しかしながら、彼の功績が後世(こうせい)の人々に語り継(つ)がれる機会はこれまでにほとんどなく、特にユダヤ人難民の救出に関しては、杉原千畝よりも2年も前に実現していながらその存在が忘れ去られようとしています。
時系列的(じけいれつてき)に見ても、樋口の人道的な決断が杉原による「命のビザ」の下地(したじ)となったことが十分に考えられながら、なぜこのようなことになっているのでしょうか。
その背景には、外交官であった杉原に対して、樋口が「現役の陸軍軍人」であったことが関係していると思われます。





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ぴーち こんばんは!
やはり軍人であった事、ネックになってしまったのですね。
確かに軍人がドイツに逆らって、ユダヤ人の救済を手助けしたとなると、国のメンツにも関わる問題でもありますものね。
辛い所ではありますが、世間の評価は職務とその人物を切り離して考えてはくれない所がありますからね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > やはり軍人であった事、ネックになってしまったのですね。
> 確かに軍人がドイツに逆らって、ユダヤ人の救済を手助けしたとなると、国のメンツにも関わる問題でもありますものね。
> 辛い所ではありますが、世間の評価は職務とその人物を切り離して考えてはくれない所がありますからね。
軍人であったことがネックになったのは間違いありませんが、ある意味もっと深刻な理由かもしれません…。
詳しくは次回(23日)の更新をご覧ください。
戦後70年近くが経(た)った昨今になって、ようやく単細胞(たんさいぼう)で脊髄反射的(せきずいはんしゃてき)な「悪玉史観」だけで歴史を語る愚(おろ)かさに多くの日本人が気づきはじめ、これまで闇雲(やみくも)に蓋(ふた)をされてきた歴史の真実を見直そうという動きがあちらこちらで起きているように見受けられます。
樋口将軍による「誇りある決断」が結果として救国(きゅうこく)につながったという事実についても、必要以上に美化(びか)することもなく、冷静かつ健全な評価を行うことが今こそ可能ではないでしょうか。
「オトポール事件」や「キスカ撤退作戦」、そして「占守島の戦い」が「日本人として知っておくべき史実」であることは疑いないのであり、先人の歴史や智慧(ちえ)に学ぶ姿勢こそが、混迷(こんめい)続く世界情勢で我が国が生き抜くための指針(ししん)ともなるのです。
(※第39回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[12月24日]からは通常の更新[=昭和時代・戦中]に戻ります)





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ぴーち こんばんは!
脊髄反射的ですか(苦笑)
確かに政治家さん達が述べてきた言葉そのものを鵜呑みにし、皆があなた任せにして来てしまったということは、事実かもしれませんよね。最近は、ネットでも詳しい情報が得られるようになり、国民もそれなりの真実を得る事が出来るようになった事も大きな流れの変化に繋がっているのではないでしょうか。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 少々過激だったかもしれませんが…(^^;
とはいえ、国民が自分の目でしっかりと真実を見据えることは重要なことだと、今回の講座を通じて実感することは間違いないですね。
冷静に考えれば、
nakating いつの時代も、軍人は目的合理性を求めるリアリストであって、戦略目標なくして軽々に軍事行動を起こすような存在ではない(軍事行動は、自らも含めた人の生死などのリスクとコストと表裏一体なので)のですが、何故か“旧日本軍”の評価になると、とたんに思想的なバイアスが掛かりますね。「日本軍なのだから、人々を苦しめることしかする訳がない」みたいなw
また、旧軍の中の人にしても、私たちのお爺さん世代の同じ日本人、同じ家族だった訳で、「その人達を信じてはいけない・そいつらは悪魔だ」みたいな洗脳まがいの教育がまかり通る戦後の状況が明らかに異常だったと思います。
nakatingさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、これまでの偏向したイデオロギーに満ちた教育姿勢が異常だったのです。
歴史的事実から当時の状況を冷静に判断できる教育が望まれますね。