それまでの自民党による政治の手法を嫌(きら)った多くの国民から期待されて誕生した民主党政権でしたが、沖縄の普天間(ふてんま)基地の移設に関する迷走(めいそう)や、マニフェストに記載(きさい)した「子ども手当」などに関する様々な問題、財政再建を目指しながら年度予算で過去最大級の国債(こくさい)を発行するという矛盾(むじゅん)、さらにはマニフェストに記載しなかった外国人地方参政権法案や夫婦別姓法案、あるいは人権擁護(ようご)法案などの国会提出を目指すなど、様々な問題を抱(かか)えた鳩山内閣は急速に国民の支持を失い、結局8ヵ月余りで倒れてしまいました。
後を受け継(つ)いだ菅直人(かんなおと)内閣も、まともな審議をすることなく国会を閉会して参議院選挙へと突入(とつにゅう)したことや、消費税の引き上げ問題などでまたしても国民の支持を失い、7月11日の選挙の結果、民主党は参議院で過半数を得るどころか大幅に割り込み、結果として衆参における「ねじれ現象」が明らかとなり、今後の国会の運営が注目されています。
このように、昨今(さっこん)の政権交代は国民による選挙という平和的な手段で行われますが、政権交代自体は過去の歴史上においても何度も実現していることを皆さんはご存知でしょうか?




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今回は、菅総理も「消費税に関する発言」には、失敗だったと反省している様ですが、(日航の稲盛会長と対談した際に)それも後の祭りですね。総理の発言は、それこそ、私などがここで一言述べさせていただいている戯言とは訳が違いますから、一言一言に絶対の責任を持っていただきたいですね。。
政権交代ですか?
聞かないでください(苦笑)
明日の記事を楽しみにさせてくださね(笑)
それでは、応援凸
黒田裕樹さん.
風早 りら 今の選挙制度は
私達の大事な権利ですよね
まだ世界には 選挙制度の無い
国が一杯ありますよね
早く世界中が選挙制度が出来る
ように願っています
いつか世界に発信する日本史を
目指して下さいね
風早りらは 黒田裕樹先生を応援していきます
.
紗那 ちょっとは政治が変わるかと期待していたあの衆院選からこんなに経つんだ……
何か変わったかと言われたら、なにも変わってない気がします。
政権交代……!
なんとなくわかりますが、次回の記事を待ちます←
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今回は、菅総理も「消費税に関する発言」には、失敗だったと反省している様ですが、(日航の稲盛会長と対談した際に)それも後の祭りですね。総理の発言は、それこそ、私などがここで一言述べさせていただいている戯言とは訳が違いますから、一言一言に絶対の責任を持っていただきたいですね。。
仰るとおり、一国の総理の発言は非常に重いですよね。それだけに軽々しいことは口にしないでほしいものですが…。
> 政権交代ですか?
> 聞かないでください(苦笑)
> 明日の記事を楽しみにさせてくださね(笑)
ハイ、お楽しみに(^^ゞ
これからじっくり紹介していきますよ。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 今の選挙制度は
> 私達の大事な権利ですよね
> まだ世界には 選挙制度の無い
> 国が一杯ありますよね
> 早く世界中が選挙制度が出来る
> ように願っています
仰るとおりでして、当たり前のように普通選挙制度の恩恵に浴している私たちは、他国と比べてその有難みを噛みしめたいものです。それだけに棄権は許されませんね。
> いつか世界に発信する日本史を
> 目指して下さいね
> 風早りらは 黒田裕樹先生を応援していきます
有難うございます。
大きな夢ですね。ブログからどれだけのことを発信できるのか…。これからも励みます。
紗那さんへ
黒田裕樹 > ちょっとは政治が変わるかと期待していたあの衆院選からこんなに経つんだ……
> 何か変わったかと言われたら、なにも変わってない気がします。
紗那さんのお考えのとおりだと思います。むしろ悪化していなければいいのですが…。
> 政権交代……!
> なんとなくわかりますが、次回の記事を待ちます←
結構ひんぱんに起きていますよ(笑)。
これからの記事の展開にご期待下さい!(^O^)/
.
みほ 恥ずかしながら
なかなかニュースを見ないので
詳しいことは知らないのですが
黒田さんの記事を読ませていただいてると、そういうことだったのかと
納得できます。
やはり、自分らの将来の事にも関係することなら、
しっかりと把握していなければなりませんよね;
ニュースを見ることを
習慣づけたいと思います^^
みほさんへ
黒田裕樹 恥ずかしがることはないですよ(^^♪
今まではそうでなかったとしても、気づいたときから変わればいいんですから。
自分の将来を決めるのは自分自身です。新聞やニュースなどで情報収集に努めましょう。
ただし、ひとくちにニュースといってもいろんな考えがありますから、できるだけ幅広い種類のニュースを読まれることをお勧めします。
数多くの情報の中から、真実を自分で導き出す「メディア・リテラシー」を身につければ、みほさんの将来にきっと役立ちますよ(^o^)/
『我が先祖は神奈川県横須賀市三春町で小泉元首相の実家付近かい』.
智太郎 トラックバックをさせて下さい・・・今日も暑いですねー?異常気象のせいか?暑いのに災害も多いですね~?。 共通するキーワード=「自由民主党:小泉進次郎:小泉純一郎の息子」を含むブログ記事:我が家の実家が神奈川県横須賀市三春町って所で小泉元首相の実家から歩いて3分程の所だったんです。・・・トラックバックをさせて戴きとう思っております。<m(__)m>
智太郎さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
トラックバックの件は喜んでお受けしたいと思いますので、トラバ先の記事をお知られいただければと思います。こちらからも訪問させていただきますね。
例えば、皇室や公家(くげ)などの朝廷から政治の支配権が武士に移った鎌倉幕府(かまくらばくふ)の誕生という歴史的な出来事がありましたし、その鎌倉幕府においても、源氏(げんじ)からいつの間にか北条氏(ほうじょうし)に実権が移動しています。
また、鎌倉幕府が倒れた後に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)によって一時的に朝廷による政治が復活しましたが、すぐに足利尊氏(あしかがたかうじ)が政治の実権を武士の下に戻(もど)しています。
この他にも戦国時代に終止符を打った織田信長(おだのぶなが)・豊臣秀吉(とよとみひでよし)・徳川家康(とくがわいえやす)のいわゆる三英傑(さんえいけつ)や、黒船が我が国に来航して以降(いこう)の幕末(ばくまつ)の混乱から明治政府の誕生など、政権交代の例を挙(あ)げれば、それこそ枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がありません。
これらの「政権交代の歴史」を振り返った際に、共通する「ある思い」が存在していることを皆さんは気づいておられるでしょうか?
今回の講座では、我が国における政権交代のそれぞれの歴史をたどるとともに、その原因や問題点を探(さぐ)り出すことによって、今後の我が国のあり方について国民の一人一人が真剣に考えることが出来るための問題提起になることを目指しながら進めたいと思います。




いつも有難うございます。
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風早 りら 皇室は私も日本の
宝だと思っています
世界に類を見ません
「ある思い」
楽しみです
問題提起
黒田裕樹さんのような方が
FCブログで声を上げて下さって
嬉しく思っています
風早りらのような 拙い
ブログに足をお運び下さり
有り難く思っています
.
紗那 やはり、このあたりの話でしたか♪
武士が権力を握ったかと思ったら、朝廷に移ったり。そういうところは、勉強してると楽しいです←
ある思い、ですか。。。。考えながら、次の記事を待つことにします!
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 皇室は私も日本の
> 宝だと思っています
> 世界に類を見ません
皇室の御存在の凄さは、日本人よりも外国人の方がよく知っています。
恵まれすぎて気が付かないのでしょうか。
万が一のことがあれば大変なことになります。後悔しても遅いのです。
> 「ある思い」
> 楽しみです
> 問題提起
> 黒田裕樹さんのような方が
> FCブログで声を上げて下さって
> 嬉しく思っています
> 風早りらのような 拙い
> ブログに足をお運び下さり
> 有り難く思っています
こちらこそいつも有難うございます。
「ある思い」についてはこれからじっくりと解き明かしますので、楽しみにお待ち下さいね。
紗那さんへ
黒田裕樹 > やはり、このあたりの話でしたか♪
> 武士が権力を握ったかと思ったら、朝廷に移ったり。そういうところは、勉強してると楽しいです←
確かに印象が強くて覚えやすいですからね。
時系列でたどるだけでなく、その理由も調べればなお分かりやすくなりますよ(^^♪
> ある思い、ですか。。。。考えながら、次の記事を待つことにします!
紗那さんの考え通りでしょうか?
私も楽しみです(^_^)v
.
ぴーち こんばんは!
「ある思い」・・
何でしょう?
「野心とか、野望」?
いつもながら、浅はかな考えしか
浮かびません(^^A
応援です凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「ある思い」・・
> 何でしょう?
> 「野心とか、野望」?
> いつもながら、浅はかな考えしか
> 浮かびません(^^A
なるほど、その線もありそうですね(^^ゞ
政権交代を実現するには、武力や経済力のみならず、精神的なものも重要ですからね。
例えば「自民党には任せられない」とか…。
当時の人々が政権に対してどんな思いを抱いていたか、ということかもしれませんよ(^^♪
.
智里 そう言われてみると、歴史が大きく変わるときは政権が変わってますよね。
『ある思い』とは何だろう?
それが分かったときに、これからの日本の政治の在り方がわかるのかな?
