すなわち敵の各堡塁に向かって塹壕(ざんごう、戦場にて歩兵が敵弾を避けるために作る防御施設のこと)を掘り進み、安全な攻撃路をつくって堡塁の手前に突撃陣地(とつげきじんち)を構築(こうちく)することで、攻撃距離(きょり)を短くしようとしたのです。第一次総攻撃の尊(とうと)い犠牲を決して無駄(むだ)にはしない、乃木ならではの柔軟(じゅうなん)な決断でした。
工事がある程度(ていど)進んだ9月19日からは局地的(きょくちてき)攻撃を行い、約4,800人の死傷者を出しながらも重要な堡塁を占領するなど、第三軍は着実な成果を挙げると共に旅順攻略に向けて自信を深めました。
かくして10月26日から第三軍は第二次総攻撃を開始したのですが、その際にまたしても不利な条件で戦わねばならなかったのです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど!
成功する人の共通する考え方に、柔軟性というのが存在するのですね^^
そういえば、○パネット高田の社長も、前日まで
一押し商品を翌日のCMに採り上げようと予定していても、その翌日の天候次第で
急遽、その内容を変更して、違う商品の宣伝に切り替える事で商品売り上げを伸ばしているという話を伺った事があります。
臨機応変に対応していく能力も、また豊富な経験知識の賜物なのでしょうね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、固定観念にとらわれていては進歩は有り得ません。
臨機応変に対処できる能力がリーダーには必須ということですね。
第二次総攻撃において第三軍は複数の堡塁の占領には成功したものの、最後には砲弾不足で攻撃を中止せざるを得ませんでした。またしても日本軍の敗北となったのです。
しかし、第二次総攻撃における日本軍の死傷者が約3,800人で全体の1割を切ったのに対して、ロシア軍のそれは約4,500人と日本軍を上回ったほか、全体の割合も14%に達していました。
失敗したとはいえ死傷者の数や割合が明らかに低下した裏(うら)には、乃木による正攻法への転換(てんかん)がありました。彼の判断は決して間違(まちが)っていなかったのです。





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ぴーち こんにちは!
一口に戦争に勝利した負けたと言っても、
その戦い方や詳細な内容を見てみると
明らかに圧勝だった場合もあれば、辛うじて勝利した場合もあるわけですね。
勝利したものは、どちらかというと
勝利の美酒を味わうことに酔ってしまい、
本当の勝因を見極めることが出来なくなる可能性はあるものの、負けた方は何が敗因だったのかという事を深く反省する機会を与えられるので、
しっかりとその時に原因探求できれば、何か次に起こった時の指針になるものなのだと思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、勝敗が時の運である以上は負けてしまうこともあります。
むしろ負けてからが本当の勝負であり、次回の勝利につなぐために何をなすべきかということを真剣に考えかつ実行することが重要と言えますね。
訓練の賜物
- 黒田先生
青田です。
単純に事実だけを観るとこの凄さが実感できませんが、
当時の写真を観ると
日露戦争時の日本とロシアの装備の違い、
それと
白兵戦の格闘になった時の、当時の
小柄な日本兵と大柄なロシア人との違いで、
これだけの成果を出せたこと自体、賞賛に値します。
それだけ、日頃の訓練がしっかりしていたということですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
日頃の訓練と精神面の鍛錬が重要であると痛感します。
第三軍に対する非難はついに「乃木更迭論(こうてつろん)」にまで達しました。しかし、天皇ご自身が選ばれた親任官であった乃木を辞めさせるには、明治天皇のご裁可(さいか)が必要でした。
このため、陸軍参謀総長の山県有朋(やまがたありとも)は御前会議(ごぜんかいぎ)において第三軍司令官を交代(こうたい)させるべく明治天皇にお伺(うかが)いを立てましたが、陛下はただ一言仰られたのみでした。
「乃木を替えれば、乃木は生きてはおらぬぞ」。
第三軍の苦戦が続く最中(さなか)であっても、明治天皇の乃木へのご信任はいささかも揺(ゆ)るぐことはなかったのです。





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ぴーち こんにちは!
そうですよね。乃木将軍の責任感の強さを十分承知している立場上、もしもこの任務から降ろせば、自害してしまうかもしれない危うさは自ずと推測出来ますものね。
それから、例え周りに自分にとって何万の敵がいようが、一番信頼している人物に信頼を得ている事は、乃木将軍にとっては、この上なく有り難い事であったのでは無いでしょうか。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、明治天皇のご親任の深さが拝察できるエピソードですね。
裏を返せば乃木将軍の優秀さもうかがえると思います。
オバrev 現場の実態を知らない人間の雑言はよくありますね┐(´д`)┌ヤレヤレ
しかしお互いに100%信じることができる関係というのは素晴らしいし、幸せなことです。
最近の政治の世界は、その逆ばかりですけど(^^ゞ
現場を知らないと
- 黒田先生
青田です。
いつの時代でも、現場を知らない人間は、
表面的な結果論だけで、物事を判断しますよね。
歴史のifとして、もし、乃木を更迭して
別の司令官が着任しても、この状況では、
どうなっていたか、想像するだけでも恐ろしいです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、両者の素晴らしい信頼関係が我が国を救ったといえそうです。
現代の権謀術数ばかりを重視する政治の世界とはエライ違いですね…。
青田さんへ
黒田裕樹 そのとおりですね。
もし乃木を更迭させていれば、我が国の勝利は有り得なかったことでしょう。
海軍の攻撃要請の遅れや陸海軍の情報力不足、さらには戦力や弾薬不足など、旅順攻略が進まないことに対して、乃木一人にすべての責任をかぶせるにはあまりにも酷(こく)な条件がそろい過ぎていました。しかし、乃木は一切言い訳(わけ)をせず、多くの犠牲者を出しながら旅順を落とせない責任を一人で被(かぶ)る決意をしていました。
そんな乃木の悲壮(ひそう)な覚悟が、第三軍の士気に影響しないはずがありません。「乃木将軍は多数の犠牲者が出たことに苦しんでおられるのみならず、我々のことを本当に心配しなさっておられる。将軍のためにも我々が頑張(がんば)らなくてどうするというのだ」。
明治天皇のご慧眼(けいがん、物事の本質や裏面を見抜く鋭い洞察力のこと)どおり、第三軍は「乃木なればこそ」苦しい戦いをいとわず一丸となって奮戦し、また「乃木なればこそ」最終的に勝利をつかむことが可能となったのです。





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ぴーち こんにちは!
人は失敗しない人は居ませんが、
失敗した時にどのような思いを抱き、
どのような行動を起こすかによって
その人物の本当の姿が浮かび上がるものと思います。
ある者は、他人に責任を転嫁することで
自分の保身を保とうと必死になったり、
ある者は、開き直り自分は悪くないと維持でも
自分のミスを認めようとしなかったり・・
そこで何をさておいても、謝罪の意思が
最初からあるのならば、すばやく、潔く
自分の非を認め、まずは回りに迷惑を
かけたことに対しての思いを表すことが肝心ですよね。
乃木将軍は自分の事はさておき、周りの人間に対してしっかり配慮出来た事が、結果的に身近な周りの人間から助けられたことに繋がったのではないかと
思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
責任逃れに懸命な人間が多いなかで、乃木将軍の姿勢は実に立派でした。
上司がしっかりしていれば、部下の士気も上がって最終的な成功へと導くのは当然のことですよね。