ちょうどその年の4月から裕仁親王殿下(ひろひとしんのうでんか、後の昭和天皇=しょうわてんのう)が学習院初等科へご入学されましたが、乃木は明治天皇のご期待に応え、裕仁親王に将来の天皇としての帝王学を厳格(げんかく)に教育すると共に、どんな小さなことでも大切だと思うことは丁寧(ていねい)に教え、親王も素直にそれを守られました。
例えば、乃木は裕仁親王に普段から徒歩で通学されるように指導し、それ以降親王は雨の日でも馬車に乗らずにコートを着用されるなどして学校へと向かわれました。また、雪が降る寒い日であってもストーブにあたることなく、外に出て駆(か)け回ることで体を温めるように指導したそうです。
親王当時に院長閣下の乃木をお慕(した)いなされた昭和天皇は、後にご自身の人格形成に最も影響があった人物として乃木の名を挙げておられます。





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ぴーち おはようございます!
乃木将軍が教育係に任命されたのは、明治天皇の計らいからでしたか。
その主な意図は、乃木将軍に余生への生きがいを見出して貰いたいが為の(自害を早まらせない為の)精一杯の天皇の
慈愛でもあり、また乃木将軍を傍に置くことで、そういった行為を行われない様にする為の監視にも一役買うことになるから・・でしょうかね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、乃木将軍に新たな生きがいを与えることで自害を止めようとしたご配慮があったと思われます。
それと同時に、乃木将軍の優れた人柄が親王殿下の教育にふさわしいとお考えになられたのも大きかったでしょうね。
しかし、多くの国民の祈りもむなしく、明治天皇は同年7月30日午前0時43分に61歳(満年齢59歳)で崩御(ほうぎょ)されました。陛下の崩御を知らされて絶望の底に叩(たた)き落された乃木は、殉死をする決意を固めました。
明治天皇の大喪(たいそう)の儀(ぎ)は大正元年9月13日に行われることになりましたが、その直前の9月10日、乃木は皇孫殿下に最後のご挨拶(あいさつ)をしました。その際、乃木は裕仁親王に山鹿素行(やまがそこう)の名著(めいちょ)である「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」を差し上げ、素晴(すば)らしい本であるから熟読(じゅくどく)されるようにと勧(すす)めました。
いつもと違い、ただならぬ気配(けはい)が漂(ただよ)う乃木の様子に、裕仁親王は「院長閣下(=乃木)はどこかへ行かれるのですか?」と聞かれたそうです。
9月12日の夜、乃木は遺書と辞世(じせい)を書きました。そして御大葬(ごたいそう)がしめやかに行われた9月13日、すべての身辺整理(しんぺんせいり)を終えた乃木は、御遺体を乗せた御霊轜(ごれいじ、霊柩車のこと)が静かに宮殿(きゅうでん)を出発する合図(あいず)の号砲(ごうほう)が打たれた午後8時過ぎに、自邸にて妻の静子と共に先帝の後を追って自刃しました。享年(きょうねん)64歳(満年齢62歳)でした。





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ぴーち おはようございます!
こうして乃木将軍が殉死するまでの一連のお話を伺ってみると、殉死を最初に覚悟した動機は随分以前に遡ることになるのですね。
明治天皇に命を助けられたときから、既にその魂は明治天皇と共にあり、(預けられ)まるで運命共同体のような存在であったようにお見受けしました。
ただ残念に思うのは、自刃する事を明治天皇が存命ならばどうお考えでしたでしょうか?そう考えると、天皇は苦悩を抱えたまま、死出の旅路を歩くこととなったでしょう。キリスト教的で言うなら、十字架を背負うとでも言いましょうか。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰る一面は確かにありますね。
明治天皇にとって乃木将軍の存在は大きかったとは拝察しますが、殉死という事実の重さを一般国民たる私もかみしめたいと思います。
乃木の殉死を受け、国民を主体として様々な動きが見られるようになりました。東京・赤坂の乃木邸には多くの国民がこぞって訪れ、付近の坂の名前も「乃木坂」と改められました。
やがて当時の東京市長であった阪谷芳郎(さかたによしろう)が中心となって乃木を敬慕(けいぼ)する人々による中央乃木会が設立されると、大正8(1919)年には乃木神社創立の許可がくだり、翌大正9(1920)年に明治天皇と昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)とをお祀(まつ)りする明治神宮(めいじじんぐう)が創建された後に造営の事業が起こされ、大正12(1923)年11月1日に鎮座祭(ちんざさい)が行われました。なお、本年(平成25年=2013年)に乃木神社は創建90周年を迎えます。
乃木将軍が我が国に遺した数々の実績は多くの国民を感動に包むと共に、ご祭神として今もなお国民の心に生き続けているのです。