今後の講座が楽しみ(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
智里さんへ
黒田裕樹 > そう言われてみると、歴史が大きく変わるときは政権が変わってますよね。
そうなんですよね。古代の聖徳太子などを除いて、新しい歴史は新しい政権で行われることが多いですから。
> 『ある思い』とは何だろう?
> それが分かったときに、これからの日本の政治の在り方がわかるのかな?
> 今後の講座が楽しみ(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
有難うございます。仰るとおり、今後の我が国の政治の根幹をなすと思いますよ(^^♪
その原因として真っ先に挙げられるのが、朝廷によって我が国直属の軍隊が廃止されたことです。その後、朝廷周辺には現代の警察に相当する検非違使(けびいし)が設けられたことで辛(かろ)うじて治安が守られましたが、地方においてはそれこそ何の対策も行いませんでした。
その結果、地方では盗賊(とうぞく)を中心に力あるものが支配する世の中となったことで、数多くの生命や財産が奪(うば)われることになり、人々は自らを守るために自然と武装(ぶそう)するようになりました。これこそが武士(ぶし)が誕生するきっかけの一つです。
各地で武士が誕生し、その武装力を高めることによって、いつしか地方を中心に武士が世の中を支えるようになりましたが、その武士たちには大きな悩みごとがありました。いわゆる「土地問題」です。




いつも有難うございます。
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紗那 あ、あれ、なぜ軍隊が廃止されたのでしたっけ……
平安時代、73個もあるから大変だ><
しかし、朝廷は地方に対策を行わないというのは、やはり都のことしか考えていなかったでしょうか、それとも単に手が回らなかっただけ……?
いずれにしろ、その行いが自分に帰ってくるわけですね。。。
.
ぴーち こんばんは!
確かに現代の「平成」という元号についても、その前の「昭和」の時代が激動の時代であった為に
次世代は「平和が達成できますように」という願いが込められた元号だと聞いた事があります。しかし、実際的には・・。
平安時代も、そうありますようにと言う願いが元号の由来だったのでは無いでしょうか・・?(勝手な推測で申し訳ありませんが)
しかし、平の字が付いた元号の時代は、「平」からかけ離れると言うジンクスでもあるでしょうか??
応援凸
紗那さんへ
黒田裕樹 > あ、あれ、なぜ軍隊が廃止されたのでしたっけ……
> 平安時代、73個もあるから大変だ><
これまでに色々なところで書きましたけど、この記事が一番分かりやすいでしょうか(^^ゞ
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-251.html
> しかし、朝廷は地方に対策を行わないというのは、やはり都のことしか考えていなかったでしょうか、それとも単に手が回らなかっただけ……?
おそらく後者でしょう。
摂関政治の全盛によって、本来ならば朝廷に入るべき税のほとんどが摂関家に持っていかれましたからね。
ない袖は振れない、といったところでしょうか。
> いずれにしろ、その行いが自分に帰ってくるわけですね。。。
因果応報とはよく言ったものですね。
武士をないがしろにするとどうなるのか…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに現代の「平成」という元号についても、その前の「昭和」の時代が激動の時代であった為に
> 次世代は「平和が達成できますように」という願いが込められた元号だと聞いた事があります。しかし、実際的には・・。
> 平安時代も、そうありますようにと言う願いが元号の由来だったのでは無いでしょうか・・?(勝手な推測で申し訳ありませんが)
願いとは裏腹に、逆の結果になってしまうのはよくある話ですね。
ちなみに平安時代の名は、当時の都が平安京と言われていたことから、後世になって名付けられたものです。
> しかし、平の字が付いた元号の時代は、「平」からかけ離れると言うジンクスでもあるでしょうか??
その話は聞いたことがありますね。他に「平」のつく元号は「平治」がありますが、この元号の頃には…。
.
智里 この辺の話、ちゃんと覚えてますよ!!
桓武天皇が軍隊を廃止して、都を守るために警察と裁判所を一つにした検非違使を置いたんですよね。
そしたら都以外の場所では内乱が起きまくって、いつしか力の強いものが武士となっていったんですよね。
その武士に守られるように一般の人がついていき、小さな地方国家を作っていく。
だけど、その時の講座で土地問題を取り上げていましたっけ?
智里さんへ
黒田裕樹 > この辺の話、ちゃんと覚えてますよ!!
さすがは智里さんですね(^_^)v
> 桓武天皇が軍隊を廃止して、都を守るために警察と裁判所を一つにした検非違使を置いたんですよね。
> そしたら都以外の場所では内乱が起きまくって、いつしか力の強いものが武士となっていったんですよね。
> その武士に守られるように一般の人がついていき、小さな地方国家を作っていく。
強いものや守ってくれる人に人々がついてくるのは自然の摂理ですからね。地方から我が国の仕組みが徐々に変わっていきました。
> だけど、その時の講座で土地問題を取り上げていましたっけ?
直接的には取り上げていなかったかも(^^ゞ
その意味でも今回のような講座が必要になるとは思いますが…。
実際に田畑を耕(たがや)しているのは他ならぬ武士たちなのですが、朝廷は彼らの所有を認めようとしませんでした。困った武士たちは、仕方なく摂関家(せっかんけ)などの有力者に土地の名義を移し、自らは「管理人」の立場となりましたが、これほど不安定な制度はありません。
「自ら開墾(かいこん)した土地は、自らの手で堂々と所有したい」。武士たちはいつしかこうした切実な願いを持つようになりましたが、武士の心の内が理解できない公家たちによって政治が行われている以上は、その願いは叶(かな)えられそうもありません。
実際に時代を動かしてきた武士たちの思いによって、朝廷から武士への「政権交代」の雰囲気(ふんいき)が次第に高まっていきました。この中から、やがて「武士として初めて政治の実権を握(にぎ)った」ある勢力が誕生するのです。




いつも有難うございます。
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紗那 あぁ、なるほど。
そういえば、そういう経緯で軍隊が廃止されていたんだ……!
荘園制度には、そのような決まりがあったのですか!初耳でした。
なるほど、だから武士は不安定な立場にならざるを得なかったのですね。。。。
ひどい話です。
というより、武士が反乱したら、どう考えても負けてしまうという事実に朝廷は気づかなかったんですかね?
.
風早 りら 自ら開墾(かいこん)した土地は、自らの手で堂々と所有したい
当たり前の事ですよね
段々核心にふれてきましたよね
ワクワクします
明日が楽しみです
紗那さんへ
黒田裕樹 > あぁ、なるほど。
> そういえば、そういう経緯で軍隊が廃止されていたんだ……!
仰るとおりです。
平和なのは良いことですが、だからと言って攻めてこないと決めつけてしまうというのは…。
> 荘園制度には、そのような決まりがあったのですか!初耳でした。
> なるほど、だから武士は不安定な立場にならざるを得なかったのですね。。。。
> ひどい話です。
荘園は言わば免税の私有地。そんな「おいしい」制度を身分の低い武士たちに認めるはずがないんですよね。
> というより、武士が反乱したら、どう考えても負けてしまうという事実に朝廷は気づかなかったんですかね?
絶頂期にある政治家にはよくある話ですが、自分こそが絶対であることから「自分を攻めてくるものなど存在しない」と思いがちですからね。織田信長もそれで明智光秀に足元をすくわれましたから…。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 自ら開墾(かいこん)した土地は、自らの手で堂々と所有したい
> 当たり前の事ですよね
> 段々核心にふれてきましたよね
> ワクワクします
> 明日が楽しみです
有難うございます。
欲求が高まれば、実現するかもしれない可能性に賭けてみたくなるものですが、次の政権はそれを受け入れてくれるのでしょうか…。
.
ぴーち こんばんは!
あ~駄目ですねぇ。。
以前にも登場したお話のはずなのに、今日の記事を拝見させていただくと、一度も拝見した事の無い新鮮な話に思えてしまうんです(TT)
何と言う歴史音痴(苦笑)
それにしても、公家達が武士に所有権を認めない訳というのは、単なる話が判らなかっただけなのか、それとも武士に実権を握られては到底不味い大きな理由があったからなのでしょうか・・。
武士としては、当然の如く所有したいという欲求が起こりますものね。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > あ~駄目ですねぇ。。
> 以前にも登場したお話のはずなのに、今日の記事を拝見させていただくと、一度も拝見した事の無い新鮮な話に思えてしまうんです(TT)
> 何と言う歴史音痴(苦笑)
一度だけで覚えられるほど、人間の脳はうまいこと出来ていませんよ(^^ゞ
何度も何度もめぐりあうことで、自然と記憶に刻まれるものです。
私もそうですから(^^♪
> それにしても、公家達が武士に所有権を認めない訳というのは、単なる話が判らなかっただけなのか、それとも武士に実権を握られては到底不味い大きな理由があったからなのでしょうか・・。
> 武士としては、当然の如く所有したいという欲求が起こりますものね。
一度握った利権は、そう簡単に手放せるものではありませんからね。
でもそのために無理を繰り返せば、やがては大やけどを負うことになる…。
このパターンは最低あと一回は出てきます。今回はそこまでの傷は負いませんが、もう一つは…。
風と雲と虹と。
晴雨堂ミカエル そういえば、70年代半ばの大河ドラマ「風と雲と虹と」は、平将門が主人公でした。加藤剛が髭面の野獣のような顔で戰場(いくさば)を駆ける姿はカッコ良かった。
時代背景は公地公民制の崩壊が進んだ平安時代前期。当時の風俗資料は極端に少ないので、独自のデザインが評判でした。髪型は平安風で衣装は奈良朝と平安朝の中間。女性の場合、普段は小袖で晴れの日にスカート型の裳をつける。吉永小百合が将門の妾役で出演したのも話題になりました。
放送されていた子供の頃は解りませんでしたが、いま観ると台詞の端々に全共闘の残り香があります。
将門が神の神託を受けて「新皇」へ祭り上げられる時に「神は神、俺は俺」と呟いたり。
将門が討たれて滅んだとき、都への進撃を断念した藤原純友(緒形拳)に手下が反発して「俺は生きている内に都が燃えるのをこの目で見たいんや!」と怒鳴る場面。
けっこうNHKらしからぬ内容で面白いです。総集編がソフト化されています。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 「風と雲と虹と」は最近になって全作品が見つかって話題になりましたね。CSでも放送されました。
なるほど、大河ドラマも時代によって様々な側面があるものなんですね。
.
