我が国がポツダム宣言を受けいれ、終戦となった8月15日を過ぎてもソ連の攻撃は止(とど)まることなく、18日には千島列島(ちしまれっとう)の北東端(ほくとうたん)に位置していた占守島(しゅむしゅとう)に攻め込み始めました。
戦争の継続(けいぞく)を断念(だんねん)した我が国の固有の領土への上陸作戦を展開するソ連の意図が侵略(しんりゃく)にあると見抜(みぬ)いた樋口は、現地の将兵に対して「断乎(だんこ)反撃(はんげき)に転じ、上陸軍を粉砕(ふんさい)せよ」と飛電(ひでん、至急の電報を打つこと)した一方で、大本営の命令で18日午後4時をもって各方面におけるすべての戦闘行動を一切停止しなければならないことも承知(しょうち)していました。
樋口は大本営に対してソ連との停戦交渉を願い出ましたが思うに任(まか)せず、やがて18日の午後4時を過ぎてしまいましたが、目の前でソ連の卑劣(ひれつ)な侵略行為が続いている以上は、19日以降も散発的(さんぱつてき)な戦闘が続くのはやむを得ないことでした。





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ぴーち こんばんは!
何というか。。
このソ連の漁夫の利的なやり方は
どうも解せませんね。
こんな体質だから、あの国はいつまで経っても
ウダツが上がらない印象が強いのでしょうか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 何というか。。
> このソ連の漁夫の利的なやり方は
> どうも解せませんね。
> こんな体質だから、あの国はいつまで経っても
> ウダツが上がらない印象が強いのでしょうか・・
ぴーちさんのお気持ちはよく理解できます。
同じように「漁夫の利」を得た国に現在の中華人民共和国がありますが、両国に共通するのが共産主義国家であるというのは偶然でしょうか。
ロシアの伝統
青田です。 黒田先生
青田です。
ソ連(ロシア時代から)の伝統(法則)がありますね。
① 何があっても外交で生き残る。
② とにかく、自分を強く大きく見せる。
③ 絶対に大国相手の二方面作戦はしない。
④ 弱い奴は潰す。絶対に約束は守らない。
⑤ 約束を破った時こそ自己正当化。
⑥ 戦争の財源は、どうにかしてひねり出す。
⑦ どうにもならなくなったら、綺麗事で、ごまかす。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにそうですね。同じことが某野党の党首にも言えそうですが…。
やがてソ連軍は22日になって停戦交渉に応じましたが、その背景にはアメリカ軍による北海道への進駐(しんちゅう)があったほか、アメリカのトルーマン大統領(だいとうりょう)がソ連のスターリンに対して「北海道占領を認めない」という書簡を出していたことも影響(えいきょう)していました。
しかし、たとえアメリカの強い意志表示があったとしても、ソ連が自力で勝手に北海道を占領するなどの既成事実(きせいじじつ)をつくってしまえば、それを覆(くつがえ)すことは難しかったでしょう。各地の将兵の決死の戦闘と、それを支えた樋口の「誇りある決断」が我が国の危機を救ったともいえます。
但(ただ)し、ソ連の理不尽(りふじん)さはこの後も止まることを知らず、占守島上陸作戦の後も南樺太(みなみからふと)を占領したほか、択捉島(えとろふとう)や国後島(くなしりとう)なども不法に支配し、我が国固有の領土である北方領土(ほっぽうりょうど)はいまだにロシアから返還(へんかん)されていません。
加えて、占守島などで戦った将兵たちが武装解除後(ぶそうかいじょご)にシベリアへと抑留(よくりゅう)され、劣悪(れつあく)な環境で重労働を強(し)いられたのみならず、多くの人々が亡(な)くなるという悲劇があったことを私たちは決して忘れてはならないでしょう。





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ぴーち こんばんは!
北方領土に関しては強引な意見ではありますが、
こうなってくると、武力行使の手段意外返還される見込みは薄いように思われますね。^_^;
日本の統治下になった国は、幸いにも日本人の悪口をいう物は余りすくないのに対して、こうしてお話を伺っていると、外国の支配下に置かれた国民は人として扱われる方が稀な様な気がしてきますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 北方領土に関しては強引な意見ではありますが、
> こうなってくると、武力行使の手段意外返還される見込みは薄いように思われますね。^_^;
ぴーちさんのお気持ちもよく分かります。現在のロシアは中国との問題を抱えていますし、北方領土の開発に我が国のノウハウを期待しているところもありますから、我が国からの「攻め手」もあるような気がしますが…。
> 日本の統治下になった国は、幸いにも日本人の悪口をいう物は余りすくないのに対して、こうしてお話を伺っていると、外国の支配下に置かれた国民は人として扱われる方が稀な様な気がしてきますね。
大東亜戦争の頃までは、他国を支配しているのはほとんどが白色人種の国家でした。根強い人種差別が「人間として扱うか」の分かれ目になったとも言えますね。
確かにハルビン特務機関長や第5方面軍司令官などを務めた樋口の軍歴は、ソ連にとっては「敵の大物」であるといえましたし、何よりも北海道占領の野望を打ち砕いた張本人(ちょうほんにん)でしたから、ソ連が樋口を戦犯の対象とみなすのはむしろ当然でもありました。
しかし、そんな樋口の危機に立ち上がったのがユダヤ人でした。かつてオトポール事件で樋口によって多くの人命を救われたユダヤ人たちの間で救出運動がおこると、ニューヨークに総本部を置く世界ユダヤ教会がソ連からの要求を拒否するようにアメリカの国防総省(こくぼうそうしょう)に強く訴(うった)えたのです。
これらの動きが奏功(そうこう)し、GHQのマッカーサーはソ連の戦犯引き渡し要求を拒否しました。まさに「情けは人のためならず」。多くの名もなきユダヤ人に生命を助けられた樋口はその後も各地を転居しながら静かな日々を過ごし、昭和45(1970)年10月11日に自宅で満82歳の天寿(てんじゅ)を全(まっと)うしました。





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ぴーち こんばんは!
まさに「情けは人の為ならず」の好例だと
思います。やはり人には思いやりの心を持って接していきたいものだと改めて思いました。
なかなか出来ない事ではありますが^_^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、思っていてもなかなかできないことですよね。
だからこそ私たちは今回のような「生きた見本」に学ぶわけでもありますが。