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ぴーち おはようございます!
お子様をお二人も亡くされているのなら、既に乃木家の後継者は途絶えているのでしょうか?
もしも親類縁者が居ないのなら、尚更
乃木将軍とその奥様の魂を慰めるのは、国民の
力が必要かもしれませんね。
哀しい魂を救い出せるのは、生きている者の役目だと思いますし、100年経とうが無念の思いは癒えないことでしょうから、こういうお話を切欠に乃木将軍におすがりするのではなく(神社と聞くと自分の願いばかりを叶えてほしいと考えがちですが)、私達がむしろ彼の魂を救ってあげなければいけないのだと思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 乃木家は断絶しましたので、確かに仰る一面はありますね。
神社参拝には鎮魂の意味も込めることが重要であるともいえます。
しかし、それが大きな間違いであることは今回の講座を通じてご紹介したとおりであり、日本海海戦勝利の立役者である東郷平八郎と共に、乃木将軍は国軍を代表する名将として、子々孫々(ししそんそん)にまで語り継がれるべき民族の代表的英雄の一人なのです。
思えば乃木将軍の生涯はまさに劇的(げきてき)なものでした。連隊旗の喪失や多くの将兵を死なせたこと、あるいは二人の息子を戦死させたことなど数々の苦難もありました。しかし、そんな中にあっても「腹を括(くく)ったリーダー」として日露戦争を勝利に導くなど将軍が遺した数々の実績は、単なる数字だけでは到底(とうてい)語りつくせない、大きな「精神的支柱」として私たち日本国民を励まし続けているのです。
戦後から間もなく70年が経過しようとしていますが、混迷(こんめい)した世が続く今だからこそ、乃木将軍のような国民的英雄の生涯を振り返ることによって、我が国の歴史と伝統に誇りを持つと共に日本民族の自信を私たちの手に取り戻(もど)すべきではないでしょうか。
(※第38回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[11月11日]からは通常の更新[=昭和時代・戦中]に戻ります)





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オバrev こういう話は現時点では学校の教育現場で話することは無理でしょう^^;
いきなり乃木将軍を称えるような事を押し付けようとしても反発を買うだけで、時間はかかるけど、日本の歴史というものを、科学的手法で根拠に元づいて客観的事実をしっかり考察して伝える事が重要な気がします。
そして自分の中にその正しい日本人の歴史を持っておく事は、これからのグローバル世界で若者が活躍していくためにも大事じゃないでしょうか。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり現状では難しいですが、私が教師の場合はじっくりと時間をかけて対処すれば可能ではと自負しております。
普段からのコミュニケーションが重要ですからね。これからの人材育成は目の前の一歩からです。
ぴーち おはようございます!
どうしても人の手本となるような職務、あるいは
代表となるような人物は、その職務を良くやって当たり前と言う、最初から判断基準を高くして見られてしまうのが世の常ですので、少しでもマイナスな行動面が見られると、性格的な資質がどうの、職務怠慢だのと揶揄されがちですよね。
そこがリーダーの辛さでもあるかもしれませんが、偉業を成し遂げるという大きな功績を誇りに出来るのも、リーダーに成る事の喜びでもあるように思います。
人は一つの事象に関して、あらゆる角度から色々な判断をすると
思いますが、乃木将軍に対しての崇拝思想を抜きにして、黒田さんの様に客観的な目で乃木将軍の功績を大いに
称えていけたらよいですよね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
崇拝や軽蔑などの主観を入れずに客観的な目で判断する。
これこそが歴史の基本であるとともに醍醐味ですからね。
乃木の生き方、死に方
- 黒田先生
青田です。
乃木典希が何度も死のうとして、思いとどまり、
最後に殉死したことは、現代人には、わかりにいくい人もいると思います。
非常に興味深い事に、乃木典希を教育した玉木文之進は、その前に吉田松陰を厳しく教育していました。
その吉田松陰が『命』について、こういうことを語っています。
「士」とは、身分のことを言うのではなく、
その命の扱い方によって決まる。
「命を使う」とは、現代では「時間を使う」ということに置き換えられる。
われわれは、生まれたときから死に向かいつつある。
つまり、時間とは、命なのだ。
松陰は「士」についてこう言い残している。
「士の命はときに一毛よりも軽く、ときに山よりも重い」
「何のためにこの命を使うのか?」それがハッキリしていれば、
自分の死すべきとき、そして、決して死すべきではないときがハッキリすると教えています。
おそらく、吉田松陰も、乃木典希も玉木文之進から
『命の教育』を受けたと思います。
お恥ずかしい話ですが、私は『生き方、死に方』というものを考えず、アンチエイジング、予防医学などの本を読んでいました。
猛反省する気になりました。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、仰るとおり、私たち現代人も大きく反省しなければなりませんね。
貴重なお話を有難うございます。