智里 荘園制度ありましたね!!
すっかり忘れてましたよ(〃 ̄ω ̄〃ゞ
確かにこの制度は不安定で馬鹿にしてますよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
自分たちで開墾した土地は、公家の持ち物。
お前の者はオレの物、オレの物はオレの物。
まるでドラえもんのジャイアン的発想ですね。
この後出てくる武士とは・・・
もしかしてあの方ですか!?
智里さんへ
黒田裕樹 > 荘園制度ありましたね!!
> すっかり忘れてましたよ(〃 ̄ω ̄〃ゞ
> 確かにこの制度は不安定で馬鹿にしてますよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 自分たちで開墾した土地は、公家の持ち物。
> お前の者はオレの物、オレの物はオレの物。
> まるでドラえもんのジャイアン的発想ですね。
例えが秀逸ですね(^^♪
実際には力がないですからスネ夫並みかもしれませんが(笑)。
だったらなおさら「お前が言うな!」ということになりますよねぇ(^^ゞ
> この後出てくる武士とは・・・
> もしかしてあの方ですか!?
「あの方」ですね(爆)。
平なのか源なのか…?
当時の武士の多くも、清盛の出世ぶりを注目していました。自分たちと同じ武士である清盛であれば、武士の悲願である「自ら開墾した土地を自らの手で所有する」ことをはじめとした「武士のための政治」を実現してくれるに違(ちが)いない、と期待していたのです。
武士たちの後押しを受けて、清盛は武士として初めて太政大臣(だじょうだいじん)に昇進したことなどによって、ついに政治の実権を握ることに成功しました。我が国初の武士による政権の誕生です。
しかし、皇室や公家と接することの多かった清盛には「武士のための政治」がどのようなものであるかが理解できませんでした。このため、平氏の政権は急速に支持を失っていくのです。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル よく平氏と源氏が武家の棟梁と見なされていて、武家の中では官位は高いが朝廷では昇殿を許される身分ではない、そんなイメージです。
時代劇でも両家の当主ですら侍烏帽子に直垂姿。政権をとってから立烏帽子に狩衣姿。
しかし、両家とも元は皇子が臣籍下ったわけで、当初は光源氏や源博雅らのように元皇子に恥ずかしくない三位辺りの位だったと思います。武家というより貴族。
それが武家化したのはいつ頃、誰の代あたりでしょうか?
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 清和源氏に関しては、清和天皇のひ孫にあたる源満仲あたりから武将として土着していると考えられますね。「ただのまんじゅうぶしのはじめ」というかるた言葉が残っておりますし。
桓武平氏については、最初に臣籍降下したとされる平高望がすでに土着した貴族となっているようですので、こちらの方が早いのかもしれませんね。
.
ぴーち こんばんは!
いよいよ「栄枯盛衰」の物語の始まりですね!
琵琶法師の音色が聞こえて来そうです(笑)
清盛のずば抜けた実力に依存し過ぎた平氏の末路は・・とでも言うのでしょうか・・。
ベンベン~♪(あ、違いますかね^^;)
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > いよいよ「栄枯盛衰」の物語の始まりですね!
> 琵琶法師の音色が聞こえて来そうです(笑)
> 清盛のずば抜けた実力に依存し過ぎた平氏の末路は・・とでも言うのでしょうか・・。
> ベンベン~♪(あ、違いますかね^^;)
実力者の清盛が存在する限りはまだ安泰だったかもしれませんが、その後は…(´・ω・`)
栄枯盛衰の真の理由については、今回の講座で明らかになるかもしれませんね。
黒田裕樹 先生.
風早 りら 我が国初の武士による政権の誕生
それが清盛だった
そんな 当たり前の事が
考えに及ばなかった 自分が
情けなかったです
黒田裕樹 先生には日々感謝の
毎日です
これからも 風早りらを
ご指導宜しくお願いします
りらさんへ
黒田裕樹 > 我が国初の武士による政権の誕生
> それが清盛だった
> そんな 当たり前の事が
> 考えに及ばなかった 自分が
> 情けなかったです
> 黒田裕樹 先生には日々感謝の
> 毎日です
> これからも 風早りらを
> ご指導宜しくお願いします
お言葉有難うございます。
武家政権といえば、この直後に誕生した頼朝政権における鎌倉幕府をイメージしがちですが、清盛による政権も、中身はどうあれ立派な武家政権なんですよね。教科書どおりの勉強ではなかなか気づかない落とし穴であると同時に、開拓者の悲劇でもあります。
.
彩 こんにちは。
いつもコメントありがとうございます。^^
武士政権って清盛からだったのですね。
幕府ができた鎌倉時代からだと思っていました。
けれども、清盛自身が武士政権を理解していない
というのは、支持されていた人だけあって
何とも皮肉なことですね。(苦笑)
彩さんへ
黒田裕樹 > いつもコメントありがとうございます。^^
いえいえ、こちらこそありがとうございます。
> 武士政権って清盛からだったのですね。
> 幕府ができた鎌倉時代からだと思っていました。
> けれども、清盛自身が武士政権を理解していない
> というのは、支持されていた人だけあって
> 何とも皮肉なことですね。(苦笑)
その後の歴史の流れからすると、貴族化した平氏は「武家政権とは何か」ということが分かっていないんですよね。だからこそ、武士たちは「裏切られた」と思ってしまった。まさに皮肉ですね。
.
智里 なかなか上手くいきませんね。
仲間だと思っていた平清盛は、どちらかと言ったら貴族派。
自分たちに正当な権利をくれると思っていたのにね。
このことによって、武士からの支持が無くなっても仕方ないことですよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
智里さんへ
黒田裕樹 > なかなか上手くいきませんね。
> 仲間だと思っていた平清盛は、どちらかと言ったら貴族派。
> 自分たちに正当な権利をくれると思っていたのにね。
> このことによって、武士からの支持が無くなっても仕方ないことですよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
仰るとおりですよね。
期待していた人に裏切られるほど憎しみが残ることはないですから。
参院選もそのような感情で投票した人が多かったかもしれません。
この結果、武士たちの待遇は平氏が政権を取った後もほとんど変化がなかったのです。同じ武士だからと大きな期待をかけていただけに、武士たちの多くは「平氏は俺たちを裏切ったんだ」「どうして俺たちの思いが分からないのか!」と不満を爆発させました。その一方で、貴族たちもそれまで見下(みくだ)していた武士が自分たちの真似をしたことに強く反発しました。
せっかく誕生した平氏政権は、武士からも貴族からも拒否されてしまったのです。初めてであるがゆえに確固(かっこ)たるビジョンを持てない「開拓者」としての悲劇でもありました。
それでも強固(きょうこ)な武力や経済力を持った平氏政権は、この後も当分の間続くと思われていたのですが、現実には清盛の死後わずか数年で滅亡(めつぼう)してしまっています。
なぜ平氏政権はあっけなく崩壊したでしょうのか?




いつも有難うございます。
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紗那 なるほど、武士が反発した理由は知っていましたが、確かに貴族も反発するわけだ……!
蔑んでた人に、真似をされるとなんとなく嫌な気分になりますね。。。。
え、想像もつかない……
次記事に期待します!
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、武士が反発した理由は知っていましたが、確かに貴族も反発するわけだ……!
> 蔑んでた人に、真似をされるとなんとなく嫌な気分になりますね。。。。
真似をされるだけでも不愉快なのに、それが蔑んでいた相手ともなればなおさらですよね。
現代では許されませんが、「高貴な血を汚された」と思われたのも、当時ではやむを得なかったでしょうし。
> え、想像もつかない……
> 次記事に期待します!
次の「英雄」の環境にかかわるんですよね。
本人の意思とは裏腹に…。
.
ぴーち こんばんは!
どんな人の生き方にも、学ぶべき事があるものですね。
明確な信念や、ビジョンが無い「根無し草」の様な政治では、ついていくものも不安になるばかりか、あちらにもこちらにも迎合している事で、信用も丸潰れですね。
一方では絶大なる信頼はあっても、それに対する反発勢力には、とことん対抗出来るような気骨さが欲しかったですね。
応援凸
黒田先生
風早 りら 平家が滅びたのは
せっかく 武士が政権を
取ったのに
貴族政治と同じになったからですか
明日を楽しみにしています
今日は パソコンのトラブルで
講座参加が遅くなり
御免なさいね
.
オバrev やはり、確固たる理念がないと共感を呼ばないんですね。
何か現在にも通じているような・・・(^^ゞ
過去の起こるべくして起こった現実は、無視できない貴重な教訓だということがよく分かります。
.
