、当時の日本が社会主義だなんて…と思っていました。でも、すごい「格差社会」だったのでしょうか。
2.26事件を主導した陸軍青年将校たちは、自分の部下たちに自分の給与を与えたりして、苦労していたとのことを著作物で読みました。
「君側の奸」…青年将校たちは本当に純粋に、誠実にそう思っていたと思いますが、いかがでしょうか。
※ ドイツの「ナチス」を「国家社会主義労働者党」と言いますよね。これは、どういうことなのでしょうか。事態が日本と似ていたのでしょうか。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 当時の我が国は決して格差社会ではありません。強いて言えば、世界恐慌がもたらした不景気や、金解禁を強行した政治の失策などが、人々の貧しさをより一層強めたといえるでしょう。こんな時だからこそ、財閥にしっかりしてもらって失地回復を目指すべきなのですが、社会主義に染まった将校たちに目の敵にされてしまっては…。
青年将校の思いは純粋であっても、果たしてそれが本当に「昭和天皇のご意思」に合致していたかどうか、を冷静に判断するべきでしょう。全員がそうだとは言いませんが、事件後に処罰を受けた将校の一人は、自分の思い通りにならなかった陛下を死ぬまで卑下していたということですし。
国家社会主義は天皇を中心に据えただけで、実際には社会主義の思想です。天皇をヒットラーやスターリンに置き換えれば、そのまま外国の思想と化します。
事件前夜、貫太郎は夫人の「たか」と共に、駐日アメリカ大使ジョセフ=グルーの招きで夕食会に出席した後、夜11時過ぎに帰宅し就寝していましたが、未明に安藤輝三(あんどうてるぞう)大尉(たいい)が指揮(しき)する一隊が襲撃(しゅうげき)しました。
貫太郎を発見した下士官が兵士たちに発砲を命じ、貫太郎の左脚付根、左胸、左頭部に命中しました。激しい衝撃(しょうげき)を受けて倒れた貫太郎の周囲はたちまち血の海と化しました。
やがて指揮官の安藤がその場に姿を現し、下士官の一人が「中隊長殿、とどめを」と促すと、安藤は軍刀を抜き、貫太郎にとどめを刺そうとしました。その時―。
「お待ちください。とどめは止めてください。どうしても必要というなら私が致します」。
たか夫人が気丈に叫ぶと、安藤は軍刀を納めて、「鈴木貫太郎閣下に敬礼する。全員気をつけ、捧(ささ)げ銃(つつ)!」と号令して兵士を引き連れ、去っていきました。





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ぴーち こんばんは!
なんと、まあ!
奥様の気丈な一言に、貫太郎氏は救われたのですか!
内助の功も、夫の危機が訪れた時には
盾となってなんとしても守ろうとする思い・・。
妻の鏡です!立派ですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、たか夫人の機転が鈴木貫太郎を救いましたね。
しかし、頭部を撃たれた貫太郎の運命はどうなるのでしょうか…。
貫太郎に命中した拳銃弾(けんじゅうだん)は、一発は眉間(みけん)から頭蓋骨(ずがいこつ)をぐるりと回って左へ抜け、脳の損傷を免れました。また別の一発は左胸から心臓すれすれに背面に回って止まり、こちらも心臓の損傷を防ぐことができました。
この他、たか夫人の機転によってとどめを刺されなかったことも、貫太郎の生還に大きく作用しました。かくして貫太郎は、またしても大きな生命の危機を乗り切ることができたのです。
なお、たか夫人は貫太郎の後妻であり、彼女が若い頃は幼年期の昭和天皇のお世話をしていました。天皇の侍従長と幼年期の世話係とが夫婦になり、夫の死の危機を妻がとっさの機転で回避(かいひ)する。これを運命と言わずして何と表現すべきなのでしょうか。





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ぴーち こんばんは!
つい最近でも、アメリカで実際に逃走する犯人が
警察官の頭を狙って、銃を放った事件が報道されているのを見ましたが、その警察官も頭部を撃たれたにもかかわらず、命に別状が無く済んだ様ですが、たまに頭部や胸部を撃たれても、奇跡的に助かるケースがありますよね。
そういうのは、仰るとおり、その方の運命であり、
貫太郎氏に与えられた使命が果たされない限り、
死は訪れないという事だったのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 その後の展開を思えば、「ここで死なせるわけにはいかない」という考えがどこかで働いたとしか思えません。
まさに運命だったのでしょうね。