「晋どん、もうこのへんでよか。俺の首をはねい」。
西郷は別府晋介の介錯(かいしゃく)を受け、波乱(はらん)に満ちた51歳の生涯を終えました。
こうして西南戦争は幕を閉じましたが、半年以上に及んだ長い戦いは、政府が組織した農民や町人上がりの徴兵であっても武人として立派に戦い、戦争のプロである武士に勝るという事実を、実戦を通じて確認できたことに大きな意義がありました。
政府軍に逆らったことで自分の立場が「賊軍(ぞくぐん)」になろうとも、これほど陛下のお役に立てたことはないはずだったからこそ、西郷は「これで本望(ほんもう)である」と思って自らの死を迎えたに違いありません。自らの天命に忠実に生きて十分にその務めを果たし、死に臨んで一点の悔(く)いもなく、さわやかな心境でいられる。これこそが、武士道精神がもたらす「死生観」ではないでしょうか。
なお、西郷の死と呼応(こおう)するかのように、同じ明治10年には木戸孝允が病死し、かつての西郷の盟友(めいゆう)だった大久保利通も翌明治11(1878)年に暗殺され、維新の三傑が相次いでこの世を去り、明治政府は新たな世代によって運営されることになりました。





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ぴーち こんばんは!
なるほど・・・
いつの瞬間も一生懸命に生きている人間は
自分の天命を知ることが出来るのでしょうね。
そしてその天命に従う事で、自分の運命をも素直に
受け容れる事が出来るようになるのでしょう。
人間、最終的には迫り来る自分の死をどう安らかな心境で迎える準備が出来るか・・ですものね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 「天命に従って人事を尽くす」ことが人間の宿命であることが頭ではわかっていても、いざ実行しようと思ってもなかなかできないのが人間です。
だからこそ、それをやり遂げた西郷さんの偉大さがうかがい知れますね。
これを記念してつくられたのが上野の銅像(どうぞう)でしたが、軍服姿では西南戦争を想起(そうき)させるという理由で、猟犬(りょうけん)を連れての着流し姿が選ばれたほか、その場所も皇居付近から離(はな)れた上野に置かれることになりました。
また、西郷によって名誉を保(たも)つことができた庄内藩を通じて西郷の教えが一冊の本にまとめられ、明治22年の西郷の名誉回復を機に「南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)」として発刊されました。これは「西郷南洲遺訓」として現代でも入手が可能となっています。
なお「南洲」とは西郷が沖永良部島での文筆活動(ぶんぴつかつどう)で使った名であり、「南の島」という意味ではないかと考えられています。





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ぴーち こんにちは!
なるほど~
西郷さんの銅像は、
あの地に建立されたことも、また服装に関してもも
ちゃんとそれなりの意味があっての事だったのですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
あれだけ我が国に貢献し続けてきた西郷さんに対して、いかに賊軍になったとはいえ、扱い方が何とも言えませんよね…。
上野の西郷銅像を見なければ…。
鹿児島のタク 黒田先生へ
上野の西郷ドンの銅像の除幕式に夫人のイトさんが出席されています。除幕の直後…「うちの人(西郷ドン)はこんな人ではなかった…」と言ってしまったのを、近くにいた西郷ドンの実弟、西郷従道は驚いて、その言葉をストップしたそうです。
そのイトさんの真意は、西郷ドンはどんな若輩の人が訪問しても、服装を整え、相手に失礼がないようにしていたからだと言われています。
西郷ドンらしいなと思います。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 イト夫人の話は私も聞いたことがあります。
時代が許さなかったとはいえ、確かに西郷さんらしくない銅像ですよね。
内村の言葉を借りるまでもなく、西郷隆盛こそが武士道精神を貫(つらぬ)き通した「最後のサムライ」であり、その生真面目すぎる生涯に多くの日本人が今もなお尊敬の思いを高めています。
若い頃から様々な苦労や経験を積んできたことで人望篤く信頼の高い大人物となり、自身の力で明治維新を成し遂げたにもかかわらず、そのことを驕(おご)るどころかひたすら無私の精神で生き抜き、最後にはすべての矛盾を一身に引き受け、賊軍として城山の露と消えた西郷隆盛。
彼の人生そのものが日本人の誇りであるとともに、彼の生き様に学ぶことこそが、我が国を立て直す大きな流れにつながるのではないでしょうか。
(※第40回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[3月6日]からは通常の更新[=昭和時代・戦後]に戻ります)





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ぴーち こんにちは!
仰るとおり、人間はどうしても
周りから持て囃されたりすると、驕りが頭角を現してしまう所が有りますものね。
そういう人間の欲をいかに自重し、身を粉にして
他人の役に立てる人物になれるかは、その人の人生経験の有無に関わってくる問題でしょうけれど、凡人にはなかなか真似が出来ない境地です。
なので、尚更、西郷さんの生き様に憧れる人が多いのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 若い頃から苦労を重ねた西郷さんだからこそ、彼のような生き方が出来たのでしょうね。
常人にはとても真似できそうもないからこそ、西郷さんの人柄に憧れるのかもしれません。
生真面目な~!
鹿児島のタク 黒先生へ
最後まで、読ませていただきました。
西郷ドン、もちろん郷土の英雄ですが「豪傑」みたいにとらえている方々が多く、本質はそのとおり「生真面目」な男だったと思います。
どうも有り難うございました。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 今回もお付き合いくださり有難うございます。
仰るとおり、西郷さんは決して豪傑ではなく、細やかな気配りができる生真面目な人だったと思います。