みほ 清盛!テストに出ました(・ω・)
平清盛さんってすごい人だったんですね^^
頼朝と義経を殺さなかった為に
その2人が仇打ちということで
平氏らを、滅ぼしたという事は
聞いたのですが、
どうしてすぐに滅ぼせたのかは
よく知りません;;
.おはようございます^^
waravino 改めて。暑中お見舞い申し上げます。
朝。セミがぎゃんぎゃん鳴いております。
夏の演出に欠かせぬ役者は。今年も健在です。
極暑の折り。ご自愛ください^^)/
.
智里 可愛そうな話ですよね。
せっかく自分を支持していた武士を無視して、憧れていた貴族には反発される。
それでも武力と経済力で政権を握っている。
その力だけについている人に囲まれて過ごす・・・
なんか寂しいよね。
もっと武士のことを考えていれば、こんな事にはならなかったかもしれないに。
.こんにちは
HINAMAMA この記事を読んで、
平清盛と市民活動家だった菅直人さんがかぶってしまい、思わずコメントしてしまいました(^_^;)
今後、菅さんは、どこを向いて働いてくれるのでしょうか???
歴史を今に役立てたい今日この頃。
毎日続きが楽しみです♪
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんな人の生き方にも、学ぶべき事があるものですね。
> 明確な信念や、ビジョンが無い「根無し草」の様な政治では、ついていくものも不安になるばかりか、あちらにもこちらにも迎合している事で、信用も丸潰れですね。
> 一方では絶大なる信頼はあっても、それに対する反発勢力には、とことん対抗出来るような気骨さが欲しかったですね。
仰るとおり、人に上に立つ、ましてやこの国を動かす立場にある人間は、我々に対して「確固たるビジョン」をはっきりと示したうえで行動すべきでしょう。
これは現代においては必須であり、また古代においても「なぜ政権をとれたのか」ということを考えれば、やはり平氏は方向を見誤ったとしか言えません。
そして、根無し草であるがゆえに、反発勢力にはなすすべもなく滅び去ってしまったのでしょうね。
頼朝は清和源氏(せいわげんじ)の血を引いた、武士の中でも地位の高い若武者でしたが、1159年の平治の乱に敗れて平氏に捕まり、このままでは処刑(しょけい)されるところを危(あや)うく助けられましたが、伊豆(いず)へと追放されてしまいました。
流人(るにん)という身分での伊豆での暮(く)らしは決して楽ではありませんでしたが、頼朝はこの当時に様々な体験をすることによって、武士たちの日常の生活やその願いなどがよく分かるようになっていました。頼朝は、若い頃に言わば武士としての「実地訓練」を積んだのです。
頼朝はやがて平氏打倒に立ち上がると、当初は苦戦したものの、次第に武士たちの同意を得て大勢力となっていきました。平氏に一度裏切られた武士たちでしたが、自分たちと同じ経験をした頼朝であれば、今度こそ期待に応(こた)えてくれるに違いないと判断したのです。
逆に言えば、当時の国民の代表たる武士の期待を裏切ったために、平氏政権は長続きできなかったのでした。




いつも有難うございます。
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智里 ついに頼朝が登場しましたね!
武士にしてみれば、同じ考えを持った人のところにつくよね。
自分もそうすると思います。
そうしないと、いつまでも正当な権利を持つことが出来ないから。
波乱万丈な人生だったからこそ、たくさんの武士が打倒平氏に賛同したんでしょうね。
智里さんへ
黒田裕樹 > ついに頼朝が登場しましたね!
> 武士にしてみれば、同じ考えを持った人のところにつくよね。
> 自分もそうすると思います。
> そうしないと、いつまでも正当な権利を持つことが出来ないから。
> 波乱万丈な人生だったからこそ、たくさんの武士が打倒平氏に賛同したんでしょうね。
私もそうすると思います。
頼朝からすれな嫌々始めざるを得なかった流人暮らしですが、人間やはり若いうちに苦労をしなければいけないんでしょうね。
黒田裕樹さん.
風早 りら いよいよ 頼朝 登場
映画 ドラマ で 有名な
お話が 出てきますね
ワクワクしてきました
また 明日が益々
楽しみになります
期待していますね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > いよいよ 頼朝 登場
> 映画 ドラマ で 有名な
> お話が 出てきますね
> ワクワクしてきました
> また 明日が益々
> 楽しみになります
> 期待していますね
頼朝が登場して、政権交代がいよいよ現実化してきましたからね。
劇的な移り変わりとその効果をしっかりご覧いただければと思います。
.
ぴーち こんばんは!
どんなに机上で知識を詰め込んだとしても、実際の体験学習には敵わないものですね。
苦労した分、肌で武士の暮らしぶりを実体験した経験が後の出世に繋がる糧になる・・。
そういう話を是非、今の若い世代に語ってあげたいものですね^^
それでは、応援凸
.
天然中尉 黒田裕樹殿へ
こんばんは☆中尉にござりまする。
某、昨日の愛甲三郎祭りの甲冑を着たり、愛甲殿の下調べしているうちに鎌倉時代に興味が湧いまいりましたぞ!!
お祭りの効果とは計り知れませぬな(爆)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんなに机上で知識を詰め込んだとしても、実際の体験学習には敵わないものですね。
> 苦労した分、肌で武士の暮らしぶりを実体験した経験が後の出世に繋がる糧になる・・。
> そういう話を是非、今の若い世代に語ってあげたいものですね^^
「百聞は一見にしかず」とも言いますからね。
若いうちの苦労は、やはり買ってでもしなければならないのでしょうね。平氏が苦労知らずという印象は、清盛より下の世代がそう思えるだけに、重たい現実だと思います。
天然中尉殿へ
黒田裕樹 > こんばんは☆中尉にござりまする。
> 某、昨日の愛甲三郎祭りの甲冑を着たり、愛甲殿の下調べしているうちに鎌倉時代に興味が湧いまいりましたぞ!!
> お祭りの効果とは計り知れませぬな(爆)
それはそれは、貴重な体験をされましたね。
やはり形から入るというのは興味を持つには最適の方法だということが、中尉殿の実体験から推察つかまつってござる(笑)。
守護や地頭の任命権は幕府にあったため、幕府の保護を受けた地頭が勢力を拡大していくことによって、武士の悲願であった「自ら所有する土地の権利を正式に認めてもらう」道を開くことになりました。
頼朝による「武士のための政治」が実現したことで、鎌倉幕府の未来は順風満帆(じゅんぷうまんぱん)のはずだったのですが、ここで頼朝が大きな失敗をしてしまいます。1195年に、頼朝は自分の娘を天皇の妃(きさき)にしようと計画したのですが、これは絶対にやってはいけない「禁じ手」でした。
「自分の娘を天皇の妃とし、生まれた皇子が天皇に即位して自分は外戚となる」という手法は、平氏政権のやり方と全く同じだからです。つまり、源氏が貴族化する道を開くことになり、武士の権利が再び朝廷に奪われるかもしれないという危機感を与えてしまったのでした。
結果的に頼朝の思惑(おもわく)は失敗に終わりましたが、武士たちからすれば、頼朝の行為は重大な裏切りであり、許せないことだったのです。




いつも有難うございます。
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紗那 なるほど、武士からの厚い信頼を築いたために、逆に裏切られたと感じられて心が離れるのも一瞬。。。
難しいところですが、安全策をとろうとした頼朝の気持ちも分かる気がします。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、武士からの厚い信頼を築いたために、逆に裏切られたと感じられて心が離れるのも一瞬。。。
> 難しいところですが、安全策をとろうとした頼朝の気持ちも分かる気がします。
人の心は移ろいやすいものですからね。ましてや一度痛い目にあっているだけに、許すことができなかったのでしょうね。
頼朝にしてみれば、源氏の血を永遠のものとするための策だったのでしょうが、歴史に学んでいないあたりが、やはり根が「坊ちゃん育ち」だったのかもしれません。
.
ぴーち こんばんは!
人間の欲望と言うのは、際限が無いものですね。。
一つの願いが叶うと、それに満足出来ずに、また一つ欲求が生まれてしまうもの。
次第にその思うがエスカレートしていき、結局はチキンレースの様に、
勢い余って自ら谷底へまっしぐら。
野望と言う麻薬に洗脳されて
しまうとやはり正常で冷静な判断が鈍ってしまうのでしょうかね。。
応援凸
.
風早 りら 頼朝は自分の娘を天皇の妃
またまた ですよね
これ以前もまたこの後も
この同じ事を繰り返して
いますよね
江戸時代になってもです
全く こりませんよね
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 人間の欲望と言うのは、際限が無いものですね。。
> 一つの願いが叶うと、それに満足出来ずに、また一つ欲求が生まれてしまうもの。
> 次第にその思うがエスカレートしていき、結局はチキンレースの様に、
> 勢い余って自ら谷底へまっしぐら。
> 野望と言う麻薬に洗脳されて
> しまうとやはり正常で冷静な判断が鈍ってしまうのでしょうかね。。
頼朝の場合は、「武家の棟梁」という絶大な地位にありながら、朝廷から政治の実権を完全に奪った初めての政権だっただけに、多分に後ろめたいところがあったのではないかと思われます。
だからこそ、皇室の外戚という後ろ盾が欲しかったのでしょうが、これこそまさに「いつか来た道」。仰るとおり正常な判断を失ったのでしょうね。
一度裏切った人間やその一族の末路は…。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 頼朝は自分の娘を天皇の妃
> またまた ですよね
> これ以前もまたこの後も
> この同じ事を繰り返して
> いますよね
> 江戸時代になってもです
> 全く こりませんよね
いつの世も人間のやることに変わりはないということでしょうか。
「歴史に学ばない」人間の末路は哀れですよね。
.
智里 今更ながら16回の講座の続きを見ております。
なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
目先の利益を得るために、せっかくの信頼を無くすなんて・・・・。
それなりの権力を持ったのに、さらにその上の権力を欲するとはね。
欲たけるとダメなんですね。
智里さんへ
黒田裕樹 > 今更ながら16回の講座の続きを見ております。
有難うございますm(_ _)m
私自身も復習として勉強になります(^_^)v
> なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 目先の利益を得るために、せっかくの信頼を無くすなんて・・・・。
> それなりの権力を持ったのに、さらにその上の権力を欲するとはね。
> 欲たけるとダメなんですね。
まさにそのとおりです。
「武士のための政治」が「源氏のための政治」に変質した段階で、武士の心があっという間に離れてしまったのですから、政治というものは本当に恐ろしいですね。
武家政権の不思議さ
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
武家政権というのを当たり前のように考えていましたが、
海外を観ると
王様(または、皇帝)→貴族→騎士階級→市民
という階級社会が歴史的には、普通です。
(ヨーロッパ社会)
そう考えると、
鎌倉幕府以後から、始まる武士による政権の樹立というのは、世界的に観ても画期的だったですね。
そう考えると、源頼朝が、武家政権を創ったものの、朝廷に娘を嫁がせるのは、心の中で
『何という大胆なことをしてしまった。』という気持ちもあったんでしょうね。
それにしても、源頼朝は、本当の意味の社会の改革者ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、世界史的に見ても例のないことですね。
ちょうど現在(平成23年10月)、第26回歴史講座の更新を行っておりますが、藤原氏に関連して武家政権にも言及しております。
頼朝については私も同感ですね。
やがて北条氏は、将軍の頼家も追放したうえで暗殺し、弟の実朝(さねとも)を第3代将軍としましたが、頼朝が最終的に武士の信頼を失ったことで源氏を守ろうとする者は少なく、頼朝の妻の北条政子(ほうじょうまさこ)が「尼将軍」(あましょうぐん)として君臨(くんりん)するなどによって、北条氏による政権の「乗っ取り」が武力を背景に認められていったのです。
さて、政治の実権を奪われた将軍実朝は和歌をたしなむ人生を送りましたが、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が和歌つながりで実朝に巧(たく)みに接近し、幕府を事実上の朝廷の支配下にしようと計画されました。
このままでは幕府が朝廷に乗っ取られてしまう―。危機を感じた武士たちでしたが、そんな折(おり)の1219年、実朝が頼家の遺児(いじ)の公暁(くぎょう)に暗殺されたことで、頼朝以来の源氏の血がついに絶えてしまったと同時に、後鳥羽上皇の幕府乗っ取りの計画が破られてしまいました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
北条政子の尼将軍。
ここら辺は断片的に記憶が
あります(笑)
それにしても、黒田さんの記事は
サラッと書かれていますが、
暗殺、暗殺と、気も休まらない身の危険を常に感じながら、この頃の源氏の血を受け継ぐものは、過ごしていたんですね。
殺るか、殺られるか・・殺伐としていますね(><)
それでは、応援凸
黒田先生.
風早 りら 北条政子
いよいよ登場ですね
この辺りはよく ドラマに
なっていますが ドラマでは
真実は分かりません
詳しい真実 期待しています
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 北条政子の尼将軍。
> ここら辺は断片的に記憶が
> あります(笑)
> それにしても、黒田さんの記事は
> サラッと書かれていますが、
> 暗殺、暗殺と、気も休まらない身の危険を常に感じながら、この頃の源氏の血を受け継ぐものは、過ごしていたんですね。
> 殺るか、殺られるか・・殺伐としていますね(><)
尼将軍は通史の方でも紹介しましたからね(^^♪
確かにこの時期は暗殺の連続ですから、権力者も気の安らぐ時間がなかったのではないかと考えられますね。
平和の有難みをしみじみと感じるとともに、守って下さる人々に感謝したいですね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 北条政子
> いよいよ登場ですね
> この辺りはよく ドラマに
> なっていますが ドラマでは
> 真実は分かりません
> 詳しい真実 期待しています
ドラマはどうしても脚色されてしまいますからね。
面白みがないかもしれませんが、私の講座では出来るだけ事実を中心に仕上げていきたいと思います。
.
智里 ほうほう___φ(゚ー゚*)フムフム___φ(。_。*)カキカキ
これで北条政子が出てくるのか~。
教科書では、いつのこ間にか実権を持ったおばさんとしか書いてなかった記憶が・・・。
その裏では後鳥羽上皇の黒い計画があったのも知らなかったッス!!
智里さんへ
黒田裕樹 > ほうほう___φ(゚ー゚*)フムフム___φ(。_。*)カキカキ
> これで北条政子が出てくるのか~。
> 教科書では、いつの間にか実権を持ったおばさんとしか書いてなかった記憶が・・・。
> その裏では後鳥羽上皇の黒い計画があったのも知らなかったッス!!
尼将軍が政治の実権を握ったのも、一族の北条氏の庇護(ひご)があってこそですからね。逆に言えば、北条氏が政子を利用したともいえるわけです。
後鳥羽上皇の「黒い計画」は失敗したことで確かに一般には認知されていませんが、前後の背景から上皇の関与が見受けられる可能性はかなり高いです。このあたりは朝廷と武士との権力の綱引き合戦ですね。
武士たちの多くは自身が朝敵となってしまったことに動揺(どうよう)しましたが、一方で以前の惨(みじ)めな暮らしに戻りたくないという思いも根強く、結局上皇の計画は阻止(そし)されました。1221年のこの戦いを承久の乱(じょうきゅうのらん)といいますが、尼将軍の北条政子による一世一代(いっせいいちだい)の演説も有名ですね。
こうして1159年の平治の乱から1221年の承久の乱までのわずか60年余りの間に政治の実権が激しく移動したり、あるいは移動しそうになったりしましたが、これらの背景には当時の国民の代表たる武士の「意思を理解し、願いを実現しているか」の是非があります。
朝廷では武士の願いは叶えられそうになかったことで、全国の武士は平氏政権誕生を後押ししましたが、平氏が貴族化したことで「武士のための政治」を行わなかったことが裏切りとみなされ、多くの武士が源氏に味方したことで平氏は滅亡しました。
源氏は鎌倉幕府を開きましたが、頼朝が自分の娘を天皇の妃にしようとするという、平氏政権の「二の舞」を演じようとしたことで、多くの武士が源氏を見限り、後には朝敵となったにもかかわらず、北条氏を中心とする政権に移行していったのです。
こうした「武士の思いを実現できているか」に関しては、承久の乱の約100年後に再び問われるようになりました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今回の
「武士の思いを実現できているか」と言うフレーズをそのまま
現代風に
「国民の思いを実現できるいるか」
と言う言葉に置き換えて、現政府に訴えていきたいです^^;
国民の願いを実現してくれるもの・と期待して、支持した政党には裏切られてばかり・・。
昔もこんなもどかしい思いを強いられた時代があったのですね。。
応援凸
黒田裕樹さん.
風早 りら 鎌倉幕府が続いていたとしたら
時代はどう変わったいたのかと
考えを巡らしてみました
鎖国政策は無かっただろうかとか
想像が膨らみます
明日も楽しみにしていますね
.
紗那 なるほど、この当時は武士が時代の主役だった。
だから、武士の意見を政治に反映させられないと容赦なく切り捨てられたということですね?
武士は、直接的な行動ができるから、なおさら怖いですけどね^^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今回の
> 「武士の思いを実現できているか」と言うフレーズをそのまま
> 現代風に
> 「国民の思いを実現できるいるか」
> と言う言葉に置き換えて、現政府に訴えていきたいです^^;
> 国民の願いを実現してくれるもの・と期待して、支持した政党には裏切られてばかり・・。
> 昔もこんなもどかしい思いを強いられた時代があったのですね。。
私もそう思います。
いつの世も国民が裏切られてばかりではさびしすぎますからね(´・ω・`)
現代の話は講座の後半でまた紹介します。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 鎌倉幕府が続いていたとしたら
> 時代はどう変わったいたのかと
> 考えを巡らしてみました
> 鎖国政策は無かっただろうかとか
> 想像が膨らみます
> 明日も楽しみにしていますね
確かに武力で世の中を支配して、元寇も勇躍追い返した鎌倉幕府であれば、鎖国をする必要もなかったかもしれませんね。
歴史のifに思いをめぐらすのも楽しいものです。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、この当時は武士が時代の主役だった。
> だから、武士の意見を政治に反映させられないと容赦なく切り捨てられたということですね?
> 武士は、直接的な行動ができるから、なおさら怖いですけどね^^;
仰るとおりです。
武力で世の中を支配する武士の世界ですから、確かに怖いですね。
気が抜けない毎日ではありますが、その分生き甲斐もあったかもしれません。
.
みほ こんばんは^^
黒田さんの記事を
読ませていただき思ったんですが
、
こんなにも詳しく昔の歴史が
わかるということは本当に凄いことですよね
昔にあったことだと思うと
とても不思議です。
リンクありがとうございます^^
私もリンクさせてもらっても
よろしいでしょうか?
みほさんへ
黒田裕樹 > 黒田さんの記事を
> 読ませていただき思ったんですが
> 、
> こんなにも詳しく昔の歴史が
> わかるということは本当に凄いことですよね
> 昔にあったことだと思うと
> とても不思議です。
有難うございますm(_ _)m
歴史というのは不思議なもので、何百年も前の出来事であっても、昨日のことのように情景が浮かぶことがよくあります。
やはり同じ人間の営みだからでしょうね。
単なる暗記ではなく、様々な角度から皆様に歴史を理解していただけるように今後も頑張りますよ(^_^)v
> リンクありがとうございます^^
> 私もリンクさせてもらっても
> よろしいでしょうか?
もちろんOKですよ(^o^)/
これからもよろしくお願いします。
.
彩 こんにちは。^^
ここら辺の時代は短い間に
多くのことが起こったので
日本の歴史を久しく習っていない私は
どのような動きがあったか忘れていましたが
黒田さんのご説明で色々思い出しました。
この後の南北朝時代も好きだったわ。^^
.
そうめん 始めまして、そうめんと申します。
宜しくお願い致します。
実はここは終業式前まで勉強している所でした。
・・参考になります(^^;)
そんな中で、後醍醐天皇が自己の子孫の繁栄(はんえい)と、政治の実権を朝廷に取り戻すために立ち上がりました。後醍醐天皇は倒幕に二度も失敗し、一時は隠岐(おき)に流されながらも最終的に鎌倉幕府を滅ぼすことができたのは、天皇と武士の思惑が「鎌倉幕府には政治を任せられない」ことで一致したからでした。
しかし、幕府が倒れた後に後醍醐天皇が建武の新政(けんむのしんせい)を行い、武士の願いを無視した天皇親政を行われたことが、両者の間に亀裂(きれつ)を生みました。武士たちは勢力が衰(おとろ)えて政治を任せられなくなった幕府の代わりに、他の武士による新しい組織のもとで、これまでどおりの「武士による、武士のための政治」を続けることを望んでいたからです。
そして、そんな空気を読んだ足利尊氏の「裏切り」によって、建武の新政はわずか数年で終焉(しゅうえん)を迎え、新たに武士による室町幕府(むろまちばくふ)が成立したのでした。




いつも有難うございます。
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風早 りら 歴史は繰り返す
その言葉 想い出しました
果てしない 権力闘争
同じような 過ち
何度 繰り返したら
人は理解出来るのでしょう
オフ会良いですね
関西に住んでいたら行きたいです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 歴史は繰り返す
> その言葉 想い出しました
> 果てしない 権力闘争
> 同じような 過ち
> 何度 繰り返したら
> 人は理解出来るのでしょう
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがありますが、自身の繁栄が永遠のものと勘違いした人間は、必ずと言っていいほど歴史に学ばずに自滅していますね。
歴史の勉強は単なる点取りのみではなく、人生全体にとって重要なことのはずなのですが…。
> オフ会良いですね
> 関西に住んでいたら行きたいです
関西でもオフ会は行っておりますが、次回(第17回)の講座は東京ですので、オフ会ももちろん東京ですよ。
よろしければご参加下さいね。
.
ぴーち こんばんは!
北條氏から、室町幕府の成立までの
あらすじが理解出来ました
!
こんなにすんなり理解出来たなんて、
黒田さんのお陰です、ありがとうございます♪
武士による武士のための政治を目指して、叩かれても、潰されても
辿り着こうとする意欲は、
まるで再生を図ろうと懸命に
シナプスを伸ばそうとする人間の脳神経の様な逞しさを感じました^^
あ、いつもながら、例えが悪いですかね(笑)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 北條氏から、室町幕府の成立までの
> あらすじが理解出来ました
> !
> こんなにすんなり理解出来たなんて、
> 黒田さんのお陰です、ありがとうございます♪
光栄です(^^♪
通史ではなかなか理解が難しいですからね。
やはりこういった特別講座は必要だと実感します。
> 武士による武士のための政治を目指して、叩かれても、潰されても
> 辿り着こうとする意欲は、
> まるで再生を図ろうと懸命に
> シナプスを伸ばそうとする人間の脳神経の様な逞しさを感じました^^
> あ、いつもながら、例えが悪いですかね(笑)
いえいえ、しぶとさという意味ではよく分かりますよ(笑)。
武士の時代はまだまだ続きますからね。
そんな中、強大な武力を背景とした宗教勢力が特にその実力を示すようになりました。宗教勢力は自己の支配地に多額の税金をかけることで資金を集めて武力を拡大したり、また宗教勢力同士の争いで周辺が焼け野原になったりするなど、いつしか宗教勢力は人々の暮らしや商業の発達に大きな障害となっていきました。
当時の人々の多くは、大きな障害と化した宗教勢力を追放して、元の過ごしやすい世の中に戻してほしいと熱望していましたが、そんな中で現れたのが織田信長だったのです。
信長は自己の武力を担保(たんぽ)に宗教勢力に武装解除(ぶそうかいじょ)を迫(せま)りましたが、利権を手放したくない宗教勢力はこれに反対し、逆に信長を滅ぼそうとしました。生命の危機を感じた信長は激怒して比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼討(やきう)ちし、一向一揆(いっこういっき)の勢力を女子供に至(いた)るまで皆殺しにしました。




いつも有難うございます。
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そうめん 室町、戦国時代ですか~
ここはまだ習っていませんが予習という意味で参考になりました(^^;)
織田信長ですか~。
確か、後に本能寺の変で明智光秀に襲われて自害したんですよね。
.
紗那 宗教勢力は、今も昔も強かったんですね。
(今は宗教団体ですが汗)
そういう利権とかにこだわるところも一緒な気がします。
とはいえ、そんな宗教勢力に対してでも焼き討ちまでしてよかったんだろうか、とは僕は思っているのですが。
黒田先生
風早 りら いよいよ皆さんに人気がある信長登場ですね
私の友達はみんな信長が大好きです
これからの信長関係の話は友達に伝えたいと思っています
宜しくお願いします
.
ぴーち こんばんは!
女子供に至るまで皆殺しですか。。
人道的に考えると非常に冷酷で血も涙も無い人間だと思うのが当然だと思いますが、それが戦と言うものなんだと思います。例え、女子供でも生かしておいては、子供などは、いづれ成長した暁には復讐の為に自分を襲うかも知れないと自分の身を案じたのでは。。?
それでは、応援凸
そうめんさんへ
黒田裕樹 > 室町、戦国時代ですか~
> ここはまだ習っていませんが予習という意味で参考になりました(^^;)
お役に立てて何よりです。
歴史はつながっていますから、先に勉強しておくことは良いことですよ(^^♪
> 織田信長ですか~。
> 確か、後に本能寺の変で明智光秀に襲われて自害したんですよね。
そのとおりです。
本能寺の変については、以前に私がその経緯を推測して講座を行っています。
よろしければ、第4回歴史講座をご覧ください。
また、信長についても9月の第19回歴史講座で紹介する予定です。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 宗教勢力は、今も昔も強かったんですね。
> (今は宗教団体ですが汗)
> そういう利権とかにこだわるところも一緒な気がします。
確かに構造的な面では大きな変化はないかもしれません。
だとすれば、仮に現在の団体に武力を持たせればどうなるか…。
あくまで想像の世界ですけどね(^^ゞ
> とはいえ、そんな宗教勢力に対してでも焼き討ちまでしてよかったんだろうか、とは僕は思っているのですが。
そのお気持ち、よく分かります。
しかし、現代と違って当時は食うか食われるかの戦国時代。
ましてや平和的な解決を打ち出した信長に対して、先に手を出したのは宗教勢力の方ですからね。
比叡山の焼き討ちは、当然の報復として信長が考えていたとしても不思議ではありません。
現代の価値観で過去の歴史を見てばかりではいけないということなんですよね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > いよいよ皆さんに人気がある信長登場ですね
> 私の友達はみんな信長が大好きです
> これからの信長関係の話は友達に伝えたいと思っています
> 宜しくお願いします
有難うございます。
ただ、残念なことに今回の講座では信長の話は今日(29日)限りなんですよね。
9月の講座で信長に関して詳しく紹介する予定ですし、また第10回の歴史講座で間接的に信長を紹介しておりますので、よろしければご参考になさって下さい。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 女子供に至るまで皆殺しですか。。
> 人道的に考えると非常に冷酷で血も涙も無い人間だと思うのが当然だと思いますが、それが戦と言うものなんだと思います。例え、女子供でも生かしておいては、子供などは、いづれ成長した暁には復讐の為に自分を襲うかも知れないと自分の身を案じたのでは。。?
ぴーちさんのお考えは、信長の頭の中に当然あったと思います。
そして、それと同じくらい重要だったのは、当時の一向一揆が老人や女性、あるいは子供までが同じように武器を持って戦っていたということです。いわゆるゲリラ兵ですね。
信長といえども、武器を持たない非戦闘員まで血祭りにあげることはしなかったのですが、武器を持っていれば話は別です。
刃向う者は何人たりとも皆殺しにする―。峻烈(しゅんれつ)な戦国時代の論理では致し方なかったというべきなのでしょう。
.
おがのぶ こんにちは~
信長が出てきましたね これは 自分の考えですが
信長を 非道とか宗教弾圧のイメージでとらえる人が多いような
気がします
昔は 宗教を暴力の手段に使ったので 仕方無くの
焼き討ちだと思っております
本当に宗教弾圧をする人間が 本能寺に泊まるわけないと
思います
おがのぶさんへ
黒田裕樹 > 信長が出てきましたね これは 自分の考えですが
> 信長を 非道とか宗教弾圧のイメージでとらえる人が多いような
> 気がします
> 昔は 宗教を暴力の手段に使ったので 仕方無くの
> 焼き討ちだと思っております
> 本当に宗教弾圧をする人間が 本能寺に泊まるわけないと
> 思います
まさしく仰るとおりです。
自分に逆らい、刃向ってくる宗教勢力には容赦なく牙をむいた信長でしたが、後の秀吉や家康のように、宗教を「弾圧」する行為は一切行っておりません。
天台宗や浄土真宗が今日まで多くの人々に信仰され続けているのが何よりの証拠ですし、信長自身がやましいことをしていないと思っていたからこそ、京において本能寺を定宿としていたのです。
少し考えれば容易に理解できると思うのですが、記憶させるだけの歴史教育の現状における大きな落とし穴でもありますね。
秀吉の死後に江戸幕府(えどばくふ)を開いた家康も、宗教勢力の弱体化を目指しました。例えば、一向一揆を繰り返すなど屈指(くっし)の武闘派(ぶとうは)であった浄土真宗(じょうどしんしゅう)の本拠地(ほんきょち)である本願寺を東西に分け、お互いが争うことで幕府に対して逆らわないようにするという分割統治に成功しました。
また、家康の死後には檀家制度(だんかせいど)を採用して、国家権力が寺院に権益を与えることで逆に統制し、宗教が政治に関わる必要を一切なくしてしまいました。本願寺の分断や檀家制度は現代においても続いており、家康や江戸幕府による行政手腕がいかに高かったのかを間接的に証明していますね。
結果として暮らしへの大きな障害となっていた宗教勢力の武装解除を望んでいた国民の期待に応えたからこそ、信長から秀吉、そして家康に至る政治は国民の支持を受け、江戸幕府が長く存続したという一面が見受けられるのです。しかし、そんな江戸幕府の政治能力にも限界が見られるようになっていきました。




いつも有難うございます。
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ぴーち 信長の様に怒りの感情のまま、猪突猛進型では
上に立つ者は成功しないのでしょうね。やはり「一を知って十を知る」「先見の明」と言うものを持ち合わせて居て常に冷静沈着な者には、到底敵わないものですね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 信長の様に怒りの感情のまま、猪突猛進型では
> 上に立つ者は成功しないのでしょうね。やはり「一を知って十を知る」「先見の明」と言うものを持ち合わせて居て常に冷静沈着な者には、到底敵わないものですね^^
仰ることも一理ありますね。
猪突猛進型では長続きできないのですが、あえて強引に推し進めることで、後の人間が楽になることもあります。例えば信長による比叡山焼き討ちの洗礼がありますから、秀吉の脅迫に高野山が従ったというのもありますし。
後半は全くその通りです。政治家には長期的な視野に立って、我が国のための政策を粛々と実行してほしいものです。
.
智里 知らなかったΣ(゚□゚(゚□゚*)!!
本願寺を東と西に分けたのって家康公だったんですね!
しかもお互いを争わせるとは考えましたね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
そして、檀家制度を採用したのってすごいですよね。
宗教が政治に関わる必要を一切なくすことによって、同じ過ちを繰り返すことが無くなりましたよね。
宗教勢力って本当に恐ろしいっす!!
智里さんへ
黒田裕樹 > 知らなかったΣ(゚□゚(゚□゚*)!!
> 本願寺を東と西に分けたのって家康公だったんですね!
> しかもお互いを争わせるとは考えましたね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
「敵の勢力を削(そ)ぐには分割統治に限る」といいます。
勢力が二つに割れれば、自然と内部で争うようになり、為政者としてはやりやすくなる。厳しい現実ですが、これも一つの政治の手法ですからね。
> そして、檀家制度を採用したのってすごいですよね。
> 宗教が政治に関わる必要を一切なくすことによって、同じ過ちを繰り返すことが無くなりましたよね。
> 宗教勢力って本当に恐ろしいっす!!
家康も宗教勢力にはさんざん悩まされましたから、その政策を引き継いだ江戸幕府が考えに考え抜いた末での結果だったのでしょう。現代にもつながっているあたりが凄いと思います。
「徳のある者が天下を制す」とありますが、徳のある者が本当に幕府なのかどうかという疑問が次第に投げかけられたのです。時が経(た)つにつれて、徳があるのは幕府ではなく、我が国に長い間君臨されておられる天皇であるという考えが一般的になり、幕府公認の学問によって幕府の存在を否定するという大きな矛盾をもたらしてしまいました。
また、儒教(じゅきょう)に由来する朱子学が公式の学問になったことで、幕府の政治は商業を軽視あるいは無視して農業を中心とする重農主義(じゅうのうしゅぎ)が中心となりましたが、これは17世紀後半の元禄時代(げんろくじだい)の頃から経済が発達して商業中心の社会となった世の中の流れと完全に逆行していました。
特に享保(きょうほう)・寛政(かんせい)・天保(てんぽう)のいわゆる江戸の三大改革における農業重視・商業軽視の姿勢は明白(めいはく)であり、田沼意次(たぬまおきつぐ)らによる開国も視野にいれた重商主義(じゅうしょうしゅぎ)は、その存在すら徹底的に否定されました。
こうした幕府の政治手法が、やがて「大きなツケ」として江戸幕府のみならず、我が国全体に大きくのしかかることになります。




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オバrev 時代の流れを読む、認識するということは政治家の特にトップに立つ人に最も要求される資質かもしれません。
それを無視した政治をやろうとしても必ず挫折すると歴史が証明していますね。
現在のグローバル化経済では、英語が標準語らしいですし・・・日本キビシ~イ(^^ゞ
金融恐慌、新興国台頭、環境破壊等、激変する世界の中で、外国と対等にやりあい、日本の技術を生かし、そのための教育をすすめ、少子高齢化に対応して住みよい日本にしていく等を、的確に判断して実行できるトップでないと、すぐに世界に置いて行かれるかもしれませんね(゜◇゜)ガーン
.
紗那 なるほど。。。
いつまでも形式的なものにとらわれていては、実情に合わなくなってしまうんですね。
言われてみると、現代でも当てはまることがあるような気がします^^;
しかし、こんな自業自得が待っているとは幕府も考えていなかったんでしょう。
.黒田先生
風早 りら 江戸幕府が利用しようとした
朱子学
それによって
困難をきした江戸幕府
やはり 汚い手段は
やがて 滅びますよね
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 時代の流れを読む、認識するということは政治家の特にトップに立つ人に最も要求される資質かもしれません。
> それを無視した政治をやろうとしても必ず挫折すると歴史が証明していますね。
仰るとおりですね。
時代の流れに取り残された政治やその組織は、やがて時代に飲まれて消え去っていく運命にあるといえます。
> 現在のグローバル化経済では、英語が標準語らしいですし・・・日本キビシ~イ(^^ゞ
> 金融恐慌、新興国台頭、環境破壊等、激変する世界の中で、外国と対等にやりあい、日本の技術を生かし、そのための教育をすすめ、少子高齢化に対応して住みよい日本にしていく等を、的確に判断して実行できるトップでないと、すぐに世界に置いて行かれるかもしれませんね(゜◇゜)ガーン
もはや我が国だけで政治を行える立場にないですからね。
こんな大変な時期に、私たちは資質を持っている政治家に恵まれていると果たしていえるのでしょうか…。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど。。。
> いつまでも形式的なものにとらわれていては、実情に合わなくなってしまうんですね。
> 言われてみると、現代でも当てはまることがあるような気がします^^;
そうなんですよね。時代に流れに即した柔軟な対応が求められる政治。現代は果たしてどうでしょうか?
> しかし、こんな自業自得が待っているとは幕府も考えていなかったんでしょう。
確かに予想もしなかったことでしょう。しかし、予想に反したとしてもそれなりの対応策ができたはず。それをしなかった、あるいはできなかったのであれば、明らかに幕府の怠慢と言えるでしょうね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 江戸幕府が利用しようとした
> 朱子学
> それによって
> 困難をきした江戸幕府
> やはり 汚い手段は
> やがて 滅びますよね
因果はめぐる、といったところでしょうか。
利用しようとしたものが利用される愚かさは、幕府の資質にも原因があったのではないかと考えられますね。
.
智里 知識を得ることによって、本当に正しいのは無いか?を問われちゃったんですね。
重農主義って分かるな~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
士農工商って言葉があったくらいだから、やっぱ農家の方がいないと生活できませんからね。
智里さんへ
黒田裕樹 > 知識を得ることによって、本当に正しいのは無いか?を問われちゃったんですね。
学問というものは自然と追究していくものですから、その結果が矛盾をもたらしてしまったんですよね。考えてみれば恐ろしいものです。
> 重農主義って分かるな~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 士農工商って言葉があったくらいだから、やっぱ農家の方がいないと生活できませんからね。
農業は国の基本ですから、政策として重要なのは当然です。
しかしながら、時代がそれだけを許すことがなかったんですよね。朱子学の影響もあって、幕府がそれに気付けなかったことが悲劇をもたらしたのです。
しかも、蒸気機関(じょうききかん)で動く黒船(くろふね)が発明され、海で囲まれたことが我が国にとって有利どころか、絶対的に不利になってしまった現実に対しても幕府は無視を続けました。そんな幕府の頑(かたく)なな姿勢は、やがて突然に、なおかつ最悪の状態で崩壊を迎えることになってしまいます。
1853年、アメリカのペリー率いる黒船の来航に幕府は大慌(おおあわ)てとなって無理やり開国させられ、1858年には日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)という不平等条約を結ばされるという失態を演じてしまいました。
また、開国の際に幕府は自分たちだけで国論(こくろん)をまとめることができず、諸藩(しょはん)に意見を伺(うかが)っているのですが、これは武力で我が国を支配したはずの江戸幕府にしてみれば、武家政権にあるまじき弱腰(よわごし)の方針でした。こうした幕府の姿勢に加えて、朱子学によって天皇こそが我が国の中心であるとする思想が広まったことが、幕末の激しい尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)へとつながる一因となりました。
もし幕府が重商主義を標榜(ひょうぼう、主義や主張などをはっきりと示すこと)して早期に自主的に開国していれば、幕末の混乱もなかったでしょうし、また明治新政府が誕生したとしても、幕府は重要な位置を占(し)めることが可能だったでしょう。幕府のある意味頑なで、また一気にブレまくった政治姿勢は多くの国民の支持を失い、明治維新へとつながってしまったといえるのです。




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そうめん 鎖国ですか~
鎖国といえば出島が有名ですよね。
ペリーは・・
開国を迫った人ですよね(^^;)
クリック!
そうめんさんへ
黒田裕樹 > 鎖国ですか~
> 鎖国といえば出島が有名ですよね。
そうですね。
唯一の貿易都市だった出島の存在が、鎖国が実は「鎖国」ではなかったことを皮肉にも証明しています。
> ペリーは・・
> 開国を迫った人ですよね(^^;)
そのとおりです。
良くも悪くも我が国の今後を決定づけた来航でもありました。
応援ありがとうございます!
.
ぴーち こんばんは!
ペリーの本来の目的は捕鯨だったと言う説を伺った事があるんですが、どうなんでしょうか?
「太平の眠りを覚ます(上喜撰)蒸気船 たった四杯で夜も眠れず」
何故かこういう川柳だけは覚えていて、歴史は覚えず・・(^^A
失礼いたしましたm(__)m
では、応援凸
.
紗那 なるほどー……
こういういつの間にか、意地の張り合い?のようになってしまうことは、よくありますね。。。
自分個人の問題であれば、まだ構わないとはいえ、このように国全体に絡んでくることだと大きな問題だと思います。
ブレ、ですか……w
なにやら現代にも通じてきそうな話ですね><
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > ペリーの本来の目的は捕鯨だったと言う説を伺った事があるんですが、どうなんでしょうか?
そうですね。ペリーの場合は捕鯨の際の寄港地として我が国の開国が必要だったため、通商までは求めていませんでした。我が国に通商条約を迫ったのはハリスです。
> 「太平の眠りを覚ます(上喜撰)蒸気船 たった四杯で夜も眠れず」
> 何故かこういう川柳だけは覚えていて、歴史は覚えず・・(^^A
> 失礼いたしましたm(__)m
いえいえ、そのような歴史的な用語や歌からでも、十分歴史に興味を持つことができますから大丈夫ですよ(^^♪
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほどー……
> こういういつの間にか、意地の張り合い?のようになってしまうことは、よくありますね。。。
> 自分個人の問題であれば、まだ構わないとはいえ、このように国全体に絡んでくることだと大きな問題だと思います。
特に我が国の政治家には「先例と違うことをすることを極端に嫌う」傾向がありますからね。仰るとおり、巻き添えを食らう国民はたまったものではありません。
> ブレ、ですか……w
> なにやら現代にも通じてきそうな話ですね><
鋭いですね(^^ゞ
明日の総集編で改めて考察してみます。
.黒田先生
風早 りら 鎖国は 日本に
とって かえすがえすも残念
だから 信長の死が悔しい
私の友達は皆 信長ファンです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 鎖国は 日本に
> とって かえすがえすも残念
> だから 信長の死が悔しい
> 私の友達は皆 信長ファンです
確かにグローバルな考えを持っていた信長が存命していれば、鎖国をするようなことはなかったでしょうね。
本当は制限貿易なのですから、もっと賢いやり方があったはずなのですが…。
それは、時の政権が「国民の支持を得ているかどうか」ということです。武力などによって世の中を統一することができたとしても、それが国民の理解を得られなければ、その支配は決して長続きできないのです。平氏や源氏、北条氏や後醍醐天皇、さらには江戸幕府も、当時の国民の代表たる武士や、あるいは国民全体の支持を失ったことでその役割を終えることになりました。
翻(ひるがえ)って現代を見てみますと、昨年の総選挙で長年続いた自民党政権を国民が拒否し、野党である民主党に期待したからこそ、300議席を超える大勝利となり、民主党による政権が誕生したのですが、それからわずか10ヵ月後の第22回参議院議員通常選挙において、民主党は過半数を大幅に割り込むどころか、6年前の改選議席にも及ばないという大敗を喫(きっ)したということは、国民が現状の民主党政権に対して不満を抱いているという何よりの証拠(しょうこ)となります。
今回の結果を受け、民主党はどのような政治姿勢を我々に見せてくれるのでしょうか。我が国や国民にとってプラスとなる、いわゆる国益にかなう政治を行うことこそが、国民の支持を得る一番の近道となりますし、やがて行われる次期衆議院総選挙への目安にもなることでしょう。
だとすれば、いわゆる亡国三大法案と呼ばれる外国人地方参政権法案や夫婦別姓法案、そして人権擁護法案を成立させるという政治姿勢は、果たして国民の理解を得ることができるのでしょうか?
他人任せにするのではなく、国民一人一人が真剣な目で政権のチェックをすることが、我が国自体の命運をも握っているのです。
(第16回歴史講座の記事はこれで終了です。)




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monariz GJです、黒田先生!
亡国三大も判っていらっしゃるとは・・・。ただそんなこと言ってると周りから狙われますよ(笑)
これからの授業も期待してます!
.
風早 りら 外国人地方参政権法案
国籍を取得していない
人に対する 選挙権
絶対 私は認められません
不可思議過ぎます
monarizさんへ
黒田裕樹 > GJです、黒田先生!
> 亡国三大も判っていらっしゃるとは・・・。ただそんなこと言ってると周りから狙われますよ(笑)
> これからの授業も期待してます!
有難うございます(^^♪
すでに第14回の講座で夫婦別姓法案に反対していますからね(^^ゞ
これからも頑張りますよ(^_^)v
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 外国人地方参政権法案
> 国籍を取得していない
> 人に対する 選挙権
> 絶対 私は認められません
> 不可思議過ぎます
国政であろうが地方であろうが、我が国の行く末を託す政治家を選ぶには、やはり国籍条項が絶対に必要でしょう。
国民にとって益にならない政治を進めようとする政権には、どのような運命が待ち受けているのでしょうか…?
.
紗那 おぉ、ここで亡国三大とは……!
いや、今までの講座の内容的にも予想はしていましたが←
今までにないことをやろうという姿勢はいいんですけど、方向を大きく間違えてる気がするんですよね、民主党は。
.
ぴーち こんばんは!
「政権交代の法則」の共通点。
前回のお題の答えですね^^
なるほど、「国民の支持を得ているか」なんですね。
確かに国民あっての政党であるし、その主役の国民から支持を得ず、理不尽な問題をごり押ししようとすれば、独裁政治となんら変わりはないですものね。
亡国三大法案と銘打った黒田さんのご主張は、私も支持させていただいております。
外国の法則が何でもかんでも日本に当てはまるとは思えませんので、何が良くて、なにが良くないのかとい
う取捨選択するべき正しい判断をただの利益、政治パフォーマンスと言った曇った眼で
鈍らせないで欲しいと切に願いたいです。何処の政党が日本を背負って立ったとしても。。
それでは、応援凸
紗那さんへ
黒田裕樹 > おぉ、ここで亡国三大とは……!
> いや、今までの講座の内容的にも予想はしていましたが←
予想どおりでしたか(笑)。
「国民の期待に応えているかどうか」の目安としては、避けて通れない問題ですからね。
> 今までにないことをやろうという姿勢はいいんですけど、方向を大きく間違えてる気がするんですよね、民主党は。
お気持ちはよく分かります。
下手に振り回すよりも、是は是、非は非の対応で何の問題もないと思うのですが…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私の個人的な見解にご賛同いただきありがとうございます。
仰るとおり、政権を握る政党ならば、正しい判断のもとに我が国を導いてほしいものですね。
.
オバrev 亡国三大法案とは・・・さすがです(^^;)
しかし、日本の国益に大きく影響する法案ですから、十分な説明と審議、そして国民の信を問うことが政治家の責任だと思います。
先生の仰る法則を、政治家がしっかりと認識してくれることを望みますね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 亡国三大法案とは・・・さすがです(^^;)
> しかし、日本の国益に大きく影響する法案ですから、十分な説明と審議、そして国民の信を問うことが政治家の責任だと思います。
> 先生の仰る法則を、政治家がしっかりと認識してくれることを望みますね。
参院選後の政権の迷走ぶりを見ていると、本当にしっかりと認識してくれているのか疑わしいような気がするのは私だけでしょうか…(´・ω・`)
問題山積の世界情勢だけに、間違った判断は絶対に許されないはずですからね。